相乗りで何処までも 【 〆 】

やっぱり最大の難関はお前かもしれねぇな……よし、これで服は全部か。足がスースーすんな…
(冷静に考えれば恋人がいつもと全く違う姿かたちになるのだから平常心を保っていろという方が難しい話だ。いつもより可憐で一層浮世離れした手の出し難い雰囲気に緊張するというのに、その顔が笑顔になって気分も弾んでいる様を見れば余計に心を掴まれてしまう。気が弛めばいつまでも目で追ってしまいそうだ。午後のイベントまでに慣れるべきは自分の顔よりも相手の姿かもしれない。しかもこれからさらに服を着て髪型も変わるのだから見慣れる難易度はさらに上がるだろう。だがしのごも言ってられずこちらも先日選んだ服に腕を通していく。ボレロとマントはワンタッチで取り付ける事ができて着るのに苦労はしないもののやはり着慣れない。さらに着慣れないのはスカートの方だ、腰の高さでベルトを締めなんとか女性らしいくびれはできたものの股下まで容易に空気が流れ込んでくるこの構造には落ち着かない。靴はロングブーツで足の肌色はちらりとしか見えず、男っぽい筋張った部分は隠れていて丈もバッチリだ。一通り着替えが終わるもやはりスカートは落ち着かず、腰から吊り下がるそれを見下ろしたあと、顔をあげて「変なとこねぇか？」と相手に確認をとり)

それはお互い様だ。 スカートなんて履く機会滅多に無いからね、それに靴も履き慣れないから下手したらコケそうだ。…、ああ。全く違和感がないと言う問題が起きている事以外は完璧な女性だ。 ……ここまで仕上がっていれば、知り合いに会っても気付かれないかもしれないね。
（こうして会話や着替えなどに意識が向いていれば普段通りの対応が出来るが不意に視界に入ったり目が合ったりすると途端動揺してしまう。普段の姿を知っているからこそ美しい姿で見慣れた表情をするギャップにドキドキしてしまうのだろう。イベントまでに慣れる気は正直しないが、逆に言えばこの姿は今日限りしか見ることが出来ない貴重な物だ。作戦を乱さぬ程度に記憶に納めておくのも大事だろう。これでも控えめらしいパニエの上からワンピースを着ればコルセットのような飾りの下からふわりと自然にスカートは広がって膝下辺りまで隠す。ブラウスの胸元で大きめのリボンを結び、フリルの着いた白い靴下に丸っこいデザインの茶色のパンプスを履けばコーデは完成だ。普段の服とはまるっきり違う服はやはり慣れないもので落ち着かない。袖のボタンを留めていると丁度相棒も終わったようで確認の為に声が掛かる。視線の先に居たのは黒を基調にしたファッションながらも紫がアクセントカラーとなり、クールな見た目ながら控えめについているフリルで可愛らしさもある相手の姿で、メイクの影響もあってより怪しく綺麗になった姿に思わず釘付けになってしまう。暫くそれを観察した後何とか返事を絞り出すがその仕上がりは想像の何倍もの物で驚きを隠せない様子で感想を続ける。変な所がない所が異常な光景だろう。知り合いでも恐らく最初は素通りしてしまいそうな変貌に思わず見蕩れたままでいて）

