刑事A 2022-01-18 14:27:13 |
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( 相手は取り繕うようにいつもの笑顔を貼り付けたものの、明らかに手を滑らせただけでの惨事ではないだろう。遣り場のない感情を抱えて、或いは脳裏に焼きついた残酷な記憶の残像を何とか消し去るため、自らワインボトルを叩き付けた、というのが正しい解釈な気がした。しかし相手の言葉に大きく反応する事はせず、小さく頷く事で受け流し。破片を片付けようと近付いたものの、相手の足は割れたガラスを踏み付け、バキ、と鈍い音が鳴る。スリッパを履いているとはいえ怪我をする恐れがあると思えば「…おい、気を付けろ_______」と言葉を紡いだのだが、不意に胸ぐらを掴まれ引き寄せられると首元が僅かに締まり強制的に相手と視線が重なる。「……っ、」突然の事に息を飲み、相手の暗い瞳を見つめ返す事しか出来ずにいると紡がれたのは過去に対する問い。夢を見た事により、過去と現在を混同しているのか、或いは過去に意識が引っ張られ其の怒りを抑える事が出来なかったのか。どちらにせよその瞳にはやるせない苦しさと苛立ちと、様々な感情が渦巻いている。「_____悪かった、」今の自分が目の前の相手に言える事はそれだけだ。静かにその言葉を紡いで。 )
アーロン・クラーク
__悪かった?…謝罪一つで死んだ人が戻って来るとでも、
( 碧眼と暗紫が至近距離で交わり、続いて静かに謝罪が落とされたのだが結局今この状況で相手が何を言葉にしたって駄目なのだ。日頃気味の悪いくらいに相手を褒め愛を囁く同じ唇で、冷たく棘の纏った言葉を吐き捨てる。胸ぐらを掴む指先に更に力が篭もり息苦しさは少しも治まりを見せていないものの、発作にまでは繋がらない。その繋がらないギリギリのラインで踏み留まったまま、感情に任せて僅か相手を引き寄せ、その反動で次は斜め後ろにあったソファへと押し倒すと『貴方が幾ら謝罪をした所で誰も戻らない。セシリアさんも、ルーカスも、誰も。__冗談じゃない。何が安定剤だ、鎮痛剤だ。自分だけ楽になろうなんてよくもまぁ、そんな事が出来ますね。』相手を真上から睨み付ける様な瞳で肩で息をしながら怒りに任せた言葉を饒舌に紡ぐ。それは相手に向けたもの、自殺した犯人に向けたもの、そうして、自分自身に向けたもの。ただ、今は相手を苦しめたかった。この部屋で出会った時から相手が度々痛みを訴える箇所、鳩尾付近を加減の知らぬ力で以て上から押さえるとそのまま体重を掛ける。痛みも、苦しみも、余す事無くその身で受けろとでも言うかのように、ただ相手の苦痛に歪む顔を、絶望に染まる瞳を、懇願を聞きたいと )
( 相手が紡いだのは、ずっと前から、幾度と無く遺族や記者に掛けられた言葉だ。謝罪をした所で居なくなった人間は二度と戻って来ない_______そんな事は痛いほどに分かっているというのに。「っ、亡くなった人が二度と戻らない事は分かってる!それでも…謝る以外に、今は何も出来ない…!」視界が反転し背中に衝撃が走り表情を歪める。此方を見下ろす相手の瞳を見つめ返し、今となっては幾ら過去を後悔し懺悔しても、それ以外に行動に移せる事がないのだと訴えて。“自分だけが楽になろうだなんて”_____その言葉は相手が以前からまるで呪いのように自分に掛けていた言葉だ。あれほど苦しんだ被害者たちを見捨てておきながら、今尚自分だけが楽になろうと薬に頼る事を相手は責めた。反論出来ぬまま困惑したような怯えたような色を携えた瞳で相手を見上げていたものの、相手の手が鳩尾に掛かり、其方に意識が向いた一瞬。強い力で押さえ付けられるのと同時に激痛が走り身体が大きく跳ねる。「______っ、ぐ…ッあ゛、!」声にならない悲鳴が漏れ相手を引き剥がそうと暴れるのだが、相手はびくともしない。酷い痛みは当然呼吸を浅いものに変え、痛みから逃れようとしても相手は其れを許さなかった。断続的に鋭い痛みが身体を引き裂くように走り、額には脂汗が滲む。相手を見上げていた瞳はゆらゆらと不安定に揺らぎ、身体には震えが生じ始めていた。 )
