匿名さん 2022-07-30 16:42:56 |
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…僕は心配ない。もう、慣れた。
(どこか含みのある言い方でそう洩らし、男は彼に嘲笑するような眼差しを向けて「…それに、今はきみがいる。僕が見ていなければ何をしでかすか分かったものじゃないからな」と嫌味ったらしく言い放つ。男はややあって右手でペンダントを探り、鏡面仕上げの蓋を開くと中にはひび割れたクオーツの欠片と酷く焼け焦げ、映っている人物の判断もつかない写真が入っており、男はそれを黙って助手席の彼にも見えるよう掲げ)
家族か誰かですか。
(彼のいつもの偉そうな嫌味は聞こえなかった事にしておく、とは思うもののより増した目付きの鋭さに現れてしまっているのはさておき。男か女かすら分からない古びた写真を一瞥し、そう問う、肌身離さず誰かの思い出を持ち歩く事はおろか、関わってきた大抵の人間の記憶をろくでもない悪夢だと忌み嫌ってきた自分の、家族、の発音はおかしな風には聞こえなかっただろうか
…僕の友人だ。
(男はそう呟くと続けて「怪異に喰われた。存在と記憶に干渉する怪異にな。…だから、僕以外は誰も彼がいたことを覚えていない。」と普段より数倍は力のなく聞こえる声で言った。ペンダントの蓋を戻し、再び首に提げるとクオーツの欠片が中で跳ねる小さな音が響き)
でもあんたは覚えてる、
(湿っぽい話は苦手だ、普通ならどういう反応をするべきなのか分からないし相手の全身から発せられる哀しみにこちらまで溺れそうに息が詰まる。多分もっと他に言うべき事があったのだろうけれど、自分が発したのはどうして調査官だけが記憶を失わずに済んだのか、という事への疑問で。
……僕だって写真がなければ忘れていた。『彼女』の気まぐれだ。
(男は例の地下独房に一人閉じ込められて「くれて」いる最初の怪異ー『彼女』の名前を出し、視線を窓の外に投げかけてそれきり黙ってしまう。沈黙に耐えきれなくなったか、運転係の男がハンドルを握りながら「……あまり聞かない方が良いですよ」とだけ口を開いて)
気まぐれ、ねぇ。
(あの蛇は他の怪異が起こす被害や人間の頭の中にも干渉できるらしい、ぬらぬらと濡れ光る鱗を思い出しながらそう呟いて。せっかく忘れられるのに思い出させるなんて、流れ去る記憶に縋る澪標をわざわざ写真という形で与えるなんて、やっぱり蛇は惨い、なんて口に出して言ったらそれこそどこで聞いてるか分からないな、と薄ら皮肉っぽく口角を上げるだけでそのまま口を噤んで
……
(意地を張るように黙りこくったままの男に伏せ気味の視線を投げ、運転係の男は車を停めて「…着きましたよ」と口に出す。男は何を言うでもなく車を降り、彼にも冷えた視線を投げかけて「降りるぞ」とだけ言って機関の中へと歩を進めては怪異を地下の研究所まで担ぎ込む。研究員に後を任せ、男はオフィスのデスクに腰を下ろしてパソコンのディスプレイと睨み合いをしており)
ねぇ、俺も死んだら覚えててくれます?
