匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(今朝から続いていた空恐ろしい圧力が嘘のように綺麗に霧散し、代わりに以前の愛らしい無邪気さがたしかに戻ってきたのを見て、道中しきりに首を捻るギデオンである。女心というものは、やはりどうもよくわからない。それでも素っ気なくされるより遥かにマシなのには違いないからと、深くは考えずそのまま受け入れることにして。彼女が嬉しそうにケバブ屋台に飛んでいく間に、街路樹が涼しい影を落とす木製ベンチのひとつを陣取っておく。運営側の人間が一般客から席を奪うわけにはいかないが、観客が詰め合っているのはより良い席の設けられた前方から中ほどにかけてであり、幸い後方のこの辺りは充分ゆとりがありそうだ。相手を待ちつつそれとなく見渡してみれば、こちらをガン見する警備服姿の精霊使いや祓魔師とばっちり目が合った。『ヘ、マ、す、ん、な、よ!』と必死な顔で口パクしてくるのを、ヴィヴィアンに気づかれやしないか一瞬視線を巡らせてから、煩そうに手を振って一蹴。今日の彼らは本来休みのはずだったのだが、なんでも、今朝方目撃した“天使の豹変”にいたくショックを受けたとかで、この際ギデオンへの妬み嫉みを飲み込んででもこの場をお膳立てすることに決めたらしい。「午後からは私らが警備を補助しますから。だからあんたは絶対に……絶対に……彼女と仲直りしてくださいよ! 頼みますよ!!」と、午前中にすれ違った時にギデオンの胸ぐらをひっ掴み、泣きそうな顔で囁いてきたのだ。こうして現場にいるからには野次馬根性もあるのだろうなと呆れつつ、素直にありがたいのは事実なので、大人しく仮休憩を味わってしまおうと開き直る。ベンチの背に片腕を伸ばしてもたれかかり、脚を組んで寛ぎながら待つこと暫し。程なくして、華やかなスパイスの香るケバブサンドを両手にヴィヴィアンが帰ってくれば、満足げに微笑む彼女をじっと見上げつつ、差し出された包みを受け取り。「その言葉、おまえにそっくり返すぞ」なんて余裕綽々に口角を上げるのは、この手の賭けに自分がめっぽう強いことを経験則で知っているからだ。盤遊戯にしろギルドの馬鹿たちの喧嘩にしろ、ギデオンの賭ける方が大抵間違いなく勝つため、ホセやレオンツィオはギデオン相手に勝負を仕掛けるのを諦めきったほどである。相手には悪いが、花火の約束は再び流れてしまうだろう。それでもこうして相手の望みに付き合ったこと自体が、落としどころになるはず。そんな青写真を思い描いていたものだから、ダンスコンクールのビラを相手の方に差し出し、片眉をぐいと上げ。そこにはここ十年以上鎬を削り合うノミネート常連勢から、カレトヴルッフの槍使いたち、幼い子どもたちの微笑ましいチーム、土着信仰の伝統舞踊を身に着けた乙女たち、今年初出場のダークホースまで、様々な顔ぶれが載っている。開演の挨拶がこだますなか、どれを選ばれようと負ける気はしないと、こちらもささやかに挑発し返して。)
賭けたグループの順位が上だった方が勝ち、だな。……好きなのを選ぶといい。
……先に選ばれたから負けたって文句はなしですからね!
( エヴァンズ氏やマーゴさんに知られれば、また碌でもないことにばかり真剣になってと眉を顰めるだろう。こんなところで野次馬をしている時でさえ、ターゲットであるビビに一切気取らせない尾行は、流石一流冒険者と言うべきか。チラホラと見知った顔がいることや彼らの杞憂にも気づかぬまま、ギデオンの余裕綽々といった態度にぴくりと左の睫毛を震わせれば、それでも当たり前のようにギデオンの隣、その片腕の内にすとんと腰を下ろす。マリアさんによれば、女との賭けにはめっぽう弱いらしいとはいえ、己の恋心を賭けた勝負。受け取ったビラに真剣な視線を向けるも、社交ダンスの類であれば多少の覚えはあるが、ジャンルも何もかも雑多なこのコンクールでは役に立たなさそう。であれば、一番審査タイムに近い最後の一組に賭けるのが定石だが、それではあまりに色気がなかろうか──さて、慢心のギデオンは兎も角、当人さえ忘れかけているが、回復魔法の相性など、本来は天文学的確率の一致を、それも意中の相手とそうなっているビビである。恋する女の子は無敵を地で行くタイプである彼女と、ギデオンの悪運にかかれば、建国祭の前の週にビビが受けた依頼にて。この先キングストンをはじめ、各地のダンスコンクールや賞を総なめにする、未来の大スターの乗った馬車を泥濘から救出していたなんて奇跡が起こりうるのである。勿論そんなことは露も知らずに「ル・ルーとレオン……?」なんて、これで祭りに間に合います!と、泥だらけのビビの手を握ってお礼をしてくれた男女の名を思わぬ場所で見た驚きに目を見開けば、これもまた運命だろうと腹を決め。クールな表情でギデオンにビラを返しながら向き直り。 )
私は7番にします。ギデオンさんもどうぞ?
ほう、なるほどな。
(暫くの間、若葉色の目を凝らすようにしてビラを睨んでいた相手。その真剣な横顔がふと意外そうに解けたかと思えば、きりっと覚悟を決めた顔つきになってギデオンにまっすぐ向き直るまでを、こちらはうっすら愉快気な表情で、ただ黙って眺めていた──ちなみにその様子は、密着こそしていないものの傍から見れば立派に良い雰囲気であることを、当人たちだけが未だ知らない。差し出されたビラを受け取れば、まずは相手の賭けた先を確認。地元民であるギデオンはこの手のイベント事情にも多少詳しいのだが、ル・ルーとレオンの名には完全に見覚えがなく、おそらく今年初出場のペアなのだろうと推測できた。となれば、相手はどうやら大博打に出る気のようだ。無謀をからかうように低い声で喉を鳴らすと、己もまた、紙面に落とした青い目を眇め。優勝候補常連組の名を出すのはあまりに無粋、かといって明らかな的外れを選ぶほどいい加減な気持ちで臨むつもりも毛頭ない。彼女が真剣に賭ける以上、こちらもそれなりに考え抜いて選ばねば失礼というものである。結果選ぶのは、毎年ノミネートにこそ届かぬものの安定して好評を得る、槍使いたちの戦士舞踊。「5番にしよう、」ときっぱり告げながら相手にもビラを見せた時には、早くも1番目のグループの演目が始まった。初っ端からサンバ、それも大胆な衣装を身に纏った美女たちの軽快なダンスと来れば、観客席は野太い歓声で早速ヒートアップ。ノリノリで小気味好い手拍子を打つ会場前方を面白そうに眺めながら、「こういうのは久々に観る」とかすかに笑い、相手の貰ってきたケバブサンドの一口目をようやくぱくついて──その美味さに、ちょっとした衝撃を受けた顔をして。二口目、三口目と頬張った後、包みをまじまじと見つめてから、「……これ、どこで貰ってきたやつだ?」と、確かめるように隣に尋ね。)
( バディの含みのある態度を見れば、このイベントに馴染みのない己でも自身の選択が手堅くなかったことはわかる。ただそんなことよりも気になるのは、楽しげな低い声に短く鳴らされる喉と、明らかにギデオンの機嫌が良ろしいことで。いつもは年相応な表情を浮かべる綺麗な目が、どこか愉快そうに細められ愉しげな光を宿すのに、か、可愛い──と、決して小さくはない胸を撃ち抜かれれば、先程までの怒りさえ一瞬忘れて思わず小さく息をつく。其れが先程は自分に向けられていたとは思いもせずに、相手の横顔に見蕩れる姿は恋する乙女そのもので。 )
わあ、確かに格好良いですよね!
