調査記録(〆)

上のお達しだ。
（気だるそうに答えながら拳銃をショルダーバッグに戻し、もう一発喰らった少女が瞳を覆っていた両手を外そうとしたところで「見るなよ。精神が壊れる。」彼にそう端的な注意を促すと自身はまた壁際の方に戻り、壁に凭れ掛かっては彼と少女に背を向けてあろうことか煙草に火を点ける。少女の両手で覆われた瞳は大量かつその全てがあらぬ方向を向き、両手からは黒く粘り気のある液体が滴っていて）

はぁ！？(敵を見ずに何とかしろ、なんて彼から聞いた中でも最悪の無茶ぶり、その上本人は優雅に煙を燻らせており更に苛立ちが加速するがそれでも素直に視線を少女から反らして。「ナイフか何か近接の武器があれば。」鼻につくタール臭さは調査官の煙草の物ではなく、少女の手からどろりと垂れ落ちるあの黒から漂う物だと判断した上でオカワリの武器を雇い主に強請って。

…旅人よ、頭を垂れよ。望むのならば血を流せ。されば汝の願いを聞こう。
（男は突如として、酷く億劫そうではあったが煙草の煙と共に何処の言語か分からない文言を発す。その言葉を聞いた少女は変わらず恨み言を呟きながら頭を抱えて呻きはじめ、動きが一瞬遅くなったところでショルダーバッグから取り出した折り畳み式の、柄に儀式に使うような装飾が施されたナイフを投げる。「…高いからな、壊すなよ」先程と同じ注意をしてから煙草を地面に落とし、靴底で揉み消して）

俺の頭がおかしくなったら綺麗な看護師の居る病院にぶち込んでください。（壊すなよ、の命令は聞かなかったことにナイフを受け取れば、少女の顔を視界に入れぬよう目は伏せがちのまま相変わらずの減らず口を叩いて。1、2、3、4、ここから少女までの歩幅を目視で計ると完全に目を瞑って間合いを詰める。タールの臭い、絶えず垂れ流しの呪いの言葉、肌にべったりと纏わりつくような重い空気、五感を不愉快に刺激するそれらは視覚ひとつ封じたって少女の姿をありありと自分の中に溶かしこんでくるようで。ナイフで少女の瞳を真一文字に切り裂く瞬間、目を閉じていたはずなのにそのうちの1つがこちらをぎょろりと睨んだ気がしたような

…ふむ。癪だが、どうやら僕はきみに対する評価を少々改める必要があるらしい。
（最期に空気を切り裂くが如き呪言を叫び、無数の瞳がふっと消えてその場に倒れ込んだ少女の身体に近付くと男は彼の手からナイフを奪い取り、少女の肌に先程唱えたらしい古代言語を刻む。少女はぴくりとも反応せず、されるがままになっていたが刻み終わったらしく立ち上がると彼の方を振り向き、そう言っては踵を返して「着いて来い。コレを研究室まで運ぶ。」とぶっきらぼうではあったが今までよりはどことなく穏やかに聞こえるような声で指示を出し）

俺、おかしくなってないですよね、
(運べ、という命令に立ち尽くしたままに尋ねて。あの、こちらをさっき睨んだ瞳がぞわぞわぞわ、と増殖して顔中を埋め尽くすイメージが脳内を侵食していくような感覚に襲われ。大体精神が壊れるなんて脅すような事をいう彼がいけない、目を瞑っていた筈なのに、見えるはずがないのに、めがあうわけがないのに、と心中の呟きが実際に口から漏れていたのはどこからだっただろう

…早速前言撤回だ、この役立たずめ…コレの影響を受けたか。
（命令したものの運ぶ気配がなく、苛立って振り返ればそこには怯えきって全く使い物にならない彼の姿があった。その姿を冷たく睨んだ男はそう、心底嫌そうに漏らし、舌打ちを一つするとつかつかと苛立った足音を立てて彼の元へ歩み、彼の右頬に重く鋭いストレート一発をお見舞いする。ゴッ、と鈍い音が鳴り、男は拳を撫でながら彼を冷ややかに見下して「目は覚めたか？」と問うがまた舌打ちを。次に口を開いた男の口から洩れたのは先程の古代言語の続き―「我が名を畏れよ、我が名を称えよ。我が名は―――。我は弱き人の子に救いをもたらす者なり。」名の部分はノイズがかかったように聞き取れないが―を唱えると彼の脳内を占拠していた少女の幻影が消え始め）

い、ってェ、（鈍く痛む頬を手で抑えたまま反射的に調査官を睨みつけ。少女の顔を切り裂いたすぐ後の記憶が靄がかったように曖昧で、何故急に殴られ、そして何故目の前の彼がやはり不機嫌そうにしているかも分からずに。「ちゃんと倒したんだから褒めてくださいよ。」、戦闘中もよく分からない呪文を唱えるわ、いきなり部下の顔面を殴りつけるわ、やはり彼の事は一生理解できないと諦めの気持ちを抱きながら文句を零して。

きみの評価を多少は見直そうと思っていたが、台無しだ。
（男はどうやら正気を取り戻したらしい、誉めろと宣う彼を冷たい眼差しで睨んではそう吐き捨てる。「正気に戻ったなら運べ。」元のぶっきらぼうな声で命令したかと思えば自分はさっさと止めてある車の方へと歩き去っていき、運転係の男が一礼してドアを開いた車の後部座席にいつもより苛立った様子で腰を下ろしてはショルダーバッグから小さなケースを取り出し、中の錠剤を服用しては彼に「早く運べ。ソレはしばらく無力化してあるだけだ、時間が経てばまた動き出すぞ。」とつい今しがた正気に戻ったばかりの彼に対して情け容赦のない、横暴極まりない指示を飛ばして）

