刑事A 2022-01-18 14:27:13 |
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ルイス・ダンフォード
( 勧めておきながら、グレイビーソースのたっぷり掛かったローストビーフを一枚フォークの先に刺しモグモグと咀嚼した所。ラインナップの話題に口内のそれを飲み込んだ後『葉っぱじゃ腹は膨れねェよ。お前もちゃんと肉食って栄養付けねェと、また倒れるぞ。』と、“サラダ”を“葉っぱ”と、そうして今回倒れたのは栄養云々の話では無く毒を摂取した事によるものの筈が、まるでお構い無しの適当さを披露しローストビーフの惣菜を相手の目前に移動させ。そこでふと思い出した様にフォークを置くと『…そう言えばな、』一度身体の向きを変えソファの端に置いた鞄を開け『…何かのキャンペーンだったのか、店の人がくれたんだ。新商品らしいが、俺にはアルコールが低すぎる。』取り出したのは缶ビール。“気が向いたら飲め”と、付け足しつつその缶も相手の方に押しやり。__簡単な食事を進めていく中、唐突に相手が口にしたのは“応援の頻度”の話だった。少し考える素振りを見せ、確かにそう言われると此処最近は結構此方に来ていると思えば『言われてみればそうだな。…まぁ、俺は此処の署が気に入ってるから問題ねェよ。お前が一から育てた嬢ちゃんの捜査のやり方も見れたしな。』初めから終わりまで、心底楽しいと言いたげに口角を持ち上げ、その瞳に少しの柔らかさを滲ませて )
( 香草やレモンの乗ったチキンのオーブン焼きをひと口サイズに切り分け口に運びつつ「栄養失調で倒れた訳じゃありません。」と言い返す。相手が取り出したのは缶ビールだった。その言葉に少し首を傾げつつ缶を受け取ると「…アルコール度数が低いなら、飲んでも問題無さそうですね。」と答えてそのままプルタブを開けた。病み上がりにアルコールというのは褒められた事ではないだろうが“アルコールが低い”というのなら少しくらいは許されるだろう。炭酸が抜ける独特の音を聞くのは久しぶりな気がした。「ダンフォードさんはワインでも飲みますか?ありますよ。」と言いながらグラスを取りにキッチンの方へと向かい。「俺が育てたというのかは分かりませんが…捜査の基本は叩き込んでるつもりです。使い物にならなくては困りますから。____ダンフォードさんから見てミラーはどうでしたか。」相手の目にミラーの働きぶりはどう映ったのだろうと、気になった事を尋ねて。 )
ルイス・ダンフォード
( 相手の至極真っ当な返しにもただ豪快に笑うだけ。推しやったビールはそのまま冷蔵庫へと消えると思っていたが、どうやら病み上がりの状態にも関わらず今飲む判断をしたようで、炭酸の抜ける耳心地の良い音が部屋に響いた。“アルコール度数が低い”とは言っても“自分にとっては”で、お酒である事は変わらないのだが、まぁ、一本飲んだ所で身体に何か支障をきたすわけじゃあるまい。特別咎める事もせず『お、なら一杯飲むか。』と、頷いて。__ミラーを教育した刑事がもし相手じゃなく別の人だったら。何がどう変わっていたのかを想像出来る程ミラーの事を詳しくは知らないが、2つの事件を同時に解決に導いたその根性は相手が以前お酒の席で言っていた通りなのだろう。『…荒削りな部分もあるが、真っ直ぐな刑事って印象だな。変に臆する事も無く、最後まで捜査をやり切れる強さもあるが、』そこで一度言葉切ると、軽く視線を相手に流し『少し感受性が強い様だ。悪い事じゃないが、その分心が疲弊するのも早いだろう。…お前もわかっていると思うが、長く刑事でいるとどうしたって“割り切り”が必要な事件が出て来る。それに直面した時、嬢ちゃんがどう行動出来るか、どう持ち直す事が出来るかがある意味課題になりそうだな。』何処と無く真剣味宿る声色でそう分析をしつつ、出してくれたワインに口を付けて )