ヒールのねぇ靴選んで貰ったけど、転ばないように気をつけねぇとな……____お前も、一目じゃお前って分かんねぇくらいには女の子だな。……ずっと見ちまいそう……
(こちらの服装の確認のため向こうを見たはずなのだが視界に入った相手はちょうどブラウスの袖のボタンを留めているところで、隙のあるその仕草にまた胸が跳ねた。顔だけでも十分お嬢様の雰囲気だったが、ふわりと上品に広がるスカートに清楚な白のブラウスと靴下、まるで童話の主人公が履いているような丸っこいパンプス、そのどれもが調和をもって触れれば壊れてしまいそうな人形のような仕上がりになっている。こんなにも自分の心臓が早鐘をうつ音を聞くのは久しぶりかもしれない。それだけでなく可憐な顔はこちらの姿を見て驚き見蕩れているのが分かって、それだって気恥しくて困惑した顔を浮かべてしまう。相手を見るのも見られるのも心臓が高鳴って仕方がない、あらゆる事がイレギュラーで頭がどうにかなってしまいそうだ。なんとかこちらからも平常心で感想を返すが目は泳ぎっぱなしで、チークの色以上に顔を薄ら赤くさせるとまた本音が口から転げ落ちていた。それを誤魔化すように残りのパーツであるウィッグの方に取り掛かる。頭にネットのようなものを被って自分の髪をそこに押し込んでからウィッグを被ればあっという間に黒髪ボブに早変わりだ。ここまでくればほぼ完成だろう、残りは後でと置いてあるリップのみ。だがこのままではそのうち相手と会話すらまともにできなくなりそうだ。その前に対策をと「なぁフィリップ、口の塗る前にやりてぇことあんだけど…いいか？」とちらりと横目で相手を見遣りつつ聞いて)

…っ、そういう事を言われると、余計落ち着かなくなるだろう…。 ___…間違いなく君なのに君じゃないみたいだ。 …？ああ、構わないが…
（軍服をイメージしたキリッとした服とそれに合わせたツリ目がちなメイク。高貴で我が道を往くような孤高な雰囲気を感じられるのにその頬は重ねたチークより色濃く朱に染まり困ったように視線は揺れ動いている。いつも真っ直ぐと自分を見つめる瞳も睫毛をあげて藤色などで強調した効果もあって煌めいているようにさえ見える。そんな状態でずっと見てしまいそうだと本音が告げられると余計心臓がぎゅっと潰されたような感じがしてその緊張がこちらまで移ってしまいそうだった。その割には目が泳いでるよ、と揶揄う余裕すらない。相手が最後のウィッグを着用し始めればこちらも髪を纏めてネットに入れて胸元くらいまでの長さのショコラブラウンのウィッグを着用する。元々緩く巻き髪風にセットされているそれを絡まらないように軽く整えてシンプルなカチューシャを差し込めば完成だ。相手の方を見ればいつもは跳ねている茶色がかった髪が凛々しい黒髪に変わっていていよいよ本当に全身が変化したことになる。相手が相手である事には変わりは無いのにそれを構成する見た目の印象が大きく変わってしまうと転生してもう一度惚れ込むような妙な気恥ずかしさと幸せが混在して落ち着かないように呟きを零す。自然と口数も減って視線を迷わせていたが相棒からやりたい事の申し出があると不思議そうにしながらも了承するように頷き、何をするのかと視線を送り）

、悪ぃ……ほんと、なんでこんな緊張すんだよ……いやその……キス、していいか？ほら、なんかこう、先に一番恥ずかしいことやっとけば照れなくなるかもなって…
(相手も最後のパーツであるウィッグをつければいよいよ既知なのはその声だけになってしまって、目の前に立っているのは相棒で恋人のはずなのに視界に映るその姿は全く違う輝きを放っている。ショコラブラウンの巻き髪が加わればさらに日常からかけ離れ可憐で現実離れしている美しさを持つ女性がそこにいて息を飲む。想像だにしない決して見ることがなかったであろう姿が今目の前にあって、全く違う魅力が引き出された姿に心臓は既に限界近い。愚痴のような呟きを零すが答えは明白、相手があまりに魅力的ですっかり心を掴まれてしまっているだけだ。油断すればすぐに「可愛い」という言葉が口から出てしまいそうになるくらいには相手の姿に心酔してしまっている。暴走気味なこの気持ちをイベント会場に行く前になんとか鎮めなければならない。そこでしどろもどろに提案したのが口付けだった。半分の理由は相手に説明した通りだが、もう半分の理由としてはこんな可愛い姿の相手を目の前に自分が抑えきれそうにないからだ。相変わらず目を合わせられず顔を伏せながら無理やりこじつけた理由を説明し終えたあと、相手の反応を窺うようにその顔をちらりと盗み見て)

