匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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簡単なものですけど、桃の方はおかわりありますからね。
( 相手の苦悩など露知らず。盛り付け終わった皿と共にソファの方を振り返れば、向こうもほこほこと衛生的になった姿に、雪色の眦をほっと緩ませ、微笑む相手の隣へ腰掛ける。そうして見上げた恋人の顔が、いつにも増して頼もしくうつって、その分厚い肩に甘えるように頭を預ければ。ビビの空いたグラスに気がついて、新たにステアしてくれる手元の色っぽいこと。もじ……と、やけに座り辛い位置に装飾の来るランジェリーに、さりげなく姿勢を直してグラスを受け取れば、食前の乾杯を楽しんで。
流石、一応高級住宅地であるサリーチェでやっていけていけているだけあると言うべきか。内心の懸念を逸らすつもりでかぶりついたスナックは、その手軽さとは裏腹に、ピリッとしたソースが香る素晴らしい出来だった。思わず隣の恋人と顔を合わせ、目を輝かせれば。ローストビーフの焼き加減や、ソースの隠し味について真面目に議論すること暫く。──毎晩ビビの手料理を楽しみにしてくれているギデオンが、態々こうして時間を作ってくれたのだ。そうでなくとも、本来ギデオンは関わらなくていいはずのパチオ家の問題に、此方が手動で動かなければ不誠実というものだろう。
しかし、信頼する相棒に対してこうも口にするのを躊躇うのは、ビビ自身がこの事態の解決方法を思いついてないからだ。……分かっている、分かっているのだ。なんにせよ、とち狂って駆け落ちでもしない限りは、あの頑固な父親と再び向き合わなければならないことを。しかし、優しいギデオンはああいってくれたが、再び二人を引き合わせて、ギデオンが悪く言われるのはビビが辛抱たまらない。それに、烈火のごとく怒り狂っている父を相手に──否。自分のためにあんなになってまで、とんで帰って来てくれた人を相手に、あんなに酷いことを言ってのけて、今更どんな顔をして会えばいいと言うのだ。なにか……特別に連絡が無いことから察するに、ギルバートの容態に悪化の兆しはないのだろうが、あの父親が大人しく休めているのだろうか。あまり好きじゃないキングストンでひとり、きっと寂しい夜を過ごしているだろうに。こうして最愛の恋人の隣、大好きな我が家で過ごしている己はなんて非道なことか。──そう、何度も何度も口を開きかけては口を噤むか、違う話題を引っ張り出すか。いい加減、不自然なことは己も分かっていて、未だ覚悟が決まらずに。このまま心中を口に出せば、まとまっていない思考でギデオンに迷惑をかけることを分かっていて、一歩踏み出せないままでいる。そうして、買ってきた軽食も一段落ついて、ギデオンの作ってくれた香りの良い酒を舐めては、空いた手で相手の大きな手を弄べば臆病にも、持て余した口から滑り出るのは、余程言い慣れたらしい愛の言葉で、 )
…………あのね、……。その…………、
ギデオンさん……好き。じゃなくって……いえ、好きですけど、世界一愛してますけど、その、んー……
(ちょっとした美酒に、初めて食べるテイクアウト料理、色とりどりの自家製のつまみ。そして何より、触れ合うほどの距離感で、可愛い恋人と隣り合いながら。あれも美味い、これも美味い、こいつはこの隠し味が最高だ、この食材はいったいどこで──などなど。仲良く楽しく盛り上がっては、のんびりと舌鼓を打つこと。夏の宵の過ごし方として、はたしてこれ以上最高の贅沢があるだろうか。
そうして、ある程度腹もくちくなったところで。ギデオンが己の酒杯を揺らしていると、ヴィヴィアンが何やら雰囲気を変え始めた。カクテルで口を湿らせるも、もじもじと口ごもり、視線をさ迷わせ……はては手慰みに、こちらの手と戯れて。そっと静かに見守っていれば、恋人はようやく言葉を切り出し──けれどそれは、もにょもにょと落ちつかなげに、困ったように萎んでしまう。「自分が今言うべき言葉はこれではないのに」という自覚が、ありありと滲んで聞こえる。その真剣な表情からしても、今宵の本題にいよいよ踏み込もうとしているのに、どうすればいいかわからないのだろう。
しかし、それでとりあえず口にしたのが、いつもの愛の言葉とくるのだ。そのあまりにもないじらしさに、思わず目尻に皴を寄せて控えめに苦笑すると。不意に前方に上体を傾け、ローテーブルの皿に乗っている桃のひとつを、ピックで刺して拾い上げる。それをそのまま、相手の方に運んでいったかと思えば。無言で(あ)と口を開け、相手に真似をするよう促し。可愛らしい唇に、そっと甘い果実を食ませ──ナチュラルな「あーん」を成功させれば、満足気に目元を緩める。あの浜辺で強請られてそうして以来、ヴィヴィアンに餌付けするのが、密かな性癖になっているようだ。ピックを卓上に戻すと、繋いでいた手を緩く解いては、ソファーの背もたれ越しに相手の肩へ回し。そうしてより密着し、相手の方に頭を傾け、心地よさそうに呼吸を深めつつ。相手がもきゅもきゅと甘い果肉を食んでいる間に、穏やかな声で語りかける。何せ今宵は、充分に時間があるのだ……ゆっくり解きほぐしていこう。言葉通りの、“いちばん”の懸念事項はすぐには切り出しにくいだろうが、それでも一度滑り出せれば、やがて言いやすくなるはずだ、と。もう片方の手を持ってきて、相手と再び手を絡めては、その手の甲を指の腹で撫でさすり。)
おまえのなかで、俺への迷惑だとか、何とか……とにかく、俺にまつわる心配をしているなら、そいつは後回しでいい。俺はほら、見ての通り、今充分幸せでな。取り越し苦労には及ばない。
それよりもおまえ自身だ……きっと親父さんのことで、いろいろと不安があるだろう? 力になりたいんだ。今、何がいちばん気がかりか教えてほしい。何が怖い……?
……、……っ、
( 本人に直接言ったことは無いのだが、ビビはギデオンが食事を頬張る瞬間の大きな口がたまらなく好きだ。目を見張るほどの肉の塊や、瑞々しく色鮮やかな丸ごと果実、ビビであれば複数回に分けないといけないようなそれらが、一口で吸い込まれていく心地良さ。造り手として嬉しい程の勢いに、ついつい素材を大きく切ってしまいがちな最近。今回の桃もそのまま差し出されては、相手からのあーんを逃せるはずも無く。小さな顎を動かして、必死に咀嚼しているその隙に、実に親密な雰囲気で金の頭を寄せられてしまえば。その可愛い旋毛に唇を寄せ、陶然とした表情で短い髪をサラリと梳くと。
──何が一番怖いかなんて、そんなのあまりに簡単な事だ。 )
──ギデオンさんと、一緒にいられなくなるのが怖い。
……から、パパと、父と話さなくちゃいけないのに、私いっぱい酷いこと……でも、ギデオンさんに酷いこと言うから……パパが先に怒ったからぁ……ッ、
( そんな考えるまでもない質問の答えは、先程目の前の恋人が力強く否定してくれたばかり。しかし、ギデオンがなんと言おうと、どうしようもなく頼りベタな娘が、ちゃんと次の答えを絞り出すための潤滑油とはなってくれたようで。絡められた指をぎゅっと握り直して、年上の恋人の手のひらの上。最初はぽつり、ぽつりと漏らしていた弱音が、液体となって下瞼の縁を勢いよく乗り越えると。濡れた顔を見せたくなくて、ソファの上に小さな足の親指を合わせて縮こまり、その膝の上に目元を伏せる。そうして、己から上がった幼い子供のような泣き声に、はっと慌てて口を噤むも。流れ出ようとした感情を堰き止めて、脳裏に蘇ったのは、昼間の父ギルバートの険しい表情で。初めて見た父の怒りの表情に、再度悲しみとも不安ともつかない混乱が胸をしめ、ううぅ~ッと再び拙い嗚咽が漏れる。そうして、最後にぽつり。未だ諦めの悪い理性が気道を締めて、引きつったような、無理に冷静ぶった声を出させるも。その結果が一番頼りなく、子供じみた弱音なのだから、ギデオンが知りたがった"いちばん"が何か、わかりやすいことこの上なく、 )
…………パパ、私のこと、嫌いになっちゃったのかな……だから、怒ったりするの……?
