ふーちゃん 2022-11-24 22:48:05 |
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至言。そのような情報に接することの
できる機会を得ることのできた人は
幸せだと思います。そもそもが、
ぼくには、文学を解する知能と能力がなかったのですから。
したがって、名言にも触れる機会は、それほど、
なかった。非常に、おもしろい批評だと、思います。
ありがち、また、ありそうなこと。
ドロさんは、いかがでしょうか?
親切であり、また、ときに、皮肉であり、ときに、
ふみはずし?いや、失礼。よき教養を、示していただき、感謝しますね。
いい言葉だと、感じるわけです。真実があるから。
文学少しは、読めそうな頭に、なってこれてるかもしれないけど、今度は
時間を当てることができない。無理してまでは、やりません。
読書楽しめたら、至福の時になるだろうとは、しばしば、脳裏に浮かぶ
わが思い。
付 記 です
よーするに、思い上がりのある人しかり。
しかし、思い上がりのない人でさえ、しかり、とゆう問題が
ひとつあります。
よーするに、わりわりは、人間は、こまったさんばかりなのです。
それでよい時もあれば、反省がいるばわいも、あります。
っと、ふーの 感想
かあちゃんが伝えるじいちゃんの口ぐせ
なんでも、多けりゃいいというもんじゃない
※時と場合によることも、多いですよね。
実際、たとえば、おいしい食べ物も、どのくらい食べたら
よいのかのリミットをこえると、
いいことは、なにもないことになります。
いつでも、適用、応用できる、ぼくにとっての、
ありがたい一言ですよ。
かあちゃんが伝えるじいちゃんの口ぐせ
これもまた、その一つ
ちょっと、まった。
今回のわ、何気なく聞き流せば、なんともない
のですが、今回のわ、意味がわかると、
痛すぎるんですよね。激烈ですよ。
でわ、まいりましょう。
「ばかの、ひとつおぼえ」
どぎつい!だけど、つまり、おぼえたこと、
使うにしても、その場その場で、なにか、どこか
手を加え、調整しなければ、あんまり、知識の効果が
でてないってゆうんでしょうね。
自分で、何も考えないで、いつも、おんなじことやってるとか、
何も考えないで、いっこの知恵だけで、ひっしまめたんに
やっては、いけないって、ゆうんです。
もっと、頭使えって、じいちゃんは、よく、言ってたそうです。
人に聞いた知恵も、いっこだけのそれだけじゃあ、あまり、役には
立たないとゆうこと、足りないとこは、自分の頭で考えよとゆう
趣旨だと、思います。
(ぐ ち)
きょうは、だべろう。
当初のトピの趣旨は、消え果てました。
諸行無常のひびきあり。
これからは、おりおり、思い出すことばでも、
あげていきましょう。
ものごとって、そういうものです。
何かのきっかけがあって、思い出すことばの
方が、多いのだから。
さあ、あさです。でも、はやすぎる。
もっと、ねむっときたいのです。
せっかくの日曜とゆう、ありがたい一日を
しあわせな睡眠につかいたいのにね。
も~、朝ごはんたべようか。
長文に、なりますか、きょうのトピ。
こころにのこる一言わ、最後のおたのしみに
してください。
たとえば、戦争という事実。実録のフィルム映像をみれば
どんなに、悲しい現実であるのかが、わかりますよ。
ぼくのばわい、恐怖でわなくなり、悲しみばかりです。
悲しくて、心の中に、涙がながれています。
無慈悲。
普通の人にわ、気にならないところに、異常な執着心を持つ人が
殺人とゆう犯罪へいたります。ゆがんだ、心理。
個人の殺人犯罪も、戦争での殺戮も、正常な心理でわ、発生しません。
その一つの証拠になると思いますが、戦争から、復帰したひとにわ、
精神障害にくるしむ人が、多く、逆に、一見、異常なさそうな人が
かえって、さらに、大きな異常を、かかえていることも、あると僕わ、
思いますよ。日本の歴史の中の有名な人々のなかにも、
いくさのし過ぎの中で、しだいに、人格が、崩壊し、精神に異常を
きたした結果だとしか思えない所業を、残しているひとが、いますよね。
こわくないですか。人間の精神は、強くわないのです。
自己の存在に執着心を持ちすぎる人わ、他人をころすことが、
平気な傾向が強く出るのわ、当然なことです。
社会性の欠如と、いえそう。おのれのこころのなかの
悪い心を、捨てきることのできない、執着心の強すぎる人わ、
すくなくわ、ないのでわ。
今日のひとことわ、中国に、出典のあることばなのだそうです。
すなわち、「山中の賊を破るは、やすく、
心中の賊を破るは、難し(かたし・がたし)」です。
わたしたちの日常生活も 毎日
どこかで 不安わ つきまとって
いるものです。
不安への対処をあやまらないとゆう
気持ちが重要で、いかなる思い込みも
危険なのです。失敗のもととなりうる。
ぼくのこころの内の
すべてを、察してください。
恩師の先生わ、勇敢さの大切なことを
指摘されたのだと、思います。
臆病になってわいけない場面・状況があることを
言われているのだと思います。
石川 啄木 歌人・文学者
このひとの短歌 数首 記憶に とどめる
程度のものでしか 研究家でわないので
ないのですが、明治・大正・昭和の時代が
おおくの一般庶民にとって、どんなに、悲しみと苦痛の
時代であったことだったかという事実にも
目をむけてほしいもです。
啄木の印象わ、一生を、失意と悲しみの中で生きたとゆう観が、
作品の一首、一首から、伝わってきます。
たはむれに 母をせおいて そのあまり
軽きに 泣きて 三歩 あゆまず
東海の 小島の 磯の 白砂に
我 泣きぬれて かにと たわむる
やはらかに 柳 青める 北上の
岸辺 眼に見ゆ 泣けと ごとくに
(そう。現代も、依然、それほど
人間の考え方や世の中が、そんなに、よい方に
変わったとゆうわけでわ、ないのです。
少しだけ、個人の生活面が、むかしに
比べたときは、良くわなってるけど。
むかしとくらべたときわ、ですよ。むかしと。)
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