匿名さん 2024-01-05 19:35:07 |
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ふん…。言葉上手でなければ教育者になれんわけでもなし。
それに、思ったことを口に出して何が悪いのじゃ?
(国語教師で古典に関心があるならば、なるほど彼女が社務所の史料に興味が惹かれた理由も分かる。もっと早く聞いていれば、それなりに吟味して選んだというのに。
空になった彼女の杯に酒を注ぎながら、上記を鼻で笑いながら述べる。心と思考が一致しないのは人間ばかりでなくイナリたち妖も同じだった。特にイナリは妖の中でも口下手な方だった。だから彼女の言っていることは理解できる。自分も思ったことを口にして怒られたことが幾度となくあるからだ。しかしそれを欠点だと思ったことは無い。むしろ思っていることを口にしたことで腹を割って話せたこともある。
過去と現在では言葉も人間の在り方も規範も変わるのかもしれないが、現代人にとって思ったことを言うことは悪しきことなのだろうか。そう考えると無性に腹が立ってきた。彼女の言葉を聞き入れず、彼女が誠を尽くしても揶揄いの対象とした教え子達に。)
…そうね、決して悪いことではないけれど。
使い方によって言葉は凶器に成りうるでしょう?でも、言葉を選ぶのは簡単じゃないわ…面倒くさいなら黙っていた方が楽なのも事実だし。
(注がれた酒の揺らめく水面に視線を落としながら、相手の言葉に返すように上記を述べる。“言葉は刃”という比喩があるように、自分が発した言葉で他人が傷つくこともよくある。思ったことを口に出すことで良い結果が生まれることも勿論多い。だが、自分自身、言葉に傷付けられた経験が多い為、同じように人を傷付けるのは怖かった。
盃を見つめていた視線を外し、またも1口酒を飲むとため息混じりに言葉を続けた。)
……私は、私のせいで誰かを困らせたくないの。
…例えば、私に「好き」だと言われて、喜ぶ人なんていないわよね、とか。そんな消極的なことばかり考えて、言えないの。だって、「嫌い」だと返されたら、きっと立ち直れないわ。
(まるで誰かを想っているかのようにぽつりぽつりと零すように言葉を吐き出すと、もう一口盃に口を付ける。目の前にいる彼へちらりと視線を向けると一間じっと見つめた挙句に「…私は意気地無しなのよ」なんて告げて肩を竦めた。)
……言葉は凶器。その通りじゃ。しかしそれが高じるあまり、言いたいことも言うべきことも言えぬは不健全。
それにお主を好いてくれる者も必ずおる。…お主の着物姿、美しい故な…。
(きっとこの女子は傷ついてばかり来たのだろう。言葉で癒される経験をあまりしてこなかったのだろう。時折こうして彼女の口から勝たられる過去に思いを馳せると、胸が痛くなってくる。何故かは分からない。自分にも思い当たることはあるからだろうか。否、彼女と比較して寿命が圧倒的に長いイナリにはまだ救いがある。人の何倍も生きているので、言葉で癒される経験も多くしてきた。だが人間は寿命があまりに短い。その一生では傷付く機会の方が多いのだろう。特に荒んだ今の世では。
盃の酒をまた一気に飲み干すと、また並々酒を注ぐ。その間、彼女の言葉を耳で聞いていたが、視線は酒に向けられていた。だから彼女に向けられた視線に気付くことは無かった。酒を一口飲むと再び口を開く。酔いが回ってきたのか、先程の教え子に対する不機嫌もあって、やや語気が強くなる。しかし彼女の容姿に言及した時だけは、言いにくそうに、それでも弱々しく言う。はっきり言うべきことは言えと講釈をした後に、これでは説得力も何も無いが、そんなことを考える余裕を酒が奪っていく)
……確かに、本当に不憫な世の中よね。
(彼の言う通り、自分こそまさに不憫な世の中に縛られて、言いたいことも言うべきことも避けてきていたのかもしれない。変わりたいとは思っていてもそう簡単に変わらないのが人間の性であるが、それでも、変われたらいいな と思えるようになってきただけ此方としては大きな進歩だ。この社に来て、少しだけ自分の事に対して客観的に、そして余裕を持って考えることが出来ているように思う。それはきっと、彼がこうして話し相手をしてくれて、弱々しくも自分のことを褒めてくれるから。
励ましとお褒めの言葉を受け取ると、数回瞬きを繰り返した後、ふふ、と楽しげに「ありがとう」と言った。普段は見せないあどけた表情を見せたのは、おそらくいつの間にか空になっていた盃の所為。酒に酔っても気持ち悪さはなく、ふわふわと夢見心地で、だんだんと襲ってくる睡魔に抗いながらも欠伸を1つ。
そして、目を細めて相手のほうへ片腕を伸ばすと、ぽんぽんとその頭に手を乗せてぼんやりとした思考の中でボソリと呟いた。)
…イナリ様が、私を好きになってくれたらいいのに 。
(盃の酒が空となり、もう一杯と手を伸ばした時だった。彼女の手が頭に乗せられた。ギョッとして彼女に目を遣ると、その顔は夢でも見ているかのように心地良さそうな顔。先程注いだばかりの盃が自分と同じく空になっているのを見れば、意外と酒のスピードが速い彼女に驚く。いつものように"気安く触るとは不敬だ"と言い放とうとした時、彼女の一言で一気に酔いが覚めた)
な、な、な…お主……。
(とても冗談のようには聞こえない言葉に思わず持っていた盃を落としてしまう。酒に酔った勢いで言っているだけで単なる戯言なのか、それとも本音が酒のせいで表出したのか。この女子の真意が分からず、ひたすらに困惑する。もしも、これが本音ならば。自分はなんと返事すれば良いのか。決まっている。彼女の言葉を諾えば良いだけだ。ずっと気付かないフリをしてきたが、イナリは彼女が好きだ。初めてここに訪れた時こそ不信を抱いたが、今では彼女のことばかり考えている。それは初めての経験だった。妻でさえ好意なく迎えたイナリが、初めて自らの意思で人間を好いている。いっその事、本心を伝えてしまおうか──一瞬だけそんなことを考えた。ダメだ。自分は彼女に自己を肯定できるまで、ここに置くという建前で彼女を受け入れている。それを反故にしてしまっては自分の立つ瀬がない)
…なんだ。何か言うたか。
……全く我に触れるとは不敬じゃ。
(言いたいことを言えと彼女に言っておきながら、自分は彼女の言葉を聞こえないフリをした。今日ほど自分の臆病さが憎かったことは無い。情けなくて、申し訳なくて、憎くて。様々な感情入り交じった震え声で頭の上に乗せられた彼女の手を、ぐっと掴む)
