Benesse 2018-10-02 00:41:23 ID:71bd2fb9b |
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100%の理解を求める者は結局、誰からの理解も得られず、また他人を理解することもできなくなる。
何だよ、あいつ、ふん!もう知らないや!で終われたら、本当に楽なんだろうに。それは出来る人と出来ない人がいる芸当で、自分は後者だ。うじうじとみっともないが、ゆっくりでも心に整理をつけていきたい。
対策としては、
自己の正しさを検証して深める事と、
自分と違う考えを持つ人への理解と、
相手の考えがそこに至った経緯の推定、
そして、自分と他者の誤った行動を認めて許容出来る懐の深さを持つ事だと思うの。
突然ゴメンね。
マトモな議論に飢えてたもので←
おっと、主語が抜けていた。
①人に好かれようとして行った行動が相手に受け入れられなくて歩み寄ってくれない相手への苛立ちを、自分の中で咀嚼して和らげるための対策。
②相手を深く知ろうとする事で相手への理解を深め、根本的に相手の事を好きになる為の対策。
日本人は議論が下手という話をよく聞く。外国で暮らしたことはないから、本当のところは知らないが、否定できる要素も思い浮かばない。議論は喧嘩じゃないんだから、憎悪を込めてするものではないし、楽しいもののはずなのに、議論が拗れて仲違いに発展するのは変な話。
自分の意見に反対意見を寄せられた時、苛立ちを覚えて攻撃に転じる人は、意見ではなく自分自身を否定されたように感じていたり、「自分に見落としているところがあるのかも」と思わずに「相手は分かっていない」と捉えていたりする。
しばしば、他人の話を聞かずに「意味が分からない」と叫ぶ人がいるね。話を聞かなければ、分からないのは当たり前なのに、そんな人が沢山いる。
本心では相手の話を聞く気なんてないのに、自分でそのことを知覚できていなくて、意に沿わない相手に「何で、どうして」と食い下がってうんざりされる奴も結構いる。周りを見る、余裕を持って聞き出すって能力がないんだ。
・心理学の話
私たちの行動は内側から動機づけられている(基本的欲求)
http://counselornotubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
相手を変えようとする生き方(外的コントロール心理学)
http://counselornotubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
ネットスラングに陽キャなんて言葉があって、自分にもそういう友だちがいるんだが、そういう人たちは今、自分が感じているような悲しみはなかなか理解してくれないというイメージがある。
自分は世界の全てから嫌われて拒絶されたわけじゃないんだ。たった一人だけの人間と、この先も上手くやりたかったのに出来なかっただけだ。明るい友だちは多分、そんな話をすると「お前のことを好きな奴もいるんだから、良いじゃないか。くよくよしていても仕方がないよ。そんな酷い相手のことはさっさと忘れたら?」のように助言をくれる。
>>106
時には「お前の魅力が分からないなんて残念な奴さ。下らない奴は放っておきな」のようにも言ってくれる。
>>107
そんな時、恐ろしく面倒臭いことに自分は「そうだね。ありがとう」と言えない。そんなにも暖かい言葉を貰っておいて、それでもなかなか元気になれない。世の人間が陽キャと陰キャに分けられるなら、間違いなく陰キャだね。
自分を好きでいてくれる人がいても、そのことによってある一人の人間と決裂してしまった悲しみは帳消しにならないんだ。
自分は「万人に好かれるのは無理だぞ」と口先だけでなら言えるが、明るい友だちは口に出さなくても本質的に分かっている。己の気分を盛り下げる出来事に関わり続けない、切り捨てて前に進む強かさを持っている。
そろそろ、この話も畳むか。一人で話すだけなら、オフラインでも出来るからね。独り言はこれで終わり。
>109
人に好かれる、嫌われる事はその人の人生にとって、二次的な事、即ちその事に一喜一憂する事は幸せな人生を送っていく上でさほど重要では無いものである。(持論)
人生を航海に例えると、あなたは一艘の船の船長である。そして友人達は乗客に例えよう。あなたが人生の目的に向かって進んでいくのは全て船長の責任に委ねられる。時に、乗客に励まされたり楽しいひと時を過ごしたりと、人生に華を添えるのも乗客だろう。しかし多過ぎる乗客は燃料費も嵩み、船を増築する必要もあるかも知れない。そうなるとあなたの人生の足枷にもなり兼ねない。
