刑事A 2022-01-18 14:27:13 |
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( これが、このささやかな触れ合いが、温もりが、最後だとわかるからこそ相手の肩口に額を押し付ける様にして奥歯を噛み締める。そうしなければ再び“行かないで”とみっともなく縋ってしまいそうだった。「…それは、私の方、」息を整える合間に懸命に紡ぐ言葉は途切れる。「…無理はしないで、もし何かあれば何時だって電話して。朝でも夜中でも、私は少しも迷惑だって思わないから、…それから、なるべくでいいからご飯もちゃんと食べて__、」伝えたい事は山の様にあるのだ。何時もよりも早口で、まるで母親の様に言葉を並べ立てる中、それがお節介だと気が付くと何処か困った様に微笑みつつ顔を上げて。一歩後ろに下がり相手から離れると、泣き出してしまいそうながら、それでも見せた笑顔で「…エバンズさんが直属の上司で、私は幸せでした。」と、この2年間のありったけの感謝と共に頭を下げ、相手との最後の別れを締め括り )
( その後飛行機の時間に向けて執務室を出ると署員から要らないと言った小さな花束を渡され、苦手な拍手を浴びる事となった。“しっかりやれ”とミラーにも別れの挨拶を告げてレイクウッド署を後にしたのがもうかなり前の事になる________
レイクウッドを離れてからの日々は、目まぐるしく過ぎて行った。長く働いていた古巣に戻っての仕事。いざ本部に身を置けば環境に馴染むのは早かった。いくつもの報告書が上がって来ては其れに目を通す日々。人口の多いワシントンでは事件も頻発し、殺人事件の捜査に当たり現場に赴く事も多々あった。都会特有の忙しなさとも表現されるのかもしれないが、仕事に没頭していられる本部の空気感は昔から嫌いではなかった。
---しかし、体調が思わしくない事が増えたのは半年ほど経ってからの事。本部に移動してからは大学病院で薬を処方して貰っていたものの、きちんとした診察を定期的に受けているわけではない。夜中の不眠や夢見の悪さに加えて、日中の目眩や息苦しさにも時折襲われるようになっていた。相談をする相手として思い浮かんだのは、レイクウッドにいるアダムス医師だった。スマートフォンに登録されている名前を暫し見つけて悩んだ後に、発信のボタンを押すと電話を掛けた。 )
( エバンズがレイクウッドを去ってから一ヶ月目迄は物凄い時の流れの遅さに襲われた。頭の片隅には常に相手の存在が在り、集中しなければと仕事に没頭しても執務室の扉が開く度有りもしない希望が頭を擡げた。その部屋から出て来るのは、遠くの町から赴任して来た新しい警部補だと言うのに。給湯室で相手の分のコーヒーも、と考えた時には思わず自分の未練がましさに苦笑いしたものだ。
___相手が去ってから二ヶ月後、レイクウッド近郊の比較的治安の良い田舎町で爆弾事件が起こった。犯人は逮捕出来たものの、1人の幼い少女が犠牲になった。被害者となった姉妹はそれぞれ身体に爆弾を巻き付けられ、爆弾処理班数名と、幼い姉妹を安心させる為にそこに残ったミラーは、先ず妹の爆弾を解除出来た事に安堵したのだが、次は姉の方を…と言う所でタイマーが作動したのだ。残り時間は数十秒。耳に付けた無線からは退避命令の怒号が聞こえ、為す術が無かった。妹の方だけでも助けられたのは奇跡だと、そう労われたが、その事件を切っ掛けにミラーの中で何かの糸が切れたのは確かだった。__その後、本部からクレアが休暇で訪れ、他愛の無い話をし、“何時も通り”笑顔で別れたのが最後。その間、エバンズからの連絡も無く、何故かミラーが電話を掛ける事も無かった )
( __ふいにスマートフォンが着信を知らせ、画面を見るとそこには“アルバート・エバンズ”の名前。余りに珍しい人からの電話に一瞬明日はサイクロンでも来るのでは、と医師らしからぬ事を考えたアダムスだったが、直ぐに通話ボタンを押すなり『…エバンズさん、どうしました?』と問い掛けつつ、電話口から聞こえる僅かな呼吸音に異変が無いかを聞き分ける為集中し )
