主 2023-02-11 00:33:03 |
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_夜中に女一人の住まいに御前みたいな図体大きい男が訪ねてきたら警戒されるに決まってるだろ。
( 裏道を通って町娘の家へ向かえば先客が。
しかも最近良く見知った顔。
相手からの情報も欲しかったため一辺に済んで丁度良いと思い近づこうとしたが何やら様子が可笑しい。
暫し様子を窺っていたがいよいよ空気が怪しくなってきた為、相手の背後から半分故意に気配を消してしれっと横入りして。
「悪い、盗み聞きする気はなかったんだが声が聞こえてきてな。御前が受けた“依頼”もだいたいわかったよ。…千代(チヨ)さん、この姿では初めてだったね。ちょっと君を狙う良くない話を聞いて心配で来てみたんだ。此奴はこんな見て呉れだけど子供に優しいし意外と律儀な男だ。信用はしていいと思う。大名のところへ行くなら俺も隠れて付いていくつもりだし。」
( 相手の横に立ち口元を覆っていた布を下ろして顔を晒せば戸惑う町娘を安心させるため名前を呼びいつものように双眸を緩める。
町娘には己が“そういう”界隈にあるのは伝えていたためか割りとあっさり受け入れられ。
そして相手の見て呉れが不良だと思ったことはないものの、揶揄い含めてぽんぽんと肩を叩いて。
「千代さんの母親のことは俺も良く知らないけどこの男が何か知ってそうだし話だけでも聞いてみたらどうかな。と…此処で話すのも目立つから戸口迄でいいから入れてくれる?」
( 時間はないだろうが町娘が納得しないまま大名の元へ連れていくよりはいいだろうと提案し、町娘が己と相手の顔を見比べ渋々だが首を立てに振り了承したとき__
『おー、もう俺たちより先に情報聞きつけてきた奴らがいるじゃねぇか。』
『悪いが報奨金は俺たちのものだぜ。痛い目見たくなかったら其処をどいたどいた。』
( 暗い夜道に響く男たち声。
気持ちのいい、絵に描いたような不逞浪士。
大方、報奨金の噂を聞きつけた野次馬の類だろうが、しっかり刀を向けてきていて。
『っておいおい、其処の大きいのはちょっと前に見世物屋をざわつかせて男じゃないか。此奴も手に入れられれば、もっと金になるぞ。』
( わいわい騒ぐ男達に少々呆れ気味の視線を送りつつ、相手を己の背後にグイッと押しやって「あまり騒ぎになって人の目に付くと厄介だ。御前は千代さんと家の中に。此処はどうにかする。話が付けば裏手口からでも大名の元へ行くといい。」
( 視線は男達に向けたまま鞘に手を掛け、身勝手な策の押し付けになるが相手にだけ聞こえる声量で告げて。)
(相手が登場し事を収めてくれたのも束の間、現れた不定浪士の存在に身構えるも相手の耳打ちに僅かに眉を顰める。
己は相手の能力は知らない為、其の役回りは自分が請け負うと言いたかった物の娘の存在の事を考えれば迅速に行動するのが得策。
「怪我するなよ。」
己自身何でこんな言葉を言ったのかは理解出来なかったが、あまりに自然に相手の身を案ずる言葉が出た。
其れは最早“言い慣れている”と言う感覚に近い感覚で。
娘を肩に抱え相手に背を向け一目散に走り出すも娘は相手の身が心配な様で喚いており。
「五月蝿ぇな。こんな時間に騒いでたら見付けて下さいって言ってる様なもんじゃねぇか!」
『だって先生が!嫌よ!下ろして!私戻るわ!』
「あんたが行った所で足手纏いでしかないんだよ。分かったらさっさと依頼を完遂させろ。俺は彼奴(相手)の敵じゃない。」
自分の言葉に多少の緊張が解けたのか僅かに大人しくなった娘は『それにしても貴方。女子を肩に抱えて運ぶなんて本当に野蛮ね。先生だったらきっとお姫様みたいに横抱きにしてくれたわ。』と悪態付いて。
(城に辿り着き従者に内容を告げればあっさり大名の元へと通される。
大名の横には娘の母親である花魁が大名の盃に酒を注いでおり、己と娘の存在を目にした途端僅かに目を見開く。
『御大名様、嫌だわ。あちきに飽きて若い女子に目移りでありんすか?』
僅かに上擦った声で花魁は大名に擦り寄るも大名は花魁の肩を抱き寄せたまま下卑た笑みを浮かべており。
『何を言っているんだ。千早(チハヤ)。あれは御前の娘だろう。…そして儂の娘。ほう、母親に似て美しいな。こっちに来い。』
『お、御大名様。あちきに娘なんていませんわ。』
『嘘を吐くな。御前もよく見てみろ。瓜二つじゃないか。』
娘は初めて見た父親の存在と、幼い頃の記憶しかない母親に娘である事を否定された事からわなわなと震えており其の足を一歩踏み出した所で娘の腕を掴む。
「さて。顔合わせは済んだか?」
無表情のまま大名に問い掛ければ大名は片眉を上げ不服そうに己を見詰めて来て。
『何。家族水入らずの時間が欲しいだけさ。御前はもう下がれ。』
「そうは行かねぇよ。俺はあんたの娘の護衛も請け負っている。このまま街に帰すまでが任務だ。』
怒りに身を任せ立ち上がる大名から娘を庇うように前に立つも娘は己を押し退け険しい表情のまま大名の前に立ちはだかる。
『家族水入らず?笑わせないで。私には父も母もいないわ!…何なのよ。二人揃って娘を攫わせて…。馬鹿にするのも大概にして!』
『小娘が。頭に乗りおって…、』
花魁は酷く辛そうな表情のまま大名を落ち着かせようとしていた所、大名の合図一つで部屋の外で待機していた従者達が己を取り囲む。
やはり一筋縄では行かなかったかと頭を抱えては、刀を抜き、構え、「学習能力が無ぇな。前回の俺を忘れたか?恐ろしい化物から尻尾巻いて逃げたのは誰だったっけな。」と従者達を挑発し。
従者達を脅すように大名に刀を向けた所、動き出す従者達に紛れ花魁は娘の腕を掴み悲痛な表情のまま『逃げて!』と叫ぶも娘は腕を振り払い『触らないで!』と。
このままじゃ埒が明かない。
花魁が娘を庇い続けてしまえば花魁自身が処罰の対象になる事も容易に想像がつく。
きっと相手も此方へ向かっている筈。
ならば取り敢えず少し強引なやり方にはなるが黙らせるのが得策かと。
