匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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──……わあ、あったかい、
私これ切って来るので、ギデオンさんは手を洗って来てください。
( ギデオンから強奪……もとい、受け取ったコートをハンガーにかけてきたヴィヴィアンが、再度洗った手を拭きながら戻って来れば。ちょうど相手は、部屋の変化に気が付いたところらしい。みるみると険しくなっていく表情に──やっぱり良い気持ちはしないよね、と。気まずそうに肩を竦めて家主を見上げれば、怒ったような、困ったような……そして、いい匂いのする鍋が気になって仕方ないような。相手にしては随分と分かりやすい顔をしては、ついに──ぐう。と、可愛らしいお腹の音を上げた相棒に、うふふ……と思わず小さな笑みが零れた。一気に和らぐ部屋の空気に、しっとりと湯気をたてる紙袋を抱きしめて、ぱたぱと暖炉の下へ駆け寄れば。まだ温かいとはいえ、冬の外気に晒されてしまった中身を、今朝買ってきたパンと一緒に手早く炙り。そのうちに丁度温まったポトフを、ひとつは深いスープ皿と、もう一人分は足りない皿の代わりに、家主の許可を得てマグカップを代わりにすれば。胃の底を掻き立てる香りと共に、白い湯気をふわふわとたてるそれらを乗せるだけで、小さなテーブルはいっぱいになってしまい。仕方なく清潔な水をたっぷりと溜めた水差しは、引き寄せた棚に置くことにして、慣れた手つきでエプロンを外すと。それ以上、仕事上がりの相手を待たせぬよう慌てて席について、 )
お仕事お疲れ様でした、頂いちゃったお肉のお礼です。
お口に合えばいいんですけど……おかわり沢山ありますからいっぱい食べてくださいね。
(相手に言われるまま、玄関傍の水場に向かい。水甕に貯められた水を柄杓ですくって、しっかりと手を洗う。しかしその間にも、ギデオンの顔は困惑気味に皴を描く有り様だ。──これまでの間、己のうら若い相棒とは、基本的に仕事の場でしか会ってこなかった。それが今やどうだ、こちらのごく個人的な生活に、するりと容易く入り込んでいるではないか。そりゃ、急に頼み込んだここ数日の助けを労おうと、彼女の分も温かい肉料理を持ち帰ったのはギデオンのほうではあるが、それにしたって……と。依然続く顰め面で振り返った先には、てきぱきと手際よく夕食の支度なんぞしている、やけに家庭的な面差しのヴィヴィアンの姿がある。多少るんるんと浮かれたそぶりはあるものの、それでもどちらかと言えば、地に足ついた振る舞いのように見える。ギデオンのために何かをするのは、如何にも当たり前と言わんばかりだ。あれは……良くない、非常に良くない。そうだ、何か、彼女にとっても、自分にとっても、今のこの状況を当たり前にやり過ごすのはひどく危険な予感がする。そう感じはしているくせに、実際のギデオンが何も言えないままでいるのは──きっとそう、辺りに漂うスープの香りのせい、それで間違いないだろう。ただでさえ胃が切々と空腹を訴えるものだから、先ほどから思考力という思考力を根こそぎ奪われているような気がする。何か隠し味として、そういう効能のある魔草でも入れたんじゃなかろうか。
そんな馬鹿なことを、クエスト帰りの疲れた頭で、半ば本気になって考えていたギデオンだが。結局、口を堅く引き結んだまま、何も言わずにベッドの端へ腰かける。すると、湯気の立つ食事を並べ、飲み物も手に取りやすい位置に調えてくれた相手が、慌ただしくギデオンの向かいの席に落ち着いて。彼女の口からさらりと告げられた健気な言葉に、まずは炙りたてのサンドイッチを手に取りながら一言。多少相手を小突きつつも、素直になれない謝意が滲んでいるような声音で。)
──お礼も何も、このポトフ。俺が帰る前から作ってたろう?
俺はそこまで頼んじゃいないぞ……いや、ありがたくいただくが。
(口先ではそう言いつつも、初めて供された正真正銘の手料理に、どこか気後れするところがあるらしい。ほかほかと湯気が立ち昇るのを眺めながら、俺が留守の間どうだった、何か異状はなかったか、どんな対処をしたんだなどと、他愛ない話題を捏ね、世界一無駄な痩せ我慢をひたすら決め込んでしまう始末。……が、そうしたらそうしたで、なんだかそんな会話の端々にすら、妙なきまり悪さを感じるようだ。がつがつと貪ったバゲットを呑み込むついでに、ん゙ん゙っ、と咳ばらいをしてそれを振り払えば。先ほどから不自然に放置していた熱々の汁物に、ようやくその目を向けながら、躊躇いがちに匙を取り。)
……、香草を使ってるな。
お前の手持ちから……違う? じゃあ、この近くで買ったのか。あの赤ら顔の親父さんのところか?
ん? だって遠征後にお料理するの大変でしょう?
( ──ギデオンが何を言いたいのか分からない、とばかりに、小突かれた額を抑えたビビが小首を傾げる。嘘、本当は分かっていて、この図々しい彼女面が許される距離感が心地好くて、何処までなら許されるのか計っている卑怯な自分がいる。どうやら人の好意に慣れていない相手は、あからさまに好意を剥き出しにした行為を断る術は持ち合わせていないようで。しかし、感謝を感じさせる声とは裏腹に、いつまでたっても肝心のスープに手をつけようとしない意図はよく分からず、まずは自分から一口。──変なものは入っていませんよ、とでもいうふうに、たっぷり野菜が溶け込んで、もったりとした食感のそれをじっくりと堪能する。うん、我ながら中々良い出来だ。ハーブの爽やかな香りに、口当たりの良いじゃがいもの存在感、柔らかく、しかしシャキシャキとした食感の残るキャベツと玉ねぎは煮込み時間への拘りを感じさせ。胃袋に優しい淡い味付けは、ともすればぼんやりとした味になってしまいがちだが、一口大より少し小さくカットされたチョリソーが、野菜の邪魔をしない程度にスープ全体の味をピリッと締めている。赤ら顔の店主のすすめで買い求めた、素朴ながら複雑に、味の下支えをする香草達の存在は、ビビの好みと自己満足であって、美味しく食べてもらえれば気づかれなくとも良いのだが、口をつける前から気づいてくれた相手に目を輝かせて、それからすぐにパッと心配そうに口を抑えて、 )
そう、そうなんです!
ローリエとタイム、ギデオンさんすごい……あ、もしかして苦手でした?
あの店主さんに聞いたら、ギデオンさんも買っていったことがあるって仰ってたから、てっきり嫌いではないかと……
いいや、寧ろ好きなほうだ……風味も香りも、大事だからな。
(あざとくとぼけ、ほくほく味わい、嬉しそうに目を輝かせ、不安げに上目遣いする。まったく、こちらに向ける相棒の顔ときたら……若者は皆やたら元気なものだが、こんなにも色鮮やかに表情を変えることなどあるだろうか。毒気を抜かれた、なんてわけではないが、ギデオンもまた、脱力させられたかのように顔のこわばりをほどいてしまい。安心させるように、ごくゆったりした声で返すと、いよいよその一口目を運ぶ。
具と汁を乗せていた匙を口に挟み、引き抜きながら下ろして──……沈黙。一瞬固まった後、口元や喉仏だけは微かに動くものの、ギデオン全体としては何故か微動だにしない。外はとうに真っ暗で、壁にかかった燭台の灯りがその横顔をちらちらと照らすのだが、薄青い双眸ときたら、何もない中空で、はたと長いこととどまっている。──かと思えば、不意にかすかに揺れ動き、眉根に困惑の皴が寄る。はては左手を口元に添え、何か難問でも考え込むような素振りで、卓上の深皿をまじまじと見つめはじめてしまって。
──去年の秋ごろ、ヴィヴィアンとはよく仕事の話で食事に行ったが、こんな珍妙な反応を示したことはもちろんない。……別に、味が悪くて眉を顰めたというのではないのだ。寧ろ相棒お手製のポトフは、そこらの飯屋には真似できないくらい、優しくもたしかな、滋味たっぷりの美味しさだった。ほんの少し歯で圧をかけただけで、まったりと割れるじゃがいもも。その歯応えや甘味が愉しい、金色の玉ねぎや越冬キャベツも。塩辛さと脂っ気がぎゅっと詰まったチョリソーや、それらを引き立てる繊細な香草、具材全部から滲みだしたエキス、コクを生み出す植物油……確かに旨い、すべての調和がたまらなく旨い。しかし、初めて食べるはずのこれに……妙な、強烈なデジャヴを覚えるのは、はたしてどういうわけだろう。言うまでもなく、ギデオンが彼女の手料理を食べるのは、去年の暮れにパンに塗ったあのチーズを除いて、今宵のこれが初めてのはず。それなのにこの……胸に来るような、鮮烈な懐かしさ。いったいこの感覚は何だ、己はいつ、どこでこの味を食べたのだ……?