( 相手にとってアルコールが低い、という言葉を敢えて都合良く解釈して今飲む理由にしただけの事。差し出された缶ビールを見て少し飲みたくなったのだ。グラスに赤ワインを注いで相手に手渡すと、自分も軽く缶を持ち上げて相手の方へ傾けつつひと口飲んで。---相手の語ったミラーの刑事としての姿は、2年も共に働いている自分の見立てとほぼ完全に一致していた。長年新人刑事の指導教官を務めていた相手だからこその分析力だと思いつつ「______さすが、分析が的確ですね。」と感心を素直な言葉に落として。「事件の解決を見据えて捜査を遂行する熱意や集中力は備わっています。時々、その気持ちが強すぎるあまりに一人で突き進もうとする癖があるので、客観的な視点で冷静に状況を分析して道を選ぶ必要性を教えている所ですが…度胸があって刑事事件の捜査には適性があるかと。」上司としての評価を述べつつ、相手の言葉には同意を示した。「懸念しているのは正に其処です。刑事事件、主に殺人事件の捜査を専門に請け負うには感受性が高すぎる。全ての事件に心を痛め、被害者や遺族に感情を引っ張られすぎると正しい目で事件の本質を見られなくなる上、本人の心が保ちません。ミラーを殺人事件の担当刑事にする事には不安が残ります。」直属の部下として育てている立場だからこその懸念を言葉にして。 )
ルイス・ダンフォード
( 一口しか飲んでいないアルコールがまさか効果を発揮した訳じゃあるまい。2人に贈られるやけに素直な称賛の言葉、それを音として発したと言うその事に珍しい事もあるものだと僅か口角持ち上げ。__『嬢ちゃんにとって“客観的”も“冷静”もなかなか難しい事なんだろうな。心が揺れる状況に立たされた時、それが強く出る。…ベラミーの聴取の録音はもう聞いたか?俺には何の話だったかわからねェが、直接目にして無くてもわかる程の怒りだった。』今回ミラーが最も冷静じゃなかった──抑えきったからある意味では冷だったのかもしれないが──のは相手を悪く言われた時。それを思い出しつつワインをまた一口煽り、“度胸”の点には頷いて。『二つの捜査の同時進行、犯人の尾行、…“忍び込み”も度胸があったからこそだな。』最後だけは少しだけ面白がる素振りで相手の反応を伺い。続いた懸念事項には表情を真面目なものに変える。『__壊れてからじゃ遅いが、こればっかりは本人の意思だからな。』ぽつり、落としたのはミラーの話なのだがその裏には少なからず相手の話も含まれている。『…だが、』と、繋いでから表情を緩めると『そこがある意味嬢ちゃんの“良い所”なのかもしれねェな。…多くの殺人に向き合うと悪い意味で慣れちまうが、嬢ちゃんはきっとそうじゃない。それで心は疲弊して、事件の本質を見れなくなる事もあるだろうが、そこは周りがサポートしてやりゃいい。』誤解されやすいが、何だかんだで確りと人の事を見て必要な時に手を差し伸べる事の出来る相手が傍に居るのならば、きっと心配は無いと根拠の何も無い自信が密かにあり )