( レイクウッドでの事件については注視していたもののその事件について詳細を知る事は出来ず、本来相手に危害が加わる事がないようにという思いで離れた以上此方から連絡をする事もなかったため状況は知らぬままだった。---電話に出たアダムス医師の第一声に「…突然連絡して申し訳ない。少し相談したい事がある、」と告げて。「______ここ半年程は薬の効きも良かったんだが、此の所余り調子が良くない。夢見が悪くて眠りが浅い所為か、日中にも支障が出て困ってる、…目眩や息苦しさを軽減したいんだが、何か対策は出来ないか?」と尋ねて。普段であれば病院を受診して直接相談する所だが、レイクウッドの病院に行くのは容易では無い。新しく薬を処方して貰うにしても、相手の見立てを大学病院の医師に伝える方が安心だと思ったのだ。今過呼吸に苦しんでいるという様子ではないものの、呼吸には少しばかり苦しさが混ざり、声のトーンは全体的に普段よりも疲労が感じられるもので。 )
アダムス医師
( 珍しい相手からの電話は、これまた珍しい内容だった。どんなに体調が悪くても“自分の事”であるならば電話など掛けて来る事も無い筈なのに。声に滲む疲労感からそんなにも容態が悪いのかと表情は険しくなり、手元にある手帳を開くと告げられた不調を走り書き。『__薬の効果が少し弱まってる可能性も考えられますね。同じ薬を長く服用し続けると、どうしたって身体が慣れてしまいます。…強さはそのままで、少し種類を変えてみるのも有りですが。…本来なら直ぐ様子を見たい所なのですが、今ワシントンに居まして。明日以降時間を空けられそうなら一度病院に来て下さい。直接様子を見て診断をしたい、』2日前から短い出張で此処ワシントンに来て居た。まさか相手も同じ所に居るとは思わない為、そう言葉にして )
( 長く同じ薬を服用すると効果が弱まるという言葉には納得できた。実際レイクウッドを離れてからは同じ薬を処方して貰うばかりで、半年以上其れを服用しているのだから。相手がちょうどワシントンに居るタイミングだった事には驚いたが、そうして続いた言葉に相手にきちんと異動の事を話していなかった事に気付く。「_____報告をしていなかったな。半年前に、レイクウッドからワシントンの本部に移った。今はワシントンに住んでるんだ、病院には顔を出せない。」と説明して。 )
アダムス医師
( 病院嫌いの相手だが、こうして電話を掛けて来たと言う事は“行きたくない”と逃げ回る状態でも無いのだろうとの見解での言葉だったのだが、そもそも気持ちの問題では無く物理的な距離の問題で病院に行く事が出来ない状況だとは思わなかった。“あの事件”を目の当たりにして体調を崩す事となった場所にもう一度戻るだなんて。レイクウッドに居た時は発作の起きる回数も減った様に思えてたし、何より側に居たミラーには相手自身心を開けていた筈だ。僅かに吐き出した息の後『__少し話をしませんか?』と、提案する。驚きに言葉を紡ぐ時間が掛かったのだが、良いか悪いか今相手と自分は同じ所に居る。泊まっているホテルも本部から比較的近い位置にある為、今日これからの時間互いに空ける事が出来れば体調を見る事も可能なのだ。『本部の近くにレストランがあったでしょう。そこで夕食でも、』片手でネクタイを外しつつ、果たして相手はこの提案を受けるか。再度デスクに置かれている時計を一瞥して )
( 心に負った傷の元凶とも言える場所に戻る事を自分の口から彼に伝える事に、一切の気不味さがなかったと言えば嘘になる。それでも自身の不調について相談をするなら矢張り相手だと思い電話を掛ける事を決断したのだ。---電話口から聞こえた相手の提案は思いがけないものだった。同じ場所にいる今だからこそ、直接会って話が出来るというのは分かるのだが。「…医師と患者がディナーか?」と怪訝さを全面に押し出した返答をしたものの、相手と直接話ができる機会というのは今後多くはないだろう。この機会に会って話をしておくのも良いかもしてないと思えば「_____分かった。20時半くらいになりそうだ、其れからでも構わないか?」と尋ねて。 )
アダムス医師
( 見えなくとも相手が怪訝な表情を浮かべたのだろう事は電話口から聞こえる声色でわかった。確かに医師と患者がプライベートでディナーを共にすると言う話は余り聞かぬ上に、自身もこれ迄患者と2人きりで食事をした事は無い。けれど相手はある意味“特別”だ。『あそこは美味しいらしいですよ。』と、答えになっていない答えを僅かな笑みと共に返して。断られる可能性も十分にあった誘いだったが、この先の距離の事を考え今を逃せば、と言う思いになったのだろう、了承の返事が来れば『えぇ、勿論。…では、また後程。』相手の空ける事の出来る時間帯で構わないと頷きつつ一度電話を切り。__時刻は20時半少し前。先にレストランに到着し中に入るも、相手の姿はまだ無い。入口付近が見える窓際の席に座り、メニューを持って来たウェイターに人を待っている旨を伝えた後は、窓の外を通り過ぎる車や人を何となしに見詰めていて )