その答えを探し求めるように、もうひと口、ふた口、三口と。無言のまま何度も何度も、時間をかけて味わい、噛み締め、じんわりと温かいそれを胃の中へ流し込む。そうしてすぐさま皿を空ければ──そう、味そのものにもしっかりがっつり嵌まっているのは、ここらで明らかに映るだろうか──依然押し黙ったまま席を立ち。炉の傍へ行って、広い背中を相手に向けながら黙々と追加をよそい、また席に戻り、ヴィヴィアンの前で再びじっくりと味わい尽くす。挙句、匙を置いてまで味の考察に延々没頭しはじめるわけだが、美人を前にそんな真似をする男など、おそらくそうそういやしない。結局、長いこと黙っていた口をようやく開いたかと思えば、飛び出てきたのはそのままな台詞。半ば独り言じみた口調で、作り手たる相手自身に。答えを求めようとして。)
……この味の秘訣は何だ。塩か? 塩が違うのか……
それともこのチョリソー、どこかの地方の名産品か……どこの肉屋が扱ってるやつだ。
火はそこの暖炉のだよな……それとも最初に火を通す時だけ、何か特別な魔法火を……?
──……やだもう、ギデオンさんったら!
( ──もしかして、口に合わなかっただろうか。そう思わず此方が心配になる程、やけに神妙な顔でスープを味わっていたかと思えば、一体全体この相棒は何を言い出したのか。普段あれだけ冷静沈着なギデオンの表情に、くすくすと震え出した吐息が、次第に我慢できなくなって、とうとう明るい笑い声となってあははははっと高い天井にこだまする。別に特別な材料や工程など何一つ存在しない。チョリソーは下の肉屋で安くなっていたセール品だし、勿論最初から最後までこの部屋の暖炉で準備したもの。塩に至っては、先月ギルドで備蓄品の入れ替えで配っていたソレだ。それでも──そっか、そんなに美味しかったんだ、と。笑いすぎで滲む涙を拭きながら、はーっと深く息を漏らして。真剣な表情で問いかけてきた相棒に、その材料らの入手経路をあくまで誠実にネタバラシをすれば、ここまで反応されて嬉しくない作り手がいるものか。潤んでキラキラと輝く瞳をギデオンに向け、「笑っちゃってごめんなさい、ギデオンさんがあまりに可愛くて……褒めて貰えて嬉しいです、あの鍋全部ギデオンさんの分ですから、いっぱい食べてくださいね」と、目が覚めるほど格好よくて、その上 可愛らしい相棒をうっとりと眺めれば、 )
……あのね、世界で一番大好きな人に食べてもらえるから、たっっっぷり込めた愛情のおかげかも。
( なんて、ありがちな台詞を吐いた癖をして。すぐさまその案外現実的な思考で、キャベツのこの切り方が拘りなんだとか、隠し味を入れるタイミングはだとか、真剣な表情でレシピを語ったり、一緒に食べた食器を洗ったりしていれば。楽しい時間は夢のように過ぎ去って、そろそろお暇するべき時間がやってくるだろう。 )
嘘、もうこんな時間……!?
ごめんなさいこんな遅くまで……それじゃあ、ギデオンさんはしっかり休んでくださいね、
そんなに笑うことか……
(笑い転げるヴィヴィアンを前に、如何にも憮然としてみせるものの。まったく本気の口ぶりではないのは、その目が依然として、ヴィヴィアンの手料理のほうに注がれているからだろう。ギデオンとしては、このポトフの謎が本気で気になって仕方ないのだ。にもかかわらず、なんてことない普通のそれだと説明されるものだから、ますます真剣に眉を顰め。「本当か……?」「ギルドの塩? 俺もよく貰うが、こんなに上手く素材の味を引き出せる代物じゃなかったはずだ」「おまえの指から何か魔素のスパイスでも出てたんだろう。やり方を教えてくれ」なんて。相手の腕前に感嘆しているからこそ、まったく信じられない様子で、真顔のまま冗談すら飛ばす始末。
そんな訝し気なギデオンに、お腹を抱えていたヴィヴィアンが、ふと幸せそうな目を向け──また、初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい台詞を寄越すのだ。その途端、ほんの一瞬ではあるが、ギデオンの全てが静止した。薄花色の瞳だけが、小さく、あどけなく揺れて。突然三十五年前に──外が吹雪いている家の中で、冬野菜を刻む母に纏わりついていたあの幼い頃に、心だけが引き戻される。……そのほんの少しの間を挟んだのち、暗い窓の方へ静かにそらした横顔を、ふっと、酷く穏やかに緩めて。「……そんなものか、」と、ようやく納得したように呟く。そうか、己への愛情の味か。──道理で、ずっとずっと、自分じゃ再現できなかったわけだ。
そのやりとりのせいだろう。そこからの時間、ヴィヴィアンとの他愛ない時間を、ギデオンはごく素直に味わった。水場で隣り合って洗い物をしながら、「なんだか新婚さんみたい」なんてはにかまれたときにも、「馬鹿言え」と嘆息するものの、いつものようにきっちり否定するほどの真似はしない。ただでさえ旨いのに、あんな秘密まで隠し持っていた料理を出されて、丸くならない人間などいないだろう。少なくとも今夜ばかりは、そういちいち目くじらを立てないと決めたのだ。
──そう、今宵の晩餐に、ひどくしみじみとした恩を感じていたからこそ。そのままひとりで帰ろうとするヴィヴィアンに、むっとしたような顔を向け。「馬鹿言え、こんな時間にひとりで帰すわけがあるか」と、さも当たり前のように、自分も外套に袖を通した。のんびり話して過ごしていたから、今はとうに19時過ぎ……店々が明かりを消し、辺りの人通りが少なくなって、危険が増していく時間帯だ。だからこそ、ギデオン自身もしっかりコートの襟を整え、先ほど返してもらった鍵を人差し指に引っ掛けると。玄関扉を先に開け、相棒のほうを振り返りながら、煽るように首を傾げて。)
ほら、行くぞ。
それとも──道すがら、明日からのクエストに誘う話をされちゃ困るっていうんなら、ここで見送るしかないが。
下宿ここから近いですし大丈夫ですよ?
ギデオンさんお疲れでしょ……
( 朝起きられないビビが選んだ下宿先は、キングストンでも中心地に程近い、カレトヴルッフから徒歩3分の超好立地。したがって、そこから20分程度のこの場所もまた、少し寂れてはいるものの、少し行けば明るい大通りに出られる立地で。真っ白なバロメッツの外套を羽織りながら、過保護なギデオンを振り返ったビビはと言えば。寧ろこの一週間、好きに彼女面を楽しんで、簡単な食事をここまで喜んで貰って、暖かな時間に感謝こそすれ、ギデオンの深い感謝など知る由もない。まだ19時という社会一般的には遅くない時間も相まって、最初は相手の申し出を断る気でいたものの、お気に入りの赤いマフラーを鼻先まで覆うように巻き終わる頃になって。ギデオンから続けられた魅力的な提案に、精神的にも物理的にも飛びつかないでいられるわけがなく。相手も冒険者でなければ受け止められない程勢いよくその腕に飛びついたかと思えば、キラキラと輝く瞳をギデオンに向け、太い腕を抱きしめたまま両脚を交互にぴこぴこと跳ねさせて、 )
──困らないです!