娘を再び強引に肩に抱えれば片手の刀は離さずに「手を出してみろ。大事なお嬢様も傷物になるぜ。」と。
そのまま大名に向き直り「さて交渉の時間にしよう。娘との顔合わせは済んだ筈だ。其れ以上の用事があるならさっさと話してくれ。」と言い放ち。
_全く不本意だが便利だな…。
( 相手が娘を抱えて颯爽とした身のこなしで去った後、当然男達は激昂しその後を追おうとした。
然し、己の能力により報奨金のことは偽りだと思い込みお家に帰って貰ったところ。
代償があり欠陥があるとはいえ世を統べるのに便利過ぎる能力。
便利過ぎるが故に一人の男を狂わせた。
_『御前のせいで__母さんは死んだんだぞ!』
_『何故躊躇う。金が必要なんだよ!!』
脳裏に過る一度消えた過去の記憶。
己と同じ藍色の髪に目元が良く似た男が疲弊した顔で怒号を飛ばす。
少し感傷的になり嘲笑と共に一人ごちれば緩く首を横に振って拳をそっと握る。
相手が去り際に残した、たった一言。
“怪我をするな”と。
その一言で何故か心が震え、鼓舞させた。
今更だが依頼でもなく金にもならない案件に首を突っ込みすぎではと思うも本当に今更過ぎるため、相手に加勢すべく夜の街を走って。
( 一方大名の屋敷、大名は相手の機転を働かせた行動に顔を赤くして息を荒げており。
『御前、何様だ!交渉も何も儂の娘なのだから自由に扱って何が悪い。娘を此方に渡せ。何、悪いようにはしない。部屋は今住んでいる家の何十倍の広さ、金にだって困らない。身の回りの世話も全部使いの者がやってくれる。』
『そんなのいらない!私は今の暮らしがいいの!』
『その頑固な所、母親にそっくりだな。千早、この小娘が実の娘だと認めて二人共儂の元に来れば何も言うことはない。御前もいつまでも鳥籠の中では窮屈だろう。』
( 大名は下衆な笑みを浮かべて花魁と娘を交互に見る。
勿論傍に置くだけなんてことはなく、二人の美しさや人脈を利用するだけ利用するつもり。
大名にとって二人は道具でしかなく。
と、張り詰めた空気の中、静かに開く襖。
入ってきたのは従者で何を隠そう此の従者の正体は己である。
宣言通り隠れて屋敷の中へ侵入し、途中からではあるが大方会話を聞いていた。
大名との話し合いよりも一時花魁と娘を話し合わせたほうが良策に思え、一旦その場を離れ裏手口にいた見張り役を気絶させて着物を拝借し、髪は布で隠して軽く変装した次第。
顔は知れている為、直ぐ気付かれる危険性はあるが相手も居るし何とかなるだろうと。
『なんだこんな時に!この状況がわからんのか!』
「ご尤もで御座います。立ち入っているところ誠に申し訳ございません。ですが、大切なご来客が、」
『なんだと?こんな時間に無礼な!大切なのは今だ。こんな時に客人を通すなど御前もどうかしている!』
( 苛立つ大名に臆せず傍によればそっと耳打ちを。
その客人は大名よりも偉い地位の名前。
当然此の場凌ぎの嘘のためこの後は適当に話を合わせとんずらするつもり。
「…ですから今は千早様にもお帰りになって頂いたほうがいいかと、」
( 駆虫を噛み潰したような顔をする大名、然し自身よりも地位が高い客人を放っておく訳にはいかないだろう。
変装は簡易的なもの、相手にはバレているだろうと踏んでさっさと娘と花魁と共に此の場から離れるよう目配せして。 )
(従者に扮した相手に気付いたのは相手が部屋に入って直ぐの事。
最早嗅ぎ慣れた相手の匂いに視線だけを其方にやり小さく頷く、…がしかし、相手は一体どう此処を切り抜けるつもりなのか皆目見当も付かない。
兎にも角にも相手が作ってくれた隙を逃す訳には行かない。
花魁と娘を追い出すかの如く共に部屋を出ては花魁が困ったように己を見上げて来ては『御前さんには、驚かされてばっかりだね。』と。
花魁に案内され、屋敷から直通でもある通路を通り花街へと出れば娘を花魁に預け己は屋敷へと戻ろうと。
『待って。…先生は?』
「彼奴なら、大丈夫だ。今から迎えに行く。だからあんたは大人しく母親と、」
『私に母親なんていない!!!勝手に連れて来られて、…こんな場所に置いていくなんて本当に最低よ!!!』
喚く娘の腕を強く掴んだ花魁は瞳に涙を溜めながら厳しい表情で娘を見詰め、『大きな声を出すんじゃないよ。逃してくれたんだよ。もう分かってるだろ?』と諭すような口調で言う。
『御前が出来て、どうしたら良いか分からなかった。ずっと放って置いたんだ。恨まれても仕方ない。でも、この守り方しか出来なかったんだ。』
花魁の言葉の語尾に力が籠っており、娘は静かに黙っては唇を噛み締めたまま静かに涙を溢す。
『さあ行ってくれ。足止めして悪かったよ。“娘”が惚れ込んだ男の顔、見てみたいんだ。…ちゃんと無事に連れて来ておくれよ。』
『ちょっと!!!』
『今更何だい。御前の反応見てたら“先生”とやらが御前の想い人だなんてあっさり分かったよ。さあ行こう千代。まずは身を隠さないと。………爛、ゆっくりで良いから帰って来て。店で待ってる。』
(優しく微笑む花魁の表情は穏やかな物で、花魁に手を引かれる娘にももう抵抗の様子は無く。
走り去っていく二人を見送ってはさっさと今来た道を戻り。
(自分が去って直ぐの事、一向に現れない“客人”に痺れを切らした大名は従者二人を呼び付け相手を押さえ付けては顔の布を強引に剥ぎ取り、其の正体に目を見開く。
しかし大名からすれば相手の存在は疎ましいものではなく、ふ、と息をつき先ほどの嫌らしい笑みを浮かべれば相手の頬を撫でる。
『誰かと思えば。…まぁ良い。客人は御前のはったりだろう。そんなに俺があの女どもと馴れ合っているんが嫌だったのか。』
清々しいまでの勘違いをひけらかし相手の正面に腰を下ろすも、相手の解放とまでは許さず従者は相手を抑え付けたままで。
『良い良い。御前の気持ちは分かってる。交換条件にしよう。御前が大人しく俺の元に来ればあの女どもには今後一切手出しはしない。花魁も所詮もう年増女よ。御前が望むのなら花魁から金を巻き上げるのもしないさ。俺とあの女に接点があるのは嫌だろう。』