………、いいえ。何でもないわ。ちょっとした願い事よ。
( ゆっくりと首を振って、何ともないように小さく笑いながら上記を返す。しかし、その顔は少し寂しそうにも見えて、また1つ何かを諦めたような顔にも見えた。というのも、確かに酔いが回って睡魔に襲われてはいるが、自分が何を言っているのかぐらいはちゃんと分かっている。いつもよりも随分早いペースで飲んだものだからまだ酔いが回り切っていないのか、どちらにせよ未だに理性は働いているらしく、ぐいと掴まれた手に視線を移しながら続けて「ごめんなさい、つい」と毎回の如く肩を竦めて謝罪した。
彼の声が少しばかり震えていたのは何故だろう。盃を零してしまったのは何故だろう。彼は、本当に聞こえなかったのだろうか──と、ぼんやりとした頭の中で考えるが、あれこれ憶測するだけ不安になるし悲しくなる。だから、彼が盃を零したのもきっと不意に頭を撫でた所為だし、声が震えていたのもきっと気の所為、酒の力を借りて口に出た願いもきっと、気の所為。そう思うことにして、ゆっくりゆっくりと立ち上がり、掴まれた手を解放しようとする。)
…ごめんなさい。久しぶりに飲みすぎたみたい…、酔いが回り切る前に少し夜風に当たって来ても良いかしら…?
あ、ああ。行ってくるが良い。
…いや、我も行こう。些か暑くなった。
(彼女の反応を受けて再び後悔する。酒の勢いで言っている訳ではなかった。まだ彼女には理性がある。そんな理性の隙間から出た偽らざる本音。それを自分は聞こえないフリをしてしまった。彼女が自分の愚行に気づいているのだろうか。彼女のことだから気の所為とかで済ませてしまうのだろう。いっその事、イナリの愚行を見抜いて、その上で罵倒してくれた方が救いがある。
彼女が夜風に当たると言い出すと一度は掴んでいた手を離す。しかし慣れない酒を飲んだ彼女に何かあっては困ると思い立ち、同行を言い出す。何かあっては困る。実際のところはそんなものは言い訳だった。実際は少しでも罪悪感から逃れたかったから。どこまでも手前勝手な理由付けに我ながら呆れてしまい、僅かに口角が上がる。一度離した手を再び掴むと、彼女を支えながら本殿から外へと出る。イナリは彼女以上に飲んでいて、しかも酒に強い訳では無い。にも関わらず普段と違わず乱れることなく歩けるのは、先程の彼女の"独り言"を聞いてしまったからだろう。外へと出て適度に吹く風に当たっていると、心が晴れそうな気がする)
…今宵は何故か飲んでも酔えん。
……あら、そうなの?何故かしらね。
( 再度腕を掴まれると、そのまま身体を支えられながら共に外へ出た。ひんやりとした夜風に触れるとお酒の所為でかかっていた靄が晴れたように少しずつ睡魔が引いていくのが分かる。隣でぽつりと彼が零した言葉にはまるで何も知らないように肩を竦めながら上記を返す。此方を掴まえているその手に此方からも触れられるならどんなに幸せなことか…しかし、そうはせず、代わりに彼への負担を軽減しようと脚にぐっと力を入れ、頭上に広がる星空を見上げていた。)
…私ね、イナリ様のおかげで思ったよりも早く自分のことを愛せそうだわ。
(夜空を見上げたまま再度口を開き、言い終わると隣へ視線を移して小さく笑ってみせた。尊大な言い方もすれど、自分のことを褒めてくれる時はいつだって正直だった彼は、本当に優しいのだと思う。きっと、今まで長い年月を経て色々な人間を見てきたのだろう。先程の願いも、彼と出会った頃に言ったあの願いも、叶うことは無いかもしれないけれど、彼の優しさを裏切らないために、少しづつでいいから自分のことを認めてあげたいなと思う。──それに、長居すれば長居するだけきっと彼に惹かれてしまうから、これ以上縋って迷惑はかけたくないとも思う。)
なに…?
…………それは真か。我の手を煩わせたくない故、欺瞞を言っているのではあるまいな。
(思ったよりも早く自分を愛せそう──それはつまり、彼女が自分の元から離れることを意味している。思わず、彼女の顔を見つめる。自然と眉間に皺が寄る。そして彼女の発言を疑ってしまう。やめろ──理性がそう警告するが、イナリ自身がそれに応えようとしない。最低だ。再び自己嫌悪する。恩着せがましく彼女の自己肯定感を上げると宣言しておいて、いざその時が差し迫ったら、彼女のことを想い始めて手離したくないとごねる。まるで寓話のような滑稽さだ。想いとはこんなにも重く、苦しいものなのか。これまで生きてきた中で初めての経験に、酷く戸惑う。あの妻もこういう気持ちだったのだろうか。彼女が自分のことが好きになる度に、イナリは自分が嫌いになっていく。特に理性が警告しても閉じることの無い口が。)
……本当よ。でも、貴方が言ってることも半分正解。
( ちらりと視線を向けた先には眉間に皺を寄せた彼の姿があり、図星をつかれたことにより思わず目を逸らしてしまう。
彼のおかげで少しは自分に自信がついたし、この先は今までより自分のことを大切にできると思った。…しかし、性格や思念がすぐさま変わるわけでも無いし、すぐに自分のことを真っ直ぐに愛せるかと言われれば正直難しいところも多いだろう。ましてや彼の言う通り、迷惑をかけたくないからという理由も大きかった。
ただ、言葉上は誤魔化してしまえばいいものの、特に取り繕うこともせずに相手の発言も正解だと馬鹿正直に付け足してしまうと、気まずそうに咳払いを1つ。)
でも、別にいいじゃない。
他の理由がどうあれ、私が自分のことを愛して認められたらそれでいいんでしょう。
( 思わず、突き放したような言い方をしてしまう。そんなつもりはないのに、彼に深入りしないようにと無意識に焦ってしまっているようだった。)
(どうやら自分の言葉は意外にも彼女の図星を突いたようで、一瞬だけ喜の感情が浮かぶ。だが彼女の突き放したような言い方で胸が苦しくなる。彼女はイナリに迷惑を掛けたくないから、そういう言い方をしている。大体の検討は付くものの、やはり"イナリを必要としていないのではないか"と思ってしまう。他の人間から必要とされないのは納得できる。だが彼女からそんな風に思われていると考えただけで、耐え難い程の虚無感に襲われそうだった。そんな意図を含んでいる訳では無いとわかっているのに。)
…今のままではダメだ。お主が許しても、我が許さぬ!
