主 2023-02-11 00:33:03 |
通報 |
(あの後、孤児荘へ到着しては碌に睡眠を取っていなかったであろう年長の子供達が抱き付いて来る。
自分はもう大丈夫ある事を伝え、皆に遅めの睡眠を取る様に諭しては自分は真っ直ぐ貴人の家へと向かい。
令嬢に昨日の出来事を正直に伝え、明日の夜にまた来ると伝えては再び孤児荘へと戻る。
玄関口へと辿り着いた其の時、大名の従者が立っている事に気付き文を受け取れば何とも己に都合の良い様な内容で相手が手を回してくれた事が容易に想像出来て。
相手がどんな手を使ったのかは想像もつかないが、文を渡すなり逃げる様に去って行った従者には聞ける様子も無く。
(いつもと変わらない日常を過ごし、時刻はあっという間に夜。
相手との約束は深夜だったが胸の内の不安感が拭えず早目に丘へと訪れる。
何かが思い出せそうで思い出せないというもどかしさの中、相手の名前を思い浮かべては己の着物に刺繍された菊の模様を見詰める。
此の服は自分が買った物では無いしいつから着ていたのかすら思い出せないが、故郷から逃げ出した際に唯一持って来ていた物なのだろうと簡潔させる。
___刹那、またあの頭痛が襲い掛かる。
銀髪の男がいるのは、呉服屋だろうか。
沢山の着物に囲まれる店内にて銀髪の男は黒い着物を店主であろう女に差し出す。
『-菊先生の事は、同情するわ。でも貴方が背負う事じゃ無いと思うんだけど。-』
「-いや、俺の所為だ。…何でも良い、彼奴の証が欲しいんだ。-」
『-証、ね。いつまでも落ち込んでる貴方を菊先生は望んでると思う?…其れにもう少しで孤児荘の女の子の祝言でしょ?-』
切な気な表情をする銀髪の男に差し出された一枚の紙には己の着物に刺繍されている菊の絵があった。
「-此れで頼むよ。あんたに頼んで正解だった。-』
段々と頭痛が治まる。其の頃にはもう何も頭の中には流れ込んで来なくなっていた。
肩の刺繍をぐ、と掴んではやはり相手と自分には何かあると。
時刻は既に深夜。大木に身体を預けては月を見上げ煙管を燻らせていて。
(少しうたた寝をしていたのだと気付いたのは早朝、相手は来なかった様で。
相手の能力も其の代償も露知らず、何かあったのではと足を急がせるは寺子屋。
まだ寝ているであろう時刻という事も気にせず扉を叩いてはまだ眠そうな相手の姿が見えるなり「無事だったんなら、一言あっても良かったろうが。」と不機嫌な様子で言い。
…?ああ、悪かった。妙に眠くてうっかりしてたよ。御前もその様子だと無事みたいだな。昨日御前が上手く演じてくれたおかげであの後円滑に事を運べたよ。
( 結局丘で会う約束は思い出せず夜になって昼間たっぷり寝たはずなのに眠気が来て朝まで寝ていて。
朝の訪問者に髪も下ろしたままで手櫛で軽く整える程度で出てみれば相手の姿。
何かピンと来た気もするもなにやら不機嫌そうな様子に首を傾け、確かに事後報告は必要だったかと言葉をそのまま受け取り欠伸混じりに答える。
折角此処まで来たんだ。大したものは出せないが朝飯だけでも食べていくか?
( ふと口を付いて出た言葉。口にしてから何を言っているのかと思い直し「…ってそんな間柄でもなかったな。今回動いたのもお互い子どもたちの為だろ。利害が一致しただけ…だよな。」と己自身言い聞かすように、忘れてくれと片手をひらつかせ。
「でも駆けつけてきてくれるなんて案外優しいんだな。」
( 揶揄い混じりに笑み、改めて相手を見れば知ってはいたが背が高い。
こうして敵意なしに対峙してみると余計にそれを感じ、またほぼ無意識に手を伸ばし柔らかな銀髪に触れていて。
「__爛、」
( 息を吐く共に零れる程の声量、銀色の髪を大事に大事に指先で掬ったところで、はっとなり手を引っ込めて「悪い、寝起きだから寝ぼけてるのかも。」と苦し紛れに肩を竦ませて。
( 一方その頃、裏の界隈ではある噂が広まる。
“ 勿が狼男の正体を売っている。化物を飼いならそうとしている。”と。
その噂を流したのは大名の従者。昨夜の己たちの演技に気がついた訳ではないが、此の二人が組めば今後が面倒だと危惧した様子。先手を売って仲違いさせようと目論んでいて。)
(まだ浅い付き合いと言えど少なくとも相手を約束を破る様な存在には思えず、自分を助けた代わりに何か暴行を受けたのでは無いかと首元や袖から覗く細い腕を見るも不審な傷や痣は無く。
無事なら良いかと思うも相手の口から出た己の名前にはっとしては相手の腕を咄嗟に掴んでしまい。
相手にはまだ名乗ってないし名前を呼ばれたのは初めての筈。
其れなのに自分の髪に触れる手の感触、名前を呼ぶ声、全てに懐かしさを感じる。
_どうせあんたは夜型の人間だろ。必ず丘に来い。真夜九つ頃だ。俺はそれまで仕事があるから終わったら真っ直ぐ行く。今回は必ず来いよ。
(令嬢が寝付くのは夜四つ頃、其れが終わったら真っ直ぐ丘へと向かいちゃんと話をしようと。
あの場所での頭痛、不思議な記憶、毎回相手に良く似た男が登場する事が気掛かりで仕方無く。
昨夜の約束を相手が能力により忘れてた事など露知らず「次は忘れるな。」と強い口調で言えば其の場を後にして。
(子供達が寝静まった後、貴人宅へと向かい令嬢の部屋へと訪れる。
『昨日来なかった事は許してないけど、それなりに心配してたのよ。』
「此の通り無事だ。心配掛けて悪かったよ。…其れにしてもあんたは香が好きなのか?」
『と、殿方を部屋に呼ぶのに多少の礼儀というか、…』
口を吃らせる令嬢に、所詮遊女の真似事かと。
「実は香の匂いがあまり好きじゃ無いんだ。あんた自身の香りが掻き消されちまうし、」
『わ、分かったわ。次からは…何もしないで待ってる。』
前回にように手を握ったまま令嬢が寝付くまで話を続ける。
街の様子を性懲りも無く話していた其の時、『私、本当は着物なんてどうでも良かったのよ。でも、私には友達なんて一人もいないし、お父様が下級の人間なんかと遊んだら駄目っていうから。友達と楽しそうにはしゃいでるあの子供が羨ましくて…、つい、叩いてしまって。』と本音を溢し始めて。
自分も僅かばかり表情を和らげては「ならまずは素直に謝るところからだ。あんたの父親には何度か依頼を受けてるし、まぁ、娘殿に言うのもどうかと思うが其れなりの弱みは掴んでる。明日の昼にでも街に行こう。」と。
『でも私、街の人達には嫌われてるし、』
「あんたの誠意によってはどうにでもなるさ。」
令嬢は僅かに微笑むとうとうととしたまま瞳を閉じやがて寝息を立てる。
根っからの悪人では無かったかと胸を撫で下ろしては令嬢の寝顔を静かに見詰める。
恐らく年齢は相手と同じくらいだろうか、しかし安心しきった寝顔は少女のままで。
静かに其の場を後にしては颯爽と丘へと向かい。
(其の頃、相手の元には相手組織の者からの文が届いており。
“狼男と御前の噂を耳にした。手懐けた際には是非利用させて欲しい。金は弾むぞ。”
所詮従者が流した噂、相手も己も知らぬ噂が既に裏組織に飛び交っている事は互いにまだ知らずにいて。
( 時は夕刻、寺子屋の子どもたちが皆家路に付いた時間、寺子屋の門の前で最後の子どもが母親に手を引かれて帰るのを手を振って見送っていれば、その時を見計らったように組織からの文が届く。
その思わしくない内容に眉を寄せる。相手とは仲が良い訳ではなく友人でもない。下手をすれば対峙する仲。だが、どうにも相手をダシに使ったり売るような真似はしたくない。それに一体なんの噂だと言うのか。真相を確かめしっかりと断りを入れる必要があると考えて。まだ時刻は夕刻の七つ半、今夜は依頼もなく相手との約束の時間まで十分時間はある。
徐に帳簿を取り出して開いては朝方相手と交わした約束を記した一文を指先で辿る。
相手の言葉で記憶こそ思い出すことは出来なかったが気が付いたのだ。
相手と交わし、己が忘れてしまった約束。
__あの丘で会うこと。次は忘れない。
己自身、相手とはしっかりと話したかったため、心の中で復唱し刻み込む。
