ふーちゃん 2022-08-25 16:35:47 |
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どの人にも、その人だけの発見、生活の知恵、生きてくための知恵は、あるのですよね。
玉ねぎ、高くなりました。二年前ぐらいから。少しだけ使っています。この間、みそ汁に、ナスとたまねぎとてんかすを、ぐにいれてみた。ナスとたまねぎ、予想外に、味がよくなり、おいしかったです!
みそ汁は、てんぷら(粉付けてあげるやつ)うかすと、おいしいんです。作る人の手が違うと、味は、変わるので、好みもかわります。
知識と知恵、近いし、似ているけど、その微妙な違いを、ひとは、どう説明するのでしょうか。かんたんじゃなさそう。難問だよ!僕には、ちょっと、まだ、説明が、うまくできません。感覚的には、十分すぎるくらいわかってるのだけど。
みなさん!よろしく、おねがいもうしあげます。あなたからのお答えを!
今日は、三連続投稿に、なったー。今年の夏は、一度も、虫のなく声に気付かなかった。鳴いていなかった。ここ数日の雨。おとといからの晴れ。今年初めての虫の声。昨日も今日も。今までの分取り戻すみたいに、盛大に鳴いています。はっきり夜が、すずしくなった。夜の間だけは、もう秋の気候。
ひとり言、あげてしまいました。残念!(ギター侍のように)本日は、ここまでです。ここは、広場。自由の空気を、すいに来てください。
今日は、三連続投稿に、なったー。今年の夏は、一度も、虫のなく声に気付かなかった。鳴いていなかった。ここ数日の雨。おとといからの晴れ。今年初めての虫の声。昨日も今日も。今までの分取り戻すみたいに、盛大に鳴いています。はっきり夜が、すずしくなった。夜の間だけは、もう秋の気候。
ひとり言、あげてしまいました。残念!(ギター侍のように)本日は、ここまでです。ここは、広場。自由の空気を、すいに来てください。
今日は、三連続投稿に、なったー。今年の夏は、一度も、虫のなく声に気付かなかった。鳴いていなかった。ここ数日の雨。おとといからの晴れ。今年初めての虫の声。昨日も今日も。今までの分取り戻すみたいに、盛大に鳴いています。はっきり夜が、すずしくなった。夜の間だけは、もう秋の気候。
ひとり言、あげてしまいました。残念!(ギター侍のように)本日は、ここまでです。ここは、広場。自由の空気を、すいに来てください。
三番目の投稿が、二度、ダブってしまいました。
怖い話だって、さけていきません。私たちには、今はもう、真実に気付くこと、そして、自分の覚悟を、決めるしか、最後のささやかの幸福を、大切に生きる方法は、ないのです。
今、人類社会に、充満しかかっているのは、狂気という名の、爆発性のある有毒で危険な気体です。人類が、どのくらい正気をとりもどせるものでしょうか。二千年の昔、すぐれた方が現れても、結局、社会は、自らを救うことのできなかったところの人類社会なのですから。僕は、全然、楽観できません。否定的です。僕には、何もできないのでしょう。それでも、死ぬまで、悪あがくのです。
はかの、だれにも、できないことだから。地球上、七十億の人々の中の六十九億くらいの人が、行えば解消する部分の危機も、そういう流れにはなってゆきません。少し考えれば、お分かりですよね。
怖い話題にも、向かいつつ、その怖さを忘れられる幸福な話題にも、触れていきたいと、心では思うのです。ここは、自由の空気が、おいしい、広場。
狂気に、おかされた人には、自分の異常さを、自覚できないのです。自覚があるなら、それだけで、十分、りっぱです。
ぼく自身、苦しんでいることは、口でゆうことと、頭で考えることは、いくらでも、言えます、考えられます。でも、正しい実行、立派な行いは、そこには、ついていなけいのです。賽の河原の石こ積みのよう。一つ一つ、よい行いを積み上げる。そこに、おにがやってきて、こわします。でも、積み上げ終われる人が現れたなら、そのひとは、きっと、地蔵菩薩のお助けにもより、仏の世界へとむかえらることでしょう。
地獄は、あの世だけにあるのではありません。たとえ、セレブになれても、幸せになれてはいないはず。そんなに悲しい世界が、私たちの現実世界なのです。この世も、地獄であるのです。
