下級妖怪 2021-05-06 19:39:12 |
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「チッ……くそ……どこだよ……ッ!!」
苛立ちから彼は舌打ちと拳を握り締める。
見知らぬ夜道に右往左往しながら必死に駆け抜ける。
アルバイトの帰り道、日々触れ合っている子猫を追いかけ、真っ赤な鳥居に吸い込まれるよう歩いたらこのありさまだ。潜った先は、昔のように着物を着た者達が行き交う屋台が並んだ大きな通り。
「マジで、……帰りたいのに………」
涙がじわっと零れてくる。
親とはぐれた迷子のようにとはいかないが声を押し殺しながら静かに涙を流し、しゃがみ込む。
不安で仕方がないのだが、助けを求められるそんな素直な性格でもない彼はふーっと息を吐く。
「あの、どうかしたのですか? そんな所に居たら此処を通る人の邪魔になりますよ」
大通りから帰路に着いていたのだろう。大通りで買ったと思われるいなり寿司を片手に、環は道でしゃがみ込んでいる男性に優しくそう声を掛けて。まぁ実際今私が邪魔だと思ってるから早く退いて欲しいんですけどと内心思ってはいるものの、それを表に出さぬよう温和な笑みを浮かべては空いている方の片手を口元へと運ぶ。着物の袖で口元を隠しながら相手の様子をうかがうように見つつも、まだ相手が外来者であることに気付いていない様子であり
突然、声を掛けられビクゥッと肩を強張らせた彼は涙を拳で荒々しく拭い取り、上を向く。
「……、……邪魔になるって事ぐらい解ってるし……っ。ってか俺、迷子なんかじゃないからほっといてよねっ!!」
困っているところを助けてほしい、と思いながらもつい、強がって反対のことを口に出してしまう彼は下唇を噛んだ。
今更、「助けて下さい」も言えず、何処かに野宿をしようかとふらふら背を向けて歩き出す。
戸惑い、あてどもない彼を見たらどんな者でも迷っているんだなと解るだろう。
そのくらい、ふらふらしていた。
彼は立ち止まり、くるっと踵を返し、環の方へ戻る。
「………っ日比谷 周……!!」
周はバツの悪そうな、羞恥心に覆われた顔で目の前に立つ女を見つめた。
迷って迷って、プライドが傷つくことも本当は嫌だったのに戻ってきた周は余程、困っていたのだろう。
「……は、はぁ。一体なんなんですか、貴方は」
まさか、道を引き返して来たらしい相手に名乗られるとは微塵も思っておらず、ヒビヤアマネ?と僅かに首を傾げるも意味を理解する気は無いのか疑問に思うだけに留めて。迷子だのなんだのと去っていった者がまた自分の所に居るという事実に困惑気味にしつつもそう述べ
「まぁ、見つかったのが私で命拾いしましたね。他の人なら殺されている所でしょうから、今頃」
実際困惑していたもののふと彼の手元に外来者である証だろう提灯がぶら下がっているのに気付けば、彼を外来者だと認識しつつ、(さっきのヒビヤなんとかって、この人の世界の言葉か何かか)と内心考えて
彼が外来者であろうこと、それに声をかけた時の反応を見るに彼は間違いなく迷子であろうことも踏まえると手を差し伸べてあげるべきなのだろう。が、その彼直々に『ほっといて』なんて威嚇されてしまった環に彼を助けてやる義理があるはずも無く。それを示すように興味無さげにさらりとそう言えば、彼の横を通り過ぎて
興味なさそうに通り過ぎられ、周はへたりとしゃがみ込んでしまう。
「…………、また、……俺、やっちまった……」
鼻水を啜り、涙を堪えるつもりが溢してしまう。
潜らなければ良かった。
軽く下唇を噛みながら、後悔を積もらせていく。
あの女が遠くに行ってしまう。
そうしたら、今度こそ自分はあの女に言われた通り他の奴らに殺されてしまうだろう、と周は息を呑む。
プライドが、プライドが又もや傷付くかもしれない。
けれど。
生きる為には仕方がないと踏ん切りをつけるとすくっと勢いよく立って走り始める。
「……、あのッ……さっきは、暴言を吐いてすいません……でッ、でした……ッ」
手を優しく掬い取って振り向かせると、周は空気を切るように頭を下げる。
まずは、謝罪する。
で、頼み込む………!!!!