相手の気持ちが完全に自分の物になってない事を知ってか知らずか、大名は何とも都合の良い条件ばかり提示して来て。
(其の頃、漸く部屋まで辿り着き内部の様子を確認していた己は大名の其の言葉一つ一つに全身の血が逆流したかの様な感覚を覚え襖に手を掛ける。
しかし、なぜこんな感覚になるんだと疑問を感じては襖に掛けた手をぴくりと止めて。
よく分からない、が、相手に馴れ馴れしく触れている其の行為が酷く許せない。
相手の能力に関して己は全く知らない。
…が故に、僅かに緩んだ従者の腕から解放された相手の細腕が大名に伸ばされて行く瞬間が目に入っては、相手が大名の条件を受け入れた物だと思い音を立てて襖を開けて。
『…御前は、』
大名の言葉など耳に入らず、思考もままならないまま、ただ“嫌だ”という感情に支配されては呼吸すら整えない状態でゆっくりと刀を抜いて。
( 頬に触れる他人の体温、低俗な交換条件、全てが不愉快で表情が歪みそうになるのを堪える。
いっそ、ほんの少しだけ条件を飲んでやろうと思った。
其れで事が収まるのなら。然し、脳裏に過ったのは何故か相手の顔で、相手以外に触れられることに腹の奥底から激しい嫌悪感を覚える。
可笑しな話だ。相手にだってそう触れられたこと等ないのに。
___!?
( 此方から触れるのは不本意だが致し方ない。
相手が戻ってきてくれているなど露知らず、条件に乗ってやるフリをして大名の頬に触れ能力を解放しようとしたまさに其の瞬間、襖が開け放たれ現れた相手に目を見開く。
刀を抜く姿は美しく、怒りに燃える深紅の瞳に惹き込まれる。
己の為に戻ってきてくれたのではと場違いにも期待して震える心。
然し自惚れている場合ではなく、従者たちは相手を取り押さえようと刀を抜き、大名は声を荒らげて
『御前、もう護衛の任は済んだはずだろう!何故戻ってきた!』
( 品位の欠片もなく吠える大名、従者たちも今にも刀を振るわんとしておりそうなれば何かと面倒。
相手の目の前で能力を解放するのは躊躇いがあった。
でもこんな下衆の為に相手の手を汚させたくない。
一瞬の間の葛藤の元、大名に触れたままの手に意識を持っていき能力を解放する。
“ 花魁とその娘には今度一切手を出さず関わりを持たないこと。交換条件は己と偶に酒を飲み交わす。”
と契約を交わした記憶を改竄する。
流石に無条件では不満が残るだろうし、ある程度関わりを残したほうが大名の動向も探れて視察にもなる。
酒の相手くらいならと妥協した次第。
大名はぴくりと身体を強張らせぼーっとする。
「そういうことだから、次会うまでに良い酒を用意して待っててくれ。で、この手はなし。今日は疲れたからお暇させて貰うよ。」
『…ぐ、解せないが仕方ない、か。…だが何故…。いつのまに、儂は…』
己の頬に触れる手を退けると納得いかない様子の大名と困惑気味の従者たちを無視して立ち上がる。
着物の裾を軽く払うと相手に近づいていき刀を持っていないほうの手を取り「ほら行くぞ。」とほぼ強引に手を引き屋敷を出て。
( 屋敷を出て冷たい風の吹く夜道を手を引いたまま暫く歩く。
人気の少ない路地へと回れば漸く足を止めて相手と向き合って。
正直、相手に何か悟られてはいないかと畏れていたが平静を装い。
「別に戻ってこなくても良かったのにな。…心配して戻ってきてくれたのか?」
( 冗談っぽい口振りで小さく笑みを浮かべるも、何となく気まずく咳払いをして。
「あの大名が今後あの二人に関わることはないはずだ。御前が上手く逃してくれたから事が運べた。あの二人の様子はどうだった?親子でちゃんと話し合いできそうだったか?千……、」
( 花魁とその娘、二人の様子を気にして問いかけ娘の名前を口にしようとし、はっとする。
名前が、出て来ない。“千代さん”と娘の名前は何度も口にしているし、ど忘れするなんてことは通常はあり得ない。だが、一瞬浮かんだ名前が霧状になって脳内で消えた。
帳簿には名前が記してある。然し相手の前故に直ぐには見られない。
微かに狼狽えて視線を泳がせた後「…あの子、いつも何処か寂しそうにしてたから気になってたんだ。上手く話し合えるといいけど。」と誤魔化して眉尻を下げ下手くそに微笑み。)
(相手に腕を引かれ、まだ冷たい夜風に漸く正気を取り戻した所で僅かな違和感が膨らみ相手の瞳をじっと見詰める。
何故か相手が娘を“あの子”と言い直した事、何かを隠すような憂いを帯びた微笑み。
己は此の下手くそな笑みを知っている。
相手が大名に手を翳しほんの数秒、長い話し合いを経たのかの如く大名がすんなり引き下がった事。
「何を、したんだ。」
情けなく震える声に力を込める。
途端、激しい頭痛に襲われ表情を顰めては髪をぐしゃりと掴む。
脳裏に過ぎるは以前孤児荘へ相手を招き入れた際に相手が持って来た古びた帳簿と孤児荘の床下にあった手紙。
『-○月○日:八百屋の息子の名前は宗介(ソウスケ)。-』
『-○月○日:酒屋の女将の名前はお市(イチ)。-』
手紙には何と書いてあっただろうか。
襲い掛かる頭痛に耐えながら懸命に記憶を辿る。
不可解な内容だと、食い入るように読んだ筈。
確か、確か内容は、______恐らく手紙を受け取ったであろう前日に相手が能力を使ったと言う事と、___己に対しての記憶がほんの僅かでも消えている事がないか不安な為、夜に落ち合おう。
そんな内容だった筈。
頭の中に声が木霊する。
「-あんたがいくら能力を使おうが俺はあんたの事を全部覚えている。安心しろ。-」
(頭痛が治り己の顔を覗き込む相手を見詰めては何かを言い掛け口を開くも花魁と娘の存在が脳裏を過ぎる。
「千代の所へ行かないと。…多分、あんたを心配してる。」
短く答え相手の腕を掴み花街へと抜けるも其の間に一切の会話は無く、ただ時間だけがやけに長く感じ取れて。
(花魁の店に到着し、以前己が通された部屋に案内される。
襖を開ければ娘と花魁が何か話をしていた途中の様子。
『おや?あんたが“先生”かい?こりゃまた色男を見付けたもんだ!』
花魁の明るい声が響き、先程の出来事など忘れてしまいそうになる。
娘が相手の元へ走り寄り『先生!!!何かされてない?無事なのね?怪我は、』と涙ながらに騒ぎ立てる中、己はただ茫然と其の姿を見詰めていて。
声を掛けられ花魁に向き直り、娘に是迄の事を話そうとするも花魁は首を横に振り全て話したという旨を伝えて来て。
まだ僅かに距離感は感じられる物の、相手の前で仲睦まじく戯れ合う二人の様子に胸を撫で下ろして。
(街へ戻ろうと店を出る際、花魁に袖を掴まれては『爛、迷惑かけたね。彼方の先生にもしっかり伝えてくれ。…今更母親面出来るなんて思わなかったよ。きっと紅が引き合わせてくれたんだね。』と耳打ちされる。
手を振り見送る花魁を背に、相手の背に背負われながら寝息を立てる娘にちらりと視線をやっては「念願の姫抱きはどうしたのやら。」と。
煙管を咥え夜道を歩きながら、何か話を切り出そうかと思考を巡らせるも何も浮かばず。
相手の能力に関して、触れて良いものかと頭を悩ませるも何故か自分に隠し事をしている其の様子が気に障り。
全く持っておかしな話、自分と相手はそんな間柄では無い。
煙を吐き出し、「あんたは、距離を詰めた相手に対して隠し事が大層下手だな。」と何とも阿呆らしく遠回しな触れ方をして。
明日は貴人の娘と街に赴く予定が入っている。
相手に働いた前回の無礼を謝罪したいとの事。
どうせ明日も会う事になるのだ。本当に相手とは何かと縁がある。少しばかり不安に曇る感情のまま漸く相手に視線を向け。
……、
( たゆたう煙管の煙越しに視線が絡み思わず視線を逸らす。