( 夕食の約束があるというのは自身にとっては珍しい事だった。仕事を終わらせて署を出ると、本部から程近い場所にあるレストランへと向かう。店に入ると窓際の席に見慣れた姿があるのに気付き、待ち合わせだと伝えてテーブルへと歩み寄った。「悪い、遅くなった。」と、約束の時間に少し遅れた事を謝罪しつつ席につくと、診察室意外の場所でこうして向かい合う事は無かったと思い「…外で会うのは違和感があるな、」と告げて。今は落ち着いているのか苦しげな様子は見られない。ウェイターが持って来たメニューを受け取り開くと「食事は任せる。」と、相手の嗜好に合わせる事を伝えて。 )
アダムス医師
( 暗い夜道、車が行き交い街灯の下を暖かそうな上着に身を包む人達が足早に過ぎ去る。比較的田舎であるレイクウッドとは違い此処ワシントンは彼方此方に都会の色が見える。__カラン、と扉を開ける際に鳴るベルの音が店内に響き、其方を見れば待ち人である相手の姿が。目前に座り開口一番紡がれた謝罪に穏やかに微笑んでは『私も今さっき来たばかりですよ。』と、首を振り。向かい合う相手の顔色はそこまで酷いものでは無く、言葉の端々に苦しげな呼吸音も感じられない。“今は”まだ落ち着いているのだと判断し開かれたメニューに視線を落としたまま『本当に。…けれど、外でなら会ってくれる事がわかりました。』先ずは肯定を。けれど続けた言葉は、来いと言ってもなかなか病院に現れない相手に向けた少しの意地悪と珍しい揶揄いが含まれていて。メニューには“有機栽培した野菜”を推す文字がでかでかと主張をする。ペラペラとページを捲り、丁度戻って来たウェイターに『…この野菜たっぷりの煮込みハンバーグを2つ、』と、野菜も摂れ、尚且つ確りと肉の栄養も摂れる食事を頼み。軽い会釈と共にウェイターが去ったのを確認した後相手に視線を向けると『…驚きました。此処に来てもう半年だなんて、』先程電話で少し聞いた報告を話として持ち出して )
( 注文する料理を決めるという作業を相手に任せると、メニューを閉じてグラスに注がれた冷えた水を飲む。“外でなら”という言葉には相手らしからぬ皮肉が込められていて「______そうだな、此処ならいざという時逃げられるだろう。」と、まるで隙あらば相手が自分を病院に幽閉しようとしているかのような言い方で返事をして。洒落たレストランで彩りの良い野菜を頼む人間を自分はもう1人知っていると思いながら、相手がメニューを閉じるのを見ていた。「…あぁ、気付けばもう半年だ。レイクウッドには長く留まり過ぎた、」目の前に仕事をこなしているうちに、あっという間に季節が進んでいたというのが正直な体感。本部に戻るには適切なタイミングだったのだと答えて。「ワシントンに出張だなんて、医者が珍しいな。」相手がレイクウッドを離れている事も珍しいと続けて。 )
アダムス医師
__私がそんな危ない人に見えているのなら、仕事のし過ぎですね。
( 此方の軽い皮肉に返って来たのもまた皮肉。何時だって相手はこうして皮肉を口にし病院も、治療も、入院も嫌がる。けれど調子の悪さを抑える薬は欲しいと__全く以て“厄介な患者”ではあるのだが見放す気はさらさら無いのだ。相手と同じ様にグラスに注いだ水を一口飲み『…何だかんだでずっと居るんだと思って居ましたが、矢張り此処で働くのが良いですか?』傍から見た感じではあの場所で、ミラーの隣で、この先も長く長く続く日々を過ごして行くのだと勝手に思って居ただけに“長く留まり過ぎた”と言う言葉は少しの違和感を覚えた。深く踏み込み過ぎる事はしないものの、今一度問い掛けて。話が此方に移れば少しだけ笑みを浮かべ『医者同士の会合ですよ。正直な所、喜んで出たいものではありませんが…これも仕事と言う事で。』少しだけ声を潜めた返事を。そのタイミングでウェイターが湯気のたつ煮込みハンバーグを2つ持って来た。それぞれの目の前に置かれたそれは素揚げされた野菜が沢山入っていて、ハンバーグも肉厚な俵型。ロールパン2つと小皿に入ったこれまた有機栽培のサラダも一緒に付いて来て )
