刑事A 2022-01-18 14:27:13 |
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( 珍しく相手は、無理矢理に自分を従わせる事はしなかった。言葉を無視したまま明日以降の講義に向けた準備を黙々と続けていたものの、不意に紡がれた言葉に一度視線だけを持ち上げる。今となっては“犯罪者”である相手も、かつては確かにFBIの捜査官を志した学生だったのだ。一体どういう心境の変化があって道を踏み外したのかは分からないが、あの事件が彼を歪めてしまった事は間違いない事実であろう。直接的な被害者以外に幾人もの間接的な被害者を生んでいる事は当然分かっている。相手のように人生を狂わされた遺族や、全てを崩壊させられた当事者が大勢居る。其の事に対しては当然罪悪感があった。暫しの沈黙の後「_____其の立場を自ら手離したのはお前の判断だ。」とだけ答えて。幾らたらればを言った所で、そもそも望んでFBIを離れたのは相手なのだから未来は変わらないと。 )
アーロン・クラーク
__相変わらず“らしい”返事ですね。
( 返って来たのは寄り添いでも何でも無い言葉。なれどこの件に関しては少しも寄り添いなど欲しくは無いし寧ろこの遣り取りが心地良いとさえ思う程で。__それから凡そ1時間程が経ち、ホテルに戻りたくないと言う理由で悪足掻きの如く時間を掛けていたのだろう準備が嫌でも終わりを迎える頃。廊下ではもう足音や話し声はすっかり聞こえなくなっており、此処を出るのは調度良い時間帯だろうと思えば『…そろそろ帰りましょう。部屋はもう綺麗だし、今日は酷い事しないって約束しますから。』と、後者に置いては全く信憑性の欠片も無い言葉と共に立ち上がり結局は相手の返事など無視でホテルへと連れ帰り。__部屋の中は昨晩の騒動を感じさせぬ程綺麗になっていた。血を吸った様に真っ赤だったカーペットは新品の物に取り替えられていて、ガラスの破片も勿論無い。別のワインも用意されている程だ。部屋をぐるりと見回しその完璧さに当事者ながら満足そうに頷いては、さっさとスーツを脱ぎ部屋着に着替え。約半日程誰も居なかった部屋はひんやりとしている。『…“湯たんぽ”必要じゃないですか?』くるりと振り返り至極楽しそうに笑いつつ、数日前に相手が言った“メリット”の必要性を問うて )
( 明日の講義の準備をしている、と言い張ってアカデミーの教官室に泊まり込む訳にも行かない。結局相手と共にホテルの部屋に戻る事となり、渋々ながらも其れに従って。---“寒さ”は心身を不安定にする。身体の冷えは不調を引き起こすし、不安を煽られる事もあるのだ。相手の言う“湯たんぽ”は、謂わば“添い寝”のことを指しているというのは直ぐに理解でき「______要らない。」と一蹴して。其の後シャワーを浴びて身支度を整えると日付が変わる頃にベッドへと入る。昨晩の出来事が尾を引いて、1日あまり体調が良くなかったため今夜は早く休もうと考えて。 )
アーロン・クラーク
( 返って来る返事は100%の確率でわかっていた為『素直じゃないですねぇ。』と肩を竦めるだけで終わらせる。相手がシャワーを浴びた後に立て続けに浴室へと姿を消し戻って来た時には既に相手はベッドに横になっている状態で、掛け布団が僅か盛り上がっていた。その白い山を遠目に数秒見詰めてから何を言う事も無く再び浴室へと戻ると、傷みの無い金髪に生温い風を当て根元から確りと乾かして。__時刻はまだ日付けが変わってから然程経ってはいない。特別眠気も無い今、布団に入った所で結局天井を見詰める暇な時間を過ごす事になると思えば、眠る相手に近付きまだ少し湿っている様にも感じられる焦げ茶の髪に軽く指を通した後、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しソファへと身を沈めると、暇潰しとばかりに世界情勢や経済なんかのニュースをスマートフォンで読み進めて )
