東 2024-07-20 01:24:27 |
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『平は彼女「出来ない」ってより「いらない」派かと思ってたわ』
(あたまの中で何度も再生される友人のセリフが、俺の心に重みを含ませていく。)
――はあ。
(朝。あくびともため息ともとれるそんな吐息で唇が震える。受験勉強の疲れなのか、それともいつもの憂鬱なのか俺自身よくわからない。
ふと顔をあげて周囲へ視線を巡らせる。
同時にあくび。今度はホントにあくびだ。
朝、この駅構内で電車を待つ時間が微妙に苦手だった。知ってる顔を見ようものなら俺は全力で気づかないふりをするし向こうにもぜひそうして欲しいと思う。電車から降りた時に階段から遠くなろうとも、なるべく知り合いに会わないような端に近い車両を選ぶ癖も身についた。だというのに今の俺はいかにも誰かに見つかりそうな階段付近に陣取っていた。ふと、またも顔を上げる。ああ嫌だ。俺は。多分。いや多分とかじゃなくて。でも、ああ。つまるところ。
俺はいま、アイツが来るんじゃないかと目で探しているんだろう。)
(あちらでお声掛けさせていただいた者です。トピック作成ありがとうございました。相性などもあるかと存じますので上記でご判断いただきお返事或いは蹴っていただければと思います。よろしくお願いいたします。)
おー平、おはよー。
(いつもの駅の階段下。人混みの中に見知った姿を見つけた瞬間、浮かれた足取りで階段を駆け下りる。今朝も一緒になれて嬉しい──それが素直な感情であり、ハッキリと自覚したばかりの本心だった。
すべて下りきった直後、思わず周囲にお花畑でも見えそうなオーラを放っていた事に気が付き、緩みそうな顔にぎゅっと力を入れる。そう、この気持ちはまだ…絶対に隠し通さなければならないのだ。あいつが最近私を避けていた事も、私からの好意が恋愛感情的なソレじゃないと知ってあからさまに安心した事だって、すべてお見通しだった。ああも分かりやすく反応されてしまうと、さすがにクるものはあるのだが。それでも、今までのように何となくで諦めてしまう気は更々ない。この関係を失くしてしまわない為にも、今は──。
緩く片手を挙げてヒラヒラ振りながら、極力普段通りを装った声色で、“好き”な奴に“友人”として声をかける。相手にその気がなくたって、とことん待ってやると決めたのだから。)
(/素敵な初回レスをありがとうございます!相性等問題ないどころか、素晴らしすぎて恐れ多いのですが…!こちらからもお返事させて頂きますので、相性等に問題がなければ是非このままお相手頂けますと幸いです。)
ん…… あ、、ッ、……おはよ。
(ヤバい。声が裏返った。でもヤバいのはそんな事じゃなくて――俺いま東が声掛けてくるより先に見つけてた。で、一回顔戻した。完全に身についた条件反射。マジかよ俺。朝から自分にガッカリするとかどんな罰ゲームだよ。はぁ、とため息。さて問題です、今日の俺はあくびとため息どっちが多いでしょう。なんて、どうでもいいクイズを自問自答しながら首を左右に巡らせる。これは決して誰かを探してるんじゃなくて電車がこないかなーと確認する顔の動きですよアピール。……俺ってやつは。本当に。
階段から降りてくる東。手を振ってくれてるのに俺ときたら手のひらを小さくフラっと向けただけ。この人混みであんな距離から俺みたいなのに声かけて恥ずかしいとか思わないんだろうか。ほら、周りの連中(主に男)も『え、アイツ?』みたいな顔で見てる……気がする。いや違うんですよみなさん。東はああいうヤツなんですよ、なんて。なんとなく、傍に身を置くのも躊躇われて無意識に少し、ほんの少しだけ東から距離をとった。)
っ…、
(露骨に迷惑そうな態度。いや実際、平の頭の中に私の存在なんてこれっぽっちもないだろうし、受験勉強で忙しいこの時期に興味もない奴から好意を寄せられたら、鬱陶しいだけで迷惑極まりないんだろうけど。歩み寄ろうとした矢先に向けられた拒絶に、思わず立ち止まってしまう。でも私今、んな好意見え見えの話しかけ方なんかしたっけ。“普通”に“友人”として、自然に話しかけたはずなのに。バレてないはずだけど、どっかおかしかった?
