NANA 2019-01-22 10:48:42 |
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大丈夫ですよ。少し長くなります。
幼少期(2、3カ月)の頃、保育園で麻疹が流行りまして、
麻疹に罹った子がそのまま保育園にきて
運悪く私に移ってその菌が脳まで行き、医者に行ったが、めんどくさいのか何だかは、知らんが、そのまま放置され後遺症で足が不自由になりました。
しかも、医者には死ぬかもと言われていたそうです。
というか医者があの時誤診なんてしなければ今頃普通の人間だったのに。。
死にかけたのに今こうして歩けてる事マジで奇跡だと思う。
少し不快な質問になってしまいますが、ナチスのT4作戦について障がい者の方々がどう思っているのか気になるので教えていただけませんか?
"T4作戦"とは?
名前の由来はベルリン市内のティーアガルテン通り4番地という地名から。
ホロコーストのリハーサルとしてナチスが打ち出した政策。アーリア人を理想とした優性思想を極めるナチスは戦闘力や労働力にならず、生産性を見いだせない者をドイツを弱体化させる国家の敵と判断し、排除するという内容。
灰色のバスに対象者を乗せて施設に運びいれて毒ガスで処刑していた。灰色のバスの移動が長距離に及ぶ場合は対象者を不安にさせぬようにコーヒーやサイドイッチを提供していた。
カトリック教会に咎められて中止にはなったものの裏では通常通りT4作戦が実行され、対象者を毒ガスで殺してた方法もドイツの医学発展のために非人道的な実験を行っていた。
ちなみに作戦に協力した医者達は無理矢理参加させられていたのではなく、むしろ喜んで積極的に協力をしていた。また、当時ドイツ国民の反対があるかと思われたが、そんな反対をする人は少なかった。
随分と実験的で酷な話ですね。
要は、私のような障害者を消そうという人たちの事ですよね。
しかも直す立場の医者であろう人たちも喜んでそれを…。
私なら絶対嫌ですが、昔の人たちの事を考えるときっと『自分たちが生きててもどうしようもない。』
と思って参加したのでしょうか?
私には理解できません。だって障害者だって生き物だし私みたいに後遺症になってしまった人でも生きる価値はあるでしょう?
それを自分たちの思い道理にいかないからって殺すのはどうかと思いますが。。
障害者も含め、どうゆう人間であれ生きる価値はあるんじゃないでしょうか?
自分は障害者だって思う人ほど
前むきに生きてるんじゃないのかな。
医者では治らない部分もある…
周りのフォローしてくださる方も
協力があっての今なんじゃないだろうか。
そうですよね。現にあたしもそうです。
周りの人たちにどれほど支えられ生きてきたか…
でも、あの医者だけは許せないんです。
絶対わかってたはずなのによく診ないで…黄疸が出来ているにもかかわらず、
『ただのオムツかぶれだ』?
ふざけんな。人生めちゃくちゃにしやがって!
どれだけの人間が苦しんで病院にきていると思う。
あんたら医者に 元に戻して、救って欲しいからだろうが!カス医者め。
普通に育ってたら…って何度も思った。
悔しいよ…憎んだってもう身体は元に戻らないもん。
お返事遅くなりごめんなさい。
年齢はもうすぐ二十歳になります。
学校は小・中は普通校でした。
歩けないというだけで色々言われ、ほぼほぼ仲間外れ状態に…
高校は担任の先生に勧められ、特別支援に入りましたが運悪く変態教師にあたってしまい約半年我慢し続けた。親にも言えず、耐え続けた。
16歳で親が勘づきその人は警察行き。もちろん、学校も中退しました。それからどうなったかは知らないし知りたくもない
今考えるとマジでキモイ。
それからすぐ引っ越して、暫く引きこもってうつ状態になりました。
兄がいるんだけど、兄まで恐くなって(その人じゃないかって)
とにかく人が恐かった。
今は、職業訓練校でお世話になってます。
まだ人には慣れない状態だけど何とか頑張ってます。
独り言も入ります。
お昼なう。
事務系の仕事に就きたくてスタッフ(担当)さんのお仕事、
資料見ながら作成してるけどだいぶ早くなったって褒められた(笑)
早く就職して稼げるようになりたいな。
稼いだらパパに少しでもあげるんだ
パパのために頑張って職見つけないと。まずは資格とれるように頑張る!