やったあ! ギデオンさんとお仕事すっごく嬉しいです!
ねえねえ、どこ行くんですか? 何するんですか?
落ちっ……落ち着け、話してやるから。
(一直前に飛び込んできた獰猛な栗毛の兎に、呆れたような、参ったような、宥めるような声をあげ。相棒の薄い肩を軽く掴み、やんわりと引き剥がすと、揃って戸外に出るよう促す。そうしてしっかり鍵を回して施錠すれば、ふたりで靴音を鳴らしながら螺旋階段を降り、ひび割れたアーチを潜ってアパートの外へと。北の大通りへ続く街路には、点灯夫のつけていった魔法灯がぽつぽつと揺れていて、真っ暗な道路に積もった薄い雪を灰色に照らし出している。着込んでいればさほど寒くないが、吐く息は見事に真っ白だ。)
去年の暮れに、ライヒェレンチの大規模討伐に行っただろう。あれで魔法巨人どもを一掃したはいいが、山奥に引っ込んでた魔獣どもが、また人里に出るようになったらしい……要は、あのときの後片付けだな。
パンチャ山の麓の農村地帯へ、四隊駆り出してのトロイト狩り、メンバーは総勢二十人。上からの指令で、今回のヒーラー役には元々アリアが抜擢されてる……だが、あいつはほら。内気なところがあるだろう?
(そうして道すがら話すのは、今回のクエストの詳細。キングストン北部郊外にある“おなか山”は、いずれ王都に出荷される新鮮な野菜を育ててくれる、豊かな土壌を蓄えた場所である。それゆえ、魔獣にとっても住みよい土地で、ただでさえ普段から小物魔獣の駆除が絶えない。今回はそこに、非常に狂暴な上にずるがしこい、魔猪の一家まで棲みついて、冬野菜の畑を荒らし回っているそうだ。当然農村の手に負えず、現地のクエスト斡旋官より、王都のギルドへ要請が出された。そんな大事に依頼に、何故急にヴィヴィアンを誘うことができたかと言えば──ギデオンが総隊長であり、人材育成を重視しているからだ。
上は最近、ヴィヴィアンに続く若手ヒーラーの育成にも、しっかり力を入れたいらしい。それでアリアに白羽の矢が立ったのだが、ギデオンの見立てによれば、まだ彼女には少しばかり荷が重い。元々きちんと優秀なのだが、それに見合った自信がまだ伴っておらず、場や人間関係に気圧されがちなところがある。野営の経験も、見習い時代の訓練を除けば、今回が初めてだろう。そんな新人を突然本格的な狩りに放り込んでも、下手をすれば、自信喪失を招きかねない……そういう若手を何度か見てきた。だから、彼女の負担を半減しつつ、隙を見て立ち振る舞い方を教えてやれる先輩を、投入しておきたいのである。数ブロックほど歩きながら、隣の相棒をふと見遣ったその目には、信頼の色がありありと浮かんでいて。)
おまえにとっても、後輩を育てる経験を積んでおくのは、そう悪くない話かと思うんだが。どうだ、引き受けてくれるか?
…………、
( 冬の夜中の冷たい路面に、二人分の雪を踏む足音が静かに響く。ひとつは一歩一歩、ゆっくりと地面を踏み締める堅実なそれ。もうひとつはそれに比べて、どこか少し浮かれたような、どうしても疼く衝動を抑えきれないといったように弾む、不規則なそれ。──サク、サクサクッ、シャッと、時折もうひとつの足音を振り返りながら進むその音は、しかしギデオンの口から放たれた若いヒーラーへの評価にピタリと止まった。
忘れるはずもない、昨年の暮れ、ライヒェレンチの討伐作戦、その余波で里に降りてくるようになった魔獣の後片付けと。実に冒険者らしく、ビビの得意な"分かりやすい"依頼。その上、冒険者としても尊敬して止まない大先輩であるギデオンと一緒になんて、これ以上なく魅力的な仕事ではあるのだが──ビビが聞き逃せなかったのは、その尊敬する相棒の口から零れた、可愛い後輩のその名前で。──確かにアリアは内気だけれど、与えられた仕事はしっかりこなす娘だ。誰より真面目で繊細で、対峙する全ての者になんの圧も与えないあのたおやかさは、ビビが怪我人として弱っている時に、救護してくれるヒーラーを選べるなら、絶対に彼女が良いと胸を張って言える自慢の後輩だ。確かにビビにはヒーラーとして、その莫大な魔力という得難い才能への自負はあるものの。一人一人の病状を真剣に見つめ、そっと患部に手を添える、あの独特の寄り添われているという心強い実感。可能な限り素早くも、これ以上なく丁寧に治療されていると感じられる独特の空気は、ビビには無い彼女の強い武器だ。ヒーラーとして一番大事なことを忘れない彼女は、どこでだって、絶対に、活躍するだろう。それをあの一見した、弱気そうな雰囲気だけで侮られては堪らない、と。その生来の負けん気だけでギデオンに反論しようとして。しかし、その気の強そうなエメラルドグリーンが、相手の真意を探るようにじっと輝いたのは──ギデオンさんがそんな短絡的な判断を下すわけが無い、と。相手のこともまた心から信じているからで。
本人が短い期間でのし上がった、なまじ優秀でメンタルの強いヒーラー故に気づけない。これ迄は自分が育てられる立場で、偶に後輩の面倒を見ても、ごくごく限定的で具体的な作業についてだけ。ビビに欠けているのは、その場の仕事ぶりだけでは無い、その後のメンタルと成長性という俯瞰的な視点で。それを──ああ、こういう時に相手の意図が読み取れないのは、まだまだ自分が未熟な証だと、サクサクと規則正しい足音を再開しながらも。困ったように、悔しそうに、白い息を吐く口元をもにょもにょとさせると、新たに自分なら出来ると信頼され、求められている何かがあると勘づいて。本当は可愛い後輩の良いところを、これでもかと語ってやりたい熱を、キラキラと閉じ込めた瞳をじいっとギデオンに向け、 )
勿論、ですけど……。
アリアは、私が居なくてもきっと……絶対! 良い仕事をしますよ……?