平への想いを自覚する前までは出来てたはずの“普通”が、最近はマジで分からなくなってきている。不自然な平の挙動も、目に見えて後退りされた事も。気付かないわけなくて、一瞬表情が引き攣ってしまったかもしれない。そんな反応されたんじゃ、こっちも近寄りにくいじゃないか。
だけど、最近は勉強の為に早めの電車で通学してると言っていた平と、電車の時間が被った事が単純に嬉しかった。次はいつ一緒になるかも分からないのに、こんな事でめげてる場合じゃない。私は平と、“付き合いたい”とかそんなんじゃなくて。今のこの関係を、“普通”を失いたくないだけなんだ。だから、普通に。取られた分の距離を詰めるように平に歩み寄り、いつもみたいに隣に並び立とうとしながら、けろっとした顔で問いかけた。)
…今日は早めの電車じゃないんだなー。寝坊でもしたん?
……まぁ。昨日ちょっと遅くまで勉強してたから。
(平然と距離を詰めてくる東に俺は少しだけ口角を緩めて目元をこすった。つくづく自意識過剰なんだよな俺は、とおかしくなったのだ。周りの目だとか自分のコンプレックスだとかそんなもんでいちいち一喜一憂して、今だって東が気にせず傍に来てくれたことに内心ではホッとしてるんだ。なんてことはない、気にしてるのは俺だけ。勝手に勘違いして悩んで本当に恥ずかしい。こういうのを独り相撲っていうんだよな。この東が俺の事を好きとか。マジありえねーっつか。この東が、……)
……なんかあったん?
(なんだろう。いつも通りに見える東の顔がどこかよそよそしいというか。いや、人の気持ちどころか自分の気持ちさえおぼつかない俺がどのツラ下げてって感じだけど。考えるより先にそんな言葉が口をついて出ていた。電車の発着通知より遥かに小さい俺の声は喧騒に消えてしまったかもしれない。プァンと鳴る警笛が電車の到来を告げる。人の流れが動く。俺は自然と東が押し出されないように陣取っていた。そっと、まるで頼りがいのないか細いだけの腕なんか広げたりして。気づかれないようにそっと。)
えっ…
(普通に隣に並んで、普通に電車を待って。普通に話しかけて、普通に答えが返ってきて。なんだ、ちゃんと“普通”やれてるじゃん…なんて、安堵したのも束の間。ふいに、でもしっかりと聞こえてきた平の言葉に、ギクッと大袈裟に肩が揺れてしまった。なんだこの、どっかの漫画並みにベタなリアクション。なんかあったって、なにが。やっぱさっきのやり取り、どっかマズかった?ヤバいって。だって、隠し通さなきゃ。“普通”でいなきゃ。でも…私、たぶん今めっちゃ舞い上がってる。
急な質問の意図とか、正直さっぱり分からん…けど。もしかして、私の事見てくれてた?気にしてくれてた?いや、都合良すぎだって。平のこんな一言でふわふわしてしょうがないくらい、あーもう好き。嬉しい。ヤバい重症じゃんね。)
……何?どゆこと?
(とりま惚けたけど、どーしよ。私、間抜け面してないよね。顔熱い。まだなんか言った方がいいのかな。テキトーに笑っとくか?熱をもつ頬に手を添え、とにかく考える。
とっくに電車は来ていて、周りの人達がゾロゾロと乗り込んでいて。そんな事知ってるし、気付いてるのに。完全に時が止まったみたいに、一瞬だか暫くだかも分からない間、ぼーっとしてたかもしんない。私、どんな顔してたんだろ。焦ってた?緩んでた?誰か私に正しい反応を教えてくれ。片思いって、どうやんの。こんな人混みの中でフリーズするとか、誰かにぶつかってしまいそうなもんだけど、何故か──何故かそんなこともなかった。)
……おい? 電車きてんぞ?
(え、何。立ち止まって動こうとしない東に俺はなんか手を広げた不自然なポーズでどうしていいのかわからなくなった。東は話してる最中にたまにこう、難しい顔してなんか考え込んでる時があるのは知ってる。知ってるけど、今か? 俺、なんかアライグマの威嚇ポーズみたいになってんだけど?)
東……おい、乗るぞ?