( 聴取の音声は未だ聞いていなかった為、相手の問い掛けには首を振る。単純に署に出勤できていない事と、取り寄せてまで聞くには内容的にも未だ気が乗らなかったというだけの理由なのだが。いつだったか、クラークの聴取の最中に自分が使い物にならなくなった時、残されていた録音でミラーが酷く怒りを露わにした事を思い出す。相手から何も報告がないと言うことは、今回は怒りを行動に移す事はなくあくまで冷静に対応したのだろう。「_____聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしますが、ミラーに違法な捜査を強要したりしていませんよね。」“忍び込み”というワードに僅かに眉を動かすと、相手に限ってそんな事はないと思いながらも被疑者の家に忍び込ませたりと言った違法な捜査に手を染めていない事を確認して。相手の言う通り、ミラーは自然と周りから手を差し伸べられサポートを受けながら育って行く事が出来るだろうと、ふと思った。きっと、相手なら自分が心配しなくても大丈夫だろう。「…そうですね。」と答えて、缶ビールを口にしつつ惣菜を摘んで。 )
ルイス・ダンフォード
終わった捜査だ、聞かなくたって構わない。
( 未だ聴取の録音を聞いていないならば、無理に聞く必要は無い。報告書は書き上げているし、口頭での報告も既に警視正には済ませている。警部補と言う立場ならば確認しておくべきなのかもしれないが、相手の心を思えばそれは適切では無いと思うのだ。__グラスの中で揺れる赤を見詰め息を吐き出した時、ふいに隣から疑いの視線と問い掛けが来れば面白そうに声を上げ笑い。『同意の上だ。』“忍び込み”をにおわせたのはミラーからなのだがそこは取り敢えず伏せつつ、『総務課のフロアに少し邪魔しただけだよ。違法な事は何もしてねェ。』問題など何も無いとばかりに。それで相手が納得するかしないかはこの際だ、何せ終わった事。次いだ同意の返事には相手に視線を向け一拍程の間を置き、何を思ったか伸ばした手は相手の頭へ。『…お前が困った時は、俺がちゃんと助けてやるからな。』そのままワシャワシャと雑な手付きで撫で回せば、何時の間にか話はミラーから相手に移っていて )
( きっかけこそ逆恨みに等しいものだったが、周到に毒殺を企てるほど恨みを募らせ、あの事件の事を引き合いに出したという男。彼女が其れにどう対応したのか、被害者として、同時に上司としても確認しなければならないという思いがあった。総務課のフロアへの“忍び込み”_____ひとまず違法な捜査でなかった事に安堵しつつ、細かく手順の設けられた総務課の事務的な手続きを待っていたら捜査が一向に進まないという苛立ちも分かり、それ以上は言及する事なく軽く頷いて。「俺はもう、助けて貰うような年次でもありません。」と、髪を乱されながらも答える。もう相手の手を煩わせるような新人ではないのだから、きちんと一人で対処しなければ。しかしその気持ちは有り難く力強く感じられるもので「……気持ちだけ頂きます、」と答えて照れ隠しかのように缶ビールの中身を呷って。 )
ルイス・ダンフォード
関係無ェよ。新人だろうがそうじゃなかろうが、お前はお前だ。…人は何時だって誰かに助けられながら生きてるだろ。
( 勿論人を選んで助ける・助けないを決める訳では無いが、相手の存在はある意味特別だった。ジョーンズは相手と同じく新人の頃から育てた可愛い部下で、もし彼女の身に何か起きた時だってどんな手を使ってでも助けるが、相手と彼女で唯一違いがあるとすれば__。ジョーンズは助けて欲しい時にきっと言葉にしてくる。“助けて”と素直に言えるが果たして相手はどうだろうか。ギリギリ迄たった1人で奮闘し、耐え抜き、周りがその事に気が付いた時にはもう既に最悪の結果になっている可能性が高いのだ。相手の目前にある障害の何もかもを事前に排除、なんてお節介を焼き幼子の様に扱うつもりは無いが、なるべく苦しんでほしくないし、手遅れになる前に助けてやりたいと思うのが素直な気持ちで。もう一度、今度は先程よりもゆっくりめに髪を撫でた後手を引き、その手でワインの残るグラスを掴むと中身をいっきに飲み干して。『__さてと。元気そうな顔も見れたし、俺はそろそろ帰るとするか。残りは全部食べろよ。』空のグラスをテーブルに置き、些か多い気もする残りの惣菜を全て相手に託すと、後はゆっくり休ませるかと立ち上がり )