きす……ああ、キスか。…いいよ、翔太郎。この格好に慣れるためにもキスしようか。＿…っ、いいかい？
（その場を何とも言えない空気が支配している。恋愛感情など相手に抱いた事しかなく他人の容姿もさほど興味はないが目の前の相手の姿は目を奪われるほど魅力的且つ目を合わせられないほど緊してしまう存在だ。この調子では違うことで気が散ってしまって本来の目的である犯人を捕まえることは出来ない。そんな中でしどろもどろに提案された口付けだが、上手く回らない頭では文字としては捉えてもその意味を理解するのに時間差が起きて認識した途端さらに顔に血が上る。こうしてお互いの姿を見るだけでコレなのにさらに近付いて触れたらどうなるのか想像すら出来ない。だがいつまでもこのままという訳にもいかないだろう。筋の通っていない無茶苦茶な理論ではあるがそれにも気付けず少し迷うように視線を揺らした後その提案を承諾する。それにこの魅力的な姿を他人に見せる前に独り占めしたい欲もあった。出来るだけ平然を装ってこちらからも口付けを申し出るがそれを実行に移そうとする身体の動きは固い。ぎこちない動きで近づいて向かい合うような形で相手の前に立つが凛とした美しい格好と顔を前にするとなかなか顔と視線があげられずにいた。キスなんてこれまで数えられない程したのに初めてする時のようにドキドキしてしまっている。それでも何とか伏せていた目を相手に向けると恐る恐ると言った様に問いかけて）

お、おぅ……いい加減荒療治でもしねぇと事務所から出れねぇしな……よし、いくぞ……、____
(無茶苦茶なことを言っている自覚はあるが、動きはぎこちないのに心臓が暴れているこの体を落ち着かせるには相手に触れる以外どうしようもできなくなっていた。相手の視線が迷うように揺れるも同意を得られると、そのいじらしい仕草にさえ顔が熱くなるのが分かる。頭の中は今やほとんど相手の事でいっぱいだ。相手が堅苦しい動きで近づいてきて向かい合う形になるが、向こうの視線は下を向いたままでなかなかこちらを向かない。だがそれも奥ゆかしい清楚なお嬢様の仕草のようでまともに見ることができなかった。目の前に相手がいるだけなのに呼吸は不規則で荒い、酸素が上手く肺に取り込めない程度には体は硬直していた。だがやがて相手の目線があがる、その最中に見えた上目遣いすら心臓が強く鼓動を打つ。なんとか目を合わせるがその視線は戸惑いが含まれ初心な表情に見えてしまって、こちらの視線は吸い込まれるよう釘付けになり動揺で揺らめいていた。やがて意を決するように唾を飲み込むと相手の両肩に手を添える。たったひとつの口付けなのに今更こんなにも緊張することがあるなんて。微かに体を震わせながらゆっくり上半身を近づけるとやがて目を閉じて二人の唇を重ねて)

ああ、＿……、ん…キスの感覚はいつも通りだ。……、
（近い距離に妖艶な雰囲気のある相手の顔がある。その瞳は揺らめいていて格好良い女性の隙を覗いているような印象を受ける。決死の覚悟を決めたように肩に手を置かれるといよいよの雰囲気を感じて身が固くなりつつ相槌を打つ。相手にも聞こえてしまうのでは無いかと思うほど心臓がうるさく脈打つのを感じながらも近付いてくる顔に合わせて瞼を閉じた。直後感じる柔らかな感覚。見た目は全くの別人なのに唇が触れ合う感覚はいつもと同じだ。間違いなく目の前の人間は大切な相棒だと当たり前のことでも改めて認識すれば僅かに緊張は解れる。そのまま触れるだけの口付けを交わし、僅かにだけ離して目を開ける。変わらず目を奪われるような魅力的な顔で鼓動だっていつもよりも早いが顔も合わせられないような戸惑いは消えつつある。ぽつりと囁くように感想を口にするとその感覚をもう一度確かめるように今度はこちらからゆっくりと唇を重ね）