アーロン・クラーク
( 鳩尾を押さえ付けた瞬間に相手の身体は大きく跳ねたものの、その僅かな逃げすらも許さないとばかりに更なる体重を掛け片腕一本でその身体をソファに縫い付ける。どれ程の痛みが身体を駆け巡っているのかはわからないが鎮痛剤を欲していた程だ、物理的な衝撃が加わってる今は何も無い時よりも何倍も強い痛みであろう。薄い唇からひっきりなしに漏れるくぐもった悲鳴と懸命に逃れようとするその抵抗、次第に浅くなる呼吸が証明で。『痛いですよね?助けて欲しいですよね?でもルーカスは貴方の何倍も痛かったし、助けて欲しかった筈だ!貴方が…ッ、…何で何もしなかったんですか!』そんな相手を見下ろしながら昂る感情は語気を強めさせる。普段の飄々とした余裕綽々な態度とは違い、感情のままに責め立てる言葉の数々は熱を持つ。__あの日、相手は決して“何もしなかった”訳では無いだろう。人質全員を救う為に出来る事を懸命に考え、どうにか犯人を落ち着かせようとだってした筈だ。夢に見た、冷たい瞳で遺体を見下ろすだけの相手では無かった筈なのに、あの日の記憶にあるのはつんざく様な銃声と、叫び声と、血の赤。そして倒れる弟の姿だけなのだ。『__ねぇ、警部補。“助けて”って言わないんですか?痛いの、もう嫌でしょ?』脳裏を過ぎる過去の記憶と、先程見た夢。ぐちゃぐちゃに混ぜ合わさり脳を支配する。大きく肩で息をしながらも、語調だけは普段の柔らかなものに戻るのだが、紡ぐ内容は一見優しさや救いに見える歪んだもの。鳩尾から手を離す事無く、反対の手で頬を優しく撫でて )
( 激しい痛みの中でもがいている状況下で紡がれる相手の言葉は、心を掻き乱し絶望を誘う。あの事件で犠牲となった相手の弟は、セシリアは、大勢の罪なき人々は、銃弾を受け痛みの中で命を落とした。この耐え難い痛みをもっても尚、自分は命を落とす事は無いというのに、一体どれほどの苦痛だっただろう。感情の籠った相手の声、“遺族”の怒りと言葉。其れを身に浴びながら、身体を痛め付けられる。痛みによって呼吸はすっかり浅く意味を成さないものになっていて、痛いと何度も訴えるも絶え絶えに紡がれた言葉を相手が聞き入れる事はない。_______まるで拷問だ。痛みによって生理的な涙が目尻の端から溢れ、震える唇で言葉を紡ごうとするのだが浅い呼吸に阻害され上手く言葉が紡げなかった。「_____っも、やめ……ッ痛い、____助けて、くれ…っ、!」骨が軋むほどの圧力に、心臓を鷲掴みにでもされているような痛みが襲う。パニックの一歩手前と言っても良いだろう、絶え絶えに言葉を紡ぎ、恐怖からか酸素が不足しているからか身体は震え、相手の腕に掛けた指先は冷え切って。 )
アーロン・クラーク
( 相手の瞳から涙が流れたのを見て満足そうに口角を持ち上げる。頬を撫でていた指先で溢れるその涙を何度も拭いながら、与えられる痛みから逃れたいと言葉にならぬ声で必死で懇願するのを聞き届け、そこで漸く鳩尾から手を離すと『__仕方無いですね。』と、態とらしく肩を竦め。相手は浅くなった呼吸を懸命に繰り返しながら小さく小刻みに身体を震わせている。痛みからから、苦しみからか、恐怖からか__何であれ“自分が与えた”絶望で変わる相手の姿を見るのは何とも言えない優越感の様なものを感じるのだ。悪夢によって呼び覚まされた過去は次に残虐性を呼び、相手に向く。痛めつけたいと、本心からそう思った筈なのに今はその気持ちがすっかり散り、満足したのだろうか、悪夢の記憶も何もかも、何処か清々しい気分だ。『…可哀想に、痛かったですよね。でももう大丈夫。痛い事は何も無いですよ。』相手に痛みを与えた当事者であるのにまるで無関係な人の様な言葉を優しく紡ぎながら先程体重を掛けた鳩尾付近を優しく撫でる。二重人格を疑われても可笑しくは無い程の感情の変化なのだが、知った事では無い。背後では未だ片付けていない硝子の破片が飛び散り赤が広がっているのだが、意識の中には無い。ただ、目の前の相手に優しく語り掛けるだけで )
