ビギナーさん 2020-11-09 08:35:35 |
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「愛って、なんだと思う?」
「……世界の中心で叫ぶもの」
最初に答えてくれたのは、クラス1の無気力男・崎村だった。数学の参考書とノートに視線を落としたまま、だるそうな低い声で続けて言う。
「もしくは、ためらわないこと」
「んー、なんかピンと来ないな。澪ちゃんはどう思う?」
隣の席で問題集と格闘している、可憐な美少女に話を振ってみる。澪ちゃんはきょとんとした顔で俺を見ながら、
「えっと、そだなー。見返りを求めないとか? いわゆる無償の愛だね」
「さすが澪ちゃん。優等生的回答だ。崎村も澪ちゃんを見習えや」
思わずスタンディングオベーションした。
崎村は無反応だった。テーブルに顔を伏せて何も言わない。というか寝ているな。
「おいお前ら。今試験勉強中だってこと忘れんなよ」
真正面の席に座っている霧島が、ジトッとした目で見てきた。そうだ、そうだった。放課後、ファミレスで勉強会していたんだった。
俺はそっと椅子に座り、教科書を開いた。
あまり話したことのないクラスメイトに呼び出された。用件を聞こうとしたが、全員が集まってから話すと言われた。
約束の時間の5分前。集合場所の教室に入ると、既に4人の男子生徒がいた。
「お、中田も呼ばれたんだな」
そう言って、霧島が俺に向かって手を振る。
おっすと軽く挨拶してから、他の2人を一瞥した。
背の高い細身体型な男子と、ちょっと柄の悪そうなヤンキー男子。俺とは違うクラスの人だ。
しばらくすると廊下から足音が響き、教室の戸が勢いよく開かれた。
「みんな、今日は来てくれてありがとな!」
俺たちを呼び出した張本人、後藤だ。陽気な彼らしい第一声だな、と思った。
「で、わざわざこんなところに集めて何をするんだよ?」
ヤンキー男子が後藤を睨みながら訊ねた。どうやら、俺だけでなく全員が用件を知らされていないらしい。
その問いに、後藤は少しきまりの悪そうな表情を浮かべた。
「いやぁ、実はさオレ……バイトの面接落ちちゃったんだよね」
意味わかんねぇぞ、後藤。
この場にいる全員がそう思った。
「……うん、それで?」
背の高い男子が話の続きを促す。
「姉ちゃんに小遣いくれって頼んだら、その代わりにやってもらいたいことがあるってさ。でも、オレ一人じゃできないから、みんなに手伝ってほしいんだ。頼む!」
真剣に頭を下げる後藤。そんなに金に困っているのだろうか。クラスメイトのよしみで、協力してやりたいところだが……
「たしか、後藤のお姉さんってBL作家だったよな?」
霧島が若干表情を曇らせながら呟いた。対して、後藤はパッと明るい笑みを浮かべ、うんうんと頷く。
「そうだよ! だから、男だけで王様ゲームしてるところを実況してくれって頼まれたんだ! ちなみに報酬は5000円!」
「え、後藤……? それは、ちょっと……」
「てか、金目当てでダチに恥かかせんのかよ」
別クラスの2人から抗議されるも、後藤は普段と変わらない爽やかな笑顔で、
「そうだけど?」
『そうだけど?』???
俺の頭の中でクエスチョンマークが増殖していく。
>>2の続き
「大丈夫! みんなはあくまでもモデルにするだけで、名前とか絶対に出さないから! それと、良い感じにやってくれたら、追加で報酬出すって姉ちゃんが言ってた!」
「マジか……」
追加報酬と聞いて、反対する者はいなくなった。
金に目が眩むなんて、俺らも後藤と同類じゃないか。
後藤が割りばしで作ったくじを1人1本ずつ引いていく。ふむ、2番か。なるべく当たりませんように。
全員がくじを引くと、後藤はスマホで誰かにメッセージを送った。
速攻で返信が来たらしく、後藤のスマホが音を鳴らす。
「はいっ! 王様からの命令が来ましたー!」
「あ? 王様って誰だよ?」
ヤンキー男子が訝しげに眉をひそめた。
普通の王様ゲームなら、王様は参加者の中から一人が選ばれるはずだ。
後藤はあっけらかんとした顔で答える。
「王様はオレの姉ちゃんだよ。ゲームの様子は写真や動画を撮って、送ることになってる」
「マジか……」
なんということだ。後藤姉がどんなBL作家なのかは1ミリも知らないため、どんな命令がくるか予想がつかない。えげつない行為をさせられないことを祈るばかりだ。
「まずはぁ……『3番の人が2番の人の上に乗る』だって!」
なにっ!?