( 相手が浴室へと向かい扉が閉まる音を聞いてから目を閉じる。やがて戻って来た相手が自分の髪に触れた所迄は辛うじて意識があったものの、程なくして眠りに落ちていて。---しかし、穏やかな眠りは長くは続かない。元々体調が良くなかった事も影響してか、酷く鮮明な夢を見た。静寂に沈んだ幼稚園の一室、辺りは血の海で大勢が折り重なるようにして倒れている。その場に立っているのは自分だけで、他には誰も居ない。靴の先に何かが当たり視線を落とした先には妹が倒れていて______思わず伸ばした手で、指先で彼女の髪を撫でた感覚があまりに鮮明だった。彼女はひと目で命が無いと分かる青白い顔をし、美しい若葉色の瞳は闇を湛え暗く色褪せていて。それはいつか見た、あの写真と同じ姿だ。---血の匂いがした気がして、彼女の暗い瞳や髪に触れた感覚があまりに鮮明で、あの日の感情が呼び起こされた。妹をこんな形で失うなんて、側に居たのに助けられなかったなんて、彼女が今後二度と自分に向かって微笑み掛ける事がないなんて______あの日に感じた絶望と恐怖が襲い、飛び起きた時には呼吸は狂い涙が溢れていた。同時に飛び起きた反動で強い痛みが走り、思わず鳩尾を抑えて蹲る。痛みと恐怖と、どうしようもない不安。「_____っ、う゛…ッはぁ……あ、セシリア、っ……」思わず妹の名前を口にしたものの、浅くしか呼吸が出来ない事で息が苦しい。心臓を鷲掴みにされるような強い痛みのせいで身体を起こす事が出来ず、感情を掻き乱され涙が止まらなかった。 )
アーロン・クラーク
( __暇潰し予定だったスマホ弄りに何時しか熱中し目の奥の重たい怠さを覚えた頃。眠りに落ちる事は無くともそろそろ身体を休めた方が良いだろうと立ち上がった調度その時。呼吸にあわせて微動するだけだった白い布団が跳ね除けられる様に勢い良く捲り上がり、続けて飛び起きた相手の悲痛な嗚咽が静かだった部屋にやけに大きく響いた。真っ白なベッドの上で身体を丸め蹲る相手は明らかに悪夢に魘され目を覚まし、襲い来る過去の記憶や痛みに耐えようにも為す術が無くなっている状態だとひと目でわかる程。狂いそうな呼吸を懸命に抑え付け落ち着こうとする段階はすっとばした様だ。『__警部補、』やれやれと態とらしく肩を竦め近付き、名前を呼ぶと同時に特別な労り無く相手の身体を抱き起こすも、そこで漸く碧眼から止め処無い涙が溢れている事に気が付く。泣きじゃくる、と言う表現が間違いでは無い状態に何処か困った様に笑うと『そんなに泣いたら明日大変な事になりますよ。』勿論の事狼狽える訳でも無くまるで世間話をする時の様な語調で語り掛けつつ、それでも抱き起こした相手の身体を自身に凭れ掛からせる様にして軽く後頭部に手を添えて )
( 上手く力の入らない身体を相手に抱き起こされ、それに抵抗することもなく凭れ掛かるように相手に体重を預ける。胸が張り裂けそうな、と表現すべきか。言いようのない感情が胸の内に渦巻き、一時的なものであろうが少しでも気を緩めればこれまで何とか耐えて来たものが崩れ去ってしまいそうな恐怖感があった。妹の優しい笑顔を覚えていたいのに、血に塗れて思い出したくない姿ばかりが脳裏に焼き付いて離れない。つい先ほど触れたような気さえする柔らかな茶髪も、緑色の瞳も、見ることは叶わない。嗚咽を漏らしながが、どうしようもない喪失感を埋めたくて思わず縋り付くようにして相手の肩口へと自ら顔を埋める。今こうして身体が密着し体温を感じることの出来る距離が唯一、空虚な心を落ち着かせてくれるかもしれないと思った。喘ぐような呼吸は治らず、涙は相手の肩を濡らすばかり。強い痛みをなんとか逃がそうとするのだが一向に楽にならず、小刻みに身体を震わせながら相手に身体を寄せ。 )
アーロン・クラーク
