相乗りで何処までも 【 〆 】

っ、……あいつ全員にあれやる気じゃねぇだろうな……
(こちらが注文を伝えると相手は畏まるように一息いれて、そんな仕草さえこの格好では可愛く見えてしまって口元は見事に緩んでしまう。しかしその後にご主人様呼びされた上ご主人様の為になんて言われれば心臓が強く鼓動を打って体が固まってしまった。こちらが何か言う前に相手は去ってしまってまんまと手のひらの上で踊らされていることに愚痴をこぼすように呟く。相手が恋人で臨時のメイドだから良いものの、もしこれが本物のメイドさんであれば完全にどハマり状態であり、自分は部類としてはいわゆる同担拒否の厄介な客に振り分けられる存在だ。相手が注文を取りに行く様子をどうしても目で追ってしまってヤキモキした気持ちを抱えてしまう、相手を長く拘束しようとしたり観察するような目線を送る客を思わず睨みつけてしまいそうになるが、なんとか自制心をきかせて目線を逸らすように心がけていた。暫くすればようやく相手がこちらの注文品を持ってくる、当然ケーキプレートにチョコペンで文字を描いてもらうのをお願いするわけだが基本的にはこちらのリクエストで書くものだ。一瞬のうちに脳内で思考が激しく巡る。ここで相手がメイドとして客につくすのを避けることは出来ない、ならばせめて初めては自分でありたい。周りの客がメイドさんに描かせていた文字の記憶を呼び覚まし一番他人に譲りたくない言葉を決める。少々固い動きで相手の方を見ると気恥ずかしさを滲ませながら「…大好きって書いてくれ」と周囲には聞こえないよう小さな声でリクエストして)

、それが独占したい言葉かい？ では、僕の精一杯の愛情込めて書かせて貰いますね。
(ご主人様と呼んだ時の反応を見る限りどうやら相手はこの姿に弱いらしい。その事が分かればこの服も悪くなくて次に近付いた時に何をしようかと考えながら接客に当たっていた。ケーキプレートを相手の席に運ぶと深く悩み始めてしまう。プレートに書くメッセージの内容だと予想がつけば表情は緩んで急かさずにその答えを待つ。やがて決意したような硬い動きでこちらに目を向け小さな声で何とも可愛らしいメッセージを要望されると思わず口角がつり上がってついいつもの口調かつ嬉しさに弾んだ声で呟く。こうもストレートに愛情表現の言葉を求めるのが珍しくもあり、愛おしくて小さく咳払い挟んでメイドモードに切り替えると笑みを見せながらも早速チョコペンを握る。ゆっくり慎重にケーキの横に『大好き』と文字を書いていきその後ろににメイド喫茶らしくハートマークを添える。まだ若干チョコに残りがあれば口元に手をやり少し悩んだ後大好きの前に小さく『世界でいちばん』と描き加えた。メッセージが完成すると文字の方向を相手に向くようにお皿を移動させ『ご主人様だけのケーキプレートの完成です！』と楽しそうな笑みを見せながら特別感を擽るように宣言して)

、当たり前だろ……あ、りがとな…
(誰にも譲りたくない言葉をリクエストすると相手は一時いつもの口調に戻ってそれも胸が掻き乱される要因になる。ちらりと相手の様子を見れば口元も口調も嬉しさが溢れていて自分のリクエストに喜んでくれている様も体に毒だった。返事はぶっきらぼうになってしまったが目が泳いでしまっていて照れ隠しなのは筒抜けだろう。相手がチョコペンを手にしたのを見ればプレートの方へと目を向ける。こちらのリクエスト通りの文字が書かれて横にはハートマークが添えられた。そこまでならまだ耐えることが出来たのだが、更に心を擽る文字が添えられると急速に鼓動が早くなるのが分かる。普通にメイド喫茶に来てメイドさんに同じ文言を書かれたとしても彼女も仕事として書いたのだと真に受けることはない。しかし相手は紛れもなく自分の恋人で心からこれを書いているのだと理解できてしまうと自分でリクエストをしておいてすっかり可愛らしい文言にノックアウトされてしまって、赤くなる顔を逸らしながら短く礼を言うのが精一杯だった。これ以上はこちらの身が持たず脳内が爆発してどうにかなってしまいそうだ、もう十分だと言わんばかりに軽く手を振ると相手をこの場から離そうとして)