2番……2番と言ったか。俺やん。
3番は誰だ? 誰が俺の上に乗っかるんだ?
「俺3番だけど」
先端に3と書いてある割りばしを掲げながら、ヤンキー男子が呟いた。
俺も渋々、自分の番号を明かす。
とりあえず床で四つん這いになると、背中にヤンキー男子が腰掛けてきた。
なんということだ。王様ゲーム開始わずか1分で、人間椅子へとクラスチェンジしてしまった。
ちくしょう……と心の中で悪態をつく。
無言で床を見つめていると、カメラのシャッター音が耳に届いた。後藤が証拠写真を献上しているらしい。
「あれ? 『なんか思ってたのと違う』だって」
後藤が拍子抜けしたような声音で言った。
そりゃそうだ。おそらく、後藤姉が期待していたのは、膝の上に座るとか、押し倒すとかいった展開なのだろう。だが、残念なことに我々は素人。顧客の要望に完璧に応えられるプロではないのだ。
「じゃ、次ね! もっかいくじ引いてー」
「うい~」
背中の上で能天気な声を出すヤンキーが心底腹立たしい。が、椅子らしく耐えることにした。
さて、今度は何番だ?
一番最後の余り物のくじをもらって確認する。
1番か。ま、連続で命令の対象になるなんて、滅多にないよね。
「『1番と4番がポッキーゲーム』」
嘘だろ……1番って俺やん。
「あ、4番は僕です」
高身長で大人しい印象の男子が、おずおずと手を上げた。仕方なく、俺も自分の番号を白状した。
後藤が俺の口にポッキーを咥えさせると、少し距離を取ってスマホを構えた。今度は動画を撮るようだ。
「なぁ、いつまでこいつに乗ってりゃいいの?」
「ゲームが終わるまでね」
ヤンキー男子と後藤の会話が聞こえて、俺の心は死んだ。ポッキーゲームを始めるため、背の高い男子が俺の正面で屈んだ。
「うわ、やりづらいなぁ。なんかチベットスナギツネみたいな顔してる」
困ったように言いながらも、俺と向かい合ってポッキーを咥える。俺はほとんど動けないため、彼に頑張ってもらうしかなかった。
結局、瞬きすらしない俺の眼光にビビった彼が、ポッキーの半分もいかないうちに口を離してしまったが。
散々な結果に、後藤も焦りだした。
「やべぇ、姉ちゃん怒ってるよ……『真面目にやれ! これじゃただのギャグでしょ!』だって」
失敬な。俺らは真面目にやっているのに。
熱心にくじをシャッフルしている後藤を横目に、霧島がニヤニヤ笑っていた。
「ラッキー。このまま無傷で生還してやるぜ」
「霧島だけずるい! 後藤姉さん、どうかあやつに命令を!」
俺の切なる願いが届いたのか、衝撃の命令が下された。
>>3の続き
「『最後の命令は……』、えぇ?」
くじを引き直して、後藤が王様の命令を読み上げる。と思いきや、何やら問題が発生したようだ。
彼は首を傾げて、戸惑いを露にする。
「『この中で一番イケメンの奴が全員とキスしろ』ってきたんだけど……」
なんたる横暴。ついにルールを無視して、番号の指定がなくなるとは……後藤姉も最早後に引けないということか。
全員が顔を見合わせて、どうするか考えた。
「そもそも一番イケメンの奴って、誰だ?」
「多数決で決めようか」
ヤンキー男子の問いに、背の高い男子が意見を出した。まぁ、そうするしかないよね。他のみんなも賛成したので、急遽イケメン決定戦が行われた。
いっせーの、という後藤の掛け声に合わせて、俺は迷わず霧島を指差した。
「は? なんなのお前ら」
霧島が呆然とした声で言った。
無理もない。後藤を指差していた自分を除き、4人から指を向けられていたのだから。
「おめでとう、霧島。君はイケメンに選ばれたんだ」
「生け贄の間違いだろ」
友として心から称賛の言葉を送るも、霧島からは冷ややかな視線が返ってきた。
そんな殺伐とした空気の中で、不意に後藤のスマホが鳴った。