________「お願い、します……ッ。お、俺を助けて下さい……」
捨てられた子犬のように眉を吊り下げ、うるうると涙の浮かぶ眼をした周はずたずたっと音を立ててプライドを傷付けられる感覚をおぼえながらも、ジッと女を見つめる。
再び帰路に着きつつも、しばらくすればそのうち殺されているのだろうと周についてぼんやりと考えていて。同時に、本当なら私は今頃あの人に手を差し伸べてるとこなんだろうなぁ、なんて思いが頭の中をぐるぐると回る。環がそう思ってしまうのは、外来者に対する感情が好奇心を中心としたものだからだろう。
「……!」
そんな最中、突然誰かに触られたかと思えば、視界がぐるりと回転する。一体何事だと冷静に考える頃には、誰かが自分に頭を下げているのを何となく捉えていた。
「ああ、誰かと思えば、また貴方ですか。……なんて、そうお願いされてしまっては仕方ありませんね」
周の発言に目の前の男はさっきの彼かと認識を改めつつ、袖で口元を隠せば目を細めて。彼の言葉を一通り聞けば、わざとらしく溜息をつきながらも嫌味っぽくそう言うも、口元を隠すのを止めすぐに愛想の良い笑みを作れば「なんて、」と茶目っぽくふふっと笑い。周の懇請を受け入れた、ということなのだろう。
「ああ、誰かと思えば、また貴方ですか。……なんて、そうお願いされてしまっては仕方ありませんね」
謝ったらやっぱり、受け入れてくれた……!
周は花も綻ぶ可愛らしい笑顔で、「あ、ありがとうござい、ます!」と礼を告げる。
「改めて、周です。よ、宜しくお願い、します……な、名前は……?」
これで一安心だと周は思う。
「周くん、ですか。ああ、私は環です。こちらこそよろしくお願いしますね」
告げられた名前を覚えるようにして反芻して。名前を聞かれれば名乗り
「……まずは、私について来ていただけますか。私の家まで案内して差し上げましょう」
ここでずっと立ち話をするのも疲れると思い、そう話を切り出せば背を向けて歩き出して
私について来いという環さんに俺は「はい!」と子犬のように従う。
嗚呼、俺のプライドはズタズタに切り裂かれ、跡形もなくなっている。
だからもう。
失うものはないんだ。
「あの、環さん! 本当に、ありがとう、ございます」
と言ってみては隣に移動して。
彼女の顔を窺うように首を傾げて笑って。
「お礼を言われるほどのことはしていませんよ。困っている人を助けるのは当然の務めでしょう?」
口元に笑みを湛えながらも、優しい声音でゆったりとした口調でそう述べて。相手の笑みに微笑みで返し
「この道をまっすぐ行けば私の家です。足場が悪いので、躓かないよう気をつけてくださいね」
途中で一旦足を止めれば、更により一層暗くなっている一本道を指しながらもそう言い、再び歩き出して
困った奴を助けるのは当然のこと、そう言う環を見つめ「そう、ですよね……」と相槌を打った。思わず顔を俯かせて考え込んでしまう。
この世界の人は、自分を食べようと、捕まえようとする。
環とは別の、考え方を持つ者達だ。
見上げた空は自分の居た世界の空と同じようなはずなのに、吸い込まれるように感じ、恐怖が自分へと襲い掛かってくるように思える。
_______早く帰りたい。
なのにも、帰れない。
このもどかしさと焦燥が胸に渦巻いて気持ちが悪い。
グッと胸倉を抑えた。
隣にいる環はとても優しくて自分に食べようともせずこうやって助けてくれている。第一、しゃがみ込んでいた自分に一番最初に声を掛けてくれた。
多分、不思議な人。安心出来る人なんだと思う。
それでも、この不安と心配はなくならない。小さな芽がある。
まるで道端に咲く雑草のように、いつ抜かれるか怖くて堪らない。
冷たく過ぎ去る風が帰ることは不可能であろう、と言っているかのように頬を、髪を撫でていく。
両手を握り締め、唇を軽く噛んだ。
「この道をまっすぐ行けば私の家です。足場が悪いので、躓かないよう気をつけてくださいね」
足元だけを見て環に寄り添うかのように歩いていたら声を掛けられる。
ハッと目を見開き、顔を上げれば環が更に暗い道を指して言うのだ。
呑み込まれるような黒に固唾が込み上がってくる。
少しだけ、ほんの少しだけぷるぷると震える手を隠すように押さえ微笑んで見せた。
「あ、はい……忠告ありがとうございます、ね」