っ、……間違いなくお前だな………ったく、お前の化粧の腕は大したもんだな。おかげで問題なく潜入できそうだ
(唇が重なればそこの感触はいつも通り柔らかで暖かい、目を閉じて感じるいつもの相手の感触にゆっくりと変に力の入っていた体は解けていく。暴れ回っていた思考と心臓も落ち着いて、僅かに口が離れるとゆっくり息を吐いて目を開く。目の前には相変わらず可憐なお嬢様がいるがそこにいるのは間違いなく恋人だ。何処か浮世離れして近づき難い雰囲気を持っていてもこうやって口付けを交わす存在に違いない。今度は向こうから顔が近づいて再び唇は重なる。その口付けはまるで違うこの姿さえ自分のものなのだと、わずかに燻る独占欲を満たすものでもあった。ごくごく当たり前のことなのに散々動揺して口付けまでしなければ落ち着けなかった事実に思わず唇を重ねながら笑ってしまう。二人して女装して互いの姿に動揺して初心な手段で解決をしたものだ、一重に相手の化粧技術が高かったせいにつきる。顔は至近距離のまま再び目を開けると事の発端となった相手の腕を改めて褒めておき)

どうせやるなら他の参加者にも劣らないような仕上がりにしたかったんだ。 想像以上ではあったけどね。…格好は違うけどやる事はいつもと同じだ。この街の人を泣かせる犯人を絶対捕まえよう、翔太郎。
（二度目の口付けを終える頃には動揺も随分と納まっていた。予想以上に似合っていた相手の姿に変に動揺してそれを解決する為に口付けをするなんて冷静に考えればめちゃくちゃなのだが結果的にこうして落ち着いたのだから正解だったのかもしれない。至近距離で相手を見つめると軽く笑いながらも言葉を返す。相手が女装するなんて滅多にない状況にかこつけていつもより知識の収集や実践に熱が入っていたのも事実。より綺麗に美しい女性にようと全力を注いだのを褒められるのは素直に嬉しいがそれがこういう結果になるとは。こうして色々一悶着あったが日は昇ってきていて、昼に近くなってきている。より確実に犯人を待ち構える為にもイベントにも早めに参加した方が良いだろう。改めて相手と目を合わせる。格好良い女性の姿ではあるが頼りになる唯一の相棒であることには変わりない。依頼解決に向け改めて意気込みを告げて）

お前の努力の結果だ。なんならイベント会場で俺達が一番可愛かったりしてな？……あぁ、イベントに集まる人はみんな気合い入れて着飾ってきてんだ、それを傷つける奴は許せねぇ。じゃあ最後の仕上げして会場に行くか
(相手の情報収集と練習の成果はいかんなく発揮されている、お互いの出来にどちらも調子を崩してしまったのがその証拠だ。この様相ならば周りに劣らないどころか一番目を引く存在にだってなり得る。背格好の似た二人がそれぞれ可憐なお嬢様と麗しい軍人に扮して並んで立っていれば目立たない方がおかしいだろう。何より相手の腕の良さは今しがた目にした自分がよく知っている。冗談半分にそんなことを言いながらも自信満々な笑みを浮かべていた。時刻は昼近くでそろそろ出発の時間だ、意気込む相手にこちらもいつも通り探偵の顔で頷き返事をする。この格好になる労力は今日身に染みて分かった、それを無碍にするような犯人を放っておくことはできない。相手の肩から手を離すと最後のパーツ、唇を人差し指でトントンと指して)

