匿名さん 2021-09-19 00:20:52 |
通報 |
●NPCの設定について【確認事項あり】
素敵な提供ありがとうございます!こちらも投下させていただきます。
「アナトリー・エゴロヴィチ・チェルケソフ」
SVR新生派アチェーツ。
生姜色の髪に灰色の瞳。183cmの巨体で、頬はブルドッグのように垂れ下がっている。傲慢で、常に不機嫌な雰囲気を醸し出しており、ワレリーからは「豚野郎」と揶揄されることもしばしば。イデオロギーというものはなく権力欲のみで動いており、自身の保身のため、事なかれ主義である。再編派については取るに足らない勢力だと考えており、あくまで探りを入れる程度に留めている。
「シャミール・マスハドフ」
ワレリーのターゲットであるチェチェン人。
174cm、黒髪碧眼で無精髭を生やしている。チェチェン・マフィア幹部の息子。反体制派として活動したり、犯罪行為に手を染めていたりしていた父親とは違い、気弱な性格。5年前に死亡した父親の遺産とドイツのチェチェン人ネットワークを活用し、亡命の手引きをしてくれたサッダームへ資金を提供。当初は苦難に遭う同胞たちへの同情心や欧米人への復讐心といった理由もあったものの、次第に罪悪感や恐怖心に悩まされるようになる。この関係を終わりにすることを伝えるため、サッダームとの約束に応じる。
「デニス・フォルクマン」
連邦憲法擁護庁BfV支局局員。
薄毛の金髪碧眼、174cm、48歳、縁なしの眼鏡をかけている。9・11テロ事件の主犯達がハンブルクで活動していたことを察知できなかったBfVは、それ以降ドイツ国内のイスラム過激派を躍起になって調査。また、欧州でロシア・中国の諜報活動が活発になっているのを受け、同時並行で調査を開始。協力関係を築こうとせず、独善的な行動をとるCIAに対しては不信感や警戒心を抱いている。部下思いであり、情報提供者との信頼関係も大事にしている。
「ハサン・オクタイ」
トルコ系移民二世の実業家。
薄褐色の肌、白髪混じりの黒髪短髪、175cmの57歳。エネルギー関連の事業で成功。政教分離主義のムスリムで、自身の財力を使い、ドイツへ逃れてきた難民や亡命者への支援活動を行っている。また、タリバンの恐怖政治を批判し、ロシア・中国との繋がりも指摘。極右過激組織から脅迫を受けることも。ドイツ人女性のイザベル(キリスト教徒)と結婚しており、彼女のことを心から愛している。
「ファーガス・ウェッブ」
在独イギリス大使館の二等書記官。
182cm、栗色の髪と碧眼の34歳。野心家で自己顕示欲が強く、現在の自身の立場に満足していない。また借金を抱えており、職務を通じて入手した情報をロシア諜報機関に提供することを決意する。
●小説文体について【確認事項あり】
詳細かつ非常に分かりやすい説明、本当にありがとうございます。そちらの進行方法で全く問題ありません!また、ご丁寧にサンプルまで作成していただいたこと、重ねてお礼申し上げます。
訂正の方も承知いたしました!
背後様の方で問題がないようでしたら、さっそくこちらの先レスで物語を開始したいと思うのですが宜しいでしょうか?
●NPCの設定について【確認事項なし】
情報一覧ありがとうございます! わくわくしながら読み込ませていただきました……!
ヴァルラムは下品なジョークが好きという一面から当然口も悪いので、権力欲の強いチェルケソフの築きそうな取り巻き集団のことを「養豚場」と言ったり、打倒チェルケソフのことを「屠殺」と言ったりしそうです。そしてシャミールはこれ生きてほしい……是非生き残ってほしい……
●ここからについて【確認事項あり・蹴り可】
諸々ご確認くださりありがとうございました!
すべて問題ございません。ここまででもボリュームたっぷりなのに、これからいよいよ本命の物語開始ということでとってもわくわくしております。改めてよろしくお願いいたします!
またそれにあたり、今まで主様と構想してきた情報について、独断で多少の組み替えや編集をしたまとめを作成させていただきました。
※この際、隠語について追記しております。
・ビェーリ<白>:潔白な人物。ウルトラビェーリの項に追記。
・サージャ<煤>:有罪、情報上の陽性である人物や要因。「煤落とし」は有害な人物や要因を排除すること。
・チスティ<掃除する>:盗聴器の類がないか調べ、排除・確認しておくこと。「掃除の行き届いた部屋」は「盗聴される恐れのない部屋」のこと。
別トピを建て、ある程度沈んでからそこに投稿するという手段も考えたのですが、2人で楽しくやりとりしているとはいえ主様の募集で始まった企画であることと、ある種のナマモノ故必要以上に人目に触れる場を増やさないほうがいいだろうとの判断から、このまま以下に投稿いたします。
アンカー毎の個別リンク等が作成できないので、主様がアクセスしやすいよう、このトピックの2ページ目をブクマする、もしくは別の媒体にコピペするなど、適宜便利なようにしていただければ!
>24
・ストーリー
・再会の経緯
・ロシアとアフガニスタンの関係
・ドイツで再会した理由
・ターゲット候補
>25
・ワレリーPF
・ヴァルラムPF
>26
・隠語集
>27
・登場人物
● ストーリー ●
『アフガニスタンでの動静を受け、ドイツをはじめとする西洋各国で暗躍するロシア人スパイの物語』
アフガニスタンで烈々たる復権を遂げたタリバン政権。
彼らを支援するという形でアメリカや親米諸国への対抗を画策し、世界各国に諜報員を放っていたのが、北の大国ロシア連邦だった。
各々別の任務にあたっていた主人公、ワレリーとヴァルラムは、異邦の地での再会をきっかけに相棒関係を甦らせ、より一層過酷なスパイ活動に身を投じることとなる。
だがその陰には、KGB復活を望む再編派「第一総局イワノフ派」と、それを拒む新生派「SVRチェルケソフ派」の、旧ソビエトを巡る熾烈な衝突が渦巻いていた……
● 再会の経緯 ●
①ワレリーは「元チェチェン独立派を含む、チェチェンからの亡命者」シャミール・マスハドフを、ヴァルラムは「ヨーロッパで同志を増やそうと活動するイスラム過激派」サッダーム・ラティフィをそれぞれ追跡中だった。
②しかし、ラティフィからの数度目の接触の際、テロ活動の実行を拒んだことが原因でマスハドフが襲われてしまう。
③マスハドフを守るためにワレリーが、情報を引き出し切っていないラティフィを殺させないためにヴァルラムが動くが、もみ合いの末過激派もしくは亡命者、またはその両方が事故死。
④暗所での対面ゆえ最初は気づかなかった2人は、そこで初めて相手がかつての同期と知る。処理班と上官に連絡して現場保全のため一時留まり、処理班到着後は上官命令で一緒に待機しつつ最低限の情報交換。
⑤数時間後、SVR上層部から、「それぞれの単独任務の継続難易度が上がってしまった以上、以降はそれぞれの任務と情報を統合し、常に連携する形で引き続き遂行せよ」という指令を受ける
⑥しかし「新生派」のボスはヴァルラムから再編派の謀反の動向を探ることをワレリーに、「再編派」のボスはワレリーから新生派の防衛策を探ることをヴァルラムそれぞれ命じるのだった。
● ロシアとアフガニスタンの関係 ●
1978年:アフガニスタンが共和制に。これを受け、反発するイスラム主義の革命派民兵が蜂起(アメリカはこれを後押し)、アフガニスタン紛争開始。
1979年:ソ連、アフガニスタンに以後10年に及ぶ軍事侵攻・介入開始。表向きには新生の共産主義政権を支えるため、しかし一説では自国側にイスラム原理主義を持ち込ませないための牽制とされる。また、アメリカの大統領補佐官による誘導だったとも。ソ連の秘密警察KGBは、革命派民兵を鎮静化できなかった当時の首相を見限り即暗殺し、当時の革命評議会副議長を新首相に擁立したため、革命派民兵とさらに衝突することに。
1988年:紛争を終わらせるため、国際社会でソ連撤退を条件に含む協定が締結。
1989年:ソ連撤退完了。しかしこのあと、国内の支配を巡りアフガニスタン国内はさらに荒廃、5年後にはタリバンが台頭開始。
その後:2001年の米国同時多発テロを契機に、今度はアメリカのアフガニスタン介入が開始。冷戦の影響もあり、2021年にガニ政権が崩壊すると、ロシアはこれを批判。親米に転じたウクライナについても、「ガニ政権の二の舞になりかねない」と揺さぶりを示唆。
●ドイツで再会した理由 ●
①アフガニスタン人難民の受け入れ数が、ヨーロッパで一番多い国であるため。
②チェチェン亡命者が、ヨーロッパで次々と暗殺されていることから。
ドイツにおいても、元チェチェン指揮官や、チェチェン紛争に関わった経歴のある男性が暗殺されている。
③「クレムリンはほぼすべての政策分野でドイツに関心を持っている。活動を大幅に増やしたと認識している」
「ドイツは、EUを離脱したイギリスにとって欧州の中で最も重要な安全保障上の同盟国。」
「ベルリンにあるイギリス大使館は英政府とドイツ政府の間で政策のアイデアや諜報に関係した資料を交換するための重要な場所だ。イギリスは世界で最も重要な情報共有ネットワークである『ファイブアイズ』の一角をなす。いくつかのファイブアイズの情報はベルリンに保管される。これらはロシア人が見たい王冠の宝石になるだろう
● ターゲット候補 ●
・アフガニスタン人のNATO軍協力者
・アフガニスタン政策に関する、ドイツ政府へのアドバイザー
・ドイツへ亡命したアフガニスタン政府関係者
・反タリバンの情報発信者、報道関係者、政治家など
・元チェチェン独立派を含む、チェチェンからの亡命者
・イスラム過激派
・イギリス大使館関係者
・ドイツへ亡命したロシア人政治家や実業家
・ドイツで活動するロシア反体制派
● ワレリー ●
ワレリー・ミハイロヴィチ・カルポフ
-1985年生まれ、36歳
-身長167cm、体重70kgほどの小男。しかし、厳つい顔付きをしており、鼻筋は太く、大きく見開いた目は威圧的。暗いブラウン色の髪。長年の諜報活動によるストレスのせいか、全体的に毛量は薄く、おでこが広く出ている。わずかに残った頭頂部あたりにある前髪は基本的に右側へ流している。琥珀色の瞳。
-チェチェン共和国グロズヌイ生まれ。ロシア人の父親とチェチェン人の母親を持つ。しかし、ソ連崩壊後の1990年代初頭、チェチェン独立派の過激派による民族浄化と称した虐殺により、父親が犠牲となる。この事件をきっかけに、チェチェン人の血を引きながらも彼らに対して憎悪を抱き、また、ロシアに対する愛国心に目覚めるようになる。その後、第一次チェチェン紛争の発生に伴いモスクワへ移住。しかし、そこでもチェチェン人に対する差別などで平穏に暮らすことができず、同族であるチェチェン人への憎悪をますます募らせていく。
-2000年代初頭の第二次チェチェン紛争と、モスクワなどの大都市で相次ぐチェチェン反乱軍によるテロ攻撃の発生。それらの前轍を踏むまいと躍起になっていたロシア対外情報庁SVRは、チェチェン人にルーツを持ちながらも、ロシアへの強い愛国心を持つヴァレリーに目を付ける。そして2004年、モスクワ大学法学部在学中にSVRにスカウトされ、モスクワにおいて情報提供者として活動。大学卒業後の2006年、ごく短期間の研修を受けたのち、チェチェンへ配属(この時点ではまだ正式に採用されていなかった)。
-2009年、第二次チェチェン紛争終結。終結後も約2年間コーカサス地方に滞在。その後、諜報に関する能力が認められ、SVRに正式に採用される。それに伴い、2011年に対外情報アカデミーへ。
-ヴァルラムと同様、2021年以降、上層部からの指令を受け、欧米各国に存在するイスラム教徒の組織や団体に所属し、ロシア国内や欧米各国で活動を続けるイスラム過激派組織やチェチェン独立派に対しての諜報活動の任に就く。
-チェチェンに配属されたばかりの頃は、チェチェンに対する憎悪や愛国心などから血気盛んに活動していたものの、自らが築き上げた情報網の壊滅やロシア軍によるチェチェン人虐殺といった光景を目にし、次第に自分の任務の意義や正当性について悩むようになる。
-他の諜報員たちと同様、一見すると仕事を淡々とこなし、何事にも容赦のない人物に映るものの、実際は諜報員の中では"比較的"理性的な存在で、穏やかで道徳的、かつ常識的。上層部やロシア政府、度を越した諜報活動に対して不信感を抱きつつあるものの、「祖国ロシアのため」、「世界平和のため」という信念から、諜報活動を続けている。
-数々の虐殺やテロ攻撃といった残虐極まりない行為を目の当たりにしていくうちに、また、自らもそういった汚い仕事に手を染めていくうちに、PTSDのような症状が彼の精神を蝕んでいっている。そのため、麻薬やアルコール、そしてニコチン依存症でもある。特にアルコールと煙草は常に持ち歩いており、注文したドリンクの中に持参した酒を入れるほどである。
● ヴァルラム ●
ヴァルラム・ヴァルラモヴィチ・ユルコフ
‐1989年生まれ、32歳
‐身長177cm、体重74kgの、ロシア人として平均的な背丈の筋肉質な体格。くすんだ黒髪で、前髪は右目側を後頭部に向かって撫でつけ、左側はやや目にかかる形で降ろしている。瞳は青灰色。彫りの深い顔立ちで、俳優で言えばニキータ・エフレーモフ似。ファッションは大抵ごく質素で、洒落具合でもほとんど目立たないものが常。
‐閉鎖都市オジョルスク出身。サンクトペテルブルク大学ジャーナリズム学部に在籍していた2011年、ロシア対外情報庁SVRのリクルートを受け、対外情報アカデミーへ。
‐出身学部の知識や経験を活かし、主に学者やジャーナリストを偽るイリーガル・ヒューミントを主とした諜報活動を担う機関員。
-2021年以降、上からの指令を受け、タリバンについて調査・研究・意見発するCIS非加盟国の人物や組織について、また各国で活動を続けるイスラム過激派組織についての情報収集・尋問・攪乱の任に就く。
‐奇しくも父親もKGB時代の工作員であり、アフガニスタン軍事介入の任務に従事していたが、1988年に一度帰国して母と再会して以来その行方は知れず、ヴァルラム本人は一度も会ったことがない。上記の事情を察したのは最新の任務に就く際上官に明かされたためであるが、それすらも「この男は父親への固執で揺らぐことはないだろう」という境地からの雑談という形であり、事実本人も「そういうことだったのか」程度である。
‐父親のエピソードで分かるように、「家族」に対する情というのが生来薄く(実は父親譲りの気性)、故郷から遠いサンクトペテルブルク大学への進学も、病気がちの母を捨て去ってのこと。この傾向は幼いころから顕著であったため、母の面倒を見ている実の「まともな」兄からは絶縁されている。
‐ただしこの傾向に本人が悩みを持たないわけではなく、「なぜ親しい人物を愛せないのか」「なぜ自分は人を捨ててしまえるのか(情や惰性に染まり切れないのか)」という深い孤独感を患っており、任務の傍ら何人かの女性と付き合いを持ったことも。しかしそれも結局は「自分は人を愛せるのか」という探求心から行っていること、また素性の問題で決して真に自分を明かせないことから、最後には「また失敗した」という淡々とした実感を積み重ねるのみ。