うぅ……むん、その、私は何をすれば良いんでしょうか……
(ギデオンの期待に反して、先往く歩みをぴたりと止めたヴィヴィアンは、すぐには答えを返さなかった。こちらも自ずと立ち止まり、夜燈に浮かびあがる相手の顔を、白い息を零しながらごく静かに見つめてみる。聖夜に贈った赤いマフラーの上──先ほどまで無垢に笑んでいた相棒の表情は、不服の色に曇っている。けれどそこに、迷いながらも考えを深める気配までもが立ち昇り。やがて絞り出された声、こちらをまっすぐに見上げてきたエメラルドの強い輝きに、なるほど、と心情を察した。──やはり、この人選に間違いはない。後輩の能力をまっすぐ信じてやれる一方、上の真意を汲み取ろうと分析できる聡明さ。己の相棒ヴィヴィアンは、本人自身の能力も勿論見事だが。後続の若手にとって、この上なく善い指導者となるだろう。)
……ああ、アリアは優秀だ。優秀だからこそ、本来の力を遺憾なく発揮できるよう、背中を押してやってほしい。
おまえは大抵、どこの現場でも気後れなく動けるだろう? それは本来、誰でもできることじゃない。……逆に言えば、そう難しくない、簡単にできることだって、やり方を見せてやればいい。
場所なり人数なり、クエストの重要度なりが変わろうと、ヒーラーの果たす仕事は、ある意味どこでも同じだろう。その心構えを……要は、一見どんなイレギュラーな状況だろうと、いつもと変わらない仕事をすればいいだけだってことを、あいつに示してやってくれ。
(──無論これは、少し乱暴な言い方をしている。仲間や市民の命が懸るからこそ、ヒーラーは全職務の中で、最も繊細な立ち回りを求められる立場といっても過言ではない。だが、己の言わんとすることは、きっと相棒にも伝わるだろうか。アリアの細やかさは、経験の浅いうちこそ仇にもなるが、ひとたび自信さえつけば、いつどこでも、あの丁寧な仕事ぶりを発揮できるという強みにもなる。そのきっかけを、彼女が尊敬している先輩の頼もしい背中をもって、示してほしいだけなのだと。
話しながら歩くうちに、大通りに着いたようだ。今までの道より更に明るい街灯に煌々と照らされるなか、右に左に、大型の馬車たちが忙しなく行き交っている光景が飛び込んできた。それが途切れるタイミングで、重々安全を確認しながら──夜の街道は、人が撥ねられる事故も珍しくはない──相手と共に渡りきると。もうすぐそこは、相棒の下宿。たしか、お隣には役者の女性が住んでいるんだったかと、少しばかり雑談も交えて。)
っ……はい! ありがとうございます、お任せ下さい!
( ──ほらやっぱり! ギデオンさんは全部わかっていてああ言ったんだ。そう先程まで曇りきっていたヴィヴィアンの表情に、満面の笑みが広がる。アリア直属の先輩である自分はともかく、もし自分がギデオンの立場だったとして、一ヒーラーであるアリアの実力・性格そのどちらをも把握し配慮するなんてことが可能だろうか。恋愛感情を抜きにしても、こんなに尊敬する相手に、自分ならと見込まれて嬉しくないわけが無い。赤いマフラーの揺れる胸元を強く叩いて、白い吐息と共に誇らしげな顔を上げれば、目の前には明るい大通りが迫っていた。──そうなんですよ、すっっっごい美人なの。今度東広場前の劇場で役が貰えたらしくって、お休みだったらギデオンさんも見に行きませんか……等々と、振られた雑談に相槌を打ちながら、残り短い冬の家路を堪能すれば。秋の夕方にもそこで別れた門の前で、今度は素直に相手を解放したのは、まだ新しいかの聖夜の記憶が、ビビに余裕を齎してくれているからだろうか。その別れ際、するりとさりげなく大好きな温かい手に指を絡めて、明日の予定を確認すれば。──それじゃあ、おやすみなさい。そう上目遣いに揺れる瞳には、当たり前のようにギデオンだけが映っているのだった。 )
( そうして訪れた翌日早朝。ビビとギデオンを含む討伐班一行は、予定時刻にギルドを出立。このまま予定通り行けば、約一時間半程は馬車に揺られる予定である。
そんな大男犇めくお世辞にも居心地良いとはいえない荷台で、昨晩ギデオンから与えられた使命に燃え。相棒の言う通り、既に紙のような顔色をしているアリアの手を握ったビビと肩を触れ合わせているのは、左側にはその後輩アリアと──その反対側で長い足を組む美貌の魔剣士、カーティス・パーカー。アリアと同期でもあるこの青年は、年の程はビビの1つ上。共に遅れて冒険者を目指した者同士、この浅黒い肌に2つならんだ涙ボクロが色っぽい青年とは、何かと通じ合う機会が多く。シルクタウンでギデオンに惚れる前のビビと、噂になること複数回。しかし、実際はその治療費のために、冒険者を志すきっかけとなった、花も恥じらう可憐な病床の婚約者がいるという案外照れ屋でロマンチストな格好付け男と。その気軽な男に便乗してであれば、憧れのマドンナに声をかけられることに燥ぐ青年たち。──今日はアンタ眠そうじゃないのな、だとか。へえ、ビビさん朝苦手なんですか、僕水筒に珈琲持ってきてるので良かったら、だとか。未だ作戦共有の始まらぬ車内は、今日も今日とて賑やかな冒険者たちの声で溢れていて。 )
(ほぼ全員が成人という構成、おまけにこの遠征はあくまで仕事。にもかかわらず、陽気大国トランフォードの冒険者たちの様子ときたら、楽しい遠足に浮かれ騒ぐ五歳の子どもとそう変わりない。馬車の上座──仕切り板による背もたれもどきと、煎餅のようなクッションが一応誂えられた席──に、同格の戦士と共におさまっているギデオンは、最初こそごくゆったりと、談笑などしていたのだが。背後の席がやいやいと賑わいだせば、仕切り板に片腕をもたれる形で振り返り。──こらおまえ、ここで飲み物を出すんじゃない、どうせ零すのがおちだろうが……云々。おいそこ、なんで臭いの強い軽食なんか持ってきた? 周りのことを考えろ、だいたい戦士は身体が資本なんだから、朝飯はちゃんと食ってこい……かんぬん。こんな調子で、呆れた声音でのお小言を投げかけつづける有り様で。
しかしそもそもの発端は、その当のギデオンが、ギルド随一のマドンナを急遽引っ張り込んだことだ。注意された青年たちも、一応ちゃんと返事するものの、その締まりのない顔をヴィヴィアンに戻しては、また嬉しそうにあれこれ構い始める始末。隣にいるカーティスが、時折彼女に助け舟を出してくれるから良いものの、あれでは逆に、意中の相手を困らせるだけだろうに……。ヴィヴィアンにちらっと、(道中は我慢してくれ)、というような視線を送っておくと、やれやれ顔でまた前方に向き直る。そうして、「あいつら元気だな……」と、気怠げな声でぼやけば。隣の上級戦士、魔槌使いのヨルゴスもまた、「若いからねえ……」と、苦笑いせずにいられないようだった。)
(ベテランたちのそんな雰囲気も、いよいよ馬車が麓に着けば、がらりと反転することになる。すなわち、先ほどまでは柔和な顔でにこにこ見守っていたヨルゴスのほうが、急にその顔を厳めしく変え。「へらへらするなジャリども! ここはもう現場だ!!」「しゃんとケツの穴締めあげろ!!!」などと、至極乱暴に発破をかけ。それにびっくりした若者たちを、道中はあんなに小うるさかったギデオンが、穏やかな声でフォローしながらとりまとめる、という具合である。──現場入りしている間だけ性格が豹変する、というのは、熟練冒険者によくいるタイプで、ヨルゴスもまさにそうだ。しかし今回は、思慮深い彼とよくよく示し合わせたうえで、それぞれが飴と鞭を担うことになっていた。ヨルゴスの場合、危機感のない若手を教育するためにやるからいいが、中には自覚も自制もないまま、必要以上に若手をしごいて虐め抜くベテランもいる。そんな人間に出くわしても潰されないために、今ここで慣らしておこう、というわけだ。