…あ、大事なおまじないを忘れていたね。じゃあご主人様、今回は一緒に。
（相手にだけのメッセージをプレートに書き上げて見せると相手の顔がみるみるうちに赤くなっていく。どうやら書き加えた言葉は効果抜群だったらしい。返されたお礼の言葉もぎこちなく相手をかなり動揺させることが出来たと思えば心は踊って仕方なく口元は緩むばかりだ。今のでキャパオーバーになったのかこの場から離れるように手で促されるが助け舟を出してくれなかった仕返しの意図ともっと余裕のない姿が見たいという悪戯心が疼くとその場に立ったままわざとらしい口調でおまじないの存在を思い出したフリをする。あらゆる初めてが相手のモノならこのおまじないだって相手に最初をあげたい。すっかりメイドの仕事が楽しくなってきたのには無意識のまま、先ほど他のメイドが客と一緒にしていた光景を思い出すとそれを参考に胸の辺りでハートを作って相手にも同じポーズをするように促す。その姿を確認すると楽しそうに笑みを深めて「美味しくなーれ、萌え萌えっきゅんっ！」と媚び媚びの声で相手と共に手を動かしてケーキプレートに向けてハートを差し出し、とっておきのおまじないをかけて）

え、いやもう……っ、………
(相手のメイド服姿を見たかったのは確かだったがまさかここまで心掻き乱されるものになるとは思わなかった。自分が守らなければだとか相手の初めては全て譲らないだとか息巻いていたはずなのに今やすっかりメイド服姿の相手にやられてしまってまともに息をするのすら怪しい。プレートに落書きもしてもらいもうやることも終わりだろうと思ったのに相手は今思い出したと言わんばかりにおまじないをしなければと口に出す。もう十分なのは伝わっているだろうから確信犯だ。慌てて断ろうとするが相手はもう既におまじないのポーズを構えていてやる気満々の姿にまた愛らしさを感じて心臓が痛いほど掴まれる。メイドさんのおまじないが見れるだけでなくそれをやるのが新しいメイドさんとなると店内の注目度は抜群で周囲のテーブルの客はなんとなしこのテーブルを見ている。視界の端の方では相手の仕事ぶりをみるためかメイド長からの視線もチラついていて断るなど出来ない状況になっていた。羞恥を押し殺し顔を赤くしながら何とか胸の前でハートマークを作ると相手と共に控えめな動きで一緒におまじないを行う、練習の時に見ることのなかった相手のおまじないは服装も相まって簡単にこちらの心臓を撃ち抜いていった。頭は完全に空回りをきめていて何を言えばいいか分からず口をわなわなと動かしていたが最後に観念したように片肘を着いて頭を抱えるように俯くと「フィリップ………ギブアップだ……」と力無く呟いて)

ふふ、まさか君がこんなにメイドさんに弱いとは、新しい知見だ。
（相手が既にいっぱいいっぱいなのは伝わってくるがこれをやめる理由にはならない。周りの空気に押されるような形で観念したように胸の前でハートが作られるのを見ると心は弾んで仕方ない。そのまま押し切るように顔を赤くした相手と一緒におまじないを行うといよいよ限界を迎えてしまったようで片肘をついて俯いてしまった。聞こえてくる呟きは力無くハードボイルド探偵らしからぬ姿に若干勝ち誇ったように笑い声を零す。どうやらここまで動揺してしまう程メイドさんは魅力的らしく、相手とは対照的にいつもの口調でご機嫌に検証結果を述べた。これだけの手ごたえがあるならメイド服を着た甲斐があるというもの。もう少しちょっかいをかけたい気持ちもあるが流石にこれ以上はキャパオーバーで相手が動かなくなってしまいそうだ。丁度そのタイミングで他の客から注文の声が掛かると「またのご注文お待ちしてます」と告げて他の客の元に向かう。一度吹っ切れてしまえば案外役になりきることが出来てオーダーや配膳に加えてメッセージのリクエストに応えたりおまじないをかけたりといったメイドらしい仕事もこなしていく。店のメニューには一部オリジナルカクテルなどのアルコールが存在し、それらを先ほどから頻繁に注文している若い男性客二人組の席にカクテルを運びに行く。どうやら既にそこそこ酔っている様子でグラスを置くと手招きされて無警戒に傍に寄る。隅の席であることをいいことにテーブルの下で手首を掴まれて『これだけ注文しれるんだし、すぐに帰らないでもう少しここに居てよ』『アズサちゃん目当てで来たけど代わりのフィノちゃんも可愛いなんてな』『ってかこんだけ可愛かったら男でも余裕でいけそうだわ』と馴れ馴れしく絡んできて）