(電車の警笛が聞こえた。多分ドアの開閉のやつ。流れる人が吸い込まれるように電車に収まっていく。あーあ多分もう座れね、なんていつもなら思うところだけど今はそんな余裕もなかった。東はなんか頬に手を当てていてここからじゃ表情がよくみえない。どうする? どうすんのが正解だこれ。山田とかならぐいぐい背中押し込むんだが。さすがにそうもいかねえよな。次の電車――は嫌だな、多分次はもっと混む。時間的に。再度の警笛。俺は、ほとんど反射的に手を伸ばしていた。東の手を引いて、電車に乗り込もうと。)
あ……、
(手に触れられて、ようやく我に返った。焦りかトキメキか、どっちの意味か分かんないけどドキッとする──なんて感じてる暇もないくらいほぼ同時に引っ張られ、ギリギリ閉まりそうなドアの隙間から、あっという間に電車の中に身体が飲み込まれていく。今度こそ私、あんぐり間抜けな顔してただろうな。
気付いたら満員の車内にいて、うわ座れないじゃんとか、てか手握られてるんだけどとか、今更すぎることを自覚し始めて余計に顔が熱くなった。一瞬の出来事だったけど、一瞬で私を導いてくれた腕も力も、ちゃんと“男子”だった。平に触れてるとこは、もっと熱くて……超恥ずっ。)
あー…すまん。ちょいぼーっとしてたわ。
(電車が動き出し、動きに合わせて身体も揺れる。勝手に後ろめたくなって、平の顔が見れない。埋まりきった座席にチラッと目をやりながら、空いている片手を軽く挙げて謝る。私のせいで座り損ねたのもそうだけど、さっきから別のことばっか考えててマジごめん。でも、約束してたわけじゃないのに先に乗り込むでもなく、当たり前のように道連れになってくれるとこ。やさしいな、平らしい。そんなことを思えばまた胸の奥がきゅんとして、好きに押し潰されてしまいそうだ。)
おー……してたな、ぼーっと。つか、あのタイミングでとか逆にすげーなって感心した。
(まぁ、朝だからな――なんて言いつつ、ふと急に電池切れたみたいになっていた東がおかしくてふへっと変な笑いが出た。いやマジどういうタイミングだよ。おっと電車内電車内。車内はぎゅうぎゅうって程でもないけど少し人が多いかなって程度。でもアレか。一応カバンとか前側持ってきた方がいいんかな。……いやまて、前側に持つ方が迷惑とか聞いた事あるぞ。やべえどっちだ……なんて考えて東を見る。こいつならきっと正解を知ってるはず――ってなんで顔伏せてんだ。えっ、そんな落ち込むことか? めちゃくちゃ座りたかったとか? マジか……疲れてんだな多分。座れる可能性あるとすりゃこんな扉の前よりも誰かの椅子の前しかない。電車の加速が落ち着いた頃を見計らって移動しようか。車内の少しだけ時間が止まったかのような静寂。話すとしてもついヒソヒソ声になっちまうのはなにも俺だけじゃないはず。なんならジェスチャーだけで会話しちゃったり? 鈴木とかそういうの気にしねーんだろうな。俺はそんな取り留めのない考え浮かべて移動するタイミングを待っていた。その手につながったままの、東の手に気づかないまま。)
笑うなしー。いや、昨夜暗記した年号がね?丁度あの瞬間に呪いの呪文みたくブワッて──
(笑うなとか言いつつも、平の笑いにつられて私の頬も自然と緩んだ。やっぱ独特だよな、笑い方。でも和むっていうか、気が抜けてちょっと落ち着く。平といるとドキドキするけど、やっぱ根本的に居心地いいんだよな。やっと言い訳できそうな余裕も出てきたし、この流れで嫌いな暗記科目に呪われかけた事にでもしとくか。形だけの抗議をするために顔を上げ、平に向き直る。
え、近っ。ってそりゃそうか。近いとか以前にまだ手、しっかり握られたままだし。喋りながら身振り手振りしようとして平の手を改めて意識し、触れている箇所を見下ろす。人混みのせいか平のせいか、なんか暑い。これ、いつまでこのままなんだろう。気になるならこっちから離せばいいだけの話なのに、離す理由もきっかけも特になくて──ぶっちゃけ、なんかもったいなくて。平が遠くの大学に行ってしまうとか、いずれ離れ離れになってしまうとか。そんな将来の不安も今だけは全部吹っ飛んでしまうくらい幸せで、大袈裟かもだけどこのまま時間止まれって本気で思った。こんなに周りに人がいるのに私、平のことしか考えてない。だから、あえて。ズルいかもしんないけど、気付いててもこの手について何も言わなかった。言えなかった。この時間が終わったら、また“普通”に戻って。ちゃんと気持ち抑えて、全部隠し通すんだから。こんくらいは、いいよね?お願い。平が気付くまで、もう少しだけこのままで──無意識に、ほんの一瞬。繋がってる方の手に力を込めてしまった。)