“次は忘れるな。”と言ってくれた相手の言葉が何故か胸奥を燻って、無意識に頬を緩めてさっさと文の件を片付けようと一旦住まいに戻って。
その様子を監視する影が一つ、その人物は噂を流した従者で己と相手を朝方から見張っており朝に交わした丘での約束のことも聞いていて。
( 相手が令嬢と共にいる時間、己は組織の元へ来て嫌でも例の噂を耳にする。全く根も葉もない噂は不機嫌なもので、一室にて依頼の断りをいれたところ。当然組織の男は良い顔をせずに。
『何故断る。そんなにあの男に入れ込んでいるのか?金は弾むと言っているだろう。』
「だから入れ込んではいないし、あの男は誰にも懐かない。他の仕事なら安くていいからいくらでもやるよ。」
『御前に断る権利があると思っているのか?』
「ないだろうな。ただ俺はあの男を利用しようとすれば手に負えずに危害のが大きくなると忠告しているんだ。組織のために断ってる。」
『…其れが本心だったとしても奴に近づいて信頼を得ておくことに損はない。気を許したところで此方に引き込めば良い手駒になるだろ。』
( 口角を上げる男に其れだと始め言っていることを変わりはないだろうと言い返したくなるが、組織も中々折れてはくれない。然しひとまず依頼の件は保留となって。
組織の拠点を出ればすっかり月が登っていて今から丘へ向かえば丁度約束の時刻。
肌寒さに身を震わせつつ何となく口元を隠す布を顎下迄下げて髪も解いて下ろせば簡単に結い直して丘へと足を向けて。
( その頃丘では相手の待ち構える男が二人。それは相手の能力に興味を持っている裏組織に繋がる男たち。男たちは、従者が己と相手を仲違いさせたいが故に新たに流した噂を聞いて来たのだ。その新たな噂は“ 勿が狼男と夜九つに会う約束をし、良いものが見られるから来いと言いふらしていた。”と。
そんな真と嘘が入り混じった噂に食いついた男たちは丘へ向かい、不運にも己よりも先に相手と会ってしまう。
丘へと訪れた相手を男たちは挟むようにして囲み。
『おー、本当に来た。御前が例の化物か?』
『噂で聞いたんだよ。どこぞの組織の勿という男が御前と此処で会うと。随分良い値で情報を売っているとな。』
『御前はあれなんだろ、少し前に花街を賑わせた化物。背も高いしさぞ見栄えがいいんだろう。』
『良いものが見られると聞いたが、化けてくれるのか?それともあれか、香があったほうが化けやすいか?』
( 男達は馴れ馴れしく話しかけてきて、懐から興奮剤の入った小さな袋を取り出し相手の顔の前に突きつける。香や薬に弱いのも従者が流した噂だが、尽く出どころが己になっており。)
(相手との待ち合わせ時間より少し早めに到着した所、恐らく裏組織の者であろう男達に囲まれる。
此処は人が来る事自体が珍しい様な場所。
無表情のまま男達から距離を取り刀に手を添えようとした途端に謎の袋を眼前に出され身体が強張る。
全身の毛が逆立ったような感覚に襲われ己の姿への違和感を感じ取りながら慌てて男を押し退け距離を取っては歯を食い縛り男達を睨み付けて。
「誰の差金だ。」
自分が良く依頼を請け負っている組織の者すら此の場所は知らない筈。
静かに言い気を落ち着かせようとしていた所、男の内の一人が笑みを浮かべながら『勿だよ。仲良しのお友達に裏切られた気分はどうだ?』と。
___勿、知らない筈の名だが先日大名に囚われた際に自分を助けに来た相手の事を、あの場に居た皆がそう呼んでいた。
己が香や薬に弱い事を相手は知っているし、今日此の場所に訪れる事を約束したのも___。
「なるほどな、」
小さな声で言えば刀を抜き一人の男に切り掛かる。
腕を負傷した男は悲鳴を上げ、もう一人の男が刀を構え此方に襲い掛かってくるも自身の刀で攻撃を受け其の儘蹴り飛ばし。
「狼を興奮させるとはあんたらも馬鹿な事をしたもんだ。」
僅かな息苦しささえ感じるものの、胸の奥の小さな怒りが自分自身の冷静さへと繋がり。
後退り、そのまま無様に逃げて行った男達を冷たい瞳で見詰めては自身の顔を手で覆い人間の姿に戻ろうと。
___其の時、足音に気付き振り向けば相手が居て。
ずかずかと其方に向かい相手の片腕を力強く掴んでは相手の背後の木へ掴んだ腕を押さえ付ける。
_随分な驚きをくれるじゃねぇか。
(低い声で言い放ち、まだ能力の解け切って無い“化物”の表情のまま冷たく見下ろす。
「どこからがあんたの演技だ。ご丁寧に忠告してくれたのも御大名様から俺を助けたのも全部か。参ったな。こいつは大した役者だぜ。」
嘲笑うように言い相手の耳元に顔を近付けては「今後一切俺に近付くな。孤児荘の子供達に手を出してみろ。そん時はあんたを容赦なく切る。」と言いぱっと手を離してはその場を後にしようとするもまたあの頭痛が襲い掛かり、相手に背を向けたまま髪をぐしゃりと掴み僅かに体勢を崩す。
『-爛!俺じゃない!聞いてくれ、俺があんたにそんな事をする訳、-』
「-黙れ!!!!!俺がお前の事をどう思っているか、…其れを知っている上での答えが此れか!!!!!-』
またあの記憶だ。
必死に縋る相手に良く似た長髪の男の手を銀髪の男が思い切り払い除け、其の拍子に長髪の男は倒れ込む。
雨が降り、銀髪の男は相手に振り返る事もないまま酷く辛そうな表情のまま何処かへ走って行ってしまい。
頭痛が治まり、いつの間にか自分の近くに来ていた相手に「触るな!!!」と声を上げてはまるで記憶の中の二人の様では無いかと。
なんなら、以前相手と此の様な事があった様な、そんな気もして。
しかし、今の自分は冷静では無かった為怒りが勝り相手から逃げるように足早に其の場を後にする。
林を抜ける途中、ぽつぽつと雨が降り出しては己の髪を濡らして。
( 相手が走り去った後、その場所に呆然と立ち尽くす。
相手に押さえ付けられた腕がじりじりと痛んだが、其の痛みよりも胸奥が酷く締め付けられて。
そして不意にズキリと頭痛がし額を抑える。
_『やっぱり御前も他の奴らと一緒だった。俺の能力を知れば何も信用出来なくなる。分かり合えたと思ったのは俺の勘違いだったみたいだな。』
_『…もう会いたくない。考えたくもない。』
己の脳内に流れた風景は雨の日ではなく、桜が散る丘の上。
相手に良く似た銀髪の男の話に聞く耳を持たずに冷たい口調で何もかも諦めた顔をして一方的に言葉を吐き捨てる己に良く似た男の姿。
思えばこんなことばかりだった。すれ違い、打つかり合ってまたすれ違って。
思えば?己と相手はまだ出会って月日は経っていない。
なのに何故こんな記憶に似た何かを見るのか。
ぽつりと頬に冷たいものがあたり、頭痛も治まり雨が降り出したことに気がつく。
少し冷静になって先程の明らかにおかしい相手の態度を思い出せば、相手に会う前にすれ違った慌てて丘を下りてきた男たちが関係しているのだろうと。
男たちがどうやって此の場所を嗅ぎつけたかまでは分からないが、もしかしたら相手も噂を聞いたのかもしれない。
其処でまた脳内に銀髪の男がびしょ濡れになって酷く悲しそうな顔をして佇む姿が脳内に流れ。
誤解があるならば早く解かなければと相手の後を追おうとしたところで、己の組織の人間が前に立ちはだかって。
『新しい依頼の話だ。今直ぐ拠点に来い。』
「何故さっき話さなかった。…同じ話なら答えは変わらない。それに此の場所を何処で聞いた?」
『新しいと言っただろ。ついさっき決まったことだ。此処では話せない。…御前が言ったんだろ?』
時機の良すぎる話と身に覚えのない話に疑念を抱くが断れる雰囲気でもなく歯がゆさに薄く唇を噛む。
依頼を聞いて朝には相手の元へ行こう。近づくなとは言われたが此の儘では此方も虫の居所が悪い。
組織の男の後に付いて行き雨脚が強くなるのを感じれば、また雨に濡れた銀髪の男が脳内にちらつく。
また何処か一人で泣いているのかもしれないと、無意識に思いながら丘を後にして。)
(孤児荘へ着き、風呂に入り自室へと戻れば時刻はそろそろ朝方。布団へ入り少し眠ろうと瞳を閉じると、ふと相手の顔が浮かぶ。?今は何も考えたくない、と無理矢理別の事に思考を移しては、無意識の内に疲れていたのかいつの間にか眠っていて。??