メイドに弱いんじゃなくてお前に弱いんだよ……
(相手にギブアップを言い渡すと心底楽しそうな笑い声が聞こえてくる、ちらりとそちらを見れば愛らしい姿で楽しげに笑う姿はいつもとはまた違う煌めきを放っていてやはり心臓に悪くて直ぐに視線を逸らすと相手は上機嫌なままテーブルから離れていった。一人残され大きく深呼吸をしてようやく体の熱が落ち着いてきた所でようやく口に出来なかった呟きをこぼす事ができた。わざわざハートマークが書かれたプレートの文字を見てまた胸中穏やかではなくなるが何とか気持ちを落ち着かせ文字を潰すことが出来ないままケーキへと手をつけた。コーヒーを飲めばもっと頭は落ち着き冴えてきて無理やり体の熱を冷ましていく。あの日彼女に役に入り込んだ方がいいとアドバイスしていたがそれに違わず相手は吹っ切れてメイドさんをやっていてその分普段とのギャップが大きい、好きな人の見慣れない姿はこうも心臓に悪いのだ。気持ちを何とか戻しながら時折相手の動向を窺う、他のテーブルでも上手くいっているようでひとまずは安心だ。しかしとあるテーブルの客が大声で相手を呼びつけているのをみると胸がザワつく、酒に酔っているらしい客は案の定相手に悪い絡み方をしていてテーブルの下で手首が掴まれるのを見れば頭に一気に血が登り反射的に立ち上がった。考えるよりも先に足が動いて相手がいるテーブルに近づくがその間に少々冷静になる、他のテーブルではメイドさんと楽しく会話している場所もありこの空気を大きく壊したくはない。そうなればと相手のいるテーブルに近づくとまずは相手の手を掴む男の手首を掴んで軽く捻る、痛みを与えない程度にただその手を外すだけの力加減で、だ。男が敵意を持ってこちらに目を向けるがその前に手を離すと「悪いな、フィノちゃん指名で写真撮りてぇんだ。お気に入りのメイドさんと楽しく話してぇならルールは守らねぇと」とすました顔で言い放つ。メイドさんに触れるのはこの店のルールに反していて店に言いつけられては男達は退店することになるだろう、さらに悪酔いしているのに気がついていた周囲の客はこちらを味方する空気を出してくれて男達はバツが悪そうに閉口する。どうやら文句はないようで相手の方へ向きなおれば「それじゃあ頼むぜお嬢さん」とハードボイルドを気取って胸元に手を当て軽く頭を下げ)

そういうサービスはやってない、、翔太郎？…っ、ああ、ありがとう。
(接客にも慣れてきた頃、酒に酔っているようにみえる客に手首を掴まれると変な汗が出る。全力で抵抗すれば振り解けるだろうが一応はお客さんであり、この楽しい場を壊すような騒ぎにはしたくない。そう悩んで大きな動きに出れないことを良い事におおよそメイド喫茶ではやらないような事をリクエストされて困っているといつの間にか相手が隣に立っていて驚いたように名前を呼ぶ。相手が男の手首を掴み軽く捻ると拘束は解けて、相手の後ろに隠れるようにして彼らとの距離をとる。怒っているのではないかと一瞬不安になるも済ました顔であくまでスマートにその場を納めていてその慣れた様をぼんやりと見つめていた。こちらに向き直った相手がハードボイルドを気取って一礼する。いつもは揶揄う相手のカッコつけた仕草なのに何故かどくんと鼓動が跳ねて自分で自分に驚いてしまう。これもこの格好のせいだろうか。困惑の中ぎこちなくも助けてくれたお礼を伝えると男達が相手と周りの空気に諭され反省している姿を確認してから一緒に相手の席へと戻ってくる。先程と違ってこちらが変に鼓動が早いのを落ち着かせるように一息つくと「メイドさん単体のソロショットとメイドとお客さんか一緒に撮るツーショット、どちらにいたしますか？」と先程相手が要望した写真の内容を確認するように問いかけて)