後ろばかり向いて乗客のご機嫌とりばかりに気を揉むよりも、前を向いて進んでいくという人生の本幹を堂々と歩んでいくことを切に願います。
チャンチャン♪←
自分は分かっていて、周りは分かっていない。間違っている他人は矯正しなくてはならない。そんな生き方はストレスフルになるに決まっている。相手は本当に分かっていない、と思ってしまうとイライラしたり虚しくなったりするのは当たり前。
どうして自分の思い通りになってくれないのか、という文に起こすとワガママとしか評せない苛立ちを、それでも自分は抱えてしまっている。欲しい結果が得られていないなら、目標の現実性から見直しでもすればいいんだ。なのに、そこを怠って、褪せた目標に執着しているのが今なのかも。
人間、評価を受けながら生きてゆくか、後の評価を気にしないで生きてゆくか、でも生き方は違ってくるものの様に思いまふ。
人を切り捨てながら生きてゆく者と人を引きずりながら生きてゆく者は何が違っているのだろう。
ワシもどちらかと言えば後者に当る。
確かに煩わしさはあるが、そこでしか味わえない喜びもある。
>113
よそ見ばかりしていて岩にでも衝突したのでしょうね。
>114
いっそのこと、他人の船の乗客になったらいい。
>115-117
わかっている気になっている可能性。少なくともその相手は、「こいつわかってねぇ」と思っている。お互い様。
>118-122
人それぞれはわかりますが、どんなそれぞれでも、芯をしっかり持っていきたいものです。人間関係に思い悩む前に。人の評価は人生において所詮装飾品だと思うのです。
>123
>わかっている気になっている可能性。少なくともその相手は、「こいつわかってねぇ」と思っている。お互い様。
もし、>>115を自分が貴方に対して言ったものと思ったなら、それは誤解であるということだけ、先に言っておきます。さらに、もし、そのような誤解は最初からしていなくて、このレスの方が見当違いであり、>123は>>115への共感で書いたものなら、重ねてすみません。
>123
>よそ見ばかりしていて岩にでも衝突したのでしょうね。
自分はそういう風には思えないんだよね。既にお気付きでしょうが、>111にはあまり共感できなかった。確かに、目標のある人は批判や些末ないざこざに強いところはあると思うけれど。
>いっそのこと、他人の船の乗客になったらいい。
自分の人生の舵取りを他人に任せる気はないな。
自分の勘違いなら良いのだが、どうにも貴方の今回のレスには上から目線な雰囲気を感じてしまった。もしなら、>>0で禁止していることだから、控えてもらいたい。逆に、自分の方にもそう感じたところがあれば、指摘して欲しい。
>118
>>104のリンク先から抜粋。
>>私たちは遺伝子から指示されて生じる欲求に従って行動を起こすと選択理論では説明されています。それらの基本的欲求は以下の5つがあります。
>>生存の欲求 :生きたいと思う欲求。
>>愛と所属の欲求 :愛し愛されたいという欲求
>>力と価値の欲求 :自分には力があると認めたい欲求
>>自由の欲求 :自分の思ったやり方で選択したいという欲求
>>楽しみの欲求 :自分の人生を充実させたい欲求
山奥で自給自足の生活を送り……、自分で生きる、自分を愛する、その現状を維持できる自分の力量に満足する、可能な選択は自分の意志でやっていく、そんな人生を楽しむ……、それで満たされるなら、その人は一人で幸せに生きていると言えるかもしれない。
でも、そんな人は間違いなく少数派。多くの人は、生存の欲求を満たすために他人を気にし、愛し愛されたいがために他人を求め、他人と上手くやれることに自分の力を感じ、他人との関わりの中で自由にならないジレンマを味わって、自分の人生を楽しむために他人との付き合い方も考える。
人間関係の悩みは本当に、一人では生きていけない、群れて生きるのが普通な人間であるがゆえの苦悩だね。なかには下らなく思える悩みもあるけれど、本人が深刻に捉えてしまうなら、その理由は人間の原始的な本質に沿った悩みだからだと思える。
>119
>>7。「他人の評価は気にしなさい、それが真理です」のように、これをやれば、誰でも黄金の道を走れるよ、というものはないんだよね。他人の評価を気にして幸せな人もいれば、気にしなかったから成功できた人もいるわけで。
>120
>>8。だからやっぱり、何を主眼に、というのは大事だね。自分の世界を確立していて、周りなんてどうでもいいや、と本気で思っている人が周囲と協調しないで孤立するのと、態度は滅茶苦茶だけれど内心では、皆と上手くやりたいのに、と思っている人が協調できなくて孤立するのでは、目に見える結果が同じでも、本質は全然違うんだから。
>121