( 鳩尾を強く圧迫していた手が漸く離れたものの、痛みが直ぐに引くことはない。「っ、は…ッあ、…は……っ、」喘ぐような浅い苦しげな呼吸が落ち着かぬまま、まるで他人事な言葉と共に再び相手の手が添えられると条件反射的に怯えたように身体が跳ねるのだが、再び強く押さえ付けられる事はなかった。しかし其れでも与えられた苦痛と恐怖は明確に刻み込まれ、涙の膜が張った瞳にはありありと恐怖が浮かんでいて。今すぐ相手と距離を取りたいと思いはするものの、痛みに身体が強張って上手く動けない上に身体を動かそうとするだけで鋭い痛みが走る。何事も無かったかのように優しく語り掛けてくる相手は人の心を持たぬ悪魔か。____否、先ほどはあれ程人間的に感情を露わにしていたのだ。事件の遺族たちに思いを寄せ、あれほど感情的にやり場のない怒りを表に出す相手を見たのは初めてだった。 )
アーロン・クラーク
( 鳩尾を撫でた時に反射的に跳ねた身体、それは与えた恐怖と痛みを素直に感じた証。此方を見上げる涙に潤む瞳が恐怖一色に染まったのを見て心底満足そうに微笑むと『__俺、貴方のその目が一番好きです。』苦しむ相手に今掛ける言葉としては到底場違いな事を、まるで恍惚とした甘ったるい語調で送った後『後始末はきちんと俺がするので眠って構いませんよ。カーペットは…弁償ですね。』未だ小さく震える相手の身体の下に手を入れ痛みに気遣う事無く簡単に抱き抱えると、床で粉々になっている瓶を避ける事もせずに踏み付けながらベッドまで向かいそこに相手を優しく降ろして。『おやすみなさい、警部補。』汗で張り付く前髪を軽く払ってやってから言葉通り散らばった大きめの破片を摘み上げる様に片付けつつ、残りは明日相手が仕事に行っている間に掃除をして貰おうと思案して )
( 恐怖と苦痛に晒された直後、其処に突き落とした相手自身の手で眠りを促されベッドへと降ろされる。恍惚とした表情で紡がれた言葉_____相手が何を考えているのか、自分に向ける感情のどれが本物なのか、何一つ分からない。上擦った呼吸が落ち着くのにはかなりの時間を要し、けれど呼吸が正常なものに戻るとどっと襲う疲労によって眠りに引き摺り込まれる。暫くは相手の動きを警戒していたものの、やがて眠りに落ちていて。---何度も目を覚まし、迎えた翌朝。昨晩の一件を経て痛みは普段以上に強く、体調は当然良くない。この状態で仕事に行かなければならない事は憂鬱だった。床にはまだワインボトルの破片とワインが溢れている。相手を避けるように口もきかぬままに仕事へ向かったものの、学生からは顔色が悪い事を指摘され、ふとした瞬間に襲う強い痛みをやり過ごす事に意識が向いた。彼が居ると思うと真っ直ぐにホテルの部屋に帰る気にもならず、最後の講義を終えても教官室に残ったままで。 )
アーロン・クラーク