げえ、運ぶ、運びますよ。
(目を瞑ったままの化け物退治なんて芸当、相当の集中力と運がたまたま重なったからできたラッキーなのであって1日にそう何度もできない、慌ててソレを肩に担いで。いそいそと車に積み込んだのは勿論ソレがまた目覚めるのが怖かったというのもあるが、少女を抱えている自分を少女誘拐犯と勘違いした一般人が悲鳴をあげてお巡りを呼ぶ、という有り得そうなトラブルの方がより恐ろしかったからで。再度車の助手席に乗り込んで「流石に今日はもう帰りますよね？」何故か今日はどっと疲れた、２軒目へのハシゴは勘弁してくれと考えながら半ば悲痛な声でそう尋ねて

…今日はコレを記録することが先決だ。一旦帰る。
（男の声はぶっきらぼうではあったがどこか楽しげで、運転係の男に「帰るぞ」と指示を飛ばす。運転係の男はごく普通に頷くとエンジンを掛け、車がその場から離れるにつれて空の色は重苦しい鉛色から元の明るい空に戻っていき、彼の所属機関に着く頃には空の色はすっかり青く戻り、眩しい程の太陽が降り注いでいた。男はトランクから取り出した少女を運び出し、男のオフィスよりさらに地下、独房のような部屋が立ち並ぶ場所へと運び込み）

お化け屋敷なんかあったんですね。
(大人しく地下へ彼の後をついて歩けば、怪異たちを収容するらしき房が並んでおり。先程から珍しく少し楽しげな様子の調査官を不思議に思うが、怪異を調査できる事が嬉しくて仕方ないのだろうと判断し、やはり変人なのだな、と改めて失礼な評価を下して。地下はどこか重苦しい雰囲気が空間を占拠しており、落ち着かなさげに辺りを見渡すと上記を呟いて。

…きみは随分失礼だな、研究室だ。
(男は冷えた瞳を彼に向け、相変わらずぶっきらぼうな態度のまま、少女を空いた房の中に放り込んで番号札を扉に掛けたあと鍵を掛ける。「…きみ、腹は空いていないか。今の僕は少々機嫌がいい。」彼の方を振り向いた男は相変わらずの無表情ではあったが、どことなく普段よりは穏やかさの見える声色で彼に問いかけて)

え、肉食べましょう肉。
(突然の食事の誘いにぱち、とはしゃいだように目を見開いて。先程人の形をしたものをぶった切った直後の台詞であるとは思い難いが、あくまで食べ物に罪はなく、罪深いのは自分だけというセオリーゆえに。しかし日頃自分の事を鬱陶しいだの役立たずだの罵ってくる相手が突然優しくなった事に不審感を抱き、飯を食わせてやったのだからアレと戦え、コレの実験台になれと非情な命令を下してきそうだ、と思いつきが頭の中をふわふわ占拠していたご馳走の夢をかき消し。「…なにか企んでます？」と訝しげな目を向け

…僕は機嫌がいいと言っただろう。行くのか、行かないのか？
（あからさまに機嫌を悪くした様子で吐き捨て、研究室にいた無口そうな職員に少女の管理を任せると男は彼を冷たく見やり、研究室を先んじて出て行く。「…肉か。行きつけのリストランテは開いていたかな。」エレベーターに乗りながらショルダーバッグから取り出したスマートフォンを弄っており、彼の話など一切聞いていないようで）

でもこんな犯罪者連れ回して大丈夫、なんですか。
(勿論奢ってくれるのは有難いし、食べることも好きだけれど、街の人々がこちらに不躾にぶつけてくる視線を考えるとほんの少しだけ億劫になる、エレベーターで2人になった時にそんな事を質問して。暗い暗い隅で生きていると、日向の蝶たちがこちらを揶揄うように、もしくはこちらなんて見えていないかのようにひらひらと前を飛ぶのが眩しくて鬱陶しい、無意識のうちに噛み締めていた歯がカチリと小さな音を立てて

だから？僕の護衛なら誰も文句は言わないさ。
（男はスマートフォンから目線を外さないままあっさりと言い放ってみせ、エレベーターが止まって外に出るとそこには普段の公用車ではなく、ボルドーカラーの高級そうなスポーツカーが一台止まっていた。男は迷うことなくそのスポーツカーの運転席に乗り込むとハンドルに手を掛け、「早く乗れ」と助手席を指して）

…まぁ、もう何も言わずお供しますよ。
(あまり派手な真似をして、口やかましいらしい【上】に叱られないのかと心配してやったのもこの変人には杞憂だったようで、溜息をつくと観念したように車へと乗り込んで。沈み込むように柔らかなシートの感触に思わず「高給取りめ、｣とごく小さく洩れた呟きは運転席の本人には聞こえていなかったことを願って

何か言ったか。
（スポーツカーの煩いエンジン音に紛れ、彼の洩らした声は聞こえなかったらしく男は一度聞き返すものの、興味をなくしたようで目当てのリストランテまでスポーツカーを走らせる。スポーツカーが停車したリストランテは高級そうな外観、洒落た名前と如何にも男が利用していそうな雰囲気があり、男はスポーツカーを降りて「予約は取ってある。行くぞ」とだけ言って店内に入ろうとしていて）

こういうとこ、入ったことはあっても食べたことはないです。(この間まで刑務所の臭い飯を食べていたはずが着いた先はビストロどころかリストランテ、神様が書く台本は少々荒唐無稽すぎる、と困ったような笑っているような、そんな曖昧な表情を見せて。昔、大っぴらには言えないような仕事で荒稼ぎするような怖いオジサン達の護衛として付いていった時の事を思い出し、今回も仕事の一環だと思えばいいのかと覚悟を決めて後へと続き。