「あ、姉ちゃんからだ! 『キスできたら1人1万円ずつあげる』だって! 1万だぜ、1万!」
後藤が目を¥マークにしながら叫んだ。
同時に、俺たちの間に緊張が走る。だが、一瞬早く動いたのは霧島だった。教室から逃げ出すべく、出入口へと駆けていく。
「おっと待ちな!」
「っ!」
その前にヤンキー男子が立ちはだかる。
2ヶ所ある内の出入口を1ヶ所塞がれた。ならば当然、残された出入口を目指すだろう。
霧島の行動を読んで、後藤がもう片方の扉の前に立った。退路を断たれた霧島が忌々しげに舌打ちする。
「……卑怯な奴ら」
「金のためですし。てか、霧島だって王様ゲームに参加してたんだから自業自得では?」
俺の正論に対し、霧島は鼻で笑いながら、
「俺は他人を犠牲にして金を得たかっただけ。自分が犠牲になるのは御免こうむる」
うわ……何その自己中クズ発言。
顔はなんか芸能人の……名前忘れたけど、男性アイドルの人に似てるのに。やっぱり、人間は顔より性格だよね。
ふと視線を感じて、ヤンキー男子のほうを見る。
早くやっちまえ、と口の動きだけで訴えていた。
彼に頷き返して、ターゲットへと狙いを定める。大丈夫。4対1で、こちら側が圧倒的に有利だ。
「お前らだって本当は嫌だろ? 男とキスすんの」
「金のためですし」
「正気……なわけねぇか」
はぁ、と霧島が目を伏せてため息をつく。
俺とのっぽ君で挟み撃ちにすれば、確実に勝てる。
静かに呼吸を整えて、じりじりと間合いを詰めていく。追い詰められた彼奴は、すっと片足を後ろに引いた。
「――へ?」
思わず間の抜けた声を漏らす。それとほぼ同時に、霧島に脇腹を蹴り飛ばされた。警戒を怠ったせいで、綺麗にカウンターを決められてしまった。
俺の体は、教室の机に激突して倒れた。
「ぼ、暴力はダメだよ!」
のっぽ君がおどおどしながらも、霧島に立ち向かう。ぐるりと振り向いた狂戦士の黒い瞳が彼の姿を捉えた。まるで蛇に睨まれた蛙のように、のっぽ君が身を固くする。だめだ、このままだとやられる!
案の定、霧島は躊躇なく右腕を振りかぶった。
「あぶねぇ!」
「霧島ストーップ!」
仲間のピンチに、ゲートキーパーの二人も援護に駆けつける。そして、二人がかりで霧島を取り押さえようと飛びかかった。
その瞬間、奴は同じ人間とは思えないような笑みを浮かべた。
床を蹴り、斜め前へジャンプした霧島はヤンキーの顔面に掌低を打ち込む。鈍い音が響き、ヤンキー男子が後方へよろめいた。続いて、組み付こうとしてきた後藤も回避し、首の後ろに手刀を叩き込んだ。
「ぐはっ!」
「んぎえっ!」
バタ、バタと二人が床に倒れた。
自分が攻撃されると思っていたのっぽ君は、不思議そうに佇んでいた。
「え? な、なんで?」
「クソ、フェイントだったのかよ……」
床の上で仰向けになったまま、ヤンキー男子が呻く。
俺はどうにか体を起こしながら、悪役に声をかけた。
「ねぇ、あの、ちょっと……降参しますんでもうやめてください」
「は? 何? 聞こえない」
「降参!」
「殺して?」
ちがーう!
降参、降参、と立て続けに声を張り上げると、突然教室の戸が開かれた。
「誰かいるの? ……って、きゃあ! 何があったの
!?」
そこには、眼鏡をかけた若い女性が立っていた。音楽の高橋先生だ。教室の惨状に、悲鳴をあげている。
とりあえず、ヤンキー男子と後藤を保健室で運んでから、先生に経緯を全て説明した。
結果、暴力行為を潔く認めた霧島は謹慎処分となった。他は反省文を書かされた。
これが、目先の欲にとらわれた愚者たちの末路である。
ちなみに、後藤姉は王様ゲームをネタになんとか原稿を仕上げていた。読者からは、なかなかの好評だったらしい。
0
8時30分。
うぎゃああああ!