こういうことは、ゆっくりと時間を掛ければ良いでないか! 焦ることは無い。今戻っても、お主は失敗する。何故それが分からぬ!
(一度思い込むと不安が徐々に広がって理性を奪っていく。まるで疫病のように。段々と苛立ったような口調になり、とうとういつもよりも大きな声を出してしまう。その瞬間、ふっと我に返る。何の罪もない彼女に苛立ちをぶつけてしまった。我を通そうとしたばかりに、その事実だけが残った。何か途轍もない程のことをしでかしたというように、二、三歩後退りをすると、彼女から視線を逸らし、消え入りそうな声で謝罪する)
………これではお主を傷付けた者どもと同じだな。すまぬ…。
( 相手の言葉にぎゅっと小袖の裾を握った。大きな声を出されるのは好きじゃない。思わず眉間に皺を寄せ、視線を逸らす。自分の為を想っての発言も感じ取れるが、失敗するだなんて断言されたら再び自己を否定されているようで辛くなる。そんなこと分からないじゃない、と思わず反発しそうになる。
しかし、彼はそのまま声を荒らげることは無く、すぐさま我に返ったのか数歩後ずさると小さな声で謝罪を口にした。それを聞いて、こちらも幾つか緊張が解けたのか握った手の力を緩めていく。)
…『好きならば口に出せば良い』って、貴方が前に言ってくれたのよ。最初は、そんなこと言えるわけないって思ってたし、胸に秘めるだけで十分だと思ってたの。
…でも、少しだけ我儘を言うのも悪くないのかなって思えた。
(貴方のおかげよ、と小さく呟くが、それでも視界に彼の姿は映さない。もう一度輝く夜空を見上げると、すっかり酔いも覚めしまい冷たい夜風に小さく身震いした。
このまま知らないふりをして、彼の言葉に今まで通り「その通りよね」って受け入れてしまうことも出来たのに、今それをしてしまうと彼の本心がずっと見えないままになるのではないかと思った。
夜空を見上げていた視線をゆっくりと彼へ向けると、静かな声色で訊ねた。彼の発言に生じた小さな違和感、それが一体何故なのか直接聞いてみたかった。こんな問い詰めるような言い方をして、嫌われるだろうか、それとも悲しませてしまうだろうか。)
──イナリ様、最初から私を“ここ”に置くつもりは無かったでしょう。それなのに、どうして留まらせようとするの?
遅かれ早かれ、私が自信を取り戻すのは良いことだと思ってたのに。
…私の料理が美味しいから?やっぱり1人が寂しいから?
……自分で申したこと位、覚えてなくてはならんな。
(貴方のおかげだ。改めてそんなことを言われると、ああ、そんなことを言ったなと今更ながらに思い出す。何気なく言った言葉であったはずだが、彼女はそれを明確に覚えていて、きちんと守ってくれていたのだ。そんな彼女と裏腹に自分で言ったことすら覚えていない不誠実な自分を自嘲気味に鼻で笑う。同時に彼女からの問い掛けに、小さく息を吐くとこれ以上隠し果すことは出来ないと観念する。あの静かな声色で真剣に問いかけられては、逃げることは出来ない。イナリは初めて人間に胸中を打ち明けることを決意した)
…最初はお主の言うように、ここに留めておくつもりなど毛頭なかった。お主を神隠ししたのも我の気まぐれよ。飽きたら何ぞ理由を付けて放り出せば良い。そう思っておった。
…じゃが段々とお主に違和感を覚えた。お主と居ると、今まで感じたことの無い感情や、見て見ぬふりをしてきた思いを具に感じさせられた。料理が美味い。一緒に居ると退屈せん。孤独が紛れる。そうやってお主のことを知れば知るほどな。
…今宵まで分からんかった。否、分からぬふりをしてきたが、先の聞こえぬふりをしたお主の言葉で、ようやっと覚悟した。
…日向静蘭。我はお主に懸想している。
……え?
