2024-01-04 23:14:52 |
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( 空に浮かぶ月を抱き締めた。優しく、淡く、わたしを照らす青ときんいろの満月。月は妙に温もって、ゆるりとゆるりと手のひらをくっ付けては別の面に触れる仕草を繰り返す。離れがたい温度が傍にある。それだけで、さらりと心は軽やかに、心地の良い眠りへ誘われた )
( 綺麗なものを掴んではいけないと思っていた。
許されないのだから、手に入らなくても仕方ないという理由を探していたのかと今になって思う。けれど、それは些事で。とっくに手の中に握られていた。そして、真実の姿で見つめられなかったことも含めて、辿るべき道だったのかと )
(太陽を手放して夕焼けの街を走り出す。呪いと祝福を振り切って裸足で駆け抜ける。色鮮やかな讃歌とは逆方向、淡い童歌が聞こえる方向へ無我夢中で走る。壊れた足に血が通う錯覚は、駆け抜ける楽しみを再び見つけ出す始まりだと信じたい。)
「 レールとプレイリスト 」
(好きだった曲をプレイリストから消した。秀逸な歌詞は、空いた穴に入り込んでかろうじて埋め合わせて、体を再び動かす役割を担った。奏でるメロディが、快晴の向こうに飛んでく風船のようで、追いかけるみたいにいつまでも聞いていた。音に乗せて走って走って走っていたら、穴の中で言葉が、がちゃがちゃ混ざる音が内側に響いていた。それまでかろうじて埋まっていた言葉が、外側にぼんと放り出されて宙を舞って、地面に散らばるワンシーンが見えた。映画みたいだと思っていたら、振り向きざまに見えた背中を押す私の姿で、やっと自分事だと気付いた。特別な意思があるとか、自棄とか、決意があったわけじゃない。ただ、今はいいと、ゴミ箱マークを押してリストから消した。
――レールを踏み外すことが怖かった。間違っても足を滑らせないように、地に落ちることばかり気にしていた。土を踏み締める感覚と歪まない視界が恋しくなった頃にはとっくに実体を失くしていて、それももしかしたら最初からあるように見せかけていただけなのかもしれない。何もなくなったし、何もなかった。壊れた足じゃ、土を踏む感覚だってまともに分からない。分からないのに、視界は変わってしまった。歪む時間が、少しずつ、少しずつ短くなっていく。そしてまた歪んで、それでもほんの数秒程度、視界が澄むの繰り返し。歯を食いしばっていた時に欲しかった澄み切った視界は結局手に入らなくて、レールから転げ落ちて得たものはゴミ箱の底に捨てられていそうな何か。変化みたいな思い込み。一目でわかる価値どころか、手にした人間すら価値が分からないほどちっぽけな何か。今更遅いのに、足は戻らないのに、空っぽなのに。――レールから落ちて、壊れた先で、子供みたいにわんわん声をあげて泣きじゃくった。嫌になるほど安心した。泣き疲れて眠った日は、溺れる夢を見なかった。
プレイリストの中は今日も変わらない。消して増やして、時に戻して、また消してを繰り返している。嫌になったり、飽きて消しているわけではない。新しい曲を崇めているというのも違う。この行動に意味なんてないと思う。だけど例えば、意味はないと言った一言がどうでもいいとか私にとって無価値なものを示唆していると言われれば――私ははっきりと否定するだろう。また今日もプレイリストを再生する。レールの上で聴いた曲も、壊れた足と一緒に聴いた曲も、この瞬間に流している曲も。ゴミ箱の外と中を行き来して今日を過ごす。一瞬だけ、視界が澄んだ気がした。)
