ふーちゃん 2022-11-24 22:48:05 |
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(付 記)
前出の作品のなかの 一番目の
作品 に ちなんで
世間にあることばとして、
「意 言外にあるを 尊ぶ」などとゆう
若干、むかし的堅い語調の、漢文的表現が
ありますね。言葉通りのほかの意味があるとゆう。
これわ、ヨーロッパ圏でも、あることじゃないですか?
いえ、たぶん、世界中、あることのはずです。
ぼくも含めて、人のきもちに鈍感な(または、うとい)人わ
注意しましょう。
一言でわ、いいつくせないいくつもの思いを、たくみに
歌いこんでいるなあと、感じますよ。
そして、巧みな点わもう一つ、「そのあまり」とゆう言葉です。
よくよく、読めば、「その あまりに 軽いこと」に、泣いた
とゆうことです。でも、文の勢いとして、じょうだんの勢いで
母を、背負った様子まで、想像してしまえる語順ですね。
あまりに軽かったことへのかれの思いに、わたしたちの心を
はせてみましょう。
彼は、すでに、年齢では、立派な成人になり、たくましい青年に(?)
(いちおう、確かに、間違いなく)なったことのあかしですが、
たしかに、おかあさんわ、軽かったのです。軽すぎたのです。
そのことへの、三つ以上の悲しみがあることに気付いてほしいと、
ぼくわ、思います。
こんな小さな人が、ぼくを、ここまで(家を出るまで和)育ててくれたのか
とゆう、子どものときにわ気づかなかったことへの感動と驚き。
それにしても、おかあさんが、軽すぎることへの、不思議さわ、
つぎにわ、気づきへと変わります。
ちゃんと、ごはんも、食べていない、貧しい生活。
もう一つわ、体の衰えが、すでに、栄養を吸収できない体になってきていることへのさとり。
つまり、もう、おかあさんは、長くわ生きられないのだとゆうことが、わかったことから
起きた、悲しみの心。
そして、親を楽にさせてやりたい、幸せにしてやりたいと思うのに、
少しも実現できない現状・現実への悲しみ。
そして、一人前の大人であるのに、今だ、文士としてわ、世にでることのできない
世の厳しさ・無情さ・無理解への悲しみであるのです。
つまり、その悲しみわ、同時に、おかあさんわ、もう、こんなに年もとったのに、
まだ、おれわ、一人前にもなれず、親子孝行もできないのか、とゆう悲しみでもあるはずです。
これだけのことを、こころのなかに秘めながら、さらりと、さんじゅういちもんじで、
事実だけを、かれは、のべたのだと、勝手な解説を、つけたいと思いました。
今の時代わ、さらに、ひとの心を理解できない風潮と能力不足が、進行したなと
感じますが、どうなのでしょうか。
かれの、こころのやさしさ、こころのあたたかさを、この句の中に、ぼくわ
感じてしまいます。まずしいながらにも、一瞬でもいい、それを、わすれられる
時間を作ろうとゆう、彼の心づかいですかね。
さんじゅういちもじの解説のために、ぼくわ、一体、何百字使ったことでしょうか!
新しい方のようですね?よろしく!
ここのチャットわ、返事がくるまで、
一日かかることもある、超スローテンポの
チャットです。時間が、かかる場合わ、多いのですけど
よろしく!ぼく、始めてから、一年くらいわ、たったかも
しれません。
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