東 2024-07-20 01:24:27 |
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えっ……?
(絞り出した言葉はやけに真面目な声色で遮られてしまって、虚をつかれた私はポテトフライの皿を押し出した手を引っ込めることも忘れてキョトンと固まってしまった。そのまま平の話に耳を傾けるけど──何が“もういい”んだろう。全然よくないに決まってる。一人になったらまた後悔するとか、私の方がショックだとか……その言い方、平だって絶対あのこと気にしてるじゃん。)
…………。
(モヤッとした気持ちのまま、皿に伸ばしていない方の手で無意識に自分の頬に触れていた。“そういう風に笑うのはやめろ”って……私、どーいう顔してたんだろ。そんなの初めて言われた。いつも通り自然に振る舞ってたはずだし、いままではこーやって振る舞ってればたとえそれが空元気でも気付かれたことなんてなかったんだけどな。私、そんな変な笑い方してた?
平といると、私自身が気付かなかったことまで見透かされるような感じがするのは何なんだろ。あの日、ラウワン帰りに話した時もそうだった。私なんかよりよっぽど、他の誰よりも私のこと見てくれてるような気がして、たぶんそっからちょっとずつ平のこと意識し始めて──実際は、平がそーいうことにやたらと鋭いだけなんだろうけど。ちょっとしたことで自惚れそうになるの、いい加減何とかならんのか私は……。)
──よくない。約束したっしょ?なんか嫌なことあったら、愚痴聞くって。一人でごちゃごちゃすんの、平がよくても私がよくない。私が、気になるんだよ……。
(平からしてみたら、これも全部余計なお世話なのかな。だからもうこの話には触れてくれるなって突き放されてんのかもしれない。だけど、私にはどーしても平のことはもういいなんて思えなかった。平の言う通り、そりゃ私だってショックは受けてるけど……一番グサッときてんのは平を貶されて平に怪我させて、挙句に泣かせちゃったことに対してなんだから。
平の言葉にちょっと動揺しちゃったけど、私さえ良ければいいみたいな言い方に納得出来るはずがなかった。それが平なりの優しさなのかもしれないけど……私の頭の中はもう平でいっぱいで、私の感情と平の存在は切り離せそうにないんだよ──。一人になって後悔すんのわかってるなら、もっと頼ってくれてもいいのに。友達なんだから、今ここでガーッて愚痴ったっていいのに。平にとっての私って、それすら気軽に出来ないくらいちっぽけな存在なのか。悲しい?悔しい?……なんか寂しいな。私は俯いて、いつかゴストからの帰り道に交わした会話を思い出す。ポテトフライの皿に触れている手が震えてきて、思わずぎゅっと握りしめた。)
……嫌な事っつーなら、それは多分あいつの方だと思う。俺なんかにぶん殴られちまったんだから。
(言葉にするとどうも上手く伝わらない気がするのはどうしてだろう。頭の中で形になっていた物が声というフィルターで別な何かに変わってしまっているのかもしれない。)
――あいつは勿論その彼女にも、東にも。あの場にいた他の客にも、多分みんなに嫌な思いをさせちまったと思う。
(癒しを求めて来ている場所で暴力沙汰なんて見たくもないだろう。個々人の思惑はどうあれ、あの場での俺の選択は紛れもなく〝最悪〟だった。)
だから――俺は嫌な思いをしたとかそういうのは正直ない。迷惑かけてゴメンとは思うけど。俺自身が辛いとかそういうのはないんだ。
(手をつけずにいるピザは熱を帯びていて必然うっすらと表面に油を浮き立たせていく。俺の感情も同様で、深く考えるなとか俺は悪くないだとか思い込もうとしたところでやはり自動的に向かうべき方向へと必ず向かってしまうのだろう。どうすれば良かったのか。俺なんかがなんてことをしたのか。帰宅すれば一人反省会はきっと眠りに落ちるまで延々と続くことだろう。)
東は俺を巻き込んだって思ってるかもしんねーけど……そうじゃない。見知らぬ相手ってわけでもねーし。目の前で起こった事がああだった以上、俺にとってはどう転んでも詰みだった。
(あの場で暴力に訴えたことは後悔している。でも、じゃあ殴らなければ良かったのかといえば多分、それはそれでやはり後悔すると思う。あの時、あの場で東があんな風に詰られるのは我慢ならなかった。一刻も早くその口を黙らせたかった。その結果がアレだ。最低だ。でも、じゃあこんなに良い奴である東が悪し様に言われているのを黙って見ている事が最良か。それは絶対に違う。
つまり――あの場の選択肢として他にも無数に手段はあったかもしれないが極論、どう行動しても俺には後悔がついてまわるのが想像に難くない。詰み、なのだ。)
東が気を遣ってくれるのは嬉しいけど、その気持ちはもっと自分に向けてやれよ。
東だって嫌な思いしなかったわけじゃねーだろ……。
(普通はピザに用いるものではない、ナイフとフォークをつかって、俺は切り分けられたピザを更に小さく一口台にカットしてから口に運んだ。少しだけ塩気の効いた味に、涙を連想してしまった。)
……やっぱ平ってやさしいよな。
(ぽろっと感想を零してしまった。それから笑みも。いや平が真面目に喋ってる時に何笑ってんだって感じなんだけど……なんか嬉しくなっちゃったんだよね。
平はあの状況をどう転んでも詰みだったなんて言うけど──そんな状況下で元カレを殴って止める判断すんのって、どれだけ勇気がいったんだろう。平の言葉を借りて何を選んでも“詰み”だったっていうなら、黙ってやり過ごすことだってできたはずなのに。平はそうしなかったし、それどころか私の代わりにめっちゃ反論してくれてたよな。直前まで、昔の知り合いに会うかもってだけでビクビクしてたあの平がさ……。“詰み”の中でも、わざわざ勇気のいる方を選んで庇ってくれた。それってやっぱり私のため、だよね。さすがに平のこの口振りからして、そこは自惚れじゃないと信じたい。
もしあの場で平が何も出来なかったとしても、むしろそれが普通の反応だと思うし私は見て見ぬ振りされただなんて恨んだりもしなかっただろう。だけど平は助けてくれた。私を救ってくれたんだ。なのに今、面倒事に巻き込まれたって私を責めることもせず文句の一つも言わないで、それどころか元カレや友人や私の心配までするとか……どんだけいい奴なんだよ。)
私、平に救われてばっかじゃん?いい友達もったなーって、本気で思ってんだよ。平に助けてはもらったけど、嫌な思いさせられた覚えないし……人助けした側が、んな泣きそーな顔する必要ないって。な?
(思いっきり愚痴ってくれた方が、ある意味楽だったかもしれない。人から利用されたり文句言われることには慣れてても、ここまでまっすぐなやさしさを向けられるのには慣れてなくて……ちょっとソワソワしてしまう。同時に胸がきゅんとして、やっぱり平のそーいうところが好きだなって思った。ラウワンの帰り道のことも、次の日お礼言おうとしてなんか平に遮られちゃったけど──あの時から私は、ずっとずっと平に助けられっぱなしだなって思ってたんだよ。全然伝わってなさそーだけど……。
今日の出来事だって全部そうだ。朝からボーッとして電車乗り遅れそうになってるとこも、その後転びそうになったとこも助けてもらってるし、大雨の中傘買いに行ってくれたこともハンカチ貸してくれたことも、キーホルダーくれたこともそう。そして元カレのことも──平があいつを殴って言い返してくれてるのを見て、どこか気持ちがスッキリしてる私がいたのに。平が後悔する必要なんかないのにな。目の前で好きな人にそんな苦しそうな顔されると、それこそ私のせいでって思っちゃうじゃん……。だから笑えなんて勝手なこと言うつもりはないけど、せめて私が笑ってたら平もちょっとは後悔せずにいてくれるのかな。私はへらりと笑いながら、手元の皿からポテトフライを1本取り口に含もうとした。)
……優しくなんてねーよ。まして救うなんて……多分そんな大げさなもんじゃない。
(救われてばっか――そうなんだろうか。東の言葉から違和感を感じつつぽつりと零す。同時に〝泣きそうな顔〟なんて言われて自嘲気味に口の端を持ちあげた。
違和感の正体は俺の動機だ。そこになにか明確な意思があればきっと戸惑わずに済んだのだろう。
救う、助ける。そういった意志の元であれば素直に喜べたのかもしれない。
だが実際には独善――独りよがりな正義ぶった行動でしかない。
俺なら嫌だから。
俺が、ガマンならない。
俺が。
俺が。
勝手に状況に自分を重ねて偉そうにアレコレ口を出しているだけだ。
東の言うことを鵜呑みにするなら――結果的に、東が救われただけ。たまたまそうなっただけ。救ってもらったなんて言葉をもらえるような動機じゃない。
それでも、誤解でもなんでも、そう言って貰えることが嬉しくて。またそう感じてしまっている自分が卑しい。
俺は無言のままピザをもう一度切り分けた。歪にフォークをつきさされた断面からチーズが溢れでて器を汚す。)
……俺の方がよっぽど救われている気がする。
(口にしたピザの欠片が舌の上に熱を灯す。咀嚼して嚥下。それからゆっくりと言葉を紡ぐ。)
……ありがとな、東。
(いつからだろうか――距離をとりたいとあんなに感じていた〝元中の同級生〟から、友達になったのは。
自分と近しい存在に感じていた谷が正反対な鈴木と付き合った。必然、谷の近くにいれば鈴木とその仲間たちも集まってきて。山田や東とつるむようになって。
〝――平から言われるなら〟
少しずつ。
〝勿体ないじゃん。努力してて自信ないとか〟
少しずつ。
〝応援してんだよ〟
存在が大きくなっていって。)
……ありがとう。友達でいてくれて。
(友達――そう、友達だ。
自分で口にした言葉が空言のように虚しく響く。
勿体ないというなら、それこそ俺なんかには勿体ない。どうにも悪い奴にひっかかりがちなコイツをせめて幸せになるまで口出しでもしてやるか……。
幾度か口に運んだピザの味が良かったのか、少しずつ食欲が戻ってきたのを感じた。空腹だったのだ。)
──あはは、なんそれ。
(平の口から紡がれる言葉の一つ一つが予想外で、ポテトフライを掴んだままぽかんとしてしまった。私、平を救ったなんて言えること何かしたっけとか。何度かお菓子分けたくらいしか思いつかないけどなとか。ありがとうなんて言われても、何に対してのお礼なのかいまいちピンとこなくて──そんなわけで反応が遅れてしまったけど、でも最後のそれだけは悲しい意味で予想通りだったから。
“友達でいてくれて”──とっくに知ってるけど、改めてハッキリと突きつけられた。平にとっての私はどこまでいっても“友人”で、お礼言われるってことはこれからも平はそれを望んでるってことだ。平に感謝されてる事実が嬉しいのに切なくて、泣きたいのか笑いたいのかわかんない気持ちのままくしゃりと頬を緩め、気を紛らわすように持っていたポテトフライを一気に口に含んだ。)
あ……。
(その時、さっきゴストのアプリを見ててテーブルの上に置きっぱなしだったスマホの画面がパッと光った。チラリと見てみると、よく暇潰しに遊んでるゲームからの通知。……そういや最近、平にゲームの招待全然送ってないな。前までは何も考えずにポンポン送ってたのに──自分の気持ちを自覚した途端、何度か送ろうとしたけどLINEの画面上で“平”って文字見るだけで変に意識しちゃって、気軽に送れなくなっちゃったんだよね……。自室で一人モジモジしてるその時の私の様子を思い出すだけで、また顔赤くなってそうでやばい。恥ずくなってきた。
そんな私の本心は、平の望むそれとは真逆なんだろう。でも……平が“友人”であることを望むなら、私はどこまでもそれに応え続けてやる。今はまだ、とことん隠し続けてやる。いつか平がその気になってくれるまで──どんなに脈ナシでも、この縁が切れることだけは避けたい。諦めたくない。)
友達でいるのは当たり前っしょ?