確かにこの出来では有り得ない話では無いかもしれないね。 了解した。 …、これで完璧に可愛い女性の完成だ。
（冗談半分といった口調だが相手の完成度を見れば有り得ない話では無い。実際のイベントに行ってみないと分からないが完成度の高い見た目にすらっとした高身長もあれば目立つ存在なのは間違いないだろう。犯人はこれまでのイベントでも人気があったりクオリティの高く可愛らしい人物を狙うケースが多かった。その標的が自分達に向けば捕まえるのも幾ら楽になるだろう。相手の言葉に乗っかるように肯定を示しておいた。相手の姿も大分見慣れてきて改めて事件解決に向けて二人で気持ちを固める。メイクをして女性らしい顔つきになろうとも風.都.を守る探偵の顔をしている。肩の手が離れ、相手に促されると最後のパーツを仕上げる為にリップをテーブルから持ってくる。相手の顔に手を添えて慎重な手つきで先程キスしたばかりの唇を色付けていく。やがて血色が増し艶っぽく色めいた唇が出来上がればより一層魅力的に仕上がり、見蕩れるように目を細めながらも完成を告げて）

、……迂闊に顔触れねぇな……ありがとなフィリップ。なんか…会場行くのが楽しみになっちまった
(あれだけ別世界にいて触れ難い存在だと思っていた姿の相手も今や隣に立つ相棒だ。イベント会場で挙動不審な動きをすることもないだろう。逆に不意に自分の姿をみて動揺してしまう可能性の方が高い。だが今は心が落ち着いて代わりに自信が胸へと溢れてくる、相手の施してくれた化粧とこの服なら必ず上手くいくだろうという確信に近いものがある。これも化粧の魔法の一環だろうか。そして最後の魔法であるリップが塗られる。先程ここは落ちやすいと言っていたが顔のどの箇所も今や素肌は見えていなくて、無意識に頬をかかないように注意しなければならない。相手の目が見蕩れるように細められる、その目はやはり照れくさくて視線を泳がせるが完成を告げられたのならと視線を戻して礼を告げた。頭から爪先まで統一したテーマで固められた身なり、そのどれをとっても完璧だ。最初は女装ときいてあれだけ拒否反応が出たのに今やこの身なりが日の目を浴びるのが楽しみになってしまっている。少々浮き足立った事を口にしつつ「あとはお前の方だな」と視線を向けて)

犯人を捕まえるのが一番の目的ではあるけど、せっかくならばイベントも楽しみたい物だね。 …僕もこれでよしと。 じゃあ行こうか
（あれほど女装の案を出していた時渋っていた相手が会場に行くのが楽しみと言うとは化粧を施すまで考えられなかったことだ。前向きに楽しそうな姿が見れるのなら腕を振るった甲斐があるという物だろう。勿論今回はこの街の為に犯人を捕まえるのが一番の目的ではあるが、せっかくここまで大きく変化をしたのだから会場でのイベントを楽しんでもバチは当たらないだろう。緩い笑みを零して同意を示しながらも視線を受けると自分に合う色のリップを持ってくる。鏡を見ながら自らの唇にリップで色付ければより華やかになって今度こそ完璧なコーデの完成だ。簡単に身なりを確認して遊園地のチケットやメモリの入った小さな鞄を手にしてから上機嫌な様子で声を掛ける。この格好ならば外を歩けば視線を集めるだろうが自分達とは気付かれないだろう。全く違う自分になって外に出ることにワクワクした気持ちを抱きながらも相手の身支度を整えるのを待ち、慣れないパンプスで部屋を後にして）