( 鎮痛剤を服用していない状態で痛みがそんな簡単に治る筈も無く、脳裏に焼き付く過去の残像が消える筈も無い。正しく絶望の中に居る相手が今縋れる唯一の相手は目の前に居る自分だけだと言う優越感は気分を昂らせるには申し分無し。相手の碧眼から溢れ落ちる涙が肩を濡らし感じるその冷たさすらもまた気分の昂りを助長させるものだから、幾分も優しくなれるだろう。『可哀想な警部補。__俺にどうして欲しいですか?貴方がちゃんと自分の口で言えたら、叶えてあげますよ。』縋る様に身を寄せてくる相手の背中をまるで子供をあやす時の様にポン、ポン、と一定の感覚で軽く叩きながら耳元に唇を寄せて紡ぐは甘美な言葉。甘い毒を纏ったその言葉は今相手を甘やかす為だけに向けられ、痛みと苦しみの中、涙声で落とされるであろう要望をゆるりと口角持ち上げたまま静かに待つ事として )
( 酷く寒さを感じるのだが、それが部屋の温度によるものなのか、或いは埋める事の出来ない喪失感から来るものなのか、判然としない。ただ相手の体温を感じていたくて、相手の赦しが欲しくて、苦しみの中相手に縋った。「_____許してくれ……っ、側に、ッ…居て欲しい、」相手に余り見せた事のない、涙ながらの素直な懇願は、1人きりで絶望に突き落とされる事を怖がるかのよう。震えながら相手のワイシャツを掴み、必死にフラッシュバックの波に抗おうとして。今此の瞬間は、目の前の相手だけが拠り所なのだ。強い痛みに鳩尾当たりを握り締めるように抑え、浅い呼吸を繰り返しながら相手に許されたいと懇願して。 )
アーロン・クラーク
( 鳩尾の痛みに耐えながらも懸命に此方に縋り涙と共に落とされた懇願。それを聞き届け『えぇ、えぇ。勿論、俺だけが貴方を許してあげますよ。__此処には俺しか居ないですもんね。貴方が縋れるのは俺だけ。』それで良いのだとばかりに何度も頷けば“俺だけ”なんて、誰より一番許さないくせに息を吐く様にそんな嘘を、相変わらずの演技掛かった口調で紡ぎ。あやす様に背中を叩いていた手を離し、相手の鳩尾を押さえる手の内に滑らせる。今度は力を込め痛め付ける事はせずに親指を動かすだけの僅かな擦りながら『…痛いのは嫌ですよねぇ。…辛いね、警部補。』まるで確りと共感し相手の痛みに寄り添っているのだと思わせる言葉を。けれど直ぐに安定剤なり鎮痛剤なりを持って来ない辺り“そう言う事”だろう )
( 昨晩の記憶からか相手の手が鳩尾に触れると無意識に身体が強張ったものの、やがて直ぐに緩む。今はただ、相手が自分を“許す”と言い、寄り添う言葉を掛けてくれる事が救いのように思えた。1人ではないと思えるような。震えながらも相手に身体を預け、宥めるよう身体を摩る相手の掌の感覚に意識を向け、やがて少しずつ時間を掛けて身体の震えは収まっていったものの呼吸は浅く繰り返されて。 )
( ___クレアに背中を押され“頭より心に従う”のまま飛行機に乗りエバンズと再会し、刑事ではなくなった相手の調子の悪さを目の当たりにしながら何も出来ずワシントンからレイクウッドへと戻ったのがもう数週間前の事。その後エバンズが泊まるホテルの部屋にクラークが居候している事を知らぬまま更に数週間が過ぎた今日。鳩尾を押さえ引かぬ痛みに懸命に耐えるエバンズの姿が頭から離れず、“死”すらも身近にある気がしていた。何か__と思うのに距離的にも知識的にも、何もが無力に思え、出来る事は何も無いのだと嫌でも気付いてしまう。けれど放っておく事は出来ず考えた末が相手の主治医に連絡をし、症状の緩和方法や何時の日かレイクウッドに戻って来た時に出来る何かの話をしておく事だった。「……、」時刻は17時過ぎ。ソファに腰掛けた状態でスマートフォンを取り出し以前登録したアダムス医師の名前を押す。数コール後に声が聞こえれば「__お久し振りです、ミラーです。」と名乗った後「急に申し訳ありません。…エバンズさんの事で話がしたくて、」と、切り出して )
アダムス医師