( ___朝、最高に機嫌の悪い相手が終始無言で仕事へと向かった後、ホテルの責任者に昨晩の騒動の謝罪と汚したカーペット代を弁償し部屋を元通り綺麗な状態に戻して貰ったのが数時間前の事。綺麗な部屋で今度は至極穏やかな気持ちのままマグカップの中の紅茶を啜って居たものの、本来相手が帰って来る時間になっても一向に部屋の扉が開く事は無い。__昔、そう言えば似た様な事があったと思い出した。あの日は確か相手を部屋に置いて自身が出掛けたのだ。そして帰って来た時相手はもう居なかった。たった一言“家出ですか?”と送った記憶がある。『__仕方ないですねぇ、』誰に宛てるでも無い独り言の様な呟きは直ぐに後を追った紅に消える。中身を飲み干し一息着いてから立ち上がると身支度を整えホテルを出て。__向かった先は相手が勤めるFBIアカデミー。既に殆どの生徒は帰宅していて擦れ違う人は数える程。確りとセットした髪型では無い、降ろしっぱなしの髪ながら特別変装をする事も人目を気にする事も無く普段と変わらぬ飄々とした表情で廊下を進み、やがて相手が居るだろう教官室の前で止まると扉を二度ノックし。中からの返事を待たず扉を開ける。『__わからない箇所があるので聞きに来ました。』相手を瞳に捉えそんな戯言を紡ぎながら扉を閉め、ツカ、ツカ、と目前に歩み寄ると、少しばかり顔を近付ける様にして『まだ機嫌直らないんですか?』と、まるで此方には何の非も無く相手が勝手に不機嫌になっているとでも言うかのような問い掛けを )
( 夜になってようやく痛みが和らいでは来たものの、昨晩の相手の暴挙によって体調が悪化した事は間違いない。もう殆ど済んではいるのだが、明日の講義に向けた準備に敢えて時間を掛けて教官室で作業を続けていた。---普段であれば相手の革靴の音には耳敏く気付くのだが、此処が大勢の学生が行き交う校内だった事もあり、相手の気配を察知する事は出来なかった。ノックの音に顔を上げ_____相手の雰囲気が普段と違った為、一瞬学生かとさえ思ったのだが。直ぐに其れが相手だと気付けば其の表情には警戒の色が浮かぶ。「作業が終わってないだけだ、_____わざわざ来る必要は無いだろう。」と告げて。 )
アーロン・クラーク
( 警戒心の滲む瞳でぶっきらぼうに告げられた言葉に一度視線を相手の手元に落とす。広げられた資料をザッと見てから『__要領の良い貴方なら直ぐに終わるでしょう。』と、肩を竦めるも相手の腕を取り身勝手に帰宅を促さないのは気紛れか。ニコニコと何処かご機嫌な色さえ纏いながら相手から離れるも1人帰る事はしない。先程迄学生の誰かが座って居たのだろう席に腰掛け、既に授業は終わっている為何も書かれていない少しばかり白く濁る黒板を見詰めては『…懐かしい気分にでも浸ろうかと思いましてね。』と、相手を迎えに来た、とは別の理由を答え。『貴方は忘れてしまったかもしれませんが、俺も一応FBIだったんですよ。ちゃんと此処を卒業もしたし別に違法な手を使った訳じゃない。』聞かれてもいない事を饒舌に話し始めたのは機嫌が良いからか。背筋を伸ばし席に腰掛けるでも無く、少しばかり気を緩めているのか頬杖すらつきながら『__俺がもしあのままFBIだったら…貴方の部下だったら、今頃どうなってたんでしょうね。』珍しく“タラレバ”を落として )
( 珍しく相手は、無理矢理に自分を従わせる事はしなかった。言葉を無視したまま明日以降の講義に向けた準備を黙々と続けていたものの、不意に紡がれた言葉に一度視線だけを持ち上げる。今となっては“犯罪者”である相手も、かつては確かにFBIの捜査官を志した学生だったのだ。一体どういう心境の変化があって道を踏み外したのかは分からないが、あの事件が彼を歪めてしまった事は間違いない事実であろう。直接的な被害者以外に幾人もの間接的な被害者を生んでいる事は当然分かっている。相手のように人生を狂わされた遺族や、全てを崩壊させられた当事者が大勢居る。其の事に対しては当然罪悪感があった。暫しの沈黙の後「_____其の立場を自ら手離したのはお前の判断だ。」とだけ答えて。幾らたらればを言った所で、そもそも望んでFBIを離れたのは相手なのだから未来は変わらないと。 )
アーロン・クラーク