(私だって、平にどうして欲しいのか、平とどうなりたいのかなんてわからない。いや、わかんないフリしたいだけなのかもしれないけど……好きだと自覚はしていても、自覚したばかりで私だって戸惑ってるところだ。
だから今は、平の言葉でちょっとだけ切ない気持ちになったことは置いとこう。平の様子を見れば普通に食が進んでるみたいでホッとして、私は気持ちを切り替えるように笑いかけた。)
当たり前……か。
(それはそうかもしれない――少なくとも東にとっては。
俺は今度は切り分けずにそのまま六等分になっているピザの一切れを摘んでそのまま口に運んだ。弾むような感触が心地よく口内で形を変えて茫洋と広がっていく。
――友達。
定義付けようとすると途端に曖昧になるのが人間関係だと思う。
〝友達〟なんてのはその最たるで、どうすれば友達か。
どういう関係なら友達かなんて人によって違う。
こっちが思っていても相手が思っていなければそれははたして友達なんだろうか。上辺だけで腹の底で嫌いあってる関係はどうだ。
彼氏、彼女のような契約に近い約束事でさえ軽々と破られてしまう世界で、もしかすると友達なんていうのはもっとも脆い関係なのかもしれない。『友達だろ?』なんて言われた日には急に怪しい風に思えてしまう。
それはきっと俺が捻くれた人間だからというだけではないだろう。)
……少なくとも中学時代の俺に伝えても信じちゃもらえねーだろうな。
お前数年後にあの東とメシなんか食ってんだぜって。
(イタズラめいて笑う東にほんの軽口を叩きつつピザを三切れ程も平らげてから背もたれにふぅと凭れた。なんだかんだ一度食欲を刺激すれば入ってしまうものなんだなと自分で感心してしまう。あんまり一人で食べ過ぎるのも具合が悪いので半分残した半月型のピザ皿を東の方へ軽く押しやって〝どうぞ〟の意を示す。
――やっぱ、そういう笑い方の方が似合ってるよお前は。
東が先程ちらりと携帯を一瞥していたのをみて時間を唐突に意識し出す。
別にこの後何かあるわけではないが東もそうとは限らない。確かに近づいていく別れの時間を少しだけ寂しく思いつつ――帰ったら待ち受けている勉強漬けに辟易と嘆息した。)
たしかに。高一ん時とか、私が何褒めてもすっげー迷惑そうにしてたもんな~。
(けらけらと冗談めかして笑いながら、差し出された皿からピザを一切れ手に取る。逆の手でポテトフライの皿を平側に押し出し、お返しに食べなと顎で軽く合図した。
平の言う通り、数年前まではこんな風に平と仲良くしてるとこなんて想像もできなかった。べつに私は避けてたとかじゃないけど──むしろ、平の方が“近寄んなオーラ”出しまくってたよな。ウザがられてるのに気付いてはいたけど、日に日にオシャレになってく平を見てたらめっちゃ努力してるんだなーって思って……ずっと密かに応援してたっていうか、なんかほっとけなくてついつい声かけまくっちゃったんだよね。最初はあんなに迷惑そうにあしらわれてたのに、いつからこーやって普通に話せるようになったんだっけ。知らん間に受け入れられてた感じするな、私……?まあ、今でも定期的に拒絶されてんなって察しちゃうことはあるんだけど。
なんて考えて小首を傾げつつピザを口に入れる。ゴストのピザ、やっぱ美味しいな。前に食べた時と何も変わってない、安定の美味しさだ。)
──今度さ、なんかお礼させてよ。平、ここ奢らせてくれないじゃん?だから、どっか近場でゆる~く……いつでも息抜き付き合うぜ的な。
(変わらない味のピザを食べながら、ふと思ってしまった。たった数年間でこんなにも変わった私たちの関係は、今から数年後にどーなってるのかなって……。せっかく前より仲良くなれた気がしてるのに、このままいけば大学も離れてだんだん会う機会も減っていって、こんな風に話すこともなくなっちゃうのかな。──やだな。って思ったら、衝動的にとんでもないことを口走ってしまった。自分で言っといて、勝手に心臓がバクバクしてくる。いやいやいやいや、何やってんだ私。ついこの間、遊びに誘おうとして露骨に嫌な顔されたばっかじゃん。いくら近場っていっても、やってることは何も変わんない。二人で出掛けたいなんて誘っても、また同じ顔されるに決まってるって──何より、こんなことばっか言ってたら気持ちバレちゃうかもしれないだろ。しっかりしろ私。
汗がやばい。すぐさまハッとしてあたふたし始めたところで、一度口にした言葉を取り消せるはずもない。ジタバタと両手で大げさに身振り手振りしながら、せめてもの誤魔化しのために「ほ、ほら。みんなも誘って。」と付け足そうとした。)
……まぁな。正直あの頃は東の真意を測りかねてたし。
(地元の繋がりをリセットしたくて選んだ高校に元中の知り合いがいるなどと誰が予想するだろう。これがせめて縁もゆかりも無い相手ならまだしもクラスが一緒だった東ときた。
痩せて、髪を染めて、服を調べて。そうして創り上げたハリボテの俺がバレてしまえば全てを失うと思っていた。
……ヒトが離れていくのは本当に一瞬だと知っているから。
ほとんど無意識でつまみあげたポテトが油を吸ってしんなりと頭を垂れる。カリカリの方が好みだが口に運ぶとこれはこれでおいしい。)
いやなんでだよ。別にお礼をもらうような事はしてねーし……。そもそも『奢らしてくれない』って言葉の使い方おかしくね?
(ありがとうって礼をいってんのは俺の方なのになんで東がお礼しようとするんだ。つかさっきも思ったがこいつもこいつでなんか恩に感じてるってことか……?
さっぱりわからん。
俺は眉根を寄せて胡散臭そうに東をじっとみた。)
まあそりゃ行きてーけど……そもそも受験のこと忘れてね?
三月半ばくらいにならねーと俺は自由に動けねーぞ。
(自分で口に出して辟易とする事実。他の推薦組がなんとも憎たらしく思えてくる。早上がりされたスゴロクのように優雅に残りのプレイヤーどもの苦しむ様を見ていくわけだ……。
奇しくも谷に言った言葉がそのまま自分に返ってきている皮肉には笑うしかない。
俺は暫し東に視線を向けたままぼんやりと見つめた。ささくれだった気持ちが少しだけ穏やかになったような気がした。)
えー、してるよ。これとか──いま行きたいって言った!?いいよいいよ三月で。みんなで行こ~。
(今までも今日一日も、あれだけいろいろ助けてくれたのに逆になんで自覚ないんだ。とりあえず変な空気にならなかったことに内心ホッとしつつも、怪訝そうな顔してくる平に反論するように私は隣に置いていた自分のカバンを漁り、感謝の理由のひとつ──さっき健康ランドで洗ったばかりのハンカチを取り出して平に見せようとした……けど、その前に平の口から行きたいなんて言葉が出てきたから。とにかく嬉しくて、ハンカチを握ったまま軽くガッツポーズしてはしゃいでしまった。
どんどん時間が過ぎてっちゃうのは別れが近付いてるみたいで寂しくもあるけど、平との約束があるってだけで一気にワクワクして楽しみが増えていく。勉強だって、ぶっちゃけしんどいけど……センター行けば平に会えるかもって思ったら俄然行く気になるし、受験乗り越えたら一緒に遊べるって思うといくらでも頑張れそうな気がしてくる。
前に遠出の話も出たし駅前にスポッジャも出来たし、マジで三月が楽しみだなあ……なんて考えてふわふわしてたけど、ふと意識を戻せば平がじっとこっちを見つめていることに気付いてしまった。えっえっ、何……!?ぽぽぽぽっと顔に熱が集まってきた。)
……うわ、ピザ食べた手でハンカチ触っちゃったわ。すまんすまん。
(平に見られてるのがやけに恥ずかしくて、めっちゃ動揺してしまった。べつに汚しちゃったわけじゃないけどわざとらしく驚いて茶化すように告げながら軽く身を乗り出し、持っていたハンカチを平に押し付けるようにグイグイと勢いよく差し出した。)
……それまでにちゃんと受験に決着つけねーとな。
(事の他喜び倒す東の様子がおかしくてふっと鼻を鳴らしてしまう。
今日のことにしてもそうだが最近の東はあれしようこれしようとガンガン言う。昔はみんなでなんかしよう、どこ行こうなんて自分から進んで提案してくるタイプにはあんま見えなかったんだけどな。どちらかというとダウナーでまあ付き合うよって感じの印象だったというか。
どちらがウソってこともないんだろうけど、楽しそうに笑う東の姿が昔の印象と重ならないことが逆に嬉しく思う。
なんだか一挙手一投足が苦手だった頃の東と異なっていてみていて飽きなかった。)
……いやハンカチ触っちゃったじゃねーよ、それ俺のだろ。しかもその状態で押し付けてくるとかどういう了見だよ。
(まさか『この状態で帰すけどすまん』って意味じゃねーだろうな。俺は受け取るべきか一瞬思考したあとで押し返すことにした。)
つか貸したの忘れてたし。いいわ、もうやる。
別に一枚しかない大切なハンカチとかじゃねーし……。
(ハンカチを貸した借りたなんてやり取りを後日学校でやることを思うとなんとなく気が重くなる。多分東は気にしないでデカい声で堂々と渡してきそうだしな……。
俺は紙ナプキンを数枚ホルダーから引き抜いてポテトを齧った。)
えっ!?
(これはマジで貰っちゃっていいやつなのか。後日ちゃんと洗って返せって言われるならまだわかるけど──思ってもみなかった平の反応に驚きながら、差し出したままの手が握っているハンカチを期待混じりに見下ろす。平の言い方からして、ただ単に面倒だからもうあげちゃえって感じなんだとは思う。でも私からしたら──。)
……そ?じゃあもらっとく。
(ちょっと迷った末に、ハンカチを握っている手を引っ込める。舞い上がりそうになるのを必死に抑えて、なるべく自然に返事した。くれるって言ってるなら、素直に貰っちゃっていいよね。平だし。ここで私がいや返すよとか変に粘っても、さっきの傘の押し付け合いの二の舞になりそうだったし。こーいうゴチャゴチャしたやり取り自体が、まさに面倒だろうし……なんて頭の中でいろいろと理由付けてはいるけど、本音はもっと単純明快で。私が欲しかったから。平からハンカチ貰ったって事実がめちゃくちゃ嬉しいだけだ。くれた理由とかこの際どうでもよくて、私にとって重要なのは“平から”貰ったってこと。
受け取った──っていうか押し返されただけなんだけど、とにかく直前まで平の物だったハンカチをぽーっと見つめる。
“一枚しかない大切なハンカチ”
ついさっき平が言ったばかりの言葉が脳裏に過ぎって、また心臓がドキドキしてきた。さっきまでは違ったのかもしんないけど、たった今ホントにそうなっちゃったよ……。)
──ぷは~っ。なんか暑。平、よくその格好で過ごせるな。
(このまま見てたら、頭ん中どんどん平でいっぱいになりそうでやばい。ハッとした私はさっさとハンカチをカバンに仕舞い、頭を冷やそうとカルピスを一気に喉に流し込んだ。夏場でも暑そうな長袖シャツを着てる平にチラッと目をやり、パタパタと手のひらで顔を扇ぎながら気を紛らわすためにどうでもいい感想を口にした。)
もらっ……え、マジで?
(売り言葉に買い言葉――というわけではないが。てっきり『いらんわ。洗ってきっちり返す』とかなんとかくると思ったがあっさり引かれて面食らってしまう。なんだこれ。マジか。いや別に本当はハンカチあげたくなかったとかそういうんじゃねーけど。いるか、ハンカチ? しかも人の。いや人のっつか俺の……。)
まてよ……つか東がどうこう以前にそもそも俺の『やる』っつーこと自体がどうなん……まるで『お前の使ったハンカチなんぞもう使えんわ』とでも言わんばかりじゃね……?
もちろんそんな意図は微塵もないし俺なんぞがそんな事言える立場かっつー話だけど取りようによってはそうとれるよな……自意識過剰か……?
いやそもそもそんなこと考えること自体がキショいんじゃね……?
(働かない頭と燻った感情が織り交ぜになって益体なく口から溢れ出てくる。
何を考えてんだ東。どんなに見つめてもその感情が見透せることはない。俺は胡乱な視線を東にぶつけることしかできなかった。)
まあ暑い……いや、暑いか?
そこそこ冷房も効いてるし……。
(暑いといえば暑い気はするが――……シャツの胸元をパタパタと引いてみるがさほどでもなかった。東に仕舞われたハンカチをまるで未練でもあるかのように見届けてから残り僅かまで減ったポテトに視線を落とす。なんだかんだ食ってしまった。人間、どんなに感情がぐちゃぐちゃになっても腹は減るものらしい。沈んだ気持ちがそれを麻痺させて気付かせないだけなのかもしれない。
俺は空になったコップを持って席を立つ。)
……なんかいれてくるわ。さっき氷入れ忘れたしな。
(暗に『なんかリクエストは?』と問いかけて東のコップへ手をさし伸ばした。)
……?なんかまた始まったな……?
(ブツブツと呟き始めた平を不思議に思いながら、私は小首を傾げる。もう何度目かわからないこの状況にも慣れたっちゃ慣れたけど、だからといって平が何考えてるかなんてわかるはずもない。なんだその顔。気にはなるけど今は嬉しくてふわふわする気持ちの方が勝ってしまって、上の空だったせいか平が何を呟いてるかまではよく聞き取れなかった。
たとえるなら、文化祭で平が一緒に写真撮ってくれた時と同じ気持ち。私のスマホに二人で撮った写真が入ってるってだけでめちゃくちゃ嬉しくて、実はあれから何度も眺めちゃってたり。それくらい、これまでは私の手元に平に関するものが残る機会なんて全然なかったけど──キーホルダーにハンカチと、今日一日だけで一気に増えすぎて正直やばい。普段通りに振る舞おうとはしてるけど、めっちゃ舞い上がりまくってる。これだけでこんなに喜んじゃうことに、自分が一番ビックリしてるんだけど。片思いの威力、すごいな……。
初めて経験する、ちゃんとした片思い。ドッドッと脈打つ心臓の音が煩くて落ち着かなくて、ソワソワしてたらどんどん顔が熱くなってきた。)
さんきゅ。んじゃジンジャエールよろしく。
(どうやら、やけに暑く感じてるのは私だけだったみたいだ。自分だけ涼しそうにしやがって……。ずっとずっと私ばっかり些細なことで嬉しくなったりドキドキしたり、そんな中で平然としてる平を見てたらなんか悔しくなってくる。いつか平も同じくらいドキドキしてくれたらいいのにって、気を抜くと考えちゃいけないことを願いそうになってしまう。雑念でいっぱいの頭をとにかくスカッとさせたくて、伸びてきた平の手にコップを渡しながら炭酸飲料をリクエストした。)
んー……?