皆さん頑張ってたし、いい結果だと良いですね。
( そうして相手の手元のビラを覗き込むも、勝負慣れしていない思考では、相手の意図は読み取れず。仮にビビの言う通り、戦士たちが"いい結果"を残せば、自分が不利になることに気づいているのかいないのか。素直に彼らが今日に向けて必死に練習していた風景を思い出せば、ギデオンの腕の内で、なんの毒気も含みもない呑気な笑顔を晒して。初めて生で見るサンバに目を輝かせながら、周りに合わせて手拍子をすれば、どうも気が緩んでいたらしい。隣でケバブサンドを頬張るギデオンもあまりに可愛かったから。先程から募っていたその感情につい、微かに口の端に残るソースを拭おうと手を伸ばしてしまってから、その行動の大胆さに気づいたようで、みるみる首まで真っ赤になっていき。 )
ああ!端から三番目の……あ、ちょっと動かないでください。ソースが……あ、
……ああ、そうだな。個人的にも応援したいところだ。
(何の裏表もない、花が綻ぶような笑顔。それを間近に目撃すればますます気抜けしまい、首を傾けながら困ったように微笑を漏らして。もう3ヵ月近く前になるだろうか……シルクタウンから帰る馬車で見せたあの無垢な喜びようといい、ヴィヴィアンはやはり、幼子にも似た純真さの持ち主なのだと確信する。隣に座る彼女が今も、ポニーテールの先を楽しげに揺らしながら手拍子を鳴らす様を見て、不思議と胸が満たされる感覚が芽生え、目映そうに双眸を細めて。──そうしてご機嫌な彼女を眺めながらの昼食は、驚くほど美味な嘉肴に化けたものだから、思わず真顔で混乱に陥ってしまっていた。失礼な話ではあるが、初日のあの昼食以来、ギデオンは屋台料理にさほど期待していなかったのだ。原価いくらのごく大雑把な屋台飯だからか、或いは自分の舌がみすぼらしくなったのか。美味しさといったものをろくに感じられず、ただ食料を胃に詰め込むだけの必要作業と化していたのは、昨日までの6日間、どの店に行けども同じ。ギルドがスタッフ全員にまとめて奢る賄いなどやはりこんなものか、と早々に諦めをつけ、ただ飯を食らえるだけ有難いと思うようにしていたのだが。今はどうして、まったく違う。薄くももっちりしたピタパン生地が醸し出す小麦特有の仄甘さに、こんもり盛られたカトブレパス肉に染み渡る奥深いスパイスの風味。ナイフで削ぎ落されたその数々には独特の臭みがあるが、その味わいがいっそ癖になるほどで、程よく弾力のある歯応えすら口元を快く楽しませ。赤玉ねぎやキャベツなどの新鮮な千切り野菜にたっぷり絡まったサウザンソースはその甘辛さが丁度よく、真っ赤なスライストマトのぬめりは、サンド全体に更なるジューシーさをもたらし、すべての味と触感が絶妙に溶け合っているのを感じる。……こんなに美味しいものを食べた試しは、下手すればここ十年以上なかったのではなかろうか。だが、いったいなぜこれほどまでに。別にどこからどう見ても、取り立てて特別なところのない、よくあるケバブ屋のそれのはずだ。それは彼女に問うた後、言われたとおりに橋から三番目の店を確かめようと変わらず。客の行列ができているわけでもない、むしろ暇を持て余した店主がこちらにいる彼女を今もにこにこ眺めている始末。いったい何がどうして、この料理をここまで美味しく──と、最早完全に気が逸れていたために。ふと振り向いたときには、ヴィヴィアンが細く白い手を伸ばし、ギデオンの口元についたソースを、彼女自身の指で拭おうとしていたところ。我に返るや否や林檎のようにぼっと紅潮する彼女、ギデオンも思わず凍りついたままそのさまを凝視する。いっそそのまま当然のごとく拭いきってしまえば自然に流せたであろうものを、彼女の非常に初心な反応ひとつが、極限まで甘酸っぱい空気を一気に作り上げていて。いったいどれほど固まっていたのだろうか、『──以上、チーム:デューザ・ド・ゾルのパフォーマンスでした!』高らかに響くアナウンスの声にようやく顔を背けると、口元に拳を持っていき「……ン゛、」と咳払いを一つ。それで落ち着きを取り戻し、袋と一緒に渡されていた紙ナプキンで汚れを拭えば、「美味かった」と誤魔化すような感想を。そのままやや黙りがちに過ごせば、コンクールの順番は滞りなく進んでいき。魔法の炎が噴きあがる猛々しい演出を魅せつけながら、槍使いたちによる雄々しい舞踊が五番目のフィナーレを迎え。次の六番、幼い子供たちの微笑ましいダンスが終われば、いよいよヴィヴィアンが賭けたペアの番だ。先ほどのむず痒い窮地はお互い忘れようというように、ビラを軽く相手の膝に触れながら、「……そういや、なんでこいつらに賭けることにしたんだ?」ととりとめのない雑談を。)
( ギデオンの咳払いにハッと意識を取り戻すと、伸ばしかけた手でパタパタと顔をあおぎ。「なんかちょっとここ暑いですね、」と此方も無理のある誤魔化しを。微妙に気まずい沈黙をやり過ごすように、自身もケバブの包みを開けば、立ち上がる香ばしいスパイスの香りに勢いよくかぶりつく──うん、美味しい!……そう、美味しいことには美味しいのだが、ギデオンの受けた衝撃など露知らず、屋台料理にしてはそこそこの出来の範疇を超えないそれをホクホクと楽しめば「こういう時に食べるご飯って凄く美味しいですよね」と平和に微笑むのは、先程の照れ隠しもあるだろう。