(てっきり、なんとなく放っておけないとか、それらしい言葉でまた誤魔化されるのかと思っていたのに。真剣に返してくれる彼の事を見つめながら、最後にはどんな言葉を突きつけられるのだろうかと覚悟していたのに。
聞こえてきたのは意外すぎる言葉で、頭の中にある辞書を必死に開いて《懸想》の意味を調べてみる。──異性に思いをかけること、又、恋い慕うこと。──国語の教師だったことにこれほど良かったと思ったことはないが、それと同時に全身が熱くなるのを感じ、目頭にもじわりと熱が伝わり瞳を濡らす。
襲い来る幸福感と羞恥心に思わず力が抜け、両手で顔を覆ったまましゃがみ込む。
彼に想われていたなんて予想外すぎるが故に、未だ理解が追いついていないが、1箇所ひっかかるところがあり、しゃがみ込んだ膝に顔を埋めながら、いじけたように小さく文句を垂れた。)
………なによ、やっぱり聞こえていたんじゃない。酷いわ。嘘つき狐だわ。
す、すまぬ…。お主が突然申した故、酔い故の戯言だと思ってしまったのだ。
いや…戯言だと信じたかったのやもしれぬ。
(瞳を濡らした彼女の苦言に眉を下げながら謝罪する。しゃがみ込んでしまうと、一瞬彼女を抱擁しようかと思ったが、すぐに思い直してやめる。今の自分に彼女に触れる権利はないように思った。自分は彼女欲しさに彼女の自律的な成長を妨害しようとしたのだ。自分は最低な妖だ。彼女の言うように嘘吐きだ。いつの日か、かつての妻に言われた「お前に人間の気持ちは分からない」という言葉の意味をようやく解せたように思う。確かに自分には彼女の気持ちを見抜く力がなかった。自分の胸中を打ち明けたというのに、どうしても無い程の自己嫌悪が襲う。今のイナリには、片膝をつきながら彼女の背中を撫でることが精一杯だった)
…我は最低じゃな。お主欲しさに束縛しようとした。お主の成長を妨げようとした。
この上は如何なる罰を与えられても致し方ないのう。…お主にはすまぬことをした。
…まぁ、仕方ないわ。私もお酒の勢いで言ってしまったところがあるもの。ごめんなさい。
(瞼の縁に溜まった水滴を流れる前に拭い取れば、優しく背中を摩ってくれる相手へちらりと視線を向けて上記を返す。苦言は申したが、なにも彼だけが悪い訳では無く、突然あんなことを言ってしまった自分にも非があるのは分かっているようで。実際酒に酔っていたとは言え、彼を困らせてしまった事実は変わらないし、此方も小さく謝罪を付け足した。
そして、尚も申し訳なさそうに片膝をついたまま話す様子を見つめていれば、彼が言い終わると静かに立ち上がり、背中を撫で続けてくれていた相手の手を取って共に立ち上がらせる。)
……貴方も私も生きているんだもの。感情がある以上、色んな想いが生まれるのは自然なことよ。
…私も自分の想いに素直になるのは苦手だけれど、素直なままで良いと思わせてくれたのは貴方よ?
…でも、そうね、正直…失礼な事ばかり言ってしまっていたし、懸想されているだなんて驚いたけれど。
( その手を両手で包み込んだまま、相手の言葉に首を横に振りながら小さく微笑みを向ける。
昔から、自分の中にある複雑な感情は苦手だった、変なところで馬鹿正直に言葉が出るくせに、他人に弱さを見せたり傷ついているところを見せるのは嫌だった。愛や恋など自分には必要ないとどこか強がって何食わぬ顔で生きてきた。“愛が欲しい”という願望は自分にそぐわない哀れな願望だと思っていたけれど、きっと、抱擁してくれたあの時から、少しずつそんな考えを彼に拭われていたんだと思う。)
……白状するとだな。お主の言動なぞ、かつてここらに集落を築いていた民ほど不敬でもない。彼奴らの馴れ馴れしさに比べればお主は可愛いものよ。寧ろ…我の方が不届きなことをしていたやもしれぬな
(彼女の私物を見たことや、着替えを覗いてしまったことなどを思い出しながら言いづらそうに、への字口になる。いずれもわざとでは無いとはいえ──前者は多分にイナリの意思が介在していたようにも思えるが──不適切な行為だったと人並みには自省する。ただ今はあまり追求されたくないので、具体的なことは言わないでおく。だが彼女の"不敬"な行為を心底不敬とは思っていなかったのは偽らざる本音だった。むしろ心地よくあったのかもしれない。自分の戯言を宥め、時には子供のように扱われた故に、そこに一種の"愛情"を見出していたのかもしれない。愛が欲しいと願った彼女の前で、イナリは分からないと答えた。その答えを持っていたのが彼女だったというのは、なんとも寓話のようだった)
…我自身もお主を想っていると自覚した時、驚いた。そしてお主が放った一言…それを聞いた時、嬉しくもあった。…じゃが同時に我は恐怖してしまったのだ。
……のう、静蘭。我はこの先もずっと生き続ける。今世紀も来世紀も。じゃが…我は生き続けるのに、お主はおらぬ。この社も、いくら朽ち果てようと我と共にあるのじゃろうが、お主だけがおらぬ。それを思うと……恐ろしいのよ。まこと、人の命は儚きものだと。
(微笑みかける彼女とは対照的に、唇を噛み締めながら心底悔しそうにする。幼少の頃より知っている男、イナリの信者だった武士、そして男勝りな妻。今まで近しい人間を失い続けたが故の恐怖だった。在りし日の思い出と共に彼らの死に様が鮮明に思い出される。そして今度は彼女が。彼女の温もりを感じる度に、いつか訪れる"その日"を想像せざるを得ない)
………、私は、“大丈夫”だとか、“ずっと一緒にいるから”なんて、都合の良い事は言わないわ。貴方の長い人生において、私の生涯なんて本当にちっぽけなんですもの。
( 案外自分のやっていたことは不敬でなかったと知り、「そう?」と少しばかり可笑しそうに笑ってみる。しかし、続く彼の言葉を聞いていると、段々と此方の表情も神妙になり、包み込んでいた手にぎゅっと力が入る。
彼の心情を想像すると、少なからず浮かれていた自分が恥ずかしくなるのと同時に、どうしようも無い罪悪感と、愛しさが同時にやってくる。大切な人をたくさん失くした悲しさは計り知れないが、その“大切”の中に自分が居るのかと思うと、不謹慎ながらも嬉しさも感じてしまって、我ながら馬鹿だと思う。)