(ドリンクバーコーナーにて。
タイミングが悪かったのか中学生の集団がわいわいと騒ぎながら代わる代わるジュースを注いでいる。唐突にカクテルだーなどと騒ぎながら麦茶とサイダーでビールを生み出そうとしていた。
なんというか、まあ。自分にもそういう頃があったなあなどという気持ちになる。ほぼ小学生くらいのノリだ。
いわゆる男子と呼ばれる年代は集団となると知能が著しく下がる。これはいつの時代でも宿命だ。
ボーッと待っていると思い出すのは先程の東の言動だ。
ハンカチ……いるか?
どうにも引っかかってしまう。なんなら貸した時でさえいらんと言われるんじゃないかって思っていたほどだ。
キモ。とか言われるよりはそりゃずっとマシではあるが――……。
結局もらわれても拒否られても考えこむことになりそうだ。詰みだ。詰みの思考。)
はぁ……。
(気づけばポツンと突っ立っていた俺は使用者の居なくなったドリンクバーに自分のコップを置いて注ぐ。中学生がビールがどうとか言ってたせいか炭酸の口になっていた。ぶどうスカッシュはファンタじゃないんだろうか、などと興味を惹かれて注いでゆく。
さて、次は――氷を三つほど放った東のコップにジンジャーエール……。)
いや、ねえわ。ジンジャーエール。
(何度ラベルに視線を這わせても存在しないものは存在しない。あったんじゃないかと思しき謎の空間が一マス空いているがここにあったんだろうか。)
………………。
(先程の中学生の言動が脳内にリフレインする。なければ生み出せばいいのだ。ムクムクと湧き上がるイタズラ心と東の反応がみたいイタズラ心がせめぎ合う必要もなくGOサインを出す。天使と悪魔の囁きでさえなかった。
俺はジンジャーエールの液体の色を思い出しつつどの組み合わせが良いかを思案した。)
――ほらよ。
(席に戻った俺はなるべく東の方を見ないようにしながらコップを東の方へと滑らせた。八割ほどなみなみと注がれた液体はやや濃い目の色をしていた。なんとかジンジャーエールにみえなくもない程度。俺は自分のぶどうスカッシュに手をつけず、徐にスマホを取り出してさり気ない風を装った。)
ありがとうございまーす。
(平が席を立って少し経った後、入れ替わるように店員が和風パフェを運んできた。今日はそんなに混みあってもないし、料理が少なくなったタイミングを見計らって持ってきてくれたんだろう。軽くお礼を言う程度だけど、店員との会話を挟むことで恋愛モードに染まりかけていた脳内がちょっとはリセットされた気がした。
溶けちゃう前に手をつけようかとパフェを目の前に引き寄せスプーンを手に取ったタイミングで、丁度平が席に戻ってきたから私はパッと顔を上げる。)
イェーイ。氷入りだ~。
(一旦スプーンを置いて、ジンジャーエールのコップに手を伸ばす。ドリンクサーバーから注ぎたてだからデフォルトでもそれなりに冷たいけど、やっぱ氷があった方がテンション上がるよね。とくに夏場は。待望の炭酸飲料を前にして私は声を弾ませながら両手でコップを持ち、何の躊躇いもなくそれを口にした。)
………………。???
(──硬直。口に含んで飲み込んだ瞬間、何が起きてんのかさっぱりわかんなくて、瞬きもせずにコップを見下ろしてボーッとしてしまった。数秒ほど反応が遅れてしまった後にやっと、何かおかしくない?って違和感に気付いて首を傾げ、今度は平をチラ見してみる。……平は普通にスマホを眺めてるだけで、目が合うことはなかった。そんな平を見つめること、更に数秒。)
────いや不っっっ味。なんこれ全然シュワッてしないんだけど。黄色系の集合体みたいな終わってる味する!
(絶対ジンジャーエールじゃないだろこれ。予想してたのと違いすぎる味が流れ込んできたから訳わかんなくて固まっちゃったけど、確実に別物だ。やりやがったな平。口に入れた瞬間はオレンジだかアップルだか知らないけど明らかにフルーツ系の酸っぱい味がするのに、飲み込んでからはお茶系の苦味がじわじわとやってきてミスマッチにも程がある。ちょっとカルピス系も入ってるか……?酸っぱ甘苦くて後味が悪すぎる。お世辞にも美味しいとは言えない──てか不味すぎる飲み物に時間差で思いっきり顔を顰めてしまったけど、次の瞬間には笑いが込み上げてきた。
フツーにさらっと飲んじゃったけど、言われてみれば全然色違うじゃん。なんで気付かなかったんだ私。てか平も平で何くだらない悪ふざけしてるんだ。子どもか。謎にツボにハマって、口元に手を添えながら笑いまくってしまった。笑いすぎて涙出そう──いや待て。ふと我に返ると、スンとして平に向き直った。)
いや笑ってる場合か。どーしてくれるんだこの激マズドリンク。
…………ッ。
(極力平静を装って意識をスマホに向けていたつもりだが物事には限界というものがある。視界の端で東があのジンジャーエールであってジンジャーエールでないコップを手にした段階でもう面白い。変な笑いが込み上げてきそうになるのを唇を口内へ巻き込んで耐える。
ダメだまだだ……まだ笑うな……と某漫画のワンシーンが脳内によぎる中で遂に東がソレを口にする。笑いを噛み殺している自分を褒めたい。が、直後に妙に的確めいた味への感想を述べる口上に遂に耐えきれずに吹き出してしまった。なんだ黄色の集合体って。いや味見してないから俺はどんな味なのかわからんけど。もしかしたらワンチャン美味しい可能性もあるなどと考えていたが炭酸でさえないらしい。俺はいったい何を生み出してしまったんだ。)
……クッ……ヒッ……どうした、ご希望の……
ジンジャー……エール(風の色のなにか)だぞ……。
(掌で顔を覆ってなんとかそう告げるのが精一杯だ。とてもじゃないが東の方を見れる気がしない。体をくの字に折って笑わないように堪えようと試みた。無駄だった。
なんだ今の感想いうまでの間。『え、そんな味する?』みたいな表情の変化が四段階くらいあったぞ。どこかでみたような、それでいて初めてみる顔。それらの一つ一つをずっと見ていたくなるよう気持ちになる。
――ああ、こういう時間が好きだな。)
いやだから急に素になるなよ……。
そんなスゴい味なんだな、何入れたか覚えてねーけど……。
(ひとしきり笑ってから自分のコップへ口をつける。ぶどうスカッシュはやはりファンタグレープではなかった。やや酸味が強いがこれはこれで美味しかった。)
(ひょっとして、それで我慢してるつもりか。全然笑いを堪えきれてない平に笑われれば笑われるほど、つられておかしくなってきてしまった。このタイミングでよくこのイタズラ出来たな。
悪い意味でいろんな味が混ざった、あまりにも不味すぎる魔の配合ドリンク。まだたったの一口しか飲んでないのに、イヤ~な後味が未だに残っている。こんな幼稚なイタズラにまんまと引っかかったのかと思うと、騙された側なのに逆にどこかすがすがしい気分にすらなってきた。さっきまでのいろいろなことが一瞬で吹き飛んじゃうくらい、このくだらないやりとりが正直楽しかった。マジで子どもみたいに、めっちゃ笑っちゃったな。)
スゴいとかいうレベルじゃないって。色だけで決めたっしょ?これ……。
自分だけちゃっかり美味しそーなの飲みやがって……。
(だからって、それとこれとは話が別だ。一度はテーブルに置いた、まだたっぷりと残っている私の激マズドリンクを改めて見下ろすと一気にげんなりしてくる。私は頬杖をつきながら、フツーに美味しそうなジュースを飲んでる平を恨めしげに半目で見つめ抗議するようにぽそりと呟く。
こーいうの最初の一口は盛り上がるけど、実際飲み干すまでの間にどんどんうんざりしてくるやつじゃん。さっきの不気味な味を知ってしまった今、二口目なんか全く気が乗らないんだけど。……って言っても子供じゃあるまいし、遊ぶだけ遊んで残りは捨ててしまうってわけにもいかない。どうしようかなんて考えるまでもなく、飲み干すしか選択肢はないんだよなあ……。
しゃーないな。私も笑わせてもらったし、最後までこのノリに付き合ってやるか……。私は軽く溜息をついた後、覚悟を決めて再びジンジャーエールもどきのコップに手を伸ばした。)
そんだけ反応してもらえりゃ頑張った甲斐あるわ。ジンジャーエールの色を思い出すのに時間かかったしな……。
(どんな色をしているか思い浮かべることはできる。だがそれを『何色か』と問われれば答えに窮する色合い。正直そんなもんに脳みそのリソース割いてる場合ではないのだがこういう刹那的な衝動というのはどうにも抗いがたかった。
ソファの背もたれに体重を預けて記憶を手繰るように天井を仰ぎみる。格子状のすっきりとした模様が上下に編み込む形で装飾されていた。以前あった回転するプロペラみたいなアレは違う店だったか……? とまたも益体のない記憶に浸ろうとして東の恨みがましそうな視線に気づいた。ぶどうスカッシュが欲しいのかと思えば嘆息して――ああ。)
――そう言われるとどんな味なんだか……気になるだろ。ちょっと貸してみ。
(ぶどうスカッシュがまだ半分ほど残るコップを代わりに差し出して俺は東のドリンクへ手を伸ばした。
実際にはこればかりは全然気にならないし飲む気などさらさらなかったのだが――東の表情をみて察してしまった。
あれは諦観だ。
まあしょうがないかっていう東のいつものアレ。『こんなもん飲めるかー!』って捨てても罰は当たらないだろう。『お前のドリンクよこせー!』って強奪されても文句いう筋合いはない。そんな状況なのにこいつは。東は多分飲み干す気なのだ。まぁしょうがないかと。
俺はお前にそんな顔させる為にやったんじゃねーんだよ……。
手を伸ばした先、一見して普通の麦茶かなにかにみえるそのコップの液体が酷く毒々しいものに思えた。)
えっ……正気か?ちゃんと超不味いよ、それ。
(私が手に取るよりも先に、伸びてきた平の手が激マズドリンクのコップに触れる。私は伸ばした手を止めてあんぐりしながら、本当にいいのかと問いかけるように平の表情をうかがおうとした。
気になるって──そのドリンクの不味さ、ナメすぎだろ。私が大げさに不味がってるとでも思ってんのかな。たしかに中身がジュースだけなら組み合わせ次第ではワンチャン美味しくなりそーなもんだけど、さっき飲んだ感じだと絶対にお茶系が入ってる。たぶん黄色だか茶色だかを再現するために混入したであろうそれが、ジュースの甘味や酸味とぶつかって最悪の結果を生み出しちゃってるんだよ……。
心配するような憐れむような、なんとも言えない気持ちで平を見つめる。そりゃ私だってハッキリ言ってこれ以上飲まずに済むなら飲みたくないし、ちょっとでも代わりに飲んでくれるっていうならありがたいけど……あの味を知ってる私からしたら、そんなの差し置いてフツーに止めてやりたくなるくらいには、平が手にしている魔のドリンクはしっかりと不味かったのだ。
なんて考えてたら、さっきの味が口内に蘇ってきた気がする。てか、蘇らなくてもまだ変な味残ってんだけど……平が私のドリンクを飲むかどうかは別として、このイヤな後味は早く消してしまいたいな──目の前に差し出されたドリンクの誘惑に負けた私は、平のコップを手に取る。一口飲むと、念願の炭酸が喉を通り過ぎていく感覚が思っていた以上に心地よくて、予想の何倍も美味しく感じた。さっきのアレが悪魔なら、こっちは完全に救いの女神だ。一瞬で救われた私は、スッキリした気分でホッと息を吐く。)
……ん?
(あれ。……あれれ?私……いま、何した?手にしているコップを見下ろしながら、思考すること数秒。あの不味さの後に差し出されためっちゃ美味しそうなドリンクがありがたくて、縋るようにフツーに飲んじゃったけど──うわ。うわあああ。
“間接キス”ってワードが一度脳内に浮かんでしまえば、もう意識せずにはいられない。みるみるうちに顔中……いや身体中に熱が集まっていくのを感じながら、ついさっきまでの平への心配も全部吹っ飛んで私は思いっきり狼狽えてしまった。)
なんだよちゃんと超不味いって……余計気になったわ。
(あっけらかんと笑って見せたつもりだがなんだか引きつった乾いた笑いになった気がする。
手にしたスペシャルドリンクはいざ手の中にあると禍々しさが増しておきましたと言わんばかりだ。何も知らなければ意識しないだろうに今はこの茶色の液体が得体の知れないモノに見えた。信じられるか? これ生み出したの俺なんだぜ……。
ゴクリと喉を鳴らしてから覚悟を決する。
……ま、死にゃしねーだろ……。
口元に近づける。匂いは――しない。炭酸の弾けるような感触が手のひらに伝わってきた。
さて、どの道東はこれを飲み干す覚悟だった以上、変に半分だか一口だかで済ませても苦痛なだけだ。つまり、俺が一気に飲み干す他ないわけだ。それが悲しいモンスターを生み出したモノの責任……産みの苦しみってやつだ。
飲み口に唇を当てて液体を口腔へ導く。舌に触れる前に角度を急斜させて一息に喉へと――あ、ダメだなこれ。こくりと喉を鳴らした瞬間、苦いと甘いが混じりあったような言いようもない不快な味が舌をかつてないほど唸らせた。俺は思わず目を剥いて残りの分量をコップへリバースしそうになる。が、脳裏に過ぎるのは東の諦観した表情だ。俺は眉間にぐっと力を込めてコップの中身をほとんど無理やり口内はねじ込んだ。)
ッ……………ッ…………あ、あー………いや、不っ味!!