少なくとも自分が引きずる理由には「自分の無力が証明されてしまったようでショック」というのがあると思う。文に起こすと恥ずかしいんだけど。
僕に関して言うなら、>>126で抜粋したところの「力と価値の欲求」がすごく強いから、という気がする。上手くやりたかったのに、なんて言ったら如何にも慈悲深いようで、自分の本心は「上手くやることで自分の力を実感したかった」なんじゃないかって。だから>>80、>>84のようにも思ってしまうんだろう。
正直、今からでも相手がずっこけて苦しんでくれたら、自分は少し癒されるのかもしれない。とんでもないことだね。でも、幸いなことがあるとしたら、自分はそういう気持ちを「とんでもない」と思える。だから、相手が失敗するように画策するとか、馬鹿な真似は踏みとどまれる。
>>129
コケにされて真っ赤になるストーカー野郎の心理に近いものがあるかもね。自分の価値を否定して、ゴミのように捨てた相手がそのことに何の痛みも感じず、平然と生きていく。そこでまた「力と価値の欲求」がすごく強い自分は、無力さを嫌というほど実感し、自分のしたことの無価値っぷりを思い知って、辛くなってしまうわけだ。
阿呆だね。今回は失敗したと素直に認めて、認められる強さに誇りを持ちつつ、前を向けばいいものを。
>>115はしょっちゅう、他の人に対して「分かっていない!」と思ってしまう傲慢な自分に向けた戒めです。大体その発想がストレスと虚しさのもと。確かに、他の人は分かっていないところもあるだろうけど、自分も他の人のことをろくに分かってはいないんだ。どっちに焦点を当てるか、だね。
犯した過ちは素直に認めて、間違っていなかったと自信を持てる部分はそのまま、誇りに思っていて良い。周りに理解者はいらない。自分が自分の気持ちや考え方を理解し、把握できていることの方がずっと大切だ。
>>117
思い通りになることの何が爽快かって、自分の力を実感できるところだ。自分には能力がある、自分にはこれだけのことができる、そんな自分には価値がある、幼稚としか表現できないそういう欲望。
ワシは、いきり勃たちながらの人生はシンドイ。
お互いの弱みを笑い合いなぎら、生きていきたいものでふ。
すぐ「他人に攻撃された」と思いこむ人は、つまるところ、己が世間をそうやって見ているんだろうな。
>135
バカとかアホとか、言い合える関係は尊いね。些細な言葉に過剰反応を繰り返していたら、そのうち、腫れ物扱いされるか、周りから誰もいなくなる。
>143
そういう人って完璧主義なイメージがあるんだ。>>89でも呟いてみていたが、劣等感が強くて不安を抱えている感じ。完璧は有り得ないのに「完璧じゃないと愛せないし愛されない」と思い込んでいるから、結局、虚構に走ることになってしまう。
>>147
そして、これは僕にとっては他人事ではない。自分も不安が強い人間だからね。不合理と自覚があるから、抑制を心掛けているけど。そもそも、不安が強いからこそ、力への執着が激しいということもあるのかもしれない。
ワシより1つ下の後輩がいてな
そいつは、自己中で甘えただたのさね。
ワシは、どちらかと言えば責任感強し。
後輩のやる事なんで許してはいたが、目に余ってきたので注意した。
すると、注意したワシが悪い、今まで仲良くしてたのに、何でいきなりそんな事を、と言い出した。
その時「あー、こいつはいきなりだと思うんだ。それまで、ワシに気を配ってなかったんだ」
と、思い、ワシも若かったので喧嘩になった。
今にして思えば、ワシも辛抱がたらんかった。
その先にある二人を良いように想像出来なかった、ワシも悪かった。
ま、そんなとこ(笑
>>150
ちなみに、古い過去の恋人にはその手の重症な完璧主義者がいた。デートの最中に、相手の発言をちょっとどうかと思ったから「それはおかしくないか」と正直に言ったら、後日突然「別れよう。もう無理だ」と別れを切り出された。
寝耳に水だったが、何かしてしまったんだと思って僕は謝った。突然別れを切り出されるレベルのことなら、すがっても仕方がないと思い、すがることはせず、ただ「何かしたなら、本当に申し訳なかった」と言った。
そしたら相手は「意外。なら自分も本心を言う」と言い出し、「おかしいなんて他人に言うのは、それこそおかしい。あの発言の何がおかしかったんだ。詳しく説明しろ」等と言われ、僕なりに相手の気持ちにも配慮しつつ、自分の思ったことを説明していくと、細かな部分で延々とヒステリーを起こされ続け、気が遠くなるのを感じた。
その人は「普通に会話していて、おかしいと言われるような地雷原では安心できない。己は恋人といる空間は安心できる場であることを求めている。お前はどうなんだ?」と言っていた。
>>152