( スマートフォンの画面に映し出されたのは、思い掛けない人物の名前だった。此処暫くは“彼”がレイクウッドに居ない事でやり取りをすることも無かった人物。『お久しぶりです、ミラーさん。」と穏やかに言葉を返すと、改めて自分たちが“アルバート・エバンズ”という1人の人間を介して繋がっている事を想う。彼の主治医と、彼の部下_______それぞれが接点を持つことなど普通であれば考えられないのだが、実際に相手とは幾度となく顔を合わせ、やり取りをして来たのだ。『…エバンズさんがレイクウッドを離れた事は、彼に電話を貰って少し前に知りました。ワシントンでは、ミラーさんも心配でしょう、』エバンズの事、と告げた相手の言葉にそう答えると、やはりそれだけの距離があり直ぐに駆け付けられない場所となれば相手も気が気ではないだろうと。 )
( 電話口から聞こえる声は久し振りに聞いたものなれど酷く安心出来た。それはきっと相手の事を人としても医師としても信頼しているからに違いない。落ち着いた穏やかな声に釣られる様にそっと落ちた吐息の後、続けられた言葉は思いがけないもので、胸中には安堵と不安が複雑に入り交じる。病院嫌い、医者嫌いのエバンズが自らの意思で相手に電話を掛けた事は安堵に繋がるのに、裏を返せば電話を掛けざるを得ない程に調子が悪いと言う事ではないのか、と。実際久し振りに会ったエバンズは明らかに顔色が悪く痩せても見えた。レイクウッドでは無かった鳩尾付近の痛みに耐える姿も見た。「__そうだったんですね。先生と話が出来て居たなら少し安心出来ました。」此方を気遣って寄り添ってくれる言葉に少しだけ口角を緩めるのだが、不安の全てが払拭出来た訳では勿論無い。「…あの、」と切り出した後「医師に守秘義務がある事は勿論知っています。でも少しだけで良いんです、エバンズさんと話した内容を教えて貰えませんか?…身体の痛みの事、もし何か言っていたら、」主治医と患者の2人の間に全く関係の無い自分が入り込む事は守秘義務は勿論プライバシーの侵害にも関わって来るとわかっている。それでも心に巣食う嫌な感じをそのままには出来なかった。“精神面”では無くレイクウッドでは見られなかった“肉体面”の不安を口にした事で、相手は己がエバンズと少なくとも電話なり何なりで会話をした事は察しただろうか )
アダムス医師
( 少し前、とは言ったものの彼から電話を貰いワシントンで会ってからもう半年は経っているだろうか。刑事としての仕事を継続しているようだったが、レイクウッドに居た時よりも少し痩せた印象を受けた事はよく覚えている。何より相手から、薬の効きが悪いのをなんとかしたいと、まるで助けを求めるように珍しく電話が掛かって来たのだから。相手の口から出たのは、彼が当時訴えていた体調面の不安と一致するもので、離れて居ても彼が相手に不安を吐露出来ている事に僅かながら安堵した。『______身体に痛みが出る事があって辛いという事は、確かに話していました。薬の効きが悪くなっているようだとも、』少し考えた後に、当時彼と話した内容について告げる。『近くの大学病院は、精神的なものから来る不調にはあまり対処が出来ないと、少し離れた病院を紹介されたそうです。殆ど足を運んでいないようでしたが…同じ薬の処方なら、近い病院で受けられると言っていました。』ワシントンでは抱える不調を、直ぐに誰かに相談する事が出来ない環境に身を置いている事に対して自分も不安を感じていた。身体の痛み、其れも鳩尾付近の痛みを訴える事が多い為に自分が抱いた懸念については、相手に伝えて仕舞えば不安を増長させるだろうと、直ぐに口にする事はせず。 )