うまいとかいってもう一度東に飲ませようかと思ったけどマジで不味いじゃねーかフザけんなよ……。
(ぜえはあと変に呼吸を乱してまくし立てる。本当は平然と飲み干して東は大袈裟だな、とかいって変に気を遣わせないつもりだったのにこの始末だ。俺ってやつはホントに……。)
……へ?いやそんな一気に飲まんでも──!
(他のことに気を取られてボーッとしちゃってたせいで、ちょっと反応が遅れてしまった。気付けば平がジンジャーエールもどきを勢いよく、しかもたっぷり口に含もうとしていて、どっからどう見ても“気になるから味見する”って感じの飲み方じゃない。もともと別の要因で狼狽えてたこともあって、ギョッとした私は思いっきりあたふたしながら意味のない身振り手振りで一応止めようとしたけど……既に飲み始めてたし、まあ間に合うはずはなかった。)
……ふっ……なはは。だから不味いって言ったじゃん。何勝手に罰ゲーム始めてるんだ……!
(不味いって忠告したドリンクをなぜか一気飲みして、必死の形相で苦しみ始めた平を見てたら──ごめん。わけわかんなすぎて、心配より先に笑いが込み上げてきてしまった。いや笑ってる場合じゃない不味さなのは知ってるんだけど……そもそも作ったの平じゃんって考えたら、結局本人に跳ね返ってきてるとこ含めて全てが余計に面白い。
ついさっき笑いまくったばっかなのに、次の瞬間にはふと冷静になって激マズドリンクに嫌気がさしたり、かと思えば私ばっかり変に意識してドキドキしたり……今また笑い始めたり。平といるとささいなことで目まぐるしく感情が動いちゃって、忙しいけどめっちゃ楽しい。……ん?
あのドリンク作ったのが平で、どっからどう見ても“気になるから味見する”って飲み方じゃなくて──?え。なんか察しちゃったかもしれない私はハッとして、またしても笑いがピタッとおさまった。もしかしなくても味が気になったなんてのは口実で、代わりに飲んでくれてたりする……?いやいやいやいや。そもそも私に飲ませよーとしてイタズラしてんのに、それはないか……?)
~~~ッ……!
(何だよもぉぉ……。平然と飲みかけのコップ渡してきたり、不味すぎるドリンク持ってきたかと思えば自分で全部飲み始めたり、平が何考えてんのかさっぱりわかんないよ……マジで誰か助けてぇぇぇぇぇ。
絶対人に見せられないような顔してる気がして、慌てて両手で覆ったらなんかめっちゃ熱かった。ちょっとでも“私のためかもしれない”なんて考えちゃったらもう、さっきの間接キスのこととかどんどん意識し始めちゃってまた心臓が暴れ出してしまう。駄目だ、これ以上余計なこと考えんようにせんと……。)
……飲む?
(さっき一口もらったぶどうスカッシュのコップを、おそるおそる平の前に押し出そうとした。間接キスを意識しちゃってる今は、ただの親切心からコップを差し出す行為でさえ緊張してしまう。絞り出した声はありえんくらい小さくて、ドッドッ……と煩く騒いでる心臓の音に掻き消されて私にはほぼ聞こえなかった。)
……おー。くれ。つか俺のだけどなそれ。
(なんという後味の悪さだ。だれだあの飲み物考えたヤツ、マジ頭悪ぃ……。
舌の先から根元までこびり付くような苦味と刺激を洗い流したい一心で東の傍から引っ掴んだぶどうスカッシュを一気に流し込む。一瞬、さらに加わった酸味に顔をしかめるもすぐに口内はぶどう味で満たされた。口の中からやがて鼻梁を通りぬけてゆく香味がなんとも言えない。ファンタグレープの偽物などと思って悪かった。あれだな。ぶどう最高。ぶどう大好きだ。吐息をうんと吐いてから、コップを置いた。)
ヤベぇ。さっき飲んだ時よりだんぜんうまい気がする……。
(すっきりした舌触り。東にアレ飲まして俺がこのぶどうスカッシュじゃそりゃ恨まれもするわな……。なんかもうやり切った感がすげぇ……。
――ん?
そこでようやく、俺は思い至る。
視線をコップへ。次に東へ。
コップへ。
東へ。)
あ゛ッ…………!
(ひゅっと喉が詰まる。おい。おいこれまさか……間接キ……。
口元を抑えて俯く。
あああああああああああやべぇなにやってんだ。
…………いや、いやいやいやまてまてまて。
こんなもん逆に意識してるほうがキショいに決まっている。考えてもみろ、俺なんかがうすら笑い浮かべながらそんな事指摘する姿を。
どう考えてもキショい。平然としてればいいんだ……。むしろ東だって平然としてんだから俺だけ意識してたらまた子供かとかツッコまれちまう。
だいたい友達同士まわし飲みくらいするだろ……そう友達同士なら……たとえ男と女でも……友達同士なら……するする……いや、しねぇーーーーーよ。やだろもし自分の彼女が誰か知らん男と飲み物まわし飲みしてたら。
東は何考えてんだ……こういうのが陽キャの世界だとフツーなのか……? わからねえ……………!
破裂しそうな思考を抱えたまま見やった東はやはり泰然としているのだろうか――……。)
──ん、うまいなこれ。
(無心で和風パフェを食べようとした──無心になんかなれるわけないけど。とにかく気を逸らしたくて、丁度さっき運ばれてきたばかりのパフェをひたすら食べた。早く食わんと溶けるって風を装って、できるだけ平然と。さらっと感想を口にするけど、ほんとは心ここに在らずでパフェの味なんか全然わかってない。まあでもちょっと白々しかったとしても、半ば独り言みたいな私の感想の演技力なんか平も特に気にしないだろう。たぶん。
今この状況で平がぶどうスカッシュ飲むとこを直視できるはずないから、そりゃもう不自然なくらい手元のパフェをガン見しながら。そうこうしてる間もずっと心臓がバクバクしてて、今にも身体を突き破って飛び出してきそうだ。そうやってパフェにがっついてたら、アイスのせいかきな粉とあんこのせいか、当然のように喉が渇いてきた。そろそろいいかな。頃合いを見計らって平の前にあるコップをチラッと見る。……よし、飲み終わってるな。)
~~~っ、まだ飲むっしょ? 取ってくる!
(私が喉乾いたってのもあるけど、一旦この場から離れて落ち着きたい。てか後者の方がでかい。私は勢いよく手を伸ばして空になったふたつのコップを奪い取ろうとしながら、ほぼ同時にガバッと立ち上がった。
平の反応見るのが恥ずくて怖い。私と違ってさっきから堂々としてるし、マジで何とも思ってないんだろうな……。今もけろっとした顔で座ってるんだろうって予想はできるけど、実際目の当たりにすると余計虚しくなりそうだ。
何飲みたいかとか聞く余裕なんかない。変なの飲んだ後だし、お茶でいいだろお茶で。私はなるべく平の顔を見ないようにしながら、逃げるようにドリンクバーコーナーに向かおうとした。)
………ええええぇぇ――……。
(顔をあげて恐る恐る東の顔を見やろうとしたその刹那。電光石火もかくやという速度でコップを強奪されて席を立った東に向けて絞り出したのはそんな声だけだ。
アイツ何か飲むのか聞く態度じゃねぇ。あ、いやそもそも聞いてねえ。聞けよ。何入れてくるんだ。まさかやり返してくるんじゃね―だろな……。
……あるかないかで言えばある。東はそういうことやる。
先程の濃厚な地獄の味を思い出せばあんな目に遭うのは二度とゴメンだ。
俺は腰を浮かせて席を立った。今ならまだ追いつけるだろう。)
あ、カバンどうすっか……。
(座席に置きっぱなしでいいか。持っていくとすれば当然東のカバンも持っていかなければならない。いくらなんでも断りもなく女子のカバンに触るわけにはいかない。東なら事情話せばわかってくれそうなんもんだけど……。
ふと。
カバンを両手に持ってドリンクバーへ向かう俺の姿を想像する。……最悪だな。どんだけ大事なもん入ってんだよっつー。
とかなんとかウダウダやってるうちに今にもバイオハザードが生み出されるかもしれない。
ガストシティの平和を守らなければ……主に俺の平和を。
結局カバンはそのままでドリンクバーコーナーへ向かう。居るであろう東になんと声をかけたものか。意識せず忍び足で歩み寄った。)
ん?どっちがどっちだっけ……?
(ドリンクバーコーナーに来たのはいいけど早速問題が発生して、両手にコップを持ったままドリンクサーバーの真ん前に突っ立って首を傾げる。ふたつとも平の前にあったコップだしよく見ずにバッて掴んできちゃったから、どっちがどっちのコップかわかんなくなってしまった。いやそもそも、ここまできたらもうどっちのとか関係ないか? どっちにしたって間接キス確定じゃんね……?
いやほんと飲みかけがどうとか子供じゃないんだから、そんな気にするほどのことじゃないのかもしれない。実際、友達同士で食べ物とか飲み物とかシェアした経験なら何度もある。元カレの時どーだったかは覚えてないけど、覚えてないってことは少なくとも私は何も気にしてなかったんだろう。なのに、相手が平ってなったらなんかめっちゃ意識しちゃうんだよ……。考えれば考えるほど思い出してドキドキしてくる。ていうかほんとごめん。さっきは焦ったり恥ずかったりでいっぱいいっぱいだったけど、今考えたらフツーにちょっとラッキーだし嬉しい……。)
──って!ちがうちがう!
(うわあぁぁぁ。なんかいま私、やばいこと考えそーになってた。重症じゃん! 雑念を振り払うようにぶんぶんと左右に首を振ってから、気を取り直してお茶用の注ぎ口の下にひとつめのコップをセットする。何にしようかなんて一切悩まずに、相変わらず平のことばっか考えてボーッとしながらウーロン茶のボタンを押そうとした。)
………なにがちがうって?
(その後ろ姿になんて声をかけたもんかと悩むまでもなく唐突に叫んだ東が首をブンブンと振り出すもんだから俺はぎょっとしてつま先を浮かせた。
ドリンクバーの前で何をやってんだか……。自分がわりと目を引く風貌だってことわかってんのか? 俺みたいな地味野郎とはわけが違うんだぞ。派手な見た目で奇行に走るのはリスクでけーぞ。
まあな、地味野郎は地味野郎で苦労があるんだけどな。クラスメイトの女子に話しかけたら返答が『え、キモ』だったりな。
トラウマが心をツンツン刺激する中で東の挙動は一人でやるにはどうみても不審だ。むしろ話しかけてやることが温情とさえ思えた。
身体を半歩動かして手元を覗けばウーロン茶を入れようとしてる様子。それだけならまあフツーなんだが……さっきの言動からするにイタズラするかの葛藤ってとこか……?
まあ根が良いやつだもんな東……。たださっきの地獄ドリンクにしてもぶどうスカッシュにしてもそのまま入れるにはリスク高くねーかウーロン茶……味移りしそうというか……。
――はっ……。)
――なに悩んでんのかしんねーけどいい機会だからグラス替えたらどうだ?
まったく違うもん飲むなら味移りするだろ。
(それはまさに天啓とも言えた。東が入れようとしたウーロン茶のパネルを先回りして隠すように手のひらで覆おうと差し出しながら反対の指でグラスの重ねられているトレーを示す。
関節キスだのどーだの意識するくらいなら交換しちまえばいい。味移りといううってつけの材料を前に俺は内心でグッと自分を称えた。)
わっ!? あー平か……。
(いきなり背後から話しかけられて、ビクッと大げさに肩が跳ねてしまった。つい数秒前まで周りに他の客はいなかったし、誰かが近付いてくる気配も全然なかったからめっちゃビックリした。ボタンを押しかけていた手を反射的に止め、慌てて振り返る。平だ。まあそっか──って、こんなあからさまにホッとしてる場合か? むしろ内容的に、平に聞かれてた方がまずいんじゃ……。なんかやましいことばっか考えちゃってた気がするけど、私どこまで口に出してた……!? 平の顔見て一瞬安心しかけたけど、これなら後ろで待ってた知らん人に文句言われたとかの方がまだマシだったんじゃないか。
えっ、てか近っ! 何何何……!? 急に話しかけてくるのも急に覗き込んでくるのも、心臓に悪いからやめてくれぇぇぇぇぇ。ドキドキ。バクバク。何だこの時間……。おそるおそる平を見上げて、そっから意図を探るように視線の先を辿って──手元の、ボタン? コップ? ……ダメだ、今ドリンク関連っていったらさっきのアレコレしか思い浮かばんよぉぉ……。
ますますやきもきしちゃって、ボタンに伸ばしたまま止まっていた手がぷるぷると震えてきたその時。)
──それだ! フツーに替えればよかったんかぁ……謎の縛りプレイするとこだったわ。
(目の前のパネルをガードされてキョトンとしたけど、平の口から飛び出した言葉で霧がかっていた思考が一気に晴れた気がする。そうだ、コップ交換すればいいだけの話だったんじゃん。めっちゃスッキリしたのと同時に、そんなことにすら気付けないくらい余裕がなかったのかと思うと自分に呆れるっていうか気が抜けてきた。
深く息を吐き、早速使用済みのコップふたつを持ったままドリンクバーコーナー全体を軽く見渡して──そっか。ゴストのドリンクバーって返却口ないんだっけ。不要なコップは自分たちのテーブルに置いとく感じか……。平がいて助かったな。さすがに一人でコップ四つは持てんし。なんてことを考えて今度こそホッとしながら空のコップを一旦台に置き、自由になった手を新しいコップに伸ばそうとした。)
なんの縛りプレイだよ……したらこの先ぶどうスカッシュしか飲めねーだろ。
(違和感なく東オリジナルカクテルの発生を防ぐとともにグラスも新しくすればもはや憂いは存在しない。
……本来のマナー的にはアウトだろうけどな。前に飲んだ味なんてよほどでなければ気にせず上から注ぐか同じのを飲み続けるかだろう。
いろんなドリンクが楽しめるとはいえその都度グラスを使用してたら明らかに店に迷惑だ。
だが理解した上でどうか今回だけは大目に見て欲しい。二度としません。たぶん。)
返却口ないなら席に持って帰るしかねーんだろうな……。
(東の手を離れたグラスを手に取る。店内は少しずつ人数が増えてきて夕暮れとぎを知らせてくる。アルバイトならここからがコアタイムといったところだろう。壁に備え付けられた時計が解散の時刻をはっきりと告げてくる。
夏場の陽の有り様がなんか好きだ。時計が知らせる時刻と外の明るさがいい意味でマッチしてない。この時間なのにまだ明るいんだなどと得した気持ちになる。)
――東。それ多分最後の一杯だから。しっかり決めてこいよな。
(帰れば待ち受けているであろう勉強の時間に少しばかり気を重くしながら俺はグラスを手に席へと足を踏み出した。
さて、東は最後に何を飲ませてくれるんだろう。そんなことを考えながら。)
えーっ、何それフリ?
