相乗りで何処までも 【 〆 】

女装してんのにハードボイルドって矛盾してんだろ。____まぁあんまり他人に見せられるもんじゃねぇけど、間違いなく思い出深い写真だな。アキコに俺達の方が美少女だって言ってやらねぇと
(イベント会場内では様々なロリィタ服で着飾った女性達が可憐に、あるいは優美にオブジェと共にポーズを決めていてカメラマンがシャッターをきっていく。好きという感情が溢れるこのイベントに参加する人達も泣かせずにすんだのだと思えば心はとても晴れやかだ。そんな所に女装した自分達が再び入るのは野暮というもの、ハードボイルドを発揮するのは探偵の格好に戻ってからとしよう。それに貰った写真だけでも十分思い出は作れたと言える。手の中で広げて捲っていく写真はどれも自分達を特別綺麗に写し出していて、この中にいるのが自分自身だという事実が不思議に思えてくる。相手の大袈裟な物言いには笑ってしまうが現に手の中にある写真は思わず目を奪われてしまうようなものばかりで一概に否定することは出来ない。依頼のためだというのに随分楽しんでしまった気もするが結果解決に導く事が出来たのだから問題はないだろう。全てが片付けば翔ちゃんとフィーちゃんのお役も御免だが、ふと行きの電車の中での会話を思い出す。ボレロが破れて肩周りを隠せなくなった以上あまり長居は出来ないがあの観覧車に乗るくらいの時間はあるだろう。後日改めて来ても良いのだが相手の興味がまだ向いているならと「最後に観覧車、乗っとくか？」と問いかけて)

アキちゃんが持ってくる依頼が女装ありきなものにならない事を祈るばかりだ。2人で撮った写真も増えてきたし今度アルバムでも買いに行こうか。…！乗りたい！
（この街の平和をまた守れたこと、初めてロリィタ服を着飾りイベントに参加したこと。二つの意味で思い出深い写真となった。こちらの物言いに相手も笑うがそれをそのまま所長に伝えれば機嫌を損ねるか逆に契機だとばかりに女装が必要な依頼まで取ってくるかの未来が容易に見える。面白い体験ではあったが女装を趣味にするつもりはなく、次の機会は暫く後でいいと困ったように呟きを零す。全てを見終わりひとまとめにしてカバンにしまう。今回はイベントの写真だったが最近は写真を撮る機会も増えてきて、現に部屋には写真立てで何枚か飾ってある。だがこのまま写真が増えて行くのに合わせて部屋を写真立てで埋め尽くす訳には行かないだろうしただ仕舞って置くのも勿体ない。沢山写真を貰った事だし今度暇な時にでもアルバムを買う案を相手に告げる。 何はともあれ依頼は解決だ。このまま帰る流れではあるが今日は依頼を早く終わらせたご褒美がある。それを言い出す前に相棒が話を振ってくれて当然前向きな意思を示す。きらきらと好奇心に輝かせた笑みを見せる姿はとてもお淑やかなお嬢様ではないがフィーちゃんの役目は終わったのだから演技する必要もないだろう。観覧車はここからもよく見える。「乗り遅れる前に早く行こう！」とはしゃぐように声をかけるとそちらの方角へ弾む足取りで向かい始め）

げッ……やっぱここら辺の写真は見せない方が良いな。アルバムか、いいな。これからも写真増えていくだろうし
(所長にこの写真見せればスリッパは飛んでくるだろうとは思っていたが当てつけにまた女装させられる可能性は考えていなくて、有り得そうな未来に思わず声をあげる。この写真は良いとは思うがまた女装をしたいかと言えば答えはノーだ。ハードボイルド探偵の名に傷がついてしまう。とはいえ女装の写真を見せるようにとは言われているので、後で素人丸出しの見せる用の写真を撮っておいたほうが良さそうだ。それも含め最近は思い出と共に写真を撮る機会が増えてきた。写真は大切に保管しているが確かに箱に入れっぱなしでは勿体ない。それにきっと、これからまた二人で共に過ごせば写真はいくらでも増えていくだろう。それらをいつでも見返せるようにアルバムを買うのは賛成で今度何かのついでに買いにいく事とした。どうやら観覧車への興味は薄れていなかったようでこちらの問いかけに相手はすぐさま返事をする。先程までの上品なお嬢様な雰囲気も良かったが、いつも通り好奇心で目を輝かせる姿もまた魅力的なもので口に笑みを浮かべながら「観覧車は逃げねぇよ」と先に歩き出してしまった相手を追うように続いた。側まで来てみれば見上げる程の大きさの観覧車、入口横に設置された券売機で乗り物券を買うと早速乗り場へと向かう。係員に券を渡してゆっくりと動く観覧車の前に案内されるとそのまま中へと乗り込んで)