自分には相手を否定しようという気はなかったのに、相手は僕に存在を全否定されたように感じたのだろう。誓って、自分は相手が気にした発言に負の感情は込めていなかった。何気ない一言だった。
それなのに、>>152のような展開が待っていて、相手の言葉は「本心を出されたら不安でたまらないから、上辺だけの関係でいよう」と言っているように聞こえた。それは自分が恋人関係に求めるものではなかった。
そちらから別れを切り出した癖に、最後は「悪いと思っているなら交際を続けるべきだ」、「自分を捨てるのか」等と散々罵られたが、付き合いきれなくなって結局別れた。これについては全く後悔していない。言えるのは、相手には完璧主義の傾向があったということ。
>151
そうか。やっぱり「ワシに気を配ってなかったんだ」、こういう風に感じてしまうと悲しくなるね。周囲への無頓着さを見せつけられるような。
>155
若い人の方が突き詰めたくなりがちな気がするね(笑 そう言えば>>152の人は自分よりずっと年上だったんだよ。一回りぐらいかな。言っちゃ悪いけれど、だからこそ幼稚さが際立って見えて呆れてしまった。
一回り上ではなく、一回り下だったなら「まだ、子供なんだな」と思って許したかもしれない。
>156
それは20年前のワシ。
今は、一時の感情に流されたワシが悪い、と思ってまふ。
そいつはどうか知らんけど(笑
>151
>その先にある二人を良いように想像出来なかった、ワシも悪かった。
ここは今の自分と共通かもしれない。そういう想像ができていたら、もっと相手の気持ちに配慮できていただろうな。
>161
人生はそんなに長くないし、人間の理性や感情は脳ミソが支配している。歳を取って脳ミソが衰えると、次はそれまで成長してきたのとは逆に、感情のコントロールが難しくなることもある。果てがない。
>156
自分はまだこの身勝手な悲しみから抜け出せていないんだろうな。>158に同感はできる。今の自分の状態もそうだ、至らなかったと本気で思う。しかし、その隣で感情が「悲しい、虚しい」とか「憎い」と言い続けているんだ。鎮めたいなァ。
他人に構い過ぎるのは、やっぱり自分が「ない」からだろうね。一種の依存なんだ。自分のすべきことに意欲を向けていれば、些末な人付き合いのいざこざは「下らない」と思えるだろう。
自分の気分が盛り下がるなら、それに執着するのは何故なのか、と考えると、今の自分の本心を言ったら「嫌な気分になった場所からは立ち去りたい」。次は、引き留めになっているものは何なのかを考えてみたい。
実際、自分は今までセイチャとか、匿名掲示板で嫌な思いをしたら、その度にそこから距離を置いた。逃げと取る人もいるかもしれないけれど、不快な場所に留まり続ける理由はなかった。
>168
相手が視界に入る場所にいるだけで、今の自分は傷付いてしまう。そこから離れることは、現実問題として可能である。そこから離れれば、自分は徐々に今回のことを忘れられるだろう。
>169
そこから離れれば、相手以外の人の無理解や非協力にも心を痛めなくて済む。思い通りに動いてくれない他人に、苛立ちを覚えなくて済む。
>>170
立ち去るとすれば、そのことで相手に敗北感を覚えたり、悔しいと思ったりはしない。自分に対しては、負の感情が残ってもきっと持続しない。現実を見なければ、忘れられる。居続ければ、虚しさと無力感に苛まれ続ける。自分の心を守りたいなら、残るメリットはゼロで、立ち去る方が圧倒的に賢い。
>>171
なのに、引き留めになっているのは「心を犠牲にしても、譲りたくない価値観」「生き方」そういうものだろうか。
野菜嫌いでも「野菜は健康に良い。食べるのが吉だ」という価値観の人は野菜を食べるだろう? その人はつまり、自分の気持ちより価値観を選んでいるんだ。野菜が嫌いなら、食べない方がその瞬間は幸せなのに。
感情は大事だけど、感情任せで動くと長期的な幸せを見失いかねない。価値観は、長い目で見た幸福を得るためのものだ。
・私はコンセンサス(関係者の意見の一致をはかること)というものは、さほど重要なものであるとは思いません。あれは時間の浪費の原因のようなものですから。
サッチャーの言葉だが、自分は今まで幾度となくコンセンサスを取ろうとして大失敗をしてきた。バカである。何がバカだって、それを自覚していて今回もやりやがったところである。学習能力がなかった。
サッチャーの言葉は好きなんだ。あの人は格好良いよ。可能なら、ああいう風に生きてみたいものなのに「可能なら」とか、前置きしてしまうところでお察しだ。
>124
ううん、自分が言われたとは思っていなかったよ。
>わかっている気になっている可能性。少なくともその相手は、「こいつわかってねぇ」と思っている。お互い様。
と言った意図は、