( 相手の話を静かに聞き、時折1人相槌を打つ。ただでさえ病院嫌いのエバンズが紹介されたとは言え態々遠い病院に行く事は無いだろう。加えて人を良く見る彼は、同じ薬を貰いには行けど大学病院の良く知らない信頼出来ぬ医師に相談をしたりはきっとしない。だからこそ、彼が唯一心を許せて居る相手の居る場所__レイクウッドに戻る事が絶対的に良い筈なのに今はそれが出来ない。刑事では無い彼、あの時の屋上での出来事、捕まっていない犯人。もどかしさが襲う中で1つ小さく息を吐き出してから「…その痛みは精神的なものから来てるんでしょうか。…レイクウッドに居た頃は身体の痛みを訴える事がもっとずっと少ない__殆ど無かったと言っても間違いでは無かったと思うんです。ワシントンで今迄以上に身体にも心にも無理が掛かって出た症状なのか、」“或いは何か別の”と言う言葉を一度飲み込んでから「…エバンズさんには私から聞いたって事を内緒にして欲しいんですけど、彼は今刑事じゃないんです。」少しだけ落ちた声色で一言そう告げる。“刑事”で在り続ける事にエバンズがどれ程拘って居たかは昔からの主治医で“あの事件”を知る相手ならば容易にわかる事だろう。そしてその刑事を辞める事になった彼の心理状態もまた同様に。その事も身体の痛みに大きく関わっているのでは無いかと、原因を疑えばキリが無い状態で )
アダムス医師
( ______彼がもう刑事ではない、というのは想像もしていなかった事で思わず言葉を失った。あれほど刑事であり続ける事に拘り、多大な喪失と心の傷を負った事件の後でさえ1人で立ち続けてきた彼が。他の何を投げ打っても捜査だけは離れようとしなかった彼が、まさか刑事ではないなんて。ワシントンの地で何があったのかまでは分からないが、少なくとも一番に懸念するのは彼の体調だった。彼が何を言っても聞き入れて貰えないほどに“強制的な”人事異動だったのだとしたら、既に彼はとっくに限界を迎え、その事が周囲にも気付かれている状態だと考えるのは可笑しな事ではないだろう。『……てっきり、ワシントンでも刑事として働いているものだとばかり。エバンズさんが自ら刑事を辞める事は考えられない、となると…身体が心配ですね、』相手の言葉に同意しつつ同じ心配を口にする。相手の心配を増長させてしまうと一度は躊躇した彼の状態に対する自分の懸念は、真剣に向き合おうとしている相手には話すべきなのかもしれないと思い返し、息を吐く。『……実は、少し懸念している事があるんです。半年ほど前にワシントンでエバンズさんに会った時も、身体に時々出る痛みが辛いと言っていました。診察をした際、心臓の音に少しばかり雑音が混ざったのが気になって。』あの日の相手に様子を思い出しながら言葉を紡ぐ。『ただ、私が診察をした時は、発作を起こした直後でした。それが影響していた事を考えると心配し過ぎるべきではないでしょうが…精神的なストレスから不整脈が引き起こされるケースは実際にあります。今彼が刑事として捜査の第一線から離れている事を思うと、少なくとも体調は良くないのでしょう。きちんと検査をして、適切な管理下で休息を取るべきだと思います、』相手の不安を煽らないよう、穏やかな口調ながらそう相手に伝えて。 )
( 電話の向こう側で相手が息を飲んだのがわかった。「__きっと、とっくに限界なんだと思います。」溢れた言葉は決して諦めや投げ遣りなものでは言うなれば遣り切れなさが滲むもの。そうして続けられた言葉に今度は此方が言葉を失う事となる。鳩尾付近を押さえ痛みを訴える姿を見はしたがまさか心雑音まで症状として現れていたなんて。不整脈は適切な治療を受けなければやがて心不全……酷いと心筋梗塞にも繋がり兼ねない甘く見てはならない症状だ。此方の気持ちを汲み努めて穏やかな口調を心掛けながら話す相手の医師としての見解、意見、気持ちを聞き次の言葉までの間が空く。“適切な管理下での休息”それはつまり、ワシントン本部では無くレイクウッドに戻る事。此処に戻って来て、彼が唯一信頼出来ている主治医である相手の近くで身体も心も休める事だ。「……何が正解なのかわからないんです、」けれど、たっぷりの間を空けて落とした言葉は酷く不安定なものだった。「…刑事じゃなくなった事で身体に掛かる負担は格段に減ったと思います。遺体を見る事も無い、遺族の泣き顔を見る事も無い、心に掛かる負担もまた同じく減った筈。でも__贖罪の為に刑事で在り続けたのにそれが叶わなくなった今、今度は別の…もっと“無”に近い様な何かがエバンズさんの中にあって、次はそれがエバンズさんの心を壊してしまうんじゃないかって。