わかる。
俺暗記は覚えるだけだから嫌いじゃないけどそれあるわ。単語帳とか順繰りに覚えたら思い出す時も順繰りになる癖があるんだよな。今必要なのは一○ページ目の単語なのに一からいかないと頭の中で一○にたどり着けないっつか。しかも最悪なのが途中で詰まった場合その先も一切出てこない時があるんだよ、アレマジ何なん……五ページ目出てこなかったら俺の暗記力最大が単語帳五ページってことなるじゃん……小学生でももっといくっつかいや脳みその作りは小学生の方が優秀か……いや俺はそもそも優秀な事とか別にねーんだけどブツブツ……。
(東の言い分にコクコクと頷く。俺も経験あるわ。うわ、語り始めたら嫌な記憶が蘇ってきた……はぁ……。
スニーカーから伝わってくる電車の振動が一定になってくると車内でも人の波に隙間や余裕が生まれてきた。だいたいの人は立ち位置を決めて安定するタイミングだ。手すりやつり革から手を離して小物を取り出す学生、扉横に陣取るおっさんも端に備え付けの長いバーから手を離して腕時計を一瞥していて。今なら動いてもそう嫌な顔されないはず……経験上。俺も掴まっているバーから手を離そう――とそう考えて。ん? あれ、俺の位置で掴まれるバーなんかあったか……? と顔を下げようとした瞬間。
バーが俺の手を握り返してきた。)
え。
…………えっ゛!?
(俺は、視線を下げて。それからバーに掴まっていたはずの左手をみて。え。と呟いて。左手が東の手を掴んでることを確認して。東の顔をみて。手を引っこ抜く勢いで叫んだ。たぶん、めちゃくちゃきたねえ声で。)
じゃ逆から覚え直したらどうなん?ただの二度手間か…?
(でたよ、こわ。まさに呪いの呪文でも唱えてるみたいな形相で紡がれる平の言葉を一応は遮らずに聞いてるけど、手に心臓ついてるみたいにバックバックしてて正直それどころじゃない。まぁ、ちょっとわかる気もするんだけどね。わかるけど、私本当は違うし。なんか普通に誤魔化せたみたいで、ひとまずホッとした。
暗記とか苦手だしマジ無理だから、まともな返事ってよりただの相槌。半ば独り言みたいなボリュームでボソッと差し込みながら、通い慣れた電車に揺られる。ただでさえ片手は平で塞がってるし位置的に余った手が掴めそうな物もないけど、慣れもあってかこのくらいの揺れならそこまでふらつくこともない。一人の時は座れなくてだるいなーと思ったりもするけど、べつに今はそんなこともなかった。自然とバランスが取りやすい間隔に足を開いて振動を吸収させながら、適度に重心を移動させてやり過ごしていた……ら。)
ッ!?!?
(急に真上から響いてきたクソデカボイスに、身体全体がビクッと大きく震えてしまった。その衝撃でかそれとも平が振りほどいたのか、わかんないけど繋がっていた手が一瞬で離れていく。あ……凹みかけたけど、そうじゃない。ここ車内。人いっぱい居るって。急にんな声出されたら、私痴漢だと思われるくね?やばい今度こそ不審者コンビじゃん。車内のほぼ全員が一斉に私らの方を見た気がしたけど、一気にあたふたしてしまってそんなの確認する余裕あるわけないから実際はしらない。咄嗟に平の口を塞ごうと手が伸びた…けど、こいつ身長高いな。微妙に背伸びしないと届か──あ、首にチョップしそう。と思った瞬間ガックンと大きく車体が揺れて、もうわけわからんくなった。)
(思いっきり後ずさりした俺は背中のカバンが電車の扉に当たるのも気にしている余裕がなかった。扉のガラスとカバンのチャックあたりがこすれたのか、軋んだ音が耳朶を打つ。と、同時に俯瞰した視点が俺の発した不細工な声は閑散としていた車内の耳目を集めるには充分だったと伝えてくる。)
ッ……!!
(はっと息を呑んだ。いや、つか、なんッ、は!?
