2024-01-04 23:14:52 |
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「 レールとプレイリスト 」
(好きだった曲をプレイリストから消した。秀逸な歌詞は、空いた穴に入り込んでかろうじて埋め合わせて、体を再び動かす役割を担った。奏でるメロディが、快晴の向こうに飛んでく風船のようで、追いかけるみたいにいつまでも聞いていた。音に乗せて走って走って走っていたら、穴の中で言葉が、がちゃがちゃ混ざる音が内側に響いていた。それまでかろうじて埋まっていた言葉が、外側にぼんと放り出されて宙を舞って、地面に散らばるワンシーンが見えた。映画みたいだと思っていたら、振り向きざまに見えた背中を押す私の姿で、やっと自分事だと気付いた。特別な意思があるとか、自棄とか、決意があったわけじゃない。ただ、今はいいと、ゴミ箱マークを押してリストから消した。
――レールを踏み外すことが怖かった。間違っても足を滑らせないように、地に落ちることばかり気にしていた。土を踏み締める感覚と歪まない視界が恋しくなった頃にはとっくに実体を失くしていて、それももしかしたら最初からあるように見せかけていただけなのかもしれない。何もなくなったし、何もなかった。壊れた足じゃ、土を踏む感覚だってまともに分からない。分からないのに、視界は変わってしまった。歪む時間が、少しずつ、少しずつ短くなっていく。そしてまた歪んで、それでもほんの数秒程度、視界が澄むの繰り返し。歯を食いしばっていた時に欲しかった澄み切った視界は結局手に入らなくて、レールから転げ落ちて得たものはゴミ箱の底に捨てられていそうな何か。変化みたいな思い込み。一目でわかる価値どころか、手にした人間すら価値が分からないほどちっぽけな何か。今更遅いのに、足は戻らないのに、空っぽなのに。――レールから落ちて、壊れた先で、子供みたいにわんわん声をあげて泣きじゃくった。嫌になるほど安心した。泣き疲れて眠った日は、溺れる夢を見なかった。
プレイリストの中は今日も変わらない。消して増やして、時に戻して、また消してを繰り返している。嫌になったり、飽きて消しているわけではない。新しい曲を崇めているというのも違う。この行動に意味なんてないと思う。だけど例えば、意味はないと言った一言がどうでもいいとか私にとって無価値なものを示唆していると言われれば――私ははっきりと否定するだろう。また今日もプレイリストを再生する。レールの上で聴いた曲も、壊れた足と一緒に聴いた曲も、この瞬間に流している曲も。ゴミ箱の外と中を行き来して今日を過ごす。一瞬だけ、視界が澄んだ気がした。)
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