この毎日の、日常生活にさえ、正しい生き方というものがあるのです。そういうこと、考えるの嫌いという方も、おられるのでは。話せば、実に、かんたんなことなのです。毎日の生活習慣のまずいやり方に気付くことが、できて行ってることが、正しい生き方です。日々、工夫と改善のある生活態度のある生き方が、正しい生き方だと、思ってください。反省のない生き方に、正しさは、ありません。
国家としてのありかた、政治のありかたでも、これは、まったくおなじ。反省と、正しい改革なき政治に、正義なし。高評価は、しませんよ。改革は、しばしば、狂奔しがちが、歴史上。頭冷やしてよ。
八月二十六日 金曜
狂気や凶器が、正義であるわけはないでしょう。他者を打ち負かすための言葉を、正義とは、思うべきでは、ないかもしれません。その言葉は、凶器にもなりうる。そもそも、正義とは、そんなに簡単に、みつかるものではないはずです。罪に平然となれという意味ではないけれど、自分が正しいと思い込んではいけない。自分の考えの誤りに、無神経になっては、いけない。
コバエのお話。 知る人ぞ知るコバエも、また、知らない人もいるのが、ひとの世です。あの、小さな小さなハエ。今年、うちでは、二回、発生しました。生ごみを、新聞の広告の紙で包んでから、捨てるようにしたら、いなくなりました。紙の中くぐって、ごみのとこ行くのも、外に出てくるのも、相当大変な仕事らしくて。そらそうでしょう、洞窟探検みたいな状況なのでしょうから。いやになるんでしょう。いなくなってしまいます。新しいえさ場をさがしに、いったのでしょう。
こんにちわ。
ふーむ。
正義についてでふか。
ワシ思うに正義と悪は一本の棒の両端にあり、幾ら正義に近づいてもそこは悪であり、又その逆に悪に近づいてもそこは正義である、と思いまふ。
でわ何が正義と悪を分けているかというと、その時の社会通念であり、その社会通念でさえ時に変化してゆく。
コバエでふか。
コバエを悪と規定するからでふよ。
うーん。なあるほど。そうすると、人間は、皆、その中間あたりのしゅうへんに、美奈、集まってるってことですかね。はしっこの落っこちそうなとこには、いない。地球でも、南極点と北極点には、人間が、生活してない(?)のに、似ているわけですね?管理者さん、禁止解除してください。
一日で、食べられない量のおかずを作ったときには
ふつうは、毎日、違う献立を作るので、労力が、かかります。二度目の同じおかずで、まずくても、量が足りなくても、食べつくすのが、楽です。食べたりないのは、がまんしても、よいし、トーストでも、おにぎりでも、バナナとか、いくらでも、食べたしのバリエーションは、あるはず。そこを工夫するのも、頭のトレーニングですよ。同じもの、二、三日続けるのが嫌なのは、体が、何かの栄養が足りてないことを、知らせているのだと、ぼくは思います。何を食べたらよいのか、それが、わかったら、ハッピー。
くねくねというUMAのようなものと 同じくフライイングヒューマノイドのことのお話
検索かけてみてください。
僕の体験。後者の方から。テレビで、紹介されたんだ。そこから、何十日後だったか。近くの空港の作近く、上空を見上げたら、出ていた。信じられなかった。気持ち悪かった。頭のいい人の、人の悪いいたずらではないかとしか思えなかったのだが、自分の頭が、おかしくなったのではとさえ、思った。
くねくね
ぼくの目撃の方が、何年も先行している。たぶん、まちがいなく、くねくねだったろう。
秋の田んぼの、収穫前で、スズメ除けのテープが、きらきらしているころ。百メートルくらい、距離があったかな。怪しげで、気持ちの悪い動きをしている、何か正体がはっきりとは、わからない、見えにくいものがあった。どう見ても、異常な現象だとわかったけれど、田の神様という信仰があるくらいだから、田んぼには、これくらいの怪奇現象は、ありうると思った。近づくのは、あぶない、取りつかれるというのが、即時の判断だった。近くまで、身に行かなくてよかった。気違いになるんだってよ!
信じなくていいけど、嘘ごとや、作り話ではないことを、言っておこうね。
たとえ、幻覚や、錯覚だということでありえても、はっきり、今も、覚えている。
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