(朝、襖が勢い良く開けられ子供達が数人入って来ては耳元で『朝食だよーーーーー!!!』と大声で言ってきて、飛び起きるなり悪戯を仕掛けてきた少年を捕まえる。?少年を抱えたまま居間に向かい席に着いては年長の少女からみそ汁を受け取り、他愛も無い話をしながらのんびりとした時間を過ごし。??(朝食を終え、食器を台所に運んでは年長の少女に今日の予定を聞かれる。?令嬢と街に出向く事を伝えては少女はあまり良い表情はせず『あの人、良い噂聞かないよね。』と。?あくまでも仕事の延長線上の付き合いである事を話し、子供達は今日何するのか聞くと『寺子屋に行くよ。』と答えて来て。?無表情のまま何処と無く不安を隠しながらこく、と頷き自室に戻っては着替えを済まし真っ直ぐ貴人の家へと向かう。?道中、寺子屋の前で無意識に一度足を止めるも一度咳払いをし煙管を咥えては歩みを再開し。?貴人宅へと到着しては令嬢がいつもと比べ落ち着いた服装で大きな包みを持って立っていて。?
「随分大きな荷物だな。なんなんだ、其れ。」
?『………。』
?「答えたく無いなら、良いけど。」
?荷物を持ってやろうとするも令嬢が首を横に振るので、其の儘街へと歩き出し。?人々の視線を集めながら令嬢が足を止めたのは八百屋の前。?店主と女将が慌てながら令嬢の前に跪くも令嬢は二人の視線まで屈み大きな荷物を押し付ける様に女将に手渡す。?
『あの、此れは…。』
?『お着物と、玩具。…前、貴女の子供を叩いてしまったから。…其れと、着物。弁償させてしまったけど、本当は、着物なんてどうでも良くて、…その、』?
令嬢の首筋に伝う汗が目に止まり、僅かに表情を和らげては二人に開けてみる様に促す。?中身は子供の玩具が数個と、女性用の真新しい着物。?「女将に似合いそうなもんを選んだのか。確かに、良く似合うと思うぜ。」?令嬢に言うも、照れ臭そうに下を向いては押し黙ってしまい。?八百屋の周りには人が集まっていて、皆それぞれ動揺を隠せずにいて。
?『こんな、…大層な品物受け取る訳には、』?
慌てふためく女将に「折角選んだんだろうし貰ってやれよ。」と言えば女将は令嬢に向き合い優しく微笑んで。?
『…有難う御座います。でもこんな素敵な着物、どこに着て行こうか迷うわ。』?
女将の表情に安堵した様子の令嬢は立ち上がり深々と礼をし、己の着物の袖を掴みその場を後にしようとするも店主が奥から籠を持って来ては令嬢に手渡して。?
『“お嬢さん”、林檎は好きか?苺も入ってる。良かったら食べてくれ。』?
此れまで敬語で御偉いさん相手に接する様にしてきた店主が、まるで町娘を相手にするような態度で令嬢に話すのを町民が不安な様子で見つめる中、令嬢が心底嬉しそうに『有難う!』と受け取るのを見ては皆何処と無く表情が穏やかになり。?街に来るまで緊張していた様子の令嬢の雰囲気の変化に気付き、「甘味処でも行ってみるか?」と問い掛けると『行ってみたい!私、行った事ないの。』少し寂しそうに言ってきて。
(孤児荘へ着き、風呂に入り自室へと戻れば時刻はそろそろ朝方。布団へ入り少し眠ろうと瞳を閉じると、ふと相手の顔が浮かぶ。今は何も考えたくない、と無理矢理別の事に思考を移しては、無意識の内に疲れていたのかいつの間にか眠っていて。
(朝、襖が勢い良く開けられ子供達が数人入って来ては耳元で『朝食だよーーーーー!!!』と大声で言ってきて、飛び起きるなり悪戯を仕掛けてきた少年を捕まえる。少年を抱えたまま居間に向かい席に着いては年長の少女からみそ汁を受け取り、他愛も無い話をしながらのんびりとした時間を過ごし。
(朝食を終え、食器を台所に運んでは年長の少女に今日の予定を聞かれる。令嬢と街に出向く事を伝えては少女はあまり良い表情はせず『あの人、良い噂聞かないよね。』と。
あくまでも仕事の延長線上の付き合いである事を話し、子供達は今日何するのか聞くと『寺子屋に行くよ。』と答えて来て。
無表情のまま何処と無く不安を隠しながらこく、と頷き自室に戻っては着替えを済まし真っ直ぐ貴人の家へと向かう。
道中、寺子屋の前で無意識に一度足を止めるも一度咳払いをし煙管を咥えては歩みを再開し。
貴人宅へと到着しては令嬢がいつもと比べ落ち着いた服装で大きな包みを持って立っていて。
「随分大きな荷物だな。なんなんだ、其れ。」
『………。』
「答えたく無いなら、良いけど。」
荷物を持ってやろうとするも令嬢が首を横に振るので、其の儘街へと歩き出し。
人々の視線を集めながら令嬢が足を止めたのは八百屋の前。
店主と女将が慌てながら令嬢の前に跪くも令嬢は二人の視線まで屈み大きな荷物を押し付ける様に女将に手渡す。
『あの、此れは…。』
『お着物と、玩具。…前、貴女の子供を叩いてしまったから。…其れと、着物。弁償させてしまったけど、本当は、着物なんてどうでも良くて、…その、』
令嬢の首筋に伝う汗が目に止まり、僅かに表情を和らげては二人に開けてみる様に促す。
中身は子供の玩具が数個と、女性用の真新しい着物。
「女将に似合いそうなもんを選んだのか。確かに、良く似合うと思うぜ。」令嬢に言うも、照れ臭そうに下を向いては押し黙ってしまい。
八百屋の周りには人が集まっていて、皆それぞれ動揺を隠せずにいて。
『こんな、…大層な品物受け取る訳には、』
慌てふためく女将に「折角選んだんだろうし貰ってやれよ。」と言えば女将は令嬢に向き合い優しく微笑んで。
『…有難う御座います。でもこんな素敵な着物、どこに着て行こうか迷うわ。』
女将の表情に安堵した様子の令嬢は立ち上がり深々と礼をし、己の着物の袖を掴みその場を後にしようとするも店主が奥から籠を持って来ては令嬢に手渡して。
『“お嬢さん”、林檎は好きか?苺も入ってる。良かったら食べてくれ。』
此れまで敬語で御偉いさん相手に接する様にしてきた店主が、まるで町娘を相手にするような態度で令嬢に話すのを町民が不安な様子で見つめる中、令嬢が心底嬉しそうに『有難う!』と受け取るのを見ては皆何処と無く表情が穏やかになり。
街に来るまで緊張していた様子の令嬢の雰囲気の変化に気付き、「甘味処でも行ってみるか?」と問い掛けると『行ってみたい!私、行った事ないの。』少し寂しそうに言ってきて。
( 丘を離れて拠点に戻り言い渡された依頼と言えば良くある薬草の密売。態々緊急で直接言い渡される内容でもなく、相手と己の関わりに組織とは別で何らかの根回しをされているのではと疑念は深まるばかり。組織からは依頼の序に相手との親交を念押しされ、絶賛険悪化した関係と不明瞭な状況に頭を抱えつつ、其の夜は家路に付いて。
( 翌朝、寺子屋の門が開く時刻。
町の子どもたちに続き孤児荘の子どもたちも元気良く訪れる。
昨夜の相手との衝突もあり何となく相手のことが気になったが子どもたちの方から話してくれて。
『おはよう、菊先生。あのね、爛兄ちゃん、今日ごれいじょーと逢引してるんだよ。』
「え?」
『違うの、あ…ご令嬢と会うのは本当みたいだけど、逢引とは違う…かも?お仕事だって言ってたし。…でもやっぱり気になってたりするのかしら。綺麗なお方だし…』
「ああー、…もしかしてお兄さんのこと好きなのかな?」
『え!そ、そんな…!ただ心配なだけで、好きとかでは、』
( 少年の言葉を言い換えて赤面してあたふたする年長の少女が微笑ましく、御免ごめんと謝りつつ相手は今日もご令嬢との依頼かと。