>115のようにイライラする原因は、自分のことを完全に正しいと思っている結果なのだが、一方で分っていないと思っている”周り”は明らかに別の意見を持っていて、お互い自分が正しいと思っている事実があるのだから、イライラする原因となった前提条件が早計ではないのかな?という投げ掛けでした。
まぁ、君の発言が僕に言った物ではないと分っていたとしても、僕はアンカーをつけて貴方の発言に向けて言ったわけだから別に謝られることは無いと思うけども。
>125
上から目線の意味がいまいち分らないのだけど、
>よそ見ばかりしていて岩にでも衝突したのでしょうね。
この意図は僕が前に出した持論>111の前提条件があって、人生の目的地に向かって航海する中で、人間関係における苦痛が原因で自殺したとするならば、航海の目標を見失い取るに足らないことに心奪われた結果、進む道を誤ったという比喩です。
>いっそのこと、他人の船の乗客になったらいい。
揉める事を避けることがそんなに大事だとは思ってないんよね、僕自身。目標に向かって進んでいく中で同乗して来る者を乗せれば良いし、道が違えば違うルートを進めばよい。なので、>114のようにご機嫌とりを第一に考えるのであれば他人の人生に左右される生き方を選ぶのかい?という投げ掛け。
説明不足でごめんね。
もう少し続きを読んでみるね。
うむ。
この手の話題はひとそれぞれ考えがあってお互い相容れないものだけど、自分の考えと180度違う人の意見はこれから出会うであろういろんなタイプの人と意見を酌み交わすときへの心構えとなろう。
まあ、気を悪くしないでねん。根がチャランポランなものでww
>177
お陰で気を悪くはしていないし、先の諸々は自分の勘違いだったようだ。理解力が低くて申し訳なかったな。
>176
上から云々は全くこちらの誤解だったようです。失礼しました。ドンファンとみさんのご意見にも共感できるところが沢山ありますね。
>177
考え方が違うからと、相手を全否定するのはいけないね。自分にも得るものがないし。それから、こういう話をする時は、話し合いの効力を過信しないことも大事だと思う。
一を聞いて十が分かるような人でない限り、言われてすぐに理解できることって、多くないと思うんだ。分からないことについて、理解を急ぐあまり、相手を質問攻めにしたりすると失敗しやすくない? 「……って、誰々は言ってたけど、よく分からなかったな」と思って置いておくと、ある日「ああ、こういうことか」と分かったりする。
そう言えば、セイチャットって「バカ」はOKなのに「ぼけ」はカタカナで打つと伏せ字にされるんだよな。よく分からない基準。別件で、いつぞやネトゲーの交流板で「初めたばかりですが……」と挨拶したら、「ばか」の部分、伏せ字にされて驚いたことがある。あれは厳しすぎじゃないか、と今でも思っている。…………うん、全く本題に関係ない話だった。
お題の「万人に好かれる」には「万人を好きになる己」が必要なのでは?と、ふと思いましたが如何でせう?
>>193
この返答だけじゃ、味気ないのは承知だけれど、時間になってしまった。自分は一度、落ちるよ。思い付いたこととかは好きに書いていってね。
ばいばい、今日もありがとう(^ ^)ノシ
特効薬は無さげだ。
コツコツやらんと。
ワシにはイチビリの癖あるしな…。
相手によっては嫌がる奴がいるのを、わかっちゃいるがやめられない。やめるとワシの持ち味が…。
…夜食しまふ。
またね。
(= =)ノシ
おはようございます。
>192
>193
そうやねぇ。
むしろ、好きな人に好かれれば満足なのに、好きな人からの好意が得られないから万人に好かれる方法なんて考えて周りを固めようとしてしまうのかも知れないねぇ。人は。
>197
ばん。それもあるだろうな。好きな人、信頼の置ける人、言い換えるから理解者とか? 一人でもそういう特別な人がいてくれたら自信も持てるし、頑張れるものだ。
進展があったんだ。どういう態度で挑むべきかと決めかねている。もう関係の修復が無理というのは間違いないが、そのうえでどういう終着を目指そう。まだ、立ち去ることもできないみたい。
なにわともあれ、去るなら後腐れない様に、礼を尽くしてから去るが良かろう。(後々対応の不備で悩まない
>200
礼というのも一筋縄ではいかないよな。慇懃無礼という言葉もあるし、真心も伝わらなければ、全ての行動を嫌がらせのように捉えられてしまうことも。誠意を意識し、丁寧さを心掛けても、嫌味/うざい/キモい/面倒臭い等と評価されてしまうことは残念ながら……ままある。極論だが、礼についても自己満足を追求するしかないのかも、と思ってしまうね。
>204
そういうのが、結局伝わらないが為の別れなら、最後も自己満足でいいんじゃない?