そうこうしているうちに迫力の五番、癒しの六番と演目が進行すれば、ギデオンの質問へ照れ臭そうに笑ってから、「うーん、」どう説明したものかと自身の唇に軽く指を触れ。少し高くなった舞台から、子供たちが順番に降ろされる時間を利用して先週の顛末を手短に説明すれば、言葉にならない感覚のもどかしさに、ベンチの背もたれに寄りかかり、組んだ両手を前に伸ばしつつ「運命感じちゃって、って聞こえはいいですけど……要は勘ですよね」なんて、適当にはにかんだ己が恨めしい。もっとギデオンに八百長や不正に関わってないと証明出来る理由を用意しておくべきだった!そう見当違いな後悔をしてしまう程に、あまりにそれは強い衝撃だった。建国祭人気の演目と言えど、一組の持ち時間が数分あるコンクールの七番目。正直、クラシカルな衣装を見に纏った彼らが出て来た瞬間の観客たちの様子は、少し飽きたような白けたような。そんな観客の寝ぼけ眼を叩き起すような初撃フォルテシモ。クラシックと言えど建国祭の盛り上がりに華を添えるような明るく楽しげな選曲に、リフトやターンを多用する派手な振り付け、何より新しかったのはその演出で。曲と振り付けに合わせて大胆かつ繊細に彼らの周りを彩る魔法の光は、観客の顔をも色とりどりに染める。その魔法の多彩さも目に鮮やかだが、それを素人が見てもわかるテンポの早い難曲を踊りながら、寸分違わず魅せる実力。誰もが知るクラシックだからこそ、観客の目もシビアになるにも関わらず、全く不安を感じさせない身のこなしは肝心のダンスにも文句の付けようがない。広い舞台を余すことなく使って活き活きと、時にコミカルな表情と振りで観客の笑いさえとってくる。最後の一音、高く微動だにしないリフトを決めた瞬間の観客の湧き上がりは相当なもので。スタンディングオベーションとなっている観客の後方、ビビはと言えば、いつの間にか閉じるのを忘れていた口をキュッと閉じても、何故か賭けた当人が信じられないといった表情を浮かべている始末。段々と沸きあがる現実感に、小さく上半身をひねってギデオンの顔を覗き込めば、舞台の熱に上気した表情を蕩けさせ「順位が上だった方が勝ち、ですよね?」と。その表情は、天使よりは小悪魔と表現されうるような勝気なもので。)
──!
( そして訪れた審査発表の時間、やけに勿体ぶったドラムロールの果てに呼ばれた「ル・ルー&レオン!」の名に、声にならない喜びと、この一週間の我慢を溢れさせるかのようにギデオンの首に飛びついて。これは泣かされた意趣返しだが、周りに仲間たちがいることも知らぬまま、その頬に不意打ちで唇を寄せる。相手の頬に残った赤いラメを満足そうに拭いながら顔をあげれば、マリアの言葉を信じていない訳では無いが、怒る前にまず本人からも二週間前の真相を聞くべきと口を開くが、子供の頃からの罪悪感の根は自覚よりもずっと根深かった。もっと冷静に問い詰めるはずだった文句は酷く頼りなげに、か細く震えて、みっともないことこの上ない。指先の震えを誤魔化すように、ギデオンの胸元の布をギュッと掴むと、意思の強い大きな目は潤んで不安げに揺れ。 )
……ギデオンさん。ギデオンさんが、私を振ったのは、私のママ……母を尊敬してるからって、本当ですか……?
私が母を、"皆"から奪っちゃった、からじゃ……ないんですか?
(吹き渡るさやかな夏風に、プラタナスの青い梢が優しくざわめく足元で。どこかこそばゆいような顔をした相手の口から明かされたのは、“彼らが乗っていた馬車を道の泥濘から助け出したことがある”という偶然の裏話。えへ、と恥ずかしそうに頬を染める相手を見やり、別段揶揄うでもなしにただ「そうか」と微笑んだのは、何も彼女のいじらしさに胸を動かされただけではない。今回の賭けに際して実用的な動機かどうかはさておき、相手は自分の知らぬ間にも方々で大活躍し、助けた人々に感謝されていたようなのだ。若い後輩を見守る立場として、その目覚ましい活躍をただ好ましく思うのも必然のこと。──しかし、そんなのどかな感傷も、渦中の男女がステージ上でひとたび靴音を鳴らした瞬間、跡形もなく吹き飛んでしまう。いきなり繰り広げられる桁違いに鮮烈な舞い、観る者の心をたちまち奪う情感たっぷりの演技力。場の雰囲気ががらりと塗り替えられるなか、ギデオンの顔もまた、驚愕の色に染まって。相手が賭けた7番のジャンルは、ともすれば埃っぽい古めかしさが匂ってしまう、所謂クラシックの筈だった。しかしル・ルーとレオンの手にかかればどうだ、太古の剣を究極まで研ぎ澄ましたような、強く真新しい美しさを放つではないか。伝説の魔獣を目撃したとき、並みのモンスターにはない遥かな威容にある種の畏怖を覚えるものだが、この感動はまるでそれにも似たような──。シンプルに極上な演技を前に、それが自身の敗北を意味することをだんだんと思い出せば、「嘘だろ……」やら「……そんなはずが、」やら何度も小声で呟いていたが、ル・ルーとレオンの快進撃は止まらない。あっという間にフィニッシュを迎えれば、会場はこれまでに例を見ない万雷の拍手に包まれて。こちらを振り向き、勝利の核心を悪戯っぽく囁いてきたヴィヴィアン相手に、いや、まだ結果は……と、最後の抵抗を黙して語らずにいたものの。当然の如く、優勝者として名を呼ばれたのはあの2人。ヴィヴィアンの選んだ本命馬が、ギデオンの賭けたほうどころか、他のすべてををぶっちぎりで抜き去ったのだ。いっそ見事な、完膚なきまでの敗北に唖然としていたものだから、ふたり並んで座っていたベンチの上、彼女が抱き着いてきたのにも、歓喜に満ち溢れた口づけにも、避けるどころかまともに反応することすらできず。その際、少し遠巻きなそこここから「ウ゜ワ゛ッ!?」だの「あら!」だの「ああァア──ッ!?」だの妙な声が上がりもしたが、当然それらにも気づくことなく、迫られた格好のままただただ忘我の状態でいて。……それを引き戻したのは、耳に届いたか細い声。ぴく、と反応して焦点をきちんと合わせれば、先ほどの薔薇色の興奮はどこへ失せてしまったのか、何故か酷く不安げな様子の相手がいる。ギデオンの胸元、縋りつくように強くつかまれた薄い手を見下ろしてから相手の顔に目を戻せば、斜め後ろに傾いていた身を起こし、彼女の手に自分の手を絡め、緩めさせるように布地から離して──されど、重ねた掌を振りほどくことはせず。他でもないヴィヴィアンのほうからシェリーについて触れたのだ、賭けの件など頭の片隅から掻き消え、ギデオンの顔は今や真剣そのもので。青い目をうっすらと、心配やそれ以外の何かで陰らせながら、「……おい、誰にそんな話を」と物静かに問いかける。シェリーを尊敬しているのは事実だ、しかしヴィヴィアンが彼女を奪ったという話はまったくもって“事実ではない”。故に、彼女が繋ぎ合わせた複雑な問いかけを、今は肯定も否定もしない。その前に、彼女の胸に渦巻くものを知るべく、まっすぐに視線を合わせて。)