あれくらいお安い御用だ。……そりゃもちろんツーショットだろ
(男達は何か言いたげではあったがそれ以上突っかかって来ることも無く、一瞬店内はざわめいたものの直ぐに先程の空気へと戻っていった。掴み合いになっても勝てる自信はあったが店内が荒れては自分にとっても他の客にとっても今日の思い出が台無しになってしまう。酔っ払いの客には暫く目を配った方が良さそうだがひとまずは相手をあの輩から離す事ができて何よりだろう。気取った態度は継続しつつ自分のテーブルへと戻ってくると再び相手へ向き直る。まだどこか上の空な様子だがあいつらに手首を掴まれたせいだろうか。落ち着かせるために背中を撫でてやりたい所だが先程ルールを守るよう言った手前それは出来ない。代わりに顔を覗き込むようにして目線を合わせて返事をする、口元には自然と笑みが浮かんでいた。写真撮影は専用のスペースで行うらしく先程のメイド長が事を見ていてのか手招きして誘導してくれる。撮影スペースは店の雰囲気に合わせピンクの壁に白い風船やらハートやらが飛び交うファンシーな空間になっていた。相手と共にスペースに入りメイド長が『好きなポーズで撮っていいですよー』と声を掛けてくれる。しかし相手をあのテーブルから離した時点で目的は達成していて撮影の事までは頭が回っていなかった。ここまでは気取った顔が出来たのに途端に困ってしまえば頬をかきながら相手の方へと目線をやって「あー……ピースとかでいいか」と適当な案を出して)

、了解した。どうやら向こうでやるみたいだ。＿＿ ピースはいつもやってないかい？ ん…そうだ、僕がこうやって、君が反対側を作ればさっきのおまじないっぽいポーズだ
(何となく相手を意識してしまって今度は違う意味で落ち着かない。顔を覗き込まれて笑みを向けられるとまた変にときめいてメイドのなりが崩れた返事をしてしまう。だが自分単体を撮られるよりも一緒に写りたいのは同意見だ。どうやら撮影は専用のスペースでやるみたいでメイド長が手招きしているのを見ると声をかけて相手と共に移動する。ファンシーを前面に出した空間に入ると早速撮影の準備に入る。堂々と言っていたものだからなにかこれといったポーズを決めているかと思ったのだが、どうやら何も考えて無かったらしく、悩んだ後無難な案が出される。勿論悪くは無いのだがせっかくならばポーズも今しか出来ないような物が良い。メイドらしい物と考えていると先程二人で行ったおまじないを思い出して声を上げる。そのアイデアを元に早速相手の横に並ぶと右手でハートの片側を作る。それを二人の中心に持ってくると得意げな笑みを向けながら反対側を作るように促して)

……っ、それはもう、…まぁ今日だけだしな
(相手はやはりどこか上の空で先程までの高めの声もなく口調もいつも通りだ、不思議そうな顔のまま撮影スペースへと入っていく。作戦なくここまで来てしまったが相手のメイド服が写真として残せればそれでひとまずは満足だ。無難なポーズを提案したが相手はそれでは満足いかないらしく暫し考え込む。直後相手は何かを思いついたのか隣でポーズの指定を始める、それはあのおまじないを彷彿とさせるもので先程のことを思い出すと咄嗟に首を振りそうになった。しかしこちらに向く相手がいつもとは違うメイクと服装でいつもの得意げな笑みを浮かべるとやはり簡単に胸は撃ち抜かれてしまった。言い訳するように呟いた後相手と対になるように左手でもう半分のハートを作る。何とか笑みを浮かべるもののどことなくぎこちなくなってしまった、それを見たカメラを構えるメイド長が場を盛り上げるためか『フィノちゃんとの最高の一枚撮りますよー』とメイドらしく可愛らく声をかけてくれて多少気も紛れる。先程よりも自然な笑みを浮かべるとそのままシャッターがきられて)