大凡、相手は己の能力について勘づいているだろう。
相手は能力を蔑んだり利用したりする人間ではないだろうし、己の能力を打ち明けたい気持ちもある。
然し、相手の言う通り己は距離を詰めた者に対して臆病なのだ。
その聞き方もどうなんだ。……悪い、此処では言いたくない。何処で誰が聞いているか分からないから。それに言うなら御前だけが良い。まあ多分今御前が想像してる通りの答えだよ。
( 嘆息混じりに軽く茶々を入れては暫く間を開けて視線を合わせ静かな口調で話す。
己自身上手い言い逃れが出来たと思う。嘘は吐いていない。
然し話すのを先延ばしにしただけ。
相手の瞳の不安にも薄々気付いているだけに妙な引け目も感じて。
「…じゃあ、千代さんを家まで送り届けてくる。御前も気を付けて帰れよ。疲れてるだろうからしっかり身体温めて寝てな。」
( 数刻前の会話で思い出した娘の名前を口にし背中で未だ眠る娘に目配せする。
其れから娘を片腕で支え直し空いた手を自然な動作で、無意識的に相手の柔らかな銀髪へと。
そして優しくくしゃりと撫で、加えて余計なお節介の一言迄。
未だ引け目を残しつつ手を離し「…それじゃ、おやすみ。」と半ば逃げるように相手と貴人の娘の予定は知らずにその場を去って。
相手と別れた後、娘の家へ行き起こすのは忍びなかったが勝手に娘の家に上がる訳にもいかないため家の前で起こし、また寺子屋に行くだとか花魁である母親ともまた会って欲しいだとか軽い会話をして別れる。
そして今は自室にて寝支度を済ませて布団の上に座り一息付くところ。
花魁と娘のことは良かった。
だが、相手との距離感は益々分からなくなっている。
相手のことになると鈍る思考がもどかしい。
兎にも角にも己の能力のことは機を見てしっかりと打ち明けようと。
其の時、ふと花魁が相手に耳打ちしていたことを思い出す。
盗み聞きするつもりはなかったし相手程ではないが仕事柄常人よりは秀でた聴力。
“紅”と聞こえた名前。
何処かで聞き覚えがあった。
単に忘れているだけなのか、記憶から消えたのか…
考えたところで睡魔が襲い布団に横になっては暫くその名について思い出そうとするもゆっくりと眠りに落ちて。)
(相手と別れ孤児荘へと戻るなり就寝の準備を済ませ、縁側の障子を開け夜空を見上げながら寝る前の一服をしていた所。
触れられた髪、憂いを帯びた優しい笑み、どれを思い出しても顔に熱が集まるのを感じては参ったなと項垂れる。
何となく、此の気持ちには気付いていた。…が、先祖の色恋沙汰という名の“運命”とやらに支配されて気がして気付かない振りをしてしまっていた。
考えても終わりなど見えないしこんな感情を感じたのは初めての事故に、考えるのをやめては障子を閉め布団に入り。
(翌日、子供達に起こされ朝食を済ませ寺子屋へと向かう子供達を見送った後。
貴人宅へと令嬢を迎えに行っては門から出てきた令嬢が駆け寄ってくるなり不満気な顔をする。
『待ち合わせは町の広場で良いって言ったじゃない。』
「護衛も着けないで来る気だったんだろ。」
『折角初めての“待ち合わせ”が出来ると思ったのに。』
町へと向かい令嬢が持っている荷物を受け取ろうとするも今回も拒まれ、中身は何なのかを興味本位で尋ねる。
『筆に半紙に、…まぁ、教材関連よ。お高いお菓子なんて持って行った所で受け取ってくれなさそうだし。』
「庶民的な考えを覚えた物だな。」
『馬鹿にしてる?』
寺子屋へと到着し玄関を叩いた所。
丁度午前の勉学の時間も終わった時刻。
ぱたぱたと走り寄って来る足音が聞こえては昨夜の娘が玄関を開けて来て、己の顔を見るなりげ、と顔を歪める。
『あ、あの。お忙しい中御免なさい。…菊先生はいらっしゃる?』
『いる、けど…。何の用事ですか?』
娘の問い掛けに令嬢が何と答えたら良いかと頭を悩ませる。
真実を伝えよう物なら眼前の娘は怒り大爆発になる様が容易に浮かんでは令嬢の前に立ち「彼奴に以前失礼叩いちまった謝罪がしたいんだとよ。」と僅かに濁した真実を伝える。
娘が僅かに訝しんだ様子で返事をし、中へと通されれば令嬢は緊張した足取りで庭を歩き。
部屋へと通される途中、孤児荘の子供に『あれ!爛兄ちゃん!何してるの?』と呼び止められては其方へと向かい。
(部屋へと通されお茶を出された令嬢は娘に『あ、お、お構いなく。』と答える。
二人きりになって気不味い状況の中口を開いたのは娘の方だった。
『私、濁すのは苦手だからはっきり言わせて貰いますけど。謝罪だ何だを理由に先生目当てで来たのならお引き取り願うわよ。』
『…え?』
『地味に多いのよ、そういう子。勉学になんて興味無い癖に此処で働きたいって言い出したり、何なら貴女みたいに何かしらの理由を付けて先生に会いに来て手紙を渡してきたり。私が此処で働き始めてからは私が目を光らせているけど、』
『貴女、先生を慕っているのね!』
『な、』
『年頃の女の子と恋愛話をするの、憧れてたの!貴女は先生のどんな所を好きになったの?』
『あのね、話聞いて、』
『嗚呼、先生の事なら安心して。本当に謝罪に来たの。前に失礼な事をしてしまって。』
眉を下げて言う令嬢の様子に娘はあまり深く聞く事はせず『………そう。御免なさい。私の勘違いね。』と。
娘は令嬢の様子を気遣っては相手が到着するまでの時間、令嬢念願の恋愛話とやらを始め二人はそのまま楽し気に話ていて。
( 寺子屋にて午後の勉学の準備をする頃、子どもたちに綺麗なお姉さんが来たとだけ伝えられて相手の存在は知らずに部屋に向かう。
部屋の前迄来たところで聞こえるのは楽しげな娘と令嬢の声。
年頃の女性の色恋の会話。弾む声は聞いていて微笑ましいが立ち聞きになってしまう為、襖に手を掛けたとき__『爛、』と名前が聞こえてぴたりと手を止める。
『爛とはお友達からって話したわ。でも同い年の男と比べたら大人びているし男前よね。』
『分かるわ。不器用なようで真っ直ぐで優しい。私も何度も助けられた。…ところでもう名前で呼んでいるの?』
『呼んで良いって了承は貰ったわよ。でも本人の前ではあまり呼ばないかも。』
『それって…大事にしてるってことじゃないの?』
『どうなのかしら。でも彼と居ると楽しいし本当の自分でいられるわね。…依頼抜きでも来てくれるのかしら。』
『…依頼?』
『…!なんでもないのよ。…菊先生、お忙しいみたいね。』
( そんな二人の会話、相手の話だが何故か胸がもやつく。
己も相手のことを然程知っているわけでもないのに相手を知ったふうに話されるのが嫌で。
然し此れでは本当に立ち聞きの為、小さく息を吐くと襖を開き
「おまたせ、ふたりとも気が合うみたいで何よりだよ。…綺麗なお姉さんって貴方のことだったんだな。」
( と、二人には裏の顔も知られているため特に何も装うことなく話し、令嬢からは謝罪だと例の教材一式を渡される。
正直己も令嬢には色々と能力やら何やら使っているため謝らなければならないのは此方もだが渡されたものは礼を言って有り難く受け取り。
『貴方の此処最近の街での噂は聞いてるよ。雰囲気が柔らかくなって親しみやすくなったって。傍にいる番犬の影響が大きそうだけど…変わろうと努力して行動に移せるのは中々出来ないことだと思う。正直、今日会って驚いたよ。』
( あの令嬢が此処まで心を開けたのは相手のおかげ、歳も近いしお似合いだなとつい思考がずれた時、娘が『あ!』と大きな声を出して。
『何よ、いきなり大きな声を出して、吃驚するじゃない。』
『私、先生と霧ヶ崎さんに話があったんだわ。…この前先生から借りた画集について、ちょっと気になることがあって…、』