そこがわかる相手なら別れはしないっしょ。
>205
相手の方に、こちらを良心を持って捉えようという空気を全く感じない。とことん高圧的で上から目線かつ、悪意に満ちていて、軽んじている雰囲気の対応をされる。
質問されたり、ここが分からないと言われたりしたら、回答やこちらの意図の解説はしているし、不快感を露呈されたら謝り、「そんなつもりはなかったんだが、こう思ったのか…?」「会話を成り立たせたいんだけれど…」とか、言っているんだが、まるで話にならない。
もう話さない!、のように言う割りに、それに対してこちらが「それなら、それでいいから。無理に返信しなくていい。ただ、こっちも言いたいことは言っておきたい。言い終わったらそれで終わりにする」といった形で、言いたいことだけ言っておこうとするとまた返信してくる。
その返信に応えて「うーんと、こういうこと?」と言った切り返しをすると、また「もうやだ。この話は終わりだ」とか言い出す。本気で全く会話にならない。
>206
理屈を言ってくる割りに、その理屈も破綻している。そこをやんわりと指摘すると、また無視やヒステリー。こういうことは簡単に言うものではないのだろうけれど、正直なところ、妄想が強い節もあり、何かの人格障害の気配を感じている。
ありがとう、さようなら、という爽やかな台詞を(例え、心の中だけでも)言える心情にならないな。もう。周りの人も何人かは相手の異常性を察して、相手のことを心配しているんだが、気の毒な人を見る目で見られていることに本人が気付く気配はない。本人は周りが異常だと思っているようにしか見えないね。
やるせなくなるし、なまじっか理屈を言ってくる分、こっちもモヤモヤしてしまうんだよね。理屈抜きなら、感情の暴走は責めても仕方がないから気にしないで済むが、ことごとく、破綻した理屈を述べてきて、反論するとそれには答えず、ガーッとこちらの人格攻撃に移るんだから。
>>213
いじめたいわけじゃないのに、少し話すといじめのような形になってしまう。話さない、関わらない、無視する、以外に傷付けない手段はないのかもしれないが、それをやっても相手の方が問題を起こし続けることをやめないから、結局、他の人が注意をして、揉めて繰り返し。何と言うか、やるせないよ(苦笑)
頭には来るけれど、何故か嫌いにはなれないし、普通に対等な立場で話がしたいだけなのに、向こうがこっちを見下しているから「対等だろう?お互い様だろう?」という姿勢で向かうことがもう地雷になっている。
「対等だ?お前が悪いのにどの口が言うんだよ!ふざけるな!今のでお前に反省がないことは分かった。さっきまでの謝罪も口先だけだったんだろう。そういうのは最低だ。もうお前の言葉は一切信用しない。謝罪だって本気じゃないとはっきり分かったからな!」
そんな感じ。
>>218
あの人については、ご自身のトピにいる分には問題なしと思っている派。最近は見ていないから詳しいことは知らないが、昔から本気でやっているのか分からないところはあるね。でも、他のトピに行っても粘着はしないし、悪い印象は持っていない。ここ、粘着する人はまずい。
すっかり愚痴ってしまった。見返すと見苦しいなァ。書いた端から流したい気分になってしまったが、流す為の話題も見つからない。
相手は本当に無茶苦茶なんだろうか。ここまでのレスは自分の主観でしかない。感情面での対立は仕方ないとしても、理屈の点でこちらが見落としていることはないのだろうか。それも分からないんだ。話せる人が全然いない。
自分は叩きのめしたり攻撃したりしたくて、言葉を紡いだわけではないのに。
いいじゃん、そんな奴はもう放っておいて。関わるだけ損だし、下らない人間のことは忘れなさい。と、そう言われても頷けないタイプのクソバカにとって、この先せめて、どうするのが最良なのかはもう少し考えたい。
価値観の一致はこれはコレで難しい。
やはり、そこは否定し攻撃したくなる。
だから、これからそういう人は忘れなさい
ではなく、
忘れる数を減らせる様になりなさい、という事でせうか。。。
セイチャットはやっぱり過疎の地だよね。雰囲気も変わった。ネット上の流行が変わったというのもあるんだろうけれど、猛虎弁を使う人なんて前は全くいなかったよな。
僕が見つけられていないだけかもしれないけれど、話し込める匿名さんに会えなくなったのが寂しいな。今も自分が見ていない板にはいるのかなァ。
理解してくれているなら、まず取らないよな?という態度ばかりなのに、口では「分かるー」「分かっている」と言われ続ける虚しさといったら本当にない。
>>237
後、人が解説しようとしているのを散々妨害したり、聞けば教えることを聞いてこなかったりしておいて、食い気味に「理解できない!」と言われるのも疲れる。理解できないなら、何故、落ち着いて人の話を聞かない…?泣けてきちゃうよ。
言動が受け身な人と関わると、こういう疲労を感じるはめになる。受け身な人は疲れる。本当に一貫して受け身ということがなく、半端なんだよなァ。
ワシは歌好きでトピも上げているのだが、そんなワシにも如何しても好きになれない歌がある。
最近多い
「わかりあえるよねぇ〜」
とか
「繋がってるよねぇ〜」
とかの歌詞が入ってる歌全般でふ。
そういう歌を聴くたび、
「思い込みじゃ!」
「繋がってるのは電波だけじゃ!」
とツッコミ入れたくなりまふ。。。
>243
昔、流行ったオレ○ジレンジの以心電信は、サビの部分の歌詞を聞いただけでもう駄目だった(苦笑
>>245
これは本当にどう対処したら良いのやら。こういうことをする人は「自分が分かっていない」ということを頑なに思えるほど、理解しない。分かっていないのは相手だという無意識で強固な思い込みに支配されている。
>>246
人は本来「分かり合えない」。だから、それだけならお互い様だ。自分が彼等の姿勢のどこを嫌悪するかと言えば、その傲慢さだね。