( 相手は、自分が警部補になった今でも新人の時と何も変わらない接し方をする。子ども扱いしなくて良いと言っておきながら、時にそれが心地良くもあるのだ。---相手とささやかな夕食を楽しんだ少し後、ダンフォードは応援の期間を終えて署に戻って行き、自分も数週間ぶりに職務に復帰した。そして更にその数ヶ月後________少し前に捜査を終えた事件の報告書を纏めるため、その日は遅くまで署に残っていた。相手が証拠品などの捜査資料を作り、自分は別の刑事から上がってきた報告書と並行して目を通す。気付けば23時を回っていて、息を吐きつつ一度肩を解す。静かな刑事課のフロアに電話の音が響き顔を上げると、相手が電話を取ったのだろう、すぐにその音は鳴り止んだ。この時間に掛かってくる電話と言うのは緊急の要件の事が多いため、どう言った内容だろうかと立ち上がり部屋を出ると、電話をしている相手の方へと視線を向けて。 )
( __とある事件の証拠品の資料作りに目処が着いた事で、日付を跨ぐ前に署を出られるかもしれないと言う細やかな期待が胸中に広がった調度その時。静まり返っていたフロアの中でやけに大きな響きとして電話が鳴れば、反射的に弾かれた様に手は受話器へと伸びていて。電話口から聞こえた声は女性。スーパーの隣に位置するビルの屋上で人の叫び声や銃声の様な音が聞こえたとの事。執務室を出て来た相手と目が合い、左手で適当な紙の端に“叫び声、銃声?”と、走り書き見せた後「直ぐに向かいます。」と、告げて電話を切り。「防弾ベスト持って来ます。」走り書きのメモで相手には急行する事が伝わっただろう、パソコンをシャットダウンし足早に2人分の防弾ベストを取って戻って来ると、その一着を相手に渡しつつ現場まで車を走らせて )
( 相手の走り書きのメモを見ると直ぐに緊急の通報だと判断し、相手が電話を切る前に一度部屋に戻り上着を掴む。途中手渡された防弾ベストに腕を通しつつ車に乗り込んで。---到着したビルは既に消灯しており中に人の気配はないが、屋上で叫び声と銃声が聞こえたと言う。「気をつけろ、屋上だと逃げ場がない。」と、相手に声を掛けると屋上へと向かい。屋上も暗く、通報があったにしては静か過ぎると言うのが直感。自分が刺されたあの日を思い出すには十分な状況だった。「気を緩めるな、」と囁くように相手に告げつつ、相手を一歩後ろに控えさせて拳銃を手に歩みを進めた。 )
( 細く吐き出される息も、廊下や階段を進む足音すらもやけに大きく響く気がする静寂の中、忠告の言葉に小さく頷くだけに留め身を切り裂く様な緊張感を纏い相手の斜め後ろを静かに進み__出し掛けた右足が止まった。背後に人の気配を感じ、声を出すよりも先に首筋に“何か”を当てられたとわかった時には既に身動きがとれない様に羽交い締めにされた後。吹き抜ける冷たい風も感じられない。ただ、鼻腔を擽る整髪料の様な香りだけが酷く強く残った。__『銃を捨てろ。』ミラーを後ろから羽交い締めにしたのは中年の男性。その隣には男と同じ歳くらいの小柄な女性が立っていた。男の右手には何やら液体の入った注射器が握られていて、その針はミラーの首に刺さるかどうかと言うギリギリの所。後少し力を入れれば薄い皮膚を簡単に貫通し、その下の筋にまで届くだろう。女性は何も言わない。ただ、エバンズを真っ直ぐに見詰める瞳には深い絶望が宿っていて )
