ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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人間の心は、食べることはできなく、
つまり、自分の心の中の言葉と、
書くなり、話すなり、体のそとにでてくる言葉が、
同じものであっては、人には、伝わるものではないとゆう点に
ついて、言及するものであります。
相手の人の言語世界に、アレンジ、また、翻訳しなくてはならない
言語が、存在するとゆうことを、意識してほしいとゆうところ
です。
人は、たいていの食材は、何らかの手を加えて
人には、提供しますよね。ことばも、にています。
自分の心の中に、出てきた言葉そのままでは、会話や、コミュニケーション
が、形成されてゆくことは、ほぼ、ないのです。または、相手の人に
負担をかけさせている場合もあるでしょう。むしろ、この点の方がだいじかも。
自己中な人には、やや強くあらわれる傾向(もちろん、だれにも、あって、程度に
差があるだけ・・・っと、ぼくは、思考中です。
人間の心は、食べることはできなく、
つまり、自分の心の中の言葉と、
書くなり、話すなり、体のそとにでてくる言葉が、
同じものであっては、人には、伝わるものではないとゆう点に
ついて、言及するものであります。
相手の人の言語世界に、アレンジ、また、翻訳しなくてはならない
言語が、存在するとゆうことを、意識してほしいとゆうところ
です。
人は、たいていの食材は、何らかの手を加えて
人には、提供しますよね。ことばも、にています。
自分の心の中に、出てきた言葉そのままでは、会話や、コミュニケーション
が、形成されてゆくことは、ほぼ、ないのです。または、相手の人に
負担をかけさせている場合もあるでしょう。むしろ、この点の方がだいじかも。
自己中な人には、やや強くあらわれる傾向(もちろん、だれにも、あって、程度に
差があるだけ・・・っと、ぼくは、思考中です。
さあ、きょうも・・では、ありません。
ひとりごとのコーナーなので、いろんな
日があるんです。ほざく日もあるし、
つぶやきの日もありますよ。
ぼくね、よー考えるやつなんですけどね、ちと、
子どものころ、頭悪いやつだったんで、人の何倍も考えないと
わからないことが、よくありました。その習慣が、ずーっと
尾をひいて、こうなってしまったんですが。
頭悪いと、白状すると、みなさんは、ばかにするかもしれませんが、
ぼくの場合、ごく幼少期に、二度、頭を強打して、生死の境まで
言ってたことがあったのだとか。本人は、記憶が飛んでいますよね。
ま、とにかく、よー考えるやつでして・・、それで、こうも、
思うんですね。人間て、わかっているつもりでも、行動面でわ、
体現化できてないことって、ありますよ。
やさしさって、ゆうテーマだって、奥が深いのです。
コミュニケーションとゆうテーマも、そう。
人間の一番に、大切なところのようですね。しかし、一番、時間が必要な
ものであるし、能力面でも、より高めてゆくには、意識と努力と、そして
そのための長い長い時間も、必要なんです。
きょうのは、ただの つぶやき です。つぶやき。
なにから 話せば
どこから 話せば ・・・ よいのだろ
ひとりの人の体。せいぜい、体重数十キロが、ふつうの
相場ですよね。これ、分子レベルでその個数で、見たらどれくらいなのだろう。
たとえば、銀河系の恒星の数と、人体内に存在する分子や原子の個数
くらべたら、どーなるんだろ。とゆうぐらいに、ものすごい数のはずですよ。
とゆうことは、体内に侵入してくる有害細菌類と体の免疫軍の闘いは、
宇宙戦争レベルだと、ゆうように、想像したほうが、
より、ふさわしい予測なのかもしれませんねえ。
スゴイ、戦いが、体内で、おきているのダ。
お釈迦様の説かれるところとは、たとえば、
誤った、間違った考えにこだわる愚かな心を捨て、真実への
悟りを開きなさいということなのだと、ぼくは、思っています。
ところが、その悟りなるもの、また、真実なるもの、一つ、
見つけるのにも、ずいぶん、時間と苦労もいるのに・・ですよ!