「『己はお前を分かっている』と思っていたい」、そんなエゴを押し付けていることに無自覚で、折れない他人に問題があると思っている。エゴならエゴらしく己の中で完結すればいいのに、と思ってしまうんだよね。
理解者でいたいなら、それはそう思った当人の願望なんだから、己の努力や工夫で相手の理解者になるのが筋じゃないかと思うんだが、何故か「相手の努力や妥協で、相手の理解者になろうとする」人が後を絶たない。
>>247
彼等が相手との会話を諦めてそこから立ち去ろうとする時に、胸に抱く悲しみは「相手を理解できなかった悲しみ」ではなく「相手に分かって貰えなかった」/「相手に理解をさせられなかった」悲しみであることがほとんどだと思う。
その段階まで行っても、自分が相手の理解者という立場から、かなり遠いところに立っていたって気付く人は稀な気がしてならない。
怒った時、周囲の人が良かれと思ってやったらしい行動で神経を逆撫されることが少なくない。自分はいつも、自分が何に怒ったか、どうして怒ったのか、説明できる状態にしているつもりなのだが、そこに関心を持つ人は全然いなくて、頓珍漢な解釈で検討違いのことを言われる苦痛たるや、簡単に言い表せるものじゃない。
善意だからより苦痛。歩み寄りって、気遣おうと思った側からするものだと思うんだが、何で彼等はそれをしないで、こっちにそちらを理解させようとするんだろう。やっぱり「分かっていない」という自覚がないからだろう。やめてほしいね。
何が嫌って
事から一歩引いて、全体を見て、わかったフリしてる奴かな。(こういう関係無い奴のチャチャは、一番いらん
>252
スポーツやゲームを後ろから見ている状態に似ているかもな。あれはやったことがない人ほど、見ていたら出来そうな気がしてきてしまうんだとか。
>>253
善意は本物だと思うが、如何せん思考が浅いように思えてならない。己の願望も、それを叶える為の方法も、一つ一つが思慮不足(暴言)
自分は自分を論客だと思っている。思っているからにはプライドがある。そのプライドとは、論客じゃない相手を論述で虐めないことだ。
そもそも、一流の論客なら意識しなくてもそれができると思うが、残念ながら自分は三流だから、意識しないと上手くやれない。
だから、困るのは今のようなケースだ。論客じゃない人は理屈で説明しても理解しないことが多い。あれが困る。ここまで書いたようなことを仮に言ってみて、理想に思える受け止め方は「全然理解できていなかったようだ」とそこを理解して貰えることだ。
相手にこちらへの思いやりや理解者になりたい心が残っているのなら、その上で自分に対する気持ちを語って貰えれば、それより嬉しいことはない。だけれど、実際の論客じゃない人の受け止め方は「なんか……怒ってる?」「なんか……ごめん」「なんか……余計なことをしたみたいだね」とまぁ、そういうところである。
>>257
論客じゃない人に理屈を言っても、理解には繋がらず、ただ徒に相手を傷付けるだけというとんでもない事象が発生する。ここで「そういうことを言っているんじゃない。よく読み返してくれ」とでも言おうものなら、相手はさらに萎縮したり屈辱を感じたりするだけ。
よく読み返せ、と言われたのなら、読み返せば良いものを、論客じゃない人というのは大体言葉通りに動かない。その言葉に込もる怒気や失望や見下しを感じて、気力を失ってしまう。
論客じゃない人に理屈を理解して貰う為には、雰囲気作りが不可欠なのだが、それにはこちらの妥協がいる。
>>258
こっちに妥協をさせて、何が理解者だという原点回帰で結局、破綻から逃れられない。やめてほしい。
どっちも殺傷能力があるんだよ。だからこそ、扱う時には覚悟がいる。覚悟のない人に割り込まれると、はっきり言って迷惑なんだよね。丸腰の人間を傷付け、嬲るのは簡単。だが、そういうことをしたくないならかわし方も覚えないといけない。でも、言い換えたらそれって舐めプなんだよな。
明らかに、この人は論客じゃない、論述も下手くそだって相手が、それでも持論を携えて向かってきた時、嬲っていいものだろうか。
論客じゃない人を相手にするなら、ゆっくり話しながら、相手の本心を相手と一緒に探る方が好きだよ。だけれど、今回のような場合はそうすることも難しいんだ。
どの程度の論述に耐えられるかというのも人それぞれ。本来、長文は複雑な事象を解説するためのものだが、内容や人によっては、長文を出すごとに相手の頭上に浮かぶ"?"を増やしてしまうこともある。
本人、弁解のつもりなのかもしれないが、こっちの神経をひたすら逆撫でしていることに全く気付いていないようだし、言ったところで理解しない。
向こうのこちらへの理解は「なんか……怒ってるみたい」で止まっているように見える。さらにそれを己の理解不足が原因とはまるで考えていなさそうなんだよ。こちらが「分かっていないから」だと思っている雰囲気ばかりで、ずっと平行線。ここまで歩み寄らずに理解者のつもりとは、乾いた笑いさえ出ない。
ここまで何も理解しない/こちらの話を聞かないとは、と驚きを覚えるほどだが、それを伝えてもやっぱり「なんか……失敗したみたい」「なんか……嫌われちゃったのかな」ぐらいにしか理解しないことが目に見えている。もう見限るしかないかな。善良とは思うが、困る。
謝られても、それがもう見当外れもいいところ。だが、指摘すると「やっぱり、私は駄目なんだ……」みたいに思わせるだけ。これはもう謝罪の暴力なんじゃないかと思えてきた(肩落とし) これだから、確立した思想も傷付く覚悟もない人間には、決闘の場に割り込んでほしくないんだ。酷いことを言っているんだろうか……。
メルヘンだと言われても、話せば分かる(かもしれない)と信じていたい自分がいるんだ。非効率的な生き方だと思うが、なかなか他の生き方ができない。
主サマへ。
まず最初に。
テーマに関係ないお話ですみません…!