ああ、こういうのはやり切ってしまった方が良い。
(二人でハートを作るポーズを提案すると相手は拒否しかけるもお強請りするように見つめていれば意見は通って満足げな笑みを見せる。メイド喫茶らしいポーズでほかの機会ではしてくれないであろうと思えば今から撮る写真は貴重な物になりそうだ。声を弾ませながら相手の左手が合わさって二人のハートが出来上がればカメラの方に顔を向ける。メイド長の声掛けで隣の相手の緊張が少し解けたのを感じるとにっこりと笑って写真に映る。『お疲れ様でした、直ぐに出来るんで待っててくださいね』とメイド長が声を掛けられポーズを崩す。どうやら普通のカメラではなくその場でプリント出来るインスタントカメラのようで少しすると小さめの写真が出てきた。メイド長に手招きされて落書きの文化があるのを教えてもらい、せっかくならと見本を参考に日付や店名、縁をレースの様な絵で飾ったりハートを書き添える。正真正銘この瞬間だけの世界に一枚だけの写真が出来上がると「ご主人様、出来上がりました！」とメイドの口調に戻して写真差し出して)

ありがとよ、大切にする。
(可愛いポーズを可愛らしい格好の相手とするのはやはり恥ずかしいのだがメイド長のフォローもあり何とか自然な笑みを写真に収める事が出来た。写真にはメイドさんがメッセージを書いてくれるらしくそれも隣で見守る。日付だけでなくメイドさんらしくハート等可愛いデコレーションがされていく、見よう見まねで相手が普段書かない文字が書き加えられていくのは新鮮でいつもはホワイトボードに書かれる文字が可愛い飾りと共に写真に書き加えられると思わず相手の手元に見入ってしまった。デコレーションが終わると相手がメイドさん口調で写真を差し出してくる、相変わらずこの格好でそれらしいことをされると弱く緩みそうになる口を意識して引き締めながら写真を受け取った。相手を守るため咄嗟に言い出した事だったが結果的に相手の初めてのツーショット写真も手に入れる事が出来て満足だ。相手はまた接客でこの店内を歩き回るわけだが先程の客もまだ残っている、このまま少しでも不安要素を抱えていれば今浮かべている笑顔も消えてしまうかもしれない。写真を手に持ったまま少しだけ近づくと「またなんかあったら必ず助けてやるから最後まで楽しくやれよ」と相手にだけ聞こえる声で安心させるよう柔らかな口調で告げる。代打のメイドさんをやる時間ももう少ししかない、ならば相手が最後まで楽しめるように見守るのが自分の役目だ。軽く手を振ると自分のテーブルへと戻っていって)

、ああ。楽しんでくるよ。
（不慣れながらもそれらしく落書きをした写真を相手に渡す。素面に戻れば自分もこの写真を恥ずかしく思うかもしれないが今日の記念としてはバッチリの仕上がりで思い出に残る一枚だ。写真撮影も終わり二人で客席に戻ろうとすると相手が少し近づいてくる。自分にだけ聞こえるように頼もしいことを言われるとまた変に胸が揺さぶられて一瞬間を置いて短く相槌を打つ。だが相手が助けてくれるのなら心強くてある意味貴重な機会を満喫しきろうとふわり笑顔を浮かべて相手を見送った。客席に戻るとさっきと同じように接客を続ける。中には自分との写真撮影を注文する客もいたがこの姿を相手の手元以外に残したくなくて臨時メイドだからとお断りしておいた。そうしてメイドさんの仕事をこなして笑顔や振る舞いにも大分慣れてきた頃、どうやら代わりのメイドが出勤したらしく役目を終わって良いことが伝えられる。合わせて二人に依頼人の件も含めて改めて礼がしたいとメイド長に言われると一旦相手の席まで呼びに行き、勤務が終わることと「メイド長が僕達にお礼がしたいみたいだ」と一緒に店の奥に来るように伝えて）