ちょうど、星の数に値するように、もしかしたら、無限にさえ、
存在しているのかも、しれないのですよ。
しかも、間違った考えのままで、よい結果や、期待する結果は
現れることは、ありませんよね。よき偶然が、起きても、
それは、天のプレゼントであるのだと、謙虚であるべきです。
その人が、かしこかったのじゃないのだと。
お釈迦様の説かれるところ、この世は苦の世界。
苦の世界は、悲しみの世界でも、あるのは、自明のことです。
しあわせの世界をねがうなら、考えのあやまりを知り、
真実への悟りを得てゆかなければ、その実現はありません。
人類社会、全体の問題でも同じです。平和が、実現しないのも
本気で、考えた人は、いないことの証拠です。
ロケットでさえ、一つでも、異常がおきれば、飛行できない
事態は、再三なのです。これと、同じことです。
上に、上げたところのはじめの方は、
ひとりの人の体も、分子、原子、(素粒子?)
レベルでは、小宇宙の世界なのだなあと、ゆう意味です。
ふしぎですよね。わずか何グラムの有限な質量にさえ
内部には、そうゆう、最小レベルの世界では、ほぼ、無限に
近い世界が、存在しているとゆーこと。最小単位って、もっと、
ガツンと、大きいものなら、わかりやすいじゃないですか。
調べるほど、小さな単位が見つかってゆき、最後は、巨大な
エネルギーへと、変わることで、質量とは、消滅することも、
宇宙では、可能なのかな?これ、オバケ的世界ですね。
テレビのドラマは 大きな声で
どなってるシーンが あるよね
いくら、現実と映像化された世界は、同じじゃ
ないといういいぶんかもしれないけど、
どならなくてはならない製作上の事情、原因は、
わかりませんが、現実では、たとえ、家庭内で
意見の食い違いが、おきても、あんな、どなるような
物言い日常のものじゃありませんよね。
番組制作の人、気にならないのかな?
家庭的題材のドラマでも、だれかが、どなっている
場面が、たいてい、何度も出てくること、よく、あります。
個人的には、少しも楽しくない。
最近は、心がなごむ番組少なくて、また、心がうきうきなるような
魅力とエキサイトさせるものがある番組と感じさせるものも
出会わないし、見たい番組、とても、少なくなりました。
どことなく、どこか、うっとおしいものが、あるんですよね。
番組制作のひとの感覚が、どこか、にぶっていませんか?
きのうと、おとついは、あたたかい雨の日だった。きょう、
きょうも、雨だったけれど、朝、ずーっと向こうの山の木は
雪か何かで、白くなってた。しもじゃなさそう。雪だよ、たぶん。
きょうは、少し寒い。だけど、くつした一枚で、寒くないように
なった。うめの花も、少しは、さいてる。
ふーむ。
初めから終わりまで和みまくって終わる番組もあれば、不安・恐怖を煽る番組もありまふ。
制作側としては両方作らなければゲット出来る視聴者が漏れてしまふ。
制作側がおかしいのではなく、それだけ視聴者は千差万別という事でひょうか。
又、怒鳴る事を良しとしなひ年代やそうでわなひ年代、更にツッコメば、怒鳴るという行為の定義付け自体が普遍なものかまで考えねば答えは出なひのぉ。
コチラでは今日昼間に雪が降りまひた。
ワシが外出した1時間の間雪だったのに、家に帰った途端止みまひた。
…。
ワシ何かしたかよっっ!(怒
やれやれ、このチャットへのいそうろうも
やおないですよ。
だって、ふーは、本来、気ままで、風のように
ありたいやつなんですからねー。ほんとだよ。
ここで、子守させてもらってるようなものですね。
ごはんたべさせてもらってないぞ~。ボラちゃんですよ。
ボラちゃん。ボランティア。無料のサイト使ってるかわりにね。
政治は、国民全体への、福利厚生の
ためなのに、どれくらいそうなっているのかは、
国によって、様々なレベルの差があるのを
感じます。本当に、国民全体への、人間性ある
価値観をもって、政策をかんがえているのかどうか
なのです。
進んだ価値観とは、あるべき姿の真実により、近づく