しかし、本質的には茶番といえど、演じるヨルゴスが凄まじく本気なだけあって、若手たちはそのほとんどがすっかり震え上がったらしい。青年連中のそれぞれに必要な雑務を与えれば、カーティスのような場慣れした戦士以外、皆ヨルゴスから逃げるようにして散り散りになった。ヒーラーには村の竈を借りて燻し玉を作ってもらうのだが、アリアに至っては、元々緊張していただけに、ヨルゴスにひと睨みされただけで倒れそうなほどである。相棒がそれについて、少しでも問いかけるような視線を寄越してくれば、ギデオンもまたまなざしで返すだろう。──この一見パワハラじみた状況は、敢えて意図しているもので。昨夜相棒に依頼した話は、本格的な討伐が始まってからになるだろう、と。)
(──はてさて、今回のクエストは、目下計画通りに進行している。午前中に村に着いたら、皆で昼食を取りながら、村長や斡旋官への聞き込みを。今度はその手がかりを元に、実際に自分たちでも山野を駆け巡りながら、更に情報を掻き集める。この情報というのは、辺りの魔獣の足跡であったり、下生えが踏み荒らされた形跡だったり、低木の枝が折れた跡だったり、生物由来の魔素が吹き溜まりになっている場所だったりする。パーティーリーダーによって行動指針は大きく違うが、少なくともギデオンのパーティーは、入念な下準備を施してからの、着実な詰将棋を理想としていて、まずはこういった現場情報を掻き集めるのが大前提だ。慣れないうちはなかなか見落としがちでもあるので、今回のような実際の現場を通じて、適宜指導も挟んでいく。
そうこうするうちに、問題の魔猪・トロイトは、おそらく今この辺りに潜伏しているだろうというのが、おおよその精度で絞られてくる。すると今度は、熟練の罠師たちが、専門の魔導具を使ってあちこちに潜り罠をしかけ、殺意の高い結界を作る。罠にかかってくれるなら上々……警戒して避けるだけの知能があるにしろ、今度はそれを逆手にとって、こちらの思わしい場所に誘導してしまえばいい。日の高いうちに見繕った幾つかの谷や窪地を、追い込み場所の候補とした。こういった場所にもまた、適宜罠を植え込んでもらう。精度の高い仕事というのはしっかり時間がかかるもので、これを監督するうちに、あっという間に日が暮れる。
魔獣トロイトも馬鹿ではない。この日、大勢の嗅ぎ慣れぬ人間が山に立ち入り、あれこれ不穏に動き回っていたのを、きちんと察知しているだろう。だからといって、じっと息を潜めてやり過ごす長期戦に持ち込まれぬよう、今回は余分な馬車を駆り出し、ギルドのカヴァス犬も連れてきていた。この魔犬は、テイマーにのみ見える魔法の足跡を残す能力があり、先んじて獲物を追い立ててくれる優秀な狩人だ。明日の朝、この猟犬たちを各ポイントで解き放ち、トロイトども焚きつけさせる。そうして、罠の囲いの中で逃げ惑わせ、疲弊させながら、指定の場所におびきだし、そこで一斉に屠りにかかる。計画通りにいくならば、そういう手筈になっている。明日一日、多少伸びても明後日までに、しっかり片が付くだろう。)
(──さて。入念な準備、しっかりした休息をとったのち、翌朝。朝日が山の稜線を燃え上がらせはじめた頃には、カレトヴルッフの冒険者たちも、皆しっかりと武装した姿で、広場にがやがや集まり始めていた。その中にあって、ギデオンも。軽い皮鎧ではない、重量のある魔獣と対峙するときのためのいかつい金属鎧を身に纏い、あちこちの手配の最終確認を終えたところ。あとは全員が揃ってから、隊の割り振りをして出発だな……と、考えていたその時。ふと、テイマーたちの仕方なさそうに笑う声を耳にして、そちらを振り返ってみれば。わふわふと、やたら懐っこい吠え声を上げながら、カヴァス犬たちが尻尾を振りたくっている先。ヒーラー衣装を纏った相手が来ていることに気がつくなり、ごく当たり前のように、そちらへと歩んでいって。)
──おはよう。
昨日はあいつらが、夕飯時にもおまえに絡んでいたみたいだが……どうだ、ちゃんと休めたか?
ん? ヨルゴスさんのこと?
( ──ねえ、ビビちゃんは怖くないの……? 優秀だが内気なヒーラーであるアリアが、そうおずおずとビビに尋ねてきたのは、初日の昼間。仲間との昼食を終えて、子供たちが大男に怯えると悪いから──と、孤児院も兼ねた教会への聞き込みに、ビビとアリアの2人だけが派遣された時の事だった。ビビも昔から子供から好かれることにおいては、そこそこ自信があったのだが、この後輩と比べて見ればどうだ。その生来の面倒見の良さから、常時複数人の子供たちに取り合われ、全身もみくちゃにされていた彼女は、此方のあっけらかんとした言い草にサッと顔色を変え焦り出す。「そ、そうじゃなくて……作戦の方っ……!」と珍しく声を張り上げる後輩をチラリと見やって、「私達は後衛も後衛だし、滅多に危険なことなんかないよ」というヴィヴィアンに、「自分のこと、じゃなくって……」と、此方が言うまでもなく自分の責任の重さをわかっているアリアだから、ついつい可愛くって意地悪もしてしまうのだ。そうして、表情を曇らせる後輩に──ごめんごめん、と嘆息をして。「怖がっても出来ることは変わらないからね」と、これは意地悪ではない本気の答えだったのだが、その不安そうな表情を見るに、どうやら肝心の後輩には刺さらなかったらしい。さてどうしたものか──ギデオンさんはこういう時どうするだろう、と無意識にその薄青い空を仰げば、丁度駆けつけてくれた神父に、一旦会話を中断せざるを得なかった。 )
──やっ、ちょっと、アンタたち……お仕事前なんだからそっちに体力取っときなって、ねっ、
( 彼らが現れた途端、ムッと湧き上がる独特の匂いに、タカタッ……タカタッ……とリズミカルに響く明らかに振り切れないとわかる逞しい健脚。へっへっへっへっ、と繰り返される生暖かい吐息だけならまだしも。何故かこの連中はビビを見つけた途端、一目散に此方へとかけてきて、その赤くて長い舌をべろべろとだらしなく指し向けてくるのだから、正直、ビビにとっては慣れた仕事よりも余程こちらの方が恐ろしい。とはいえ、これでも共に仕事を頑張ってくれる仲間達だ。個人的な苦手で彼らのやる気を削ぐことは避けたいし、テイマー曰く、向こうはビビのことを純粋に慕ってくれているらしい。いつか動物好きの同僚が──これが美しいんだ、と。──ビビにとっては信じ難いことに──もっさりと顔を押し付けて吸いこんでいた、ぬめぬめとした毛並みを光らせて、ビビの周囲をびょんこびょんこと飛び回る獣達に杖を抱きしめ、何とか宥めようと声をかけてみること暫く。完全に逆効果とばかりにテンションを上げ続け、前から後ろから、しゃがめ、撫でろ、舐めさせろとばかりに、ローブを引っ張ってくる連中をかき分け、此方へと向かってきてくれた相棒に、思わずうるっと涙腺が緩んだ。
そうして、元気なカヴァス犬から、サッとギデオンの陰へと飛び込めば。自ら盾にしておいて、その分厚い肩から顔を出し、ふしゃーっと威嚇する姿の迫力のないこと。当然、カヴァス犬の方も反省するどころか、遊んでもらえるものと勘違いして、元々高かったテンションを益々あげるばかり。ギデオンの影にいるビビを狙って、今にも飛びつかんとジリジリ距離を計っている光景は、傍から見れば微笑ましい限りだが、その広い背中をぎゅっと掴まれたギデオンには、その小さな震えが伝わっているだろうか。 )
はっ……はい、お陰様で、ひっ、コラ! アンタ達、ギデオンさんまで舐めるんじゃないの……!
おお……どうした……?