(なんかよくわからんけど選択を委ねられた。しかも、言うだけ言ってもう席戻ってるし。まさかまたさっきのアレみたいなの期待されてる? って一瞬思わなくもなくて、去っていく平の後ろ姿を眺めながら首を傾げ──なわけないな。あの呪物を平がまだ飲んでなければ、やり返すってのは大いにあり得たけど。さすがに二杯目も笑って済ませられるよーなレベルの味じゃなかったもんな……。てか私より平の方がアレ飲んでるし。やり返すも何もないか。)
ん……? てゆーか何しにきたん……?
(今更すぎるけど、結局平は何をしに来たんだろう。わざわざドリンクバーまでついてきたんだから、何か飲みたいの言いにきたんかなって思うじゃん。人のことドキドキさせるだけさせといて、コップだけ持って帰ってくって何だよ。いや助かったけど。そこまで言うなら何飲みたいか言ってけ。冷静になって考えたら余計わけわかんなくて、両手にコップを持ちながら更に首を捻った。)
……しかも、さらっと最後とか言うしさあ……。
(ドリンクサーバーに向き直り、盛大に溜息をつく。人の気も知らないで……次の一杯が、本当に最後になっちゃったらどーするんだ。べつに私たちは毎回約束して寄り道してるわけじゃないし、受験だってこれから本格的に迫ってくるんだから何となく忙しくなってこのまま──みたいなパターンだって全然あるよねぇ? この時期に、しかも平から言われる“最後”ってなんかグサッとくるんだけど……。ま、それも私だけか。さっきからずっと私ばっかアレコレ気にしてソワソワしてて、あっちにとっては何てことないんだろうな……。ちょっとムカつくけど。
他の客が近付いてきた気配でハッと我に返る。いつまでもこんなとこで突っ立ってたら邪魔になってしまう。最後の一杯──いや、お茶でいいっしょフツーに。ここでジュースとか飲んだらまたすぐ喉渇くよ。大体こっちは飲み物どころじゃないくらい頭がいっぱいなのに、平だけ余裕な顔してんのも癪だから飲み物なんかテキトーに決めてやる。なんだかんだでフツーが一番いいんだよ。)
──さあ飲め、お茶だお茶。
(二人分のコップに氷数個とウーロン茶を入れ、さっさと席に戻る。何か変わったもの期待してたなら私は知らん。言わんかった平が悪い……ってのを態度でアピりながらテーブルにコップを置き、無駄にドヤってどかっと腰掛ける。さっきまでのこととか寂しさとかちょっとでも忘れて、平常心を保つために。)
(ひと足先に席へ戻った俺は手にしていたグラスをテーブルの端へ並べて置いた。
肩越しに東がまだドリンクバーコーナーへいる事を確認してから腰をおろすと革張りのソファが硬く体重を押し返してくる。
時刻は夕暮れも過ぎてうっすらと夜の帳を下ろそうとしている。ガラス越しにみる外の景色には行き交う人、人、人。これらが全員何かしらの目的をもって移動しているのがなぜだか不思議に思えた。店内の放送では最近知名度を上げてきた芸人が軽妙なトークで悪態をつきながらゴストの期間限定メニューとキャンペーンとを大袈裟に紹介していく。それはさながら言葉のカリカチュアだ。思っていても口に出すとすぐに炎上する世の中ではせめて機械越しでくらいこういったはっきりした物言いが尊ばれるのかもしれない。
正面を切って顔を突き合わせれば本音の半分も出し切れないような俺みたいなタイプには、特に。
じわり、と今日の出来事を思い起こしそうになる思考に慌てて首を振って断ち切った。ここでネガティブキャンペーンを始める訳にはいかない。
いつしか放送はお決まりのラブソングのイントロへと切り替わっていた。
言葉にできない想い。
君を離さない。
そんな事を歌っている。東の顔をなぜか想起してギクリとする。いやなんでだよ……。
東の事は――好きだ。でもじゃあ今流れている詩に載せているような甘ったるい想いがあるかといえばなにか違う気がする。
もう一度ドリンクバーコーナーを見やろうとした瞬間ウーロン茶が差し出された。)
……いや普通か。
(自信満々にテーブルへ鎮座したウーロン茶を見てツッコミつつ眉根を寄せて笑ってしまう。別に変わった何かを期待した訳じゃない。それでも東がチョイスする何かを見てみたくなって任せてみたらなんとも普通。いや、俺にはピッタリか。見れば東も同じウーロン茶。締めにはさっぱりとと言ったところか。
ホント、派手な見た目なのに感性はフツーというか。こういうところ、らしいよな。
さっきまでのわだかまりの答えがわかるような気がして、俺はウーロン茶を一口してから東の顔を凝視した。)
黙って飲め。……あ。これ、鈴木が好きって言ってた曲じゃん。すっげー歌詞がピュアなやつ……。
(偉そうな態度を崩さないまま、平のツッコミを軽く流してウーロン茶のコップに手を伸ばす。口をつけようとしたら丁度店内BGMが一番のサビに差し掛かり、聞き覚えのありすぎるそれにふと手を止めて耳を傾けた。今でも十分人気あるけど、めっちゃ流行ったのはたしか1~2年前のはずだ。去年、鈴木にグイグイ勧められたのをハッキリ覚えている。ここが共感できるとか、こーいうの谷くんに言われたい! とか。事細かに解説されたのはいいんだけど──最初から最後までとにかく歌詞がピュアすぎて、私はとてもじゃないけど聞いてられんかったんよなあ。キラッキラした顔で曲の良さを語る鈴木見てたら、正直憧れるっていうか私もそーいう恋してみてぇ……とは思ったけど。ウブな感じが私とは程遠すぎて、濁りまくった私の経歴には眩しすぎるっていうか。内心憧れてても、私はもうそーいうのとは無縁かもなんて思ってたっけ……。
やばい。めっちゃ思い出に浸っちゃってた。しかも純粋に聴き入ってたわけでもなくて、何なら曲の歌詞を羨んでた。でっかい溜息をつきかけてハッとする。もうついちゃってたかもしれないけど。切り替えて今度こそウーロン茶を飲もうと、コップを口元に近付けて──今度は平から超見られてることに気付いて、また手が止まった。え。なになになになになに。)
な、何……?
(やっぱウーロン茶に文句があるとか? いやでもさっき笑ってたしそれはないな。じゃあなんだ、氷が少ないとか……? さっきの平よりちょっと多いと思うけどな。てか最近、なんか平と目が合う頻度増えてない……? 私の気のせい? よくわからんけど、そんな見られてたら気になって全然落ち着けんよぉぉぉ。私はソワソワしながら、おそるおそる平を見つめ返す。ドキドキしすぎて、やたらと瞬きの量が増えた気がした。)
(東の睫毛が上下する。瞬きで揺れる度に重みを感じるそれはきっと努力の結晶の一つだ。ただでさえなにかと行動に移るまでが遅い俺にとっては化粧――毎日のメイクにかける労力、手間と時間は想像に難くない。誰に言われたわけでもない。求められてもいない。それは現代の自己研鑽だ。
人は見た目がすべてなどとルッキズムには思わないけれど、見た目が入り口となる事は間違いない。実際に自分でも痩せてみてこうも反応が変わるのかと驚いたものだ。人間は中身とは言うがそれは外見を疎かにしていい理由にはならない。
東は努力した。俺はしなかった。中学時代に感じたヒエラルキーの正体はもしかしたらそれだけの差なのかもしれない。
俺が自分で努力したなどと言うのも烏滸がましいが、その結果いまこうして東と一緒に居られるのは間違いない。別段見た目が良くなったなどとは思わないけど。それでも東に〝応援〟してもらえるきっかけは俺が自分で手繰り寄せたわけだ。変わらないままだったなら東との関係ももっと違ったものだったかもしれない。)
……ああ、なんだ。
(くだらない、実にしょうもない話だ。
――あんなに関係性が変わっていくことを恐れていた俺は、とっくに変わった関係性に助けられていたんだ。
なら。変わったことで救われたなら。さらに変わることでの変化を恐れるのはズルい、よな。
たとえ結果として悪くなったとしてもいい思いだけしようなんてのは虫のいい話だ。
…………それにしても。)
なあ。なにさっきからソワソワしてんだ……?
(考え事してたとはいえ見てるこっちも落ち着かなくなる東の動きに思わず顔を顰めた。)
え? えと……時間大丈夫なんかなーって。ほら、今日寄り道しすぎたし?
(突然の指摘に焦って、ちょっと声が裏返っちゃったかもしれない。私そんな態度に出てた? かぁぁぁっと顔に熱が集まる。動揺して身体が跳ねた拍子に持ってたウーロン茶を数滴テーブルに零してしまった。てか誰のせいだと思ってるんだ。平だよ。だって最近、やたらとこっち見てくるし……ってそれは考えすぎか。私が好きだから見られてるよーに見えちゃってるだけっぽい? にしても平への気持ちを自覚してから、今日に限らず割とよくこんな感じでソワソワさせられっぱなしな気がするけど。なんで今日だけいきなり鋭いんだよ。いつもは私の話なんかボーッと聞き流すのに。大体、私が平のせいでドキドキしてるなんて知ったら絶対困るくせに。その気がないなら、答えられて困る質問してこないでほしい。そっちが触れてこなければ、こっちだってちゃんと隠し通すから──。
私はどう誤魔化そうか内心あたふたしながら、紙ナプキンをホルダーから一枚引き抜く。拭き拭きと手を動かしつつ目を泳がせていればちょうど店内の時計が目に留まって、瞬時にこれだ! と閃いた。人差し指をピンと立てて、最もらしい理由を述べていく。……そっか、もうこんな時間なんだな。ありえんくらい寄り道しまくったけど、帰ったら早速勉強しなきゃだし、明日からはまた行き帰りの時間が合うかどうかさえ不確かな昨日までの日々に戻っていく。名残惜しい気持ちもあるけど、それ以上に──。)
……楽しかったな。
(自然と頬が緩む。あんなことはあったけど……こんなに平と二人で寄り道しまくったのは初めてだし、平からこーやって形に残る物貰ったのも初めてだし。間違いなく嬉しくて、楽しかった。私にとっての今日一日はマイナスな気持ちよりもプラスの思い出の方が大きくて、こーやって平と過ごせて良かったしできるならこの時間がずっと終わってほしくないなって思う。無理だってわかってるから、せめて明日からも今までどおりに。たまにでいいから、平といられる時間があればいいな。……ほんとは、ちょっとでも多く一緒にいたいけど。
ほんの少しの本音は隠しつつも、しみじみと呟いた言葉は紛れもない本心だ。飲み干してしまうのをちょっとだけ寂しく思いながら、今度こそウーロン茶に口をつけようとした。)
?…………おう。
(テーブルに滴ったウーロン茶が点々と描く軌跡はすぐさま東の紙ナプキンで形を変えていく。
水気を吸い取るには向かないそれが手を動かす度にゆっくりと水分量を減らしていくのを見ながら、俺は東が何を落ち着かないのか思い至った。
そうか、東お前――今日の出来事が気まずいんだな?
なにしろ見た目に反してフツーな感性をもってる東だ。男の趣味は最悪に近いしたまに何言ってんのか理解できない時もあるけど。いわゆる常識という尺度は俺のそれと近い気がしている。
今日あった出来事は俺が自分に置き換えるならどれもこれも気まずいものばかりだ。俺でさえ帰ったら後悔と反省で押し潰されるのが目に見えているのだから東が思い起こして動揺するのも無理からぬ話だ。
別に東が気にするような話ではないし情けない姿をみせてばかりだった俺よりは遥にマシだと思うが……。)
東――……。
(なんと声をかけたら良いか。そう考えながら口を開こうとした矢先。その東の呟きが耳に届いた。楽しかった?
あ……?