(劇場の端で、射貫くようなまなざしを向ける女性がいた。――僕は役者だ。視線を集めることは呼吸と同じであり、彼女のような存在は日常茶飯事だ。食い入るように見ては、笑顔も浮かべずにホールから立ち去る。鳴り止まない喝采の中にいても、彼女は笑わなかった。ある冬の日、一つの公演を行った。悲劇にも喜劇にもなる台本で、僕らが作り上げた喜劇を披露する。自信に満ちた本番前、観客席の中央に例の彼女がいた。力強く華やかな舞台を、彼女は気にいるだろうかと邪念が働く。本番前、何度も経験してきっとこれからも生まれ続ける迷いの芽を撫でてやる。摘み取ることはしない。ただ、成長する方向が違ったのなら、向きを変えてこの手で包むだけ。座長の呼びかけに応じる。――舞台の幕が上がる。
彼女の背を追いかけた。早く見つけなければ、大歓声が響くホールで幕が降りる数秒前に瞳を見開いていた意味を知りたかった。彼女がもうすぐ扉から出てしまう。振り絞った一声で振り向いた顔は、ただ純粋に驚きだけを帯びていた。観客席で見えた表情の意味を知りたい一心で次の言葉が出てこない。僕が狼狽えていると、彼女が口を開く。とても良い舞台でした。あなたが演じたエトワール、素晴らしかった。震えで裏返った声と緊張した笑顔が印象的で、観客席の彼女とは別人だった。もう一つ、今度は僕が問いかける。教えてください。今までの舞台と何が違いましたか。今回初めて貴女は笑ったはずだ。納得の表情で、一瞬だけ口角を横に引いた彼女は答えた。どの劇も素晴らしかった。でも、今日初めて上を向いてみようと思って観た舞台だった。
交わした言葉はそれが最後だった。僕は今日も演技を楽しみ続ける。舞台の幕が上がる。本番前、生じた迷いを片手で包む。顔は少しだけ上向きに、とびきりの喜劇を今日も届けよう。)
(何気ない話の過程で、彼女は張り付いていた呪いの一部をあっけらかんと剥がした。何事もないように呼吸をするように当たり前に、一瞬で終わらせてはじける笑顔で笑う。相変わらずの破天荒に一歩引いた部分も噛み合わない考えもあったけれど、彼女は忘れた頃に大事なことを教えてくる。隣に大事にしてくれる人もいるようで安心した。この先もずっと、楽しく生きて欲しいと思う。)
「 マーブル 」
(雨と雷鳴の音で目が覚めた。喉元には僅かな苦しさが宿っていて、カーテンを閉めた室内が一段と暗い気がした。微睡をぼんやりと通り抜けるとまた思考を繰り返す性に堪らず布団に潜り込む。昨日、透き通った純粋な想いで大好きを謳う物語に触れた影響かと考えたけれど、あの物語の余韻を大切にとっておきたくてそれ以上は放っておいた。ずっと答えを探している。外側にばかり向けた探知機を内側に向けてずっと探し続けている。本当は、歪みを癒して歩いた道を答えと呼ぶことに気付いている。けれど今はもう少しだけ、この曖昧なマーブル模様を抱かせて。)
(学びと自戒を探し漁って見つけたものを全て詰め込んだ。好きなものと祈りを沢山詰め込んだ。両肩の荷物は地面に落ちて、今はただ遠くを眺めている。空になり、ゆっくりと歩くようになった今では恐怖に備えた学びも誰かが呟いた自戒も、本当は少し遠くに置きたいのかもしれない。)
( 見つけてくれてありがとう。ふと目に留まったひとこと。好きな人達がそう口にしていたことを思い出して一体どんな気持ちで紡がれたのか気になって唱えてみた。甘やかで、安らかな心地がした。)
「 8/17 10/27 」
( 秋から冬へと向かう今、夏に交わした小さな約束を果たした。言葉を紡ぐことが難しくなった今、あの子に何を渡せるのか。欲を自覚できない自分では面白味がないと踏み出さず、夜に数百年生きた人間みたいに好きに生きれば良いと語った矢先だった。前後に存在する感傷に影響されたのかもしれない。幾度か見逃したのに身勝手かもしれないとブレーキを踏んだ。それでも、この約束を果たすのはきっと困難で叶えられないかもしれないと思っていた自分に生まれた選択肢を選んでもいいじゃないか、と。――どうせ短い人生だ。刹那でも永遠を誓えなくても責め立てられることは無いし、何より安寧に程遠い道は嫌と言うほど歩き慣れている。