＿＿ 真下から見るとより大きさが実感出来るね。あの円柱状の場所に乗って回るわけだ。＿ 翔太郎、凄い！ 浮いていくようだ！
（膨らむ期待に合わせて早足に進んでいけば観覧車の元へと辿り着く。電車から見た時から大きいことは分かっていたが同じ場所に立ってみるとよりその大きさがわかる。仕組みとしては円柱状の乗る場所を上から吊り下げて回るといった単純なものに見えるが物珍しい乗り物に興味惹かれるばかりだ。そうして観察を続けているといつの間にか乗り物券を買ってきてくれたようで共に乗り場へと向かう。乗り方もゴンドラは止まらずゆっくり動くそこに飛び乗るといったもので簡単ではあるがちょっぴり緊張もした。無事に2人とも乗り込むことが出来れば係員が入口のドアを閉めてくれてゆっくりと回る動きでゴンドラは高くなっている。周りがガラス張りの独特のフォルムのゴンドラは吊るされてはいるが完全に固定されていなくて乗り込む体重の移動や風で揺れる。観覧車特有の不安定さを感じながらも向かい合うように設置された椅子の片方に座り窓の外を眺める。徐々に高度を増し先程までいた地面から離れていけば子供のように声をあげながらも変わっていく景色を齧り付くように見ていて）

ここで暴れるなよ？まぁでも……上空から風.都.を眺めるなんてこと滅多にできないからな
(ゴンドラに乗り込み扉が閉められるとあとは二人の空間だ、係員とも無言でやり取りをして女装を貫き通したがここではもうそれをする必要もない。ゴンドラが少しずつ上がっていくと共に相手のテンションも上がっていたようで向かいの席からは無邪気な声があがっている。観覧車のゴンドラは一点でしか支えられておらず不安定だ、揶揄うようにしてこの中で動き回らないように釘をさしておく。だがここからの景色に興奮するのはよく分かる。相手と同じく外の景色を見遣れば地面から離れた分遠くまで景色が見えるようになっていてこの街の全景を見回す。変身後に風で体が浮かび上がることはあってもここまでの高さにはならない。風.都.の全景とこの街の象徴たる風.都.タ.ワ.ーを眺めることが出来るこの観覧車が子供の頃から好きだった。隣をみればいつもとは違う格好ながらも一緒にこの街を守る相棒がいて、ゆっくりと風.都.を眺められる場所に連れてきて良かったと小さく笑みを浮かべていて)

分かってるよ、落ちたくはないからね。 …君の言う通り良い景色だ、僕の大切な物を全部視界に納めることが出来る。
（安全設計上そう簡単に落ちたりはしないだろうがこちらを子供扱いするような言葉に意趣返しのように万が一の可能性を提示しながら返答する。そんな話をしている間にもゆっくりと観覧車は高さを上げていき半分を過ぎた。高くになるにつれて遠くの景色まで見通すことができるようになって象徴である風,都.タ.ワ,
ーを含め街全体を眺めることが出来る。二人で守ってきて、そしてこれからも守っていく大切な景色だ。事件が解決した直後だからか、何処か感慨深い気持ちを抱えては穏やかな笑みと共に呟きを零す。360度ぐるりと街の景色を眺めると視線は自然と向かい合う一番大切な存在に吸い寄せられ、慈しむような笑みとともに相手を見つめて）

だろ？いつ見ても風.都.は良い街だ……、…俺は前乗った時からひとつ大切な物が増えたな。特別大切なやつが
(眼下に広がる街をじっと眺める。地図には乗らない裏道まで知り尽くしたこの街を上から眺めれば遠くに人々が歩く姿が見え同時に各所に思い出が散らばっていて、これからもずっとこの街を守っていきたいという思いが胸に湧き上がる。その思い出には相手と紡いだものも随分増えてきた、それだってこの街を泣かせたくない理由になっている。遮るものない中で愛する街を見下ろしていたが、不意に相手の言葉が途切れて向かいの席の方を見る。そこには優しい目を向ける相手の姿があって相手の『大切な物』の中に自分が含まれているのだと理解すると嬉しくて、でも恥ずかしくて照れ隠しの笑みが浮かんだ。この観覧車にのってこの街を守りたいと思う心は昔から変わらない、だが以前と違うのは同じ思いを持つ相棒がいて、互いに想う恋人がいる事だ。観覧車は時期に一番高い場所へとたどり着く、この街を見る上で一番の特等席となる瞬間を共に迎えたくて静かに立ち上がると相手の隣へとゆっくり座った。大切な人越しに大切な街が見えるこの景色を心に留めて置こうと相手から目を逸らさずにいて)