……母を尊敬してるから、"その娘の私"の気持ちには応えられないんだって、聞きました。
( たった二週間にも関わらず、久しぶりに触れた大好きな暖かい手に、どこか懐かしささえ覚えれば、そっと指を絡め返す。そうだとも違うとも答えてくれない相手に、また誤魔化す気なのかと誤解して。つるりとした眉間に皺を寄せれば、怒りを顕にする珍しい表情を。そうでなくとも、ギデオンが言いたくなかったことを、密かに教えてくれたマリアを売るような真似をする気は毛頭なく。言葉を繰り返すのは聞き分けのない子供のようなのに、「私、結構傷ついたんですよ。」と続けた言葉は、どこか冷静で冷たい鋭さを含んでいる。 )
ママを……殺した私が憎いなら、それで良いんです。
……良くないけど、それは"事実だから"……
( 思わずその指に力が籠ったのは、やはりシェリーの話題で──幼い頃から周囲にはよく恵まれていた。ビビには甘い父と、賑やかな冒険者達は皆優しく、誰もビビの前でシェリーの話をしなかった。だから、母の死因について初めて知ったのは、かくれんぼだと、1人こっそりギルドに忍び込んだとある日。その迂闊な冒険者たちも、ただビビに気づかないまま、シェリーを悼んだ思い出話に華を咲かせていただけで、悪意があった訳ではなかったのだ。不幸だったのはその時ビビの傍に、その責任はビビにはないと言ってくれる大人が誰もいなかったということで。そのまま誰に相談することも出来ないまま、眠れぬ夜を何度も過ごして、ヴィヴィアンの中でその負い目は大きく膨れ上がっていく。それこそ、自分が母の命を奪ったという空言を事実だと信じ込み、力のない憔悴した笑顔を浮かべる程に。 )
( / お世話になっております。今回はシリアスで切ない感情描写ありがとうございます。それ以前のケバブやダンスの描写も本当に素晴らしくて、読むだけでありありと味や光景が思い浮かびました!
今回、ギデオン様が断った花火に誘うにあたり、一方的にマリア様の話だけを信じて怒るビビが少し解釈違いだったため、一度正面から問うシーンを入れさせていただいたのですが……当初花火を見ながらするべき会話を奪ってしまっているような気がして、どうしたものかと迷っております。
此方としては
・シェリーを自分が奪ってしまった故にギデオン様に疎まれているという勘違いの否定
・ギデオン様がビビ自身を見ていなかったことの肯定
以上を受け、改めて花火を一緒に見て欲しいとビビがお願いし、花火シーンでは
・2度目の告白
・再アタックの了承
という展開を考えておりますが、あまりハッキリとした展開を思いつけておらず、今回かなりお返事しづらいロルになってしまっているかと思います。もし、背後様がなにかアイデアをお持ちであれば、今回のロルは書き直させていただきますので、教えていただければ幸いです。
こちらの細かいこだわりでお手数をお掛けして申し訳ございません。お時間ある際にご検討お願い致します。 )
(/打ち合わせ優先のため、一旦背後のみで失礼致します!
まずはこちらこそ、いつも素敵なロルを紡いでくださりありがとうございます。つんと怒ったり無邪気にはしゃいだり、幼いころに植わってしまった罪悪感で弱った一面を垣間見せたりする様々なビビがもう本当に本当に可愛くて、何度も過去ログを読み返しては愛おしく思う日々です。
主様のビビに関する拘りは、それだけ彼女のことを大切にしている現れだと捉えていますので、背後はむしろ大喜びですし、是非是非拘り抜いてください他でもない公式供給なので……!!(懇願)
今回に限らず、主様のご負担にならない範囲で、お互いに納得するまで立ち止まったり修正したり相談したり、といったことを遠慮なく楽しめたら幸いです。
肝心の本題なのですが、実は当方も同じように、「夜の花火を観に行く前にふたりが大事な話に差し掛かりつつある」と感じておりました。
主様ご提案の流れに概ね同意の上で、いちばん大切な会話は一緒に花火を観ながら交わす、というのを、雰囲気的にも展開的にも是非推したいなと……!
なので少々細部をアレンジしての提案をしたく。
・今いる東広場にて、「シェリーを自分が奪ってしまった故にギデオンに疎まれている、というビビの勘違いの否定」を進めようとしていたところ、建国祭を揺るがす大きなハプニングが発生(例:よそ者による同時多発集団強盗事件)。警備員として至急出動すべく、話を切り上げねばならない事態に。
・しかしその際、仕事モードに切り替わる前に、「この件を後できちんと話す」ことを、普段逃げがちだったギデオンの方からしっかりと約束。
・ハプニング対応は夜まで長引き(ダイジェスト進行)、あっという間に花火の時間に。ようやく退勤した後に落ち合うと、元々賭けのご褒美だった花火デートも叶えつつ、きちんとこの話の続きを進めて互いへの理解を深めることに。
・そこにて、
「シェリーに関する話の続き」
「ギデオンがビビ自身を見ていなかったことの肯定 (なぜ遠ざけていたかの説明や謝罪)」
「2度目の告白」
「再アタックの了承 」
を行う。
という流れに進めることで、恋人関係には至らぬものの関係を築き直し、これからの新たな展開に向かっていく……というのをイメージいたしました。御検討くださいませ!