自分の返答を聞いて再び歩き出す環の後を一生懸命に、はぐれないように生まれたての雛鳥のようについていって。
ざく、ざく、ざく。地面を踏む音に、ぽきぽきぽきと時折小枝の折れる音が混じる。
街灯が無い田舎にある夜道という表現が似合う暗さだろうか。毎日のようにこの道を通っている環にとってはすっかり慣れ親しんだ闇路であるが、後からついてきているであろう青年にとってはそうではないだろう。今歩いている道の輪郭さえもよく見えないのではないだろうか。暗闇とも言えるほど暗い場所にいる。こんな時だけはあの外来者の証とも言えるあの提灯が役に立つのだろうな、とそう思うと同時にその事実が少し皮肉めいたものに感じてしまい。
――しばらく歩いただろうか。感覚的には家まで半分くらい歩いた気がするから、もう折り返し地点といったところか。ふと、きちんと相手がそばにいるかどうか気になってしまい、歩く速度を幾分か緩くしては相手が居るであろう方向へと顔を向けて
「……周くん。ちゃんとついて来ていますか?」
彼に対して発した言葉通り、確認するような声音でそう問いかけて。無意識に細められた目からは心配や不安の感情も少しばかり表れ出ているようであり。
しかも奇妙なことに、日比谷が持っている提灯以外には光が感じられないほど晦冥とした場所だというのにも関わらず、環の瞳はまるで暗闇にいる猫の目のように爛々と輝いていた。眼光は淡く黄味を帯び、平常時よりも輝きが増している。人間には無い特徴故だろうか。どことなくこの世界の不気味さを増幅させるような、そんな雰囲気が環に纏わりついていて
ざくざくと馴れたように進む環の足音と恐る恐る後を尾いていく自分の足音が暗闇に鳴り響く。
恐怖を煽ってくるような街灯のない田舎のような夜道にびくびくしていても何故か不安を隠すように、息を潜めてしまう。
環にはこんな夜道、恐がっていると思われたくはないのが本音だった。出会って最初に泣きべそをかいているのを見られてしまっていたしこれ以上、男らしくないところを見せたくはない。
輪郭のない道に転びそうになって声を上げてしまいそうになるも慌てて舌を噛み、冷静を保とうとしてする。そうしようとしている時点で手遅れだと自分でもわかっているが。
自分の持つ提灯を持つ手がカタカタと煩わしいくらいに震えるのが光に当たって見える。
提灯を足元にかざしてみれば環の足があって、良かった、近くにいると安心感が胸に流れ込んでくる。
歩く速度を幾分か緩くした環はこちらに顔を向けて、
「……周くん。ちゃんとついて来ていますか?」
そう問いかけられ、周は提灯を声のする方へと提灯を持つ手を上げてみる。
やんわりと優しい光に当たってちゃんと環の美しい顔が見えた。
確認するような声音と心配と不安の感情が表れ出ている猫のような瞳を瞬かせて。
「尾いて、来ていますよ」
おどおどした声に自分でも恥ずかしくなるが恐怖心を環に悟られないように笑って見せるが彼は自分の頬が羞恥心から赤らめて、恐怖からかその提灯を持つ手と身体が無意識のうちに細かく震えていることに気づかないでいて。
環の瞳は暗闇にいる追いかけてきた猫のように爛々と輝いていて、その奇麗さからドキッと胸が高鳴り、周は息を呑んだ。
奇麗なのにもこの世界の不気味さと恐怖が表れているようでぞわっと肌が粟立つのを感じ一歩後退りをしてしまい。
「ちゃんとついて来ているのなら、それで良いですけど……」
環の瞳はいわゆる夜行性動物由来のものである。故に、周囲が暗かろうとある程度目には見えるようになっているのだ。つまりは日比谷の様子もそれなりには分かるわけで。きっとこの子は怖いのを隠そうとしているのだろう。あまり良いとは言えないぎこちない笑みと、どこかよそよそしいような素振りからそう察する。
まぁとにかく、彼がちゃんと後ろにいるか確認を取りたかっただけだ。相手は少し不安に駆られているようにも見えるが、家まで案内する分には問題無いだろう。そう判断すれば至って落ち着いた声でそう述べる。周りからも薄々強がっているのだろうと分かるくらいには恐怖心が肥大している彼とは対照的な様子である。ちょうど環が話しているときに大きめの枝を踏んだのか、少し大きな音が立つもさほど気に留めていない様子であり。相手から目を離せばまた前を向いて
「……あ、よろしければですが、手でも繋ぎます? あなた、はっきり言って、怖いんでしょう?」