改めてそう言われると照れてしまうね。…いつまでもこの景色が続くようにするのが僕らの使命だ。 …ね、翔太郎。
（相手と目が合うとその顔は照れたような嬉しそうな表情に変わる。メイクや服は違っても大切な相棒の顔だ。その反応に満足していると不意に相手が立ち上がって隣へと移動してきた。僅かにゴンドラが傾くがより近くなった距離は確かに安心出来るものだ。相棒がこの街をどれだけ大切に思っていて愛しているのかは隣に居て十分過ぎるほど知っている。だからこそ、それと同等のように大切だと語られると胸の内が擽ったくて照れ臭そうに呟きを零した。そろそろ頂点に到達しようとしている。年月が経てば色々変わるものもあるだろうが、その街の平和と相棒との関係はいつまでも続いて欲しい。そしてそれを成し遂げるのが自分達の役目だ。相手を見つめて改めてその決意を確認するように口にする。角度的にも他のゴンドラからも見ることが出来なくなる頂上、二人で交わした約束の条件外になる事に気付いてしまえば自然と身体は動いていて導かれるまま軽く唇を重ねる。すぐに離れると悪戯が成功した子供のように笑ってみせ）

…っ、………あぁ、そうだなフィリップ。ここから見えるもの全部、大切に守ってこうぜ。俺達二人で
(ゴンドラは一方に重みがかかったせいで斜めに傾いているがおかげでこの街も相手もよく見る事ができる。ゆっくりと頂点へと達したゴンドラ、守りたい街とずっと共にありたい存在と、いつまでもこの景色があって欲しいと相手と同じように思う。風.都.を背景に携えこちらを向く相手の姿を記憶として脳内に収めていると不意に相手の顔が近づいた。反射的に目を瞑れば互いの唇が重なる柔らかな感触がある、直ぐに離れていくその動きに合わせて目を開けば悪戯な笑みを浮かべる相手の姿があった。それはいつもと見た目が違ってもいつもの相手の笑顔だ。決意と共に特別な場所で交わされたキスはまるで誓いの口付けのようで照れはあるが相手と何時までも、何処までも、使命を果たしていきたいと改めて決意させるには十分だった。自分と同じ志を共にする相棒がいて、互いに大切に想う人がいて、胸が暖かに満たされていく。その溢れる暖かさのまま腕を回して相手のことを抱きしめた。出かける前は服装が乱れるかもしれないと控えていたがもう我慢する必要もない。メイクや服でいつもとは違う匂いと感触であってもその奥には確かにいつもの相手の存在があって、特別大切なものを優しく抱き締めていて)

ああ、 …また一つ君の好きな景色を一緒に見る事が出来て良かった。
（この遊園地の一番高い所で一番大切な相手に口付けを送る。抱いた決意を誓うようなものでもあり溢れる相手への想いが止まらなかった故でもある。突然の口付けへの反応を伺っていると背中に腕が回って優しく抱きしめられる。服の質感や嗅ぎ慣れない化粧品の匂いは混じっているが触れる身体は間違いなく信頼できる相棒のものでこちらからも腕を伸ばして抱き締め返す。いつの日かまた観覧車に乗った時にも平和な街を見ながら笑いあっていたい。暖かな腕の中で相手の言葉にこくりと頷いては幸せな時間を噛み締めていた。やがて半分程の高さまで降りてくると名残惜しそうに腕を解いて離れる。相手がおすすめして好きだといった観覧車からの景色を一緒に見て気持ちを共有する事が出来た。また一つ相手との思い出が積み重なったことに満足げな笑みが自然と浮かぶ。外から見ればゆっくりとした動きであったのにあっという間に地上が近づいてくると「帰ろうか、翔太郎」と相手の手を取り女性をエスコートするような仕草で降りる準備をして）