…私は、貴方が好きよ。好きな人に想って貰えるのは、これ以上ない幸せだわ。
…でもね、貴方がこの先辛い想いをするのなら、やっぱり私は早く去った方が良いのかしらとも思うの。…貴方に、そんな顔をして欲しかった訳では無いのよ。
( 今思えば、まだしっかりと伝えていなかった気持ちを真っ直ぐ彼の目を見ながら伝える。彼の手を包んでいた両手は離され、眉尻を下げながら、悔しそうに唇を噛む彼の頬へ優しく触れた。
気持ちは伝えても、自分たちはまだ恋人になった訳でもなくて、それらしく“触れ合った”ことも無い。それなら尚更、思い出が増えない内にいなくなった方が良いのではないかと思う。
…恋人らしく過ごす日々が増えれば増えるほど、後が辛くなるのは自分もよく知っている。彼の綺麗な顔がこんなに苦しそうになるのなら、私は、この先の幸せは知らなくても良いと思う──そんなのは綺麗事だし、自分に言い聞かせているだけなのは承知だが──とにかく、この数日間の思い出は、きっと彼の長い人生の中では一瞬で、忘れた方が先の彼の幸せに繋がるのなら、それでも、良い。)
…だろうな。お主は気休めを言わぬ。故に好いた。
(改めて彼女が"ちっぽけな存在"ということを肯うと──イナリとしては全くもって大きな存在であるのだが──胸がちくりと痛む。この女子は自分に関すること以外は、正直に言う。だから信が置ける。尤もそれを表立って口にしたことなどないのだが)
……お主がここを出ると言うならば、我も共に参る。
(早く去った方がいい。そんな言葉を彼女の口から聞くと、暫時黙考したのちに言い放つ。そして言った後に後悔した。自分がどれほど勝手なことを言っているのかは理解している。民に貰った社を、長く住み着いた土地を、好いた女子と添い遂げたいという願いのために捨てると言っているのだ。ここにかつての民がいたら、イナリを面罵したことであろう。どこかで必ず報いが来ることくらい、イナリは分かっている。だとしても彼女を手離したくないのだ。それ程までにイナリの中で彼女は大きな存在となったのだった。イナリの言葉を受けた彼女が見せる表情は呆れか侮蔑か。いずれにしてもイナリは緊張のあまり、その場に凝固して動けなくなり、彼女からの反応をただ待つより他なかった)
──フフッ、気を遣ったのに。貴方が着いてくるなら意味が無いじゃない。
( 彼が言い放った言葉に瞬きを数回繰り返すと、思わず笑みを零し、上記に続いて「お馬鹿さんね」と目を細めた優しい表情で笑いかけた。結構覚悟していただけに、共に社を出るという思いがけない本末転倒な提案に拍子抜けしてしまって無意識に入っていた肩の力も抜けていく。
そして、それと同時に再度愛おしさが込み上げてきてもう一度小さく笑った。大切な社から離れると言うほど自分のことを想ってくれているのだろうか。そうなら嬉しいなぁ とも、それで本当に良いのかしら、とも思う。恋とは、実に難儀だと、改めて思う。)
…貴方を大切な社から引き離す訳にはいかないわ。
ただ、そうなると、私が貴方の許す限りここに留まる事になりそうだけれど。
( そんなことしたら罰が当たっちゃうかしら、と肩を竦めて見せる。この社は彼にはきっとかけがえの無いもので、それこそ幾多の思い出が詰まっているはずで、突然現れたこんな人間なんかが彼から奪って良いはずもなく。一方、自分はといえばそもそも神隠しを願った側で、自分の生活に未練もろくな思い出も無い訳で─いつか、彼が抱くこの気持ちが誤りだったと言われても─彼が許してくれる限りは傍に居たいと思ってしまう。どちらにせよ、自分が社に留まるなんてそれはそれで如何なものかとも思うのだが。)
(彼女から返ってきた言葉は呆れでも侮蔑でもなかったが、別の己への愛おしさを含んだ言葉。恐る恐る顔を窺うと彼女の温容を捉え、胸が高鳴った。以前から思っていたが、自分は彼女の一挙手一投足に反応しすぎでは無いか。理性の自分がそうぼやくも、本能の自分はそれを悪いと思っていない。彼女の言葉と表情のおかげで緊張は解け、どっと肩の力が抜けた)
それで良いではないか。ここにいればお主の望みは何でも叶えてやれる。お主が望むのなら、これまでお主が受けた仕打ちを、我がその相手に返してやることだってできる。
…じゃから静蘭。我と共に居て欲しい。
(未だに自分が場違いだと思っているニュアンスの言葉に食い気味で反論する。相手のことを慮っているように思えるが、実際のところは彼女を手放したくないが故の必死の反論だった。彼女を疑う訳では無いが、彼女がイナリのことを好きというのが未だに実感が湧かなかった。酔った勢いの戯言かもしれない。翌朝、何事も無かったかのように接してくるかもしれない。そういうこともないとは言えないから、だからこそ彼女の望みを叶えると力説する。イナリは慎重を通り越して臆病なのだ。特に彼女の前では。)
…仕返しなんて良いのよ。貴方が、私の願いを叶えてくれたんだもの。それだけで今は十分だわ。
( 共に居て欲しい、その言葉に一間の沈黙を得てくすりと笑い、視線を俯かせながら顔を縦にゆっくりと動かした。上記を述べながら視界に彼の姿を映すと、再び優しく微笑みかける。
初めに愛が欲しいと願った自分が、まさか共に居る事を願われるなんて思いもよらず、そのむず痒さに頬が赤らむような感覚を覚える。自分だって本心を全てさらけ出して良いのなら「一緒にいたい」とその腕の中に飛び込んで縋りついてしまいたいが、今は頷いて肯定を示すだけでいっぱいいっぱいだった。自分も存外、好いている者の前では臆病になるらしい。)
少し、肌寒くなってきたわね。長話をしすぎてしまったかしら…。そろそろ中へ戻りましょうか。
(すっかり酔いも覚め、夜風で冷えてきた体を自ら抱いて両腕を数回擦ると、気恥しさも相まって本殿の中へ戻ろうかと促せば踵を返そうと背を向ける。)
──…ッ、!