※またそれとは別件で、ギデオンのヘタレ感が必要分よりも強かったりするだろうか……と悩んでいたりするのですが、主様的に現状のギデオンの感触は如何でしょうか? 度々の確認で申し訳ありませんが、口調であったり振る舞いであったり、主様やビビの好みに刺さるものを取り入れたく……! 或いはロルに関してなども、随時御要望を受け付けております。)
( / 相談に乗っていただきありがとうございます。
いつも此方があまり気にせずに済むようなお優しい言葉をかけてくださって、なんとお礼を申し上げれば良いやら感謝の言葉もございません。
いちばん大切な会話は一緒に花火を観ながら、に大賛成です!
非常に素敵で劇的な流れの提案もいただいて、これ以上の展開を思いつける気が全く致しませんので、是非そちらでお願い致します!
背後様の提供してくださるストーリーは、いつも世界観情緒がたっぷりかつ、劇的な中に繊細な気持ちの変化も自然に流れ込んできて、背後様の素敵な文体と合わさって、当方の貧弱な語彙では表し切れませんが、本当に本当に日々の活力となっております。
ギデオン様の性格について、たまに見せてくださる所謂ヘタレな部分も、ギデオン様の優しさを強く感じることができて非常に大好きな部分です。少しずるくて可愛いヘタレなギデオン様を見た後に、シルクタウンやグランポートの戦闘シーンを読み返す時のギャップも本ッッ当に最高で!!
お気遣い頂いて申し訳ございませんが、何も申し上げることが出来ないほど、ビビにとってもこれ以上ない、まさに理想のヒーローですので、是非そのままでお願いしたく存じます……!
お返事ありがとうございました。そうしましたら、昨晩のロルは書き直した方が進行しやすいでしょうか。背後様が一番やりやすいように致しますので、ご要望があればお申し付けください。 )
(/当方もこの物語にとても心を寄せているので、主様も同様とのこと、大変嬉しく思っております……! ふたりを取り巻く冒険者としての暮らしやその中で出会う人々についても、いつも面白くあたたかく描写してくださるので、読み返すたび広がる世界が本当に大好きです。
ギデオンのこれからについても了解いたしました。ビビとのプライベートにおいては狡かったり空回ったり不器用に陥ったりしつつ、平時の一冒険者としてはしっかり頼り甲斐のあるかっこいい大人として描写していきたいと思います。(余談ですが、他人といるときのギデオンはもっと淡白に落ち着いており、ビビの前でだけ自然と表情豊かになるらしいことがのちのちわかってくればいいなあとも思っております。)
昨夜のロルはそのままで大丈夫です! むしろ、ギデオンとビビがきちんと大事な話をするきっかけをご用意くださってありがとうございました。ハプニング発生までの短い間、ほんの少し話し合うところから続けてまいりますね。引き続きよろしくお願いいたします……!/蹴り可)
(普段は天真爛漫な笑顔が咲く相手のかんばせに、ひやりとした怒りの色が滲んでいるの読み取れば、いったいどういうわけかと眉間に皺を寄せて聞き入る。しかし、やがて彼女が呟いた恐ろしい自嘲の言葉に、ざっと顔色を失って。「──違う、」と、ほとんど反射的に否定の言葉を口にするが、そうして絞り出した小声だけでなく、彼女に向ける青い双眸さえも、激しい狼狽に震えてしまう。木陰とはいえ真夏の昼下がり、あたりは明るく陽気な賑わいに溢れているというのに、周囲の音はろくに耳に入らず、体は芯から凍り付くようだった。目の前にいる彼女の、深い闇に囚われたような表情が、それほどませに恐ろしく。「……ヴィヴィアン、」と、迷子の彼女を掬い上げるような一心で名を呼び、重ねていた掌を思わず、彼女の片頬にそっと添わせる。今は暗く影の差してしまったグリーンの瞳、その奥をまっすぐ覗き込み、今までのどれよりも真剣なまなざしで語りかけ。)
事実じゃない。──事実じゃ、ない。おまえがあのひとを死なせたなんて、俺はそんな風に考えちゃいない。
お前にそう思わせるようなこと自体、俺もあのひとも……絶対に、望んじゃない。
( その否定は何に対する否定なのか。ふと上げた視線に飛び込んで来たのは、夏の陽気を全く感じさせない無色の頬。形の良い唇もどこか白ずんで、どんなにビビが迫ってもただ厳かに光っていた瞳まで、今は色濃い狼狽に揺れている。──どうしてそんな顔してるんですか。チクリと痛んだ胸に眉をひそめて、思わず相手の名の混じった吐息を漏らせば、事情もわからぬままに励ますように力を込めかけた指が、その寸前でするりと解かれ。指が空をかく虚しさに、小さく息を吸った瞬間。どこか切羽詰まった、けれども真剣な声に呼ばれて、優しく頬へ触れられる。普段のビビならば真っ赤になって逃げ出すところだが、ギデオンの真剣な眼差しに絡め取られて逃げることもできず。ずっと誰かにそう言って欲しかった言葉を、一番言って欲しかった相手から貰えば、そのあまりの都合の良さに身が竦む。二週間前に突き放しておきながら、どうしてこんな、まるでこの気持ちを諦めなくていいと言っているような、残酷なことが言えるのだろう。 )
っなんで──
( 今度は此方から手を重ねて、その温もりから相手に大事にされていることを感じ取れば、まろい頬をじわじわと林檎に染める。相手の行動の矛盾に混乱して、今にも泣き出しそうな表情で口を開くと──その時、背後で上がった悲鳴とざわめきに、影と涙に揺らいでいた瞳へ、一瞬でいつもの理性的な光が取り戻される。職業病で思わず立ち上がってから、ふと名残惜しそうにギデオンを振り返れば、この機を逃して相手はまたビビの追求から逃げ回るのだろうと、諦めたようなギデオンへ何も期待していない笑みを浮かべて。すぐに冷静に自体を把握しようと周りを見回せば、自身の杖に手を添えて )
──っ、今のは……大通りの方ですね。一体なにが……
盗人騒ぎみたいだな。……、
(目の前の相手にどれほど集中していようが、ひとたび周囲で異常が起これば即座に臨戦態勢を。それは戦士たるギデオンもまた同じで、纏っていた空気をぱっとかき消しながら騒ぎの方角を確認する。遠い向こう、人ごみがより密なメインストリートの方で、「泥棒!」と繰り返す必死な叫びが響いていた。しかし今度は別の方角、そしてまた違う方角からも、バチバチという不穏な物音、人々の悲鳴や怒号、おまけに魔法を撃ち合う喧騒までもが次々と上がりはじめて。複数人による攪乱込みの犯行か、と冷静に見立てをつければ──付近にいた精霊使いと祓魔師に目配せし、コンクール会場の人々の誘導を予め託すことにすると、再び彼女に向き直る。……改めて花火に誘い直したくらいだから、今夜少しも話す暇がないということはないだろう。どこか怯んだように微笑む相手の表情を読み取り、「ヴィヴィアン、」と、真剣な声音でもう一度名を呼べば。先ほどの動揺が見られなくなった瞳には、代わりにどこか懇願の色が宿っていて。)
今起きてる件を片付けて、無事に仕事を上がったら……この話の続きをさせてくれ。例の花火を観ながらになるかもしれないが、有耶無耶にしたくない。
(──それで、もし成り行き上一旦別れることになったら、そのときはここで落ち合うことにしよう、と。念を押すように、真剣な思いが伝わるように祈りを込めて提案すれば。掌中に集めた魔力を抜き身の警棒に吹き込み、さすまたへと換装させて。)
……っ!約束ですからね!