俺もこの景色をお前に見せられて良かった。……また二人で来ような
(相手からも腕が回されて抱き締め返される。360度視界を遮るものが無いこの空間、大切なものに包まれているようで、同時に大切なものを全て抱き締めているようにも思える。腕の中で頷くその仕草さえ愛おしくて思わず頬を擦り寄せていた。やがてゆっくりと腕が解かれて体が離れていく。今まで一人で見つめていた観覧車からの景色は、今日二人で眺めた大切な景色へと変わった。長らくこの風の街に住んでいるが、この観覧車に限らず見慣れた景色の中に相手との思い出が積み重なっていくのが幸せだ。特別今日はその気持ちをハッキリと感じて、笑顔を向ける相手にこちらも自然と笑みを浮かべていた。ゆっくりと回っていたはずのゴンドラはもう地上へと着いてしまう。淑女をエスコートする仕草にいつもなら即突っ込む所だが、今日はこの格好に免じて大人しく「あぁ」と返事をし手を引かれてゴンドラを降りる。本来ならば人前で手を繋ぐなんて出来ない事だが、今の格好ならば二人が探偵だなんて気づく人間はいないだろう。そのまま手を離さずに指を絡めてより強く二人の手を繋ぎ合わせれば遊園地の出口へと向かって歩き出して)

勿論、次はデートとして他のアトラクションにも乗ってみたい。___ …その姿ももうすぐ見納めだと思うも少し寂しい物があるね。
（この大きな街の中で少しずつ共に過ごした場所も時間も増えていく。大切な人の好きを共に見て知っていくことがこんなにも嬉しいとは少し前の自分は知る由もなかっただろう。幸せな時間はあっという間だ。純粋にまだ触れていたかったのとからかい混じりに手を取ってエスコートしようとしたのだが、珍しく素直に応じられてこちらが驚く番だった。とはいえ嬉しい誤算だ。ゴンドラを降りて遊園地を出るまでの間も指を絡めて強く握った状態で歩く。普段なら決して出来ないことでこの服を着て全くの別人のようになった副産物を有難く噛み締めることとする。相手による次の約束には力強く同意を示し、今度は二人で依頼では無くデートとして観覧車の他にも設置してあったアトラクションに乗りたいと希望を伝えるように返事をした。行きは電車で来たのだから帰りも勿論電車で、遊園地を出るとそのまま駅へと向かう。その間も通行人から幾らか視線を受けるがこの姿だからか手を繋いでいるからといって変な目で見られることもない。流石に駅に着けば手を離すことになったが遊園地の事を話しながら帰路に着く。駅から事務所に帰る最中、帰ってしまえばこの姿も終わりかと思えば開放感がある一方で何となく寂しくも思えて記憶に残そうと相手の全身に視線を向けながら呟き）

任せとけ。俺のオススメも含めて完璧なデートにしてやるよ。____脱ぎたくねぇとは思わないが、まぁ……機会があればまた着ても良いってくらいには名残惜しいな。ちゃんとこの服取っとかねぇと
(恋人の繋ぎ方で手を繋いだまま駅への道を歩いていく。せっかく遊園地に来たがここを楽しむのは次回のお楽しみだ、流石にこの服で歩き回るのは難しい。だがそれもまた次への約束となればここを去る寂しさよりもいつかここに来る日の方が楽しみになる。その時はいつもの姿でこの愛する街にある馴染みの遊園地を紹介したい。そしてまた一人の思い出だった場所を二人で過ごした場所へ変えたいと願っていた。行き同様帰りも時折視線を感じるがそれさえ慣れたものだ。事務所までもうすぐ、そうなればこの姿ともお別れだ。積極的に女装したいとは思わないがせっかく時間をかけて魔法にかけられたと言うべき姿を解くのは確かに寂しいものがある。相手のこの姿もようやく見慣れはしたが魅力的なのは変わらない。ふわりと揺れる巻き髪を少量掬いあげて指を軽く絡ませる、こちらもその姿を記憶に残そうと暫く目線を上から下へと何度か移動させていた。また直ぐに女装の依頼が舞い込むとは思えない、それまではこの服達は大切にしまっておかなければ。名残惜しくしていてもその時は来てしまうもので見慣れた建物にたどり着けば階段を上がって事務所の中へと入る。この姿が名残惜しくはあるがいつもと違うことをし続け心身ともに疲れてはいたようでどっと疲労感が襲ってきた。ソファに座ると大きく息を吐いて「やっぱしばらくは勘弁だな」と呟いて)