‐皮肉にもこの人間に対する傍観者的視点、自分は彼らと本心から一体化できないという性質、自分個人の幸福よりも「使命」「合理性」を優先する性質は任務において役立っており、「任務のため」の「偽物」の関係ならば、逆に「普段冷淡な男が相手にだけは心を開き温かみを示す」様を演じ切れてしまう。
‐以上の本質から、基本的には淡々としたやや気だるげな雰囲気。人との関係よりも何かしらの使命に己を使うことを優先するため、時に無情とすら思われがち。このためジョーク(しかもくだらないもの、最低で下品なもの)好きであるという一面は、数少ない交流相手には意外に思われることもしばしば。また自分の人間性の欠落への劣等感とは反対に、外見には冷静な自信があるらしく、女に振られてばかりの上官を(ヴァルラムなりの親しみゆえに)淡白な声で貶しまくることもしばしば(「俺は顔がいいですから」「イワノフ将校もラスプーチンのあのホルマリン漬けをボルシチにして食えばどうです?」)。
‐嗜好は煙草、理由は口寂しいから。酒も飲めなくはないのだが、「人間関係同様」、楽しく酔うことができず場の雰囲気に置いて行かれがちなため、あまり好まない。
● 隠語集 ●
●個人の役割
・アチェーツ<ファザー・父さん・親父>:SVR幹部。ロシア国内から指示を出す、現地エージェントとその直属上司にとってのお上。
・マーチ<マザー・母さん・お袋>:SVRの情報伝達補佐官。「お袋に手紙を送る」は本部と連絡をとること。
・アルチョム:ロシアの一般的な男性名(日本でいう「健」)。SVRの現地エージェント。主人公2人がこれに当たる。
・イワノフ:ロシアで多い苗字。諜報機関の作戦担当官。
・バーブシュカ<ばあさん、ばあちゃん>:各地の民間人に混じり、多くは店を営む形で自分の組織の諜報員に協力する老女。定住型のフォナーシクで、普通のフォナーシクとは違い、現地に住んでいるからこそできる情報提供も行う。
・タバチニク<煙草屋>:情報提供者。また、外国の諜報機関に雇われ、自国で諜報活動を行う現地民間人。
・ニャーニャ<ベビーシッター>:護衛。主人公2人にとってはターゲット側で見かける存在。
・バンクシー<街頭画家>、尾行監視員。主人公2人にとっては敵組織側で見かける存在。
・クロート<もぐら>:信頼を得た立場から機密情報を長期にわたって盗み出す二重スパイ。
・フェリックス:拘束したターゲットや敵諜報員。チェーカーの偉大な指導者フェリックス・ジェルジンスキーの像が立っていたルビヤンカの地に、スパイを収監する監獄があったことから。
・ミトロヒン:ロシア諜報機関にとっての裏切り者。ワシリー・ミトロヒンから。
・スカラメッラ:毒殺を図る人物、もしくは毒殺作戦。マリオ・スカラメッラから。
●組織
・ヤセネヴォ:機関員の言う、SVR本部のこと。更に婉曲的に、ツェントル<中央>とも。
・フォナーシク<点灯屋>:輸送や隠れ家、物資の提供を行う支援部隊。別組織の同役割にも用いる。
・パラーチ<処刑人>:殺人や誘拐などの危険な任務を請け負う実働部隊。別組織の同役割にも用いる。
・スルガー<使用人>:SVRの運用・保障部署。マーチ、フォナーシクの所属する部署。
・コンクリアント<競争相手>:ロシア国内のライバル機関、この物語の場合FSBのこと。
・ツィルク<サーカス>:イギリスの諜報機関、MI6。MI6の諜報員のことを曲芸師とも言う。
・カンパーニャ<会社>:アメリカの諜報機関、CIA。CIAの諜報員のことを会社員とも言う。
・ラングレー:CIA本部のこと。近隣がラングレーと呼ばれているため。
・ファーウェイ:中国の諜報機関、MSS。MSSの諜報員のことを携帯会社の社員とも言う。
・141番:フランスの諜報機関、DGSE。DGSEの諜報員のことを墓守とも言う。
・ブラート<兄弟>:CIS諸国の諜報機関。
●行為
・プラグーカ<散歩>:尾行や潜入などの諜報活動。
・チスティ<掃除する>:盗聴器の類がないか調べ、排除・確認しておくこと。「掃除の行き届いた部屋」は「盗聴される恐れのない部屋」のこと。
・ナイヨン<雇用する>:極秘情報を握る人物に対し、その立場を活かしスパイ活動に協力するよう説得すること。
・ナピータク<酒を飲む>:ターゲットには悟られずに、相手との交流・対話の中で情報を引き出すこと。
・ジャリチ<炙る>:脅迫(する)。
・ラヴーシュカ<罠>:色仕掛け。性的なものに限らず、人柄や能力、報酬などで相手を誑し込むことにも使う。
・プロヴォカーツァ<挑発(する)>:囮などを使い、他国の工作員を転向させる、引き付ける、注意を逸らさせる行為、またはその作戦。
・ウルトラビェーリ:情報上の重要性があるかどうか徹底調査して洗うこと、またはその結果警戒無用とされた人物。ロシアの漂白剤の名前から。潔白な人物を「ビェーリ」とも。
・ディン<煙る>:諜報を悟らせないため疑う相手を「煙に巻く」、もしくは諜報が終わった場を引き上げるために身辺整理を行う、或いは不要となった情報提供者が他の者にもそれを提供しないよう手を打つ工作のこと。
●用語
・タバコ<煙草>:現地での情報の受け渡しを助ける物。転じて、情報を受け取りに行くことを「一服しに行く」と言う。
・ピリヴォート<仕送り>:本部⇔現地間でやり取りされる情報や物資。
・カルゴン:ロシアで売られている軟水化剤。転じて、強硬な態度をとる相手を軟化させる取引材料や手段。脅しであることも。
・カナリザーツァ<下水道>:何らかの作戦で用いる移動経路・手段。ターゲットや敵の動きに対しても使う。
・ポフミエリ<二日酔い>:ヒューミント(対人諜報や尋問・拷問)のあとで、罪悪感などにより精神が揺さぶられること。また、そのために機能しなくなった諜報員。
・サージャ<煤>:有罪、情報上の陽性である人物や要因。「煤落とし」は有害な人物や要因を排除すること。
・ジャーヒーリヤ<無知・野蛮>:イスラム過激派にとって悪とされる世・社会・人物・組織。
・「再編派」:リーダーイワノフを協力者のひとりに数える政治闘争への準備を着実に進める、ソビエト連邦とKGBの復活を願う派閥。その存在はSVR内部でも認知されてはいるが、対策をとっていれば実行しにくいだろうということ、また今すぐに事を起こすつもりではないらしい印象から、現状はあくまで探られる程度。「第一総局」もしくは「イワノフ派」とも。
・「新生派」:「再編派」に対し、現状の組織構成を維持したいと考える勢力。リーダーチェルケソフは、「再編派」に付け入る隙を与えないよう作戦の失敗などを恐れるあまり、事なかれ主義になりつつある。「統合派」もしくは「セルゲイ派」「チェルケソフ派」とも。
●場所
・ウニベルマク<百貨店>:諜報活動で使われる場所の目印となる無関係の建物、もしくはその隠れ蓑や裏口となる建物。転じて、自分が同じロシアの諜報員であることを明かす際、「百貨店の隣で働いている・家の隣は百貨店だ」という言い回しを用いる。KGB時代の名残から。
・リェス<森>:対外情報アカデミー。人里離れた森の中にあるため。転じて、「森で育った」「森で育って、百貨店の隣で働いている」などの言い回しでロシアの諜報機関員であることを示す。
・ナラ<巣穴>:現地エージェントが寝泊まりや休息をする場所、またはその任務での活動拠点。
・ドヴァリエツ<宮殿>:ターゲット、特に要人が出入り・宿泊・居住している潜入先。
・ルビヤンカ:対象を尋問・拷問する、隠された場所。
● 登場人物 ●
●ロシアSVR
「アナトリー・エゴロヴィチ・チェルケソフ」
SVR新生派アチェーツ。
生姜色の髪に灰色の瞳。183cmの巨体で、頬はブルドッグのように垂れ下がっている。傲慢で、常に不機嫌な雰囲気を醸し出しており、ワレリーからは「豚野郎」と揶揄されることもしばしば。イデオロギーというものはなく権力欲のみで動いており、自身の保身のため、事なかれ主義である。再編派については取るに足らない勢力だと考えており、あくまで探りを入れる程度に留めている。
「イワノフ将校」
SVR再編派アチェーツ。
ヴァルラムの上司である50代の男。170m、くすんだ金髪、焦げ茶色の目、やや小太りだが品の良い雰囲気。「イワノフ」は第一総局情報将校に受け継がれるコードネーム。派閥に拘わらず、機関員の前では陽気でやや抜けた人物像。しかしそれとは裏腹に、若かりし頃忠犬として仕えたKGB、引いては「偉大なるソビエト」の面影を求め、再編派を蜂起。ソビエトから独立した共和国との再統合を望む権力者・政治家と連携しながら、SVR内外での政変を画策。その過程の口封じも厭わなくなる腹積もり。
●各国諜報員
「デニス・フォルクマン」
連邦憲法擁護庁BfV支局局員。
薄毛の金髪碧眼、174cm、48歳、縁なしの眼鏡をかけている。9・11テロ事件の主犯達がハンブルクで活動していたことを察知できなかったBfVは、それ以降ドイツ国内のイスラム過激派を躍起になって調査。また、欧州でロシア・中国の諜報活動が活発になっているのを受け、同時並行で調査を開始。協力関係を築こうとせず、独善的な行動をとるCIAに対しては不信感や警戒心を抱いている。部下思いであり、情報提供者との信頼関係も大事にしている。
「レイチェル・ゴールディング」
MI6ドイツ支局局員。
黒髪碧眼、165cmの表情が少ない地味で事務的な女、29歳。表向きはタブロイド紙「ビルト」を発刊するアクセル・シュプリンガー社の記者。諜報の理由はCIAと近いが、彼らに比べ、地理的に近いこともあってか、フランス・ドイツの諜報機関と協力的。化粧で化ける上必要に応じて表情も豊かになるため、特に男性は変装に気づきにくく、それを利用したハニートラップも多々。しかし素は男嫌いで見下している様子すらある。紅茶とコーヒーについてややうるさい。
「アラン・マレット」
CIAドイツ支局局員。
金髪碧眼、179cmの痩せ型の男、41歳。表向きは在独アメリカ大使館外交官。ドイツに逃れる亡命者たちを支援・保護・報道する人物を足掛かりに、ロシア・中国(の政治家や諜報機関)の動向を調査。これは両国と対立するアメリカ合衆国が先手を取るためであり、このことからBfVやMI6との協調を(アメリカの弱みや動向を悟らせないため)軽視する節がある。芝居がかった口調が特徴的。三度の離婚歴があり、FKK(ヨーロッパの高級風俗店)通いが趣味。
「王天祐(ワンテンユウ)」
MSSドイツ潜入捜査員。
黒髪黒目、容姿端麗、173cm、21歳。ベルリン・フンボルト大学法学部に在籍する大学生だが、実態は父親との2世代にわたる諜報員(ただし本格的な活動はともにドイツに滞在している父親が担っており、天祐は現地研修中)。アフガニスタン・パキスタンを拠点とするタリバン最強硬派ハッカーニ・ネットワークとも通じている。ラファ・ファイザンとは反タリバン系のネットワークの情報を得るために友人関係を築いているが、若さゆえか、彼女に自分を偽り続けることが苦痛になっている様子。
●ターゲット
「シャミール・マスハドフ」
ワレリーのターゲットであるチェチェン人。
174cm、黒髪碧眼で無精髭を生やしている。チェチェン・マフィア幹部の息子。反体制派として活動したり、犯罪行為に手を染めていたりしていた父親とは違い、気弱な性格。5年前に死亡した父親の遺産とドイツのチェチェン人ネットワークを活用し、亡命の手引きをしてくれたサッダームへ資金を提供。当初は苦難に遭う同胞たちへの同情心や欧米人への復讐心といった理由もあったものの、次第に罪悪感や恐怖心に悩まされるようになる。この関係を終わりにすることを伝えるため、サッダームとの約束に応じる。
「サッダーム・ラティフィ」
ヴァルラムのターゲットであるイスラム過激派の人物。
黒髪黒目、顎髭の生えた中肉中背の34歳男。ドイツに潜伏しているアルカイダ工作員。亡命を手引きした引き換えにチェチェン亡命者から資金援助を受け、ドイツでのテロ活動を計画。やがては本人に実行においても協力を促し始め、最後には強制すべく、直接対面する約束を取り付ける。何か相当焦っているらしく、落ち着きがない。
「ハサン・オクタイ」
トルコ系移民二世の実業家。
薄褐色の肌、白髪混じりの黒髪短髪、175cmの57歳。エネルギー関連の事業で成功。政教分離主義のムスリムで、自身の財力を使い、ドイツへ逃れてきた難民や亡命者への支援活動を行っている。また、タリバンの恐怖政治を批判し、ロシア・中国との繋がりも指摘。極右過激組織から脅迫を受けることも。ドイツ人女性のイザベル(キリスト教徒)と結婚しており、彼女のことを心から愛している。
「ラファ・ファイザン」
亡命中のアフガニスタン人のひとり。20歳の娘。祖国にいたころから、女性が教育を受けられるようになった幸福・前時代との比較をブログで発信していたが、政権崩壊前に身の危険を感じ家族とともに亡命。ドイツに身を寄せながらタリバンの暴政・ロシアや中国の協力を批判。ベルリン・フンボルト大学法学部に通っており、MSS諜報員である王天祐とは友人関係。父親からは中国人であることを懸念されているが、「国家を恐れることはあっても、個人を不必要に退ける理由にはならない」という信条から、その正体を知らない。
「ファーガス・ウェッブ」
在独イギリス大使館の二等書記官。
182cm、栗色の髪と碧眼の34歳。野心家で自己顕示欲が強く、現在の自身の立場に満足していない。また借金を抱えており、職務を通じて入手した情報をロシア諜報機関に提供することを決意する。
「ルドルフ・クラッセン」
ドイツ人ジャーナリスト。
白髪交じりの焦げ茶色の髪、茶色い瞳、180cmでやや太鼓腹、48歳。タリバンとロシアの利益供与の疑いという観点から、チェチェンやアフガニスタンの亡命者に取材。妻エヴァと一男一女の幼い子供がいる。ベルリン・フンボルト大学社会学部卒。
●政治家・権力者
「タリバン首脳部]
首相:アブドゥル・ラスール、第一副首相:シャイフ・ムハンマド、教育長官代理:ハジ・ハッカニ、情報長官代理:ムッラー・スタネクザイ、難民長官代理:マウラウィー・ハニフ、勧善懲悪大臣代理:ムッラー・ムッタキー。
アフガニスタン首都カーブルを制圧後、北部同盟をも鎮圧し、厳格なシャリーアを施行する国家を目指す。また、亡命したアフガニスタン人は皆祖国に帰ってイスラムに貢献すべきという見方をしており、亡命者たちに対しても何らかの働きかけを計画している様子。
「各国指導者」
ロシア:ユーギン、ドイツ:ヘンケル、イギリス:ウィルソン、フランス:アロン、中国:張音繰(チョウオンソウ)、アメリカ:エリソン、アフガニスタン前政権指導者:アガ。
いずれも容姿・経歴・政策・政治思想などは、基本的に現実2021年の各国指導者がモデル(必要に応じて改変推奨)。
●ここからについて
わたしも、これから背後様とどのような物語を紡ぐことができるのだろうと、わくわくどきどきしております!!しかし、私の拙い文章のせいで、この素敵な世界観を壊すことにならないと良いのですが…(
こちらこそ、改めまして宜しくお願い致します!