相手が令嬢と関わってから令嬢の嫌な噂は聞かない。
懸念があるとすれば貴人も相手を気に入っているから令嬢と相手をくっつけて手に入れよう等と下手に考えないかだ。
其処まで考え心配すべきは今は別にあったと懐から文を取り出し年長の少女に差し出して「悪いけど、帰ったらでいいから此れをお兄さんに渡してくれないかな。」と。
内容は“話がしたい。会いたくないだろうが誤解がある可能性がある。此方が孤児荘に近づくのが心配なら、悪いが今夜にでも寺子屋迄来て欲しい。”と記してあり。
( その頃街では令嬢の振る舞いと相手との組み合わせに小さな賑わいを見せ、野次馬が甘味処に集まっていて。
『ふふ、あのご令嬢様は素直ないい子なんだね。誰がそう変えたのかしら。』
『本当に美男美女でお似合いだ。』
『逆手の玉の輿なんてこともあり得るんじゃないかい。』
( 甘味処の暖簾の向こうでチラチラと町民たちが中を除いて盛り上がる中、そんな声が聞こえるものだから令嬢は頬を赤らめており。
『何を言ってるのかしらね。…でも少し嬉しいわ。色恋の話もあまり出来ないから。貴方は居るの?想い人、とか。…あ、あと名前で呼んでもいいかしら。』
( 令嬢は時折寂しそうな表情をしながら落ち着き無い様子で、運ばれてきた抹茶を飲み相手の答えを気にしていて。)
(令嬢の問い掛けに少しの沈黙が走り、名前で呼ぶのは構わないと言った後想い人という存在に僅かに頭を悩ませる。
_何故か相手の顔が浮かんだ。
今一番憎らしいと言っても過言では無い相手の存在。
「想い人か…、俺にはよくわからないな。」
率直な意見を述べ抹茶を飲み干しては令嬢も其の先は何も言わず、店主を呼び会計をしようとして。
『あ、私が払うわ。私が行きたいって言ったんだもの。』
「おい、貧乏人扱いか?流石に其れは、」
『…前に、通りすがりに此処のお店に文句言ってしまって。女の子達がお店ではしゃいでたのが羨ましくて…』
「…なるほどね。あんたは問題ばっか起こしてんな。」
令嬢はおずおずと店主にお金を渡しては店主が釣りを持ってくる。
『あ、お、お釣りはいらないわ。』
『いやいや流石にこんな金額…当分団子には困らないだけの金額ですよ。』
困ったように冗談めかしていう店主に令嬢はぶんぶんと首を振り『お、美味しかったから!また来たいの!…どうしても受け取って貰えないなら先払いって事にして頂戴。』と。
店主は優しく微笑むと『お姫様に気に入って貰えたならうちも繁盛店間違い無しだ。』と嬉しそうにしていて。
相変わらず何処かつんつんした様子は解けない物の、令嬢の雰囲気は以前と比べて非常に穏やかで。
(貴人宅に送り届けると令嬢は自分を見上げ『夜のお誘いは、もうしないわ。だから貴方が想い人がなんだか、誰なのか気付くまでは良い友人でいて欲しい。』と言われ。
無言の見詰めていると『お友達すらいないのよ。私。だから恋人とかはまだ早いし、お友達からって言っているの。本当に鈍感ね。もし貴方に心から想える人がいたら応援させて貰うから。』と真剣な表情で言って来て深く意味も考えないまま頷き令嬢と別れ孤児荘への帰路を辿り。
(孤児荘へ到着すると丁度子供達が寺子屋から帰って来た頃。
手を洗い終えた年長の少女に呼び止められ懐から出された文を受け取り其れを開けばどうやら相手からの物で。
初めて見た相手の字、其れなのに何故か見覚えがありまたあの頭痛が襲い掛かる。
年長の少女が『兄さん!?』と声を上げ自身を支えようとする中またあの記憶。
「-文通でのやり取りは組織に表沙汰になったらまずいし、読んだらお互いすぐに燃やそう。-」
銀髪の男の言葉に頷く長髪の男。
(そしてまた場面が変わる。
銀髪の男がいるのは内装こそ少々古臭いが自分の自室其の物。
荒々しい手付きで畳を剥がすと、畳の下には大きな木箱があり、其の中には沢山の文が入っていて。
「-菊、…-」
小さな声で呟いた銀髪の男はぐしゃりと手紙を掴み大粒の涙を流す。
(頭痛が綺麗さっぱりと治まり、少女を宥めては夕餉の時間まで自室に篭る。
先程の記憶の中で見た、長髪の男からの物であろう文の筆跡は相手とあまりに似ている。
目の前の畳を力任せに剥がせば其処には記憶の中で見た木箱があり驚きのあまり尻もちをついてしまい。
木箱を力任せに開けてはぼろぼろに劣化した大量の文。
無言で木箱を閉め畳を戻せばもどかしい感情に駆られ「_俺に、何を伝えようとしてるんだ。」と過去の自分と思しき銀髪の男に呟く。
「行くよ。其れで満足か。」
一人でにそう呟くと頭の中に直接木霊する声。
「-そうしてくれ。御前は俺みたいになるな。-」
(僅かな苛立ちを隠し、子供達に呼ばれと夕餉を済ませては子供達が寝静まった頃渋々寺子屋へと向かう。
最近は相手に関わるとやたら邪魔が多い。
今回も相手の罠であるかもしれない事を考慮しては屋根へと上がり人目を完全に避けるべく周りに警戒しながら自分の匂いしかしない場所を辿る様にして。
漸く寺子屋の門の前に到着し、あまり大きな音を立てない様に門を叩いては、警戒を解かぬまま刀に手を掛けたままで。
来てくれたんだな。…態々足を運ばせて悪かった。外は冷えるし中で話そう。
( 相手は来るだろうか、そんな気掛かりは不要だったようで門を叩く音に其方へ足を向ける。
暗い夜、提灯を持って近づけば、白い鞘に添えられる手を一瞥するも気にせずにさらりとした口調で話して返答を待たないまま住まいへと進み。
「…適当に座ってくれ。まあ、信用されてないだろうから其の儘でもいいが、」
( 寺子屋を元々開学した家主から引き継いだ家、2階建てで広さもそこそこ、未使用の部屋も多数あるが、其の中でも一番狭い2階奥の角部屋を主に使わせてもらっていて襖を開けて先に入る。
七輪で沸かしておいたお茶を湯呑に入れると卓袱台の上に2つ置き、先に刀を置いて畳の上に座ると真向かいに座るよう顎でしゃくって。
俺も何で態々御前を呼び出してまで話をしようとするのか、…自分でも良くわからないが、俺たちの知らないところで色々と操作されている気がするんだ。俺の意識しないところで誤解されて反感を買うのは不愉快だからな。
( つい回りくどくなり小さく咳払いしては先にお茶に手を伸ばして軽く息を吹きかけてから口を付けて「まず何処からが演技かどうの言っていたが、大名の一件で御前と協力した意に偽りはない。…まあ始めのうちは御前と関わる依頼で何かと介入したのは認めるけどな。それと、誤解の件について、御前が聞いたかは知らないが、街で流れてる噂の大半はでたらめだよ。俺が御前を売っているだとか何とか。」とつらつらと己の知っていることを話し、組織から相手に近づいて親交を深め物にする依頼を頼まれていることも隠さず話してしまい。
其れにしては俺たちを敵対させようとする噂が流れてるから別の力が働いてるんだろうな。…俺の話を信じるか否かは御前に任せるよ。
( 緩く肩を竦ませて相手の瞳を見ては、凛とした紅い瞳にまた胸の奥がグッと熱くなる。
何故こんなにも相手に惹かれるのか、僅かに表情を歪めて唇を震わせて
「…おかしな話しだが、俺は御前を以前から知っている気がするんだ。あの丘もこの地に来た時から自然と導かれるように足を向けていた。…御前は前から俺のことを知っていたりするのか?」
( 突拍子もないことを聞いている自覚はある。
もしかしたら能力の代償で相手を忘れている可能性もある。