( にわかに騒然とし始めた広場に、手馴れた動作で杖を抜く。撹乱を狙った組織ぐるみでの計画なら、この会場にも犯人や怪我人がいるかもしれない。警戒に目を細めて魔素の流れに集中していたところ、背後から真剣な声をかけられれば、冒険者らしい責任感に溢れた表情で振り返り。てっきりこの状況に対する指示を下されるものと思っていたということもあるが、いつもビビのアタックを曖昧にはぐらかすギデオンが、此方を真っ直ぐに見つめるものだから、素直な驚きに目を見開いてしまう。更に具体的な約束までギデオンから言い出してくれた。その真剣さを嬉しく感じて、つい頬が綻ぶものの、周りの状況と相手に対する怒りを思い出せば、喜びを隠しきれていない様子で態とらしく眉頭を寄せてから、騒音鳴り止まぬ現場へ駆け出した。ここまでされてギデオンに恨まれていると思い込み続けるほど卑屈ではない。相手の事情は分からないまでも、想像以上に自分はギデオンに大切にされている──今はそれだけで大丈夫、そう思えた。 )
( とはいえ、現場の状況はとても楽観視できるものではなく。祭りの人出に反比例するように、質屋や両替商、その他一部の商店は普段より人が少なく、鍵こそ閉めていたものの、従業員全員が祭りのメインストリートの方に出払っていた店舗さえあった。それを狙った同時多発的な犯行に、キングストン中の警察と警備要員の冒険者達は日が暮れるまで走り回るハメとなり。勿論2人も例外ではなく、犯人たちが捕まりギデオンと別れた後も、騒動と混乱のさ中、逃げ出した人々にぶつかり踏みつけられた怪我人の治療に追われ、建国祭最終日にして一番忙しい一日となった。
そうして駆け回っているうちに、建国祭の花火が上がる刻限が近づいてくる。やっと何とか事態が収まってくれば、本来シフトではなかった者達から帰宅が許されるも、今から下宿に帰って身嗜みを整えるような時間はなさそうだ。仕方なく顔の煤だけハンカチで拭えば、薄ら浮き出るそばかすは夜闇に隠れる、と信じることにして東広場へ歩を向けて。昼間の騒乱をもってしても、花火に集まる人出を抑えるには力不足だったらしく、夏の爽やかな夜闇を多くの出店や舞台の光が照らす明るい夜に、昼間とはまた違った雰囲気の装いの市民が増えてくる。周囲の楽しげな笑顔を見れば、それを守れたことへの安堵と歓喜が湧き上がるものの、出店のガラス細工に映った自分が目に入れば、小さく溜息をつき。半日人混みや破壊された建物の粉塵の中を駆け回って薄汚れた姿。前髪は汗でぺったりと潰れ、豊かなポニーテールは逆にくるくると膨れ上がって手に負えないボリュームを誇っている。気にしても仕方がないと頭を振り、昼間のギデオンに思いを馳せれば、彼は何を言わんとしていたのだろうかと、賭けに勝った歓喜の瞬間を思い出し、まだ残っている気がする感触にそっと唇に指を触れる。「──やっぱり、慣れてる……よね」思い出したのは、ビビの唇が触れても、大して動じていないように見えたギデオンの姿。湧き上がった小さな嫉妬心には気づかない振りをして、祭りの光に見とれつつ東広場へ足を踏み入れると、頬を撫でた生ぬるい風に気持ちよさそうに目を細めて。 )
ギデオンさん……もうついてるかな、
(相手の言葉にこくりと頷き、以降はギデオンも完全な仕事モードへ切り替えて。ともに現場へと急行し、同じく駆けつけた他の冒険者と即座にチームアップすれば、あとはひたすら事態収拾に向けて奔走する。これほど大勢の人出があっては、逃亡犯の捕獲からして一筋縄では行かぬもの。それでも尚、カレトヴルッフとキングストン警察の名に懸けて、全員をお縄につける所要時間は半刻程度に収められた。しかし問題はここから先だ。被害の全容の確認、怪我人の手当て、荒らされた現場の復旧、悪漢どもの余罪の追及、警備体制の見直しと、兎角後始末が多い。己は今年こそ一般警備に回っていたが、無駄に年季が入っていることもあり、事後検証や詮議立てには顔を出さねばならない立場。気づいた時にはヴィヴィアンの姿を見失い、他のヒーラーと怪我人の手当てに行ったようだと周囲の会話から察した。……こればかりは仕方がない、適材適所というやつである。間違っても忘れぬよう、最後に交わした約束のことを脳裏にちらつかせながら淡々と仕事に当たれば、あっという間に日が落ちて。夜の帳が下りた街には、色とりどりの魔法灯が人々の影を和やかに揺らめかせる光景が其処此処で広がっていた。こうして平和を取り戻した建国祭も、いよいよ最終盤──数千発の花火の時間が、まもなく始まろうとしている。)
(着替える時間こそなかったが、半日走り回ったこともあり、最低限の身嗜みだけは整えようと薬屋に立ち寄った。とはいえ、臭い消しの魔法薬が入った小瓶を買い、全身に噴霧しただけではあるのだが。三十路を超えたら臭いにゃ重々気を遣え、とは先輩のホセの言である。やたらめったらトラブル好きで悪鬼とさえ呼ばれる男だが、色事などにおいては繊細に気遣う一面がある。去年の暮れだったか、まだ二十歳にもならぬ娘に惚れられて電撃婚を遂げたのだから、奴の助言は大いに活用するべきだろう。──なんだか、余計なことをやけに自然に考えたような気がして、誰がいるわけでもないのに気まずそうに顔をしかめ、ぐしゃりと横髪を掻く。息を吐き、小瓶を公共の塵箱に投げ捨て、東広場へ足を駆る。
建国祭最後の花火はキングストンのどこからでも観られるが、東広場は庶民の人気スポットだった。集合場所として指定するのはまずかったか、こんな混雑の中で長く待たせてしまったか、と心配しながら辺りを見渡せば。そう遠くない先にヴィヴィアンの姿を見つけ、ひとまずはほっと表情を緩めて。日ごろ鍛えている冒険者の連中は別として、大抵の人間はギデオンよりも背が低い。そう苦労することなく人混みを掻き分けて進み、夜風を受けていた様子の相手のそばにやってくれば、「悪い、待たせた」と声をかけ。その姿をようやく間近に眺めて浮かんだのは、身仕舞がなっていないというような冷淡な感想ではなく、今日も今日とて、ヒーラーとしての職務を果たすべくずっと懸命に働いていたのだろう、という温かな気づきだった。であれば、まずは一息つくのが先決と判断し、自分の黒い革財布を掲げて。)
……とりあえず、夜食を買って落ち着けるところに行かないか。流石に腹が減った。
ギデオンさん!お疲れ様です!