ことのできた形の考え方をゆうものでなくては
なりません。見かけだけ、いじくっても、
進化じゃないから。
どう考えても、わたしたちのご先祖の歴史は、
権力に利用されたというしかないほどに、
不幸な、不幸すぎる歴史でした。
たとえ、くずと言われようが、そんな多くの
人たちひとりひとりが、社会を支える貴重な
ひとりひとりであるという考えが、ひどい扱いを
うけた歴史。逆です。ひとりひとりが、すべて、
かけがえのない大切な存在として、認識される
政治であるべきなのです。
大量消費の思想の罪悪を、気づきましょう。
自分の体を、考えてください。不要な部分が
あるでしょうか。生きた細胞すべて、基本、
全体の存続のために、働いています。
腫瘍?じゃあ、不要だからって、かえって
切除したことで、あとの経過が、かならず、よいとは
いえないでしょう。なにも、しないほうが
むしろ、よかったってゆうことも、あるのでは
ないかな。
真実とは、簡単じゃないことも、また多いのです。
乱暴とは、思考の論理の正当性の中断を、意味します。(つねに)
あか。死滅した皮膚。不要か?といえば、さにあらず。
死してなお、生体を、あかは、まもってくれているのです。
細菌類、有毒物、太陽光もふくめ刺激物質の皮膚へのダメージの
緩衝地帯として、あかが、存在している。
一か月、風呂入るなという意味ではないですよ。
でも、明らかに、死してなお、ひふは、あかとして
私たちの生きた体を守るために、存在しているのです。
生命の摂理に気付こうという心のない人には、
通じない話かもしれません。
社会とか国家とゆうものを、自分個人の
利得のための支配下におさめたい心のある人には
でてきてほしくはない。
そういう人は、他人の人生、幸福、命を、軽いものとしか
思わないから。
そうゆうことこそが、思い上がりであるでしょう。
ん?
政治は福利厚生の為とな?
より良くしてボーナス貰えると嬉しいでふが、仕事は給料の為でふょ、あくまで。
あと、歴史を語る上で、当時の価値観を現代の価値観で語るのは現在の反省の為であって、過去を批判する為では無ひでふ。
思考の正当性には普遍性など無いのでふ。
身体に不必要な部分はあるか?
まあ、身体側としては自分の存在アピールは必要でひょう。
そうしなひと、盲腸・尻尾の様に身体に不必要になり退化しまふから。
政治とは、身体全体を保つ為に、今何処の機能が必要か、最悪腕一本落としても生き延びねば、腕は再び生えてこなひけどしゃーないか、今は身体中調子に乗ってるので、普段は汚らしい・無駄だと皆に言われるヒゲでもファッションの為に生やすか、を考える事でバランサー及び少しの方向性を示す事でふ。
為政者の当たり外れは又別問題ではありまふが、為政者はある意味人気商売。
為政者の話す内容は国民、身体の声なんでしょうなあ。
腕一本で、命を助けようと
いうところに、直行
する思想を、安直だという意見なのです。
それしか、じつわ、考え着かないあたまを、
あかんというのです。
政治という行動自体が既に損得勘定なのでふよ。
色んな主義主張はあれど、まとめ役がいる時点で差が出るのでふよ。
自然の摂理的は弱肉強食なのに、人間だけその摂理に逆らう。
いや、逆らってはいなひ。
逆らってるフリをする。
フリをする事に価値を見出し、その価値で更なる差別化をする。
これが人間の正体だと思いまふ。
別に直行してる訳では無いのでふが。
対案が無いのでそうせざるを得ないのでふよ。
腕を落とす決断はその場ではなく、普段考えておく事でふね。
それしか方法が無いと思うのは、如何に普段無関心かと言う事でふね。
でわ問いまふが、腕を落とさなくて良いという考えはいつまとまりそうでふか?
時間はあまりないでふよ。
真理なんて待ってられまへん。
その間に腕を落とす人の責任は時の為政者にもあり、考えをまとめない人にもあるのでふ。
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