然し其れもあまり腑に落ちない。
真剣な声色で真っ直ぐに相手を見据えては答えを待って。)
(警戒心を持ちながら相手の自宅へと上がり部屋へ通されると、相手が刀を置くのが目に入り自分も刀に添えていた手をそっと離せば表情は変えぬまま相手の顔をじっと見詰める。
まだ相手と出会ってそう経っていない、其れなのに相手が嘘を吐いている様には伺えずに差し出された茶を一口飲む。
続く相手の問い掛けの内容は自分もずっと気になっていた事。
まさか相手も同じ様な出来事に合っていたのかという僅かな疑問に眉を寄せては漸く口を開く。
_今更名乗るのもおかしいが、俺の名前は霧ヶ崎爛だ。…名乗るのは初めてだが、あんたも知っているんだろ。俺もあんたの名前を知っている。
(無表情のまま淡々と答えればゆっくりと此れまでの事を話し始め僅かに眉を寄せる。
「俺にも良く分からないんだが、時折激しい頭痛に襲われる。ご先祖様やら何やらだか知らないが俺が知ってる身内なんて金の亡者みたいな父親と早くに死んじまった母親だけだ。母親なんて顔も覚えてない。俺とあんたに何を伝えたいのか知らないが…所詮過去の人間に振り回されるのは御免だ。…あんたもそうだろ。実際俺を気にかけてあんたも大変な目にあった訳だ。」
大名に囚われた時の事を思い出し視線を下げたまま言えば茶を飲み干す。
「誤解があった事は分かった。俺も言いすぎた。そこは悪かったよ。」
小さな声で謝罪を述べ部屋を後にしては何だか切ない気持ちに心を掻き乱される。
門へと続く庭を通り過ぎようとした際、最早慣れたあの頭痛。
(大きな松の木の下にいるのは相手と、相手に良く似た容姿の女。
これまで顔がぼやけてはっきり見えなかったが今ははっきり顔が見え、長髪の男はやはり相手と瓜二つで。
『兄さん、いつまでも自分を誤魔化さないで。ちゃんと、爛さんに…』
女の言葉を遮るように首を振る相手の姿。
其の表情は切なそうで苦しそうで、_何故か胸の奥が痛んだ。
(頭痛が治まり、玄関口から此方に向かってくる相手のじっと見詰めては「あんた姉か妹がいるのか?」と一言問い掛ける。
何度も脳裏に浮かぶ記憶を何となく思い返せば、自分と思しき銀髪の男はいつも相手を想って苦しんでいた。
___まるで相手に先立たれてしまったかの様に。
きっと相手からの手紙も捨てられなかったのだろう。
大きな溜息を一つ溢し相手に近付けば一応周りに警戒しながら、「明日の夜、俺の家に来い。気になるものがあるんだ。」と簡潔的に言い。
(寺子屋を後にし孤児荘へと辿り着けば玄関口には黒服の男の姿。
「こんな時間にご苦労なこった。」
『今回の依頼だ。前回御前が囚われた大名の娘を探して来いとの事だ。』
「攫われちまった事も広まってんだな。怖いもんだぜ。それにしてもあのおっさん娘がいたのか。」
『遊女が孕んだ子供がいるらしい。年齢は御前とそう変わらんくらいだろう。寺子屋の男に惚れ込んでるらしく、今は町娘としてたまに手伝いに行ってる女だという所までは目星がついてる。』
「其処まで分かってんのなら自分で行けよ。」
『あくまでも依頼だ。其の娘をどうするのかまでは此方も聞いていないんだ。』
「女子供を悲惨な目に合わせる様な依頼だけは御免だぜ。」
男から依頼の紙を受け取ればすぐに燃やし、信用しきった訳ではないが寺子屋に入り浸っている情報があるのなら明日相手にも話さなければならないな、と。
…爛、
( 相手が去った後、部屋へ戻り相手の名をひとり呟く。
相手も頭痛に襲われ、似た夢のようなものを見ていた。
そしてほんの一部しか聞いていないが、幼い頃から理不尽で不条理な苦悩を背負ってきたのだろう。
_ズキリとあの頭痛が襲う。幼い銀髪の少年がぼろぼろの服を来て、傷だらけの身体を自ら抱えるようにして蹲っている姿。
此れは己の記憶なのか、見せられているものなのか分からないが直感でその幼い少年が相手に思えて。そしてふと先程の相手との会話を思い出す。
妹か姉がいるのか問われたこと。その場では「いや、姉も妹もいないし、兄弟もいない。父親と母親とも死別してる。」と答えた。
だが、其れは断片的な記憶の中で得た事実を答えたまで。
己は一度、能力の過度な使用によって全てを失ったことがある。
ただ子どものころの話で全てではないが過去の記憶は回復しつつあり、今は能力の制限も出来ているため大人になってからは軽い物忘れ程度の範囲で収まっている。
それでも兄妹がいるかどうか、核心が持てずに。
そしてまたあの頭痛。今度は古い装いをした己と良く似た女が出てきて
_『兄さん、私と貴方の能力は二人で1つなの。…貴方が忘れても私が覚えているから安心して。』
_『これ、盗まれそうになってたから預かってたの。…大事なものでしょ?』
己に良くにた女の手にはきれいな装飾が施された簪。
何故かその簪には見覚えがあった。金銀は高価で装飾品も付くとなれば値は上がる。
そんな高価なもの何処で見たというのか。
頭痛が治まれば小さく息を吐き出し、ひとまずまた明日相手の元へ向かおうと寝支度を始めて。
( 翌日、相手の依頼のことは知らず、今日は件の町娘が寺子屋を手伝いに来ていて。
己は町娘の正体は知らずに毎日で無くとも献身的に手伝いに来てくれ子どもたちの面倒を見てくれる町娘を快く思っていて。
『此れは何処に運べばいいのかしら?』
「あー、そんなに一変に持って。重たいだろう?」
『あ!全部持っていかなくてもいいのに。』
「君にはこの教書の並べ替えをしてもらうから付いてきて。」
( 何冊も積み重ねられた教書を町娘の手からひょいと奪うと寺子屋内にある書庫へ向かう。
書庫には昔の文献から歴史等が刻まれた貴重なものもあり、何でも寺子屋の家主が嗜好で集めたもの。己も文字を読むのは好きでこの書庫に入り浸ることも度々で。
『此処の匂いって落ち着くわよね。…色々画集もあって飽きないわ。』
「そうだね、…もし気になる本があれば持ち帰ってもいいよ。いつでも返してくれればいい。」
『いいの?なら此れにする。画人の名前がね、はっきりとはわからないけど凛の花の絵なの。変わっているけど面白いわよね。水墨画と水彩を織り交ぜていてとても綺麗な絵なのよ。特にこの絵がお気に入り。』
( 町娘が画集を開き見せてきたのは美しい銀毛の狼の画。毛先の一本一本まで月明かりに照らされて美しく輝く様が丁寧に描かれており、その画を見て小さく目を見開く。
『どうかした?これ、持っていったらだめかしら。』
「…いや、いいよ。凄くきれいな画だったから驚いただけ。」
( 早鐘を打つ鼓動に平静を装って笑顔を向ければ「片付け早く済ませようか。」と声をかけて一緒に教書を棚に並べていく。その画集の他の頁にはあの簪の絵も描かれているがまだその事は知らずにいて。)
(翌朝、子供達といつも通り朝餉を済ませては自室へと籠り例の畳をじっと見詰める。
子供達には仕事をするから暫く部屋に来てはいけない事を伝えており、今夜相手にも見せる事になるであろう木箱の中を先に確認しておこうと。
畳を剥がし、埃と黴の混ざった匂いに眉を寄せながら木箱を開け、ぼろぼろになった文を一枚取る。
内容は全てにおいて完結的な物だった。
『-今夜真夜九つ-』
『-明日昼四つ、寺子屋の住まいにて-』
恐らく会う為の約束だろうと思しき文ばかり。
特に物珍しい物は無いかと文の山をざっくりと持ち上げた其の時、小さな木箱が目に入り手に取る。