最初にあんなに嫌がっていたのが嘘みたいな反応だ。 ああ、良い材質の服のようだから大切に保管しておこう。 ＿…ただいま。僕も今日ばかりは大分疲れたよ。
（どうやら次来る時はハードボイルドが完璧なデートプランで案内してくれるようだ。初めてくる場所で興味惹かれる乗り物も幾つかあったが全て次回のお楽しみということにしておこう。相手も今の姿でずっといたい訳では無いが名残惜しいとは思ってくれているらしい。女装を提案した時とはまるっきり逆とも言える反応に腕を振るった甲斐があると満足げに微笑む。巻き髪を指先で遊ばれながらもこちらも相手の顔や服との調和を記憶しようと視線を向ける。そこそこ値の張ったこの服が他の服と共に並ぶのを想像して思わず口元が緩んだのは内緒だ。そんなことを話していると見慣れた事務所に辿り着く。階段をあがり、事務所のドアを閉めるとやっと外部からの視線のない落ち着いた場所に戻ってきたことに息を吐く。慣れない服にそれらしい演技をしてド.ー. パ.ン.トとの戦闘も行ったのだから心身共に疲労している。先にソファーに座った相棒の分も含めて水を入れたコップ二つをキッチンから持ってくると一つを目の前のテーブルに置く。水分補給をしつつ相手の横に腰がけ、背もたれに体重を預けるように脱力しつつも同意するように呟いて）

お、助かる。ありがとよ。今日はお互いよくやったな。……そういやこれどうやって戻すんだ？
(女装すると相手から提案された時は断固拒否の姿勢だったが、あの時に比べれば確かに随分な変わりようだ。それも相手の下調べと練習の成果だろう、まるで別人のようになれるなんて考えもしなかった。ほとんど話せない状況にはなったが、そんなクールな女性を演じるのが正直楽しかった事は口が裂けても言えない。この服がまた日の目を見るまで翔ちゃんはひとまず封印することにしよう。こちらが先に一息ついていると相手は水入りのコップを持ってきてくれて礼を言ってそれを手にする。一口飲めば何も口にしていなかった体に冷たい水が染み渡ってリラックスするように息を吐いた。二人並んで座りへばっているが、ここからもうひと踏ん張りして元の姿に戻らなければならない。といっても服を脱ぐのは良いとして、メイクの落とし方が分からず相手の方を向いて自分の顔を指さしながらそのやり方を聞いた。化粧をしてからかなり時間が経っているはずだが相手の顔はここを出でいく時のままで簡単に落ちるものではないらしい。とりあえず洗えばいいのだろうかと親指の腹で頬を擦ってみて)

それくらいじゃ落ちないよ。 クレンジングという専用の油性の原料や乳化剤の含まれた物を使うんだ。 このまま立ち上がりたく無くなる前にぱぱっと魔法を解いてしまおう。
（一度座って冷たい水を飲めばすっかりリラックスモードに移行してしまいそうになっている。まだ事務所は開いていて別の依頼人が来る可能性だってゼロではないが今は格好も相まってまともな対応は出来そうにない。流石にそれはまずいと相手も思ったのか化粧の落とし方について問われる。依頼人から貸してもらった化粧品は一般的なものよりカバー力が強いものらしく、頬を擦ってもそこまで落ちたりはしない代物だ。化粧の仕方を調べる中でその落とし方も当然検索済みでその内容を相手に説明をする。油性基剤の多く含まれている化粧品は普段の洗顔料では落としきれずメイク落とし専用のクレンジングというものを使うのだ。それも一式を借りた時に貰っていた事を思い出すとこのままダラダラとして元に戻る気力が無くなってしまう前に行動してしまおうと立ち上がる。一度ガレージに戻り使う道具を持って上がってくるとシャワールームに併設された洗面台へと向かう。「まず目元が一番濃くメイクを施しているからそこだけピンポイントに落とすんだ」と話しながらもコットンにアイメイクリムーバーを浸して目元に当てる。軽く馴染ませてから拭えば片方だけ人形のように施したアイメイクが落ちて普段の目元に戻り）