__何が…どの道が、エバンズさんが一番楽でいられるんだろうって考えるんです。…そんなの私が考える事でも無いし、エバンズさんの人生なんだから、エバンズさん自身が決める事だってわかってるんですけどね。」エバンズと離れ、再び再会してまた離れる。その間に様々な事を考えた。ぽつ、ぽつ、と落とした心の内はどれも全て本音で燻り続けたもの。最後だけは少しだけ声に明るさを滲ませ、お節介な自覚はあると1人小さく肩を竦めてから「それでも__幸せになって欲しいんです、誰よりも。」願うのはたった1つ。誰よりも優しく繊細な彼の明るい未来なのだ )
アダムス医師
( 相手の言う通り、彼が無理を押して捜査に当たる事は医師としても見逃せない事で心配が募った。しかし同時に、“身体のことを考えて”という名目だったとしても彼が“生きる理由”にまでしていた物を奪ってしまえば、彼は進むべき道を見失ってしまうかもしれない。そうなってしまえば、彼の心が壊れてしまう可能性も十分に考えられた。『______エバンズさんは、刑事であるべき人だと私は思います。もちろん無理をしてまで捜査に没頭したり、心に負担が掛かる事が分かっている現場に赴いたりする事は許容できません。けれど……刑事であろうとする精神力が彼の軸となり、全てを支えている。それを無理やり奪ってしまっては、心が先に壊れてしまう。』刑事であるべき、だなんて苦しむ彼を前に医師が何を言っているのかと思われるかもしれないが、それが彼の軸になっている事は理解していた。『ワシントンの地は、彼にとっては酷でしょう。十数年では町は変わりません。事件があった時に目にしていたもの、歩いていた場所、ほんの些細な事がきっかけでフラッシュバックが起きる可能性は十分にあります。どれほど心身に負担が掛かるか…私としては、近くでケアが出来るレイクウッドで、非常勤から刑事の仕事に復帰するのが最善だと感じます。』_____本当なら、刑事としてあり続ける必要はないと、もう過去からは解放されて良いのだと言いたいのだが、彼はそれを決して受け入れない事は長い付き合いで分かっていた。 )
( 刑事かそうで無いか。“0か100”で決めるのが何も全て正解では無い。相手の言う通り刑事で在る為に居られる場所、働き方が必ずある訳で、それは紛れも無く此処レイクウッドだ。きちんと検査をして今ある症状を確認し、療養期間を設け、適切なタイミングで非常勤から最終的に刑事に戻る__それはエバンズが何と言おうと間違い無く最善と言えよう。「…エバンズさんが刑事に戻るその時、近くに先生が居てくれる事が何よりも安心出来ます。」ほ、と小さく吐き出した吐息に乗せた言葉は離れて居たとしてもエバンズと相手との間の糸が少しも切れて無い、緩んでもいない事に無意識に安堵したからか。__けれど、この場で自分達の意見が一致した所で“今”エバンズはレイクウッドに戻る選択をしない。刑事で居られない状態なのに本部に残り続ける理由の中の一つに己が絡んでいる事を知っている。「__先生、」と、一度相手に呼び掛ける。「1年程前、まだエバンズさんがレイクウッドの刑事だった頃…私が薬を打たれて数日入院したのを覚えていますか?」あの日、ビルの屋上で恐怖心を倍増させ幻覚を呼び起こす恐ろしい薬を打たれた日の事をまるで昨日の事の様に思い出しながら「犯人は“あの事件”の遺族で、まだ捕まっていません。エバンズさんが此処を離れた理由の一つに、その事が絡んでるんです。本人はそれを理由にはしなかったけど、犯人が捕まってない状態ではきっと戻って来ません。…あの時、私がもっと注意していればって、今更後悔したって遅い事はわかってるんですけど、」思わず口を付いた後半は、相手に言ってもどうしようも無い事。けれど、ずっとずっと悔やんで来た事なのだ )
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