まとめの作成ありがとうございます!すごく助かります!!また、組み換えや編集の方も承知いたしました。
本来ならば私が作成しないといけないところですが、お手を煩わせてしまい申し訳ございません…。本当にありがとうございます!
ではさっそく、初回の方を投下させていただきます。
また、最後の描写に関しましては、サッダームがシャミールに対面の約束を取り付けるためにかけた電話のつもりです。
***
ハンブルクのどこといった特徴のない建物の二階で、男たちが午後の礼拝をちょうど終えようとしていた。
男たちのなかには、とあるカフカース人が混じっていた。そのカフカース人は、二十代も後半に差し掛かったあたりの年齢であるにも関わらず、青年特有の快活さはなく、むしろ気の毒になるほど顔色は悪く、暗い表情をしていた。そもそも、このカフカース人がモスクにいること自体、とてもありえないことだった。
九・一一テロ事件以降、ドイツのモスクは危険な場所になっていた。諜報機関の監視対象になっているような、まちがったモスクに行ってしまったら最後、自分も、家族も、残る生涯ずっと、連邦憲法擁護庁の監視リストに載ってしまうことになるからだ。礼拝をしている男たちの何人かが、BfVから金をもらって情報を売る密告屋だったとしても、まったく不思議ではない。とにかく、イスラム教徒だろうと、諜報機関のスパイだろうと、その両方だろうと、九・一一テロ事件において重要な役割を担ったテロリストの多くが、"ハンブルク・セル"に所属していた者たちであったということと、彼らがここハンブルクのモスクで神に祈りを捧げていたということを、みな忘れているはずがなかった。
そういう訳だから、顔色の悪い男シャミールは、モスクに行くことは滅多にしなかった。彼がイスラム原理主義者連中のパトロンだったとしたら尚更だ。BfVの連中か、CIAか、はたまたロシア人か。どれにしろ、欧州で活動している諜報機関の連中に目を付けられ、あらぬ疑いをかけられ、彼がこれまでしていた"行い"が発覚することになれば、グァンタナモ収容所にぶち込まれるか、背後から頭を撃ち抜かれることになり、彼の父親の遺産やドイツでの自由な生活が吹き飛んでしまうことは、火を見るより明らかだった。
しかし、そんな危険を冒してまで彼がモスクに出かけたのは、急にそうしなければならないと感じたからだった。彼は怯えていた。アルカイダからの要求は日増しに過激になっており、そのうち、資金提供のみならず、地下鉄で自爆しろと命令してくる可能性も否定できない。もちろんここから逃げようと考えたこともあった。ハンブルク中央駅で列車に乗り、あの男の手の届かない場所まで行き、ひっそり平穏に暮らそう、と。しかし、あの男に監視されているかもしれないということを思い出したとき、もはや逃亡計画を練る勇気さえ無くなっていった。
彼を怯えさせる要因は、アルカイダの男への恐怖だけではなかった。
それは罪悪感だった。亡命せずにチェチェンに留まっていたら、もしかしたら救うことができる命だってあったかもしれない。そんなことを考えない日は、一日もなかった。
そうして彼は、底知れぬ恐怖と罪悪感を感じながら日々を過ごしていた。そしてある日、モスクへ行くことを思い立ったのだった。
礼拝が終わり、隣に座っていた禿頭の男に握手をする。そして立ち上がると、壁に掛かっていたダウンジャケットとマフラーを身に着け、足早にモスクから出ていった。
シャミールの身体を十二月の寒風が包み込む。ポケットに手を入れ、アパートの方向へ歩き出そうとしたその時、彼の太ももが震え出した。ズボンのポケットに手を入れ、携帯電話を取り出し、確認してみると、画面に表示されたのは、例の男の番号だった。シャミールは、震える携帯電話をしばらく見つめたあと、それを耳に当てることにした。それと同時に、男たちが階段を降りてくるのが見えた。シャミールが入口の脇に退避すると、無精髭の男たちがぞろぞろと出てきた。しかし、そのなかに、シャミールの隣に座っていたあの禿頭の男の姿は見えなかった。
(/ただでさえ返事が遅れていながら、次ロルではなく遅延連絡をしに参りました、申し訳ありません……!
現在リアル事情でなかなかしっかりしたロルを打つ時間が持てず、最大でもう1週間ほどお待たせしてしまいそうです。
時間の取れた時にすぐ続きを打ち込めるよう、主様のくださった初回文を心躍らせながら何度も読み返している状態ですので、今しばらくお待ちくださいませ……。
ひとえに背後の返信頻度の問題ですので、別所との掛け持ちなどは是非、本当にこちらにお構いなく!)
(/承知いたしました!こちらは全く構いませんので、ごゆっくり書いていただければ!ご連絡くださりありがとうございます。 )
(/お待ちくださりありがとうございました! 背後事情がいったん片付きましたので、次回の返信はこれほど間が明かない予定です。またボリュームが膨大になっておりますが、お待たせした分の特別版ということで、文量等是非お気遣いなく! ※返信不要)
***
〝五つの塔の街〟ことハレは、第二次世界大戦中ほとんど空襲に見舞われなかった唯一の都市である。
故に、歴史を刻んだ建物がそこここに居並んでおり、東独時代の名残さえちらほらと窺える。
今まさしくヴァルラムが立ち寄っていたモバイルショップとやらもそうだ。
中身こそ多国籍企業の製品を取り扱う現代的なそれであれど、その外観を形づくるのは、特徴的な青緑色を放つ古いセラミック製のブロック。
おそらくは、かつての東がハレで力を入れていた化学産業の賜物のはずである。
(しかし、見る人間が見れば涙をそそられるだろうな……)
用事を済ませ、曇天が重く垂れこめるライプツィガー通りをひとり歩きながら、ヴァルラムは思う。
あの店の中に広がる「進んだ」現代世界。
そこに東独は存在しない。
外に、昔に、締め出されたままだ。
そのうえ、ハレの街並みはその古さから、老朽化した建物の取り壊しや改築が日々あちこちで計画され、進められている。
今ぽつぽつとある東の名残も、やがては修繕の名の下に消し去られてしまう。
それが他の街以上に、目に見えて明らかな場所なのだ。
〝古き良き東独〟を愛するオッシーたちにとって、あの店も、この街全体も、きっと酷く痛々しく見えているだろう。
だが、本来は──
「うわっ!?」
「……危ないだろう」
「ご、ごめんなさい。あっ、待って、待てよエアニー!」
赤い路面電車を追いかける冬着を着込んだ少年たち、そのひとりがヴァルラムにぶつかりかけた。
こちらの低い声での注意に、白い息を零しながらドイツ人らしくしっかり謝る。
が、先に走っていった友だちを、すぐに興奮した様子で追いかけていった。
それを見て、ヴァルラムは思う。
あのハレっ子の目に映るのは友人や電車であって、そこの建物の壁にひっそりと残っている東独のマルケンツァイヒェンではない。
仮に見たところで、おそらくはよくわからない落描き程度の認識。
あの時代を知るものが見れば意味のあるペイントも、知らない人間にとっては価値などなく、より興味を惹く新しい何かに押し流され、まるで元々存在しなかったかのような扱いになってしまう。
そう、本来はこのように。
かつての時代や、そこに誇りを抱いていた人間の思いなど、その後の世代には一滴も残りやしない。
……そのはずなのだ。
(なのに、何故なんだろうな)
ヴァルラムは尚も考える。
(何故俺には、ほとんど記憶にないはずの旧ソビエトへの憧れがあるのか)
わからないまま、それでも己の中に燻るその熱を芯にして、今までやってきた。
ハレくんだりまで来て歩き回っているのも、己に課された任務のためだ。
空襲による大打撃を受けることなく生き延びた街、ハレ。
東独の名残が日々消え失せてゆく場所。
約2年前に反ユダヤ主義者の小さなテロ事件が起こったばかりの、ここで。
今度は、イスラム原理主義者による大規模なテロが、首都ベルリンでの実行に向け密かに準備を進めていることを、ヴァルラムは知っていた。
***
マルクト広場前、市役所。
2階の待合室に行くと、探していた人物は椅子に腰を掛けて編み物をしていた。
携帯ショップにいたあの中国人の店員は、今後も多少は信用できそうだ。
『234番でお待ちの方……4番窓口まで……免許証と申請書を……』
ちらりと周囲の様子を確かめる。
フロアは多くの人が行き交い、うるさいほどではないが雑音が絶えない。
役所の人間はしかめ面で慌ただしくしており、手続きを待つ人間は携帯を見ているのがほとんどだ。
注意を引くことはないとみて、彼女の向かいの座席に腰かけた。
「探したよ、ばあちゃん。こんなところに来てたのか」
ごく自然に身を乗り出し、にこやかに話しかける。
編み針を止め、老婆はヴァルラムを、表情を宿さない瞳で見た。
「あれ……親父が電話で話したって言ってたけど、まだだったか?
俺、こっちに転職することにしてさ。
それで今度から、ガレリア・カウフホフの隣で働くことになったんだ」
思考をほんの一瞬で済ませ、心底嬉しそうな笑顔を花開かせた彼女は、大した役者だった。
「あらまあ、おめでとう! それじゃあ、これから毎日来てくれえるのねえ。
そう言えば、彼にはもう会えた……?」
ハレの歴史は古い。
東独時代よりさらに昔──72年ほど前までは、束の間占領されていた。
他でもない、我らが旧ソビエトによって。
彼女はきっと、その当時からここで暮らしているのだろう。
その頃はうら若い少女だったはずだ。
しかし齢90も近い今、ヴァルラムの見る彼女は古木のようにしわくちゃにしなびており、かつてを思い描くのは難しい。
それでも、アチェーツに見込まれたその機転は健在のようだった。
「いや、それがまだなんだ。すれ違っちゃったみたいでな」
「あらあら、残念。
ヘルマンはねえ、いつもあなたとビールを飲みたがっていたわよ。
会いに行ってあげたら? 今頃川辺で先生と一杯やってると思うわよ」
あの飲んだくれめ、と笑いながらヴァルラムは立ち上がる。
それだけ聞けば充分で、もう彼女に用はない。
連絡が来たと言って別れの挨拶を転がし、名残惜しそうなふりをしてさりげなく抜けていく。
最後に手こそ振りあったものの、ヴァルラムの背中に必要以上に視線を投げかけるような無粋な真似を、彼女はしなかった。
***
──一度見失って以来、ずっと掴めなかった尻尾。
それを再び捕まえたのを、ヴァルラムは確信した。
バーブシュカの情報通り、急ぎ足でマイスター・ブラウ醸造所の廃墟に向かったところ、探していた男を見つけたのだ。
黒髭を生やした中肉中世のアラブ人。
アルカイダの末端であり、チェチェン人の支援を受けながらテロを計画する男、サッダーム・ラティフィ。
毒ガスの精製が思うように捗らないことで上層部から何かしらの圧を受けた彼は、次第に恐慌に陥り、不規則な動きを取るようになった。
行き当たりばったりに片っ端から方法を探し、なけなしの仲間にすら当たり散らし、見捨てられ、ますます加速する悪循環に疑心暗鬼と恐怖感を強め。
そうして感情的な行動を繰り返した結果、運転していたバンの後部を事故で激しくぶつけ、そこに仕込まれていた探知機を偶然壊し、ヴァルラムの監視の目をこの1週間すり抜けたのだ。
(手間をかけさせやがって)
住宅街から醸造所の裏手に回り込んだヴァルラムは、そこが男の今の活動拠点であることを確認すると、男の出払ったタイミングを狙って盗聴器を仕掛けた。
基本的に接触は最大限回避するのが、この手の諜報の鉄則だ。
あとは近隣に車を停め、必要な情報を根気強く集めていくのである。
狭い車内で、泣き言や恨み言を零しながら作業する物音を何日もじっと聞き続けるのはほとほと嫌気が差すものだ。
しかしそれがヴァルラムの仕事だった。
愚痴の中に零れ出る他のアルカイダ工作員の名前や匂う作戦、うっすらと読み取れるパイプラインなどを全て地道に記録していく。
特に頻繁に浮上するのは、ラティフィがしきりに連絡を取るチェチェン人の亡命者だ。
これを洗えば、もしかするとアルカイダではなく、元ロシア側のクロートやミトロヒンも芋づる式に発見できる可能性が高いとみることができた。
──だが、一週間が過ぎるころ。
待ち構えていた、だが最悪の形の大きな動きが起こった。
何やら抵抗していたらしい通話口のチェチェン人に対し、とうとう閾値を超えたラティフィが、音割れするほどの大声で叫びだしたのだ。
「もう、もう限界だ! もうたくさんだ!
俺はひとりでパックを完成させたんだぞ! ひとりでだ!
わかるか? わかるか!? 上の脅しを全部俺ひとりで引く受けていたんだ!
おまえも共犯だろう! おまえも最後くらい手を動かすべきだろう、シャリーム!