__相変わらず“らしい”返事ですね。
( 返って来たのは寄り添いでも何でも無い言葉。なれどこの件に関しては少しも寄り添いなど欲しくは無いし寧ろこの遣り取りが心地良いとさえ思う程で。__それから凡そ1時間程が経ち、ホテルに戻りたくないと言う理由で悪足掻きの如く時間を掛けていたのだろう準備が嫌でも終わりを迎える頃。廊下ではもう足音や話し声はすっかり聞こえなくなっており、此処を出るのは調度良い時間帯だろうと思えば『…そろそろ帰りましょう。部屋はもう綺麗だし、今日は酷い事しないって約束しますから。』と、後者に置いては全く信憑性の欠片も無い言葉と共に立ち上がり結局は相手の返事など無視でホテルへと連れ帰り。__部屋の中は昨晩の騒動を感じさせぬ程綺麗になっていた。血を吸った様に真っ赤だったカーペットは新品の物に取り替えられていて、ガラスの破片も勿論無い。別のワインも用意されている程だ。部屋をぐるりと見回しその完璧さに当事者ながら満足そうに頷いては、さっさとスーツを脱ぎ部屋着に着替え。約半日程誰も居なかった部屋はひんやりとしている。『…“湯たんぽ”必要じゃないですか?』くるりと振り返り至極楽しそうに笑いつつ、数日前に相手が言った“メリット”の必要性を問うて )
( 明日の講義の準備をしている、と言い張ってアカデミーの教官室に泊まり込む訳にも行かない。結局相手と共にホテルの部屋に戻る事となり、渋々ながらも其れに従って。---“寒さ”は心身を不安定にする。身体の冷えは不調を引き起こすし、不安を煽られる事もあるのだ。相手の言う“湯たんぽ”は、謂わば“添い寝”のことを指しているというのは直ぐに理解でき「______要らない。」と一蹴して。其の後シャワーを浴びて身支度を整えると日付が変わる頃にベッドへと入る。昨晩の出来事が尾を引いて、1日あまり体調が良くなかったため今夜は早く休もうと考えて。 )
アーロン・クラーク
( 返って来る返事は100%の確率でわかっていた為『素直じゃないですねぇ。』と肩を竦めるだけで終わらせる。相手がシャワーを浴びた後に立て続けに浴室へと姿を消し戻って来た時には既に相手はベッドに横になっている状態で、掛け布団が僅か盛り上がっていた。その白い山を遠目に数秒見詰めてから何を言う事も無く再び浴室へと戻ると、傷みの無い金髪に生温い風を当て根元から確りと乾かして。__時刻はまだ日付けが変わってから然程経ってはいない。特別眠気も無い今、布団に入った所で結局天井を見詰める暇な時間を過ごす事になると思えば、眠る相手に近付きまだ少し湿っている様にも感じられる焦げ茶の髪に軽く指を通した後、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しソファへと身を沈めると、暇潰しとばかりに世界情勢や経済なんかのニュースをスマートフォンで読み進めて )
( 相手が浴室へと向かい扉が閉まる音を聞いてから目を閉じる。やがて戻って来た相手が自分の髪に触れた所迄は辛うじて意識があったものの、程なくして眠りに落ちていて。---しかし、穏やかな眠りは長くは続かない。元々体調が良くなかった事も影響してか、酷く鮮明な夢を見た。静寂に沈んだ幼稚園の一室、辺りは血の海で大勢が折り重なるようにして倒れている。その場に立っているのは自分だけで、他には誰も居ない。靴の先に何かが当たり視線を落とした先には妹が倒れていて______思わず伸ばした手で、指先で彼女の髪を撫でた感覚があまりに鮮明だった。彼女はひと目で命が無いと分かる青白い顔をし、美しい若葉色の瞳は闇を湛え暗く色褪せていて。それはいつか見た、あの写真と同じ姿だ。---血の匂いがした気がして、彼女の暗い瞳や髪に触れた感覚があまりに鮮明で、あの日の感情が呼び起こされた。