( 端的だが気遣いのこもった優しい声に、相手の顔を見るまでもなく、意中の相手だと気がつき振り返る。ギデオンが約束を破るとは思っていなかったが、今晩されるだろう話に、自分でも知らぬ間に緊張していたらしい。ビビにしては少々硬かった表情を、ギデオンの顔を認めた瞬間、頬を上気させてうっとりと好意に綻ばせても、全身ヨレヨレで薄汚れた今のビビを振り返る人間は誰もいない。髪やら服の乱れを恥ずかしそうに撫で付けつつ、相手が近づいてくれた残りの距離すら惜しいとばかりに小走りで近づけば、トネリコ、白檀、ドワーフの蒸留酒、それから少しだけ無属性の魔素、普段ギデオンからしない香りに、相手の気遣いには気付かぬ振りをしてはにかんで。ギデオンが財布を掲げるのを見つめれば、自分の気の効かなさに口元に手を当て赤面する。こういうところがホセさんとの恋を成就させた彼女や、リザとの違いだと痛いほど思い知らされると、せめてもの気遣いに、昼間ギデオンがそれは美味しそうに食べていた好物に違いないそれの方向を指さしながら歩き始めた瞬間。この空気にテンションが上がっていたのだろう、周りを見ずに大きく横に飛び跳ねた青年にぶつかられて、思わず小さくよろめけば、この人混みではそんなたった一瞬でギデオンとの距離が開く。──これくらいなら許されるだろうか、なんとかギデオンとの距離を詰め、そっと手を伸ばすと相手の服の裾を小さく掴んで。 )
あっ、そうですよね……そういえばお昼のケバブ屋さん、まだそこで営業してましたよ……あっ、
(女性としてはすらりと長身なヴィヴィアンだが、やはり性差というものはある。自分より大きな男に勢いよくぶつかられれば、受け止めきれぬのも当然のことで。押し流された相手を見てはっと立ち止まり、こちらからも拾いに行こうとしかけたが。どうにか無事に戻ってこられたのを出迎えれば、「大丈夫か」なんて当たり障りのない声をかけ。無事を確かめて今一度、目当ての店の方向へと向き直った──青い瞳を、ほんのかすかに見開いて。……原因はギデオンの左腕、おそるおそる縋り付くような控えめな感触があるせいだ。それをもたらす人間など、ここにはただひとりしかいない。立ち止まったまま前方の虚空を見つめていたのはほんの数秒の話だが、その間ギデオンの脳裏に自然と蘇ったのは、シルクタウンでのあの夜のことで。当時は努めて意識しないようにしていたが、あの時も彼女は、こうしてそっと触れてきた。それを受けて咄嗟に封じ込めたはずの、どうしようもない感情──本能的な、よくわからぬ欲のようなもの。相手を守りたいと、自分の手の内で無事でいさせたいと欲してしまうような、ひどく不当で不可解なもの。そんな想いが、この不意打ちのせいで、あの時よりも強く、明確に、自分の意志など無視して湧きあがりそうになってしまう。軽く視線を落としながら、それの促すまま、相手の華奢な手を緩く握ろうと、躊躇いがちに身じろぎする己の掌。しかし結局は寸前で、普段から稼働させている過剰な理性がほぼ条件反射的に発動し、しぼむ様に戻してしまい。「……危ないからそうしてろ、」と、彼女が控えめに取り縋るのをただ許すだけにとどめれば、何事もなかったかのように祭りの人混みの中を歩きだす。ギデオンがエスコートすれば幸いスムーズに行く手が開き、程なくして昼間のあの屋台に辿り着いた。どうやら夜は盛況のようだ。主人のほかに、その妻らしき浅黒い肌の美女や、アルバイトと見られる十歳ほどの少年も忙しく調理している。やがて順番が近づいてくれば、不意に顔を上げた店主が「お! あの時の!」と大変嬉しそうな顔をして。「最終日だから特別メニューも増やしたんだ、おまけもするから見てってくれよな!」なんて威勢よく宣伝されたので、傍らに立てかけられた黒板のメニューを見やる。通常のケバブサンドやタコスラップのほかに、伝統的な揚げ物であるファラフェル、グラタンに近いムサッカ、甘い蜜を絡めた焼き菓子バクラヴァなどが書き足されている。メインはさておき、警備の仕事も無事終えたことだから、ビールも頼んでしまおうか。普通の酒ならそう悪酔いしないたちだし、何より今夜これからを思えば多少は酒の力を借りたい──忙しない思考によって先ほどの自分の有様を無意識に忘れようとしながら、「おまえはどうする?」と隣の相棒に尋ねてみて。)
……ふふ、ありがとうございます。
( また振り払われたらどうしよう。袖を引かれて立ち止まった無言の背中を、祈るような気持ちで見つめていたから、その手が曖昧に伸ばされ萎んだことには気づかなかった。振り向きもせずに歩き出すギデオンの指示に心底安心して息をつけば、その吐き終わりの部分を小さな笑みに震わせる。振り払われるのも辛いが、全く反応されなくてもどう判断したものか迷ってしまう。考えた末にビビから縋る分には許してくれる、ただそれだけのささやかなことが嬉しく感じるほど、ビビにとってもこの2週間は辛く無味乾燥とした時間で。それから屋台に着くまでのほんの短い時間、心地よい沈黙に頬を染め、夢見るような視線はずっとギデオンを追っていた。そうして昼間ぶりに屋台の主人と顔を合わせれば、相手に負けず劣らず嬉しそうに目を輝かせ「わあっ!全部美味しそう!」と小さく飛び跳ねるビビに、だらしなく相好を崩した主人がエキゾチックな美人に小突かれる頃には、いつの間にかギデオンの袖から手は離されていた。レモンの効いたサバサンドに目を奪われながらも、アルコールと書かれた看板を示すバディの方身を乗り出せば。先程のギデオンとはまた違った意味でシルクタウンの夜を思い出し、恥ずかしそうに鬱向いて。普段であれば見くびられないためや、背伸びをして飲むそれも、今晩はギデオンが好むなら自分も同じ味を知りたいと、心からそう思えて。いつかグランポートで人から借りた口説き文句を、思わず口にしていることも、屋台の方から微笑ましげに見守られていることも気づかずに、以前一度酒で迷惑をかけた手前、胸の前で両手の指を合わせると照れくさそうにお伺いをたてて。 )