――――星と後悔と思い出に導かれ、しかし確かに果たした約束。遠ざけた恐れの内側には僅かな明るさが実っていた気がした。その約束を忘れてしまわないよう瞳を閉じる。忘却の海に呑まれ、例え忘れてしまっても再び思い出せるように。 )
(心ひとつ、夜の静寂に溶けてゆく。夜の色に背中を預けて音のない時間そのものに身体も溶けてゆく。陸を目指して泳ぐ魚のように夜空へ向かって言の葉たちがひらりひらりと舞い散る様子を眺めて飽きた頃、瞼をゆっくりと下ろしてしまおう。朝の光が降り注がなくても、あのメロディが聞こえなくなっても、僕は再び目覚めると信じて。)
『 レコードに花束を 』
(あの頃のように上手に笑えていたのか。鍵を掛けてしまったはずなのに、鍵は壊れていた。失くした自己が今日も見当たらないまま手放した自己が戻ってきた事実が刺すように冷たかった。舞台に上がることも無いのだから、壊れて使わなくなったレコードを戸棚の奥に隠すみたいに雪に紛れてしまいたかった。
そんなことないよ。きっと自嘲を隠しきれなかった。次はあの頃みたいに上手に笑うよとはにかむ。少し心が痛んだ。だけど、いつも冷たい私の手が流れる涙がこの瞬間だけは温かかった。)
(夢の海を一人歩いていた。流れは穏やかで、水面には淡い月の道が浮かび上がっている。この道の向こう側に彼女は行ってしまった。笑いながら、もうリグレットではいられないと口にして。行かないで、とは言えなかった。自分の形が歪む苦しさを知っているから。行かないで、とは言いたくなかった。誰かの形を意のままに歪めたくなどないから。自由の為に魂を放り投げたことを今でも悔いているから。バランスを崩しかけた瞬間、何とか体勢を立て直して顔を上げる。――自分の足で立たなくちゃ。夢の海は相変わらず冷たくて月が無ければ一面の黒だ。それでも、歩いていかなくちゃ。澄んだ世界で見た星と音楽と物語がある。きっと、大丈夫にして見せる。怒りも涙も笑顔にももう許しは必要ないのだから。)
(春の星を宿す詩人。度々名を変えている。瞳は夜色。星言葉は「君の願いを纏う」。寿命は100年ほど。筆跡には少しの銀の煌めきが宿り、綴った詩は死したあと川の記憶に刻まれる。)
https://shindanmaker.com/1180332
『 海の揺り籠 』
(神の終わりを見た。神の亡骸が花弁に変化して教会の壁に一斉に吹き荒れた。穏やかに散った姿が暖かくて、眩しくて、羨ましいと思った。
皆の理想の神になりたい。誰も苦しめない。誰も傷つけない神様。誰かを祝福する為に尽くそうと思った。誰かが告げた。お前の神は穢れている。抗って、力尽きて、覚えのない罪を受け入れた。一人だけ、私を信じると主張した者もいた。私は真偽を見極められずに杖を下ろした。穢れた神が去ると聞いて、幸せに笑う村民たちの声に目を伏せた。
北の海岸で、花冠を籠に乗せて海へ流す人々を老神と眺めていた。あの神は、きっと幸せだった。沢山の人間に愛され、祝福を授けていた。心底村民を愛していた。讒言を憎み、村民を軽蔑しながら願いを叶えた神とは違う。村民の声を遠ざけた神とは違う。誠実な神様。
躊躇った末に淡い花冠を編んだ。乗せた籠が荒い波に攫われて姿を消したとき、小さな子供が空に花冠を掲げて叫んだ。かみさま、ありがとう――と。八つにも満たない子供の叫びに、胸が締め付けられた。
数々の花冠が静かな海を彩る。私も人々に惜しまれて愛された神のように、人を愛し、自分自身を愛し、信じたいと思った。自分の心に、正直に。)
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