フォーゲルザング軍事訓練所、そこに今夜23時、23時だ、いいな!
今度は逃げられないぞシャリーム、絶対に……絶対に来い!
今度逃げたら俺のガスは貴様の家族に吸わせてやる!
この国にいる数百人の他人か、おまえの生き残りの家族か!
どちらかを選べ、シャリーム!!」
(/一晩も経ってから名前の間違いに気づきました……何度も連呼してお恥ずかしい……正しくはシャミールです、失礼致しました!)
シャミールからはすすり泣く声しか聴き取れなかったものの、彼は突然、声を荒らげた。
「やめてくれ!これ以上は──これ以上は、できない。たのむから、もう、ぼくに構わないでくれ……」
あとは涙で、言葉が途絶えた。むせび泣いて、そしてまた、むせび泣いて、その場にずっとつっ立ったままだった。なにか怒鳴り声のような大きな声が聴こえてくる。そして、長い沈黙のあと、シャミールは心底怯えたような声音で一言、"わかった"と呟いたと思えば、電話の終了を告げる冷たい機械音が響いた。
その後、禿頭の男は、シャミールがアパートの方角へ歩いて行ったことを確認し、十五メートル先の向かいの歩道で、紙コップを片手に持ちながら電話をかけているふりをしてこちらをうかがっている"街頭画家"にアイコンタクトを送れば、道路脇に停めてあった一世代前のオペル・コルサに乗り込み、急いでそれを走らせた。
*
車がとまったのはアルトナ区のバーレンフェルダー・キルヒェン通りだった。通りの両側には枯れ木が植えられており、さらにその隣には白塗りや赤レンガ造りの美しい建物がずらりと建ち並んでいる。禿頭の男は、くわえていた煙草を筒状の灰皿の中に入れると、車を降り、一階部分が赤レンガで、それ以外は白塗りになっている建物の中へすすんだ。折り返し階段をあがるとすぐに、若い女が横向きに座っているのが見えた。彼女は顔を上げ、足音の方向へ視線をやったものの、音の正体が禿頭の男ものだということに気が付けば、一言も声を発しないまま、カウンターの収納から鍵を取り出して台の上に置き、またすぐにディスプレイへ目を戻した。禿頭もまた無言のまま、その鍵を手に取ると、反転し、通路を左に進んだ。
突き当たりに、カーテンが取り付けられたドアが見える。防音カーテンだろう。カーテンをあけ、ドアを開くと、部屋の奥には三人の男と一人のブロンドの女がディスプレイの前にいた。そのうちの二人は座っており、ひとりはヘッドフォンを片耳に当て、もうひとりは、腕と脚を組んでディスプレイを見ている。禿頭が彼らのもとへ歩いていくと、立っているブルネットの男がコーヒーの入ったマグを渡してくれた。ディスプレイを見てみると、色々なものが映っているのがわかった。左側のディスプレイには、シャミールの家に設置されている隠しカメラの映像が次々と映し出されている──廊下、洗面所、リビング、キッチン、シャミールの部屋、家族の部屋。シャミールはというと、部屋でベッドに横向きに寝て、うずくまっていた。正面のディスプレイには、音声ファイルの再生バーが映し出されていた。
禿頭の男は、その画面を指差しながら、ヘッドフォンの男にいった。
「よし、再生しろ」
クリック音のあと、再生バーがゆっくりと動き出し、ディスプレイからふたりの男の声が聴こえてくる。どうやら、ひとりの男が、もうひとりの男に対して大声で怒鳴り散らかしているらしい。怒鳴られている方の男は何も言わずに泣いているばかりで、そのことが怒鳴っている男を刺激させてしまったのか、男はさらに大きな声で怒鳴った。しばらく経ったあと、泣いている男が"わかった"と言うと、そこで再生は終了した。
最初に口を開いたのは、ヘッドフォンの男の隣に座っている男──ほかの者たちよりも少し老けている──だった。
「やつは弱りきっている。やるならいましかないぞ」
「ああ──やつにはもっと大きな魚を釣ってもらわねばならん。バンの用意は?」
と、禿頭の男。
「できています」
と、ヘッドフォンの男がこたえた。
「よし。約束までの時間は?」
「あと七時間ほどです」
「充分だな──そういえば、親父にはもう報告したのか?」
「いいや。きみからしたほうがいいと思ってな」
老けている男が答える。
「ご配慮に感謝するよ」
禿頭の男は皮肉な口調でそう言うと、彼らから少し距離を置き、ズボンのポケットから取り出した携帯電話を耳に当てた。
*
ブルネットの男がバンの運転席へ乗ると、つづいて、禿頭の男、部屋でヘッドフォンを当てていた男、そして黄色と黒色の郵便局の制服を着たブロンドの女が、後部座席へ乗り込んだ。ドアが勢いよく閉まり、バンは走り出した。
十五分ほどすると、バンはザンクトパウリ地区に入った。この地区は、まさにハンブルクの巨大な肥溜めとも言える場所で、浮浪者や酔っ払い、アジア人、アラブ人、アフリカ人、シャミールのようなチェチェン人などが一日中うろついている。市民に金をせびる薬物中毒者や、その売人、顔中にピアスを付けた女、物乞いと犬たち、薄汚れたパーカー姿で壁に落書きを施す若者ももちろんいる。危険にさらされるのは新入りと、あえて無謀な行動を取る者だけだろう。
バンが、一際多く落書きされている白いアパートの前に停車する。運転手を除き、全員降りて、アパートへ向かっていく。女が最初に進み、アパートの入口前の階段を数段上り、住居者たちの名前が並べられたプレートの前に立つと、"マスハドフ"と書かれたネームプレートを見つけ、横のブザーを鳴らした。十秒ほど経ったものの、返答はない。女がもう一度ブザーを鳴らす。すると、シャミールの弱々しい声が、ノイズ混じりのスピーカー越しに放たれた。
「どなたです?」
「郵便です」
女が、ゆっくりと、そして可能なかぎりの優しい声で返答する。また五秒ほど経ったあと、入口のオートロックが解錠される音が鳴った。女は落書きだらけのドアを開けると、階段をのぼっていき、二人もあとに続いた。女が部屋のドアの前に立ち、男たちは階段の壁に身を隠した。女はドアを三回たたき、ほんの少しドアから離れる。あちらからの返答はない。おそらく、のぞき穴から彼女の姿を見ているのだろう。数秒経ったあと、ドアが静かに、ゆっくり、ゆっくりと開けられていく。そのとき、男たちが階段を駆け上がり、一気に部屋へ押し入った。男たちはシャミールのことを壁に押し付け、禿頭の男がシャミールの顔に袋を被せた。シャミールは状況を理解できていないのか、ほとんど抵抗をしない。女は、急いで階段を下り、アパートの入口のドアを開けてやる。男たちは、シャミールの両腕を掴み、強引に階段を下ろしていく。外へ出ると、運転手の男が後部座席のドアを開けて待機していた。シャミールと男たちが急いで乗り込む。禿頭の男が"行け!"と言うと、バンは急発進してその場から去っていった。
*
ビルハーフェンの古い荷揚げ場に着く頃には、辺りも暗くなり始めていた。運転手の男と、禿頭の男、そしてシャミールがバンから降りた。運転手の男は、シャミールの頭にかぶせられている袋を取ると、運転席へ戻っていった。シャミールは困惑した様子で辺りを見回している。
「シャミール」
禿頭の男が、シャミールの背中を押しながら、やさしくいった。
「少し歩こう」
「忠誠心の話をしないか、シャミール。きみは──きみと、きみの家族は、チェチェン政府からお尋ね者として追われていたところをアルカイダに助けてもらったのだったな。そしてきみは、彼らに報いた。チェチェン・マフィアの父親から譲り受けた汚い金でな」
禿頭の男は足を止めると、煙草を取り出し、シャミールの方へ差し出したものの、彼は首をふった。禿頭の男が煙草に火をつける。煙草をふかし、こう続けた。
「わかるかね。われわれは、きみのことをチェチェンに送還することだってできる──なあ、シャミール。きみはまだ若い。母親を幸せにしてやれ。いままで何もしてこなかったが、間違いだ。連中がなんと言おうと、母親は殉教思想より大切だし、いまならやり直せるぞ」
沈黙のあと、シャミールがとうとう口を開いた。
「ぼくにどうしろと?」
「なにも。良きイスラム教徒でいるんだ。ドイツにいるチェチェン人やアルカイダの連中といままで通り連絡を取り続けろ」
「あの男は?」
「やつのことは気にするな。重要な資金源であるきみに手を汚させるはずがない。それに、所詮は下っ端さ。わたしがなんとかしておこう」
煙草を足で消しながら、続けた。
「われわれは全力できみを守る。きみが役に立つ人間である間はな」
辺り一帯が夕闇に沈む中、幹線道路の数台先を古いバンで走るサッダーム。
彼の舌打ちや苛立ちもあらわな溜息、時折上がる情けない罵声が、後続車を運転するヴァルラムの耳元にも、盗聴器越しにそこそこの高頻度で聞こえてくる。
開発部が今年製造したばかりのこの型は非常に優秀な性能で、フォナーシクからの支給もつい2週間ほど前のことなのだが……うっかりすれば車窓から投げ捨ててしまいそうだ。
(だがおそらくは、これも今夜までの辛抱のはず)
ヴァルラムは早計な真似を避けるべく、フロントテーブルにある別のものへと手を伸ばす。
傷んだ紙箱から取り出したのは、残り少ないベルモール・カナールの一本。
学生時代に古物商で買ったZGR-22を使い、慣れた手つきで点火した。
一服目はやはり、ほんの刹那クラリと来る──これが欲しくて、ずっとこの銘柄を吸っている。
(今のラティフィがシャミールと接触すれば、直情的な行動に出かねん。
だが、二人を対面させれば……ようやく本懐を遂げられる)
その瞬間までは、この男を嫌でもマークし続けなくてはならない。
***
ヨーロッパにおけるイスラム過激派の暗闘は、以前よりも活発になりつつある。
発端は異国アフガニスタンの政変だ。
それまで大国アメリカの傀儡だった前政権指導者・アガは、今年の初夏から続いていた旧支配勢力による猛然たる軍事作戦に尻尾を巻き、ついに国外へ逃亡。
それに伴い、民主国家としてのアフガンは急速に崩壊。
入れ替わるように、以前恐怖政治を布いていたタリバンが再び天下を取り、ここにイスラム法を最上位に掲げる首長国家が再誕した。
アフガンを構成する当の国民たちはといえば、20年前への逆戻りを恐れて一斉に亡命を図り、今もそれは続いている。
その流出に対し、ただ手をこまねいているような新政権ではなかった。
彼らには、忠誠の誓いこと〝バイア〟によって、国内外で動いてくれる忠実な友──国際テロ組織アルカイダがいる。
ヴァルラムの推測する限り、タリバンは彼らを、逃げ出した元国民たちへの非言語的な〝干渉手段〟として使うことに決めたのだ。
一見、大国アメリカとの融和を巡り不仲になったと見られるタリバンとアルカイダだが、その実態は、むしろ以前よりも密かに結びつきを強めていると言える。
すなわち、国際社会からの監視や批判をある程度受け入れる義務を果たす代わりに、アルカイダが決して得られない表舞台での証人と実権を勝ち取りつつあるタリバン。
そして、国際社会からつまはじきにされる代わりに、タリバンが手出しするわけにはいかない裏の動きを際限なく行えるアルカイダ。
この二者が結託すれば、表と裏、互いを互いに補い合う、スンナ派ムスリム同士の最強の同盟関係が誕生する。
タリバンからは逃れられないというメッセージを国外で秘密裏に発したいタリバンと、グローバル・ジハードを展開したいが後ろ盾に乏しいアルカイダとで、利害はほぼ一致している。
つまり、今ヨーロッパで沸々と起こっている不穏な動きは、移民として逃げ出したアフガン国民を脅したり連れ戻したりするためタリバンが仕込む工作であり、その実際的な実行者が、協力関係にあるアルカイダなのだ。
ヴァルラムが追っている男、サッダーム・ラティフィも、そういった各首脳部の睦み合いに乗せられて動いている一人である。
だが悲しいかな、ラティフィは末端も末端であり、アルカイダはそんな下っ端工作員に対して親切にしてやる懐などなかった。
所詮使い捨ての命なのだ、失敗してもなかったことにしてしまえるよう、圧をかけるだけかけながら支援はほとんど行わない。
このため、ラティフィは粛清に怯えながら自力で作戦の立案と支援者の確保、物資の用意などをしなければならなくなり、そうして追い詰められた果てがあの醜態だった。
しかし喜ばしいことに、彼の存在をひどく重宝し、彼の真の価値を見出す第三の勢力があった。
それがヴァルラム属する「SVR」──ひいては、北の大国家ロシア連邦である。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、とは東洋の言葉だったか。
憎きアメリカも撤退した政変後のアフガンを再び狙うロシアにとって、アルカイダ工作員とはタリバンの深部を探るための手がかりであり、そのために偶然選定されたのが末端工作員ラティフィだった。
ところがこの男、冴えない割に存外コネを持っており、その太い金脈のひとつが亡命チェチェンだったのである。
ラティフィそのものには何の価値もない。
だが奴のところで、タリバンをバックに持つアルカイダと、ロシアにとって要警戒対象であるチェチェンの資本家が交差している。
奴の持つ複数の脈を辿れば、そこには間違いなくロシアにとって有益な情報が待っている。
ヴァルラムの当たっている任務とは、大国にとっての価値など自覚せぬままラティフィが握っている情報を、気づかれることなく最大限搾り取ることであった。
だが、それももう引き上げ時だ。
この一週間でほしい情報は大方得たし、最早資金源であるチェチェンの動向を探るほうが優先事項だというのが、この仕事を任され続けてきた現場の下す判断だった。
ラティフィから引き出したい残りの情報と言ったら、問題のシャミールの顔と、彼の機械を通していない正確な声くらいのものである。
ラティフィ本人と、いずれ奪われるか奪われないかの瀬戸際にあるドイツ人数百人の命の行方については、任務上の計算を抜いたところで心底どうでもよかった。
***
ハレから三時間近く運転した先に広がる、漆黒の闇に呑まれたベルリンの森の中。
フォーゲルザング軍事訓練所とは、独ソ戦に勝った後の旧ソ連軍がドイツの田舎に造りあげた、秘密の軍事施設である。
現在はうら寂しい廃墟と化しているそれは、当時は一応村という形をとっており、学校や病院はもちろん、酒場や小さな劇場まで建てられていた。
ラティフィがチェチェン人との待ち合わせ場所として正確に指定したのは、森に入ってから五分ほどのところにある、学校の三階部分だ。
車を降りて森を行くラティフィは白い息を吐きながら懐中電灯を使っているが、当然ヴァルラムはそれに倣うわけにいかない。
暗視鏡で足元に注意しながら尾行しなければならず、それでも時折は鋭い枝葉が顔に当たる。