( 慌てた様子で自分の後を追って隣へ並んだ彼の姿を視界の端に捉え、微笑みを向けようとしたその時、腰に添えられた彼の手に身体がびくりと反応し、此方を引き寄せる力強さに一気に体温が上がった気がして、みるみるうちに顔が赤くなっていくのが分かる。ふわりとした彼の尻尾が身体を包み込むように巻き付いてくると、そっとその毛並みに触れながら、ちらりと隣に立つ彼の顔を見上げた。
何度か彼の柔らかそうな其れに触れたいと不躾な事を言って怒られていたくせに、其方から触れてくるなんて予想外で思わず視線に熱が帯びてしまう。)
…ご、ごめんなさい。とても暖かいわ。
( 驚いてしまった事へは小さく謝罪をして、最後にありがとう、と照れを混じえながら呟いた。)
(/暫く戻って来れずに申し訳ございません。
待っていて頂けて嬉しいです。上げて頂きありがとうございます!!)
む。そうか。
こういうことをされるのはあまり慣れていないよう……じゃな。
(イナリとしては何気なく、ただ寒いと言うから此方の方が暖かいだろうかと思い付きでやった事だったのだが、彼女があまりにも大きく反応するので逆に此方が気まずくなってしまう。彼女の今までの事を考えると仕方の無いことで、安易にこんなことをするイナリに非があるのかもしれない。
チラ、と隣の彼女に視線を向けると、此方に同じく視線を向けていた彼女と目が合う。そしてドキッとする。彼女の熱を帯びた視線。それが蠱惑的に見えたから。イナリは彼女のこういうところに弱かった。ふと気を抜くと此方が思いも寄らぬ事を言うしやる。大人しいようでいて、言動は大人しくない。そんなギャップも面白くて好きなのだが)
…今宵はもう横になったらどうじゃ。
此処は我が片付けておく故…。
(本殿へ入るとそそくさと彼女から離れる。繧繝縁に座ると気まずそうに視線を逸らしながら言う。これからは自分がしっぺ返しを喰らわないように立ち回る必要がある。そうでないとイナリの心が持たない)
(/いえこちらも戻ってきていただけて嬉しいです! さて今後の展開なんですけど、どうしましょうか? なにかご希望があったら何でも言ってください!)
…な、慣れてる訳無いじゃない。経験豊富な貴方と比べないで。
( 慣れていない、と言われると途端に自分が幼稚に思えて恥ずかしくなり視線を逸らして、尚も熱を帯びている顔を両手で包むと反論するように上記を述べる。大学時代の彼とはそれなりに出掛けたりしたが今思えば触れ合うことはほとんど無かった。後々考えれば「罰ゲーム」だったので当たり前だが、当時の自分はどうにか恋人らしく振る舞いたいとお洒落をしてみたり色々頑張ったものだ。一方的に頭を撫でたり服に触れたりするのは何とも思わないのだが、相手から触れられるのには滅法弱い。おまけにお互いに想い合っているなんて状況が初めてなのだから無理もないだろう。本殿に着くと離れていってしまう温もりに少しだけ惜しいと思ってしまうが、緊張が解けて少しだけほっとする。片付けを済ましておくという彼の言葉には小さく頷いて「ありがとう」と礼を述べると、その言葉に甘えて自分は一足先に布団へと身を潜らせて休むことにした。暫くは胸の高まりがなかなか収まらずに眠れそうに無かったが、だんだんと自然と瞼がおりてきて、数分後には横を向いたまま小さな寝息を立てて眠りにつくのだった。)
(/実は、狸さんのお話が出た時から気になっておりまして(
狸さんと静蘭が出会ってしまったらどうなるんだろうという興味があるのですが、どうでしょう??)
(/ なるほどいい考えだと思います!ぜひやりましょう! 狸妖怪はどういう感じがいいでしょうか? 「チャラいイナリ(コメディ5割、シリアス5割程度)」みたいなのを想像してたんですが、狸について希望があれば何でも言ってください!)
(/ ありがとうございます!
私もそれぐらいのイメージだったのでそれでお願いしたいです!人間には高圧的だと思いますが、多分、静蘭ちゃんも負けずに口答えしまくると思うので、お互い『なんだコイツ』となっても楽しそうですし、『口答えする人間面白ろ』となっても美味しい気がしています())
(/ 分かりました! 静蘭ちゃんと狸妖怪の出会いはどうしましょう? このままイナリが眠っている間とか、翌朝どこかへ出掛けている間に神社に侵入して…みたいな感じにしますか?)
(/ そうですね…
翌朝、静蘭が早朝に目が覚めてしまって1人で外に出ている時に、社へ遊びにきた狸さんと出くわす、等はいかがでしょう?)
(/ いいですね! ではこういうのでいかがでしょうか?)
……綺麗じゃ
(盃と空になった瓢箪を社務所へ片付けへ行き、入浴を済ませ戻ってきてみると彼女は眠っていた。勢いで想いを告げ、そして今こうして夫婦でも恋人でもない微妙な関係になった。こんなにはっきりしない関係は不健全、と思うものもいるかもしれないが、今はただ彼女と同じ想いを共有出来ている事実だけで満足だ。眠っている彼女に近付くと、その頬に手を当て優しく撫でながらぽつりと呟く。ハッと我に返ると一つ咳払いをして、そそくさと繧繝縁へ戻る。変化を解くとその上で丸くなり、これからの彼女との接し方に思案を巡らせながら、意識を夢の中へと手放す)
(久しぶりに訪れてみると、そこはよく整えられた空間だった。建てられてから随分と時が流れたのに、当時の姿をほぼ保っている。あの狐のことだから、きっと活気に溢れ楽しかったあの頃を忘れてしまわないようにしているのだろう。意味は分かるが全く理解はできない。しかし間もなく朝日が昇るというのに姿を見せないとはどういうことだろうか)
『イナリ。
イナリおらんのか?
フウリ様のお成りじゃぞー!』
(フウリと名乗った狸は声を張り上げる。だが待てど暮らせど本殿からも社務所からも出てくる気配はない。おかしい。以前ならフウリが入っただけで飛んできて何をしに来たと睨めつけるのがお約束だったのに。裏の風呂にでも入っているのだろうか。ゆらゆらと身体を揺らしながら裏の露天風呂へと向かう)
( 空が白み始めた頃ぱちりと目が覚めた。静寂の中で小さな寝息が聞こえると、上半身を起こして繧繝縁の上で丸くなって寝ている彼の姿を視界に捉える。目を細めて思わず口元を綻ばせるが、彼の寝顔を眺めていると昨夜の出来事が嘘だったように思えてしまう。しかし、あれは紛れもない事実で、思い出しただけでもまた熱を帯びてしまいそうで、首を横に振って深呼吸をするとゆっくりと立ち上がる。あまり長い間睡眠を取った訳では無いが、熟睡したのかすっかり頭も目も冴えてしまい二度寝をする気も起こらなかった。寝ている彼を起こさないように静かに本殿を抜け出すと、小袖や乱れた髪を手で整えながらまだ薄暗い空を見上げる。)
──…、誰?