『あら、3人のほうが話しやすいならお暇するわよ?』
「いや、貴方を一人では危ないから帰せない。…というか3人でと言うことはあいつも来てるのか。なら尚更、あいつの任務のためにも貴方には残っていて貰わないとな。…多分子供たちに掴まってるだろうから呼んでくる。…改めて、教材ありがとな。」
( 教材一式の入った袋を軽く掲げては二人を残し一旦部屋を出る。
教材一式を別室に置いたあと、キャッキャとはしゃぎ声が聞こえる外へと足を進めれば孤児荘と寺子屋の子供たちにもみくちゃにされる相手の姿が。
一人は相手に肩車して貰い髪をぐいぐい容赦なくひっぱり、僕も私もと相手の足に掴まったり手や服を引っ張ったり後ろから抱きついていたりと賑やかで。
長身で細身の相手が小さな子どもたちに弄ばれる様子は微笑ましくつい頬が緩むも、一切助ける気がない素振りで「…楽しそうだな。」と笑いを堪えた風にぼそりと零し少し離れたところで傍観して。)
(集まって来た子供達の存在に、令嬢の事を忘れかけていた所。
一人の少年が『あ!菊先生!先生もこっち来て遊ぼうよー!』と声を上げた事で相手の存在に気付く。
子供達を下ろし、「先生と大事な話があるから。」と伝えては、ぱたぱたと走り去って行く子供達を見送り相手の元へと向かう。
己の素直な感情に気付いた今、こうして面と向かって話をするのは何とも言えない気持ちになり視線は逸らしたままで。
「令嬢との話は済んだのか?…付き添いで来たんだが、お役御免だったみたいだな。」
短い言葉を交わしては、何故か案内されるがままに室内へと上がって。
(再び二人だけになった娘と令嬢だが、先程までの気不味い雰囲気は全く無くお茶菓子を摘みながら会話に花を咲かせていた所。
『今更だけど名前聞いてなかった。私は千代。』
『本当に今更ね。美代(ミヨ)って言うの。名前で呼び合うお友達なんていなかったから。好きに呼んで頂戴。』
『偶々なんでしょうけど、名前似てるのね。分かった!遠慮無く美代って呼ばせてもらうから。』
『ええ。でも一つだけ。私貴女より年上だから。私年齢的には先生とそんなに変わらない筈。』
にっこりと笑顔で言う令嬢に娘は驚いた様に『え、見えない。何か…先生の方が大人っぽい。美代って幼いっていうか子供っぽいっていうか、』と素直にな気持ちを溢す。
娘の様子に『あのね、素直過ぎるのも毒よ。』なんて受け答え眉間に皺を寄せるも、揶揄い合う様な会話も楽しそうで。
娘は相手が中々戻って来ない事に気付き一度部屋を後にするも、廊下を曲がった所でばったりと鉢合い。
『あ、戻って来たのね。良かった。』
娘は慣れた様子で相手の隣に肩を並べ話を始める。
二人の一歩後ろを着いて行きながら、仲良さそうな二人の様子に面白くない感情が湧き上がる。
改めて見れば、丁度良い身長差。
何処と無く騒がしい娘に落ち着いている相手。
認めたくはないが、お似合いだった。
無意識に足を止めてしまっていた所、『霧ヶ崎さん?早く早く。』と己を呼ぶ娘の声にはっとし、「悪い。」と短く返事をしては部屋へと入り。
( 相手が何処か余所余所しい。
やはり昨夜しっかりと能力のことを打ち明けなかったから気を揉ませたか怒らせてしまったかと考えていたため、部屋に向かう間娘が色々話しかけてくるもあまり内容が入ってこず愛想笑いで相槌を打つだけで。
そして4人揃った室内、令嬢も何だかんだ気を遣ってか少し離れたところで様子を見守っている。
娘は用意して持ってきていたのか件の画集を部屋の真ん中にある机の上に置いて。
『此れ、寺子屋の書庫にあった画集で一目惚れして借りてたのね。凄く綺麗な絵だから同じ作家で他にも画集を出してないか色々調べたのよ。名前の代わりに凛の花の絵を描く…なんて御洒落な事をする作家は珍しいから直ぐ見付かると思ったんだけど、結局この画集しかなくて。でもね、この作家の肖像画は残ってたの。過去の記録を残した本に凛の花の作家って書いてあったから間違いないと思うわ。で、此れが其の肖像画なんだけど…、」
( 娘は新しい発見に少し興奮気味に声色を弾ませながら一枚の幾分劣化した肖像画を机の上に置く。
その肖像画に描かれた人物、その人物は黒髪で壮年の男、だが面影がと言うより瞳の色を除けば驚くことに相手にそっくりな顔立ち。
相手が髪を染めて少し歳を取ったらこうなるだろうと言うくらい似ており。
そして何故かその肖像画の男を見た時、会ったこともないのに知っていると感じた。
「__凛、」
『…!先生、この作家を知ってるの?』
「…いや、初めてみる。でも、歳に違和感があるような…、」
( 初めて見るのに歳に違和感を覚えるなど奇妙なもの。
横目に相手の反応を伺いながらそう言えば此の画集を全部見たことはなかったと思い表紙を開く。
一枚目は以前も見た月明かりに照らされる美しい銀毛の狼の絵。
そして頁を捲っていくと様々な風景や見知らぬ女性や男性の絵などが続き、頁も終盤に差し掛かった時、一枚の絵にどくんと大きく心臓が脈打つ。
その一枚の絵、其れはつい先日相手が手直ししてくれたあの簪だった。
細部の繊細な装飾まで丁寧に描かれているため間違いない。
僅かに震える指先を頁から離して、上手く回らない頭で考える。
あの簪の絵が描かれていると言うことは己たちの先祖に関わりがあるということか。
『ねえ、霧ヶ崎さんは何か知ってる?貴方にそっくりだからもしかしたら祖先かもって。…ああ、でもその、出過ぎたことをしてるわよね。嫌な思いをさせたのなら御免なさい。』
( 先程までの弾んだ声はどこへやら、娘はつい先日母親と一悶着あったことを思い出し、繊細な話かもしれないのに好奇心で尋ねたことを詫びて声を小さくしていき。)
(娘に差し出された画集をまじまじと見るも、まるで己の姿を描いて貰ったかの如く銀毛の狼の姿や簪の絵に息を飲む。
そして何処と無く自分に似た顔立ちの男の肖像画を見た時の相手の小さな一言。
あまり思い出したくは無い幼少期の記憶の中、忘れる筈の無い血を分けた兄の存在が脳裏に蘇る。
何故相手が其の名前を知っているのかは疑問だか、肖像画の男は微かな記憶の中の兄の姿にあまりに似ている。
が、年齢的に合わないしそもそも此の画集は己が生まれるずっと前の物。
娘の言葉に何か返そうと口を開くも其の儘黙り込んでしまい。
『-爛、俺は外国人のお金持ちに買われる事になったんだよ。だからさようなら。もう会う事は無いけど、もし次会う事があったら其のずたぼろの布切れじゃなくまともな着物を着て、傷なんてこさえて無い爛を見てみたいな。…まぁ、父さんの奴隷のままじゃ一生無理だろうけど。-』
(顔は朧げだが髪の色と瞳の色を除けば兄と己は瓜二つだった記憶がある。
兄は父親に似たのだろう。己の銀髪や瞳の色は母親譲りの物らしい。
兄は年齢にはそぐわない美しい少年だった。
一度転んで顔に傷をこさえた際、父は大騒ぎして薬を塗ってやっていた。
其の様子がいつも酷く妬ましかった。
「確かによく似ているな。先祖って所も気になるが…俺には兄がいるんだ。今は外国にいるんじゃねえか。幼い時から会ってないもんでな。兄の名前が凜なんだよ。」
(当たり障りの無い回答をしては珍しい出来事だと驚く娘と令嬢をよそに画集を見詰めて。
(寺子屋の玄関先まで見送られ、令嬢を屋敷まで送り届けた後。変な胸騒ぎがし、久し振りにいつもの丘へと向かう。
存在ごと忘れていたが一体兄は何処へ行ったのだろうか。
___まぁ、己には関係の無い事。
そもそも兄と仲が良かった訳では無いのだ。
己の欲しい物は簡単に手にいれ、挙げ句の果てにはそれを見せびらかしてくる兄。
正直、ずっと苦手だった。