( 風の音しか聞こえないような静けさの中だったからだろうか。不意に、背後にいる相手の動きが不自然に止まった気がした。同時に僅かな物音が聞こえれば反射的に銃を構えつつ振り返る。「_____っ、」思わず絶句したのは、想像もしていない光景が広がっていたから。相手は背後から男に羽交締めにされ、首筋にはあろう事か注射器を突き付けられているのだ。その隣には暗い瞳をした女性の姿。注射器の中身が何か、知る由もないがこの状況では危険な物に違いなく、打たせてはならないのは確か。相手の名前を呼ぶことさえ出来ないままに、銃を捨てろという命令に抵抗する事もせず手にしていた拳銃を地面に放ると、重たい金属の音が響いた。両手を上げ一歩下がりつつ「______彼女を傷付けるな。」とひと言告げて。 )
( 吹き抜ける風の音よりも、自身の心臓の音よりも、固い地面に落ちた拳銃の重たい音は大きく響いた。相手が所持している銃は今放ったやつのみだと言う事は知っている。つまり丸腰の状態だ。何方かに拳銃を向けられても対抗する手段が無いのだ。もっと慎重に周りを見るべきだった。もっと__。薄く開いた唇が“エバンズさん”と相手の名前を呼ぶよりも先に、首筋に極僅かな痛みが走った。思わず息を飲み身体を強ばらせるがその後に続くものは無く、恐らく針の先端が少しだけ皮膚を突き抜けたものによる痛みだと、頭の何処か、やけに客観的な自分が分析する。__相手の言葉に男は頷く事も、首を横に振る事もしなかった。ただ一言、『だったらそこから飛び降りろ。』と、相手の背後の闇を顎でしゃくる様に示して。__絶句したのは今度は此方の方。この男は何を言っているのだ。「っ、無視して!」首筋の注射もお構い無しにそう声を張れば、それに被せる様に至近距離で『黙れ!!』と男の怒声が響き、鼓膜が乱暴に揺さぶられ )
( 飛び降りろ、と言う言葉に思わず指し示された先に視線を向けるが、遠くに町の明かりが見えるものの闇が広がるばかり。当然此処は屋上で飛び降りようものなら待ち受けるのは間違いなく死のみだ。その要求を受けて初めて、此れが恐らく自分を標的にした、自分に対する恨みを持っている人間による犯行だと気が付いた。矛先が自分なら尚更、相手が巻き込まれるべき事件ではない。「______待ってくれ、話を聞かせて欲しい。目的は何だ。望むのは、俺の“死”か?、」両手を上げたまま、目的を尋ねる。今撃たれたら応戦する術はない。同時に相手の首筋ギリギリの所に突き付けられている注射器もまた、刺されてしまえばどうする術もないのだ。犯人を刺激しないよう考えながら言葉を紡いで。 )
( 相手と同じく己もまたこれが“衝動的な事件”では無かった事に気が付いた。そもそも最初から悲鳴も銃声も無かった、恐らく自分達__相手を此処に呼ぶ為の口実で、署に電話を掛けて来たのは男の隣に佇んだままの女性だろう。相手に対する恨みで嫌でも一番最初に浮かんでしまうのは“あの事件”だ。そうと決まった訳では無いものの、思わず一度固く瞳を閉じ。__“望み”を問われた男は冷めた目で相手を見詰め『確かに死を持って償って欲しいとは思うが、』と冷静な口調と共に頷くも、途中で言葉を切る。そして再び口を開くと『それ以上にもう一度思い出して欲しい、あの時の絶望を。お前は“また”救えなかった。』言葉尻に嘲笑を滲ませ、あろう事かミラーの首筋にその細い針を躊躇いなく突き刺すや否や、中の液体を全て流し込み、追って来れない様にとミラーの身体を相手の方に突き飛ばして。__“救えなかった”その言葉が鼓膜を揺らした刹那、首筋には皮膚を、肉を突き破る先程よりも鈍く強い痛みが走り、間髪入れずに何かが体内に流し込まれる。不味い、そう思い抵抗しようとするがもう既に後の祭り。勢い良く突き飛ばされた身体はバランスを崩し地面に崩れる。後ろで注射器が地面に落ちる音、2人の逃げる足音、乱暴に閉まる扉の音が聞こえた )