(救世主が来てくれたと言わんばかりの縋るようなまなざしに、ギデオンを盾にしての、やけに滑稽で愛くるしい威嚇。そちらを肩越しに振り返り、穏やかに落とした声には、困惑と笑みの気配が滲む。しかし、普段は気の強い相棒がぷるぷる震えていることを鎧の隙間から感じ取れば、必死な事情を察せようか。これまた意外そうに吹き出しつつも、寄ってたかっているカヴァス犬たちの注目を集めるようにして、己のがっしりした体躯をしゃがませ。ぎでおん! ぎでおんだ! と一斉に鼻面を寄せる獣たち、そのやや皮余りした首周りを、よしよしと揉みほぐしてやる。──このカヴァス犬たちとて、“ベテラン冒険者”の一んだ。いざ仕事に入ればきりりと引き締まるのをギデオンは知っているのだが、オフのときはどうにもこれである。主人であるテイマー以外の人間にも撫でてもらえないとなると、如何にも哀れっぽくくんくん鼻を鳴らすのだ──犬好きの人間はそれに弱い。「ん? どうだ、ここがいいのか」「おまえら、職業犬なんだから……こんなに懐っこいようじゃ駄目だぞ」なんて。柔らかな声をかけながら、そうしてひととおりあやして満足させれば、リードを握っていたテイマーたちに目配せして、ようやく彼らを引き上げさせる。そうしてゆっくり立ち上がりながら、笑んだ目で相棒を振り返る。これから大掛かりな討伐作戦だというのに、朝から随分可笑しな光景を見たものだ。)
意外だな、おまえが犬も苦手だったとは。
ああいう家畜動物の扱いも得意かと……
( ギデオンの登場に、助かった……と、深い安堵に包まれたのは最初だけ。カヴァス犬から隠れるように、硬い鎧に額を押し付け、ギデオンがしゃがみこむままに従ったその背後。己の相棒が犬にかけてやるその爽やかで優しい声色と、振動となって伝わってくる暖かな触れ合いに、顔を埋めたビビの機嫌は急降下していく。生憎、顔を上げられないので推測になるが、ビビの大好きな優しい視線と、温かい掌、それが先程の犬風情に盗られているのが堪らなくって。ムカムカと湧き上がる苛立ちと、耳元で震える生暖かい吐息への恐怖を、ぐりぐりとその頼もしい背中に押し付ける。そうしてギデオンがようやく立ち上がる頃には、ぐしゃぐしゃになってしまった前髪もそのまま、楽しげな相棒とは裏腹に、この娘にしては珍しく、無愛想に不満や憤りを顕にした表情を浮かべて、おもむろにギデオンの両手をとり。そうして大いに可愛くない態度でぶすくれたまま、ポケットからハンカチを取り出したかと思うと。先程までカヴァス犬と戯れていたギデオンの掌をゴシゴシと拭って、そのまま自らの頭上に導き。ビビの奇行にギデオンが困惑の表情を浮かべるならば、自らぐりぐりとその手に頭を擦り付けるだろう。 )
犬"も"ってなんですか……別に、仕事中はちゃんと連携するんだからいいでしょ。
…………、あの子たちだけ狡い、私だってギデオンさんに撫でられたいけど、いつも我慢してるのに。
狡いって……おまえ、犬に妬くこたないだろう……
(じとっと見上げる不機嫌な目に、わかりやすい膨れっ面。呑気に笑んでいたギデオンは、それらにぶちあたるなりはたと止まり、薄青い目を瞬かせた。その酷く間抜けで鈍ちんな隙を逃がすようなヴィヴィアンではない。こちらの両手を攫ったかと思えば、先ほどの戯れの痕を徹底的に拭い去り──挙句その手を、彼女自身の頭の上に導いては、撫でろ撫でろと押し付けてくる有り様で。ようやくその心中を察したギデオンも、しかしすぐには応えずに、呆れたような、参ったような、力ない呟きを落とすのみだ。
──このうら若いヒーラーが、去年の晩春以来ずっと、やたらと己を慕ってくれているのは知っている。しかしそれにしたって……いくら歳の差があるとはいえど、お互い立派な成人同士だ。普通に人目もあるのだし、子ども扱いするような真似は如何なものか。第一、相棒関係というのは、こんな形で互いを構うようなものでもないのではないか。傍目にはかなり珍妙に映ると思われるのだが……。
しかし、そんな躊躇いの間も、不満げなヴィヴィアンに再度催促されようものなら、打ち切らないわけにはいかない。賑わう周囲をちらと憚ってから、小さな嘆息をひとつ。ようやく根負けしたらしく、ごく緩やかな手つきで、彼女の乱れた旋毛や前髪を、整えるように撫でつけはじめる。仮にそれに、違う、ちゃんと撫でて! とアピールされたならば。或いは、まだまだ不服そうな面持ちを寄越されたならば。また一瞬躊躇してから、前方から後方へ、ようやくゆったりと掌を滑らせてやるだろう。それからごく自然な流れで、籠手の内側の柔らかい革を使い、相手のすべらかな頬まで撫でて……そのかんばせを上向かせ、静かにじっと見下すこと数秒。──はた、と我に返るなり。「……これでいいか、」と、相手の薄い肩を軽く叩きながら、妙に固い表情を逸らして。)
……ギデオンさんが、妬いてもいいって言ったんじゃないですか。
( ビビの頭上で、大きな手がそろりと動く気配に、撫でやすいよう小さく俯き瞳を閉じて、温かな触れ合いをおっとりと待つ。しかし与えられた触れ合いのその浅さに、……?、? と寂しそうな、期待するような視線をギデオンにチラチラと向ければ。頑なな相手の言い草に──確かに相手もまさか、犬が仇になるなど思ってもいなかっただろうが──かの聖夜のやり取りを思い出して、そのエメラルドの瞳が傷ついたように微かに揺れる。そうして、柔らかい革の感触に頬擦りをしながら、健気にギデオンを見上げること暫く。一体ギデオンが何を躊躇っているのか、それこそ先程カヴァス犬にしたような、なんの色気もない健全な触れ合いを求めていたビビには、相手の意図が読めずに、「……ありがとうございます、」と小さく頭を下げながらも、その瞳にありありと──人前だから? と、視線だけで問うてくる姿は、彼女に分かりやすい大きな耳と尻尾があったのならば、しょんぼりと垂れていることが容易に想像出来る有様で。それでも、この半年以上袖にされ続けてきた、恋する乙女のタフさはベヒモスの皮革の如し。そろそろ作戦が始まる気配に、すぐさま垂れていた頭をぴこりと上げて、「ね、じゃあ今度……2人きりの時にご褒美くださいね」なんて、肩に置かれた手を挟むようにして、可愛らしく小首を傾げれば。それじゃあ、気をつけてくださいねえ──と、大きく手を振りながら持ち場に駆け出していって。 )
( さて、作戦決行間際。鼻の良いトロイト達に居場所を嗅ぎつかれぬよう、昨日ビビとアリアが作った特製匂い消しを振りまいて、それぞれの持ち場に潜むこと四半時──ねえ、どうしよう、仕事前に甘えすぎてギデオンさんに呆れられちゃったかも……。と、悶えている先輩を目の前にして、ぽかんと空いた口が塞がらないといった表情をしているアリアに、「帰ったら慰めてぇ、前行きたいって言ってたお店奢るから~」と、畳み掛けるビビがいる。確かに今回の作戦は大規模だが、まるで世紀の大仕事をするかのような深刻な顔をしている後輩に、あくまでこれは、なんでもない日常的な仕事と変わらないのだと。意識的にヘラヘラと緊張感のない様を演じている訳だが、これが意外と効果覿面。昨晩より少し顔色の良くなった後輩に、安堵する気持ちが一番大きいことには大きいのだが……。我ながら少しやりすぎかと思った演技を、すんなりと受け入れる後輩に──もしかして、ギデオンさん関係の時って、私いつもこんな感じに見えてる……? と一抹の不安を覚えたのはまた別の話だ。
さて、流石にピリピリしてきた戦士達の緊張感が必要以上にアリアに伝わらぬよう、ビビにしては厳かな態度でアリアに薬品の数と場所、使用用途を確認させる。──怖がっても出来ることは変わらない。けれど、驚異に対して正しい恐れを持つこともまた、冒険者には大切な事だ。そして、その恐怖を克服できるのは、念入りな事前準備だけだとビビは思っている。「やっぱりちょっと作りすぎたよね」なんて、作戦中に不足する心配はないのだと、できることは全てやったと、何度も何度も繰り返しアリアに刷り込みながら。世界一格好いい声で発されるだろう号令を、今か今かと待ち構えて。 )