……今まで、何かしらで親父さんに怒られたことは?
(ひっく、ひっくと、顔を突っ伏したまま震えている華奢な肩に、大きな掌をそっと添える。そうして軽く撫でさすりつつ、真横から穏やかに尋ね。相手が否と答えれば、「そうか……」と仕方なさそうに微笑む。そうして、静かに正面を向き、敢えて視線を外したまま。震える身体をこちらに傾がせ、もたれかからせて、またよしよしと慰めはじめることだろう。
なるほど、自分は思い違いをしていたようだ。パチオ家の親子関係は、てっきり過去の何かしらが原因で冷えているのかと想像していた。だが実態はどうだ。今ここにいるヴィヴィアンの様子はどうだ。──こんなに幼気に泣き咽ぶくらい、父親のことが好きで好きで仕方ないのだ。だからあのような、高圧的な振る舞いに、混乱してしまったのだろう。だから反射的に、跳ね返そうとしてしまったのだろう。それでも本音ではギルバートを慕っているから、こうして不安や罪悪感に押し潰されそうになっているのだ。そのような洞察を得れば、相手のあまりのいじらしさに、愛しさの滲んだ笑みを浮かべ。何なら、ギルバートに少し妬けてもしまうのだが。それよりまずは、彼女の不安を取り払ってやらなければ、と。肩に回していた掌を下に滑らせ、彼女の太ももをぽんぽんと軽く叩きながら、自分の声を落とし込んで。)
怒るのは、嫌いだからじゃない。寧ろおまえのことが、今でも大事で大事で仕方ないからだよ。
考えてもみろ……可愛い可愛い娘が、ある日突然、どこぞの馬の骨にこうして囲い込まれてるんだ。親父さんにしてみたら、きっと青天の霹靂だったんだろう。だから躍起になって取り返そうとして……ちょっとやり過ぎた、それだけのことなんだよ。
なあ、賭けてもいい。今ごろは親父さんもきっと、おまえに強く言い過ぎたって、おまえそっくりに落ち込んでるはずだ。……そう思うと、な? 仲良しの親子だろ。
(おどけたような声音、からかうような声音。それらを駆使して軽い調子を作りながらも、あくまで本質は真剣に、ふたりの有り様をそう説明し。可哀想に丸まった背中をゆったりと撫で擦り、時には顔を寄せて伏せた頭にキスを落としては、相手が落ち着くのを待って。)
そうかな……そうかも、
( これまで何度他人から、"お父様と仲がよろしいのね"と微笑まれようと、拭いきれない罪悪感に肯定できず、ただただ小さく笑って誤魔化してきたヴィヴィアンだったが、同じ言葉でもギデオンから言われるだけで、こんなにも簡単に救われてしまうのだから不思議でならない。頼れる恋人の明るい声に、涙で濡れていた頬を染め、えへへ、と眉を下げて頷けば。「……でも、ギデオンさんは馬の骨じゃないもん」と、おもむろにソファから立ち上がり、当たり前のような態度で長い間におさまり直す姿は、己が愛されていると信じて疑わない……要はいつも通りの姿を取り戻したかのように見えたのだが。「私の相棒で、恋人で、すっごく大切で大好きな人だって、パパにもわかって欲しいの……」なんて、今更何を嫉妬することがあるだろうか。恋人の逞しい腕の中、無防備に微笑む娘が、その人の隣で生きていきたいと願う人間の座は、とっくにギデオンのもので。 )
……私、頑張るから。次のお休みの日、ギデオンさんもついてきてくれる?
( そう珍しく弱気な姿を見せるのも、相手が他ならぬギデオンだから──……には違いないのだが。いよいよしっかりと回り始めた酒精に、一度しっかりと泣いてしまった開放感。そして耳元で囁かれたビビにとって都合の良すぎる甘い甘い赦しの囁き、それら全てがビビの理性を曇らせて、その頑なな思考をとろりと溶かしすぎてしまったらしい。
先程の弱音にも、頭上から肯定の声が振ってくれば。じんわりと広がる安堵に幸せそうに微笑んで。首を伸ばして上を向き、餌を要求する雛鳥のように相手の唇をねだったまでは良いが──滑らかで白い喉元を通り過ぎ、合わせの甘いネグリジェから、妖艶に飾り立てられた豊かな胸元を覗かせたのは完全にただの迂闊。
その上、この時のビビはギデオンの力強い後押しを受け、再度あの父親と対峙する覚悟を決めいた。つまり、あの険しい表情を思い出せば、どうしようもない不安感に苛まれるのは避けられない。──年の差を考えろ。釣り合わない。なにか血の迷いだ。そうこの一年のあいだ何度も周囲に、なんなら当の本人からさえ指摘され続け、しかし全く気に留めなかったそれらの言葉が、父ギルバートの声で繰り返されると、どうにも心に深く突き刺さって抜けず。混乱しきった脳内に、先程諦めたはずの身勝手で恥知らずな"欲求が"復活し思考を占拠し始める。
しかし、恋人の手ずから形無しに蕩けさせられてしまった思考とは裏腹に、過去のトラウマが残る身体は、カタカタと小さく震え出し。そんな理性と本能が相反し、ぐちゃぐちゃに混乱しきって目も当てられない、普段のビビであれば絶対に表さないだろう感情の発露と共に、震える指で相手の指を絡め取れば。はくはくと浅い呼吸を繰り返しながら、とろりと濁った視線を上げて、蚊の鳴くような声でささやきながら、しゅるりと背中の紐へと手をかけて、 )
──……それで、その、お願いが……あって。
本当に………………私が何を言っても、迷惑に思ったり、軽蔑したり……しない?
もちろんだとも。ふたりで一緒に見舞いに行こう……
(“定位置”にすっぽり収まり、しっとり甘えてくる恋人に、喉を鳴らして微笑んで。少しでも元気を取り戻してくれたことへの安心感を伝えるように、強請られるまま唇を食む──そこまでは、まだ良かったのだ。
けれども、自然と顔を離し、閉ざしていた双眸をゆっくりと開けた瞬間。それまで大人の余裕をたっぷりと湛えていたギデオンの表情は、がちん、と間抜けに固まった。今になって気がついたようだ。己の胸元で、色っぽく目を伏せるヴィヴィアン。彼女を真上から見下せば、そこには酷く……本当に酷く淫靡な光景が……広がっていることに。
思わずそれとなく、非常にそれとなく顔を逸らし。片手の拳を口許にやり、視線を虚空にさ迷わせながら、余計な下心を鎮めようと試みる。男をそそる蠱惑的な女体など、昔散々見飽きたはずだ。ヴィヴィアンのそれが全くの別枠なのは、それはそうだが……だとしても今更何を、何もこんなタイミングで、女を知らなかった十代の頃の感性に戻るような大馬鹿者はないだろう。そんなギデオンの自制もむなしく、肝心要のヴィヴィアン本人が、更なる追い討ちへと及びだす。何やら小さく震えながら、それでもギデオンと指を絡め。何か一生懸命に、言葉を切り出そうとして──か細くも、どこか甘やかな期待の響きを孕んだ声が、ギデオンに問いかける。その異状に思わず顔をそちらへ戻し、動揺甚だしい表情のまま、「ヴィヴィアン……?」と呟けば。──しゅるり、と。やけにはっきりと聞こえた衣擦れの音とともに、ヴェールのようなネグリジェが、中途半端にずり落ちて。ヴィヴィアンの両肩のすべらかな肌が、目に毒なほどあらわになる。
ここまでされれば、流石のギデオンも気づかないわけがない。上気した頬。潤んだ瞳。自ら脱ぐ夜着。彼女が何を求めているのか、“お願い”されるより先に、全身が感じ取ってしまった。……呼吸を忘れる。喉が渇く。普段は冷静な青い瞳は、もうヴィヴィアンから逸らせない。蛹を脱ぎ捨てて蝶になりたがっている娘に、どうして釘付けにならずにいられよう。未だ何も答えられぬまま、ただただ無言で彼女を見つめる、ギデオンの胸の内。未だ稼働する理性が、冷静な声で鋭く囁く。──やめておけ、彼女はまだ怯えているだろう。ふたりとも望んでいながら、そう上手く事が運ばずに、辛い思いをするだけだ。しかし本能もまた、別の思慮深さを込めて囁く。この臆病者。目の前の彼女は今、トラウマを拭い去れないままであっても、自分を求めてくれているじゃないか。自分が応えれば、彼女の望みを叶えてやれる、患う不安を癒してやれる。何を躊躇う必要がある? ……)
………………
(そうした、刹那の逡巡の末。ギデオンは一度目を伏せ、そしてもう一度、ヴィヴィアンと視線を合わせた。この時にはもう、いつもの落ち着いた表情を取り戻し、仄かな微笑みさえ浮かべていて。「……しないよ、」と。ゆったりした声で返しながら、絡めていない方の手を彼女の頬に添え、そっと撫でる。彼女の選択が、滅多にない出来事に直面している不安感や、判断力を鈍らせるアルコールのせいだとしても。一歩先へ踏み出したい、というのも、きっとかねてからの望みだ。ならば、彼女の欲しいだけ……今できるところまで、付き合おうと。腹を決めたが故の、静かな、けれど熱を帯びた声で、そっと“お願い”を促して。)
……それで。俺に、何をしてほしい?