( どうやら相手も、病院を出ると饒舌に“人間らしく”なるようだ。相手の言う通り、望まぬ異動ではあったもののレイクウッドは比較的気に入った町だった。ワシントンの本部と比べると静かで穏やかな町、署の規模としても人が多過ぎる事も、かと言って人手不足に悩む事もなく働きやすい場所だった。「…ひとつの場所に長く留まっていると、所謂“招かれざる客”も集まって来るだろう。」其れは記者であり、自分に恨みを持つ者であり_____そう言った輩を引き連れている以上、定期的に環境を変えなければコントロールが効かなくなる。ミラーの件を打ち明けた訳では無かったが、今回の異動に少なからず周囲への影響を避けたいという思いがあった事は認めて。運ばれて来たのは野菜がたっぷりと入った料理とサラダ、ロールパン。自分にしてみれば随分と豪勢な夕食で、暫し湯気の立つ皿を眺めていたものの「……医者らしい夕食だな、」と、栄養素や健康を気にする医者のイメージ通りの選択だと偏見を。「会合なら、場所は直ぐそこの大学病院か?其処の医者に薬の処方だけ頼んでる、」本部に程近い場所にある大きな大学病院で定期的に薬を出して貰っている事を告げた。精神的な要因が絡んだ症例については相手のような専門の医師が居ないらしく、少し離れた病院に行かなければならない為診察は受けていないのだと。 )
アダムス医師
( 相手の言う事は最もだった。“そう言う事”に執着する人間達は此方が想像もしない様な驚く程の嗅覚で群がる。__あの日、ミラーの身体から薬物を抜く処置をしながら彼女も“招かれざる客”の被害を受けたのだろうと直感的に思っていた。そうして今回の本部への異動の“詳細”をきっとミラーには伝えていないのだろうとも。軽く頷き言葉を肯定しつつ、小さくちぎったロールパンを咀嚼してから『…無責任に聞こえるかもしれませんが、私は貴方も、ミラーさんも、何方もが“望む”場所で幸せになって欲しいと思います。』微笑みを携えた、それでいて口調はとても優しく真剣なそれ。“望む場所”は言葉通りの国や州の話では無い。“誰の隣”か、ではあるのだが懸命に周りを巻き込まんとしている相手の心には今はまだ上手く届かないだろうと思えば直接的な言葉は避け。__濃厚ながら後味のスッキリとしたデミグラスソースを絡めて食べるハンバーグは絶品だった。野菜も程良い食感が残る柔らかさで美味。『デザートはチョコと生クリームのBIGパフェにする予定なのですが、』あからさまな医者への偏見にはニコニコとした笑みのままに、本気か冗談か、そんな戯言を紡ぎつつ。『えぇ、そうですよ。…本来なら薬を処方するその都度診察は受けてもらいたい所なのですが、専門的な医師が居ない以上どうしたって難しい。…今回の様に、薬の効果が弱まっている可能性がある中で同じ薬を服用し続ける事は、エバンズさんの心にも身体にも負担になります。』専門的な医師不足は深刻な問題でもあると、少しばかり眉を寄せ。それから少し考える間を空ける。『……食事の後、部屋に来てもらう事は可能ですか?そこでなら少しの診察は出来ます。』一つの提案は、場所を変えるもの。相手の返事を待つ時間、グラスの水を一口飲んで )
( “望む場所で幸せになる”______相手の紡いだ言葉は、酷く難しい事に感じた。自分が“何処で”生きて行くか、何が幸せなのか。其れを探るのは容易な事ではない。普段からあまり量を食べる方では無く、少しの不調を引きずっている為全てを食べ切る事は出来なかったものの、十分な栄養は摂る事が出来ただろう。パフェ、という単語が目の前の相手から出るのは違和感があり「…ヨーグルトかフルーツしか食べない訳じゃないんだな、」と告げておき。この後の相手の提案に少し目を瞬かせると「構わないが……良いのか、仕事でもないのに。」と答える。学会で来ているのに診察まで提案してくるとは、相手もまたかなりのお人好しだ。 )
アダムス医師