英語も覚えないとなぁ。。てゆうか、覚えたい。
>NANA様
そうですね、種の多様性を重視せず、その国の身勝手な基準で個人の価値など測ることは短絡的ですし、そもそも人の命を勝手に奪っていい権利なんて存在しません。
障害者や特定の人種、社会的弱者は劣等種だとして排除し続けた結果、国が滅びてナチスの高官達はその劣等種に命乞いをするという皮肉な展開へと発展しましたね笑
>NANA様
今は自分の心の闇とは折り合いを付けているので楽しい普通の社会人生活を送っていますが、子供の頃の自分はNANA様のように憂鬱な気持ちになって心が歪んでいた時期がありました。
これはどうでもいいような糞みたいな自分語りをしてしまうのですが……
昔の僕はお喋りが下手な上に人見知りな所から他の同級生に"障害者"呼ばわりされて仲間外れの状態になり、ストレスのはけ口としていじめられました。
僕はその時に自分が障害を持っているのではないかと疑いはじめて劣等種の自分とそれを嘲笑う他人を憎むようになりました。
次第に憎悪の炎が自分の心の中に拡大していく中で過去に存在していた一人の独裁者の出会いに僕は思わず魅了されました。
その人はソ連の指導者で尚且つ恐怖で人々を操った"スターリン"でした。(ヒトラーとナチスは僕のいじめっ子に似ていた上に自分の存在を否定する敵なので大嫌いです)
【スターリン】
北方領土を占領して、日本兵捕虜を劣悪で極寒の収容所で強制労働させた事で有名なソビエト連邦の最高指導者。
ソ連国民を100万人を反逆者として逮捕してその半数以上は銃殺刑にし、ウクライナではわざと飢饉を引き起こさせて250万人が餓死、日本軍の支配下であった満州国に侵攻した後に一般人を虐殺したするなどの蛮行といった数々の伝説を持つ人物として有名。
北朝鮮と中国の生みの親であり、現代も日本の強大な敵として立ちはだかる2ヵ国がスターリンの影響力を思い知らされる。
尊敬していた理由は劣等種でありながら支配者として本来強者である健常者の中で君臨していたからです。
[スターリンの不遇な点]
・スターリンはグルジア人という差別される少数民族。彼が尊敬していたレーニンからはチフリス人(日本人で言うとジャップや猿と同じ表現)と馬鹿にされ、自分を名前では呼んでくれなかった。
・靴職人の息子として生まれ、家庭はとても貧しい。父親は暴力でスターリンを虐待し、母親は勉強内容を無理矢理叩き込ませるスパルタ教育をしていた。
・顔は天然痘という病気のせいでブツブツが出てきており、醜かった。
・12歳の頃、馬車の事故によって左腕がほとんど動かなくなり、身体障害者となる。
という点から周りの人間はスターリンを劣等種として馬鹿にしてきたのです。
ですが、彼が恐怖政治を行う独裁者へとなった途端に馬鹿にしていた者達は媚びへつらうようになり、彼を恐れながらも敬うようになります。
その時僕は感銘を受けました。自分自身を悪魔へと変化させて支配者となれば、馬鹿にする者を退けてこの殺伐とした世の中を生きられると確信していたのです。
それ以来の僕は本心を決して他人や親に悟られないように気を付けてましたが、
"スターリン"に深く敬服し、
"スターリン"を神と崇めた
"スターリン"の思想を生きる糧とし、
"スターリン"という人物を己の理想像と定め
必要な知識を必死にかき集めて、中国の暴走による第三次世界大戦をチャンスと考えながら成り上がる方法を模索していました。
今は自分の本心を知った親の説得や自分の将来を警告する夢を見た後は自分が間違っていた改心して人生を楽しもうと考えを変えて、普通に生活をおくっております。
NANA様は馬鹿にされるより、憎まれたり恐れられた方がいいと考えた事がありましたのでしょうか?