………………ッ、
( ギデオンの穏やかな肯定に覚えたのは、安堵などとは似ても似つかぬ。もはや後戻り出来ぬ(と信じきった)不安と、寧ろ絶望にも近い悍ましい何か。頬を滑る普段は大好きでたまらない温もりも、どこか少し冷たいような、ゴブリンの皮で作った手袋でも被せたような。得体の知れない感触に思えてしまって、頬擦りどころかびくりと小さく固まれば。
しかし、その違和感がこの身体を暴いたならば、それこそビビが望んだ通り。きっと私はこの夜のことを──己が相手のものであることを。きっと忘れずに済むだろう。
そんな自傷に近い確信と、ほぼ同時に促された"お願い"に、いよいよ青ざめた顔へと、精一杯の笑みを浮かべて。相手の逞しい腕の中、たっぷりと焦らすようにして恋人の方へと向き直ると、その片方の膝を跨ぐようにして体重を預ける。そうして、覚えた座り心地の異常な悪さに、やっとその扇情的なランジェリーの装飾の意図に気がつけば。かあっと上がった体温も、この時ばかりは良い方向へと作用したらしい。初めは、悪趣味な飾りへの嘲笑だった吐息が、吐いた分を吸ってと繰り返しているうちに、この場にとても相応しい、しっとりとしたそれへと染まっていく。──……まずはその気にさせろ、と。……と、何気なく思い出したそのフレーズは、いつかグランポートの夜に聞きかじった、ろくでもない女山賊共の講義の一部だ。
そのありがたいご高説に従うではないが、これまで幾度触れてきたか分からぬ唇に吸い付くと。普段は翻弄されるままの動きを、純粋に己が好きだった、気持ちよかった方法を、必死に真似て再現し。そうしているうち、もとより不安定な膝の上、慣れぬ動きに滑り落ちそうになれば、相手の首に腕を回したその瞬間。二人の間でぱさりと薄い布が落ちる音が、激しい水音の間にやけにはっきりと耳についた。
それからたっぷり数十秒後。──やっと汚れた口元を離して、無言で見つめ合うこと数秒間。繋がっていた銀糸がぽたりと胸を直に濡らす感覚に身をよじると。相手の方に倒していた上半身をゆっくりと起こしながら。此方は熱というよりは、純粋な羞恥を感じさせる口振りで、促された願いについて答えて、 )
──……私が誰の、ものなのか。消えない証拠が欲しいんです。
何があっても、……絶対に、忘れられないように。
………………ギデオンさんの手で。パパがぜったい、しないこと。教えて、ください……
──………………、
(その文脈を咥内でじかに味わい、胸の内も頭の奥も熱く爛れていた矢先。耳に届いたのはあまりもの殺し文句で、思わずくらくらと目眩さえ覚えた。──今のが本当に、純真無垢な娘の口から捧げられた台詞だろうか? しかし理性はもちろん、ヴィヴィアンが決して魔性の女などではないことを知っている。いつのまにか彼女の華奢な背を這いまわしていた、己の両掌の下。うら若い恋人の躰は、固く小さく強張って震え、まるでエレンスゲの前に差し出された生け贄の乙女のようだ。……未だ、怖いのだろう。以前語った、昔の恋人との一件が、今なお深く刻み込まれているのだろう。しかしその一方で、“パパが絶対にしないこと”……ギルバートが認めないような深い交わりを、ギデオンとしたいのだ。そのばらばらになりそうな、いじらしい心ごと。手つきを穏やかなそれに変え、そっと彼女を抱きしめる。そうしてまずは、怖がりな娘の頭や背中を、あやすようによしよしと撫で。いつもの“安心できる恋人”の声で──情欲は一度押し込めて──、柔らかな耳朶にそっと囁き。)
……任せろ、忘れられなくしてやる。
でも、そうだな……こういう行為は、信頼や安心感があってこそ楽しいものだ。
だからまずは、おまえの緊張が少し抜けるまで、こうして触れ合うのに慣れよう。……なあ、上だけ脱いでもいいか?
(──おそらく、この情景を傍から見る者があったなら。歳の差があるとはいえ、共に成熟した男女同士。その事の始めが本当にこれなのかと、酷く呆れたことだろう。だがここは、自分たちふたりの我が家。他に人目はなく、大切なのは互いだけ、何を気にする必要もない。恋人の許可を得れば、ごくさりげなく身じろぎしながら、いつものワインレッドのシャツを寛げ。やがては肌着ごと脱ぎ捨ててしまうと、まずはただ、相手と静かに抱き合うのを堪能しはじめる。完全な素肌同士ではないとはいえ、いつもより肌の面積が広いのは確かだ。ヴィヴィアンの体温がじかに伝わるのがギデオンには心地良いが、きっと彼女には、これもまだ刺激的な部類だろう。故に焦らず、急がず。膝の上の彼女をあやすように抱きしめ、とくとくと鳴る心臓同士を近づける。互いの呼吸を同じリズムに近づければ、少しはこの多幸感を分け与えられるだろうか。ヴィヴィアンの様子を見ながら、時折耳や頬にごく軽い口づけを施し、「ここにいるのは俺だよ」「大丈夫だ」「おまえの怖いことはしない。ちゃんとゆっくり、確かめながらやるから……」等々、囁くこと十数分。ようやく強張りが弛んだのを感じて、思わず嬉しそうに微笑めば。今度はまた少しずつ、相手の知識の確認に入る。いつぞやの連れ込み宿で、アイリーンのあのマシンガントークに相槌を打てていたくらいだ……歳相応に物事を知ってはいるだろう。それでも、無駄に経験豊富な自分と、実践面はほぼまっさらだろう彼女で、おそらく常識の範囲が異なる。故にこれは揶揄いではなく、あくまで大事な話なのだと。そんな言葉が白々しく聞こえるほど、楽しそうな声であれこれと会話を繰り広げ。「……そういえば。自分で無柳を慰めたことは?」。酔っ払いにするには聊か迂遠なこの質問も、魔導学院出身で教養のある彼女ならば、と投げかけた者。──別に、本当に大事な確認であって。彼女を虐めるつもりなど、ちっとも、これっぽっちもないのだ。)
──………………、
(その文脈を咥内でじかに味わい、胸の内も頭の奥も熱く爛れていた矢先。耳に届いたのはあまりもの殺し文句で、思わずくらくらと目眩さえ覚えた。──今のが本当に、純真無垢な娘の口から捧げられた台詞だろうか? しかし理性はもちろん、ヴィヴィアンが決して魔性の女などではないことを知っている。いつのまにか彼女の華奢な背を這いまわしていた、己の両掌の下。うら若い恋人の躰は、固く小さく強張って震え、まるでエレンスゲの前に差し出された生け贄の乙女のようだ。……未だ、怖いのだろう。以前も何度か言っていた、昔の恋人との一件が、今なお深く刻み込まれているのだろう。しかしその一方で、“パパが絶対にしないこと”……ギルバートが認めないような深い交わりを、ギデオンとしたいというのも事実なのだ。そのばらばらになりそうな、いじらしい心ごと。手つきを穏やかなそれに変え、そっと彼女を抱きしめる。そうしてまずは、怖がりな娘の頭や背中を、あやすようによしよしと撫で。いつもの“安心できる恋人”の声で──情欲は一度押し込めて──、柔らかな耳朶にそっと囁き。)
……任せろ、忘れられなくしてやる。
でも、そうだな……こういう行為は、信頼や安心感があってこそ楽しいものだ。
だからまずは、おまえの緊張が少し抜けるまで、こうして触れ合うのに慣れよう。……なあ、上だけ脱いでもいいか?