手……いつから、、ってそんなん決まってる。俺がぼーっとしてた東の手を引いて電車に飛び乗って。乗りこんだ直後はお互いのカバンがドアに挟まれないかどうかっていうギリギリの立ち位置だった。幸いそんな事はなくて、でも疲れてそうな東をなんとか座らせてやりたいなんて余計なこと考えて……手を繋いだままだった事を忘れた……。
いや。忘れねぇだろフツー。どうなってんだよ俺は。そもそもなんでえらそうにヒトの手とか引いてんだっつー話。よくよく考えてみれば最初から冷静じゃねえな……。
東は? そうだ、東だ。俺が変な声出しちまったばっかりにこいつまで変な目で見られる。それは……嫌だ。俺だけならまぁ慣れてるし、な……。そーゆー視線とか……。
ここは一つ、離れて他人ですよってアピールしとけ東――っておい。なんで手を伸ばしてくるんだ。その行動になんの意味が――……ッ!?
瞬間、振動。車内が揺れる。俺は背にした扉とカバンのおかげで影響はない。でもこっちに手を伸ばしていた東は危ないんじゃねえのか。俺はほとんど反射的に両手を広げていた。)
うわ……っ!
(揺れと同時に小さく悲鳴を上げながら、前方──つまり平に向かって勢いよく倒れ込んでしまった。かなりの衝撃を覚悟したのに、なんかぼふっ程度。ハッとして前を見ると、平のシャツ。左を見て、右を見る。平の左腕、平の右腕。上には平の顔──、
完全に平に凭れかかって、しっかり支えられていると気づいた瞬間。かぁぁっと顔中が火照ってきて、慌てて体を引こうとした。私とドアの間に挟まれてたし、私のカバンの重さも全部平にいってるはずだけど、怪我させてないだろうか。明らかに心配とか焦りだけじゃない胸の高鳴りを感じつつも、これ以上平を押し潰してしまう前にまず離れないと。
あーもう私、さっきから何やってんだ。完全に注目浴びちゃってるけど、なんかもうそこじゃない。私が浮つきすぎなんだ。そういや前にも似たようなことあったな。その時も平のこと考えてぼーっとしてて、階段下でぶつかって──てか平って、こんないい匂いしたっけ。あの日すれ違ったすげーいい匂いの子と、いよいよお似合いじゃん……。)
平、ごめ……だいじょーぶ?
(近くに立ってるおっさんが遠慮がちに「大丈夫ですか?」と声をかけてきたり、「非常停止ボタンが押されたため一時停止致します」という事務的なアナウンスが車内に流れてきたりする中、またしても私は別のことを考えながらおそるおそる平を見上げた。)
いッ……!
(痛くはなかった。ただ、電車の振動と共にこちらへ突っ込んできた東を受け止めたら口からなんとなく漏れ出てしまった。痛くなくてもなんか体に当たったら「いたっ!」とか言っちまうアレ。つくづく反射で生きてんだな俺……。そういや他にもヒトって物が落ちてきたとき咄嗟に受け止める姿勢をとるとかなんかでみたっけか。それが到底受け止められるわけのない質量の岩とかであっても避けるより先に手を差し出してしまうとか。つまり――つまり、そう。東を抱きとめた形になったのはそういう理由なわけで。東にはわりーなとは思うけど俺がゴメンとかいうのもおかしいよな。つか、軽すぎんだろ……メシ食ってんのかよこいつ……)
……あっ……。
(東が慌てたように体を引いて。なんか怖ぇ顔してる。いや、そりゃー俺なんかと密着して嫌だったろうけどよ。なにもそんな慌てて引くことはねぇだろ……いや別にくっついていたかったわけじゃねえけど。あれ。やべぇ、もしかして臭いとかなのか俺……マジかよ……。
なんて声かけていいかわからないまま思考がグルグルとめぐる。と、そこで車両の慣性が穏やかになる。振動が掠れた残響と共に鼓膜へ届いて車内アナウンスが非常停止ボタンの押下による一時停止を告げる。
俺はバッと背後を仰ぎ見た。まさか俺が背中でボタンを押しちまったとか――ではない。だよな、そうはならないような造りになってるはずだ。
扉横にいたおっさんが東の様子をみてなにか声をかけている。おい、まさかこのおっさんが押したんじゃねえだろうな。確かに東が危なかったけど非常停止ボタン押すほどのことじゃない。イタズラとかだと場合によっちゃ責任とらされんだっけ? 電車の遅延ってすげぇやべーんじゃなかったか……。