クレンジング…にゅう、……とりあえず気力があるうちにやっちまうか。_____まぁ目が一番印象かわっ……くく、さすがに片方だけ落ちるとアンバランスだな
(疲労は感じているがこのまま休むこともできない状況だ、早いところ元に戻るべきだとは思うが相手の口から出てきたのは聞き慣れない単語ばかりで上辺をなぞるように言葉を繰り返そうとするもそれさえも叶わない。化粧同様魔法の解き方も相手に従ったほうが良さそうだ。僅かに残った気力でソファから立ち上がると相手についてガレージ、そして洗面台へと向かう。まずは目元のメイクから落とすようだ。メイクを施す時に目元を重点的に塗ったり描いたりしていたのを思い出せばそこから化粧を落としていくのも納得だ。相手の見よう見まねをしてコットンにリムーバーを馴染ませ目元へ当てる。先に相手が目元を拭えばその場所だけ綺麗に化粧が落とされていて、可憐な顔の中にぽっかり穴が空いたようなその様子に思わず笑ってしまう。やはり化粧は全体のバランスがあってこそだ。そうやって笑っているうちにこちらもコットンで目元を拭き取れば大方のメイクを取る事が出来た。だがバッチリと付けたマスカラは変に残ってしまったようで「なんかついてんな…」と目元を繰り返し拭っていて)

化粧の肝は目元と言っても過言では無いからね。 マスカラはこう睫毛を挟み込むようにすれば取れるはずだ。 目元が落ちたら全体のメイクをこのクレンジングオイルで浮かせてあとは普通に洗顔して流せばいい。
（彼女達の言葉で言うなら盛る事が出来る目元は一番印象が変わりやすい部分だろう。その片方だけを落とせば当然ちぐはぐな印象な顔になって相手にも笑われてしまった。それだけ化粧の変化が大きかったゆえの反応だと思えば悪くない。相手も同様にコットンで目元を拭うと全てを惹き付けるような眼は消えて見慣れた相棒の目元が現れる。マスカラに悪戦苦闘してるのを見れば目を瞑り睫毛だけをコットンで挟んでピンポイントに拭き取るようにアドバイスを施す。両目の粗方の化粧が落ちれば簡単な説明の後、クレンジングオイルを多めにとって顔全体に広げるように塗る。くるくると油分に化粧を浮かせるようにしてから流水を手で掬いいつもの洗顔のように洗い流せば魔法は溶けて素顔に戻る事が出来る。タオルで水分を拭き取れば表面を覆っていたものがなくなりさっぱりとしたものを感じながら「フィーちゃんは店仕舞いだね」と呟き）

睫毛を挟み込む……こんな感じか。よし後は……____やっぱいつものお前の方が落ち着くな。化粧するのにはあんなに時間かかったのに、ほんと魔法が解けたみたいだ
(視界の端にチラチラ映る黒い影を眉間に皺を寄せながら取ろうとしていると相手からまた助言があった。目を閉じて睫毛を挟み込むようにしそこにしっかりとリムーバーを染み込ませれば今度こそ化粧は落ちて思わず「おぉ」と声を漏らす。その後ももう片方の目元の化粧を落として言われるままこちらもクレンジングオイルで顔全体のメイクを洗い落とした。タオルで水気を拭きながら顔をあげればそこにはフィーちゃんではなくフィリップの顔がある。馴染みある相棒兼恋人の顔だ、いつもの姿には何処か安心感さえあって気の抜けた笑みを浮かべる。だがメイクは落としても今度は服装と顔が合っていない、いつもの相手の顔に可憐なドレスがくっついていればそれもまたちぐはぐな光景だ。元に戻るまであと少し「このまま服も着替えちまおうぜ」と事務所スペースに置きっぱなしの服の所へ向かって)

ああ、美女が隣にいるのも悪くはないけどやっぱり馴染みのあるこの顔の方が好みだ。 ＿…コレでようやく元通りだね。 着慣れた服が一番楽だ。
（相手もメイクを洗い流すと馴染みのあるいつもの顔に戻る。ある程度慣れたとはいえ目を常に引くようなクールな美人の顔よりも喜怒哀楽で表情が豊かに変わる普段の顔の方が好みで一緒に居たいと思う。それに気付けたのも普段とは違う装いをしてみたこそだろう。だが顔が元に戻れば今度は服との釣り合いが悪くなる。事務所スペースに戻っていく相手について行き服も着替えることとする。ドレスとブラウスを脱いでいつもの服に袖を通す。ウィッグも外して靴も履き替えると今朝事務所に訪れた時と同じ格好となる。着慣れた服になると女装していた時には無意識に姿勢を良くしようと変に力を入れていたことが分かり、それが無くなった今随分と楽だ。顔にかかりそうな横髪をクリップで留めながらも「今あの会場に行っても誰も同一人物だとは思わないだろうね」と小さく笑って）