しかしラティフィは、人目を恐れてこんな場所を選んだ割に緊張から気づかぬようで、階段を幾度か踏み外し悪態をついてすらいた。
仮にも劇薬を詰めたトランクを手にしているというのに、アルカイダは人選がくるっているのではないかなどと距離を置きつつ考える。
或いは、ラティフィがそこまでのものを製造すると想定していなかったのか。
コートの前を合わせながら、ヴァルラムも石造りの階段を上っていく。
ふと中庭の空を見ると、重く垂れこめた曇天の隙間から中途半端な月が申し訳程度に覗いていた。
そのまま下に視線を下ろせば、そこにあるのはぱっくりと口を開けたコンクリートの貯水槽だ。
12月のこの時期、当然表面には薄い氷の膜が張っており、微かな月光に鈍く輝いていた。
黒っぽく揺らいで見えるのは、中に自生した水草の類だろう。
中庭のぐるりを囲む校舎の壁を注視してみれば、ところどころ大きく崩れ落ちている。
水死体のひとつやふたつはあるかもな、などとのんきに考える──夏場にこういう廃墟へ悪さをしにやってきて、羽目を外してふざけたそのまま二度と帰れなくなる若者は多いのだ。
祖国にもいた。
大学時代の、数少ない友人のひとりがそうだった。
自然と体がヴァルラムの意思を離れて動き、物音を立てず三階……ではなく、四階へ上がる。
ベルリンのタバチニクからメールで貰った図面の通り、四階の床には穴が開いており、足音にさえ気を付ければ階下を監視するのは容易そうだ。
実際に覗いてみると、教室と廊下を隔てる内壁がところどころ倒れているためまばらに広くなった三階の片隅で、ラティフィが火を焚きはじめていた。
さすがにこの寒さは極度の緊張をも通すらしい。
ヴァルラムも防寒着の前を合わせ、ラティフィを視界に入れ続けながら、咄嗟に死角に下がりやすい場所へと落ち着く。
暗視鏡越しに腕時計を見ると、22時43分を指していた。
シャミールの到着までもう少しかかるだろう……今夜は長い夜になりそうだ。
(/お約束の誤字修正・世界観調整です。どうしても発生しがちなので、以降事務的に行ってまいります。)
誤)アルカイダが決して得られない表舞台での証人と実権を勝ち取りつつあるタリバン。
正)アルカイダが決して得られない表舞台での承認と実権を勝ち取りつつあるタリバン。
・浅薄にも書き終わってから調べたところ、12月のベルリンの日の入りは16時前でした。
このため、サッダームは18時頃テロの下見を兼ねてベルリンに到着し、(ろくに喉を通らない)夕食休憩をとったあと、21時頃軍事訓練所へと向かっています。
不要な情報かもしれませんが、辻褄合わせの要素として。
シャミールは窓を少し開けた。
癌だの刑務所入りだのを言いわたされると、だれもがかえって元気づくといわれている。炎のなかに飛びこんでいく蛾と同じで、希望の達成と身の破滅とが同時に達成されるわけだ。シャミールもまた、それに似た感情が意識された。しかし結局のところ、それも束の間の安らぎでしかなく、そのあとすぐに不安と焦燥がおそってきた。そしてしだいに、元気を失っていった。
といっても、これが人生の事実で、今後はこれを生きぬかなければならない。それと現実とのギャップを埋める心の準備がほしいところだが、それもまた、無理なことを知っていた。
これとおなじ気持ちを味わったのは、亡命を決心したときだから、五年前の冬のことになる。それより一年ほど前の夏、突然、父がスイスのインターラーケンで休暇を過ごそうと言い出した。インターラーケンは、"湖の間"という名前のとおり、トゥーン湖とブリエンツ湖に挟まれている美しい都市で、ホテルの窓からはるか上に眼を向ければ、アイガー、メンヒ、ユングフラウといった山々が、まるで新婦のような輝きを放っている。シャミールは、夕方のレストランがとくに好きだった。世界中から来た幸せな人々が、星空の下で食べたりおしゃべりをしていて、そばではバンドが演奏している。大気は心地よいほどに暖かくて、バンドたちが奏でる音楽で満ち満ちている。とても幸せだった。
そんなこんなで素晴らしい休暇を過ごし、スイスへ滞在できるのもあと一日になった。しかしそんなとき、あの最悪の事件が起きた。帰国当日の朝の七時、宿泊先のホテルの父の部屋へ訪ねに行ったものの、部屋の扉が一向に開かない。発作かなにかで倒れているのかと思い、急いでフロントまで行き、扉を開けてもらった。しかし、中には、倒れている父の姿はなかった。そう、やつらは朝の四時に、父をホテルのベッドから引きずり出し、猿ぐつわまでかませ、モスクワ行きの飛行機に乗せたのだった。警備の薄い旅行先を狙ったのだ。その後、父はなんとか解放された。縦横に入り乱れるピンクの傷を身体中に付けて。
その後一年間、父はさらなる地獄を味わった。だが、家族はもっと悲惨だった。酒と絶望、暴力にまみれた惨めな暮らし。以前のような家族には、もう戻れなかった。
そして、ちょうどいまと同じくらい寒かったとき、納屋に入ると父がいた。散弾銃をくわえ、引き金に手をかけていた父が。
それからというもの、この時期になるたびに、鋤の柄をにぎる農夫のような手で、散弾銃を握りしめていた父の姿が、記憶の片すみに浮かびあがってくるのだった。
*
シャミールはふと、手元の携帯電話を見てみた。禿頭が渡してきた、なんの罪もなさそうな携帯電話。しかし、彼いわく最高レベルの暗号化ができるように改造されているらしい。その手のことを到底信じる気にはなれないが、黙って受け入れるしかない。シャミールは、それを見るたびに、自分の現在の立場を思い出さざるを得なくなり、非難と絶望と腹立ちの入り混じった視線をすえた。
"申し訳ないが、シャミール、携帯電話の電源を切ってもらえるかな。正直なところ、気になってしかたがないのでね"。
作戦指揮官を自任する禿頭の男が、流暢なチェチェン語で、静かに頼んだ。
"今後、われわれと連絡をとるときは、この携帯電話を使ってくれ。また、きみの不在中、すばらしいご家族に万一なにか不幸な危機が訪れた場合には、きみの職場に内容が伝わり、そこからきみに連絡が入ることになっている。わかるかな、シャミール?"。
わかってきたよ、だんだんと。
*
アウトバーンを飛ばして三時間。車は、深い森のなかにあるフォーゲルザング軍事訓練所へ着いた。禿頭は車から降り、ニット帽をかぶった。後部座席のドアを開けてシャミールを降ろし、
「よし、段取りはわかっているな、シャミール?」
と言った。
「きみは盗聴器を付け、われらがミスター・ラティフィのもとへ行く。もちろん、わたしもきみと一緒に行き、少し離れた場所で、きみたちのことを監視している。万一きみの身に危険が迫れば──もちろん、仮の話だが──わたしがすぐに駆けつける。いいね? わかったね?」
なんの反応を示さなかったシャミールを見て、語気を強めた。
「とにかく、きみはラティフィの愚行を止めるだけでいい。ぼくはきみたちの支援者であって、テロリストではない。これ以上いうなら、資金援助を止めるぞ、とな」
少し経ったあと、ヘッドライトを煌々とつけた大きな車が漆黒の森の中から飛び出してきて、徐々に速度を下げていった。約束の時間に遅れてきたラティフィの車だ。いやちがう。シャミールが家から連れ出されたときに乗っていた、シルバーのベンツのバンだ。バンは、ヘッドライトを消し、シャミールたちの車のすぐ後ろにタイヤを鳴らして停まった。そのあと、後部座席からヘッドフォンの男──名前はイリヤというらしい。本名かどうかは分からないが──が出てきた。イリヤは、シャミールの目の前まで来ると、シャミールの首もとに盗聴器を付け始めた。付け終わると、すぐにバンの中へ戻って行った。
「先に歩くからついてきてくれ、ゆっくり、落ち着いて。枝葉があったら、ちゃんと見てよけるように。さあ行こう」
禿頭は煙草を捨てると、シャミールの肩を触りながらやさしく言った。
禿頭はシャミールの前に立ち、懐中電灯で前途を照らしながらゆっくりと森の中を歩き始めた。時折、禿頭は振り向き、シャミールの様子を確認してくる。彼が気付いたいたかどうかは分からないが、シャミールは、ばかみたいに顔を緊張させていた。おまえが導く人もいれば、おまえがついていく人もいる、と父親は言っていた。これに関しては、ついていく他なかった。
しばらく歩いていると、彼らはふいに目的地に着いた。ラティフィとの待ち合わせ場所である学校だ。
「ここだ、シャミール」
禿頭は、シャミールの方を振り向き、言った。
「わたしはここで、きみたちの会話を聴いている。大丈夫だ、シャミール。なにかあれば必ず駆けつけるし、きみならやれる。間違いなく」
禿頭が、手に持っていた懐中電灯を差し出す。
「幸運を祈る、シャミール」
シャミールは、頷くしかなかった。
禿頭からもらった懐中電灯を手に持ちながら、校内へと入り、階段をゆっくりと上っていく。一階、二階、三階。 寒さと不安で、心臓が高鳴り、からだが慄えた。
三階を進んでいくと、部屋の片隅で火が炊かれているのが見えた。もちろん、火のそばには、ラティフィがいた。彼のもとまで歩いていく。
シャミールは、震える口を懸命に開いた。
「アッサラーム・アライクム、サッダーム」
(/こんばんは、お世話になっております。
ここ数週間で私生活が変化してしまい、この先安定してお返事のロルを綴っていくのがどうしても難しくなってしまいました。
このため、物語が序盤の段階であることといいとても心苦しいのですが、やり取り打ち止めの申請をさせていただきたく。
ここで創作したものやヴァルラム含むキャラクターは、背後様の好きなように扱っていただいて構いません。
ごく短い間でしたが、主様から刺激を受けて他国の歴史を調べたり、1900年代の世界情勢を勉強し直したり、ロシアやドイツの様々な街を調べて思いを馳せたり、主様と一緒にスパイとしての作り込みをして言ったりする過程が本当に楽しかったです。ありがとうございました。
また、ジョン・ル・カレ作品を小説であれ映画であれいつ鑑賞できた際には、自己満足ではありますが、残っていればこちらのトピックに感想などをそっと置いておきたいなと思っています。
本件の原因たる事情ゆえ、どれほど先のことになるかわかりませんが、ロルを打つのが難しくなってしまったも、主様が募集の時に挙げてくださった、主様の心を揺さぶった未知の名作を自分も知りたい、という思いがずっと続きそうなのです……
上記のわがまま、そして一方的なご連絡になってしまったこと、申し訳ありません。
何か懸念等あれば、しばらくの間数日おきにはなりますがトピックの確認を致しますので、お声がけ下さいませ。)
( こんばんは。こちらこそ、いつもお世話になっております。
ご丁寧にご連絡いただき、ありがとうございます。
やり取り打ち止めとのこと、承知いたしました。背後様とのやりとり自体は短期間でしたが、内容はとても濃く、どのようなお返事をいただけるのかといつも心待ちにしておりましたので、もう見られないと考えると寂しい気持ちでいっぱいです。
こちらこそ、本当に、本当に楽しかったです。ありがとうございました。お戻りになられる際には、いつでもお声を掛けてくださいね。
また、ジョン・ル・カレ作品について知りたい、と言ってくださったこと、本当に嬉しいです。
そこで、僭越ながら背後様におすすめしたい作品がございまして。特にご覧になっていただきたい作品を映画と小説でひとつずつ挙げさせていただきました。
映画作品ですと「裏切りのサーカス」でしょうか。こちらは、個人的にはジョン・ル・カレの映像化作品のなかで一番の作品だと思っております。私自身、もう5回は観ました。
小説は「寒い国から帰ってきたスパイ」でしょうか。こちらは、アマチュア作家にすぎなかった彼を、スパイ小説界の巨匠に伸し上げた作品で、彼にしては、文章も平易で読みやすいです。
長くなってしまいましたが、どらちもジョン・ル・カレの最高傑作で、間違いなくお気に召すと思います。背後様のご感想を楽しみにお待ちしております。
本当にありがとうございました。 )
お久しぶりでございます。お元気でしょうか?
先日ふとこちらのお部屋のことを思い出し、懐かしくなってつい投稿の方をさせていただきました。
あれから約1年ほど経ちましたが、ヴァルラムとワレリー、その他のキャラクター達、そして隠語集などの細かく作り込まれた設定の数々を思い出すたび未だに私の胸を熱くさせます。あのとき、匿名様とお会いできて本当に幸運でした。
夏から秋へと季節が移り、だんだんと肌寒くなっていきますが、どうぞご体調にはお気をつけてお過ごしください。またいつか一緒に物語を紡げることを楽しみにしています。
お久しぶりでございます。
当方、元気に過ごしております。
あれから随分と時間が経ってしまいましたが、主様は如何お過ごしでしょうか。
流行り病や酷暑等、平穏を蝕む何かしらに患うことなく、元気でいらっしゃいますでしょうか……。
2年近くも前、私生活の急変により時間が取れず、あまりに早く打ち切りとなってしまったこと。
改めて、非常に申し訳ありませんでした。
そして何より、身に余る温かなお言葉で送り出してくださったこと。
切に切に、ありがとうございました。
実はこの頃、『寒い国から帰ってきたスパイ』小説版の読破が叶いました。
一方的かつ身勝手ですが、ここに記した約束をようやく果たすために、こちらに戻ってまいりました。
元々、あの時の募集にお声掛けしたのは、主様の書き込みから「ジョン・ル・カレ作品への熱」を感じ取り、「知らない作家だけれど、この人はきっととても好きなのだろう。その小説群のどんな魅力に惹かれたのか、自分も一端に触れられるだろうか」と思ったからでした。
その時のわくわくした気持ちは強く焼き付いたまま、それでもジョン・ル・カレの世界への憧れに関しては、長いこと知らぬ熱であり続けていましたが、今ようやく、僅かながら、知るものとすることができました。
粗末なものではありますが、お勧めしてくださった作品について、感想を置かせていただきます。
物見気分でお読みいただければと思います。
---
『寒い国から帰ってきたスパイ』について
一九七八年五月三十一日発行の、青紫の表紙のものを購入しました。
ジョン・ル・カレ自体の特徴か、六十年前の邦訳界の風潮か、宇野利泰氏の癖なのか不明ですが、全体を通して、「かれ、~」という言い回しが散見されるのがとても印象的でした。
第1章を読み始めてすぐは、当たり前のように何かしらの状況が始まったことに、すぐに頭が追いつきませんでした。
もしかして、このテンポの良い情報量は、前作や関連作への知識が前提とされていて、自分が読むには早かったのでは?