木箱を開ければ僅かに劣化こそしている物の高価な物と思われる簪。
菊の花の飾りが誂えてある其れには錆びた血の様な物がこびり付いていて。
多少劣化している物の手入れに出せば光沢を取り戻せそうな代物。
何故ここに簪があるのかと暫し頭を悩ませるも思い浮かぶのは記憶の中の、相手によく似た長髪の男。
畳を戻し、大名の娘とやらの偵察がてら先に街へと向かっては老舗の簪屋へと向かって。
(簪屋に着くなり古びた木箱を店主に渡せば店主は丸眼鏡をくいっと上げ、驚いた様な顔をして。
『お兄さん、此れはあんたが持ってたのかい?驚いた。此れは俺の先祖が作った物だよ。間違いない。なんせこの細かい細工を作れたのはあの人しかいない。爺さんも、父さんも、俺も。作れないんだ。』
「…其れ、磨けるか。使えるくらいに。」
『嗚呼。それくらいはできるが、作りが本当に細かいんだ。少し時間をくれないか。…そうだな、折角巡り会えたんだ。今日は店終いにして此奴を生き返らせてやるよ。夜にまた取りに来てくれるか?』
「分かった。」
何故「使えるくらいに。」などと言ったのかは自分自身も分からなかったが、不思議とそうしてやらなければならない気がして。
暖簾を下げる店主に軽く会釈しては其の儘寺子屋へと向かって。
(寺子屋へと到着すれば庭で遊ぶ子供達の中に、自分とそう歳の変わらないであろう女子が一人混じっていて。
あっさり見付ける事ができた物の大名があの娘をどうするつもりなのか分からない今、動く気にもなれない。
頭を悩ませていた所、中から相手が出てくるのが見え咄嗟に門の影に身を潜める。
『今日はお天気が良いわね!菊先生もこっちに来て!』
『次はお姉ちゃんが鬼だよー!』
大名の娘とは到底思えない程のお転婆な様子。
着物の裾を翻し楽しそうに走り回る娘が躓き、咄嗟に相手の胸の中に倒れ込むのを見掛けては何故か鼓動が騒ぐ。
『あ、ご、ごめんなさい。』
髪を耳に掛けながら顔を赤らめ俯く娘に優しく微笑む相手の姿に居ても立っても居られなくなり足早にその場を後にしては原因不明の苛立ちに苛まれて。
( 昼時、寺子屋にて元気な町娘が子どもたちと遊ぶ様子を見守り、なにやら物音がした気がしたが相手だとは気が付かずにその後も何事もなく時は過ぎる。
夕刻になり子どもたちも町娘も皆帰れば一息付くも、ずっと朝方見た画のことや相手の事が引っかかっており、約束の時間迄と書庫へと向かう。
棚の奥へと進めば過去の歴史やその土地に流れる逸話などが記された本を探り、最近脳内に流れる映像について手掛かりはないか調べて。
然し、能力者のことは記されていてもぴたりと嵌まるような内容は直ぐには見つからず、時間を掛けて調べるしかないかと諦め掛けた時だった。
数冊並べられた本の後ろに風呂敷で包まれたものが隠されており、ざわつく胸を抑えながら其れを取り出して風呂敷の結びを慎重に解く。
中から出てきたのは古びた帳簿とくたびれた黒い布。
どちらもぼろぼろだったが己が持っているものと相手が使っているものと似ていた。
まさかと思いながら帳簿を開いて見ると、其処には己が普段記すような日々の日常や約束事が書いてあり、重要な誰かと会う約束でもしたのか時刻や場所に所々線が引いてある箇所がって。
「…今夜真夜中九つ、」
( 指先で己と良くにた字をなぞり、もう1つの黒い布を見る。
己は此れと良く似たものを知っている気がする。
そこでハッとなれば帳簿と黒い布を大事に手早く風呂敷に包み直して自室へと走り、忙しなく押し入れの襖を開ける。
そして奥にある木箱を取り出して中から更に小さな箱を取り出すと蓋を開けて。
その中には先程見たものとそっくりの黒い布。
然し先程のものと比べて新しく布もしっかりとして。
此れは己が此の地に行き倒れ家主に拾われた時、己が懐に持っていたもの。
何故忘れていたのか。関連性がないとは思えずにこくりと息を飲む。
そこでいつの間にか相手との約束の時間が迫っていることに気がつけば、今持っているものを風呂敷にまとめて孤児荘へ向かって。
( 孤児荘に付くと門を叩き相手が出てくれば焦ることでもないのに相手の手を取って足早に建物内入る。
流石に部屋にズカズカ上がり込むことはしないものの、今更だが馴れ馴れしく相手の手を掴んでいたことに気が付きパッと離して。
「悪い、つい気持ちが焦って。…あれからまた色々と御前に聞きたいことが出来たんだ。…御伽噺を信じる訳ではないが俺と御前の先祖には何かしら関わりがあるように思えて…。あと、此れなんだが見覚えはあるか?」
( まだ玄関口で少し早口に言えば持ってきた風呂敷を取り出し、帳簿や二枚の黒い布を見せる。
逸る気持ちを抑えて返答を待って。)
(縁側で煙管を燻らせていた所、約束の時間になり門を叩く音に気付けば其方へと向かい相手を自室へと招く。
自室の扉の前にて相手に手を掴まれ、やや焦った口調で言われた内容は以前から己が感じていたもの。
相手に手渡された布を受け取りまじまじと見れば、劣化こそしている物の普段から己が愛用している布と全く同じ物で。
形から厚さから生地感から同じものであるが故に間違える筈も無く、無言で己の額に巻き付けてある布を解き、相手に放り投げる様に渡しては「何であんたがこんな物持ってるんだ。」と、同じ物である事を肯定した様な一言を溢し。
相手の問い掛けには応えないまま、自室へと入り畳を剥がせば呆然とする相手の前で畳の下の木箱を開ける。
相手から帳簿を受け取り、内容を読めば木箱の中の手紙と全て照らし合わせられる事に気付き溜息を一つ漏らしては「信じるしか無いだろ。」と今更ながら短い返答をして。
思い出した様に着物の懐から小さな木箱を取り出し、磨き直して貰った簪を差し出す。
_何で此処にあったのかは知らないが、其れは多分あんたの御先祖様のもんだろ。
(一枚の文を開いたまま相手に差し出し、己の手にある帳簿の項を開いたまま相手に見せ一文を指でなぞる。
『-簪、有難う。-』
『-○月○日:簪を貰った。-』
何となくの憶測だったものが確信に変わり、帳簿と文を照らし合わせる相手をじっと見詰める。
「其の簪は今日見付けたんだ。余りにも酷い状態だったから磨き直して貰った。………血が付いてたんだよ、錆びていて汚れかと思ったんだが匂いで分かった。誰のかは知らないが。血が付いてる簪を其の儘保管して置いたってのも意味が分からないし、…」
「(もしかしたらあんたの先祖の死因は、)」と言い掛けそうになった所で押し黙る。
暫くの沈黙が続いた後、ここまで相手に見せたのなら隠す必要も無いかと此れまでの記憶を話し始めて。
毎回起こる頭痛、不思議な記憶、相手の返答を聞いている内にやはり記憶の中の二人の男は己と相手の、_恐らく先祖である事は間違いないだろうと。
「兎に角、…俺とあんたの先祖に何があったかは知らないが俺達には関係の無い事だろ。頭痛だ何だと振り回されるのは
勘弁だ。」
昼間見掛けた、相手と大名の娘の様子を思い出し何故か胸の奥がチリチリと焼け焦げる様な感情を隠す様に、自分に言い聞かせるかの様に相手に言い放つ。
此れは己の感情なのか、御先祖様とやらの感情に支配されているだけなのか、そんな事を己が知る由も無く、どこか相手を遠去けている様な物言いになってしまいまた暫しの沈黙が襲う。
煙管を咥え、部屋が煙る事を考慮し襖を開ければ今夜は満月。