妹をこんな形で失うなんて、側に居たのに助けられなかったなんて、彼女が今後二度と自分に向かって微笑み掛ける事がないなんて______あの日に感じた絶望と恐怖が襲い、飛び起きた時には呼吸は狂い涙が溢れていた。同時に飛び起きた反動で強い痛みが走り、思わず鳩尾を抑えて蹲る。痛みと恐怖と、どうしようもない不安。「_____っ、う゛…ッはぁ……あ、セシリア、っ……」思わず妹の名前を口にしたものの、浅くしか呼吸が出来ない事で息が苦しい。心臓を鷲掴みにされるような強い痛みのせいで身体を起こす事が出来ず、感情を掻き乱され涙が止まらなかった。 )
アーロン・クラーク
( __暇潰し予定だったスマホ弄りに何時しか熱中し目の奥の重たい怠さを覚えた頃。眠りに落ちる事は無くともそろそろ身体を休めた方が良いだろうと立ち上がった調度その時。呼吸にあわせて微動するだけだった白い布団が跳ね除けられる様に勢い良く捲り上がり、続けて飛び起きた相手の悲痛な嗚咽が静かだった部屋にやけに大きく響いた。真っ白なベッドの上で身体を丸め蹲る相手は明らかに悪夢に魘され目を覚まし、襲い来る過去の記憶や痛みに耐えようにも為す術が無くなっている状態だとひと目でわかる程。狂いそうな呼吸を懸命に抑え付け落ち着こうとする段階はすっとばした様だ。『__警部補、』やれやれと態とらしく肩を竦め近付き、名前を呼ぶと同時に特別な労り無く相手の身体を抱き起こすも、そこで漸く碧眼から止め処無い涙が溢れている事に気が付く。泣きじゃくる、と言う表現が間違いでは無い状態に何処か困った様に笑うと『そんなに泣いたら明日大変な事になりますよ。』勿論の事狼狽える訳でも無くまるで世間話をする時の様な語調で語り掛けつつ、それでも抱き起こした相手の身体を自身に凭れ掛からせる様にして軽く後頭部に手を添えて )
( 上手く力の入らない身体を相手に抱き起こされ、それに抵抗することもなく凭れ掛かるように相手に体重を預ける。胸が張り裂けそうな、と表現すべきか。言いようのない感情が胸の内に渦巻き、一時的なものであろうが少しでも気を緩めればこれまで何とか耐えて来たものが崩れ去ってしまいそうな恐怖感があった。妹の優しい笑顔を覚えていたいのに、血に塗れて思い出したくない姿ばかりが脳裏に焼き付いて離れない。つい先ほど触れたような気さえする柔らかな茶髪も、緑色の瞳も、見ることは叶わない。嗚咽を漏らしながが、どうしようもない喪失感を埋めたくて思わず縋り付くようにして相手の肩口へと自ら顔を埋める。今こうして身体が密着し体温を感じることの出来る距離が唯一、空虚な心を落ち着かせてくれるかもしれないと思った。喘ぐような呼吸は治らず、涙は相手の肩を濡らすばかり。強い痛みをなんとか逃がそうとするのだが一向に楽にならず、小刻みに身体を震わせながら相手に身体を寄せ。 )
アーロン・クラーク
( 鎮痛剤を服用していない状態で痛みがそんな簡単に治る筈も無く、脳裏に焼き付く過去の残像が消える筈も無い。正しく絶望の中に居る相手が今縋れる唯一の相手は目の前に居る自分だけだと言う優越感は気分を昂らせるには申し分無し。相手の碧眼から溢れ落ちる涙が肩を濡らし感じるその冷たさすらもまた気分の昂りを助長させるものだから、幾分も優しくなれるだろう。『可哀想な警部補。__俺にどうして欲しいですか?貴方がちゃんと自分の口で言えたら、叶えてあげますよ。』縋る様に身を寄せてくる相手の背中をまるで子供をあやす時の様にポン、ポン、と一定の感覚で軽く叩きながら耳元に唇を寄せて紡ぐは甘美な言葉。甘い毒を纏ったその言葉は今相手を甘やかす為だけに向けられ、痛みと苦しみの中、涙声で落とされるであろう要望をゆるりと口角持ち上げたまま静かに待つ事として )
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