臨時メイドのフィノちゃんもこれで終わりか
(相手に笑顔で見送られ席へと戻る。二人で撮った写真を汚れないように丁寧にしまうといつもより時間をかけてケーキプレートを食べ進めていく。幸い先程の男達はいたたまれなくなったのか退店していて他に変にちょっかいを出す客もいなかった。無意識のうちに相手を目で追う時間がほとんどだったが相手は写真撮影を頼まれても断っていてあの写真はより自分だけの特別な一枚となる。相手と写真撮影が許されるのは自分だけなのだと優越感を擽られて一人笑みを噛み殺していた。時間をかけてケーキとコーヒーを空にすると相手がこちらへとやってくる、どうやら代わりのメイドさんが来たらしく相手の出番も終わりというわけだ。少々残念な気持ちとこれ以上相手のメイド姿が他人に見られなくて済む安心感とどちらも抱えながら返事をすれば相手について店の奥へと移動した。事務所兼メイドの待機スペースとなっている店の奥は客がいるスペースよりファンシーさはないものの女の子が集まる場所ではあって女子更衣室に入り込んだ時のような気まずさがある。簡易な机の前にある椅子へ座るよう案内されると『今回はあの子のことと言い助っ人のことと言い本当にありがとうございました！』と頭を下げられて)

まさかメイドをすることになるとは思わなかったけど役に立てたのなら何よりだ。
（自分の仕事が終わることを告げて一緒に店の奥に移動する。事務所スペースのような場所で案内されるまま椅子に座ると早速頭を下げてお礼を言われて少々驚いてしまう。聞くところによると最近何人かキャストが立て続けに辞めてしまって人員が足りない状態だったらしい。そこで依頼人の彼女が自信を持って働けるようになって頼りになっていることと今日も人が少ない時間を助けてもらって助かったと礼を伝えられる。最初こそメイドの役をするのは抵抗があったが基本的に事務所内で行動が完結しがちな身としてはなかなかに貴重な経験だった。それが彼女達の為になったのなら頑張った甲斐はあったというものだ。依頼料に関しても働いた時間自体はそう長くないことから今日の飲食代や写真代を無料にしてもらう事で話はまとまった。『フィノちゃん、もし暇だったら何時でも働きに来てくれていいから』と勧誘を受けていると何かあったのかと現場にいるメイドさんがメイド長を呼びに来る。その応対をすると彼女はこちらを向いて『もっと話してたいんですけど現場に戻らなきゃいけないみたいなんで…今回は本当に助かりました。またのご主人様達のご帰宅楽しみに待ってます』と最後までメイドらしくお辞儀をして現場に戻っていった。何故か二人残される形となったが本来の予定からかなり逸れたとはいえ十分にメイド喫茶を満喫することは出来て後は帰るだけだ。そのためにも着替えなくてはならないのだが、メイド服での相手の反応を思い出すと椅子から立ち上がって相手の横に立つと「もう着る事もないだろうし、見納めしておかなくてもいいのかい？」と冗談半分に尋ねて）

……もうこの店のメイドじゃねぇなら触れるの禁止ってルールもなしだろ？
(メイド長から丁寧なお礼を言われ相手と共に驚いた後店の事情を聞く、色々悪いタイミングが重なってしまったようだが助けになれたのなら何よりだろう。だが相手がまたメイドとして働くよう誘われているのを見れば胸がザワつく。せっかく手助けの時間が終わり客の目からメイド服姿の相手を遠ざけられたと言うのに。この街の探偵として困っている人を助けたい気持ちはあるのだが再び相手を客席の方へと送り出す気にはなれなかった。もやもやを胸に抱えているうちにメイド長は客席の方へと戻っていく、軽く手をあげて返事代わりにしながら彼女を見送った。事務所に二人きりになると相手が全身を見せるようにこちらの横に立つ、相手は冗談半分な物言いをしているがこちらとしてはこの姿をもっと見ていたい気持ちと二度と他人の目にこの姿を晒したくない気持ちが存在していて、不意に立ち上がるとそのまま無言で相手を抱きしめた。店内ではあくまでもルールに従ったが本当ならばこの姿の相手を独り占めにしてしまいたかったし、あの男達が相手にちょっかいを出した時に『こいつは俺のだ』と叫んでやりたかった。その反動からか言い訳のようなことを口にしつつメイド服で露出した首元に顔を埋めると「よっぽど頼まれない限りもうメイドは禁止だ」と独占欲を滲ませた言葉を漏らして)