溜息を溢し、大木に身体を預けては刀を抜き刀の手入れを始めて。
(道時刻、己と同じ顔をした青年は港にて船から降りるなり背伸びをしていた所で。
『初めて髪を切ったな。ずっと長くしていたから。いやあ楽だね。』
一人でに呟き外国製と思わしき鞄から二枚の肖像画を取り出す。
『爛、は変わらないね。会ったらどんな顔すんのかな。でもまずはこっち、かな。』
相手の肖像画を見るなり口角を上げては事前に契約していた町外れの離れの平屋へと向かい。
『和装は…一着しか無いんだよな。流石に洋装じゃ警戒されちゃうし明日は服を買わなきゃね。それから寺子屋さんか。忙しくなるな。』
兄は裏組織の人間に成り果てていたようで。
己と相手の肖像画は兄が依頼して取り寄せた物。
事前に組織の人間に用意させていた黒地の着物を赤の帯で締めては鏡の前に立つ。
『何回も夢の中に出て来てくれるもんだからさ。もしかしたら此の人が運命の相手?ってやつだったりして。』
独り言を言い片眉を下げて微笑んだところで漸く平屋の鍵を閉める。
開きっぱなしの鞄の中にはおそらく此れも外国製のものなのであろう銀髪の鬘が無造作に入っていて。
( 相手と令嬢を見送った後、午後の寺子屋の勉学を終えてイザコザがあったばかりと言うこともあり大事を取って娘を家まで送る。
其の宵、久々の組織の密売の仕事で身支度をするところ。
思い出すのは昼間の話、相手の兄の話は初めて聞く話で驚きもあったが何故か合点がいった。
そして無意識に口走った相手の“兄”の名前。
おそらく先祖の記憶とやらなのだろう。
だが今の相手にも兄はいるらしい。
女郎が相手に耳打ちしていた“紅”という存在も気になる。
然し、身内の事に他人の己が安易に踏み込むものではない。
結局、相手のことを考えていて、その理由に薄々気付いてはいるものの小さく首を横に振って黒い布で口元を隠し宵闇に出る。
当然、兄の帰国は知らずにいて。
数刻後、難なく今宵の密売の依頼を終えて一度組織の拠点へと向かう。
其処で言われたのは相手とのこと。
忘れ掛けていたが組織から相手を組織に引き込み利用するために親しくなれと言われていたのだと。
組織の意図を組んだ訳ではないが、相手との交流はある。
親しいかは別として__親しいと思いはしたいが。
『勿、そろそろ狼男を引き込めないのか。報酬は今の組織の倍出すと言え。』
「組織の裏切りの危険性を考えたら報酬が倍程度じゃ揺らがないだろ。…それにその依頼を正式に受け入れた覚えはない。』
『御前も頑固だな。…まあ良い。とにかく事を進めろよ。』
( しつこい組織に嫌気が差しつつ其の日は帰路に付いて。
( 翌日、寺子屋を娘と手伝いの者に任せて己は街へ子供たちの昼餉の買い出しへ行く。
握り飯等昼餉を持ってくる子供も居るが、貧しい家計も多く出来る限りお腹を満たせるものを用意していて。
いつもの八百屋で野菜を買うと少し育ち過ぎたたからと大根を多めにまけてくれる。
子どもたちのお腹を満たすには十分な量に、何となく本当に何となく相手の事が気になって、大根をおすそ分けすることを口実に足先を変えて孤児荘へと向かって。)
(胸中の胸騒ぎを誤魔化すかの様に刀の手入れをしに丘に行った翌日の事。
あの後は特に何事も無く孤児荘へと戻り寝床へと着いたのだが夢見は最悪で翌日の早朝に目を覚ます。
兄の話をし、久方振りに思い出したからか兄の夢を見た。
『-爛、起きなよ。客に貰ったんだ。食べな。-』
美しい着物を着た兄が珍しく己の自室に来て渡して来た大福。
恐らく兄の気紛れだったのだろうが、当時は兄の“客”と言う言葉に僅かに違和感を感じていた物の特に触れる事は無かった。
きっと何らかの仕事をしていたのだろうが己は当時自分の事で精一杯だった記憶が残っている。
苦手だった兄が夢に出て来た事に僅かな苛立ちを感じては、子供達もまだ寝ている時間故に散歩がてら丘へと向かい。
(時刻は昼時。兄は着物を調達した後、銀髪の鬘を装着し呑気に町を彷徨いていて。
町行く人々は兄を己だと信じて疑う事もせず気さくに話し掛けてくれるも第一に触れてくるのは瞳の色や、やや派手な服装。
『おや、兄さんにしては珍しい着物だね。気分転換かい?』
『偶には悪くないと思ってな。』
『うんうん。似合ってるよ。しかし聞きにくいんだが、…眼、どうしたんだ?前に生まれ付きだとか言ってたからさ。』
『ああ、偶に一時的だが普通の眼に戻るんだよ。まぁ、一種の病のようなもんだ。』
『…そうだったのか。何だか悪い事を聞いちまったね。ごめんよ。』
『いや、気にしないでくれ。』
(通り掛かった八百屋の店主に声を掛けられいつもの己の如く無表情で答えては其の場を立ち去る。
大通りと比べて人通りの少ない裏道に来ては顎に手を置き少し表情を曇らせる。
『口調だ何だの調べはそれなりに付けてたつもりだけど流石に服装の好みまでは知らなかったな。…まぁ良いか。俺はこれ気に入ってるし。』
臙脂色の地に華の刺繍が施された着物は一見すると女物かと間違える程に華やかな物。独り言を溢しては向こうから歩いて来る相手の姿が見え一瞬陰に身を潜ませ懐から肖像画を取り出す。
相手と肖像画を確認し僅かに口角を上げてはさも偶然を装い陰から出ては相手を真っ直ぐ見詰めやや表情を和らげては『偶然だな。』と言い。
今夜は此の町の大名と酒を飲み交わす宴会という名の依頼が入っている為町を詮索していた所。
偶々と言えど相手と出会すとは思っても無かった為、己の身辺調査も含めて兄は堂々と相手に声を掛けた次第で。
(同時刻。孤児荘にて子供達が遊んでいる様子を縁側から微笑ましい気持ちで見ていた所、買い物へ行っていた年長の少女達が戻って来るのが見え、荷物を受け取ってやろうと其方へ向かう。
『あれ?兄さん町にいたと思ったらもう帰って来てたの?』
「…?いや、今日はまだ町には行ってないが、」
『嘘だぁ。だってその髪間違える筈ない物。後ろ姿だったけどすぐに分かったんだから。珍しい着物なんか着てさ。』
『もしかして花街にでも行ってたのかしら?そりゃ隠したくもなるわね。』
くすくすと揶揄う様な言い方をする少女達に、僅かに首を傾げる。
『私達にばれたらふしだらだって叱られると思って急いで帰って来たんでしょ。』
「いや、本当にどこにも行っていない。」
『爛兄ちゃんずっと居たよ?僕起きてからずっと居た。』
年少の少年の言葉に少女達はぴくりと黙り込む。
途端顔を青ざめては『やだ、幽霊?』なんて騒ぎ始めて。
…令嬢にお人形にでもされたのか?いや、悪い。あまりにもいつもと印象が違ったから一瞬、誰だかわからなかった。
( 相手はどうしているだろう、兄の話題が出た時に垣間見えた相手の表情は陰りがあった。
幾分前にほんの少し両親の話が出た時に兄のことは話題にも上がらなかったから良い思い出はないのだろう。
そんな考え事をしていれば、当の本人が目の前に…が、然しその恰好に瞠目する。
綺羅びやかで華やか…優麗。
普段の相手の静かで月のような優美さとはまた違った魅惑。
あまりの違いに誰だ御前はと警戒すらし微かに眉を寄せるも、パッと浮かんだのは令嬢のお遊びか依頼の類かと。
訝しげにそんな問い掛けをするも流石に瞳の色は変えられない。
「瞳の色はどうした。」と町人と同じ質問をすれば、同じく“一種の病”だと返されて。
「…そんな話、今迄何も言わなかったじゃないか。まあそんな間柄でもなかったな。」
( 今迄明かしてくれなかったことを身勝手にも何故か寂しく思い、つい皮肉じみた物言いをしてしまい咳払いをする。
目の前にいる相手に対する違和感はあったし、兄のこともちらついた。