しかし、前を向いた刹那、ふと環の脳内に面白い考えが思い浮かび。頭に思い浮かんだそれは日比谷にとっては楽しくないものだろうが、環にとっては少なくとも最低限の暇潰しにはなるだろうもので。
今度はちらっと見る程度だが、またすぐに相手の方に顔を向ければ、からかうような声でそんな提案を持ち掛ける。これこそがついさっき思い浮かんだ考えである。彼を少しからかいたくなったのだ。恐怖でいっぱいなのだろう?と相手の胸の中を言い当てながらも、決して断言する口調ではなく。あくまで問いかける形でそう言いながらも、まるで楽しむかのようににまっと目を細めては相手を見やり。
「ちゃんとついて来ているのなら、それで良いですけど……」
確認するような環の声に頷き、息を吐く。
思わず後退りをしたらボキッと少し大きめな音が辺りを響き、普段ならなんてこともないのに膨れ上がった恐怖心が飛び出しそうになってしゃがみ込んでしまいそうになる。
静かに噴き出す汗が冷たい夜の空気に冷やされ、ぶるっと震え鳥肌が立つ。もう隠しようがないと諦め掛けていたその時、環にこちらをジッと覗き込むように強く見つめられ込み上がってきた固唾を呑み込んだ。
「……あ、よろしければですが、手でも繋ぎます? あなた、はっきり言って、怖いんでしょう?」
じぃっとからかいに満ちた声でそう提案してくる環に多少の苛立ちと見透かされていたという焦燥を抱いた立派なびくともしない男でありたい周は少しだけ口を尖らせてしまう。
「べッ、べべ別にッッ! こ、怖くなんてありませんしッッ夜道が怖いなんてそんな女の子でもないしッッ」
という自分の強がる子供のような声に内心吃驚しながらもそんな下手な意地なんて環にとっては面白いことでしかないではないか、と呆れる気持ちが滝のように流れ込んできて。
楽しむかのように奇麗な瞳を細めて周を見つめる環から目線を逸らし、宙を泳ぐ。何か面子が崩れず手を繋いでもらうようなことはないかと考えるように顎に手をやって考えても良いことは思いつかず結局素直に認めようと諦め、息を吐いた。
環を見つめ、だけど、恥ずかしくて眼を合わせることは出来なく顔を背きながら「……繋いで……下さ、い……」とかっすかすな蚊のなく声で言った。
耳の先から鼻先まで真っ赤に染め、力なくかぶりを振り、環に聞こえるように声を出す。
「つッ、繋いで……もッ、貰え……ます、か……っ」
カタカタと細かく震える手を差し出し、上目遣いに環を見て。
「それではまるで、私が女じゃないみたいな口ぶりじゃないですか」
完全否定する相手にそう揚げ足を取り。完全に言葉の綾というやつだし、否定したいがために咄嗟に出てきた言い訳で相手もそう本気で思っているわけではないだろう。環はそれを理解した上で、相手が何かを考えている最中、口元を服の袖口で隠せばシクシクとわざとらしい泣き真似をしてみせ
「あら。先程は確か怖くないと仰っていたような……まあ、女の子みたいに怖がってばかりの周くんですものね、ふふっ」
しかし相手から何か聞こえれば、泣き真似をやめて視線を相手の顔へと向けて。そうして再度繰り出された相手のお願いに、今度は愉快だとクスクスと楽しげに笑いを溢し。最初からそうしておけば良いものを。相手にそれが伝わるか否かはさておき、遠回しにそんな意味も込めて、先程の相手の発言を武器にそう揶揄ってみせる。完全に相手の反応を楽しんでいる態度である。しかし彼から差し出された手を握る手つきは包み込むように優しいものであり。……いや、実はと言うと、内心ダイレクトに伝わる相手の震えに笑いが止まらないのが本音だ。それを環はなるべく表に出さぬよう、意識して優しく手を握っているだけである。
「って言ってももう折り返し地点過ぎてますし、あともう少し頑張れば家ですよ」
とはいえ家に着くまで相手がずっとこの調子では、面白いといえば面白いが堪ったものではない。相手の恐怖心を和らげようと、先程の揶揄うときとは違う優しい声音でそんな言葉を掛けつつも相手の歩くペースに合わせて
「それではまるで、私が女じゃないみたいな口ぶりじゃないですか」
考えて居れば心底傷付いたような言葉を言いながらシクシクと泣く環に周はぎょっと目を剥いてしまう。傍から見ればわざとらしい泣き真似だと分かるものの周からは本当に泣いているように見えたのだろう。
「え!!? そッ、そんなつもりで言ったんじゃ……ご、ごごめんな、さい……ッ」