(あの夜のことを持ち出されれば、ぐっと言葉に詰まるほかない。ついでに言えば、それが相手のものであるなら、傷ついたようなまなざしにも、しょんぼりと項垂れた様子にも、己はすこぶる弱いのだ。──故に少々甘くすれば、自ら何やらやらかしかけて、それに内心狼狽したのを気取られるまいと自制して。そんなこんなの有り様だったから、しゃきっと気持ちを切り替えた相手が、甘ったるい約束をちゃっかり取り付けてしまおうと、言い返す言葉など何ひとつ上手く出てこないまま。結局、ぱたぱたと駆けていく白布の背中をただ見送るのみとなり──ひとり眉間を揉みながら、盛大なため息をひとつ。ずっとあの小悪魔にやられっぱなしだ、そろそろどうにかできないものか。
そんなギデオンに、「贅沢な悩みだねえ、総隊長殿?」と、こちらの胸の内を見透かしたような、笑み交じりの渋い声がかかる。ぎくりと振り返った先、にやにや笑いを浮かべていたのは、魔槌を担いだヨルゴスだ──いったいいつから見ていたのだろう。「若い娘にああも言い寄られるたあ、あんたも隅におけねえなあ。しかも春からずっとだろう? 何なら今夜はふたりっきりで、雌豚鍋でも囲んじゃどうだい」。食への関心が常人より高いギデオンは、無論その古い郷土料理を知っている。雌豚鍋……発情しやすさで知られる雌トロイトの肉を、精力増強の作用がある山菜等と煮込んだものだ。部屋に充満する煙は、男女をただならぬ昂ぶりに陥らせるとか、別にそうでもないだとか。「冗談じゃない」と即座に吐き捨て、気怠げに小言をかましながら、共に広場の中央へ。若い衆の面前に揃い踏みしたその時には既に、威厳あるベテランの顔を、ふたりともしれっと取り繕ってみせるのだから、やはり息が合うのだろう。
そうしてまずは部隊の編制。整列した仲間たちを見渡し、ヴィヴィアンに目を留めると、相手にだけわかる程度に小さく頷きかけてから、作戦前最後の声掛けを。朝陽がいよいよ降り注ぐなか、冒険者たちが士気を高め合う様子は、それを見ていた村人たちをも感化させたようだ。朝っぱらから盛大な声援を受けながら、いよいよ山野へ総勢繰り出し──それから、早くも一時間が経過した。)
(ヒーラーのふたりも潜伏している、谷の上の第四拠点。そこで“その時”を待ち構えていたギデオンは、いよいよその耳に、森の樹々が薙ぎ倒される物騒な物音と、第一・第二部隊のカヴァス犬たちが吠え立てる声を聞きつけた。距離にして数百メートル、こちらの谷間へ正しく雪崩れ込んでいる様子だ。さらにたった今、頭上の空の北側──ヨルゴスたちのいる方角から、魔法の狼煙が打ち上がった。その色は赤……“万事順調”。つまりここ、第四部隊も、作戦通りの動きを展開して問題ないとのお達しである。
「目標四十五度、俯角三十度に備え!」。その号令を発した途端、隊の全員に臨戦態勢の緊張がびりびり走り、それぞれの武器が物々しく構えられる。ギデオン自身もまた、愛用の魔剣の柄を握り直し、眼下を睨みつけること数十秒。いよいよ谷の切れ端に、牛ほどの大きさもある瓜坊数頭が飛び込んできた。そしてその後、太い大木を二、三本叩き折りながら続いたのは、とてつもなく巨大な赤毛の猪。村人たちの目撃情報通り、銀毛、つまり上位種のトロイトではない。ならばこの戦いは余裕だ。そう冷静に確信すると、いよいよ腹に力を込めて──)
──射撃部隊、射ち方はじめ!
(──そう、太い声で指示を飛ばすが早いか。ざっと身を起こした弓使い数名、その逞しい腕に引き絞られた石弓から、麻痺毒を塗り込んだ矢が一斉に放たれる。鋭く尖った矢じりの先は、凄まじい勢いで空を切り裂き、地上の子猪たちの胴をどすどすと突き破った。小柄な一頭に至っては、射られた衝撃でどっとひっくり返り、四肢をばたばたと暴れさせて哀れっぽく悶えはじめた。
途端、自身も一目散に駆けていたはずの親トロイトが立ち止まり。赤く血走った物凄い目で、こちらをぎろりと見上げてきた──やはり気づかれた! 「散開! カーティス、セオドアはヒーラーを援護!」言うが早いか、他の若手戦士たちと共に飛び出し、怒れる魔獣を引きつける囮役にかかる。猛然と突進してきた親トロイトは、その巨躯に飽かせた圧倒的重量で、己にとっては棒切れにも満たぬ人間どもを吹っ飛ばすつもりだろう。或いは、例え掠めただけでも、その背面の毛皮にたっぷり含んである毒で、こちらを弱らせにかかるつもりだ。
──が、それはこちらもお見通し。ふたりの青年冒険者が、ヒーラーをさっと庇って退避した、その一瞬。予め罠師が仕込んでおいた爆発罠、しかもヒーラーによる臭い消しまで施されたそれを、親トロイトは見事ど真ん中で踏み抜いた。途端にドンッと跳ね上がり、今登ってきた谷の斜面をごろごろ転がり落ちる巨体。それでも谷底にぶつかれば、そこですぐさま態勢を立て直す頑丈ぶりが恐ろしいだが、今の数秒で時間稼ぎは充分果たせた。体を起こす際の一瞬の硬直状態、そのありありとした隙を逃さずに。谷の斜面の反対側、完全に息を潜めていた第三部隊が、一斉に矢の雨を降らせ、親トロイトの左半身を針の山にしてみせる。
その攻撃がやんだ瞬間、ギデオンら囮役もまた、谷の下、トロイトたちが進行していた方向に躍り出て。各々の武器をこれ見よがしに構えてみせるが、激しく息を震わせる親トロイトは、流石に無謀に飛び込んでこない。やはり知恵の回る魔獣だ──同じ手を二度喰らうものかと、罠を警戒しているのだろう。いずれにせよ、トロイトたちの視線は一挙に手繰り寄せることができた。谷の上の安全は、再び確保できただろう──ヒーラーたちは安心して、後援に回れるはずだ。
手負いの魔獣どもを睨んだまま、片手をさっと振り。追いついてきたカヴァス犬たちを、皆谷の上に避難させる。彼らの仕事はここまでだ、ここから先の仕上げでは猟犬たちをも巻き込みかねない。そうして、じりじりと距離を測ること数秒。後ろから第一、第二部隊の冒険者たちが合流したのが、トロイトたちに決死の覚悟を決めさせたらしい。どっと、斜面を使って迂回する形で親トロイトが駆けだしたのと、「──迎え撃て!」とギデオンが叫んだのが同時。全部隊の冒険者たちが、皆一斉に打ち合わせ通りの展開を見せ。その中でギデオンもまた、重い鎧を纏った身で稲妻のように駆けだすと、親トロイトの腹の下に滑り込み、その四肢の腱に刃を走らせた。当然どれも石のように固いが、がくん、と脚の一本を折らせるのに成功する。親トロイトが怒りの呻き声を絞り出し、それを聞いた途端、矢に痺れていた数頭の子トロイトが、ゆらゆらと立ち上がった。群れる魔獣によくある本能だ──親や子といった仲間の危機を感じると、死の淵からでも甦る。さっきひっくり返った一頭、すっかり痺れている二頭を除けば、三頭の子トロイトが戦闘態勢に入ったわけで(姿の見えない一頭は、この谷に来るまでにどこかで仕留められたのだろう)。全部で四頭の怒れる魔猪を、相手どらなくてはいけない。
無論、正面からぶつかるのでは、重量のない人間に勝ち目はない。かといって、矢の雨で安全圏から弱らせようにも、相手の数が多いので、ああして射手に突進され、こちらに被害が出てしまう。故に、ギデオンの講じた作戦は、まず最初に遠距離攻撃で相手の勢力を削いでから、余力のあるトロイトの腱を接近戦で攻撃。ヒーラーの後援を得つつ、その脚力を奪ってしまえば、動けぬ彼らをもう一度蜂の巣にし、着実に仕留めよう……という寸法だ。先ほどのような爆発罠でも脚を負傷させられるが、トロイトは賢いから、やはり接近して戦う者が上手く誘導しなくてはならない。──つまり、戦士の仕事はここが正念場。そしてそれは、ヒーラーの援護によって十二分に果たされるから、彼女たちふたりにとっても、今が気合の入れ時だ。十人の男たちが皆死力を尽くして魔獣を打ちのめす、その騒乱の真っ只中で。状況を素早く確かめたギデオンが一言、作戦通りに要請を飛ばして。)
──ヒーラー、散布始め!