然し、外国にいると聞いていたためまさか目の前の相手が兄だと思わず。
「そうだ、丁度御前のところに此れを渡しに行こうとしてたんだ。今荷物になるなら持っていくが、よかったら受け取ってくれ。さっき八百屋で貰った大根。」
『今受け取っておく、ありがとう。…今夜予定は?』
「早速大名から飲みに誘われた。…千代さんや千早さんには近づかないはずだからただ本当に飲むだけだと思う。…それより御前は、その大丈夫か?昨日の話が出た時、様子が気になって。」
『…問題ない。じゃあ、俺はもう行く。』
「ああ…。……余計なお世話かもしれないが、いつもの恰好のが見ていて落ち着く。」
( 拭いきれない不信感、去りゆく背中にそう声を掛ければ、いつもの煙管の匂いがしないことや白い刀がなかったことに気が付きまたその背中をじっと見る。
其の華やかさに町娘たちが黄色い声を上げているのを見つつ、まさかな…と疑念を残しながら兄とは思わず、孤児荘には寄らずに寺子屋へと足を向けて。
( その夜、相手(兄)に話した通り大名との宴があり屋敷へと向かう。
正体は知れている為、特に変装はせずに髪は軽く結って飾り気のない簪を差すだけ。
常と違ったことをしたのは昼過ぎ、やはり相手のことが気になり文を出した。
“ 突然済まない。やっぱり昨日の御前の様子が気になった。しつこいのは承知だがまた直接話したい。あと今日の恰好は別に似合ってなかったわけではないから誤解するなよ。 ” と。
誤解とはなんだと何とも可笑しな文を出してしまい。
飛脚の手により文は既に相手の手に届いているはず。
変に思われていないかとやたら気にするうちに屋敷へと付き、案内人に中へ通され宴の部屋へ向かって。)
(時刻は夕方。早めの夕飯を終え自室の前の縁側にて煙管を燻らせていた所通り掛かった年長の少女に『兄さん宛のだったよ。』と文を渡される。
差出人を見ればどうやら相手から。珍しいなと思いつつ文を開けば先日の己を気遣ってくれている様子の内容にほんの僅かに表情が和らいだのも束の間。
“今日の格好は別に似合ってなかった訳では無いから誤解するなよ。”の一文に眉を寄せる。
そもそも今日は相手に合っていないし、己は着物は同じ柄の物を数着持っているのみ。
そこで思い出すは昼間の少女達の会話。
まさか本当に幽霊とやらが出たのか、なんて思っては己も相手と直接話す必要があるなと考え今夜寺子屋へと向かってみるかと考えていて。
(相手と別れた後、兄は僅かに眉間に皺を寄せては今晩の大名との宴会に相手が来る事に対してどう対応しようかと頭を悩ませる。
そもそも宴会に呼ばれた理由としては外国の話が聞きたいという目的の元だった。
最初は素の自分の姿で向かおうと思っていたが、裏の仕事をしている以上は変装をしている方が有利。
しかし己が大名と接触があった事は調べが付いている為己の変装をしていくのは不利と言えるだろう。
『全く。面倒な御大名様だな。折角目的の人に会えたってのに機会が悪いんだから。…ま、仕方ないか。』
(小さく呟いては大人しく町外れの自宅へと戻って。
(空が暗がり始めた頃、兄は黒髪はそのままで顔に包帯を巻き付けては昼間とは違う派手な着物に身を包み大名の元へと向かう。
案内人に通され部屋に入るなり畳に手をつけ深々と頭を下げてはいつもより僅かに低い声を意識し話し始める。
『御招待頂き誠に有難う御座います。』
『御前が“霧里”か。…随分と不気味な男だ。顔の包帯は何なのだ。』
『米国にて皮膚病を患いました。みっともない姿で申し訳ありません。』
『…まぁ良い。面白い話を期待していたんだ。楽しませてくれ。』
『勿論で御座います。』
(目尻を下げ人の良い笑顔を浮かべては大名より僅かに距離を取った場所に腰を下ろすも視界の端で相手の姿を確認する。
幼少期、父の機嫌が良い日に聞いた母親の源氏名を名乗り、顔こそ見せて無いものの人懐こい様子で話を続ければ大名はすぐに気を良くし、相手に酌をさせながら段々と酔い始めて来て。
数時間後、しっかり出来上がった大名が相手の腰に手を回し始めた様子が伺えては笑顔は崩さないまま、静かに近づき手慣れた様子で大名の酒に睡眠薬を混ぜ込む。
酒を飲み干し数分後、床に突っ伏していびきをかき始めた大名に困った様な様子で従者を呼んでは大名を自室へ連れて行って差し上げるようにと命じて。
『僕達はお暇しましょう。』と相手に笑顔のまま告げて廊下に出れば、もう少しだけ相手と話したい気持ちが芽生え『先に出ていてください。厠に寄ってから後を追いますので。』と。
相手と一度別れ、空き部屋にて己の姿へと変装を施し持って来ていた荷物の中から別の着物へと着替える。
『露草は派手な着物はあまり好みじゃなかったみたいだしね。』
(独り言を溢しながら颯爽と着替えを済ませては玄関から出るなり、またもやさも偶然かのように振る舞いながら相手へと近寄る。
『依頼でな。護衛で来てたんだ。あの包帯の男なら目を覚ました大名に話の続きが聞きたいって捕まってたところだったな。恐らく今夜は帰れないだろうからあんたを送ってやってくれってさっき頼まれたんだ。』
(それとなく現実味のある話で流しては相手と二人で夜道を歩き始め。
(その頃、煙管を咥えながら寺子屋へと向かっていた己は擦り寄って来た猫に足を止めていた所。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫を軽く撫で、再び歩を進めようとするも後をついてくる様子に僅かに困った様な表情を浮かべる。
丁度相手の元へと向かうし、少しばかり鰹節でも分けて貰おうなんて呑気に考えては着いてくる猫に合わせて足取りを遅らせて。
( 大名の宴を共にした見知らぬ男、初対面の裏と繋がりのある男と共に帰る理由など無かったが待っていたのは何処となく雰囲気が相手と似ていたから。
我ながらどうかしていると思っていれば次に現れたのはいつもの姿をした相手。
細い棘が引っ掛かったような違和感はあったが、兄の演技に気付かずに相手だと思い、尚且つ偶然遭ったことに少し浮かれ。
「今日は偶然が多いな。それにしても男を送らせるなんてあの大名もおかしなことをさせる。……それで、文は届いたか?お節介だとは思ったんだが先祖の話も少し気になって。あの画集が御前の兄の先祖が描いたものなら能力のことも簪も…今と繋がりがある。もしかしたら外国にいると言っていた御前の兄にも先祖の記憶があったりするのかもな。」
『…先祖の記憶はあるんだな。』
「…俺たちにか?前からその話はしているだろ。いや、悪い。それよりも文にも書いたが御前が少し落ち込んでるように見えたから。過去を詮索するつもりもないが、御前の様子が変だと子どもたちが心配するだろ。」
( 何が言いたいのか己でも良く分からず一人やきもきしながら夜道を進む。
今宵は少し風が強く木の葉が舞って風が冷たい。
相手が寺子屋へ向かっているとは知らずに、寺子屋近辺に来たところで足を止めて「御前も子どもと言えば子どもだ。こんな事を言える間柄でもないかもしれないが、歳上を頼ることを覚えろよ。…と、ちょっと止まってて、」と少し曲がった言い方をした時、相手(兄)の髪に枯れ葉が付いていることに気がつく。
ひょいと片手で払おうとするも上手い具合に絡んでしまったのか一回では取れずに、少し身体を近づけたことで息が掛かる距離になり「…そう言えば今日は煙管を吸ってないのか?あまり匂いがしないから、」そんなことを言いながら絡んだ枯れ葉を取ると「取れた。」と距離感は其の儘で取れた枯れ葉を見せて少し笑んで。)