……ギデオンさんと一緒なら少しだけ、飲みたいな。
……ワイン以外なら許可してやろう。
(はにかみながら打ち明けられた要望に、一瞬ぴくりと眉を動かす。思い出すのは、眩しい陽射しが降り注ぐ海辺の町でのあの会話。たとえ男とふたりきりの状況で酒に強くない自分が酔いすぎたとしても、『ギデオンさんだけならいいじゃないですか』──などと。潮風に吹かれながらこちらの顔を覗き込んできたヴィヴィアンが、随分あどけなく笑ってくれたものだ。あの時こそ彼女の過ぎた無防備さについため息を零したが、それから半月以上経ち、他の様々な出来事も未だ記憶に新しい今、ギデオンの胸に沸くのは単純な懐かしさで。可笑しそうに目を細めては口角を緩く上げ、相手も思い出しているであろうあの夜のことを今さら揶揄ってやりながら、屋台に近づいて店主の妻に注文を。程なくして、揚げたてのファラフェルサンド、塩気と柑橘が爽やかに香るサバサンド、ラム肉と獅子唐を使った大振りのシシュケバブ数本、蓋つきの紙コップに入った冷たい酒、それにおまけの何かまで入れてもらった紙袋を、表に出てきた幼い少年に差し出される。それを片手で抱え上げれば、残る片腕の袖を掴むよう相手にさり気なく示しつつ、屋台を離れて再び何処かへと歩き出すことにして。……忘れてはいけない、今夜こうして一緒にいるのは、賭けに勝ったヴィヴィアンの望みを叶えてやるためだけではないのだ。昼下がりに交わした、聞き捨てならないあの会話。あれをきちんと続けられるような場所を、と思いながら採算辺りを見回すが、生憎どこも人、人、人、の大混雑っぷりである。参ったなと感じつつ、しっかり話したいと言い出したのはギデオンの方なので、責任を持って探さねばならない。自身の歩調と、先ほどの男のような不注意な輩の気配に注意を払いつつ、腰を落ち着けるまでの暇潰しにとりとめのない雑談を振って。)
昼間の件は大変だったな。そっちはどうだった、酷い怪我人はいなかったと聞いてるが。
人が気にしてるの知っててそういうこと言います!?
( これまでのギデオンは、ビビのアタックに困惑の表情を浮かべつつ、誤魔化し受け流すばかりだったはずだ。──こんな、意地悪い笑みを浮かべるような人だっただろうか。あの医務室以前のビビならば『ビールでも酔っちゃったら、家までおくってくれます?』なんてギデオンの腕に縋り付いたかもしれないが、爽やかな甘さの中に抗い難い色気の滲む表情に一瞬見とれては、いつもと違うギデオンの様子に、これからされるだろう話を予感して緊張がぶり返し。林檎のように頬を染め、色気のない抗議に両の拳を握りポニーテールを揺らすのが精一杯。その上、勝手な気まずさから救世主となってくれるかと思われた少年が、ビビの細腕をスルーして、ギデオンに全てを纏めた紙袋を持たせて「女の子には花より重いもんは持たせねえ主義なんだ」と、普段であればこれ以上なく愛くるしく感じられるキメ顔を披露してくれたものだから、益々やり場のなくなった手を彷徨わせる羽目になり。そこへギデオンから袖を示唆するさり気ない追い打ちまで心臓に喰らえば、恥ずかしさからくるキャパオーバーに眉尻を下げ、袖を掴んだ指は行きよりずっと控えめで。暫くは東広場とは違う方向へ進んでいることに気づく余裕もなく、静かにギデオンの後ろを歩いていたが、仕事に関する雑談を振られれば露骨に安心した表情を浮かべて顔を上げ。 )
本当に!こんな日を狙うなんて許せないですよ!
……怪我の方は、良かったって言ったらダメですけど、重症の方はいなくて、
( そうして、楽しい祭りに水を指す無粋な犯人に、素直な怒りを表すまでは元気が良かったものの、一瞬言葉を考えるように黙り込めば、眉間に寄せた皺が怒りから不安げなものに変わる。犯人を捉えて安心したのもつかの間、建国祭の期間限定で立てられた救護テントは、巻き込まれた一般の負傷者達で溢れかえっていた。事件の社会的な始末におわれるギデオンの一方で、ビビは後輩のヒーラー数名と、傍で手持ち無沙汰になっていたバルガスを力仕事要因に引き連れてテントに向かっていた。不幸中の幸いで命や後遺症に関わるような怪我をした者はいなかったが、冒険者たちと比べて非常時や怪我になれていない市民たちの空気は最悪で。常々、被害者たちの恨みの矛先は、加害者よりも、助けた人間に向かい易い。お前らの警備が甘かったせいで、こんな事件を見逃すなんて!と、決して気分の良いものでは無いが、ヒーラーとして3年目を迎えれば、ビビにとってはとっくに慣れた叱責も、冒険者達の中で守られ感謝される経験の方が多い新人ヒーラー達には辛い。どんどん顔色の悪くなる後輩たちを、何とか鼓舞しながら治療に当たっていたものの、逃げる人に押されて腰痛を悪化させた老夫に、受付のリザが突き飛ばされたのを見て、責任感の強いバルガスがとうとうキレてしまった。基本的に前線で立ち回る彼は、自分の活躍は周りの支援のお陰だとヒーラーや、事務方の構成員を非常に大切にする。しかし、今回はそれが最悪なタイミングで発揮されてしまい。今にも老夫を捻り上げ兼ねない彼を宥めすかして、別の部所の応援に出している間、ビビなしで働いてくれた新人達の心労は如何程だったろう。明日以降の精神的なフォローを考えて深い溜息をつけば、ビビに惚れていることが公然となっている男の名を漏らしたのは、そういった事情で。 )
どっちかと言うと、皆の方が心配です。
特にバルガスはすごく落ち込んでたから……泣いてないといいけど。
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