確か撮影会がメインだったよな。イベントに参加しねぇと潜入の意味もねぇし、気を抜かねぇ程度に楽しもうぜ。よし、行くか
(相手が最後の仕上げとしてリップを口に塗る、より一層艶やかで瑞々しくなった口元は油断すればまた視線を持っていかれてしまいそうだ。先程の二の舞にならないよう軽く息を吐いてこちらも支度を進める。肩からは小さな鞄を下げるが中に入るのはドライバーが精一杯で所長に頼んでボレロの裏にメモリを入れる小さなポケットを作ってもらった。これで備えも万全、最後に店員に勧められたステッキを持てば準備万端だ。いつもとは全く違う姿のまま二人して事務所を後にし遊園地へと向かった。遊園地までは当然バイクを使う事が出来ない。遊園地は街の中心からは少し離れた位置にあるので電車で一駅ほど移動が必要だ。ロングブーツは履きなれないが平底のおかげで歩行は安定している、これもいざと言う時走れる靴をという店員のチョイスだ。同じ系統の服の女性が集まるイベント会場ならまだしもここはまだ日常の中、すれ違う人がチラチラとこちらを見るのが嫌でも分かる。だがそれが奇っ怪なものを見るものではなく、ちらりと盗み見るような視線なのだから周りにもきちんと二人が女性に見えているという事だろう。駅に着けばさらに人は増えて券売機で買った切符を相手に差し出しながら「こんなに人に見られんの初めてだ…」と思わずこぼして)

ありがとう。ああ、ちょっとした有名人になった気分だ。＿ 翔太郎、アレが観覧車という奴かい？
（事務所を出て外に出れば当然日常の中で多くの人が通りかかる道だ。慣れない格好ではあるが比較的歩きやすい靴をチョイスしてくれたのかすぐ転びそうになると言うこともない。それまでの道もすれ違う人から覗き見るような視線を受けていたが駅につけばより顕著となる。だが決して可笑しなものをみるような物でなく、物珍しさと綺麗さについといった様子の物で不快感はない。そこそこ顔が知れた相棒でさえ周りから気付かれた様子はないのだから変装としてもかなり良い出来なのかもしれない。切符を受け取り礼を伝えると相手の呟きに同意するように頷く。注目を集めるというのはあまりない経験だが悪いものでは無い。切符で改札を通り、ホームに上がったところ丁度来た電車に乗り込む。その時も乗客から視線を集めたがその原因が分かっていれば寧ろ嬉しさすらある。後から乗ってくる人もあって窓際に身を置くとドアが閉まり電車が発車する。この格好やイベントだって初めてだがそもそも遊園地という場所も未知の施設。窓を眺めてみるとやがて円状のゴンドラが複数ぶら下がっている大きな建物が見えてきてそれを指さしながら少し興奮気味に問いかけて）

悪い気はしねぇけど照れるな。____あぁ、あそこから見る風.都.の街もなかなか良い
(電車に乗り込んでもちらちらとこちらを盗み見る視線は止まない。それどころか小さいボリュームながらも二人の格好を褒めるような黄色い声が聞こえてきて嬉しいやら恥ずかしいやらだ。これも相手の化粧が完璧なおかげだろう、まさか二人が男だとは思うまい。声だけはどうしても男特有の低いままでいつもより音量を絞った声で返事をする。相手ならハスキーな声ということでギリギリ誤魔化せる所だろうが、声変わりを完全に終えたこちらの方はそうはいかない。イベント会場ではあまり声を出さない方が良さそうだ。そう言っているうちに目的地である遊園地が見えてくる、遠くからでも見える観覧車は名物のひとつだ。窓越しに外を眺めていた相手が観覧車を指さす姿を見ればいつもの愛らしさに容姿でさらに魅力が倍増していてつい視線を奪われてしまう。感情を抑えきれずに顔に笑みを浮かべながら観覧車の方をみやる、あれに乗る時間を確保するためにも早く犯人を捕まえなければ。そうこうしているうちに電車は駅へとついてホームへと降りる。改札を通って園への入り口を歩けばようやく同じような格好をした人がちらほらと見えてきて)