あれ? なんだコイツ。落ち込んで動揺して恥ずかしいわけじゃねーのか。
じゃあさっきの気まずそうな空気はなんだっつんだよ……。
あれか。総括するとギリ楽しかった的な……いやそもそも楽しかったと呟くわりに顔が全然楽しかったしてねーじゃねえか。うっすら笑ってるけど俺からしたら寂しそうですらあるわ。自分の発言と顔をきちんとあわせろよ……。)
…………ま、こういう日もあんだろ。またいこうぜ、健康ランド。
(今度はみんなで。山田とか鈴木とか好きそうだしな。今日楽しめなかった分は次に払拭すればいい。たとえすぐには消えなくても時間がゆっくりと消してくれる傷みもあるはずだ。
俺はテーブルの上ですっかり水気を吸いきった紙ナプキンに目をやって口元を綻ばせた。)
えっ珍し! 行こ行こ! まだ平とあそこのアイスクリーム食べてないし! ナベがクーポンめっちゃ溜めてたはず!
(口に含んでいたウーロン茶を急いで飲み込んで、すぐさま思いっきり頷く。興奮しすぎて思ったよりでかい声が出たし、謎に気合い入って両手をぎゅっと握りながらなんか変なテンションで返してしまった。いやだって、いつもまあ誰かがどっかに誘えばなんだかんだで平も来てくれるけど、平の方から人誘うこととか滅多にないじゃん。しかもタダでさえ知り合いとの遭遇率高くて、更にさっきあんなことがあった健康ランド。考えれば考えるほど、平が嫌がりそうな要素しかない気がする。今日は雨に濡れるっていうトラブルがあったから、仕方なく誘ってくれたんだろうなってまだわかるけど。そうじゃない別の日に、“また”。
意外すぎてビックリしたし、その分めっちゃ嬉しかった。平からそーやって言われたことも、私らに“また”があることも。たった今話にあがっただけで具体的にいつ行くかなんて何も決まってないのに、それでも平のそのたった一言で今日一日の平に対する申し訳なさとか別れ際の寂しさとか、一気に吹き飛んでしまいそうだ。
ワクワクと声を跳ねさせながらその勢いのまま残りのウーロン茶を飲み干し、僅かに残っていたパフェの溶けたアイスをスプーンで掬って口に運ぶ。あっという間になくなってしまったし、受験生にとっては時間的にもこれ以上遊んではいられないだろう。日時の決まってないふんわりとした提案が今日だけでいくつか挙がったけど、そんな楽しみの前にまずは勉強しないとな。平との約束があるだけで私は受験終了まで乗り切れそうな勢いだけど。)
──出る?
(空になった皿やコップを軽くまとめて一箇所に寄せてから、手元のスマホで改めて時間を確認する。平の方は飲み終わっただろうかと確認するように目をやりながら、そろそろ席を立つ準備をしようと私は隣に置いているカバンを手に取ろうとした。)
(不確かで形のない約束に身を乗り出す勢いで食いついた東に目を丸くしながらもなんとか頷き返す。
…………あれか。娯楽に飢えてんのか?
わかる話かもしれない。
学校いって勉強、家に帰って勉強。勉強勉強勉強。そりゃ息も詰まるって話。自分へのご褒美でもないとやってられないよな。
好きなゲームを買うでもいいしなんなら一日中寝るとかでもいい。
なにか明日が少しだけ楽しくなるような目標の日。
東にとってみんなで遊ぶってのはそれに値する報酬なのかもしれない。)
……だな。行くか。
(やにわに店内に増えてくる客足を見て手短に荷物をまとめる。といっても俺もカバンくらいしかねーんだけど……。
窓の外ではうっすらと街灯がともり始めて夜の兆しを現している。俺は伸ばした指先で丸まった伝票を摘むと重い腰をあげた。
おっと、ウーロン茶。コップをたくさん使った上に飲み残しとかマナー悪いどころの話じゃない。氷を避けて一息に飲み干すと胸から下が一気に冷える感覚に襲われた。
東のやつよくこれ一気で飲み干したな……。けほ、と小さく喉を撫でてからレジへと足を向けた。)
――東、今日は歩きか?
(精算を済ませてゴストをでると外は湿り気のある空気で出迎えてくる。雨上がりである事を思い出しながら駅の方へと足を進めた。東は移動手段が原付だったか……そんな事を思い出しつつ向き直った。長い一日が終わろうとしているのを感じながら。)
うぃ。なになに、一緒に帰ってくれんの?
(店を出て歩き出そうとした瞬間、こっちに向き直ってきた平からの質問に顔がニヤけそうになる。ていうかもうニヤけちゃってるだろうから、逆に開き直って思いっきりニヤニヤしながら冗談めかして答えてやった。朝の時点で雨は降ってなかったけど、なんとなく曇ってたから今日は歩いてきた。
この質問、最近ちょいちょいされるようになった気がする。しかも、当たり前みたいにさらっと。……やっぱり、なんか平の懐き度だんだん上がってきてる? 偶然とかじゃなくて意図して一緒に帰ろうとしてくれてる気がして、私の勘違いかもって心の中で言い聞かせようとはしてもちょっとは期待してしまう。ヘラヘラしながら返したのは、舞い上がってるそんな自分を誤魔化すためなのかもしれない。期待しすぎは絶対よくない。わかってるのに私の移動手段まで気にしてくれてることが嬉しい。って私、いちいち平の言動に振り回されすぎ。)
もう暗いから送ってくぜ的な? あーでも、“お前のため感”出してくるやつにロクなのはおらんか……。
(とにかく私が歩きな以上、まだ進行方向は同じだ。浮かれた足取りで駅に向かって歩き出しながら、からかい混じりに続けようとしてふと黒歴史が頭を過ぎり哀愁漂わせてボソッと呟く。
……あらら? てか私、今まで他の人と一緒に帰る時もこんなにソワソワしてたっけ。「危ないから送ってく」的な、ドラマのスダケンが言ってたら間違いなく最高にキュンなセリフを言ってくるやつもそれなりにいたけど……現実的に考えたら、暗いからとかただの口実じゃんね。私の経験上はもれなく全員下心しかなかった。そもそも暗いから何なん。夜道歩いてて声かけてくるのなんて、そこら辺にいるナンパ野郎ばっかだよ。そんなん断れば済む話だし。まあ、そこまでわかってて“嫌いじゃないしいっか”って送ってもらってた私が言えたことじゃないけど。……今となっては、そんな言葉で喜んでた自分が謎すぎる。いやまず喜んでたのか? どっちかっていうと流されてたって方が正しい気がしなくもないな……。
──平をチラッと見上げる。なんで私いま、何を言われたわけでもないのにこんな舞い上がってるんだろ。平とは、普通に話して普通に並んで帰れたらそれだけでめっちゃ嬉しい。歩きかどうか聞かれただけで内心こんなにふわふわしてるし、ドラマみたいなかっこいい言葉とか全然いらんからただ一緒にいたい……。なんだこれ。 やっぱり私が知ってる恋愛とは何もかもが違いすぎて、経験とかなんも通じん……。だいぶ余計なこと口走っちゃった気がするけど、結局のところ私はちょっとでも長く一緒にいられることだけを願いながら平静を装って歩き続けた。)
送ってくっつーか俺はそっち方面からでも帰れるから……。
(からかうような東の物言いに思わずグッと眉根を寄せた。腹が満たされたからか東の様子はご機嫌にみえる。店内じゃ難しい顔してたけどあれは何だったんだか……。
まあでもそうか、そういや東は傘持ってたっけか。はじめから雨降るってわかってたならそりゃ原付ではこないよな。当たり前か。
つーか〝そっち方面でも帰れるから……〟から、なんだ?
自分で言っといてなんだが接続詞がおかしい。
いや、わかってる。何を続けようとして憚ったのか。
――もう少しだけ、一緒に居たい。
なんだか実際に口を突いて出てしまいそうで口元に手を当てて防いだ。いや言えるかっつー話。
寂しがり屋みてーだろ。いや実際そうなのかもしれねえけど……。
視線だけ動かして隣をみる。横を歩く東はやっぱり目を引く存在で。誰も気に留めないだろう俺とは違って強烈に意識に残るような華やかさを感じる。
ナンパするだのされただのの陽キャな話は俺には到底真似出来ないが、少なくともするに至るだけの理由はわかる気がした。
――もったいない話だと思う。
東の良さは見た目なんかより中身なのに。
自己愛に塗れた俺には自分を蔑ろにする東を完全に理解はできていない。それでも、自分のことより他人のことを優先できるこいつは俺なんかよりよっぽど上等な人間だ。
もっと自分を大事にしろ、なんてチープな台詞はとてもじゃないが口にはできないけど。)
……髪とか染めればいんじゃね?
(――あ。やべ、なに口に出してんだ。
抑えていたはずの口元の手はいつしか形骸化していてその隙間からひょんな思いつきをそのまま吐露していた。
派手な見た目だから変なのが寄ってくるなら、染めればいい。なんつー単純な思考。俺は咄嗟に次の句を告げれずに押し黙った。自分の歩く足音がやたらに大きく聞こえた。)
──髪?
(なんか急だな……? そんなことを一瞬思って自分の髪に触れながら小首を傾げたけど、まあ雑談なんてそんなもんか。むしろ私がコロコロ話題変えちゃう方だし。高校デビューしてからの平はかなりオシャレに興味ありそうな感じだし、実際にかわいー服とか着てるし。単なるアドバイス兼話題提供と捉えればなんの違和感もないこの流れをあっさり受け入れ、くるくると指に髪を巻きつけたりして遊びながら歩き続ける。)
あーイメチェン? 楽しそうだよね。前に鈴木が染めてた時もちょっと思ったんよ。平も髪染めてから雰囲気変わったもんな。
(男友達からこういうアドバイスもらうのってなんか新鮮かも。その分助かるし興味もある。カラーに限らず、アレンジも含めていろんなスタイルを試してみるのは楽しそうだ。そもそも受験生だから遊ぶ機会自体減ってて、学校の日はそんな凝った髪型もできないから言われてみれば最近ちょっとマンネリ感ある気はするな。
すっかり垢抜けた平に尊敬の眼差しを向ける。周りにイメチェン成功してる人がいると尚更、私もやってみよっかなって一度は思うだろう。なんか違うなって思ったら戻せばいいだけだし、試すだけならタダみたいなもんよね。息抜きも兼ねて、気分転換に染めてみるのも悪くないかも……?
そこでふと思った──平って、どういう子がタイプなんだろう。そーいう話、平とは全っ然したことないからさっぱりわからんな……。そもそも考えたことすらなかった。これまでは向こうからガンガンくるパターンがデフォルトだったから、相手の好みを気にするって発想が私にはまず無かったんよ……。だから誰かのためにオシャレしようとか思ったこともないし、基本自分がしたいから自分の好きな格好してるだけ。でも、せっかくこれからオシャレするなら。もし平にかわいいって思われるチャンスがほんのちょっとでもあるなら──そりゃ知りたい。平の好み。ガッツリ寄せに行く気はさすがにないけど、気になり始めたらフツーに気になるし参考程度にはしたいかも……。平も軽い感じで話振ってきてるだろうし、この流れでちょっと探ってみるくらい別におかしくないよね……?)
た、平はさ! ………………うわ一瞬で内容全部忘れたわ今の無しで。
(…………いやなんて聞けばいいかマジでわからん! 勢いミスったし──平をガバッて見上げて力んだ声出しちゃった瞬間、顔から火が出そうになって言葉が続かなくなってしまった。血迷いすぎってくらいに血迷いすぎた。あと何故かあの子の顔がパッて浮かんだ。いつかの昼休みに平と並んで歩いてた超美少女。……なんとなくだけど、聞かなくてよかった気がする。
私は一息で訂正しながら顔の前でぶんぶんと手を左右に振り、意図せず早足になりつつも極力普段通りに歩を進めようとした。)
! おい、ちょっとまてそのままいくな。赤信号ッ!
(咄嗟に早足の東の腕を掴もうと差し伸ばす。
今なんか言ってたな。今の無し? とかなんとか……そんなん言う前に正面見て歩けマジで。ぜえはあと無駄に息を荒らげてしまった。人間焦るとなんでこうも急激に呼吸が乱れるんだろうな。
それにしても話に夢中になって赤信号無視とかあるか? そんな夢中になるような話題でもねーし……。
ただの思いつきのような染髪案。
地味なカラーにすれば変なのも多少はよけられるんじゃないかって、そんな安直な話だ。
実際どうなんだろうな。東は髪型こそ変わっていても髪の明るさは昔から統一しているような気がする。地毛……ってことはないだろうけどなさすがに。
なんとはなしに自分の前髪を軽く摘む。ほんのり灯る街灯に晒された髪はキューティクルを反射して歪な虹彩を放っている。
染めて雰囲気変わった……か。昔を知らなければまず出てこない台詞。好ましい意味でそういってくれることが嬉しくもあり、また照れくさくもあった。だが――。)
……どのみち俺も染めなきゃだしな。山田もそうだけどさすがにこのままで進学できるほど甘くはねーと思うし。
(髪の色で面接を落とされることはおそらくないと思う。それこそ試験や印象でどうとでも補えそうだ。……だが確実に不利にはなると思う。
染めている事に対してではない。覚悟の差とでもいうのか、受かる為の当たり前の努力をできない人間を合格させるかどうか。それこそよほど補ってあまりあるなにかがなければ受からないのではないだろうか。それは常識や良識というヒトの部分できっと測られるものだ。非常識な人間はそれだけで生きづらい世の中となってしまった。使い所を間違えてはならない多様性の時代。
黒い髪に染め直すのは気持ちまであの頃と同じになりそうで滅入るけれど仕方ない。
東もはたして黒髪にするのだろうか。
イメージしにくいその姿を無理やり視線の先に重ねて、存外悪くないじゃないかなどと勝手に思った。視線の先、東の更にその先で信号機が赤から青へと装いを変えた。)
ッ!? ~~~ビックリしたあ……!