もし、人を憎んだり、悪党や支配者になろうとは思わなかったとしたら、どうやってNANA様は自分の心の闇を克服したのでしょうか?
読みにくい上に無駄長い投稿文を出してしまい大変失礼いたしました^^;
たぬ吉様
いいえ、良いんですよ。
私もお返事が遅くなり申し訳ないです。
健常者も障害者も気持ちが良い関係が続けば良いのですが、、、
なかなか難しいのでしょうか?
たぬ吉様もそのような経験がお有りなんですね
実は、あたしも過去、いじめの対象になったことがあります。
人を憎んだのは後々になってからです。
当時、歩行器で歩いていたあたしはまさにいじめの標的に…
小学校、中学と同じクラスの人がいたのですが、小学校の時にクラスのリーダー的な人たちに
『お前の歩き方、ロボットみたい(笑)』『わっ!あいつが来た。行こ行こ。』
『近寄りたくないから向こう行けよ。』みたいなことを何度も言われたり、
椅子の上に画びょうなんかも置かれたりして。
でもその時は、キョロっとしていて笑い話にして別に気にしてなかったのですが、
とある日そいつ(リーダー)が家に遊びに行きたいというので(仲直りしてくれるかもしれない。)と思った私はついその子を家に入れてしまったんです。
だけど、違った。あいつ(以下Mとします。)が姉の財布から1000円奪ってこともあろうが
あたしじゃないです。NANA(あたし)じゃないんですか?、と
あたしがやったことに。
もちろん、姉は激怒。何を言っても信じてくれませんでした。
そのことがあって以来、Mは家には来ませんでしたが、取り巻きの連中が何度か家に来ては
買ってもらったものすべてかっさらって行きました。
そして中学生になり、ようやく解放されるかと思いきやMがいたんです。
何もしなきゃいいんだけど。。。と思ったのですが、
私の思ってたことが現実に。
当時、美術部に入ってたんですが、入ったばかりの頃無口でやっていたのですが、それがどうしても嫌でどうにか友達を作ろうと考えた私は思い切って皆に(初めましてばかりの人たち、最初は5人くらいか)ぎこちなくですが『こんにちは。えっと。。自己紹介しませんか?』と声をかけたんです。
そしたら皆最初は動揺してたものの『いいよ。』と言ってくれた。
あぁ、やっと、やっと友達が出来た良かった泣
と半泣き状態でした。
その日から美術部だけが居場所だった。
でもね、ある時Mがその部活に入ってきてまた居場所がなくなった。
やっと、楽しくなったと思ったのに。
しかも?は皆の前だと猫かぶりな奴で、
ショックだったのが皆通ってた中学が違うから過去にあったことを話しても誰も信じてくれなかったことMは皆に好かれてたけど裏の顔が解かってる私は美術部皆に言った。
だけどだれも信用しなかった。あの時は泣きながら家に帰り親にぶちまけた。
したら、親『辛かったね。でもあんたは悪くない。信じなかった子も傍にいればこれから嫌でもわかるでしょ。ほっときな。』と言ってくれました。
その言葉に救われた。
その日以来、私は性格ががっらっと変わり人を信用できなくなりました。
と同時にあたしにはいくらでも言うがいい、ただ他の障碍者さんを貶したり馬鹿にする奴は許さない。
Mよりも幸せになってやる。と
相手の気持ちを考えず、画面越し、見た目で人を馬鹿にする人に苛立ちを覚えます。
Mの事はいまだに許せませんが、
だから、ここにいる『障碍者を馬鹿にするやつ』が許せないのです。
同じ人間なのにどうして気持ちがわからんのだろう?
不思議で仕方ありません。
障害者の悪口言う前に自分の汚い心をどうにかしろ!と。
たぬ吉様も同じような状況だったのですね。
辛かったでしょうに話してくれてありがとうございます。
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