或いはもっと純粋に、本格的な大人向けの小説をそう読まない自分に、読者として体力が備わっていないのでは?
結論として、それは大方杞憂でした。
登場してすぐに「これは死ぬな」と思っていたカルルが、案の定章末で射殺され。その際、「死んでくれたほうが」とリーマスが祈っていた点。
その、死んでくれたほうが「どうだ」までは記さないセンスが、興味をひきだされた一番最初です。
次章でリーマスの人物像が簡単に説明されたことから、「きっとこれは新規でも読めるように構築された小説だ」と理解しはじめ。
3章、リーマスの堕落の描写に差し掛かると、例え任務のための演技であろうと、いやそれだからこそ、〝身を持ち崩した…ふりをする…元スパイ〟という要素自体が、眺めていて面白く。
4章、就職先が図書館に移り、ミス・クレイルへの滑稽なちょっかいや、リズと過ごす束の間の安息を描写する段になると、この頃にはもう完全に、『寒い国から帰ってきたスパイ』の世界に惹き込まれていました。
もう純粋に好き。
リーマス自身はつまらぬ仕事と思っていたようですが。
後々のリズの言葉を借りるなら、「梯子、書棚、書籍、索引カード」に、投げやりな態度のリーマスが、その頑丈な手を触れて作業をする。
それだけの時間が、目にした瞬間から無性に大好きでした。
この4章の、冒頭の平和な日々が、仮初のものだとわかっていたからこそ、余計に突き刺さったのやもしれません。
何にいちばん良い意味で驚いたと言ったら、矢張りリズとの描写です。
堅いストーリーなのだろうと思っていただけに、存外真正面から男女の慕情を描写していて。
これがのちのち、とんでもない効き方をしてきてしまうのですけれど。
夜を共にして誇らしげなリズと、恥じ入ったように帰っていくリーマスの描写がおかしくって。
ジョン・ル・カレなりの細やかな可笑しみの描写なのだろうと捉えると同時に、登場人物の小さな心情をしっかり描く温かさにも驚きました。
何より、この後にもたびたび続く、リーマスがリズを想うシーン。
まさかそこまで本気にしていたとは思わず、でもそういうものとして、それはそれで喜びながら読んでいくことができました。
ジョン・ル・カレは、こういう作家だったのかと覚えました。
硬派なだけの物語を書くんじゃなくて、生き血の通った、感情のある、小さな個人の、言ってしまえば些細なつまらぬ情動にも、しっかりと密着するタイプ。
ジョン・ル・カレの作家性について更に触れると。
物語の序盤、管理官との対話の中に、タイトル回収が早くも為されていることにも驚きました。
「ときには、寒いところから帰ってくる必要がある……わかるかね、わしのいうことが?」
「寒いところ」の比喩自体はこの時点でわかるのですが、この小説は要するに、〝英国諜報員リーマスが、「寒いところ」からそうでない場所、リズのところへ、帰ろう、帰ろうと藻掻き続ける話〟であることも、この時点でかなり直接的に明示していたと読めるように思います。
リズへの慕情は後々からリフレインのように繰り返し記されるので、あくまでも読後に気づいたものなのですけれど。
そうなるとやはり、ジョン・ル・カレは、大衆的な感覚の持ち主というか。
スパイ小説ゆえの難解なパートをみっちりと描く代わりに、ある種の部分では直接的でわかりやすい情報の出し方を行う、優れたバランス感覚を持った作家のように思います。
6章、アッシュが登場した辺りも、まだ気分は明るかったです。
完全に彼の軽妙なキャラクターの造形の為で、アッシュが喋ったり動いたりするたびに、清涼剤のようにさえ感じていました。
ところが、リーマスの話す相手が、キーヴァ、ピーターズ、フィードラーと移り変わっていくにつれ、物語は次第に複雑に、シリアスになっていく。
正直なところ、私はああいった、政治的なものの見方や情報の流れの追跡・記憶が不得手で、話をほとんど理解できないまま、文字を追うだけになっていました。
ですが、追うだけなら追うだけなりに、彼らが高度な情報戦を繰り広げている雰囲気を覗き見るのは、非常に面白かったです。
思い返すに、リーマスは決して華やかな諜報活動は行っていませんね。
彼のしている仕事と言えば、徹底的に落ちぶれたふりをすること、必要な人に会って必要な話をすること。
アクションや拷問もあるにはあれど一度きりで、その仕事の大半は、とにかく話す、話す、話して話して情報を扱い続ける。
正確には、情報と情報の橋渡しを担い続ける。
ここがきっと、華やかなスパイ映画にない、地道なスパイものならではの魅力だったように思います。
11章のリズ視点で、「リズの主観に章を割くということは、彼女の配置ものちのち効いてくるのだな」と予感できますが、また、この最後にようやく登場が明かされる、ジョージ・スマイリーの存在。
彼の名前はぼんやりと、ジョン・ル・カレの三部作の主人公格らしいとだけは把握しておりましたので、そのサービス的な演出といいますか、スピンオフ作品に本編の主人公が満を持して登場する特別感が非常に面白かったです。
11章以前にも名前や情報が出ていますが、その時点でも、何か特別な立ち位置にいるキャラクターである匂いがぷんぷんしていて、ストーリーに不思議な華を添えているいました。
この時点の印象で言えば、知的で悠然とした、品のある人物像なのでしょうか。
頁を進めて、作中とりわけ重要な査問会。
ここのフィードラーとカルデンの演説も、非常に密度濃度が高く、一割も噛み砕けなかったのですが。
これだけの頁を割いているのなら、この小説にとって、一見地味ともいえるこのシーンは非常に重要なのだと理解するには充分でした。
事実、ここに来て初めて、リーマスは英国諜報部の真の策謀に気づき、それがジョン・ル・カレの込めた批判、この小説の真のテーマにも繋がってくるのですね。
この場面で驚いたのは、リズが引き出された瞬間の、リーマスの真の取り乱しぶり。
スパイたる者があんなに激しい反応を示すとは、とこちらが動じる一方で、非情な世界を生きてきた彼にとり、リズはまさしく、「かもめに餌をやる」ような無邪気な人生の唯一の象徴で、それだからあんなに必死に守ろうとしたのかと思うと、切ないものがありました。
もうひとつ、小説前半の、カルルが死に、リーマスが失脚し、銀行課に追いやられ、酒浸りになり、図書館員となり、リズと出会い、恋に落ち、別れ、商人を殴り、収監され、尾行を撒き…という下りの全てが、ここに来て非常に重要な意味合いを持ってくることも、大変な迫力でした。
序盤のいやに丁寧な描写は、後の為の下ごしらえであると、当初から端々に匂わされてはいましたが、ああも容赦なく追及することになろうとは。
カルルが女に喋ったことで死んだあの序盤の物語すら、リーマスの唯一の失敗かつ弱みとして、強力な反復的意味を持つようになろうとは。
やがて真相をリズに語るリーマスの、「みじめなやつは、おれたちふたりさ」という言葉には、これでもかというほどの悔しさがにじんでいましたね。
ムントを嵌める側のつもりでいたが、結局嵌められるのはフィードラーで、そうと知らず利用されたリーマスも、良いように踏みにじられた側だった。
リズの「良い人、悪い人」のような単純な話ではないけれど、フィードラーを徹底的に処刑してムントの命と名誉を守ることに正義があるとは言い難く、胸糞悪い作戦のために騙されたようなもの。
職業スパイは、情報を扱って人を欺く犬だからこそ、時に自分すら情報を秘匿され散々に使いつぶされる悲哀。
それ以上に、フィードラーの処遇から、英国諜報部は個人の人権より思想を救うことを考えており、そのためには冷酷無慈悲だが有益な人物の保身を優先すること、そこに寓意的意味を込めたジョン・ル・カレの痛烈な批判が、リーマスとリズの口論で直接的に描かれていて、車内のシーンの迫力は査問会以上でした。
「むろん人殺しはいやさ。死ぬほどいやだ。だが、ほかにおれたち、なにができる?」
「憎んでいる。つくづくいやになっている。だが、それが現実であるのは否定できない。それがおれたちの社会なんだ」
リーマスのこれらの台詞には、理想論を説く「愚劣な大衆」のリズには見えない、世界の裏側の現実を思い知らされた無力感がにじんでいて。
表現がおかしいですが、作中でも群を抜いて大好きな文字列です。
熟練のスパイだろうと持っている心や情と、世界の非情で不合理な判断にずたずたになりそうな精神の中で、カルデンの言ったとおり、「人の心のあたたかさを求め、その胸に、いまひとつの魂を抱きしめたいと望む夜」にそばにいてくれたのが、リズだったのでしょうね。
英国諜報部にとって、リーマスとリズが本当に情を抱き合おうがそれはどうでも良いことで、けれども真実、彼らの場合はそうなってしまったというのが、心ある無力な個々人を振り回す組織の厭らしさで惨たらしいロマンスになっていました。
そして衝撃のラスト。
ムントが逃がしてくれたにもかかわらず、直前の車の中でのリーマスとリズは、ジョン・ル・カレの代わりに主張するべく激しい口論を興じていたので、ふたりがようやく安心して寄り添うシーンを見たいと思っていました。
しかしそんな気配のないまま、緊迫の脱出シーンを追っていった先に、あの結末です。
正直、当初は非常にショックで、硬派なスパイものであるとはいっても、こんな結末は望んでいない、と反射で怯んでしまいました。
そういう世界に生きて、最後は自ら望んだリーマスはまだしも、リズに至っては完全な被害者です。
そうと知らずに英国諜報部に利用されてリーマスと恋に落ち、まんまと査問会のためにおびきだされ、愛する男を窮地に立たせてしまい、最後は嫌な男の手引きで逃げられたかに思われて、呆気なく射殺される。
何も知り得ない彼女には本当に何一つ非がなく、ただ策謀に巻き込まれただけの、無知で愚かで善良な大衆のひとりでしかあえりえない。
そんな彼女をリーマスはなりふり構わなくなるほど大事にしていたのに、間に合わなかったのを目の前でむざむざ見せつけられ、結局一緒に死んでしまう。
しかし時間をおいて思い返すと、小説としてはこれ以上ないラストだと、今は深々納得しております。
まずあの冷酷無慈悲なムントが、知り過ぎたリズをただで逃がすわけがありませんでした。
梯子を外すはずの男が消えたのも、あまりに早くサーチライトに照らされたのも、実際はきっとそういうことなのでしょう。
そのリアリティは、つまりここにも、西の国々の情報戦における非情さ、個人の命の軽視が、はっきりと表れていますね。
そしてあの短い章は、タイトルが「寒い国から帰る」となっていました。
読み始めたときには、この章題から、何かしらは失いつつも幸せな結末へ至れるのだろうと、勝手に思い込んでいたのですが。
ショック状態での読了後、タイトルの意味を考えて、最初は疑問を抱きました。
リーマスは結局、寒い国から帰る前に、リズとともに殺されたじゃないかと。
それなのになぜ「帰ってきた」と、確定的な表現なのかと。
これは少しして、あの時自分だけスマイリーたちの元へ逃げることができたはずのリーマスが、リズと共に死ぬ道を選んだことこそ、「寒い国から帰る」を意味するのだと気付きました。
合理的に生存をとって、あの「つくづくいや」な現実世界に戻ることより、愛した女と共に散るという一見非合理だが情のにじむ決断をとることで、彼は実際、「寒い国」に別れを告げた、人間になった、そういう話だったのでしょう。
そう納得してから読み返せば、リズが照らし出されてしまったあのシーン、「残酷な正確さで、ふたりの姿を浮かび上がらせた」の絶望感は、映画『地下水道』に通ずる鬱くしさを感じます。
ハッピーエンドが好きな人間なので、リーマスとリズを本当にいた人間のように思うと胸が苦しくてやまないけれど、物語の最期としてはあれ以上なかったでしょう。
あのエンディングだからこそ、最後まで読み込んで良かったです。
返す返すも、『寒い国から帰ってきたスパイ』のジョン・ル・カレは、非常に巧妙な脚本家であり、読者を思いやる客観的な作家であり、また痛烈な批判家なのだと解しています。
そもそも物語自体が純粋に面白い。
序盤の内に緊迫のシーンを。その後すぐにおかしみやロマンスを混ぜて気持ちを軽くし、かと思えばスパイとしての情報戦は骨太に。前半にちりばめた情報を後半怒涛の勢いで拾い集めて何度も役立て。
そしてそこから、作者の言いたいことを、物語上の不自然さは全くないまま、はっきりと、熱を込めて、怒りながら主張している。
とにかくあらゆるバランス感覚が非常に優れていて、純粋な本好きとして、死ぬ前に読めてよかったと思うほどでした。
改めて、ジョン・ル・カレに出会わせてくださったこと、深く感謝申し上げます。
今はたった一度通読しただけで、物語の別角度での読み込み、特に情報戦の理解は全くできておりませんので、きっとこれからも何度も読み返しては、あれやこれやと新たな発見を楽しむことになりそうです。
何度も何度も読んでは考え、気づきや解釈を得られるような、素晴らしい小説をご紹介くださったことにも、等しく感謝申し上げます。
『寒い国から帰ってきたスパイ』を読んで読んで読み込んだら、他の作品群にも飛び込んでみるつもりです。
ジョン・ル・カレの作品には既に信頼が非常に大きく、まだ見ぬジョン・ル・カレ作品がある幸福を、心底噛み締めております。
*スパイものとして
2年前当時は曖昧にしか思い描けていなかった、主様の愛する「現実的なスパイの世界」が、この作品を呼んだことで少しだけイメージできるようになりました。
派手なアクションや特殊なガジェットではなく、地図、地名、どの通りを左右どちらへ、日時、時系列、誰に何を貰った、誰が何をどこでいつどうしてどうなったか、金の動き、だれがああすると誰が得をする、あいつはどういう人物だ、あいつの目は何色だ、誰が誰のどういう点を嫌う…そういった情報を、いやというほど膨大に、永遠に、扱い続ける仕事であること。
任務には失敗も多く、何より気の長くなるほどの忍耐や繰り返しが山のようにあること。
スパイだろうが何だろうが、各々の性格特性というのは色濃く出るもので、それが武器にも、弱みにもなること。
非情な性質を持つのは往々にして「組織」という生命であり(ムントは異端)、末端の個々人には、感情も弱さも、希望も信仰も、欲望も思想も、人の好き嫌いも、空腹も疲れも、トラウマもあること。
---
この週末、『裏切りのサーカス』もアマゾンプライムで視聴する予定です。
もうひとつの身勝手な約束の履行を、今暫しお許しください。
『裏切りのサーカス』について
大変遅くなりました。
こちら、実は先日の16日中に視聴していたのですが、一度の視聴では到底噛み砕ききれないことに気がつきまして…
二度目の視聴を計画していたのですが、時間がなかなか取れそうにないため、初見の視聴、及びその後読み漁った他の方の解説に基づく感想を置かせていただきます。
構成等考えず垂れ流しにした駄文ですので大変読みづらいかと思いますが、お目溢しいただければ幸いです。
---
冒頭、コントロールとジム・プリドーの密談に始まり、ブダペストで将軍を待つシーン。
この時点で、視聴者側に求められる状況把握能力がかなり高いことをじわじわと悟り、画面や台詞から情報を拾って整理するのに必死でした。
そうなると必然的に、映画に入り込むまでに時間がかかってしまっていたのですが。
その先、罠に気づいたジム・プリドーの緊迫感で、一気に持っていかれました。
主観的なコンテと、絞られていく⇔増大していく効果音の組み合わせによる臨場感が、感覚的にとてもわかりやすくって。