(──おそらく、この情景を傍から見る者があったなら。歳の差があるとはいえ、共に成熟した男女同士。その事の始めが本当にこれなのかと、酷く呆れたことだろう。だがここは、自分たちふたりの我が家。他に人目はなく、大切なのは互いだけ、何を気にする必要もない。恋人の許可を得れば、ごくさりげなく身じろぎしながら、いつものワインレッドのシャツを寛げ。やがては肌着ごと脱ぎ捨ててしまうと、まずはただ、相手と静かに抱き合うのを堪能しはじめる。完全な素肌同士ではないとはいえ、いつもより肌の面積が広いのは確かだ。ヴィヴィアンの体温がじかに伝わるのがギデオンには心地良いが、きっと彼女には、これもまだ刺激的な部類だろう。故に焦らず、急がず。膝の上の彼女をあやすように抱きしめ、とくとくと鳴る心臓同士を近づける。互いの呼吸を同じリズムに近づければ、少しはこの多幸感を分け与えられるだろうか。ヴィヴィアンの様子を見ながら、時折耳や頬にごく軽い口づけを施し、「ここにいるのは俺だよ」「大丈夫だ」「おまえの怖いことはしない。ちゃんとゆっくり、確かめながらやるから……」等々、穏やかな声で囁くこと十数分。ようやく強張りが弛んだのを感じて、思わず嬉しそうに微笑めば。今度はまた少しずつ、相手の知識の確認に入る。いつぞやの連れ込み宿で、アイリーンのあのマシンガントークに相槌を打てていたくらいだ……歳相応に物事を知ってはいるだろう。それでも、無駄に経験豊富な自分と、実践面はほぼまっさらだろう彼女で、おそらく常識の範囲が異なる。故にこれは揶揄いではなく、あくまで大事な話なのだと。そんな言葉が白々しく聞こえるほど、楽しそうな声であれこれと会話を繰り広げ。「……そういえば。自分で無聊を慰めたことは?」。酔っ払いにするには聊か迂遠なこの質問も、魔導学院出身で教養のある彼女ならば、と投げかけたもの。──別に、本当に大事な確認であって。彼女を虐めるつもりなど、ちっとも、これっぽっちもないのだ。)
( "いつも"の優しい声音でかけられた、心強く頼もしい約束に、それまで強ばっていた娘の眼差しが、ゆるりとほのかに和らいだ。とはいえ、こうして少しでも身体から力が抜けたのはほんの一瞬で。ギデオンの請求に押し黙って小さく頷けば、無骨な手が釦を外していく慣れた手つきに、肌着から首を抜く生々しい動き。それら全てから目を離せずに、とうとう素肌のギデオンと目が合うと。この時初めて己が見蕩れていたことに気がついて、その認めがたいはしたなさに、バッと勢い良く顔を逸らしたかと思うと、再び恥ずかしそうに縮み上がってしまう。果たしてギデオンの腕の中、素肌に伝わってくる素肌の感触は、良くも悪くもあまりに刺激的で。相手の耳元ではふはふと、緊張で上がってしまった呼吸を震わせることしばらく。──確かに、最初からギデオンはそう宣言してくれていたのだが。ビビにとっては、これ以上ない食べ頃を差し出したつもりにも関わらず。その姿を前に顔色を帰るどころか、いつも以上に穏やかに、大好きな優しい声でビビが安心するようにと努めてくれる恋人に──ギデオンさんは本当に、私の嫌がることはしないでくれる。ちゃんと私を見てくれるんだ。そうやっと実感が追いついて、強ばっていた身体から徐々に力が抜けていく。その頃には荒ぶっていた心臓もいつの間にか、トクトクと心地よいリズムを穏やかに刻んで。愛しい恋人がくれた口付けを控えめに、けれど少しずつ返せるようになってくる。そうして、相手の肩に頬を寄せ、いつもより少し濃い相手の香りに耽溺していたその時だった。ふと頭上から上がった、穏やかな吐息に顔をあげれば、そのあまりにも純粋で嬉しそうな微笑みに、改めて自分がいかに大切にされているかを思い知り。嬉しいようなむず痒いような、温もりに満ちた多幸感に此方も小さく微笑み返すと、「ありがとう、ギデオンさん……」と、相手からすれば牛歩もいいところだろう此方に合わせてくれた感謝に、今夜二度目となる唇への、今度は甘く触れるだけの口付けを。
──さて、そんな感謝は今すぐに撤回すべきだろうか。流石に未だ安心しきってとはいかないものの、ある程度の落ち着きを持ってギデオンとの愛情表現を楽しんでいれば。徐ろに投げかけられた質問に、最初は一瞬きょとりと首を傾げかけ、「ぶりょ……?、!」と、一拍遅れてその意味に気がつき目を見張る。その無駄に迂遠な言い回しで、あくまで自分は真剣なのだと主張している男の、その明らかに楽しげな視線が憎らしく。──自分で? 自分でって……! と、相手の腕という檻の中、顔を真っ赤にして何も言えず。あー、とかうぅ~、だとか、もじもじ俯いている時点で察して欲しいのだが。楽しげな恋人は此方を見下ろすばかりで、一向に助け舟を寄越す気配がない。とはいえ、ここで強く反発すれば、寧ろ無防備な状態で是認するのと同義で。仕方なくギデオンの膝に手をついて、身体ごと少し前に近づいて、ギデオンの耳元に顔を寄せると、周囲に誰がいる訳でもないのに囁くような声で告げたのは、なんとなく大きな声で答えるのがはばかられたからで。 )
──……いっかい、だけ。
この前、がんばるって、約束したから……でも、よく分からなくって、その……
っくく、そうか……よく分からなかったか。クク……ッ、
(己の恋人は、いったいどこまでいじらしいのだろう。そんな馬鹿丸出しの思考を本気で抱いてしまうほど、今のギデオンはある意味打ちのめされていた。思わず鳴らした笑い声にも、揶揄うような鸚鵡返しにも、しみじみとした幸せの響きが滲み。「ああ、悪い。怒らないでくれ……」なんて、ご機嫌とりの軽いキスにさえ、つい甘ったるさが乗ってしまう。
不慣れなのだろうことは、もちろんある程度予測していた。だが、まさか。初めて及んだのがついこの間で、その動機すら、いつかギデオンに捧げたいから……ふたりの将来のためにそう約束したから……そんな健気で可愛らしいものだとは,さすがに思いもよらない。当然だろう、己の腕の中の娘は、ただでさえ、“その先”を意識して抱き合うだけでも怯えるほど初心なのだ。だというのに、こちらの露知らぬうちに、そんな努力をしてくれていた、などと。それもふたりきりの家だというのに、恥ずかしくてたまらないというように、こしょこしょと耳打ちされて。これだけの爆弾を喰らい、どうして愛おしく思わずにいられよう。
とはいえ、これ以上相手を笑うのは可哀想だ。何より、不慣れなら不慣れで、現実的にどう進めるかをあれこれ考えなくてはならない。故に笑みを落ち着けると、一度膝上の相手をごく緩やかに抱き直し。幼気なまろみのある額にかかった前髪を、そっと目許からよけてやり。「それならまずは、そこで悦くなるのを覚えるところからだな」なんて、涼しい顔であけっぴろげな発言を。