トピの最初の文をすごく良いと思ったんですが、真似して使ったらダメでしょうか?
今まで見てきたトピ荒れの原因がスマートにまとまってる!と思えて…!
まだ、見てるか分からないですが、気づいたらお返事を貰えたら嬉しいです。
突然にすみません。
>270
こんばんは。最初の文とは、注意書きのことでしょうか? 何気なく書いたものをそのように褒めて頂けるとは思いも寄らず、嬉しくも擽ったい気持ちです。この度は丁寧なお断りを頂けましたが、誰とは限らず自由に使って頂いて構いませんよ。事前のお心遣いを有難うございます(^ ^)
>>主サマ。
即レス気味で失礼します。お早く、おおらかなお返事を本当にありがとうございます!
ではでは、お言葉に甘えて…近いうちに使わせてもらいます~!(ノ∀\*)
>>主サマ。
追伸ですが。
私は根暗人間です···(・_・;)
建てるトピも皆にウケるようなものじゃないかもです
お借りする手前、もしも、私が建てたトピがやっぱり嫌だった時は教えてください!
ではでは···!レス消費を失礼しました
ああいうトピックも、その昔はすぐにレスがついたような気がするんだがな。まぁ、こういうことばかり言っていたら懐古厨かァ……。
割りと最近に建てて、面白いレスをくれる人が現れた!と思えたトピックを今調べてみたら、あろうことか一年以上前のトピックだった。全然最近じゃなかった(苦笑 だけれど、良い思い出であることに変わりはないね。
半端な論理派がよく使う言葉―『そもそも』。下手に使うとイキっている雰囲気も凄まじく、恥ずかしいから、気を付けたい。
>278
相手に対し、より深い興味を持った側が妥協すること。もしも、質問の意図と僕の回答の方向がずれているようなら、教えてね。
僕が自分の考え方について、特に欠陥を感じるのはその自閉性だ。人間は往々にして矛盾するものであり、突き詰められた理想は人類史において、屡々机上の空論と化し、現実との乖離を経て破綻してきた。
つまるところ、適宜を覚えなければ、生き難くなるのは当たり前なのだが、そこの情報処理が上手くいかないんだよね。
ここには書けない話だから、文脈から考えたら、本当はここにあるべきだと思う文章を自重して、次のレスへ(笑
自分を主語にして話すのが苦手な人もいるんだよ。正確には人格ではなく、誰でも陥りかねない思考方法の問題と疑っているんだがな。
僕は正直、そういう不備を目の当たりにする度に「この人、馬鹿なのかな」と思わざる得なかった。尤も、そういう不備を露呈しがちな人にとっては、その思考方法こそが生き方だったのだろうけれどね。
だから、本質的には僕と僕が蔑んでしまった人たちに差はなくて、むしろ、同等の相手を見下してかかる僕の感性の方が卑しいと内省するしかないのだが。
>>245
この人の話なんです。>>268の通り、しっかり段落をつけられたことだから、暗い気持ちはなくなっている。そう、引き摺ることではないのだが、ぼんやりしている時にふと、やっぱり、あれは疑問だったなァと思い返してしまうだけさ。
他人から積極的に働きかけて貰わないと「じゃあ、私は何をすればいいのさ」となる人。その台詞をやるせない感情の表現として発するなら、わざわざ疑問も抱かないが、論理として持ち出してくるのなら「馬鹿なのかな」と、つい思ってしまうんだよ。
自主性を否定される環境下に置かれているわけでもないのなら、何をすべきかは、貴方が「何をしたいか」によってしか規定されないと思うのだが、何故、それを怒気を孕ませた声音で他人に聞くのかとね。しかし、これは既に結論が出ている通りに、鼻息を荒くして突っ掛かるような話ではないんだ。もう落ちないと。
100あれば満足だった時、実際に貰えたのは50だった。貰った50と足りない50と、どちらに意識を向けよう。
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