次々に溢れ出るとめどない思考の中で、なんでか俺はおっさんと東の間に割って入るように腕を伸ばしていた。東の口がなんか動いてるけど頭に入ってこない。ただ、どうしたら東を――こいつのせいにならないんだろうとか、なんかそんな事だけを考えていた。)
……平?どっか痛──え。
(何その反応、大丈夫じゃなさそうなんだけど。なんか痛そうな声出てたし不穏な顔してるし、ここで返事がないと不安になるだろ。まあヒト一人分どころか私の荷物の重さまで一気に受け止めてるんだから、そりゃ重いよな。そんで打ち所が悪かったりしたら、こーゆーので骨折とかもあるのかな。私のせいってのもあるし、ハッキリしない平の様子にさすがに焦りが増してきて、オロオロと両手で謎のジェスチャーみたいなのしながら平の顔を覗き込もうとした。
気付けば完全に電車は止まりきっていて、平の返答を待ってる間にも周りの乗客たちがザワザワと騒いでいる。そんな事よりも平が心配でそっちにまで意識は向かなかったけど、勝手に耳に入ってくる断片的な情報によると線路上にでかい障害物があったとか何とか──あ、そうだ。隣のおっさん。ちょっと気まずそうじゃん。何か言わないとと思って口を開きかけたけど、いや待てよ。私が大丈夫でももし平が大丈夫じゃなかったら、一応近くの人に助けとか求めた方がいいんじゃ……だから、うんとかすんとか何か言えよ平。私とぶつかったくらいで、なんでそんな深刻そうな顔してんの。状況が違うとはいえ前とは反応が全然違うし、二度もぶつかった私に文句のひとつでも言いたくて不貞腐れてるのか?まさか本当にどっか怪我……なんてことをたぶん数秒のうちに考えながらちょっと困って平とおっさんを交互に眺めてたら、突然目の前のおっさんと私の間を遮るように平の腕が伸びてきた。え、今度は何。ピクッと反射で肩を跳ねさせながら、何してんだの意を込めて平を見上げた。)
(『――ただいま走行中の線路内に障害物を検知した為に運行の一時停止を行っております。ご乗車のお客様にはご迷惑をお掛けしますが今しばらくお待ちください。』
アナウンスが流れた時、俺はどんな顔していたんだろう。ひでぇツラか、まぬけヅラか。多分、どっちも。なんせ俺ときたら口の端からほぅ、なんて吐息を出すのが精一杯だったんだからな。東がなんか謎の仕草を俺に向けてきてるけど頭いっぱいに「よかった」しかなくてただただ肩をなでおろす。と、同時におっさんにあらぬ罪を被せかけた事が一周まわっておかしくなってきた。やべぇ。当たり前じゃねーか。おっさんがいくつかはわからんけど少なくとも俺や東よりもずっと長く生きてんだから非常停止ボタンがどういうものかなんてわかってるよな。安堵からなのかもう笑うしかねぇ。これが苦笑いってヤツか)
あ……と、悪りぃ……大丈夫か?
(おっさんを責めるように東との間に差し入れた腕は東のビビるような反応みて咄嗟に引いてしまった。と同時にそんな言葉がまろびでた。……だよな、これ以上俺に触られたくねーよな。俺は引いた腕でそのままおっさんに『あ、大丈夫です……』と断りを入れるように縦に動かしてみせた。それから東の顔をみて。あっちの椅子のある方いくか? と指をちょいちょい向けてみる。)
?……あー、うん。ありがと。
(なんで平が謝るんだ。とか、結局今のは何だったんだ。とか。いろいろとよくわからなくて小首を傾げる。でも、平が無事そうならまあいっか。なんか、やっと肩の力抜けたって感じ。私が勝手に浮かれて、勝手にやらかしまくってただけなんだけど。ちょっと反応が遅れてしまったけど、平にお礼言わなきゃな。ていうかやばい。ホッとしたら、さっきの事思い出してきた。さっきのアレって……ぶつかったってより、もはやハグじゃん?私、平に抱きしめ──どうしよ嬉しい。いやいや、思いっきりヒト押し潰しといて何考えてるんだ私は。また顔が熱くなってきて、普通に答えたつもりが予想よりふやけた声が出た気がする。せめて顔はニヤけてませんように。