( 案の定相手は言葉を返して来る事は無かった。自分自身が何処に居たいのか、何をしたいのか、そう言った“気持ち”に酷く疎い__否、望む気持ちに蓋をし続けた結果、“本当”がわからなくなってしまっている。そんな印象をずっと感じていた。加えて相手は“幸せになる”と言う事を当たり前の様に選択肢から除外する。大勢の人達を、妹を、救えなかったそんな自分が幸せになどなって良い筈が無いと。“あの事件”は決して相手のせいでは無い。確かに大勢の犠牲者を出したが罪を償うべきなのはあの時あの場に居た犯人ただ1人。その事をきっと相手の近くに居る人達は何度も何度も言い続けて来ただろう。けれどその場で事件を担当した相手はそんな簡単に気持ちを切り替えれるものでも無いし、割り切れるものでも無い。だからこそ誰でも無く“相手自身”が“自分を許す”事が必要なのだ。それ以上多くを語る事はせずに『実は何方も余り好んでは食べないんですよ。』と、これまた嘘か本当か。結局パフェの話をしておきながらデザートを頼む事はしなかった。少しばかり__否、結構突拍子も無い提案に返って来た答えは控え目なYES。此方の様子を伺う様な雰囲気に『このまま貴方を診ずに帰ったら、その後が気になって仕事も手に付かなくなります。』あくまでも此方が診たいのだと言う事を滲ませつつ、『…しかし、今日診たからまた後一年後で構わない、なんて話にはなりません。少なくとも一ヶ月に一度はきちんと医者に診て貰わないと。…隣町まで足を運ぶ事は難しいですか?』隣の街の病院にならばカウンセラーを兼任する医者が居る為、本来定期的にそこまで行って欲しい。けれど、そもそも同じ街に居たって病院に来なかった相手が態々ある程度の時間を掛けて診察を受けに行くとも思えずに )
( 普段であれば、食事の帰りに診察をして体調を確認したいと言われても必要ないと突っぱねて居ただろう。唐突なその提案を飲む気になったのは、ワシントンに来てからというものきちんと身体の具合を診てくれる医者が近くに居ない為貴重な機会だと思った事と、薬の処方などについて相手の判断を仰ぎたいと思う程度には調子が良くない日が続いていたからだった。しかし定期的に隣町の病院まで足を運ぶべきだという相手の言葉には顔を顰める。「そこまで暇じゃない。毎月隣町まで行くのは面倒だ、」と拒否して。食後に頼んだホットコーヒーを飲みつつ「精神科はこの辺りに幾つもクリニックがあるが、あの空気は好きじゃない。」と不服そうに、あくまで精神科単体のクリニックには掛かりたくないと告げて。 )
アダムス医師
( この食事の後の診察には応じてくれるものの、定期的に病院には行きたくないと言われてしまえば、案の定考えていた通りの返事に思わず苦笑し小さく肩を竦め。『そう言われると思っていました。』こうなった相手はテコでも動かない。“面倒”を高々と掲げ、ならば数ヶ月に一度なら…と言った妥協案すらも頑固な迄に口にはしない筈。__逃げ回る相手を彼女ならば、と脳裏に過ぎったのは紛れも無くバディとして多くの時間を共にし自分自身も信頼の置けるミラーの姿で。相手がコーヒーを頼んだ時に一緒に頼んだのは茶葉の味が濃く染み出たダージリン。ミルクも砂糖も入れる事の無い紅を啜り、考える事数十秒。『…医者に診てもらえとは言いましたが、居心地の悪い所に長く居座るのは良くない事です。とは言え、貴方にあった薬を処方しなければならないのは絶対。…少なくとも一年に一度は此方で学会があります。回数的には全く足りていませんが、その時は例えどれだけ忙しかったとしても私と会って様子を確認させて欲しい。』かなり、とてつもなく妥協した案を伝える。“それから”と、続けた先、まだ要求はあるらしく『もし万が一薬が変わった時は飲む前に電話を下さい。大学病院の医師を信じていない訳ではありませんが、“強い薬”を飲めば良いと言う程貴方の症状は簡単じゃない。』真剣な表情で相手を真っ直ぐに見据え、何時かの日、普段服用しているものとは違う薬を飲んだ相手の身に何が起きたかを覚えているからこその忠告を )
( いつも自分からしてみれば大袈裟なほど受診や静養を促してくる相手の事。何が何でも医師の診察を受けるように、と言われるかと思ったものの相手は妥協案を示してくれたようだった。「…学会の度に俺の診察もセットじゃ、業務が立て込み過ぎだ。」と、相手の言葉に対してYesともNoとも答えずにそうとだけ言って。薬については有難い提案だった。医師によって自分の状態をどう診断して、どういう目的で薬を処方するか分からない。身体に合わない薬や必要以上に身体機能を低下させるような薬を避ける為にも、薬が変わった時には電話をする事を約束して。---そろそろレストランを出ようと相手と共に席を立った時。不意に視界が大きく揺らいだ気がして、一瞬テーブルに手をつく。特段自分の行動に言及する事はなく、小さく息を吐き出すと身体を立て直した。 )
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