( 心地の良い風に当たりながら社周辺を散策し、裏にある露天風呂への道まで来ていた。周囲に咲く花々に足を止め、特に何をする訳でもないがただしゃがみこんで其れらを見ていたが、ふと、背後から近付いてくる音に背筋が伸びる。立ち上がり、音のする方へじっと顔を向けると、呟くように上記を述べた。)
(/ ありがとうございます!
また、改めましてよろしくお願いします!何かあればまたご相談しましょう!)
『……やあやあやあ。俺の姿が見えるんだ。今どきの人間にしては珍しいね』
(露天風呂へ行くとそこには見知らぬ女がいた。イナリと最後に会ったのは昭和が終わる頃だが、その時は斯様な女はいなかった。すると肝試しか何かに来ている女だろうか。いずれにしてもコイツは背を向けている。その無防備な背中に飛び付いて驚かせてやろうか、なんて思っていると何とその女はこちらを振り返り、自分の存在を認めたでは無いか。しかもさして驚く様子もない。フウリは一般的なタヌキより二倍も三倍も大きな図体をしているし、顔付きだって狸というより狼のように凶暴で、しかも理知的──これはフウリが自称しているだけだが──で一目で他の狸とは違うと分かるはずなのに。これは久方ぶりに弄べそうな人間だ。一瞬ニヤリと笑うと、すくっと立ち上がり優しい声色で話し掛ける。口調も現代人に親しみ易いように砕けさせて。まずは甘く優しく。そして後に圧を掛けながら支配的に。それがフウリが人間で遊ぶ時の遊び方だった)
………多少、妖は見慣れているので。
( 優しく声音が耳に届くが、此方は一向に顔色を変えずに淡々と上記を述べる。驚いていない訳では無いが、元はと言えば顔に出にくい性格故、未だ冷静を保っているように見えるだろう。
やってきたのは大きな図体をした動物で一瞬何者か分からなかったが、その色味や模様、尾の形から察するに狸の妖だろうかと推測する。となれば、脳裏に浮かんだのは彼が口にしてた西の社の事。目の前にいるのがその社の主なのだろうかとじっと視線を向けるものの、此方から歩み寄ることはしない。確か彼は「相手にするな」と言っていた気もするし、今までの口ぶりからするにあまり良好的でなかったのか否か…此方からすれば不透明な関係性だったはずだ。
とはいえ、既に相手と話してしまったので「相手にするな」という助言はあっさり破ってしまった気がするのだが、少なくとも警戒心は怠らないでおこう、と堂々とした態度で再度口を開いた。)
イナリ様なら居ないけれど、一体どのようなご要件かしら。
(妖を見慣れている? それでようやく分かった。この女は肝試しに来ている訳では無い。着ている装束とこの冷静さからして、あの変化バカの新しい妻か妾なのだろう。数百年前に妻を喪ってからすっかり意気消沈していたが、ようやく次の女を娶ったか。しかし今度も人間の女とは。全く人間ごときの何がそんなに良いのだろう。力は無いしすぐに死ぬし。此方からすれば赤子程度の存在でしかない。そんな存在でしかないのに、このフウリを見て顔色一つ変えない。こういう女は嫌いだ)
『不在なんだァ。それは残念。イナリ君とは幼き頃から知った仲でさ。久しぶりに顔を見に来た。あ、俺の名はフウリ。見ての通り狸妖怪』
(何の用件だと問われると一瞬ピクリと尻尾が逆立つ。何かこの女と話していると嫌な気持ちになる。フウリを前にしてこんなにも堂々たる態度をしている女に会うのは二回目だ。変化バカの最初の妻。男勝りで肝っ玉の大きかったあの娘。彼奴もこのフウリを前にこんな態度だった。尤も向こうはもっと乱暴な口調だったが。何故こういう女ばかり傍に置いておくのか。一言物申したくなるがグッと堪えて努めて笑顔で返す。イナリ君だなんて呼んだこともない呼び方をしたものだから毛が少し逆立つ。自己紹介をするとわざとらしく前足を差し出して握手を求める)
私は日向 静蘭。…狸の妖なら、私、貴方の社に何度か行ったことがあるわ。
( 幼い頃から面識がある、と言う相手には「あら、そうなの」と返事をし、お返しにこちらも自己紹介をしておく。
知り合いであることは勿論知っているが、なんとなく無知のふりをしておいた。勝手に彼伝ての話をべらべら喋るのは良くないかもしれないから。その代わりといってはなんだが、昔自分が社によく立ち入っていたことを話し肩を竦める。狸の姿なんて見たことがなかったので、きっと彼自身も自分の存在を知る由もなかっただろうが…、結構あの社にはお世話になっていた。
だが、彼の話し方にはなんとなく違和感を感じる。笑顔が張り付いたその瞳の奥は全く笑ってはいないように思うし、ざわざわと逆だっている体毛はいかにも居心地が悪そうだ。)
…ごめんなさい。妖様に触れるのは不敬だと教わっているの。
( 差し出された前足を暫く見つめ数歩近づいたはいいものの、その手を取るかどうか悩んだ末に出た答えがこうだった。厳密に言えば自分が勝手に触った後によく言われていた言葉なのだが、どちらかといえば今の使い方の方が正しい気がする。)
『へえ…日向って姓なのにあんな薄暗い所を好むなんて物好きだねえ』
(何度か来たことがあると言われてもピンとこない。あの社は既にフウリの本拠では無いからだ。今のフウリはもっと山奥の洞窟を根城としている。元より人間が勝手に建てた社だ。情けで住んでいただけに過ぎない。今となっては気まぐれで何ヶ月に一回か降りて来るだけだ)
『……イナリ君からいい教育を受けてるんだねえ。できた奥さんだね。…それとも俺には触れるなとか言われてるのかなあ。イナリ君、俺に意地悪ばかりするから』