平が椅子の方を指したのを見て、グッとサムズアップして頷く。座席の前を陣取ってた方がワンチャン座れそうだし……ここだと周りの人達に、さっきの一部始終見られてるし。実際は、数分前はこっちに注目してた人達だって今は電車の停止アナウンスの方に意識がいってて、私らの事なんか眼中にないんだろう。そんなもんだと思ってるからぶっちゃけ私は気にならないけど、平はそういうの嫌がるかもしれない。やたらと思いつめた顔してたしな。それで移動したがってるのかも。移動したところですぐそこっちゃすぐそこだけど、気持ちの問題的な?居心地悪いならずっとここにいる意味もないし、さっさと移動しよう。平に続いて私もおっさんに手を振り「すみませんでしたー。」と一声かけてから、平が指した方向へ一歩踏み出した。)
あー……なんか変に疲れたな。
(人の波を縫って電車内を進んで少し。既に一時停止を解除してゆるゆると走行を再開している車両の中で、俺は立ち位置を決めたつり革に両手で体重をかけてからそう呟くとふぅと嘆息した。
行儀の悪い姿勢。また人が混んできたら正すから今だけは大目にみてもらいたい。俺の眼下、このやや奥まった端の座席にはどこか気品のある初老の男が姿勢よく座っている。目元に刻まれた年輪のような皺がこの人の生きてきた証なんだろう。俺はつり革越しに自分の左手をみる。何の変哲もない手。そこにはなんの経験も重みも感じられない。いってしまえば男らしさがないのだ。あるのは先程までこの面白くもない手が東の手を引いていたという事実だけ。うおおおおぉ……と思わず煩悶する。今日の自分の行動を省みれば自己嫌悪以外のなにもない。軽々しく女子の手を取るとかどういうんだよ俺は……。と考えてから女子? と首をひねる。女子……まあ東だからまだよかった。これがちょっと顔見知り程度のクラスメイトとかだったら間違いなく『キモ』とかの一言で撃墜される。いや、実際キモいわ。しかもなんか謎の漢気を発揮しようとかしてたし……今となっては全てが恥ずかしい。やってらんね。もう一度ため息を吐いて、それから東の方を見た。こういうのいちいち気にしてるからダサいんだろうな。こいつは、堂々としてるよな。普段あんまり見ることのない東の横顔はなんだか新鮮で――綺麗だった。)
なー。ちょっと変な汗かいたわ。
(平と並んで移動して隣のつり革に掴まりながら、なんとなく窓の方に目をやった。毎朝見てる景色だし、まじめに見入ってるとかじゃなくて本当になんとなく。状況が落ち着いてもまだ暑くてたまらないのは、さっきの出来事のせいなのか人が多いせいなのか。いつの間にか乱れてしまっていた髪を、手櫛で軽く整えるようにして右肩に流す。それから、つり革を掴んでいる自分の右手をチラッと見た。ついさっきまで、この手を平が……うわー。一気に恥ずかしくなって、速攻で視線を窓に戻した。
意識しすぎなのはわかってる。平は何とも思ってないし全然気にしてない。そもそも男子と手を繋ぐのなんか初めてでもないのに。グイグイ触ってくる奴とか、普通にいたし。なんか昔はそーゆー強引な奴に限ってかっこよく見えて、私も嫌じゃなかったしまあいっかって感じで受け入れてたけど──そん時、こんなに嬉しかったっけ。また触れたいとか触れて欲しいとか、そんなこと考えっぱなしだったっけ。過去の恋愛と今の状態があまりにも違いすぎて、あれ恋ってこんなんだっけって混乱しそうになる。自覚してから抑えが効かなくなりそうな感情に、こうやって無理やりフタをしているのに。平に触れただけで今にも爆発してしまいそうで、ああもうなんかせめてサト辺りには今すぐぶちまけてしまいたい。それでも私はこんな風に平と同じ電車で通う時間が大切だから、今は黙って気持ち押し殺すしかないんだ。いつか平が、その気になってくれるまで。
ってちょい待てよ。それでもし平がこの先他の子を好きとか言い出したら、私はどうするんだ。どうするもこうするも諦めるしかない?どうせもうすぐ大学も離れるし、そもそも既に気になる子がいる可能性だって……ほら、あのいい匂いの子とか──そうなったら私は、まあいいかって、今までみたいに諦められるのだろうか。諦めたくない……あれこれ考えていたら、無意識に呻き声みたいな呟きが漏れていた。)
いい匂いになりたい……
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