…翔太郎？ …分かったよ。あの時の約束を破ってしまったからね、もうメイドさんはやらない。
(勧誘されたとはいえ最初と最後のつもりのメイド服姿を改めて相手に見せようとすれば何故か相手も立ち上がって無言でその腕に閉じ込められてしまう。これでは服は見えないがその腕に妙に力が入っている気がすれば軽く腰に腕を回しながらも様子を伺う。言い訳のような言葉の後、首元に顔を埋められメイド禁止が言い渡される。その声色に感じる独占欲と今日一日の相手の行動を振り返ると合点がいく。一番に注文したのも離れているはずなのに絡まれているのに直ぐに助けに来たのも、もしかしてずっと自分を見守っていて独り占めしたいのを我慢していたのだろうか。漸く真相に気付けば途端に胸に暖かい物が湧きあがって口元が緩む。相手だけが特別だと伝えるように抱き締めて軽く背中や腰あたりを撫でながらその約束を受けいれる。結果として一週間前の約束を破ってしまったのも事実でこちらからも改めてメイドはしないことを誓った。初めての接客におまじないなどの珍しい文化もあって興味深い職場体験だったが自分の職業はやっぱり相手と共に歩む探偵で他人に無駄に愛想良く振る舞う仕事は性にあわない。そしてもう一つ分かったことがあって軽く擦り寄ってから相手の耳元に口を近付けると「それに僕のご主人様は君一人で十分だ」と愉しそうな声で伝えて )

あぁ、そうしてくれ。お前がみんなのメイドになんの耐えられねぇし、俺の心臓も持たねぇしな
(相手がメイドをしている間はこちらはあくまでも客としての立場を守って行動したわけだがそれではいつもの恋人の距離には足りなくて結果ずっと生殺しの状態になっていた。ようやく相手をこの腕の中に取り戻すことができて心底安心して疼いて止まなかった独占欲がようやく満たされる。向こうからも腕が回されて背中を撫でられるとこんな事をされるのも自分だけなのだと優越感が胸に広がる。相手の今の姿が好ましいのは確かなのだがメイドならば不特定多数に愛想を振りまかなくてはならない、薄暗い独占欲を満たす甘い約束が囁かれると相手の首元で小さく頷いていた。相手がこちらへと軽く擦り寄る、僅かに擽ったさを感じて小さく笑みを浮かべていると飛びっきり甘い言葉が囁かれて思わず目を見開いた。何か言い返さなければと顔を上げて視線を交えるがそこにあるのは今日何度も心臓を撃ち抜かれた相手の姿で、密着した状態でみるそれは今までの数倍心臓に悪く息を詰まらせてしまう。再び顔に熱が上がりそうになるのを必死に押さえながら息を吐き出してからちらりと店への出入口をみやる、まだ店内は忙しいらしく誰かがこちらへ戻ってきそうな気配はない。その次の行動は早くて相手の後頭部へと手を添えて逃がさないようにすると「当たり前だろ」と薄暗い欲を隠さぬ言葉を言えばそのまま唇を重ねて)

ふふ、確かにいつもより心臓の鼓動が早い。君を魅了出来たのなら何よりだ。……ん、
(よっぽど頼まれない限り、と何ともハーフボイルドらしい条件がついていたがこちらとしては相手が嫌だと言うのならもうメイドをするつもりは無い。誓うように約束すれば首元で相手が頷いたのが伝わってくる。我慢した分独占欲を隠すことなく自らを求めてくれる姿はとても愛おしい。加えて相手の言う通り、感じる鼓動はいつもより早くてこの姿の自分を意識してくれてるのが分かる。今日はそれだけでもこの服を着た価値があるというものだろう。湧き上がる気持ちのまま自分が思った事を伝えると相手の顔が上がって目が合う。ちょっぴりあざとく子首を傾げて見せればその顔がほんのり赤く染まりそうなのと息を詰まらせたのが分かる。その反応に満足そうに目を細めていると相手がちらりと出入口の方を見てから後頭部に手が添えられる。次に何をするのか息をするように分かって小さく笑みを浮かべたまま目を閉じてその身を委ねる。相手が近付いて唇が触れると今日メイドと客として離れていた分慣れ親しんだ愛おしい感覚に幸せが募って仕方ない。無意識に背中に回していた腕に力が入って相手を引き寄せる。柔らかく暖かく幸せで、いつまでもこうしていたいがここは外でいつ誰が来てもおかしくない場所だ。ゆっくりと唇を離して至近距離で相手を見つめると「世界で一番大好きだよ、翔太郎」とケーキプレートに書いたメッセージを自分の声で伝えて)