こういう時どうすればいいのだろうとあわやあわやと手を動かす周は泣き止んでと子供のように環の顔を覗き込んで「環さんは、立派な女の人ですよ……」とたどたどしく言って見せ。
「あら。先程は確か怖くないと仰っていたような……まあ、女の子みたいに怖がってばかりの周くんですものね、ふふっ」
対応に困っていればケロッと表情を変えくすくすと愉快愉快と笑みを溢して周へと顔を向けてくる環を意味が分からないとばかり瞬きを繰り返して。
先程の自分の発言を武器にし楽しんでいる環を前に周は泣き真似だったのかとようやく気付き騙された自分が恥ずかしいと言っているかのように頬を完熟林檎の如く真っ赤に染めらせて。
「……ッ」
けれども怒りをあらわに出来ないのは。歌うような軽い言葉と恐怖で震え上がる自分の手を優しく包み込むような温かい手に安堵しているからなのだろう。
どれだけ馬鹿にされても恥ずかしいと思うばかりで口が言いたいことを吐かせてくれないのだ。
「って言ってももう折り返し地点過ぎてますし、あともう少し頑張れば家ですよ」
励ますような言葉に強く深く頷いて、環を見つめる。
楽しんでいる態度であるはずなのに寄り添うような優しい声音、合わせてくれるペースに周は泣きそうになり、とくんと鼓動する胸に手を添えて「ありがと……ござい、ましゅ……」噛んだことにも気が付かないまま言って。
相手は先程と比べ、幾分か落ち着いたらしい。いや、簡単な言葉ですら噛んでいる時点でまだ何かしら心に乱れがあるだろうとは思うが、比較的冷静さを取り戻したように見えた。歩く度にぽきりぽきりと小枝が折れる音が聞こえる。彼にとってはそろそろ聞き馴染みのある音になりつつあるのではないだろうか、等と考えつつ、先程の彼の反応を思い返す
「先程の……まさか泣き真似に引っかかってくれるとは。私、少々演技や嘘が下手でして、他の方々はあまり騙されてくれないんですよ。ええ、とてもゆか……いえ、あなたは優しい心の持ち主ですね」
先程の、と話を切り出しつつ。まさかあの程度の真似事に引っかかるなんてお人好しにもほどがあるだろう、もしくは馬鹿にもほどがあるだろうと、そんな軽い侮蔑のような意味を含ませてはそう言い。そうなのだ、こんなに他人を疑わない人間など、最初に出会ったのが自分でなければもうとっくに死んでいるところだろう。自分だって、その気になれば彼を殺められる。とどのつまり、これは言い換えれば、彼は自分によって生かされているも同然なのだ。意図していなかったが、そんな確信に似た感情をふと改めて認識して。とはいえ、先程揶揄った時の相手の反応は素晴らしく面白かった。愉快だったと危うく本音のまま口を滑らせそうになるくらいには。すぐに別の言葉に言い換えつつ、心の底からそう思っているかのような慈愛を感じさせるような笑みを浮かべる。本音が出そうになったことにはことごとく知らんぷりを決め込み
ぽきり、ぽきりと環、そして自分自身が鳴らせる音にふぅ、と落ち着きを戻しその音に耳を傾ける。
「先程の……まさか泣き真似に引っかかってくれるとは。私、少々演技や嘘が下手でして、他の方々はあまり騙されてくれないんですよ。ええ、とてもゆか……いえ、あなたは優しい心の持ち主ですね」
演技や嘘が苦手だと言う環に周は眼を剥いて「そ、そうなんですか……意外で、いえ、えっと」十分に上手だと思うがと周は言ってしまいそうになり慌てて口を噤む。
環が口にしそうになった軽い侮辱を孕んだ言葉にも気が付かず素直にその優しい心の持ち主何だと言う事を受け入れる周はやはり馬鹿でしかないのだろう。
「優しいだなんて……そんなっ」
やはり、馬鹿である。
照れ臭いと言うように頬をちょんちょんと人差し指で掻けば褒められた、と子供のように嬉しがる様子は目に耐えない。心底心に来たのだろう、眼を細めれば緊張した気に両手を後ろにやる。
俯かせた顔を前にやれば慈愛に満ち溢れた優しい微笑を浮かべた環が目の前に居て周は眼を見開いてから「はは」と笑いを溢す。
「環さんも、優しいですよ。一緒に居てくれて、その………あ、ありがとうござい、ます……ね!」
やや上目遣いにそう言えば環の思っていることも知らず余地もなく、本気で環が優しいとばかり言って。
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