そこから始まったひとときは、まだまだ相手を健全に抱き上げたままの、相も変わらぬ雑談だ。流石にギデオンも鬼ではない……具体的な事を匂わせた途端また身を固くしてしまった娘相手に、それでも即座に手をつけるほど、無様にがっついたりはしない。今夜の観察で、相手が何かと身を固くするのは、トラウマのせいだけでもないことを察していた。純潔な乙女だからこその、未知に対する本能的な恐怖──それも多分にあるのだろう。それを性急に取り払おうとするのではなく。真っ赤な顔で悶える恋人を至近距離で堪能しながら、艶っぽい話題に興じる……これだってなかなかに、趣があって愉しいものだ。
とはいえ、単なる趣味にとどまりもしない。ヴィヴィアンの怖がりな身体を素直にするには、一見遠回りなようだが、精神的なあれこれから取り払うのが最善手だ。その考えから、まずはあれこれと、相手が苦手に思うことを探り出して。そのどれもに、「実はそれはこういうことだ」「そいつについては、こう考えてみないか?」などと、ギデオンなりの新しい視点を丁寧に植え付けていく。
──吊るした円柱を思い浮かべればわかり易いだろう。上から光を当てたとき、それは円形の影を落とす。だが、横から光を当ててみれば、壁に移る影は長方形を描くはずだ。それと全く同じである。一つの物事を見る時、それは必ず、同時に複数の形をしている。どれかひとつの形が、唯一絶対の正解というわけではない。円柱の影は真円だと思う人もいるし、長方形だと見る人もいる。どこから……どの視点から……どの境地からそれを眺めるか。それだけの違いなのだ。
ギデオン・ノースという人材は、この考え方を、普段は仕事で活用している。討伐作戦、中間管理職、内務調査、密偵活動。どんな職務においても、多角的に物事を見て、今回の目的のためにはどの解釈が適切か、それぞれの解釈にどんな利点と欠点があるか、熟慮する才を持っている。故に上層部からは、頭の切れる冒険者、というありがたい評価をいただいているのだが。──まさかお偉方一同も、ギデオンがその能力を、若い恋人との睦みごとにがっつり応用するなどとは……流石に夢にも思うまい。)
……つまり、そんな風になるのは、相手のことを受け入れるためだ。相手の男のことが好きだと、身体が勝手にそうなるんだよ。人体の不思議だな。
だから、焦らなくていい。お前の身体が目覚めるまで……こうして楽しくじゃれ合ってるのも悪くない。……
(──そうして。未だ潔癖な乙女であるヴィヴィアンが、はしたない、浅ましい、不純だと感じてしまう諸々。そのどれもに、魔法学やら人体科学やら、そういった(無駄に)学術的な視点や、恋仲ならではの甘い感情を交えての、ギデオン独自の解釈を述べ、織り込み、塗り替えていく。一見その会話は、酷く下らない猥談でしかないだろうが。それでヴィヴィアンの視野を多少広げられるなら、充分に価値があるはずだ。頻繁に交える冗談や、わざと相手を煽るような白々しい台詞だって、きっと彼女の緊張を解くのに一役買っているだろう。また、会話の折にふとさり気なくあちこち触れて、艶やかな戯れにも少しずつ慣れさせる。状況をよく調べ、分析し、工夫を仕込んでいき、手堅くも大胆に事を運ぶ──クエストに挑むときと同じ、ギデオンの得意な戦法だ。
こうしてじっくり話し込んでいたものだから。ふと気づくと、既にかなり夜遅くなっていた。鈴虫の鳴く窓の外を、恋人共に何とはなしに眺めた後。まだ同時に無言で見つめ合い、どちらからともなくキスをすると、ふと右手をテーブルに翳す。器用に施したその細工は、本来なら野営時に使う、食事の痕跡を一時保存する無属性魔法。要は暗に、洗い物や片付けはいったん後回しにしよう、という意思表示だ。りいりい、と涼やかな音が夜のしじまを満たすなか。相手を穏やかな、けれども少し熱を取り戻した双眸で見つめ。その頬に手を添えて、相手の余裕の確認を。)
…………。
……そろそろ、寝室に移ってみるか。
ギ……ギデオンさんが聞くから、答えたのにぃ……!
( 恋人の意地悪な物言いに、握った拳を振り上げて、ひんひんと真っ赤な顔で抗議していたヴィヴィアンだったが。その当の本人から宥めるように唇を落とされて、気持ちよさそうに目を細めると、紳士的な捕食者の腕の中、ぽやりと幸せそうに微笑んで。
──……ビビの所属していた魔導学院は、その研究部こそ学術的な権威だが。高等部以下の、特に中等部までの学び舎は、幼少期から学院へ通えるような、良家の子女のための社会教育に近い傾向がある。故に──ビビの恩師は、「知識も身を守る術だというのに」と嘆いていたが──少なくともビビの在学時代の女子生徒には、所謂"堕落に繋がる情報"とは切り離された、"良き妻、良き母"になるための教育が施されていた経緯がある。とはいえ、この奔放なトランフォードで、知的好奇心あふれる若く優秀な生徒たちは、それぞれ自由に大人への切符を勝ち取っていくわけだが。根が素直で真面目なビビの心に、貞淑であれという呪いは強く刻み込まれて、それが17の夏、最悪な形で決定打を押しことになる。
そうして、ギデオンの直截な言い回しに、再度カチンと固まったヴィヴィアンだったが。頭脳派であるギデオンの、内容に似合わぬ理論的な言い回しは、皮肉にも学生だった彼女には素直に受け入れやすいもので。これまではしたない、だらしないと恥じてきた行為や現象が、医療人として真面目な知識に繋がると。ビビの中で忌避されて、意識的に興味を向けないようにしていた質問が次々湧いて溢れ出る。時折、"好きな人"だとか、"赤ん坊"だとか、普段ギデオンの声では聞きなれぬ優しい単語に、どぎまぎとしながらも。真面目なものから、馬鹿らしい流言飛語の類まで、ひとつひとつ丁寧に説明してくれるギデオンに心を許しきり、その健全なんだかどうか分からぬ講義を終えれば。──そうか、あれもこれも、全ては動物として、子をうみ育てるため身体の自然な反応で。それなら、私の身体もいつか、絶対にギデオンさんを受け入れる準備を終わらせてくれるんだ。そう思えた途端、温かく神聖な気持ちで満たされる。そうして、食卓に魔法をかけるギデオンの脇で、何気なく己の腹を見下ろしたまま、続けられた質問にこくりと小さく頷けば。跨っていた腰を上げながら、その柔らかい下腹部を愛しげに撫でて、 )
………はい、お願いします。
あの、もし──ギデオンさんは、赤ちゃんが出来たら、嬉しいですか……?