(握手を拒否されると暫しの間笑顔を貼り付けたまま硬直する。前足を降ろしながら小さく咳払いすると嫌味のように褒める。今ので決めた。この女を絶対に泣かせる。このフウリにこのような態度を取ったことを後悔させてやる。フウリはイナリの数倍短気だった。そして目的のためには手段を選ばない事を美徳としている。フウリは必ずこの女の泣き顔を見届け、それをイナリの眼前に差し出す事を決心した)
あら、奇遇ね、私も自分の性はあまり似つかわしくないと思っていたの。貴方と感性が似ていて嬉しいわ。
( 自分の性について言及されるとちらりと視線を外しつつも平然と言葉を返し、言い終わった後には小さく笑ってみせる。皮肉な事に初めてこの社で自己紹介をした際、自分でも似合わない、と比喩したことがあったが、目の前の狸に言われる筋合いは無かった。自身の社を薄暗いと表現するあたり、この社を大切にしている彼との違いは明らかだ。それに、相手の話し方はどことなく大学時代の頃を彷彿とさせる…優しかった口調が一変し、あくまで揶揄うようにして段々と此方を高圧的に捉えてくる。この社に来て随分と気持ちが溶かされた気がしていたけれど、再度表情が固まるのを感じる。
次いで自分の事を“奥さん”だと表現する言葉には一瞬眉を動かし、まだ自分たちが名も無い関係性にあることに気付いた。)
奥さんじゃないわ。
…それより、折角遊びに来たのなら温泉にでも入ってきたらどうかしら?イナリ様には私から伝えておくわ。
( 一言はっきりと否定するとその他の言葉には返事をすることなく、誤魔化すようにこの先にある露天風呂を話題に出した。そして「 私はもう戻るから 」と澄ました顔のまま相手の横を通り過ぎようと歩みを進めた。)
『まあまあ待ってよ。人間と話すのは久しぶりなんだ。俺も人間が好きでねえ。イナリ君が帰ってくるまでの間、話し相手になってよ』
(横をすり抜けようとする彼女の腕を掴むと尻尾を身体に巻き付ける。簡単には逃がさない。そんな意思を込めて彼女に顔を近付ける。憂いを帯びたような顔。幸薄そうな女だと思った。だが顔が整っているので妙に色気がある。容姿は悪くないが態度は最悪だ。ふと思った。なぜ自分は警戒されているのか。それは自分が妖の姿のままでいるからではないか。こういうタイプは同族には騙されやすいのでは無いか。イナリと一緒にいるのも彼奴が気取っ人間の姿でいるからでは無いのか。自分は変化などは全くしない。イナリのように精巧な変化は無理でも、この女一人を騙せる程度の技量はあるかもしれない。そうと決まれば、とボフという音と共に耳と尻尾を残して人間の男性に擬態する。嫌味のようにイナリの人間体に似せてやった)
『こっちの方が話しやすいでしょう? ねえ奥さんじゃないって言ってたけど。だったらどうしてこんなところにいるんだい?』
( 腕を掴まれ引き戻されたかと思った矢先、相手の尻尾が身体に巻き付いて行く手を阻む。近付いてくるその顔を見つめて少しばかり怪訝そうな顔をするが、特に暴れたり抵抗する気はないらしい。その代わりに「離してちょうだい」と口を開こうとした時、空気の含んだ音と共に軽風が飛んできて反射的に目をつぶってしまった。風が収まったのを感じてゆっくり目を開けるとそこには見慣れた姿があった…というのも、おそらく狸が化けただけだとすぐに理解したが、わざわざ似せて変化する姿に眉間のシワが少しばかり深くなる。おまけに、こっちの方が話しやすいでしょ、なんて言う相手に対し、動物の方が好きだわ、と直球に言葉を返しそうになったけれど何でもかんでも食らいつくのはやめようと出かかった言葉を飲み込んだ。)
色々と嫌になって、この社で神隠しを願ったの、そうしたらイナリ様が叶えてくれただけ。
…言っておくけど、お相手するほど面白い話題は持ち合わせていないわよ。
( しかし、続いて問われた内容に関しては無視してもしつこそうだと感じたのかそのまま上記を答えた。今となってはお互い絆されて離れがたくなった、とまでは流石に言わなかったが、これも決して嘘ではないだろう。)
『ははははっ! か、神隠し?! ふはは、そんなものを願ったのか! まるで江戸の世だな!』
(神隠しなどという凡そ現代で聞く機会のない言葉が彼女の口から飛び出し、更にはそれをイナリが叶えてやったと聞けば思わず大口を開けて笑ってしまう。酔狂にも程がある。今どき神隠しを願うこの女もそうだが、それ以上にイナリがたまらなく滑稽に思えた。神隠しをするということは魂を自分の手元に置いておくということ。それはつまり彼女の魂を縛り付けておくこと。人間は身勝手だ。きっとこの女も今にここでの暮らしが嫌になり、イナリから逃れようとするだろう。そんな不安定で身勝手な存在をわざわざ手元に縛り付けておくとは。全く後先考えないバカのすることだと、思わず素で笑ってしまう)
『…静蘭さんは面白い人だねえ。だからイナリ君に相当気に入られてるんだねえ。小袖まで与えてるんだから。良かったねえ。でもイナリ君の相手をするのも大変だろ? 仲間の狐からも疎まれる位なんだから』
(一頻り笑うと咳払いを一つし、すぐに先程と同じ様に取り繕う。嫌なことがあったから神隠しを願った人間とそれを受け入れた九尾。チグハグなようでいて似た者同士だ。面白い話題などないと言っていたが、彼女とイナリを見ていれば話題などなくても十分に面白い。だからもっと話を引き出したくて、彼女に色々とアイツにとって都合の悪いことを吹き込んでやろうと悪巧みする)
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