あそこで初めて、『裏切りのサーカス』に入り込んだかもしれません。
自分にとって、この映画の感想は、もうこのブダペストのシーンの時点で集約されているといっても過言ではないかもしれないというか…
情報戦の部分は、読み解く以前に把握自体が難しく、解説による介助を必要に感じるほどだったのですが。
美術・音響・間といった、直接的・映画的デティールのシッな美しさが大変すばらしくて、そこだけで虜にされていました。
私はどちらかといえば、脚本の流れや監督の意図を深読みするが好きなタイプなのですが、『裏切りのサーカス』は良質な難解さが終始敷き詰められているので、映像の迫力やレタッチの美しさというわかりやすい部分に魅入る、およそ大衆的な観方に寄っていたのだろうと思います。
この映画は本当に難しいですね…??でも、全て辿った上でもう一度見直せば発見に溢れていると思うので、主様が五回観たと仰ったわけが非常によくわかりました。
続いて、ロンドン・サーカスでの会議シーン。
ベネディクト・カンバーバッチがまだ若い!と声を上げて笑い、中年から初老の男どもしかいない会議室の図に「この映画らしさ」を感じて魅入り…。
この時点ではコントロールのビジュアルにそれほど注目しなかったのですが、この役者さん、後から回想などで再登場を重ねるたびに、どんどん目元に渋い味を感じるようになっていくから不思議でした。
そこから、静かに流れはじめるタイトルバック。
途中事切れていた老人がコントロールだったことに、すぐには気づきませんでした。あの死に方は、病死とも暗殺ともとれるように意図していたのでしょうか。
ここでスマイリーが眼鏡を買い替えたのは、心機一転を思わせる脚本の流れに沿いながらも、観客のための視覚演出を知らせる狙いがあったのですね。
恥ずかしながら視聴中は全く気付きませんでしたが、こういう工夫をする映画が、個人的にとても好きです。
それから、スマイリーの自宅の扉に挟まれている木片。
あれは職業柄による用心である、というのは見て取れましたが、ここにもうひとつ、妻アンへの煮え切らない感情が込められていたのには、膝を打つ思いでした。
先ほどの眼鏡といい、映画的な演出、キャラクターの表層的描写、キャラクターの内面的描写、といった様々な目的がひとつのデティールに幾重にも込められていて、とても丁寧に造り込まれた映画なのだなあと。
このオープニングが終わると、いよいよ高官たちの密談、スカルプハンターの電話(「首狩人」の元ネタはここでしたか!)、新体制となったサーカス、スマイリーとギラムの調査の始動、スマイリーの回想、ギラムの暗躍…といった具合で、「もぐら探し」の経過が描かれていくわけですが、この地道なデティールが、初見だとその意味をきちんと把握しきれず、恥ずかしながら雰囲気で視聴しておりました。
が、屋内スポーツで汗を流していた高官たちが、更衣室で話すシーン。
ここの背景で、モブの男性がシャワーを浴びている全裸姿が後ろ半分だけ映されていたことの意味が、後になってわかりました。
視聴時は「ああいうのだいたい女体を使ってサービスシーンにするものだけど、これはおっさんたちの映画だもんな~」程度に思っていたのですが、そうやって視線を吸われて少し考え事をさせられた時点で、制作陣の掌の上だったと言いますか。
あれはこの映画の情緒的な部分に、ホモセクシュアルのエッセンスが非常に重要にかかわっていることを、最初に匂わせたシーンのように思います。
そしてこの直後、スマイリーがコニーを訪ねるシーンでも、先ほどまで芝居をしていた若者たちが、堂々といちゃついてキスをしてから、思わせぶりにどこかへ消えていく描写。
そしてそれを見たコニーが、スマイリーを誘惑するような発言をする流れがありました。
これについても、ここまで事務的に「もぐら探し」の経過を描いてきた後に、「登場人物たちには感情や肉欲がある」ことをさらりと示していたのかもしれない。
単なる情報戦の映画ではなく、その背景に個々人のどろどろした感情や欲や性愛が流れているという話が、こういう些細な、一見謎に思える挿入によって、説得力を増していたかもしれません。
それを踏まえて再度考察すると、コニーの家で初めて出てくる、ビル・ヘイドンとジム・プリドーの若かりし頃のあの写真……。
コニー自身は「可愛い子たちだった」と昔を懐かしむニュアンスで出していますし、私も視聴時は「昔から仲が良かったんだなあ」くらいにしか思いませんでしたが、それどころじゃない意味が込められていたわけで。
勘の良い人なら、今のところ直接顔を合わせた描写のないふたりの関係について、この時点でうっすら読み取れたのかもしれない。
そしてこの後、本来原作にはない、クリスマス・パーティーの回想が始まりますね。
これは一度限りでなく、たしか三度ほど挟まれるわけですが、これは読解力が追い付いていない視聴者にとって、非常にありがたい工夫でした。
楽しい音楽に明るいパーティー、そこに織り込まれる登場人物たちのキャラクター描写、という、感覚的にもメタ的にもわかりやすいシーンだったからです。
それまでの地道な雰囲気から一変する新鮮さもありましたし、そもそも視覚的にも、灰色やセピア調でととのえられた現在から、暖色系に明るいものへとレタッチが変更されている。
古き良き時代のサーカス、に埋没する感じ、それ自体も味わっていて楽しかった。
また、これは解説記事を読んで膝を打ったのですが。
怒りっぽいコントロールに粗末にされて内心怒りを燻ぶらせているパーシー・アレリンの描写は、単に性格描写であるだけでなく、後々の放逐シーンに見る精神的弱さを予感させるものでもあったわけですね。
傍の女性が宥めようとしても荒っぽくはねのける辺りに、プライドを虚仮にされた男のささくれた気持ちがよく現れていて。
それを考えると、コントロール失脚後その後釜についたパーシー・アレリンは、どんなに悦に入っていたことでしょうか。
やはりここでも、ホモセクシュアルとはまた違う、社会やパワーバランスといった方面での男の心理が、それとなく匂わされていたのか。
それ以外にも、ビル・ヘイドンとジム・プリドーの様子や、ビル・ヘイドンとスマイリーの妻アンのさり気なくも危険な気配=主人公スマイリーの情緒的な部分にかかわるエッセンス、という、これまた重要な描写が、ごくさり気なく織り込まれていて、クリスマスのシーンは本当に終始見事でした。
そしてここから突然変わって、生きていたジム・プリドーと、冴えない少年ビル・ローチの交流の物語。
ここも視聴時は挿入の意図がわからず、なんとなくで見ていたのですが、「ビルを何人も知っているよ、みんないいやつだ」という一見なんてことない台詞に、ここでも深い意味が込められていたわけですね。
そしてこの前、教室に入り込んだ取りをジムが叩き殺すシーンがありますが(ほとんどあれをやるためだけにあのシーンを入れていたのかと思います)、これについては終盤で言及します。
突然のジム・プリドー生存バレの後、今度はスマイリーの側でも状況が変化、すなわちリッキー・ターが参入。
ここでは彼とイリーナの情を交わしていく様が回想の形で描かれていきますが、これは事実の描写でも、彼の主観による描写でも、もぐらとスパイの過去の関係のカムフラージュでも、或いは匂わせでもあったのかもしれない。
本当にいろいろな見方ができますね。
この後、イリーナの夫が浴槽の中の惨殺死体で出てくるシーン。
あれは『裏切りのサーカス』の中でも最もショッキングな、わかりやすい猟奇的シーンで、固まるイリーナの背後から、ごく普通の顔をして現れるKGBの表情が、逆に不気味で見事でした。
これも解説を読んでなるほどと思った話ですが、あの死体が出てくる前、リッキー・ターがイリーナに電話をかけるシーンで、精肉店の店員が肉にどんっと包丁を振り下ろすシーンがある。
あれはさりげない模擬的描写だったわけで、本当にこの映画は丁寧な造りをしていると再三感嘆させられました。
その後再び、スマイリー一派によるもぐら探しが進行していくと同時に、サーカス上層部の四人組もただぼんやりと探られてはいないような描写が続き。
ロイ・ブランドに歌で脅されたギラムは(この映画、クリスマス・パーティーと言い歌を効果的に使う節がありますね)、リッキー・ターが本当に戻っていたことに激高して殴りかかる。
あのシーン、ギラムにぼこぼこにされたリッキー・ターが、血塗れの口に詰まった何かをとるような些細な描写が、リアルな感じがしてとても好きでした。
いきなりすさまじい乱暴を働かれたのに落ち着いたままでいるのも、現場で荒事を請け負う人間ならではの、状況を見据えた冷静さのように見えます。
このとき名将ぶりを見せたスマイリーは、仕事のきつさに少し参ったギラムを誘い、もぐらのボスことカーラについて、昔接触したときの様子や、彼自身の見解を述べていく。
この映画の主題は「もぐら探し」であることもあってか、ここでカーラはその顔を見せず、その人柄や感情も、スマイリーの言葉の上で語られる。
おそらくここは、私が視聴時に最も読み取れずにいたところで、スマイリーとカーラの間に多くの結びつきがあることが、今でもまだぴんとはきていません。
最視聴することで目が向くようになる部分でしょうか、小説版はもう少し詳しいのでそちらも修めたいと思っています。
スマイリーの語る話から一転、今度はギラムの短い描写。
一緒に暮らしている恋人らしき男が、ギラムに対し、わけも告げずに別れさせられたことへの言及と思しき台詞を伝えながら出て行ってしまう。
ここで初めて、ピーター・ギラムは同性愛者で(も)あることが明かされますが、私はこれを、「仕事柄プライベートが崩壊することもままあるんだな、大変だな」くらいの表層的な部分しかさらっていませんでした。
よくよく考えてみると、映画冒頭のギラムときたら、ビル・ヘイドンとともに女好きっぽい言動をしているし、通りすがりの女性の脚に目をやってもいる。
前者は男づきあいで演じた部分もあるにしても、後者は明らかに彼自身の素の反応で、ピーター・ギラムは両方「いける」タイプであることがわかる。
これはすなわち、物語の黒幕、ビル・ヘイドンのことを示唆する手がかりでもあるわけで、原作におけるピーター・ギラムの人物像からの改変が、非常に巧みに成されているのだなと、ここでも唸るばかりでした。
余談ですが、オーディオコメンタリーにて、ピーター・ギラムが無言で鳴き咽ぶシーンを、ゲイリー・オールドマンがボソッと「...lovely...」だなんて零したという話も見かけました。
わかる、可哀想な若造は可愛い。
その後再び、クリスマス・パーティーの描写。
ここにジョン・ル・カレがカメオ出演している話は視聴前から知っていて、どれだろうどれだろうと探してみましたが、結局わかりませんでした。どこのシーンだろう…?
このときスマイリーの妻アンとこれ見よがしに不倫していたビル・ヘイドンは、その回想シーンで、ジム・プリドーが撃たれたという連絡を聞き、「彼を死なせたら復讐してやる」と激しく息巻く一幕があります。
ここも初見時は、「サーカス上層部ともあろう人が、ずいぶん強い言葉を使うのだな」「それくらいジム・プリドーが必要不可欠な手駒ということか」とすっとぼけた感慨しか得ていなかったのですが、これもすべてがわかった後だと意味が違って聞こえてくる。
その後、ジム・プリドーが回収されてまずい事態になったからと、サーカスの職員を伴ってジム・プリドー宅の家探しをしに行くわけですが、そこでコニーの手元にもあったあの写真がまた出てくる。
このときのビル・ヘイドンの表情、というか間が…
ここで初めて微かな違和感のようなものがありましたが、この時はまだ明瞭になっていませんでした。
場面変わって、スマイリーとジム・プリドーがついに接触し、ジム・プリドーの回想が語られるシーン。
ブダペストで捕まったジム・プリドーは、おそらく24時間騒音を聞かされ眠らせてもらえない拷問に見舞われていましたが、その横では監視役らしき女性が、ジム・プリドーにまったく無関心な様子で、のんびり書物を読んでいた。
あの淡々とした拷問シーンはとてもリアルに感じられて恐ろしかったです。
しかし最も印象的だったのはその後、ジム・プリドーの前に面割りの為引っ張り出されたイリーナが、全く呆気なく頭を撃ち抜かれたシーン。
その躊躇いのない冷酷無慈悲な素早さや、リッキー・ターが愛情を仄めかした女があっさり撃ち殺された衝撃の強さもさることながら。
イリーナの死体が倒れた後、壁に飛び散った脳漿が、重力に従って時間差で落ちるあの描写、あれがすごく…語弊のある言い方をしますと、たまらなく好きでした。
あのシーン、ピントはあくまでジム・プリドーに合っていて、目の前で処刑を見せられたからのきつい怯えをメインとして置いています。
だからあの壁から落ちた脳漿は、いわば動く背景色のようなものであって、あくまでも画面を補完する一部に過ぎないのですけれど。
手前に怯えるジム・プリドー、背景に時間経過とともに落ちる脳漿、そういった奥行きのある画面構成がたまらなく好き。
ある意味、手前と奥とで、生者と死者(の一部)の対比にもなっているし、怯えきっているために硬直しているジム・プリドーと、死んで物質になったからこそ重力のまま動きを見せるイリーナ「だったものの」の、逆転的な静と動の描写でもあるというか。
言いたいことが上手くまとまりきりませんが、あのワンシーンは、『裏切りのサーカス』中でいちばん好きな画面でした。
この後、ジム・プリドーの話を手掛かりに推理を深めたスマイリーは、リッキー・ターを使ってもぐらをおびき出す作戦を考えるわけですが。
リッキー・ターが協力の見返りとして、イリーナの救出を要求すること、スマイリーがそれを呑むことが、何とも苦くて切ない。
スマイリーも観客も、イリーナはとっくに殺されていることを知っているけれど、スマイリーはそれでももぐら探しのため、ありもしないニンジンをリッキー・ターの前にぶら下げるわけだ。
この非情さというか、情報戦に従事するプロならではの判断力が、この映画に深みをだしていたように思います。
ギラムもかつて、リッキー・ターの帰還を敢えて知らされないままサーカス内を嗅ぎ回ったため、上層部にがつんとゆすられて震え上がっていたけれど、ここはそれの比じゃない辛さ。
ここからいよいよ、スマイリー一派が詰めていくシーンが始まりますね。
エスタヘイスがエレベーターで上がっていくと、扉の開いた先にギラムが逆光の構図でじっと構えていたシーンは、鬼気迫る静かな恐ろしさがありました。
このエスタヘイス、これまではあまりぱっとしない役どころだったというか、ほとんど印象になかったので、「送還しないでくれ」と言いだした時は、「君元々そっちかどこかの出身だったんか…?」と首を傾げながら呑み込んでいました。
多分この辺りは大人の映画だからこその造りで、彼の怯えた台詞によって、観客には明かされていないがそういう背景があるらしい、と察するようになっていたのか。
これまでも、シーン中の自然な流れから発生する台詞から、次はどこへ行く・だれと会う・何をする、がその次のカット変換で無言のうちに示されていたこともありますし、やはり随所に深い読解力が必要になりますね。
飛行機まで引っ張り出されたエスタヘイスが、ぺらぺらと全て喋ってしまうのは、彼の打たれ弱さをありありと物語っていました。
でもこれは、様々な、とっくにわかりきった情報を呼び水にしたうえで、飛行機による送還匂わせブラフでより引き出した情報のようにも思います。違うかな…?