(突然掴まれた腕が後ろに引っ張られてバランスを崩しそうになるのとほぼ同時に、私の目の前スレスレの位置を何故か車が横切っていった。なにこわっ……! 意味がわからなすぎて、瞬きも忘れて目を見開いたまま呆然とする──そして信号が赤だったことに、いやそもそも目の前に横断歩道があったことに今ようやく気付いた。
あっぶな~~~。一気に血の気が引いて青ざめる。マジでボーッとしてたみたいで、全然周り見えてなかった。この状況にドキドキしてんのか平にドキドキしてんのかわかんないけど、とにかくなんか色んなのが混ざって鼓動がうるさい。ハッとした瞬間は思いっきりヒヤッとしたのに、平に助けられたって思ったらこの熱が心臓からきてるのか触れられたとこからきてるのかすらわかんないくらいに身体が熱くなって、なんとか落ち着こうと深呼吸しながら自分の胸元に片手を添えた。……めっちゃ心臓バクバクいってる。)
すまんありがと……えっと山田がなんて?
(落ち着くために必死で脳内に山田の顔をいっぱい描いても、その全てが端から順にポンポンと平の顔に置き換わっていってしまう。つまり話に全然集中できない。だって腕引かれた時めちゃくちゃドキッとしたし、今だって超距離近いんだよ……!
赤信号以前に横断歩道の存在にも気付けないほど焦ってたのかと思うと、私一人で勝手に舞い上がってて余計に恥ずいんだけど……。ダメだこれ、ちゃんと話戻さんと。えっと何の話してたっけ。ソワソワと目を泳がせながら、平の言葉を全力で咀嚼する。)
……私ん中の山田は未だにハイトーンのイメージだな。黒髪数回しか見てないし。ぶっちゃけ会ってもまだしっくりこんけど、話すとすぐ“あっ山田だ”ってなる。
どんな髪してても山田は山田だし、平も平なんよねー。って当たり前か。
(クラスも違うし、さっき頭の中に描いた山田も見慣れた明るい髪色の方で想像してた。……って無理やり話を戻そうとはしてみたものの、なんかまだ普通にズレてる気がする。自分でも何言ってんのかよくわかんない返事というかただの私の感想をしみじみと返しながら、すぐ傍にいる平を見つめる。
平って、こんなかっこよかったっけ……? たしかにイメチェンしてから雰囲気変わったけど、私が意識し始めたのはそのタイミングからじゃない。昨年は絶対こんなんじゃなかった。私が今こいつにドキドキしてんのは、平が髪染めたからとかそーいうのじゃない気がする……。いつの間にか青信号に変わっていることに気付けないくらい、私は平に見入っていた。)
わかるわ。俺も思い出そうとすると明るい髪色で浮かぶ。山田も鈴木もな。
(頭上を見上げるように思い浮かべる友人たちの姿は今現在の姿とは様相が異なる。まずそれぞれの姿で過ごした時間が違うのだから当たり前といったらそうなんだが。俺も東も黒に染めたらきっとみんなから同じ感想をもらうことだろう。東からなら懐かしい姿とか言われるんだろうか。
肩越しに見る東の様子は普段通りにみえる。咄嗟に腕を強く引いてしまったけど大丈夫だろうか。意図したわけではないが掴んだ細い手首の感触が手のひらにまだ残っている。
あの時、何を言おうとしたんだろう。やっぱり無しとかなんとか……そこに意識が向いてた結果赤信号に突っ込みそうになったとか……?)
……おい? 青だぞ。
(いつまでも足を進めない東に先導するように数歩進んでから告げる。
東ってこんなぼんやりするタイプだったか。
わりとそつなくこなす方なイメージだ。おっちょこちょいなのは鈴木の役。
アレか。なんか困ってんのか……?
まー今日は色々あったしな。それこそ当事者でもない俺がこんだけ滅入っているなら東がそうであってもなんの不思議もない。)
――なんか困ってんなら話せよ。まぁ……力になれるかはわかんねーけど……。
(また話聞いてくれる? なんて約束もしているしな。多分俺なんぞが力を貸してもなんの解決にもならない気はするがそれは何もしないという理由にはならない。
さして大きい声でもない呟きのような俺の言葉が東に届いているかはわからなかった。)
お、おーっ。
(いつの間にか現れていた赤信号が、今度はいつの間にか青に変わってたらしい。ハッとして声のした方へ目をやってから、離れた距離を詰めるように小走りで平の横に向かった。)
……いや、困──
(追いついた途端に隣から聞こえてきた言葉への返答に早速困って、“困ってない”とは即答できなかった。顎に手を当て、ぐるぐると考え込む。だって自分でもわかるくらい、さっきからボーッとしすぎだもんな私。赤信号に突っ込みかけるとかありえんし……どうしたんだって思われてもおかしくない。けどごめん、平。好きバレだけは絶対避けなきゃだから、話せよって言われてじゃあ話すわとはなるわけないんよ……!
こーやって気にかけてくれるのはめちゃくちゃ嬉しいのに、言いたくても言えなくて心配もかけたくなくて、自分がどうしたいのかがわからない。そもそも、私ってなんか困ってんのかな……? 平のことになるといろいろ考え込んじゃうしわからんことだらけで、そういう意味では困ってるっちゃ困ってるけど……べつに何か嫌なことがあったとかじゃないしなあ。むしろ楽しいし。しいて言うなら、好きすぎて困ってる……? なんそれ絶対言えんわ。
もちろんそんな葛藤を本人に話す気なんてないから、誤魔化す一択なんだけど……何でもないよってさらっと返すにはもう手遅れな気がする。動揺して言葉に詰まりまくったし。即怪しまれるって私でもわかる。誤魔化すならちゃんとやらんと……せっかく平がこーやって言ってくれてるのに、すぐバレるような嘘ついちゃうのはさすがに心が痛いし顔に出そうだ。)
──ってはない。たぶん。ただなんかこう……私がどうしたいのかが自分にもわからんから、困ってるかどうかもよくわからん的な……?
(迷いに迷ってたっぷりと溜めた後に、誤魔化すとも打ち明けるとも決めきれなくて結局曖昧な返事をしてしまった。そもそも私、自己分析とか苦手なんよね。最近はマシになったはずだとはいえ、つい去年まではわりと自分の気持ちに無頓着に生きてきちゃったから。考えてることを言語化しろと言われたらそれこそ困ってしまう。
平のことは間違いなく好きだけど、じゃあ告ればいいだけなのかって言われると──現状脈ナシなのは明らかだし。とにかく一緒にいたいだけな気もするから、だったら変に付き合ったりしない方がこのままでいられるんじゃないかとも思ってしまう。焦って失うのが嫌で、必死に気持ち隠してる。そのくせ近付けば近付くほど“もっと”って気持ちが芽生えちゃったり、卒業が迫ってくるのが寂しかったり……。まともな恋愛がどんなのか知らんから、これがフツーなのかがわからないな……。
自分でさえわかってないことを人に伝えるっていうのがまずムズすぎて、伝わるわけないしわけわからんって逆に平を困らせちゃいそうだけど。聞いてきたのは平だし。あたふたとジェスチャーを交えながらたどたどしく言葉を紡いだ後は、平の反応を待つことしか出来そうになかった。)
(追いついてきた東とまだ余裕のある信号を渡りきって俺はどうしたもんかと視線だけ彷徨わせた。即断の多い東にしては妙に返事の歯切れが悪かったからだ。
ヒトに話してなんとかなる悩みは大抵もう自分で心が決まってることが多い。要は必要なのは間違ってないですよという後押しなのだ。本当になにかに悩んでいる場合はそもそも誰かに伝える事さえ覚束無いものだから。相談と言える段階にさえきていないから悩むわけだ。つまり、東は何かに困っているとすればそれは言葉にできるような段階にさえきていない可能性が高い。
あんな道の途中からぼんやりされた日には命さえ危ないのだからさすがに場所は選べと言いたいが、誰かいる時ってなんとなく歩くのを他人に任せがちになる気持ちはわかる。間違った道なのに先導する相手に特に何も考えずについていったりな。
俺が一緒だからついぼんやりとしてしまったとしたら――その程度には信頼して貰っていることになる。
自然と口元が綻ぶ。嬉しくないわけがなかった。)
……ごちゃっと考えると身動き取れなくなるから。思考する時は二択とかにするといいかもな。今やるかやらないかとか。これは好きか嫌いかとか。行くか行かないかとか。単純化して一個ずつ理解していくと言語化しやすいと思う。
(あくまで俺の場合は、だが。偉そうにアドバイスできるような立場でもないし自分自身要領よく生きている訳ではないのだから何を偉そうに、という気もする。でも、東が友人として信頼してくれているのならせめて何かのキッカケ作りはしてやりたかった。それがたとえ的外れでもなんでも危ない目に遭うよりは――……そういえば俺がキョドってた時には東が言ってた言葉があるか。なかなかいい事いうじゃねーかスダケン。)
……俺だけ見てろ。
(うっわ。口に出して言ってみたものの恥っっず。全然似合ってねーうえにちょっと声かすれたし。バッと口元を抑えてなかったことにしようとしたが結構はっきり言ってしまった。慌てて恥ずかしさを打ち消すために「なんて、スダケンならいうんじゃねーか」と小声で付け足した。きっと耳まで赤いだろう自分の顔は想像したくなかった。視線の先て明滅を始めた信号機のように俺の鼓動は高く鳴り響いた。)
えっわかりやす。平、超ちゃんとしてるじゃん──あ。
(思っていたよりも的確な答えが返ってきて、目をぱちくりさせて平を見上げた。二択で考える──たしかにそれなら気持ち整理しやすそうだし、なんか私にもやれそうに思えてめっちゃしっくりきた。言われてみれば納得しかなくてすぐにでも実行できそうなのに、これまで私には思いつきもしなかったしそもそもそんな風に思考の仕方を試行錯誤したこと自体なかったな。やっぱ平って、私と違ってちゃんといろいろ考えてるんだなぁ……なんて感心しかけてハッとする。
“平が”ってより、みんなそーやってちゃんと考えてる? ちゃんとしてないのって私だけ……?
“東はその「ギャンッ」ってくる人がきても怒らずに受け入れてきたから、そっちが「普通」になっちゃってるんだよ。”
いつかの鈴木の言葉がふと頭を過ぎる。──そうだ。私は友人関係にしても恋愛関係にしても、みんなみたいにちゃんと考えたり分析したりしながら向き合ってはこなかった。自分の意思もあんまりなくて、だからこそただ何となくで周りのノリに合わせて流されたり、ガンガン引っ張ってくれるような強引で頼りがいのある人にばっか惹かれちゃったり。何でも「まあいっか」って許しちゃうのも、相手に気遣わせないように変に遠慮しちゃう癖ついてたのも、こっちが我慢するのが一番手っ取り早く丸く収まるからで……考えなくて済むような環境にばかりいて、考えることを放棄しちゃってたとも言えるかもしれない。だとしたら一番私のこと雑に扱ってたのは、過去のクズ男たちでも私を利用してた友達でもなくてやっぱり私自身なんだよなぁ……。
私は、これから考えるべきなのかも。ちゃんとした恋愛するために──今までまともに考えずに流されてきた分、もっとちゃんと考えて人と向き合わんと。慣れないことしすぎると、また頭ごちゃりそうだけど……ちょっとずつ二択で考えるくらいなら、やれそうな気がする。)
ありが…………?
(思えば私がモヤッてる時は毎回、平がくれる一言でスッと心が軽くなってるな……なんて感謝しながら、早速さっきアレコレ考えちゃってたことをちょっとでもスッキリさせてみたくて、平に言いかけて言えなかった内容を思い浮かべてみる。
ん? 待てよ……。私、スダケンみたいな強そうな男がタイプなのに今めっちゃ平のこと好きになってるじゃん? 平に好きなタイプ聞くのって、本当に意味あるのかな? あんだけ悩んどいて今更って感じだけど……。じっと平を見つめてみる。意味あるか、ないか。これなら二択だけど──う~~~ん、わからん。でも、知りたいか知りたくないかだったら……、)
~~~!?!?
(平をガン見しながらまた考え込みそうになってたら、とんでもない爆弾が飛んできた。一瞬で身体中に熱を帯びてあんぐりしたままフリーズしてしまう。ドラマのスダケンのセリフ……いや知ってるし大好きだからそのセリフはわかるんよ。わかるんだけど、不意打ち過ぎてすぐには元ネタと結びつかなくてマジでビックリ──いやもう死ぬほどドキッとした。だって平、絶対キャラじゃないじゃん。ハッキリ言って、似合わなすぎて去年の私なら間違いなく爆笑してるくらい似合ってない。なのに、なんでこんな顔熱くなるんだろ。バッてそっぽを向きながら、思わず手で顔を覆ってしまう。平の方見れない。てか本当に平か今の……? 好きな相手が、絶対言わなさそうなかっこいいセリフをいきなり言ってくるのってズルくない……? 破・壊・力……!!