────……、
(その穏やかな問いかけの意味を、すぐには理解しきれぬまま。思わず声を失ったギデオンは、彼女の頬に添えていた手をゆるりと下ろし、ただまじまじと相手を見つめた。目の前のヴィヴィアンは、聖母のような慈愛をたたえて、今何と言ったのか。子どもができたら嬉しいか……だと? 頭の中でそう反芻し、ようやく噛み砕いた途端。ギデオンの青い双眸は、激しく波打つ水面にも似た、深い輝きを帯びはじめ。薄く口を開くものの、そうにも喉が詰まるらしく、視線ばかりが揺れ動く。困ったような表情になるのは、何もヴィヴィアンのせいではない。胸に沸き起こる感激の嵐を、持て余しているだけなのだ。
それでも、結局のところ。「……嬉しいよ、」と。気づけば、口が勝手にそう答えていた。少し震える手を、再び彼女の頬に這わせ。指の腹でそっと目許を撫でながら、ギデオン自身もどこか堪えかねたように目を細めて、もう一度。「嬉しいよ。きっと、この世でいちばん……何よりも嬉しいことだ」と。目を閉じ、項垂れながら頭を寄せて、その思いの深さを彼女に伝えようとする。だが、すぐに物足りなく感じたらしい。太い腕を蜂腰に回し、やや痛いほどに抱きすくめ、その無言の仕草で叫ぶ。好きだ。ヴィヴィアンが、死ぬほど好きだ。
──……齢九つになるかならないかで孤児院に入ったギデオンは、上流階級の生活を知らない。故に、良家の子女が受ける徹底した淑女教育……魔導学院も施すそれを、知識として知ってはいても、目の前の恋人と結びつけるには至らない。だからこそ、より深く突き刺さったのだ。妻になること、母になることを、ヴィヴィアンが強く強く望んでくれているように見えて(あながち間違いでもなかろうが)。閨事を未だ怖がるような娘が、それを経なくては手に入らない筈のものを、ギデオンのためであれば叶えてくれるかもしれないと知って。
青年時代のギデオンは、家庭を持つことにそう積極的ではなかったはずだ。寧ろ自分は父親に向かないだろうと考え、そういった幸福を望むような女性たちとは、自ら距離を置いていた。よって自然に、自分と同類の……暇を快楽で塗り潰したい女たちと、散々遊んでいたわけだが。──今はもう、あの頃とは違う。己の腕の中には、残りの人生を共に過ごしたいと願う、たったひとりの女性がいて。彼女も自分に、子どもができたら嬉しいか、などと、彼女自身の人生にとっても大きなことを問うてくれる。それにどれほど心を動かされることだろう。つくづく自分の人生は、ヴィヴィアンに変えられたのだ。得られないはずの……得ようと思ってもみなかった幸福への道を、こうして与えられている。)
…………。
……現実的な話をすると、“絶対に欲しい”とまではいかないんだ。子どもを身籠れば、俺もしっかり支えるにしたって……どうしてもおまえの負担が大きくなるだろ。
お互い、冒険者としての自分のキャリアもある。だから別に、急いじゃいない。
だが、そう言ってくれたこと自体が……俺は、たまらなく嬉しいよ。
(彼女を抱きしめ、顔を伏せたまま。ようやく気分が落ち着いたらしく、ごくゆったりと補足を行い。それから顔を上げ、少しきまり悪そうに微笑んだのは……この歳になってこの種の感動を知り、圧倒されていたことに対して、どうやら気恥ずかしさを覚えているのだろう。軽く頭を振り、目にかかっていた前髪を払うと。今しがたの素の反応を忘れさせようとするかのように、今度は悪い大人の顔を繕い。不意にヴィヴィアンを掬い、正面からすっくと抱き上げたかと思えば。如何にも頼み込む振りに興じながら、長い脚を捌いてソファー裏に回り、そのまま寝室への階段を登り始め。)
──それに。俺は歳が歳だから、いざ望んでも、そう簡単にできない可能性がある。
となると、何度でも実践することになるし……そのための練習も重ねないとな。悪いが、少し付き合ってくれ。
……良かった、私もうれしいです、
( きつく抱きしめられた腕の中、えへへっ……と甘く喉を震わせると、硬い筋肉の外皮に頬擦りをして、その愛しい気持ちを存分に表す。──そっか、キャリアとかも考えなくちゃ駄目だよね、と。産む当人であるはずのビビより、よっぽど具体的な未来を描いてくれた恋人に、うっとりと目を細めれば。ビビも良い歳をした大人だ。こんなにも好きで好きで堪らないというのに、それだけではままならぬ現実を受け入れはするが、第一声。大人らしい冷静さを取り戻す前のギデオンが、"嬉しい"と、そうはっきり強く抱き締めてくれたことを生涯忘れることは無いだろう。──ギデオンさんも望んでくれる。ただそれだけの確信で、今回のことも、これからどんな困難が振りかかろうと、それだけで自分はどこまでだって真っ直ぐに走っていけるに違いない。
そうして、図らずも父親と対峙するための拠り所を先んじて手にしてしまい、半日以上もビビを取り巻いていた重い不安が取り除かれてしまえば。再度顔を合わせた恋人の顔に浮かぶ表情は、確かに照れ隠しも大いにあったのだろうが。わざと意地の悪い表情を浮かべる恋人の、その可愛らしさにくすくすと声をたて笑う娘の運命はいかばかりか。頼もしい腕に運ばれる間、その太い首へと腕を回し、相手の手があかない事をいいことに、額、目元、鼻先、そして唇へと甘い唇を落として戯れ。魔法のランプの温かな光が照らし出す、居心地のよい寝室の中心に置かれた大きなベッド。その沈み込むように柔らかいシーツの上にそっと下ろされて、やっと。この状況を思い出したかのように、再度少し身体を強ばらせると、口元に手を寄せるのは不安の表れで。ぺたりとその丸い臀部をベッドにつけたまま、頭上に伸びる大きな影目に入らぬように顔を逸らすと、ぷるぷると掻き消えてしまいそうな声で懇願し、 )
……あの、ぅぇ……上から見下ろされると、怖い……かも。ごめんなさ……
(悪戯な恋人を、シーツの海にそっと下ろし。こちらもお返しに、いよいよたっぷりと啄もうとした──そのときだ。ぎしり、と寝台を軋ませながら。ギデオン自身はごく軽く、何てことのない感じで寄ろうとしただけったのだが。ギデオンの視界の下、再び身を固くしたヴィヴィアンの、顔を退けて声を震わせるその様子を見れば、はたと制止して。……静かな驚愕に染まった目を、やがてはふっと優しく和らげ。)
わかった。おまえが謝る必要はないよ、教えてくれてありがとうな。
……これなら、怖くないか?
(浮いていた腰を、ベッドの端に落ち着け。「大丈夫だよ」とあやすように頭を撫でてから、自分もゆっくりと──彼女の様子を見ながら、決して怯ませないように──寝台に乗り上げ。柔らかなデュベを手繰り寄せれば、盛り上げた空洞の中に恋人を誘い込む。きっとこれならいつも通り……ふたりで寝入るときと、そう変わらない距離感のはずだ。そうして恋人が、おずおずとか、安心したようにか、いずれにせよギデオンの隣に潜り込んでくれば。喉を鳴らしながら横向きにそっと抱きしめて、まずは温もりを分け与える時間を。いつものそれと同じようでいて、夜着を隔てないじかな触れ合いは、またトラウマを思い出してしまった彼女に、どのように働くだろう。その甘い石鹸の香りがする旋毛や、いつまでも触っていたくなるような柔らかな耳朶に、今はまだ色気を含まぬ、優しい唇を何度か触れて、“ここにいるのは俺だよ”“お前の嫌なことはしない”と、再三の意思表示を。相手の全身をゆったりと、宥めるように撫でてやり……そうして、昔の恐怖に絡めとられてしまった彼女を取り戻そうとすることしばし。ルームランプの陰になった、穏やかな暗がりの中。ふと恋人と目を合わせると、気づかわしげな声で尋ねて。)
辛い思いはさせたくないから、きつかったらいいんだが。
……ほかに、どんなことが怖い? おまえに思い出させないために……知れる範囲で、知りたくてな。
怖い、こと……
( 心地よい重みのある腕の中、直に触れ合う肌が温かくて、トクトクと響く心臓の音に目を閉じると、眉間に皺を寄せ寄せながら、信用出来る温もりにゆっくりと体重を預けていく。──大丈夫、ギデオンさんは、私の嫌がることは絶対にしない。そう相手の言葉を反芻していれば、気遣わしげに此方を覗き込んできた碧と目が合って、ただそれだけでほっと力が抜けいく。
そうして続けられた質問に、あの暑かった夏の夕刻。大好きだったはずの鳶色は、とうとう一度も此方を見無かったことを思い出す。それは、高等部2年生なる直前の夏休みで。それまでの複数回の失敗を経て、二人の間には良くない焦燥感が漂っていた。半ば義務のようなキスをして、少年の手がビビの肩にかけられる。硬いスプリングの感触を背中に感じ、見上げた少年の影が──やたら大きく、恐ろしいものに見えてしまって。現実と過去、どちらのビビの呼吸もはっはっはっ……と荒く不規則に上がり出す。そんな娘を目の前にして、これまでの少年だったなら、『今日はやめておこうか』と手を引きビビを座らせて、ごくごく自然に話題を切り替えてくれていたはずなのに。その日はなにか苦しげに逡巡したかと思うと、ビビのブラウスに手をかけて──……それがわざとだったかは分からない。ビビが驚いて身体を捩った拍子に、『いい色だね、よく似合ってる』と、いつか彼が褒めてくれたブラウスが、嫌な音をたてて無惨にも千切れ飛ぶ。ビビが呆然としても、最早その手が止まってくれることはなく、一瞬遅れて起き上がろうとするも、それを抑え込むように体重をかけられて身動きが取れない。そこまで記憶をなぞった途端、ぶわりと当時の恐怖が蘇り、ガタガタと身体が震えだし。優しい恋人に"きつかったらいい"と、気遣って貰ったにも関わらず、芋づる式に素の感情が引きずり出されてしまう。思わずギデオンに縋りつこうとして、掴む布がない状況に、えぐえぐと酷い嗚咽を漏らしながら、辛うじて引っかかった鎖骨に震える指をかけると、わあっと子供のように泣きじゃくり、 )
──……おと、布が裂ける音が、怖いです。
ぐっ、て、……重いの、おなかに乗られるのも、こわい。
ここ……っ、手首をすごい力で、私……痛くて、怖くて……!! 何度もやだって、やめてって言ったのに、でも止まってくれな、くて……
( 一体全体、本当にどうしてしまったというのだろう。いくら父親の件があったとはいえ、ギデオンの一言でいとも簡単に引きずり出されてしまう感情に、我ながら困惑が隠せない。年上の恋人に宥められたかどうかして、その大号泣が治まったその後も。まるで感情の堰が壊れてしまったかのような心細い感覚に、冷たくなったしまった鼻を相手の首筋に押し付ける。この先、この人の前で負の感情を抑えられなくなってしまったらどうしよう。早速、そんな心配が的中するかのように、自分がぶち壊してしまった空気に、今日はもう触れて貰えないんじゃないか、という不安が顔を出し、未だ濡れている顔をおずおずと上げると。その薄い唇へと唇を寄せ、「ギデオンさん」と甘えたように鼻を鳴らす。そうして、形の良い眉を八の字に歪め、語弊……でこそもうないが、直接的な表現を避けた故に、己の言葉が余計にみだらな響きを持ったことには無意識で、 )
…………ごめんなさい、私、今日おかしくて……もう触ってもらえないですか……?