やばいやばいやばい、寝坊したぁ!
絶叫しながら、ベッドから飛び起きる。急いで制服に着替えて鞄を抱え、階段を駆け下りた。
「もう、お母さん! どうして起こしてくれなかったの!?」
いつもなら起こしてくれるのに。ぷんぷん!
だけど、文句を言っても返事はなかった。リビングにもキッチンにもお母さんはいない。どこに行ったんだろう? 買い物? いやいや、さすがに時間が早すぎる。
「おっと、推理してる場合じゃない!」
学校に遅刻しちゃう!
自転車に乗り、駅へと全速力で向かう。脚の筋肉が悲鳴をあげているが、我慢よ我慢。
運がいいのか、普段と比べて車や人があまり通っていない気がする。これなら思う存分、飛ばせるわ!
ペダルをひたすらこぐ。私は風になる。
駅前に着いた。これも幸運の賜物か、駐輪場はガラガラだった。駅に一番近いところに自転車を停めて、走り出す。改札から駅のホームへ。まだ電車は来ていない。スマホで時刻を確認すると、電車が来る2分前だった。すごい、間に合った!
「私、最高にツイてるっ!」
思わずガッツポーズした。やったよ、お母さん!
「ん?」
何気なく見たスマホの画面。さっきのガッツポーズで、ニュースアプリを起動させてしまったようだ。
本日の気になるニュース。
人気アイドル『Light』の二人が変死。
…………は?
嘘でしょ。嘘、嘘、嘘。マサキとアヤセが!?
来月のライブのチケット取れたのに!!
意味わかんない。今日エイプリルフールじゃないし。嘘にしても悪意ありすぎでしょ。なんなの。
記事の詳細は見る気になれない。
吐き気がする。目眩がする。二人のいない世界なんて、闇でしかない。そんな世界で生きられない。
そうだ、私もあの世にいこう!
もしかしたら、『Light』に会えるかもしれない!
よし、そうと決まれば……
『まもなく電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください』
……私って、本当にラッキー。
1
今をときめくスーパーアイドル。
人気爆発中のカリスマアイドル。
テレビや雑誌、インターネットでも、『Light』はそんな風に呼ばれている。
社長によると、『Light』は世界を照らす光になりますように、という願いを込めてつけた名前らしい。
メンバーのコンセプトは、太陽と月だ。
太陽の日野柾樹。
月の水無月絢世。
明るい好青年の『マサキ』と、クールでミステリアスな『アヤセ』として正反対のコンビを組むことになった。俺は一生懸命マサキを演じた。気がつくと、一生懸命が口癖になってしまった。
本当の俺は全然違う。むしろ、ダメ人間なのに。
でも、ダメ人間をやめるためにアイドルになったんだから頑張らないと。
「ーーそれでは大変名残惜しいですが、お別れのお時間です! お相手は日野柾樹と!」
「水無月絢世でした。また来週」
「ばいばーい!」
エンディングのBGMが流れて、ラジオ番組が終了した。俺は思わず大きく息を吐いた。毎週収録してるのに、緊張してしまう。
スタッフさんたちに、「お疲れ様です」と挨拶してスタジオを出る。夜だし寒いけれど、外の空気が気分を落ち着かせてくれた。しばらくすると、1台の車が走ってきて俺たちの前で止まった。
「お待たせ、迎えにきたよー」
運転席の窓を開けて、眼鏡の男性が顔を出す。
マネージャーの木下さんだ。俺と絢世は後部座席に乗って、シートベルトを締めた。木下さんが車を発進させて、道路へと出ていく。
「さて、今日のお仕事はどうだったかな?」
「ごめんなさい。またトーク中に噛んじゃいました……」
「あははは、そんなに気にすることないよ。マサキのそういうところも好きなファンだっているんだから」
木下さんが軽快に笑う。仕事の失敗を打ち明けると、いつもこんな感じだ。絶対に怒らない。
それでも、卑屈な俺は木下さんみたいに笑えなかった。隣の絢世が俺の耳元に顔を近づけて囁く。
「元気出して……」
「あ、絢世~! ありがとな親友!」