私が悶えてたら隣でなんかもごもご言ってる平の補足でやっと、あ~ドラマのアレかって気付いた。そっか、平は私がスダケン好きなの知ってるもんな。さっきのアドバイスもかなり的確だったのに、励ましの言葉まで私に合わせてくれてたのか。前々からみんなのことよく見てるなとは思ってたけど、私のこともめっちゃわかってくれてるじゃん……。また胸の奥をキュンとさせながら、さすがに爆笑する余裕はなかったけど嬉しさでクスッと笑みが零れた。)
──ふはっ。平とスダケンって遠すぎ。
(――ああああやっちまったやっちまったやっちまった。
そりゃな、わかってたさ。スダケンに限らず俺だけ見てろなんてそんなハードボイルドなセリフが似合うヤツ画面の向こう側にだってそうそういないだろう。キャラ的に言えばそれこそ対角線上に位置しそうな俺が似合う道理はない。わかっていた。せめて爆笑でもとれりゃまだマシだったがそれも無し……つーか一瞬ネタが伝わってなかったまである。
幸い途中で気づいてくれたみてーだから良かったものの『何言い出してんだコイツ』と目を疑うような東の視線を思い返すだけで頭のなかが真っ白になる気がした。)
うっせ――わかってるよ……。
(なんとかそれだけ言い返して顔を背けた。
考えてみりゃスダケンもどういう経緯でこんな罰ゲームみたいなセリフ吐く羽目になったんだろう。お前のせいですべったぞという謎の恨みが沸いてくる。それでもちらりと東をみれば少なくともキショいとまでは思われてなさそうでほっとする。
鬱々とした俺の気持ちを代弁するかのように翳った斜陽に対して街灯がほんのりと色を付け始めていた。
大型チェーンのコンビニには幾多も自転車が止められていて忙しさを物語っている。ゴストで食事をしていなければ東と寄るような提案もあったかもしれない。
すっかり満たされた腹具合を確かめるように胃のあたりを撫でる。夕飯はきっと入らない。まず気持ち的にも整理したい。感情がないまぜになっている今は何も考えたくなかったが。)
――じゃ……。
(いよいよ訪れた岐路。夜の空気を鼻腔に感じながら小さく手をあげる。
楽しく遊んだ後に感じる友達と別れる瞬間の寂寥感を多分に噛み締めながら東の顔をみる。今生の別れなどではないがしっかりと見ておきたかった。)
ん。……あ。直哉(役:スダケン)、あのあと記憶喪失になるんだよ。しかも、こんな感じで別れた後に。帰り道で事故って。
(分かれ道に辿り着き、何気ない調子でひらりと手を振り返して一度はそのまま歩き出そうとしたけど──ふと振り返って、めっちゃどうでもいいことを言ってしまった。たぶん何となく寂しくて、たった数秒の時間稼ぎのためだけに咄嗟に口をついて出たなんの意味もない報告。ドラマの中のあの名言が、たまたま今と似たシチュエーションだっただけ……いや、言うほど似てもないな。共通点、帰り道ってだけかも。
自分で言っといて、だから何なんって思ってしまった。マジで山もオチもない。まあ、ドラマ的には例のセリフが山場だったんだけどそうじゃなくて……。とにかく、言うだけ言っといてこれ以上は特に何も出てこない。ドラマ的には割とベタな展開かもしれんけど、さすがにこれを“平も気をつけて”で締めるには現実味ないっていうか不自然すぎるし。絶対ありえないとまでは言わんけど、普通に考えたらそんな展開起こり得ないし全く心配してない。本当に、ただ私が話したかっただけだ。)
まっそれだけ。んじゃね~。
(結局、なんか謎にドヤってドラマの展開話しただけになっちゃった。でも謎にスッキリした。私は1分1秒でも長く平といられたら、それだけで満足できるくらいには結構単純みたいだ。あれこれ考えちゃうことはあるけど、複雑そうに見えても案外単純にただ“好き”なだけなのかもしれない。あんなに別れが惜しかったのに、今この瞬間だけは平の顔を見て安心してしまった。
自然と明るい声色になりつつさっきよりも大きく手を振って、今度こそ平とは別の方向に歩き出そうとした。)
(/背後から失礼いたします。いつも解釈一致すぎる平をありがとうございます。毎回拝見するのを楽しみにしております。
そろそろきりのいいタイミングになりそうですが、次の場面のご希望などございますか? 原作が一気に卒業式まで飛んでしまうようで驚きが隠せないのですが……!
原作の時系列に合わせるか、高校生を続けながら原作で飛ばされてしまうことが確定しているエピソード(クリスマス、バレンタイン、ホワイトデーetc.)を補完していくか……大まかに分けるとこの2パターンかと思うのですが、どちらがお好みでしょうか。
こちらはいずれも対応可能ですしどちらも捨て難く決断できそうにないため、ご意見がありましたらお聞かせ頂けると嬉しいです。場面転換ですがこちらからでも構いませんし、お好みの展開で回してくだされば合わせます。)
いやそれだけって……縁起でもねー事いうなよ……。
(その理屈でいけばこのあと俺が事故るじゃねえかよ。いや俺は直哉じゃねーけど……。
どうでもいいけど『直哉』って名前の印象がめっちゃ悪くね? 呪霊とかになりそう。
どこか誇らしげに堂々とネタバレしていく東の顔をしっかりと見つめながら俺も口角を僅かに持ち上げて笑った。
呆れ半分。残り半分は――……。)
――…………。
(大きく手を掲げて離れていく東の姿を見送って、俺も帰路へと向かう。夜を予感させる空気に混じらせるようにボソリと一言。四文字のそれは音になる事をなく夜の街へと舞ってゆく風に掻き消えた――。)
(/こちらも背後から失礼致します。ご連絡ありがとうございます。当方の拙い平に、過分なお言葉を頂戴し恐縮するばかりです。
そんな中で申し上げるには大変心苦しいお話ではあるのですが、今回のお返事をもって終了とさせていただきたく存じます。
はじめにはっきり申し上げておきたいのは東背後様にはなんら落ち度はないという事です。
お察しいただいているかとは思いますが最近の私のお返事の速度は低下の一途を辿っております。課題などのリアル多忙と言えば聞こえはいいですが何もお返事できないほど分刻みで忙しいわけでもなく、しかしながら日々の疲労からそれ以上頭がもう働かず……早くお返ししたい意思はあれど上手くいかずという日々が続いておりました。
受験勉強をこなしながら互いのことを考えている平も東も凄いなあと思うことしきりです。
星の数ほどあるなりきりの中で東背後様のような素晴らしい方とめぐり逢える可能性は滅多になく、考えに考え抜きましたがこの結論に至りました。
日々、迅速なお返事と可愛らしく素敵な東をありがとうございました。頭の中で容易に想像が可能なくるくると動いて喋る東の言動は本当に毎日の楽しみでした。
何度『もういっそくっつけてしまっていいんでは』と思ったことか……!
打ち込んだ没レスの群れの中には告白パターンがいくつも眠っています。
最後に東背後様とタイラズマにどうか明るい未来が待っておりますように。
ありがとうございました。お返事は不要です。)
(/返信不要との事でしたがどうしてもお伝えさせて頂きたく、誠に勝手ながら最後にお言葉を返すことをお許しください。
はじめにお相手終了の旨、承知致しました。お相手様のプライベートとお気持ちが何より大切ですので、とても名残惜しく思いますが潔く受け入れます。
こんなになりきりが楽しくてお相手様からの返信が待ち遠しかったのは初めてで、それほどお相手様の平とのやりとりが日々の生きがいになっておりました。もちろんタイラズマ自体が大好きなコンビであるという前提がありますが、その上でお相手様としか紡げない尊い関係が本当に大好きでした。今思えば、楽しすぎるあまりに文章量が増えていきそれがご負担になっていたのではないかと反省もあります。
期間にすると短い間だったかもしれませんが、非常に充実したお時間をありがとうございました。お相手様のことはずっと忘れません。
最後に……こちらは返信ペースなど気にしませんし短めのやりとりにするなどご相談には出来る限り乗らせて頂きますので、またいつか余裕が出来て環境やお気持ちに変化があった際には、いつでも戻ってきてくださると嬉しいです。これは私側の一方的な気持ちですので、余談として聞き流していただいても構いません。
重ねてになりますが、お相手様の平と共有する時間が本当に大好きでした。ありがとうございました。)
…………いや、どう考えてもこの六角は使えねーだろ。
(――時が経つのはあっという間だ。あんなに寂しいと感じた卒業式、バイト先への挨拶、引越しの準備と手続き。大学合格の感動もそこそこに、時間のなさから半ばほとんど下見をせずに環境状況だけで決め打ちした安普請なアパートの一室で俺は組立式のガラステーブルと睨めっこしている。モノトーンの色調とデザインの良さでこの価格かと買ってはみたものの、付属のネジを止める六角レンチのサイズとネジ穴のサイズが微妙に合っていない。上下逆かとも思ったがそういう問題じゃない。あとひと息とかでもなくマジで入らねぇ。
付属の説明書に書かれた『正式な安心! 新生活にピッタレ!』という胡散臭い日本語がすべてを物語っていた。
フッと小さな笑いがダンボールだらけの部屋にこもれ出る。最後にはめる為に立て掛けておいたガラステーブルの天板が薄暗く反射して俺の顔を映す。
――鏡が昔から苦手だった。自分の姿をみたくなんてなかった。どれだけ着飾ったところでそれは虚飾でしかなく、中身に澱んだダサい自分と向き合う勇気がいつもなかった。
黒髪に戻した自分にはまだ慣れない。けれど――……今そこに映っている自分は。)
…………笑ってる場合じゃねーだろ。
(自分でセルフ突っ込みをいれる。持っていた六角レンチを放り投げて、俺はスマホを手に取る。明らかに噛み合わないネジ穴と六角を寄せあってカメラを起動。部屋が薄暗かったからか自動で反応したフラッシュでやたらくっきり取れた写真とほんの少しのメッセージを添えて。
『みろこれ。全然合わねーんだけど。』
……お前に笑ってもらえるならこんなトラブルも悪くない。
しゅぽん、と簡易な音で送信を確認して俺は腰を上げた。
荷解きはまだ終わっていない。けれど腹が減ってはなにもできない。幸いにして置くだけの小さな冷蔵庫は起動しているからとにかく近所の散策をしてこよう。
財布と携帯だけ手に取ってほとんど自然に、誰もいない部屋に『いってきます』を告げて靴を履く。そして閉めた扉に鍵。まだ覚束ない所作。
よし。いくか。
ほいっと調子よく中空に放った鍵をカッコよくキャッチしようとして、落とす。
「…………おまえはホントに。」
はぁと嘆息して拾い上げてから悪態をつく。
その鍵の先につけた小さなキーホルダーに。
そこには紅白のクマが俺をからかうように小さく揺れていた――。)
(/今日、この日を迎えられた記念に。他でもない、誰よりもあなたに感謝を。)
──ん?
(卒業式以来久々に──って言っても、数週間ぶりとかなんだけど。とにかく体感久々に会う友人(まー言っちゃえばフツーにサト)とお茶してたら、唐突にスマホが鳴った。テーブルの上に置きっぱだったそれに視線を落とし、目に留まった漢字一文字に頬が緩みそうになってしまうのとほぼ同時に
“なに誰?例の推しピ?”
なんて、向かいの席に座ってるサトが身を乗り出して画面を覗こうとしてきたもんだから。“わーっ!”ってでかい声出しながらスマホを手繰り寄せ、必死に隠しつつメッセージを開いた。ここ店内だし、私めっちゃ不自然だろうし、てかいつの間に私の気持ちが同クラの子にバレてたんかも結局謎だけど。もー知らん。)
ふっ……なはは。なんこれ不良品?写真上手くてウケる~。
(明らかに無駄な映りの良さと添えられていたメッセージも相まって、写真に収められている傍から見ればくだらないようなトラブルにけらけらと声を出しながら笑ってしまった。目の前でサトが引いてるのが分かったけど、ウケるものはウケるんだからしゃーない。まだちょっと笑いながら、『わろた。どこ製だよそれ。』の一言と、謎のゆるい生き物が描かれた“どんまい”スタンプをテキトーに返しておこう。──なんか、いい意味で思ってたんと全然違ったな。一通り笑い尽くした後、メッセージに対する笑いとは違う別の笑みがふっと零れた。
あの日──卒業式が、てっきり最後なんだと思ってた。そうなったとしても悔いはないって、あの時本気でそう思ったけど……実際は今もこうして、当たり前みたいにあいつとメッセージを交わしている。それも、私からの一方通行じゃなくてわりとあいつからも。諦めなきゃって思ってたのに、一度は諦めるつもりでいたのに。あの日私の袖口を掴んできたあの手が、そうさせてはくれなかった。それからもずっと、他愛ないメッセージを送ればすぐに返事がきて、かと思えば今度は向こうから他愛ない内容が届いて──その度に嬉しくて、ああ好きだなって思う。それだけで胸がいっぱいで、募る思いを挙げればキリがないけど……今はまだ、このままでいい。このままがいいや。
画面を見つめたままぼーっとしてたら、そろそろ帰ろうという友人からの呼び掛けでふと我に返る。結局誰だったのかなんてついでに聞かれたけど、それはメッセージの話なのか推しピの話なのか。)
ん~?こいつ。
(機嫌がよくなっていた私は、席を立ちながら手にしていたカバンの隙間からポーチ……のチャックに付いてる青と白のそいつを、チラッと覗かせてしたり顔で見せつけた。案の定サトは“はあ?”って顔してきたけど、さすがにヒント出しすぎっしょ。てかもう答えじゃんこれ。恥っず。だから、これ以上は教えてやんないよ。)
(/原作の完結にアニメ化、おめでとうございます!そしてまさかの……夢のようなお時間を本当にありがとうございます。大切に大切に受け取りました。せめてものお礼にというのは烏滸がましいですが、お返事せずにはいられませんでした。お相手様に届くことを祈って──。)
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