(仏頂面でデスクに向かう彼に、いつもの様にソファの向こうから顔だけ覗かせて、そんな事を尋ねたのはそれこそただの気まぐれ、きっと無視か返事代わりの冷ややかな視線が返ってくるだけと分かっていての質問で。相手の心の傷を更に抉ること位でしか誰かと関われない自分には気づかないふりをして、残酷に明るい声をあげ
…僕は、誰も忘れない。忘れられない。…勿論、きみのことだって覚えているだろうな。
(男の声は彼に答えるでもなく、独りごちるようにそう洩らしてはすぐ強がるように「…これまでで一番出来の悪い暴れ犬だ、とね。」と目元と口元を歪め、最初に比べて多少は親しみを持った視線で嘲笑してみせる。作業が一段落ついたらしく、くるりとデスクチェアを一周回して彼の方に身体ごと視線を寄越し)
(予想外の返答に一瞬たじろぐ、いつも役立たずだとか無知だとかそんな罵倒と共に投げかけられる淡白な眼差しに随分自分は慣れきっていたらしい。暖かな温度を内包した彼の表情にも気付けば余計どういう対応をすべきなのか分からない、そんな動揺に瞳を少し泳がせるも瞬きひとつでぱちりと元の人を食ったような表情に戻り。「まぁ、こんなとこすぐ出てってやりますよ。」と負け惜しみなのか照れ隠しなのか、そんな台詞を
…ふん、勝手にしたまえ。
(男の方も男の方で、口を滑らせたと言わんばかりの苦々しい表情を微かに浮かべるもののすぐにそれを引き込めて普段の表情に戻ると、デスクに放り出したままだった山積みの小難しいタイトルをぶら下げた洋書たちを手早く本棚に戻し始め)
いつか死にそうになったらあんた置いて逃げますからね。
(部屋に流れる、この和やかとは言い難い空気感が日常の風景だと感じる程に自分はどうやら彼との仕事に落ち着いてしまったらしい。元々フリーで気侭にやっていた仕事、少しならこういうのもありか、なんてソファにもたれて大きな欠伸をする自分は昔よりは穏やかになったのだろうか、とふと考えて。待遇は良いし、雇い主も性格は悪いがまだ比較的無害な方であると思えばしばらくはこの仕事をしてやってもいいだろうと思った上での軽口を
…
(男は言葉を発するでもなく、薄く口元を歪めただけでコーヒーメーカーの元へ歩いていき、普段ブラックを好む男にしては珍しいカフェモカを淹れる。湯気の立ち上るカップを片手にデスクに戻るとショルダーバッグから取り出した書類に一瞥をくれ)
今日捕まえたアレ、どうするんですか?
(自分たちが確保した怪異は毎回無表情な職員に引き渡される、そのまま収容している事までは知っているけれどその先は研究という曖昧な言葉でぼやかされているだけ。きっと自分が聞いたところで理解はできないのだろうけれど、それこそ今回の変化するアレは見世物か、もしくは誰かに秘密を話させる手段にでもすればいいのにと下衆な事を考えながら
…きみが知るべきものではない。
(男はカフェモカを啜りながら一言、普段通りの冷たさの中にも微かな心配が伺える声でそう言い放つ。男の書類を捲る片手は普段通りだが、瞳は静かに伏せられていてペンダントにもう片方の指先が這い)
お前は何も知らなくていい、は悪者がよく言う台詞ですよ。
(裏社会で働いていた時もよく同じ文言を聞いた、捕まえてこいと言われた物を雇い主に持っていくだけ、やれと言われたら何であろうと黙って遂行するだけ、真面目ぶった機関の人間が同じように言うのはおかしい、と少し笑いながら。何処まで行っても自分はただの安価な使い捨て道具、その不可侵な一線を意固地に守り続けるのはそれが楽だと知っている自分なのだけれど
…僕の善意だ、せめてこれくらい聞いておきたまえ。
(飲み終わったカフェモカのカップをメーカーの注ぎ口に戻し、ペンダントの鎖を鳴らしながら彼の近くまで歩み寄ると底抜けに冷えてはいるが、極めて真っ直ぐな視線を投げかける。「…本当に、知らない方がいいんだ。」と語るその声は切実で、切羽詰まったような響きを持っていて)
あんなお化け屋敷、元々入るつもりありませんから。
(混じり気のない青がこちらを捉える、人の眼を見つめるのは苦手な性分なはずだったのに、綺麗な鉱石のように輝くそれについ目を奪われてしまったのかもしれない、ソファに座ったまま彼を見上げて、自分にしては比較的素直な返事を。大体余計な事を知ったせいで豚やら犬やらのディナーにされてしまった人間たちも今まで見てきた訳であるし、嗅覚というか自分の勘のような物が危険を告げる場所へむざむざ踏み込みたいとは思えない、と
(ぐしゃぐしゃに丸められたメモ用紙のような物をオフィスの床から拾い上げて。ゴミ箱に投げ入れようとして外したのだろうか、自分よりずっと頭も育ちもいい彼は時々こんな風に大雑把な一面を見せる、手の中のそれをそのままゴミ箱へ突っ込んでしまおうと腕を伸ばせば、自分しか居ない部屋の扉の向こう側にふと気配を感じ、当の本人が戻ったのだろうかとそちらへ目を向けて。
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