以前相手と此の部屋で一緒に満月を見た事がある気がする。
相手に背を向け月を見上げたまま「…あんたの寺子屋に入り浸っている女がいるだろ。俺と歳が変わらないくらいの。どういう関係なんだ?」と問いかける。
しかし其の後はっとし、此れでは相手か娘に好意を寄せている様な言い方では無いかと気付けば「依頼の標的なんだよ。まだ完璧に受けると返答した訳じゃ無いが。」と続けて。
…!ああ、そうだな。確かに、先祖が何であれ関係ないことだ。
( 相手に言われた事にははっとさせられ最もだと思う。
なのに何故か胸が痛み、同意はするが視線を反らし声を落とし。
黒い布に帳簿や文、そして簪まで…解けて散り散りだったものが折り重なり1つになっていくのに胸の蟠りは其の儘どころか大きくなっている。
部屋を照らす満月の眩さが懐かしくも気持ちは陰り、凛としながらも何処か危ゆい背中を見つめて。
「この黒い布、古い方は寺子屋の書庫にあったんだ。…まだ新しい方は俺がこの地に来た時に持っていた、らしい。はっきりとは覚えていないが子供の頃に誰かから受け取った気がするんだ。…あと、女は寺子屋をたまに手伝いに来てくれているだけで其れ以上の関係はない。」
( 己のことなのに曖昧な返答になるのが歯痒い。
曖昧になるのは子供の頃の記憶だからではなく能力の代償。
然し其れを打ち明けるのは憚られ、町娘との関係を問われれば何だ此奴もしっかり十代の男なんだと安心と共に少し靄付いたりして。
それから少し気持ちを落ち着かせて息を吐くと生き返った簪を手にしたまま相手の隣へ足を進めて「依頼内容がどうかは知らないが、御前のことだから罪のない女子供に手出しをするのは主義から外れるんじゃないか?御前が断れば他の誰かが代わりに依頼をするだろうし、もし女を傷つけたくないなら依頼を受けてどうにかすればいい。それなら俺も助太刀できる。…因みにその子は甘いものよりみたらし団子とか煎餅とかしょっぱいもののが好きだ。」
( 相手はきっと外道な行いは好まないと勝手に思っているため余計なお世話だろうが口出しし、ついでに背中を押すつもりで情報を足してやる。
「あと、この簪…俺が預かってもいいか?此れだけ良いものを此処まで綺麗にしたなら其れなりに値はしただろうし修復代は後日返す。今持ち合わせがないんだ。」
( 先祖にとって恐らく大事な簪、己自身見た瞬間から心惹かれて貰うと迄は言わぬが一時的でも手元に置きたく頼み、ふと相手の横顔を見て其の頬に指先で触れて「こうして近くで見ると意外と子供っぽい顔をしてるんだな。と言うかまだ子供か。……先祖は関係ないの確かだ。でも先祖関係なく、俺は御前のこと結構気に入ってるよ。出ないと態々此処まで来ない。」と相変わらず揶揄い混じりだが、自然に双眸を緩めて微笑み軽く頬を摘んでやれば言い逃げの如く、依頼のことも含めまた何かあれば報告してくれと言い残してさっさとお暇してしまい。
孤児荘から住まいに帰り、一息つくも簪と帳簿は持ち帰ったが黒い布は相手の元へ置いてきたことに気が付き、不慣れなことをした動揺を隠せていないのにため息が出る。
相手はあの娘のような子が好きなのかと、先祖のことも衝撃だったのに別の思考に走るのに首を横に振って、依頼の件もあるし町娘は明日も来るため探りをいれてみようと。
そして簪がこれ以上傷まぬよう少し上質な布袋にしまおうとした時だった、ズキリと強い頭痛が襲い
_『…爛、…らん、…もっと名を呼べばよかった。』
_『こんな護りかたしかできない。独りにして、御免。…どうか生きて欲しい。____』
酷く切ない声、それは己のものと酷似しており伝えられなかった言葉に思えた。
最期の言葉は雑音でかき消されたが恐らくは…。
結局は先祖に振り回されるのに苛立つも、この苛立ちの原因は其れだけでないのは自覚していて。
その後、簪を布袋に包み木箱にしまうと寝支度を始めて。
( 翌日、昼休みに町娘と学び舎の片付けをする間、不躾だがまどろっこしいのも面倒のため身内について問いかける。
『…私が狙われてるかもしれないの?だとしたらそうね、私の両親が関係してるのかも。先生の言うの通り私は遊女の母と大名の間の子。どこで其れを知ったのかは聞かないけれど、父親が裕福なのはもちろんだけれど、私の産みの親は遊女であると同時にちょっと色んな人と関わりがあるみたいで……私を攫ってゆすりたいのかも。なんて…こんな危ない話先生にするものじゃないわね。それとも先生も実はそういうことに関係してたりするの?』
「……実はね。まあ、君に何かあったら嫌だから気をつけて。俺もできるだけ注意しておくから。」
( 冗談半分に聞かれた問いかけだったが、今後裏でも関わりを持つ可能性がありそうだし己だけ色々探るのは対等ではない気がして、人差し指を口元にあてて小さく笑み肯定する。
町娘は少し驚きながらも『わかったわ。』と頷き、母親が裏の密売組織や刺客とつながりがあることを教えてくれて。)
(相手が帰った後、掴み所のないあの妖艶な笑みを思い出してはくしゃりと髪を掴み項垂れる。
嘘偽りは無いと感じ取れる様子で素直に気持ちを話せる相手に大人の気品の様な物すら感じ、胸奥のもやつきを隠す為に思っても無い事を言った自分に嫌気が差す。
深い溜息を一つ溢し、戻した畳の上にいつも通り布団を敷き横になれば段々と瞼が重くなり瞳を閉じて。
(翌日、朝の一服をしていた所、門の近くの人影に気付き其方へと向えば黒服の男が立っているのに気が付く。
「朝っぱらから何の用事だ。」
『大名の娘についての調べは付いたのか。』
「まあ、多少。ただ娘をどうすんのか聞かされない内は依頼を受ける気は無いぜ。」
『自分の娘に会ってみたいらしい。』
「ほう。見事な嘘だ。で、実際はどうなんだ。俺に嘘は付かない約束だろ。」
『…一々面倒な男だ。大名は自分の血を継いでいる人間が一般人の如く生活しているのが気に食わないだけさ。母親の様に遊女にして自分の領地でもある花街に引き摺り込みたいんだろうよ。其の方が金にもなるしな。何せ母親は高級店の花魁だ。』
「…へぇ、娘は町で一人暮らしか。随分おっかねぇ事させる薄情な母親なこった。」
『愛情があるからこそさ。花街に引き摺り込みたく無いからこそ町民に紛れさせて“普通の暮らし”をさせたいんだろうよ。其の証拠に花魁が稼いでいる金は殆ど偽名で娘へと送られている。残りは全部あの大名の金になってる。高級店の一番人気を誇る花魁ともあろう者が、一番の貧乏人だ。』
どこか憐れむような男の言い草に無表情のまま依頼の紙を受け取る。
「“自分の娘に会ってみたい”だけなんだろ。其れなら護衛付きでも構わない筈だな。」
『…だから其れはあの大名の建前の嘘の内容であって、』
「いや、俺はそう聞いた。あんたも大名からそう言われてんだろ。」
歯痒い表情のまま眉間に皺を寄せる男を尻目に煙管を燻らせては其の場を立ち去りまずは情報収集でもするかと。
(真昼間から花街へと足を向ければ娘の母親がいるであろう店へと真っ直ぐ向かうも流石は一番人気。
そう簡単に指名を取れない事を知り今日は諦めようと裾を翻した其の時、強い香の香りと共に一人の遊女が己の腕を掴んで来て。
『………驚いた。…霧里じゃないか、…』
振り向けば大名の娘と瓜二つの遊女が嬉しそうな笑顔で己の顔を覗き込んでいて。