……ッ、……、
( 地面を震わすような、激しい猪達の足音に混じって、己の惨めったらしい不規則な呼吸が耳につく。カーティスらの援護を受け、必死に獣道を駆け上がりながらも。時折、香りの強い物や有毒の薬草を見つけては燃やし、万一トロイト達に気づかれても追い縋られないよう、自分たちの匂いを誤魔化しておく。そうして、鬱蒼と茂る木々の間から、要救助者はいないか、トロイト達の頭数、アリアの顔色からその余力も見極めれば。幸いここまでは全て計画通り、大きな齟齬もなく進行している作戦に、ほっと胸を撫で下ろしかけたその時だった──「伏せて!!」と爽やかな渓谷を切り裂いたセオドアの怒号。瞬間、ビビ達の行く手を遮り、バキバキと太い枝葉をなぎ倒しながら、猛然と此方へ駆け来る7匹目の子トロイトに、セオドアが咄嗟に張った魔法障壁ごと吹き飛ばされ。それを見た同期組が、ビビの隣で鯉口を切る気配に、「倒そうとしない! 崖下に落とすよ!」と指示を飛ばせば。杖を抜いたビビが谷底のギデオンに向け、白い花火を数発打ち上げる間に。厳かな詠唱を終えたアリアの杖が光り、向こうもまた魔法障壁の反動に吹き飛ばされていた幼獣の着地地点へ、鋭い大岩がドスドスッと突き上がれば。その巨体が微かに傾ぐ隙を見逃すカーティスでは無い。その恵まれた体躯を低くし、一直線に山道を駈けたかと思うと、その崖側の軸足を掬う代わりに、自身も険しい斜面を滑り落ちながら「ビビ!」と託された希望を繋がなくて何が冒険者か。──虚仮威しのフラッシュでは意味が無い。ファイヤーボールでは威力が足りない。大型魔獣とは決して相性の良くない手数をひっくり返して、腰の薬草に手をかければ──嗚呼、勿体ない……!! と思わず漏らしたのはヒーラー娘のどちらだったか。カーティスの一撃にぐらりとバランスを崩した魔獣目掛けて、大きく振りかぶったビビが投げつけたのは、粉末状のモーリュが詰まった小瓶と小さな火種。g単価並の冒険者の日給を超える高級薬草が引き起こす"ただの粉塵爆発"に、滲みそうになる涙をグッと堪えて、谷底を確認すれば。華麗な連携に吹き飛ばされた巨体は哀れ、親の嘶きに奮い立った兄弟のその一匹を押し潰して動かなくなったところだった。
そうして、周囲一帯を見渡せる高所に立つヒーラーと、地面で魔獣と相対する戦士。奇しくもギデオンととビビが初めて共闘した際と同じ構えで、相棒の要請を捉えれば。深手の戦士2人をアリアに任せて、半日かけて作った燻し玉に片っ端から火をつけ、風向きを谷下に集める。そうして、煙の逃げ場がない谷底で、もうもうと烟る煙幕は魔獣の鼻をも犯しその行動を大きく制限するだろうが、人類の視界を塞ぐ程のものでは無い。シルクタウンの時と似ているようでいて、あまりに広いフィールドのその谷底に、燻し玉の煙を制御するだけでダラダラと汗が流れるが、──ギデオンさんならやってくれるに違いない。その信頼を込めて、2人で操るはずだった煙幕を見事1人で制御してみせれば、果たしてトロイトと冒険者、どちらに軍配が上がるだろうか。 )
……ッ、……、
( 地面を震わすような、激しい猪達の足音に混じって、己の惨めったらしい不規則な呼吸が耳につく。カーティスらの援護を受け、必死に獣道を駆け上がりながらも。時折、香りの強い物や有毒の薬草を見つけては燃やし、万一トロイト達に気づかれても追い縋られないよう、自分たちの匂いを誤魔化しておく。そうして、鬱蒼と茂る木々の間から、要救助者はいないか、トロイト達の頭数、アリアの顔色からその余力も見極めれば。幸いここまでは全て計画通り、大きな齟齬もなく進行している作戦に、ほっと胸を撫で下ろしかけたその時だった──「伏せて!!」と爽やかな渓谷を切り裂いたセオドアの怒号。瞬間、ビビ達の行く手を遮り、バキバキと太い枝葉をなぎ倒しながら、猛然と此方へ駆け来る7匹目の子トロイトに、セオドアが咄嗟に張った魔法障壁ごと吹き飛ばされ。それを見た同期組が、ビビの隣で鯉口を切る気配に、「倒そうとしない! 崖下に落とすよ!」と指示を飛ばせば。杖を抜いたビビが谷底のギデオンに向け、白い花火を数発打ち上げる間に。厳かな詠唱を終えたアリアの杖が光り、向こうもまた魔法障壁の反動に吹き飛ばされていた幼獣の着地地点へ、鋭い大岩がドスドスッと突き上がれば。その巨体が微かに傾ぐ隙を見逃すカーティスでは無い。その恵まれた体躯を低くし、一直線に山道を駈けたかと思うと、その崖側の軸足を掬う代わりに、自身も険しい斜面を滑り落ちながら「ビビ!」と託された希望を繋がなくて何が冒険者か。──虚仮威しのフラッシュでは意味が無い。ファイヤーボールでは威力が足りない。大型魔獣とは決して相性の良くない手数をひっくり返して、腰の薬草に手をかければ──嗚呼、勿体ない……!! と思わず漏らしたのはヒーラー娘のどちらだったか。カーティスの一撃にぐらりとバランスを崩した魔獣目掛けて、大きく振りかぶったビビが投げつけたのは、粉末状のモーリュが詰まった小瓶と小さな火種。g単価並の冒険者の日給を超える高級薬草が引き起こす"ただの粉塵爆発"に、滲みそうになる涙をグッと堪えて、谷底を確認すれば。華麗な連携に吹き飛ばされた巨体は哀れ、親の嘶きに奮い立った兄弟のその一匹を押し潰して動かなくなったところだった。
そうして、周囲一帯を見渡せる高所に立つヒーラーと、地面で魔獣と相対する戦士。奇しくもギデオンととビビが初めて共闘した際と同じ構えで、相棒の要請を捉えれば。深手の戦士2人をアリアに任せて、半日かけて作った燻し玉に片っ端から火をつけ、風向きを谷下に集める。そうして、煙の逃げ場がない谷底で、もうもうと烟る煙幕は魔獣の鼻をも犯しその行動を大きく制限するだろうが、人類の視界を塞ぐ程のものでは無い。シルクタウンの時と似ているようでいて、あまりに広いフィールドのその谷底に、燻し玉の煙を制御するだけでダラダラと汗が流れるが、──ギデオンさんならやってくれるに違いない。その信頼を込めて、2人で操るはずだった煙幕を見事1人で制御してみせれば、果たしてトロイトと冒険者、どちらに軍配が上がるだろうか。 )
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