…………
(泣きじゃくる相手を胸に抱き、優しく撫でてやりながら。(……やり方を間違えたな)と、静かな後悔に目を伏せる。思い出させたくないと言いつつ、それを予防したい己の都合で、悲惨な当時をなぞらせた。その結果がこの痛ましい涙だ。ヴィヴィアンの持つ記憶は、彼女自身にしか辿れない……過去のものにしたはずの恐怖に、またも独りで立ち向かうに等しい。そんな真似をさせるべきではなかった──己の浅慮による失態だ。今更過ぎる苛立ちに、苦い顔を噛み殺す。
……しかし、実のところ。今ここで吐き出してくれてよかった、などと酷なことを考えて、ほっとした表情を浮かべてしまうのもまた事実。見ての通り、ヴィヴィアンの心の傷は深い。きっとこの先何度でも、昔のことを思い出して震える彼女を、こうして慰めるだろう。それを踏まえれば、こうして一度感情の蓋を取り払えたのは、小さな第一歩かもしれない。本当に憂慮なのだが、ヴィヴィアンはどうも、“ギデオンに嫌われるのではないか”などと考えて、自分の何かしら暗い部分を隠したがる傾向がある。どうかその思い込みに陥ることなく、嫌だったこと、怖かったこと……当時の相手に理解してほしかったこと、それらをこうして吐き出せるなら。それを見守り、聞き届ける立場に、己は喜んでなってみせよう。元より一度ならず、数えきれないほどヴィヴィアンに救われた身だ。寧ろこれくらいさせてくれねば、碌に恩返しが叶わない。撫でて、キスして、抱きしめて。そうすることで彼女が落ち着き、少しでも心が軽くなるのなら。己の胸を、幾らでも貸そう。支える掌があることを、縋る相手がいることを、こうして優しく撫でることで、何度でも思い出させよう。)
(……そうして。十数分か、それ以上か。ようやくヴィヴィアンの嗚咽が止み、ギデオンの肩口ですんすん鼻を鳴らすだけになった頃。相手の身じろぎする気配に、ギデオンも撫でていた手をふと止めて、そっとそちらを見下してみる。こちらを見上げるヴィヴィアンの顔──薄いそばかすの散った目元はびしょびしょに濡れており、鼻の頭は真っ赤っか。おまけに不安げな表情をしていて、見るだに痛ましい、のだが。こんな顔をしていても、いじらしくって可愛いな……などと、ろくでもないことを考える辺り。良心の在り処というものを、己はそろそろ真面目に探すべきかもしれない。そんなことを思いながら、寄せられた唇にこちらもちゅ、と軽く返し。少し掠れた声に名を呼ばれれば、なんだ、というように軽く首を傾げる。──だが次の瞬間、その青い目が虚を突かれたようにぱちくりしたかと思うと。思わず、といった様子で、喉を震わせるように吹き出し。)
……、もう、って。いいのか?
──触って、ほしいのか。
(──けれども二度目は、少し低くした艶やかな声で、相手の欲を確かめるような囁きを。このくらいなら、ヴィヴィアンを怖がらせはしないだろうか。泣き腫らしたことで未だ熱いほっぺたに手を添え、額と額をこつんと合わせる。吐息が触れ合うような距離。とはいえ、心は己の欲望ではなく、ヴィヴィアンの方にあることを、指の腹で目元を撫でるいつもの仕草で伝えようと。)
…………。なあ、ヴィヴィアン。セックスは義務じゃない。だから、おまえのなかに焦りがあるなら……それは忘れてしまっていい。
そういうことをしなくたって、俺はおまえとずっといたいし。そういうことをしなくたって、親父さんにもいつか認められるだろう。
──でも、俺はほら、“それなりに”欲があるから。おまえも望んでくれていて、無理をさせるわけじゃないってんなら。…………
(続きの言葉を濁したところで、いっそ雄弁なだけだろう。相手を見つめるその顔には今、どこか年頃の少年じみた、明るい面差しすら混じっていて。ここに来るときも彼女にくすくす笑われたように、素のギデオンは結構こうだ──歳を重ねて落ち着いたようでいて、若気が大いに残ったままだ。その相手が最愛の女性となれば、そういう欲は尚更起こる。とはいえ、それでも“待て”はできると、大人の方の目つきで語り。相手の髪をひと房掬い、長い指で弄びながら、緑の瞳を覗き込んで。)
忘れられなくしてくれるって……やくそく、したもん……
( ……そんなに、何度も確認される程、己は信じ難い願いをしたろうか。思わずといった調子で目を見開いた恋人に、かっと顔を火照らせて、その固い胸板へと視線を埋めると。もし否定された時用に、言い募ろうと準備していたフレーズも、ごにょごにょと自信なさげに窄んでいく。
確かに、焦る気持ちがないわけじゃない。しかし、ビビが恐れているのは、もはや過去となった悍ましい幻影で。目の前のギデオンは、──ビビが嫌がることは絶対にしないと誓ってくれた。その上、今もこうして、ビビを最優先にしてくれる恋人の深い愛情に。頭上から降りかかる声にも、無邪気な期待が混ざるのを感じ取ってしまえば、これ以上応えずになどいられるだろうか──……と。口を一文字に引き結び、再び頑なな瞳をあげたその時だった。
こちらの毛先を弄ぶ、子供のような無邪気な触れ合い。しかし、その此方を覗き込む表情が、想像するよりずっと大人で、こちらを気遣う暖かいものだと気づいた瞬間。ふっと全身にこもっていた力が緩む。そうして、「……ごめんなさい、ちょっと……無理してたかもしれないです、」と。ついさっきまで張り詰めていた表情を、ふにゃんと崩し。安心しきった様子でギデオンの胸に頭を擦りつければ。──普段、寝る時にそうするように──自分よりずっと大きな掌を握りしめると。切ない掠れ声で囁きながら、握った手をそっと白い腹に導いて、 )
──……だから今晩は、今晩からは、
いつか、のときのために、"練習"させてください……
──……。
……ゆっくり、進めていこうな。
(温かく握り込まれた掌が、そっとそこへ──彼女が愛おしげに撫でた、神聖な場所へ──寄り添うように宛がわれ。一瞬呼吸を忘れたギデオンのまなざしに、ヴィヴィアンの熱がふっと移る。“無理をしていたかも”と大人しく認めた彼女に安堵して、“やっぱり今夜はこのまま眠ろう”、そう促すつもりでいたというのに。こんなにもいじらしく、こんなにも控えめに、それでもギデオンを渇望する……そんな小声を聞いてしまえば。さすがにおうこれ以上は、ギデオンのほうこそ無理をしていられない。
瞼を閉じ、その甘い栗毛に顔を埋め。穏やかな声で返しながら、絡めた相手の掌越しに、すべらかな腹をふわりと撫でる。薄青い目を静かに開け、もう一度相手の視線を絡めとれば。互いの目つきは、ぼんやりと甘い。呼吸も自然と溶け込んで……おそらく鼓動すら、同じ速さでトクトクと打っているのだろう。最早言葉で語らずとも、互いの意志は充分に伝わった。どちらからともなく顔を近づけ、互いの唇を溶け合わせる。絡めたままの掌が、ひそやかに、しめらかに動く。ベッドを覆う白布が、幾筋もの皴を描きだす。
──……最愛の不慣れな娘にゆっくりと手ほどきするのは、ギデオンの想像以上に満ち足りた時間だった。最初のうちこそヴィヴィアンも、まだ恥じらいを捨てきれずに、身を捩って逃げがちだったが。「……ずっと気になっていたんだが、このランジェリーはどうしたんだ?」なんて、白々しいほど明るい声で尋ねたり。猛抗議を喰らってしまえば、くっくっと笑いながらも、ご機嫌とりに抱きしめたり。そうして楽しく戯れながら、合間に妖しい愛情表現を差し挟んでいるうちに。……いつしか互いの顔も吐息も、夜の褥によく似合う、艶やかな色を帯びはじめる。