へぇ、なら早めに依頼を解決して時間があればアレに乗ろう！ ___ イベント参加者らしい人が何人か居るね。そういえば、呼び方も決めてなかったね。流石に翔太郎と呼ぶ訳にはいかないし…、翔ちゃんならセーフだろうか？
（視線や時折好意的な声を感じながらもいよいよ目的地が見えてくる。いつもより声量を絞った声で返事がされると流石に声帯までは女性らしくは行かない事に気付く。可能性な限り声を出さないかそれらしい声色を作る必要がありそうだ。そんな状態で観覧車の情報が伝えられると当然実際の景色がどんな物かと気になって依頼解決のご褒美にと言わんばかりに誘うような言葉を向けた。決定事項のような言い方だが相棒は反対しないことを見越してのことだ。そうして目的駅に辿り着いて電車を降りる。改札を抜け園方向の出口から歩けばちらほら似たようなロリィタ服を身につけた女性たちが同じく遊園地の方へと向かっている。自分達が着たものと違う種類のロリィタ服を着た人もいてその姿を観察するように眺めて呟く。これから会場に入り彼女達の中に紛れて犯人を待ち構える訳だがふと先程の声の件も含めて事前に決めておいた方が良い呼び方について考えが巡れば中に入る前に相手に提案してみる。フィリップも男性名ではあるが、翔太郎はより誰が聞いても男性だと分かる名前でせっかくこの格好をしても呼び名で女装がバレてしまっては意味が無い。少し考えた後、以前戯れで呼んだこともある街の人達からの呼び方を引用してくれば大丈夫かと尋ねてみて）

ま、あれに乗るくらいならバチは当たらねぇだろ。呼び方か……翔子って名前もあるし俺の方はそれで良さそうだな。問題はお前の方か……フィル、も男の名前だし、…フィリ…フィフィ…フィガロ…フィオナ……フィーちゃんでいいか？
(いつもならいつの間にか観覧車に乗ることが規定事項になっていれば小言のひとつくらい言いたくなるものだが、初めての遊園地で初めての格好をして楽しむ相手を眺めるのに観覧車はピッタリで今回ばかりはすんなりと受け入れることにする。観覧車くらいなら所長も許してくれる事だろう。遊園地の入口も見えてきた所でこの服装も浮くことは無くなってきた。他の参加者も各々綺麗なドレスに世界観に合わせた化粧をしていて気合いの入れようがよく分かる。なんとしても犯人を捕まえ彼女らを守らなければ。そろそろチケットをと声を掛けようとしたところで相手から呼び名について話を振られる。確かにお互い本名のままでは具合が悪い、こちらの呼び名は聞きなれたもので問題ないだろうと頷くが相手の呼び名はまた難儀なものだ。腕を組んで暫く候補をブツブツと出してみるもどれもしっくりこない。そもそも英名のあだ名を考えること自体の難易度が高く、最終的に自分と同じ命名規則でいいのではと投げやりな提案をして)

短時間のことだろうしそれで構わないよ。違う呼び方をされるのは初めてだから反応が遅れてしまわないよう気をつけなくては。 …、じゃあ行こうか、翔ちゃん。
（観覧車に乗るというご褒美の約束も出来たことだし気分は上々だ。入口近くになった所で相手の呼び方についてはすんなりと決まったがこちらの呼び方に頭を悩ませている。結局は安直な頭の文字を取る形が提案されてそれを承諾する。こういうイベントにはハンドルネームで呼び合う人も居ると聞いたしさほど浮くこともないだろう。それよりも今まで付加的呼称詞の差はあれどあだ名で呼ばれた事がなく、どんな呼ばれ方だろうと自分の事のように反応出来るかといった不安はある。違う呼び方をされる物珍しさはあるが周りに違和感を持たれないよう気を引き締めるように呟く。呼び方も決まればいよいよ入口のゲートが見える。中に既に犯人がいる可能性も考えればそろそろ切り替えてイベント参加者の女性として振る舞う必要があるだろう。気持ちを切り替えるように一旦深い呼吸を挟んだ後、鞄からチケットを取りだして差し出す。気持ち高めに声を出しながらも先程決めた名前で呼べばゲートを抜けて会場へと向かい）