(己へと送られた文の話に僅かに冷や汗を流し、時折噛み合わない会話を繋ぎ合わせる事に精一杯だった物の髪に手を伸ばされ一気に距離が縮まっては息を飲む。
何度か頭痛が起きる度に脳裏に過った相手の存在。最初は誰だか分からなかったがいつも誰かを心配して懸命に動く姿に心打たれ必死に探した。その相手が今目の前にいるのだ。
煙管の事を尋ねられ何か言い訳を考えなければとは分かっているものの、相手の微笑みに言葉は浮かばず相手の手にそっと触れた所で。______
(自分の足元をうろうろとする猫に溜息を漏らしてはその小さな体を持ち上げる。
猫に合わせて歩いていたら日が暮れてしまう。
寺子屋の入り口までもう少しと言った所で僅かに相手の香りが鼻腔を掠めては入り口より僅かに先を見詰める。
夜道ではっきりしない物の、相手と、もう一人。
親密そうに寄り添う姿に一瞬足を止める。
しかし黙って立ち去るのも納得が行かなかった。
相手の横にいる“もう一人”の存在は無視したまま、ズカズカと大股で其方に近付けばぐいっと相手の肩を引き此方へと向かせ「あんた人たらしの癖はやめた方が、」と言い掛け口を噤む。
“もう一人”が己の手首を掴み、同じ背丈の男と目線が交わる。
『全く。会う機会が早すぎるよ。もうちょっとだけ楽しもうと思ってたのに。』
(自分と瓜二つの男が困った様に微笑みながら銀髪の鬘をずるりと外す。
あまりの驚きに言葉が出ない物の、昼間の少女の会話をすぐに思い出しては不思議な出来事に合点が行き僅かに眉間に皺を寄せては兄の手を振り解く。
「趣味の悪い遊びだな。」
『久し振りの再会にしては随分冷たいんじゃない?御免って。明日からは爛に化けるのは止めるからさ。…町の人達にもしっかり話してよ?お兄ちゃんですって。』
「…俺には関係無い。」
(楽しそうに何処と無く人の気に触れるような話口調をする様は変わっていない。
これ以上馴れ合う気は無いと相手の腕を強引に引きその場を離れようとした所で兄が相手の肩を掴み頬に軽く口付けをする。
馴れ馴れしい様子に怒りを露わにした所で兄はひらりと手を掲げ『やだなぁ。そんなに怖い顔しないでよ。挨拶だよ。』と。
言葉を返す事もせず寺子屋方面へ戻る様に大股で歩いては、先程相手と兄に駆け寄る際に下ろした猫が再び擦り寄って来て。
兄の姿はもう無い。相手に背を向けたまま暫し黙り込む。
兄はいつだって自分の欲しいものを一つ残さず奪っていく。
「彼奴とは、今後一切関わるな。瞳の色で判別つくだろ。」
(感情を隠しながら小さな声で言い、ゆっくり振り向いては先程口付けられた相手の頬に触れようとするも伸ばした手を引く。
己は相手に簡単に触れる事すらできないと言うのに。
怒りが段々と心を侵食しては相手の顔も見れないまま静かに俯いたままで。
( 目まぐるしく起きる出来事、瞠目し思考停止する間に相手と二人きりに。
なぁん、とこの場に合わないのんびりした声が聞こえて下へ視線をやれば、猫が相手の足にしなやかな身体を頭から尻尾の先まで擦り寄せて甘えている。
ぐるぐると喉を鳴らす音まで聞こえてきて、動物は心の優しい人が分かるのだなとズレた事を思い視線を相手へと。
すると此れまた普段と凛とした姿からは想像付かぬ俯き顔。
段々思考が回り始めれば不謹慎だろうが可笑しくなり、ふッと少し吹き出すように笑って。
「なんて顔をしてるんだ。…悪かったよ、瞳の色のことは病だと言われて信じてしまった。御前はあまり兄を好かないようだし、見間違えて一緒にされるのは不快だよな。」
( 見慣れない顔、年相応の何処か膨れた少年の姿と重なりつい笑い混じりになって相手の髪に手を伸ばしくしゃくしゃと撫で回す。
然し、後述は静かで穏やかな声色に変え、手は頭に置いたまま俯き顔の理由の予想を口にする。
ただ、芽生えてしまった感情。
その感情が相手の一つ一つの言動に期待してしまう。
もしかしたらと__。
__爛。
そう呼びかけようとして短く息を吸い、髪に置いていた手をそっと離す。
「でも、そうか。彼奴が御前の…、海外に居ると聞いていたが帰ってきてたんだな。その、御前だと思ってさっき文のことや先祖の話を少し話してしまったんだ。向こうも先祖の記憶はあるようだった。気付かずに余計な話をしたかもしれない。…俺が言える立場じゃないが突然のことで御前も混乱してるだろうし力になれることがあれば言ってくれ。」
( 呼べなかった名前。その代わりの言葉も本音。それでも何処かもどかしい。
無意識に兄に口付けられた頬を手の甲で拭い相手の言葉を待っていればまた猫がなぁんと甘えた声で鳴く。
「その猫どうしたんだ。御前にべったりじゃないか。家まで付いてくるんじゃないか?」
( 軽く顎でしゃくって猫を指し少し話題を変えればしゃがんで猫を撫でようとする。
するとシャーと威嚇されて「…うわ、嫌われてる。」とやや表情を顰めて手を引っ込めて。)
(どうやら相手は己が“兄と間違われた事を不快に思った”と取っている様で、穏やかに微笑む姿に調子が狂う。
本音を話してしまえば楽ではある物の胸の内の感情を素直に打ち明ける事こそ難しいものは無い。
相手に何と無く子供扱いされている様な感覚を感じれば少し面白く無い様な感覚さえ芽生え立ち上がる。
どうやら相手と話をする前に原因は特定できた。
かと言って穏やかな気持ちにはなれないまま、夜分遅い時間の為退散する事にして。
別れ際に「兎に角、彼奴には気を付けろ。」と小さく言ってはそのまま着いてくる猫と共に孤児荘へと戻り。
(一方その頃、兄は自宅にて銀髪の鬘を放り投げては『高かったんだけどな。』と溢し。
明日の依頼の内容を確認し始めれば、どうやら明日は麻薬を売り捌いている表向き役人の男を仕留める事。
依頼をしてきた人間はこの役人に麻薬の支払いが追い付かず多額の借金をした上どうにもならなくなってしまい兄の元へ依頼してきた様で。
小さく溜息をつき欠伸をしては布団に寝そべり瞳を閉じる。
眠りにつく前に浮かぶのはいつも相手の顔。
つい昨日まで会った事すら無かったと言うのに。
直近で脳裏に過った記憶を思い返す。
相手は優しく微笑みながら兄の絵を褒めていた。
其れが嬉しくて沢山絵を描いた。___それなのに、古い記憶の中の兄は“何かの出来事”を表紙に絵を描かなくなった。
記憶の中のあの笑顔がもう一度見たくて、自嘲気味に笑っては『まずは、お友達からかな。』と小さく呟いて。
(翌日、孤児荘へと到着するなり昼過ぎまで眠っていた為のそのそと立ち上がっては顔を洗いに行く。
自室へと戻る途中庭で子供達がはしゃぐ声が聞こえ何事かと目をやれば昨晩の猫と遊びたがっている様子。
しかし猫は小さな物陰に入ってのんびりとしており、子供達の要望どうり出てきてくれる事は無く。
着替えを済ませ町へと出向けば、町娘に囲まれている素の姿の兄が見え颯爽と裾を翻す。
胡散臭い笑顔と口調でへらへらとしている様子は昔と変わらない。
大人しく戻ろうとしたその時、大名の娘に呼び止められては振り向く。
『お久し振り。霧ヶ崎さん。暇でしょ?ちょっと手伝って欲しい事があって。母さんに会いにいきたいんだけど、…昼間と言えど流石に一人では入れないって言うか…』
「先生にでも頼めば良いだろうが。」
『それがね、聞いて。前に付き添って貰ったのよ。でも…綺麗に着飾った女の人達が私の存在を無視して先生に群がるのよ!先生の横には私がいるって言うのに!』
(騒ぐ娘を呆れた様に見詰めては送り迎えくらいなら付き合ってやっても良いかと思うも面倒臭そうな表情は変わらないまま花街方面へと向かって。
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