( 絶望を思い出せと目の前の男は言う。絶望など嫌というほど味わっていると言うのに。そうして“また、救えなかった”という言葉の意味を理解して背筋が凍るような気がした。恐らく元から、過去の絶望を思い出させる為に______成す術もなく大勢を見殺しにした無力で無様なあの日を追体験させるために、ミラーを標的にしたのだ。「ッ、やめろ!!!!」思わず叫んだものの、注射器の中身は既に相手の体内に流し込まれ、支えを失った相手の身体は突き飛ばされていた。本当はこの場を走り去る2人を逃す事なく逮捕すべきなのだが、今は自分1人しかいない。相手を放置する選択など出来る筈もなく、相手の身体を抱き止めると首元を抑える。打たれた薬が何か分からない。麻薬の類か、即効性のある毒薬や自分が以前打たれたのと同じような薬の可能性もある。「______ミラー、大丈夫だ。直ぐに病院に連れて行く。」そう言って、まずはビルを出なければと。 )
( 何だ、何を打たれた。直ぐに解毒なり何なりしなければ手遅れになる様な劇薬なのか、それとももっと別の__。頭の中で警告音が響き、その裏側で様々な状況を考えようと冷静を努める事が出来たのは凡そ数十秒の間だけだった。途端に世界が一変したかの様に何の音も聞こえなくなり、その中で一瞬酷く耳障りな耳鳴りが聞こえた瞬間。頭の中に流れ込んで来たのは“過去の記憶”。濁流の様に押し寄せるその光景は、灯りの無い暗く湿った地下室。パイプベッド、ロープ、そうして__「…ッ、離して!!!」意思とは関係なく双眸からは大粒の涙が溢れ、恐怖から身体がガクガクと震えた。四肢の何処にも力は入らないのに、今自分を抱き留めているのが相手だと理解出来ず、懸命に逃れようと身を捩り、相手の腕に爪を立て、荒い呼吸を繰り返す。まともに呼吸が出来ない、息が苦しい、けれど“逃げなければ”。それが薬がもたらした“記憶”と“幻覚”だと認識出来ぬまま、まるで今起きている事の様に、頭も身体も思い込んでいて )
( _____嗚呼、この薬を打たれた時の恐怖を自分はよく知っている。相手の様子を見て、瞬時にそう思った。生命に危機が及ぶような毒薬で無かった事には安堵したものの、この薬が打たれた者にどう作用し、どんな苦しみが待ち受けているか、それを思うと胸が締め付けられるような気がした。本当なら味わわなくて良いはずの苦しみを相手に経験させている。自分でも抗えないままに記憶が強制的に引き出され、恐怖に支配されるあの恐ろしい感覚を今相手が感じているのだ。犯人の目論見通り、自分は“また”、助ける事が出来なかった______彼等の恨みとは関係のない筈の相手を犠牲にしたのだ。---暴れる相手に突き離されるほどの体格ではないため、その身体を離す事はしなかった。ガタガタと震える相手を抱き竦め、頭を肩口に押さえ付けるように後頭部を支えた。「っ、…ミラー、少しだけ辛抱してくれ。大丈夫だ、安心して良い。直ぐに楽になる。」屋上を吹き抜ける冷たい風で相手が冷えないよう、片手で身体を抱き竦めたままの状態で上着を脱ぐと相手の肩に其れを掛ける。相手は自分が過去の記憶に襲われている時、確かにいつも“大丈夫”だと声を掛けてくれていた。朦朧とした中、遠くで聞こえる声を思い出しながら声を掛け、相手の背中を摩って。 )
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