膨らんだ半月が窓の外へ出て行くまでに、彼女に数回ほど夢を見せた。初心な恋人は少し前まで、自分の身に起きた変化を俄かには信じられず、パニックにすら陥っていたはずだ。それを思えばかなりの進歩で、本当ならこのまま、もう少し踏み込みたいところだが。──今日は、朝からいろいろあった。夜の話では二回も泣いて、体力も削れているだろう。これ以上深く追い求めたところで、キャパオーバーを押し付けてしまうだけとなる可能性が高い。そう引き際を弁えて、息の荒い彼女に顔を寄せる。汗の浮いたまろい額に、労わりのキスを贈りたかった。
このとき初めて、己の息も僅かながら浅いのを自覚し、自嘲気味に苦笑する。……これでもそれなりに、理性を保てていたはずだ。抑制剤を服用しているおかげで、我を忘れてしまうことなく、ただただ奉仕に徹していられた。……だが、もし薬を飲まなければ。もしもこの、薄い膜を張ったような感覚なしに、恋人の姿を直視すれば。そう思うと、やはり末恐ろしいものがある……つくづく自分を野放しにできない。無論、いつかはただありのまま、彼女と睦み合いたいのが本音だ。だが今はまだ、その時ではない。ヴィヴィアンには慣れが必要で、慣れにはどうしても時間がかかる。先を急ぎがちな彼女本人にも、そこのところはわかってもらわなければなるまい。ギデオンはヴィヴィアンが大事だ──決して、事を急いての過ちは犯したくない。
──けれど。今夜自分は、「忘れられなくしてやる」と……消えない証拠をくれてやると、愛しい恋人に約束したのだ。捧げられるままに純潔を摘み取ることは叶わずとも、せめて何か、代わりの何かはないだろうか。そう考えてふと、ヴィヴィアンの白い肌に目を走らせる。今夜のギデオンはそこに何度か唇を寄せていて……それでふと、思いついたのだ。「ヴィヴィアン、」と、まだ存外湿り気の残っていた声で、そっと恋人の名前を呼ぶ。「……キスマークは、知ってるよな」と。その単語を口にして初めて、今からしようとしていることの、あまりもの年甲斐のなさに、多少の恥を覚えたらしい。とはいえ、拭いきれぬ欲を孕んだ声音で。相手の耳に唇を寄せると、薄い腹に手を乗せながら、そっと相手に伺いを立てて。)
……今夜はまだ、ここまでしかできないが。約束通りに……おまえに、痕を残したい。二、三日か、長くても1週間ほどで消えるものだが……俺たちの関係の、証になるようなものだ。
少し、痛むが……耐えてくれるか。
※毎度お手数をお掛けします、随所を微修正しております。
──……。
……ゆっくり、進めていこうな。
(温かく握り込まれた掌が、そっとそこへ──彼女が愛おしげに撫でた、神聖な場所へ──寄り添うように宛がわれ。一瞬呼吸を忘れたギデオンのまなざしに、ヴィヴィアンの熱がふっと移る。“無理をしていたかも”と大人しく認めた彼女に安堵して、“やっぱり今夜はこのまま眠ろう”、そう促すつもりでいたというのに。こんなにもいじらしく、こんなにも控えめに、それでもギデオンを渇望する……そんな小声を聞いてしまえば。さすがにもうこれ以上は、ギデオンのほうこそ無理をしていられない。
瞼を閉じ、その甘い栗毛に顔を埋め。穏やかな声で返しながら、絡めた相手の掌越しに、すべらかな腹をふわりと撫でる。薄青い目を静かに開け、もう一度相手の視線を絡めとれば。互いの目つきは、ぼんやりと甘い。呼吸も自然と溶け込んで……おそらく鼓動すら、同じ速さでトクトクと打っているのだろう。最早言葉で語らずとも、互いの意志は充分に伝わった。どちらからともなく顔を近づけ、互いの唇を溶け合わせる。絡めたままの掌が、ひそやかに、しめやかに動く。ベッドを覆う白布が、幾筋もの皴を描きだす。
──……最愛の不慣れな娘にゆっくりと手ほどきするのは、ギデオンの想像以上に満ち足りた時間だった。最初のうちこそヴィヴィアンも、まだ恥じらいを捨てきれずに、身を捩って逃げがちだったが。「……ずっと気になっていたんだが、このランジェリーはどうしたんだ?」なんて、白々しいほど明るい声で尋ねたり。猛抗議を喰らってしまえば、くっくっと笑いながらも、ご機嫌とりに抱きしめたり。そうして楽しく戯れながら、合間に妖しい愛情表現を差し挟んでいるうちに。……いつしか互いの顔も吐息も、夜の褥によく似合う、艶やかな色を帯びはじめる。
膨らんだ半月が窓の外へ出て行くまでに、彼女に数回ほど夢を見せた。初心な恋人は少し前まで、自分の身に起きた変化を俄かには信じられず、パニックに陥ってすらいたはずだ。それを思えばかなりの進歩で、本当ならこのまま、もう少し踏み込みたいところだが。──今日は、朝からいろいろあった。夜の話では二回も泣いて、体力も削れているだろう。これ以上深く追い求めたところで、キャパオーバーを押し付けてしまうだけとなる可能性が高い。そう引き際を弁えて、息の荒い彼女に顔を寄せる。汗の浮いたまろい額に、労わりのキスを贈りたかった。
このとき初めて、己の息も僅かながら浅いのを自覚し、自嘲気味に苦笑する。……これでもそれなりに、理性を保てていたはずだ。抑制剤を服用しているおかげで、我を忘れてしまうことなく、ただただ奉仕に徹していられた。……だが、もし薬を飲まなければ。もしもこの、薄い膜を張ったような感覚なしに、恋人の姿を直視すれば。そう思うと、やはり末恐ろしいものがある……つくづく自分を野放しにできない。無論、いつかはただありのまま、彼女と睦み合いたいのが本音だ。だが今はまだ、その時ではない。ヴィヴィアンには慣れが必要で、慣れにはどうしても時間がかかる。先を急ぎがちな彼女本人にも、そこのところはわかってもらわなければなるまい。ギデオンはヴィヴィアンが大事だ──決して、事を急いての過ちは犯したくない。
……けれど。今夜自分は、「忘れられなくしてやる」と……消えない証拠をくれてやると、愛しい恋人に約束したのだ。捧げられるままに純潔を摘み取ることは叶わずとも、せめて何か、代わりの何かはないだろうか。そう考えてふと、ヴィヴィアンの白い肌に目を走らせる。今夜のギデオンはそこに何度か唇を寄せていて……それでふと、思いついたのだ。「ヴィヴィアン、」と、まだ存外湿り気の残っていた声で、そっと恋人の名前を呼ぶ。「……キスマークは、知ってるよな」と。その単語を口にして初めて、今からしようとしていることの、あまりもの年甲斐のなさに、多少の恥を覚えたらしい。とはいえ、拭いきれぬ欲を孕んだ声音で。相手の耳に唇を寄せると、薄い腹に手を乗せながら、そっと相手に伺いを立てて。)
……今夜はまだ、ここまでしかしてやれないが。約束通り……おまえに痕を残したい。
二、三日か、長くても1週間ほどで消えるだろう。それでもきっと……俺たちの関係の、証になるようなものだ。
少し、痛むが……耐えてくれるか。
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