「ははは。君たち、ほんと仲いいね」
マンションに到着して、木下さんとはお別れ。絢世と一緒に部屋に入る。アイドルになってから、ルームシェアを始めたけど……ほとんどの家事は絢世がやってくれている。本当に、絢世はすごい。昔から勉強もスポーツもできてたしなぁ。
それに比べて俺はなんてダメなんだろう。
2
「まだ暗い顔してる」
食事と入浴を済ませ、ソファーで寛いでいる俺に絢世が呟いた。絢世は俺のことをよく見ている。勘が鋭くて、隠し事なんてできない。
観念して、横にずれると隣に絢世が腰掛けた。
そうした途端に、絢世は俺の頬に手を添える。そして、強制的に目を合わせられた。
「柾樹。僕の目を見て」
「見てるよ」
「じゃあ、僕の目の中に何が見える?」
「……俺。日野柾樹がいる」
「正解。柾樹は柾樹だよ。だから、大丈夫。何も心配いらない」
絢世がふっと微笑む。温かい手が離れて、俺は力が抜けたみたいにずるずると絢世にもたれかかった。
絢世の膝に頭を乗せて、天井を見上げる。
照明の白い光が目に入り、チカチカする。
「……眩しい」
「蛍光灯に負けるなよ、太陽」
絢世は全然へこたれない。俺みたいに弱音を吐いているところは見たことがない。強い。蛍光灯なんかより眩しかった。紛い物とは違う、本物の光だ。
「俺たち、いつまでこうしてられるんだろう。皆はずっと『Light』を好きでいてくれるのかな。あと数年経ったら、飽きられちゃうのかな。忘れられたらどうしよう」
「そうだね……忘れられないように、いっぱい頑張らないとね」
「うん、一生懸命頑張る……絢世がいるから、きっと大丈夫だ」
そう言うと、絢世は目をわずかに見開いた。俺、そんなに変なこと言ったか?
ーーああ、ダメだ。眠い。
絢世の傍は本当に心地いい。絢世が俺のお母さんだったらよかったのに。そうしたら、俺はもっとまともな人間になれたはずなんだ。きっとそう。
その日はすごくすごく幸せな夢を見た。でも、どんな内容だったかは覚えていない。
3
翌日の午前中、俺と絢世は事務所を訪れた。仕事の打ち合わせのためだ。狭い事務所の部屋に入ると、木下さんと社長がいた。
「おはようございます」
俺たちが頭を下げると、木下さんと社長も「おはよう」と返してくれた。全員が席に着くと、さっそく木下さんが黒い鞄から数枚の紙を取り出した。それを机の上に置いて、俺たちに見せる。
この間提出したアンケート用紙だった。
「覚えてるよね? 雑誌に載せるアンケートなんだけど」
「はい、覚えてます。ちゃんと好きな異性のタイプを書きました」
俺が頷くのを見て、木下さんと社長はなぜか苦笑いしていた。その後、社長がとても言いにくそうにしながら言葉を紡ぐ。
「ああ、うん……二人が真面目に答えてくれたのはわかるよ。でもねぇ、この回答はちょっと……書き直しかなぁ」
「え、なんでですか?」
「なんでって……自分の回答を言ってごらん、マサキ」
社長にそう言われて、俺は正直に答える。
「俺のために何でもしてくれる人」
「次、アヤセ」
「僕がいないと生きていけない人」
「はいダメー。こんな闇の回答、『Light』にふさわしくないよ。もっと光らしくしなきゃね」
社長の言葉に、木下さんが何度も頷いている。俺と絢世は訳も分からず、顔を見合わせた。結局、俺と絢世はアンケートを書き直した。マサキの好きなタイプは、癒し系で笑顔が可愛い人。アヤセの好きなタイプは、上品で大人っぽい人に変わった。どっちも社長が考えてくれたのをそのまま書いた。
書き直したアンケートを見て、社長は満足げに笑っている。
「うんうん、これでよし! 『Light』にふさわしい百点満点の回答だ」
「ふーん、これが『Light』なんだ……」
絢世が他人事のように呟く。木下さんはすっかり上機嫌になって、にこにこしながらアンケート用紙をしまった。
「それじゃあ、本題に入ろうか。実はね、『Light』の新曲を出すことが決まったよ」
「ほ、ほんとですか! すごい!」