店主が『あれ程部屋から出てくるなと言っているのに!』と怒りを見せるも遊女は気にも止めず、嬉しそうな顔からきょとんとした表情に変わり『…若い。其れに男…?お前狼になれるだけじゃなく性別から年齢まで変化できるってのかい?』と。
何を言っているのか分からず頭を困惑させるも己が口を開く前に目の前の遊女は店主に向き直り、『御免よ親父様。次の相手の時間を少しばかり遅らせて欲しいんだ。旧友との再会なんだよ。』と美しい顔で眉を下げて頼み込んでいて。
『何を言っているんだ!馬鹿な事を言うもんじゃ、』
『頼むよ。次の御客様にはたんまり御奉仕するし、今月はいつもの倍売り上げに貢献するさ。滅多に無いあちきの我儘だ。此の我儘がやる気ってもんに繋がるんだよ。』
店主の怒りは治らない様子だが遊女の言葉に口篭り始めて。
ぐいぐいと腕を引かれては奥の部屋へと連れられ。
「おい、さっきから何を言っているのか分からないが、」
『何を言ってるんだよ。其の瞳の色、間違える訳ないだろう。わざわざあちきに会いに来てくれたのかい?お前だったら金なんぞ払わなくて良いって言うのに真面目だねえ。』
「………誰と勘違いしているんだ。」
『…冗談はおよしよ霧里。…嗚呼、今は二人だ。此の呼び名は野暮だったね。会いたかったんだよ。紅。…それにしても何で若い男の姿なんだ。まぁ驚きはしないよ。狼になれる人間が居たってだけで驚きには尽きた。いやあ憎らしいね。あちきより若返りやがって。』
続け様に一人で話し続ける遊女は、花魁である事を感じさせない程に親密で。
そして花魁の口から呼ばれた名は、名前しか知らないが母親のもので。
( 相手の動きや花魁との関わりは知らず、夕刻になれば大名の娘である町娘を念のため家まで送り届ける。
そして偶然か否か、今宵は花街での依頼があり。
内容は簡単なもので遊郭が発注を掛けた薬を送り届けること。
遊郭で使う以上真っ当な薬ではないが身体に大きな害はない媚薬の類。
相手のことも気に掛かるし、町娘のことも知らぬ振りはできないため密売ついでに情報が得られればと。
依頼の時間になれば密売時の恰好をして花街へ向かう。
表通りからは外れて裏路地を進み、遊郭の裏口へと進めば何食わぬ顔で戸口を開けて。
すると待ち構えていた見張り役の男が紙に包まれた密売金を出してくるも、嫌にその紙包みが厚く。
「…額を間違えていないか?」
『自分用に欲しいんだ。どうせ多めに持ってきているんだろう?頼むよ。』
「仕方ないな…。」
(不快感はあるが金はきっちり出しているので、薬を多めに渡す。
そんな時、裏手で休んでいるのか遊女の声が聞こえてきて。
『聞いた?姉さまが男を部屋に連れ込んだ話。』
『その言い方やめなさいよ。違うわよ、何でも親しい古い友人だそうよ。』
『あんな姉さまの嬉しそうなお顔、なかなか見ないわよね。』
『殿方も素敵だったわ。銀髪できれいな紅い目をしてた。』
『あんな素敵な色男に私も指名されたいわ。』
(そんな会話が聞こえて、真っ先に浮かんだのは相手の姿。
銀髪に紅い瞳なんてそうそうない。
相手もこの遊郭に来たのだろうか。
花街で遊ぶ印象はないため依頼か情報収集だろうが、何故か胸奥がざわつき。
そのせいで見張りの男の話が耳に入っておらず。
『おい、聞いているのか。』
「すまない、なんの話だ?」
『だから最近、此処の遊女の隠し子に報奨金が掛けられてるって話だよ。金も其れなりに持ってるらしいし、あんたも何か情報があれば恵んでくれよ。』
「興味ないし、何も知らないな。」
(無表情に吐き捨て用は済んだとばかりに再び裏口から遊郭を出る。
何も知らない、と言ったが恐らく隠し子とは大名の娘のことなのだろう。
思いの外、裏の界隈で話が広まっているらしい。
ともすれば町娘の身の安全が危ぶまれる。
相手も動いているかもしれないが、何かあってからでは遅いため路地裏を進み町娘の暮らす家へ向かって。)
(帰宅後、複雑な気持ちのまま自室へと戻れば縁側に腰を下ろし煙管を燻らせる。
昼間、あの馴れ馴れしい花魁に自分は“紅”の息子である事を伝えた。
『こりゃ驚いた。しかしお前さん本当に紅に瓜二つだね。そして紅は何してるんだ。あの殿方と幸せに暮らしてんのかい?』
「殿方ってのは親父の事であってんのか知らねぇが俺を産んですぐ、その…死んじまったよ。だから悪いがどんなに母親の事を聞かれても話されても俺には分からないんだ。」
『…そんな、嘘だろ。やっと幸せになれたってのに。…あんまりじゃないか…。そんな、』
「それに、素敵な殿方って。再婚でもしたのかね、うちの母親は。言っちゃ悪いが俺の親父は最低な男だぜ。」
『…お前さんも苦労をしたんだね。紅はね、最初見世物小屋に売られて来たんだ。だけどあんまりに別嬪だったから見世物をさせられながらもここで男の相手をして。それでも苦言一つ溢さなかったのさ。…嗚呼、もう一度、もう一度きりで良いから顔を見たかったよ。…そうだ!折角お前さんに出会えたんだ。ここだけの話だがあちきにも娘がいるんだ。紅が孕んで水揚げされて行った頃に出来た子供だからきっとお前さんと同い年くらいだよ。多分友達の一人もいないんだ。良かったら友達になっておくれよ。』
(急に泣き腫らしたかと思えば、優しい表情で娘の話を始めるその様子に随分感情が豊かだなと。
しかし娘の事を語る声色は非常に優しく、自分にはいないが、母親という物の愛情とやらを深く感じた。
よくよくと見ればこの花魁、そんじょそこらの花魁よりも年齢は上かと思える。
しかし年齢すら感じさせない美しさを持っており、さすが高級店の一番を誇るだけあるなと。
(時刻は夜。あくまでも“大名に顔合わせさせる。”という依頼は受けた為、調べを付けてある大名の娘の自宅の扉を叩けば扉は開かないまま『誰?』と声が聞こえ。
口下手故に説明が出来ず、「あんたが御大名様の娘だと聞いて迎えに来た者だ。」と大失敗の自己紹介をする。
『………開ける訳無いじゃない。あんなの父親じゃないわ。』
「あんたの顔が見たいらしい。俺は顔合わせだけの依頼を受けたんだ。」
『へぇ、貴方は“そういう”仕事をしているのね。そんなの彼奴の口車に決まっているじゃない。どうせ貴方も私の行き末を知っているんでしょ?』
「あー…ったく、説明が面倒だな。もう一度言うが俺が受けた依頼は顔合わせだけだ。それ以上の事があるなら俺が対処する。」
ほんの少しだけ扉が開くも娘は自分を睨み、『嘘よ。貴方みたいな容姿の人信じられる訳無いじゃない。どうせ私をゆするか母と同じように花街に売り付けるつもりでしょ。知らない男の相手なんて御免よ。私にはもう心に決めた人がいるの!』と強い口調で言って来て。
「だから何度も言ってんだろうが。大名があんたに危害を加えそうになったら叩っ斬ってやるし、そもそもあんたの母親があんたを花街送りにする訳無いだろ。」
『それはどうかしらね。なんせ母は私を捨てた女ですもの。』
娘を狙う輩が何名もいる噂を知り、焦って手荒なやり方になってしまった事を心底後悔する。
最早気絶させてしまった方が早いんじゃないか?なんても思ったが大名の前で娘が気絶している状態はさすがに不味い。
項垂れて頭を悩ませていた所、『早く帰って頂戴。貴方みたいな不良と絡んでるなんて思われたくないの!』と。
「あのな、黙って聞いてりゃさっきから随分失礼な事言ってくれるじゃねえか。」
同い年だからだろうか。焦りもある事からなんだか若干カチンと来ては口論になりそうな雰囲気で。
トピック検索 |