ブラフというには様々な裏付けがしっかりなされているものの、エスタヘイスの日和見主義な性格や、送還を恐れる気持ち、そういった心理的な部分に切り込んで、いちばんほしい情報を容易く引き出したのではないか。
またここについて、参考に読み耽っている解説記事が、
「エスタヘイスのような東欧の小国出身(と思われる)者は、歴史に翻弄され、日和見主義で生き抜かざるを得なかったのだから、大英帝国の人間であるスマイリーが『忠誠心』や『裏切り』に触れるのは傲慢である」
「『忠誠心と裏切り』というエッセンスは、サーカスの物語にかかっているのはもちろん、主人公スマイリーの哀れな献身と、その妻アンの奔放な裏切りにもかかっている」
という知見を述べていて、これも本当に噛み応えがあるというか、つくづくするめ映画だなというか。
この後いよいよ、リッキー・ターをちらつかせて隠れ家におびきだすことにより、「もぐら」とご対面を果たすシーン。
闇の中のスマイリーのコンテ、そして絞られていく⇔増大していく効果音の組み合わせ。
ここでまた、冒頭のジム・プリドーのあの時と同じ手法が反復的に使われて、物語のほとんどを唖然と眺めていた私でも、その緊迫感に再びみるみる引き込まれていきました。
ただ、このシーン、原作小説ではもっと違った味わい深さがあるとのことで、やはり『寒い国から帰ってきたスパイ』で魅せられたジョン・ル・カレ自身の語るこの物語を読まねばという思いに駆られています。
さて、「もぐら」の正体はビル・ヘイドンであったことがいよいよ明かされるわけですが、ここはまったく述べづらいというか、映画の中の情報戦についてけずじまいだったので、「あ、そうなんだ…」という感じでした。
強いて言うならば、スマイリーの妻アンとの描写や、ほかの三人に比べて如何にも魅力的=意外性のある立ち位置であること、あとはコリン・ファースは有名な俳優なので、まあそうなるよなあというメタ的な納得感……があったくらいでしょうか。
絵というか、見た目の特徴的には、パーシー・アレリンの俳優さんもなかなか味があって好きなのですが(逆にほかのふたりについては、あまり印象がないともいう)。
とはいえ、処理する情報量がここまであまりに膨大で、推理・予想する体力が全然残っていませんでした。
ただ、本国イギリスにおいて、「もぐらはビル・ヘイドンである」というのは明智光秀の裏切りくらいには有名な話であり、向こうの人たちはわかっている状態でこの映画を観る=制作陣も、バレていると知った上でこの映画を作り込んでいるそうです。
そうなると、あの少しあっけらかんとしたというか、ババーン! というショッキングさを伝えはしない、ごく静かなネタ晴らしには、納得がいくというか。
ひいては、脚本の細かい部分や、画面のレタッチ、視覚的・効果音的に直接的な演出、といった点に注目するのも、あながち間違った観方ではないのかもしれないな…と、自分を納得させています。
さて、炙りだされてしまった「もぐら」は軟禁となり、無能なパーシー・アレリンはふらふらといずこへか消えていく。
エスタヘイスは飛行場でのシーンがあるから良いとして、ロイ・ブランドはどうなったんでしょう。
ギラムを歌で脅すシーンがあったくらいで、やはり彼は印象が薄かった気がします。
またここで解説の引用となるのですが、このモスクワ送りが確定した東側の犬ビル・ヘイドンは、KGBの手中にあるこちらの工作員との交換材料になるのですね。
要はゲームの駒のようなもので、ここで「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」他諸々の顔写真をチェスの駒に貼り付けていた意味が効いてくる。
あれは観客向けに「この人たちがもぐら候補ですよ」「この野郎が本丸ですよ」という視覚的演出を成していただけでなく、スパイならではの人間の扱い方にもかかっていたわけなのか。
もうつくづく、何度目にもなりますが、丁寧なダブル・トリプルミーニングに脱帽するばかりです。
ここでスマイリーとビル・ヘイドンの、最後の会話がなされますが。
ビル・ヘイドンの心中を明かしつつ、諸々の答え合わせも辿りつつ、ひいてはスマイリーの心情が最もあらわになるシーンでもある。
スマイリーは愛しのアンを寝取られても哀れなほど仕え続けた、惨めで可愛い負け犬だったのに、ビル・ヘイドンがもっともらしい矜持のようなものを見せると、途端に自尊心がぐらついて感情をあらわにするわけです。
この辺りも初見時はぼんやりと見ていたのですが、様々な解説を読み、作中のスマイリーの性格描写を思い起こすと、本当にどこまでも、人間故人の感情に深く切り込んだ話になっていることがわかる。
そういう点では、『寒い国から帰ってきたスパイ』に見た、ジョン・ル・カレの作風をきちんと再現しているような気がします。
その後のビル・ヘイドンの、「僕は名を残す人間だ」という空虚な言葉には、これは視聴時に、スマイリーと一緒になって呆れたというか。
散々高尚なお言葉を垂れていたけども、そんな動機のために「もぐら」をやっていたのかと、がっくりくるというような。
ですからその後の、「アンに伝えたいことは?」と尋ねるスマイリーが落ち着き払っていたのにも、これは納得がいきました。
スマイリーの中で、長年嫉妬やコンプレックスの権化という脅威だったビル・ヘイドンは「なんだ、つまらない男だった」というように、ある意味卒業できてしまったわけだ。
ビルはこのとき、スマイリーを揺るがすためにアンを誘惑していたと明かしましたが、スマイリーはこれに、「ある時点まではそうだった」と返している。
このところはまだちょっと、よくわかっていないままです。
他の方の解説では、「ビル・ヘイドンの底を知った今は効かなくなった」という意味として読んでいるものがあるのですが、今はもうビル・ヘイドンも囚われの身で、これからはアンを誘惑しようがないというか、スマイリーを揺さぶるも何も、もう自分が地上に引きずり出されてしまった後だしというか。
ここのところは小説版の描写次第でまた違ってくるのかもしれないので、大事な疑問として覚えておこうと思います。
そういえばビル・ヘイドンは、自分の大事な人間に金を渡してほしいと、要は去る自分の尻拭いをスマイリーに託すわけですが。
ひとりは女、もうひとりは男というのが、後者は「ん?」となっていました。
可愛がっている後輩のような、世話している関係の者か?くらいに思っていましたが、もうそんなどころじゃなかったのか。
アンなりジム・プリドーなりとよろしくやっていただけじゃなく、もうさらにふたり、男と女でひとりずつ愛人がいると。
どこまで手が広いのだろうこの男。
さてその後。
三度目、最後のクリスマス・パーティーの回想がやってきて、ビル・ヘイドンとジム・プリドーが意味深な視線を交わします。
私は本当にもう鈍くって、ここでようやく、「こいつらの視線、なんかただの同僚とか友人のそれじゃないよな…?」「そういう空気に見えるな?」となる始末でした。
ですから視聴後、ビル・ヘイドンとジム・プリドーが恋愛関係だったというそのものずばりな言語化を見て、「本当にそのままだったんかい!」と拍子抜け?したというか。
余談ですがあのシーン、ビル・ヘイドンの立ち振る舞いの中に、ゲイの人ならそうと気づく、さりげなくも特有の仕草があるそうです。
どれなんだろうと見返したけどどれかはわからなかった。
あの顔のパーツを中央に集めてくしゃっとやる笑い方だろうか。
そういえばあの後、ジム・プリドーが何かに気づいたような、妙にシリアスな表情を浮かべていたけれど、あの心情もまだ読み解けていません。
そしてその、もはや直接的なシーンを挟んでからの、ジム・プリドーによるビル・ヘイドン処刑シーン。
撃たれる前にビル・ヘイドンがふとそちらに気づき、ジム・プリドーも一瞬見つめ返すものの、しかしカメラは(気持ちは)切り替わることなく指を動かし、次のカットでビル・ヘイドンはあっさりと撃たれ傾いでいく。
映画的にもクライマックスの頃ですが、ジム・プリドーは、自分が長年捧げてきた愛情や「忠誠心」に、ビル・ヘイドンの「裏切り」を受けて、自ら終止符を打ったわけですね。
このところのビル・ヘイドンとジム・プリドーの間にあった感情の波は、これまでごらんのとおり、私がそういった方面に大変に疎いので、考察の浅さというよりは、「そういうものなのだなあ」くらいの気持ちで、様々なご意見を読みふけろうかと思っています。
個人的には、ビル・ヘイドンはほとんど何も感慨なく、裏切りを知ったジム・プリドーの選択肢をただそのまま受け入れていた=自殺に等しい道を選んだように思えるのですが、どうだろう。
スマイリーが尋ねに行った時も、泣いていたのか、目が赤かった気もしますし。
ただこのシーン、原作によると、ビル・ヘイドンは首を折られた死体となってスマイリーやギラムに発見されるようですね。
たしか描写として、「鳥の首でも絞めるような、慣れた手つきを思わせた」というような地の文になっていたはず。
そして同じく原作では、作中初めてジム・プリドーの生存が明かされる教室でのシーンで、あの迷い込んだ鳥を、箒か何かで叩き殺すのではなく、首を絞めて殺したという。
ここから、ビル・ヘイドンの下手人はジム・プリドーであることが導き出せる、という話になってい方と思います。
個人的にはこちらのほうが、あの鳥を殺すシーンのミーニングも(あのシーンだけを見れば「元スパイの男の俊敏さ・非情さは今も失われていないことがわかる」感じになっていますね)、ジム・プリドーを始末するときの心境も、よりいろいろなものが深く味わえて好きだったりします。
やはり原作、原作を読まなければ。
この後、リッキー・ターが誰かを待っているような様子なのも切なかった。
言うまでもなくイリーナのはずで、『寒い国から帰ってきたスパイ』のリーマスの心情に驚いたのと同様、そこまで本当に彼女を想っていたのかと切なくなりました。
正直なところ、イリーナにコンパクトのミラーをキラキラさせるシーンでは、情報を引き出すためだけにそういう「ごっこ」をしていたのかと思ったので、スマイリーにイリーナ救出を頼むシーンでは、まさか本当に情を寄せていたとはと驚いていました。
もうとっくに生きていない女を、そうと知らずに待つ姿が切ない。
あのカットでは、彼もどこかで、何かおかしいことを薄っすら感づいている表情だったように思う。
その後、スマイリーが帰宅すると、当たり前のようにアンが戻ってきている。
ここ、スマイリーが軽くよろめいていたという話ですが、初見時はわからずにいたので、要確認だなと思っています。
あのアンの、結局ほとんど出てこないのにスマイリーの人物描写をがっちり握っている感じは、本当にこの映画の良い塩梅だなあと。
強いて言えば、アンのそれが成功的過ぎて、同じことをやっている筈のカーラ周りはいまいちわからないままというか。
でも正直、あの尺の映画でスマイリーを描写しようとすると、カーラ周りの掘り下げはいったん弱めにしておいて、「もぐら」も深くかかわっているアン周りに注目するのが自然かなあとも思っています。
そうして最後、亡きコントロールが退いた後に座っていたパーシー・アレリンの椅子に、今度はスマイリーが満足げに鎮座している。
「もぐらを探す」という使命をしかり果たしきった男が、内面的にも、妻を盗んだ魔男への怯みや女々しさを脱却したことが(けれどもアンの帰宅時に見るように、元の弱々しい性質がそう変わったわけではないのだけれど)、ありありと真正面から描かれる。
絵面も、バックに流れる『ラ・メール』のライブ音源ゆえの拍手万雷も、映画のラストとして最高にマッチしていて、完璧な〆方でした。
---
ここまでだけでもあまりに多くの駄文を書き連ねてきましたが、正直この映画は語ることが多すぎて、これ以上はまとまりがなくなってしまいそうなので、中途半端ですがこの辺りで一度筆をおきたいと思います。
とにかく、すごくよかったです。
難しすぎてわけがわからなかった、という感覚はもちろんかなりあったのですが、きちんと読み込めば読み込むだけ面白さに気づけるし、脚本の難しさとは関係のない、映画的な構造や制作側の意図を噛み砕くのも、本当に楽しかった。
素晴らしい映画をご紹介くださり、本当にありがとうございました。
改めて。
あの当時、リアルの多忙化によってせっかくの物語を打ち止めとさせていただきましたが、それでもずっと、物語の世界に…だけでなく、主様とああして、同じ情熱に浸りきった思い出そのものに、心を寄せておりました。
主様は今どうされているでしょうか。
お元気でしょうか、日々楽しく過ごされているでしょうか。
あのとき分けていただいた熱を、今こうして、ようやく自分も受け継ぐことができました。
素晴らしい読み物(映画もこれに含めます)は、一生頭のなかで反芻するタイプですので、誇張なく、主様の影響をこの先ずっと受けていると思います。
『寒い国から帰ってきたスパイ』も『裏切りのサーカス』も、どちらも一度味わっただけでは到底足りないとんでもない作品なので、まずはそちらを読み込みますが。
特に原作小説の方について、これからもいろいろ触れていくつもりです。
改めて、本当に本当にありがとうございました。
いつかの折に、興奮のまま書き殴った新規ファンのこの感想が、先輩である主様の目にも触れたらいいな、と願っております。
トピック検索 |