興奮して、ぐっと身を乗り出す。待ちに待った3曲目。絢世も心なしかそわそわしていた。木下さんが話を続ける。
「それでね、『Light』の新曲を提供したいという方と知り合ったんだけど……フリーの作曲家をやってる田村さんって知ってる?」
「田村さん? いやぁ、俺は知らないですね」
「僕も知りません。有名な方なんですか? 代表作は?」
絢世の質問に、木下さんが「ちょっと待って」と手で制する。事務所に置いてあるノートパソコンを操作して、動画サイトにアクセスすると俺たちに見せてくれた。
「あった、これだよ」
知らない曲とタイトル。曲調はちょっと時代が古いような気もするけど、カッコいい……かも。
再生数と高評価も多いし、コメント欄を見ると特に女性からの人気が高いようだ。
「どうだい、すごいだろう? あ、そうそう。今夜、田村さんと食事に行くんだけど、マサキとアヤセもおいでよ。田村さんが二人に会いたがってるんだ。いいですよね、社長」
「もちろん! 田村さん、喜ぶだろうなぁ」
俺たちを置いてけぼりにして、木下さんと社長は盛り上がっている。かなり田村さんのことを気に入っているみたいだ。俺も少し気になるし、会ってみたいとは思うけど。
「絢世はどうする?」
動画のコメント欄に目を通している絢世に話しかける。絢世はいったん手を止めて、俺に視線を向けた。
「会いに行こうか。面白そうだし」
「決まりだな。木下さん、社長、俺たちも行きます!」
こうして、俺と絢世も同行することになった。夜になり、社長に教えてもらったお店へと向かう。
二階建ての飲食店、というかここ居酒屋だ。入って大丈夫なのかな。俺と同じことを絢世も思ったのか、怪訝そうに眉をひそめている。
4
変装用の眼鏡とマスクを着けているから、バレないとは思うけど……ドキドキするなぁ。
意を決して店に入ると、店員さんが元気よく「いらっしゃいませー!」と迎えてくれた。
週末だからか客が多く、なかなか賑わっている。
絢世が若い男性店員に声をかけた。
「すみません、待ち合わせなんですけど」
「はい! あちらのお座敷ですね」
と彼が示した先には、木下さんと社長ともう一人誰かがいた。あの人が田村さんか。
俺たちより先に来ていたようだ。
俺と絢世が座敷席に近づくと、社長が徐に振り向いて、
「おぉ、来た来た。待ってたよ、二人とも」
「こんばんはー。社長、木下さん……と田村、さん?」
「はっはっは。初めまして、田村です。いやー、『Light』のお二人に会えるなんて夢みたいだ。よろしくね」
気さくに笑いかけながら、中年男性が『田村』と名乗った。優しそうな人でよかった。
「初めまして、マサキです! こちらこそよろしくお願いします!」
「……アヤセです。よろしくお願いします」
俺が一礼すると、絢世も後から頭を下げた。でも、なんとなく絢世の表情がいつもより固い気がした。
座敷席には木下さんと社長、向かいに田村さん、絢世、俺が座った。
「それでは全員揃ったので、かんぱーい!」
「乾杯!」
木下さんの号令で全員がグラスを掲げる。大人たちはビールだけど、俺と絢世は当然ジュースだ。
俺たちの飲み物も木下さんが事前に注文してくれていたらしい。木下さん、ありがとう。
「田村さん、うちの『Light』をどう思います?」
社長の問いに、田村さんはうーんと考え込む。
「そうですねぇ。今のキラキラした明るいイメージもいいですけどねー、ちょっと大人の色気もほしいと思いますよ。次の曲はセクシーな感じでいきましょう。いいよね、アヤセ君?」
「はぁ、僕としては路線変更は急すぎるかと。社長、どうするんですか」
田村さんに話を振られて、若干嫌そうに顔をしかめながら絢世が答えた。
そんな不機嫌丸出しの絢世に対して、社長はにっこりと微笑んで宥める。
「まぁまぁ、田村さんがこう言っているんだから。新しいことに挑戦してみようよ」
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