Benesse 2018-10-02 00:41:23 ID:71bd2fb9b |
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>>237
後、人が解説しようとしているのを散々妨害したり、聞けば教えることを聞いてこなかったりしておいて、食い気味に「理解できない!」と言われるのも疲れる。理解できないなら、何故、落ち着いて人の話を聞かない…?泣けてきちゃうよ。
言動が受け身な人と関わると、こういう疲労を感じるはめになる。受け身な人は疲れる。本当に一貫して受け身ということがなく、半端なんだよなァ。
ワシは歌好きでトピも上げているのだが、そんなワシにも如何しても好きになれない歌がある。
最近多い
「わかりあえるよねぇ〜」
とか
「繋がってるよねぇ〜」
とかの歌詞が入ってる歌全般でふ。
そういう歌を聴くたび、
「思い込みじゃ!」
「繋がってるのは電波だけじゃ!」
とツッコミ入れたくなりまふ。。。
>243
昔、流行ったオレ○ジレンジの以心電信は、サビの部分の歌詞を聞いただけでもう駄目だった(苦笑
>>245
これは本当にどう対処したら良いのやら。こういうことをする人は「自分が分かっていない」ということを頑なに思えるほど、理解しない。分かっていないのは相手だという無意識で強固な思い込みに支配されている。
>>246
人は本来「分かり合えない」。だから、それだけならお互い様だ。自分が彼等の姿勢のどこを嫌悪するかと言えば、その傲慢さだね。
「『己はお前を分かっている』と思っていたい」、そんなエゴを押し付けていることに無自覚で、折れない他人に問題があると思っている。エゴならエゴらしく己の中で完結すればいいのに、と思ってしまうんだよね。
理解者でいたいなら、それはそう思った当人の願望なんだから、己の努力や工夫で相手の理解者になるのが筋じゃないかと思うんだが、何故か「相手の努力や妥協で、相手の理解者になろうとする」人が後を絶たない。
>>247
彼等が相手との会話を諦めてそこから立ち去ろうとする時に、胸に抱く悲しみは「相手を理解できなかった悲しみ」ではなく「相手に分かって貰えなかった」/「相手に理解をさせられなかった」悲しみであることがほとんどだと思う。
その段階まで行っても、自分が相手の理解者という立場から、かなり遠いところに立っていたって気付く人は稀な気がしてならない。
怒った時、周囲の人が良かれと思ってやったらしい行動で神経を逆撫されることが少なくない。自分はいつも、自分が何に怒ったか、どうして怒ったのか、説明できる状態にしているつもりなのだが、そこに関心を持つ人は全然いなくて、頓珍漢な解釈で検討違いのことを言われる苦痛たるや、簡単に言い表せるものじゃない。
善意だからより苦痛。歩み寄りって、気遣おうと思った側からするものだと思うんだが、何で彼等はそれをしないで、こっちにそちらを理解させようとするんだろう。やっぱり「分かっていない」という自覚がないからだろう。やめてほしいね。
何が嫌って
事から一歩引いて、全体を見て、わかったフリしてる奴かな。(こういう関係無い奴のチャチャは、一番いらん
>252
スポーツやゲームを後ろから見ている状態に似ているかもな。あれはやったことがない人ほど、見ていたら出来そうな気がしてきてしまうんだとか。
>>253
善意は本物だと思うが、如何せん思考が浅いように思えてならない。己の願望も、それを叶える為の方法も、一つ一つが思慮不足(暴言)
自分は自分を論客だと思っている。思っているからにはプライドがある。そのプライドとは、論客じゃない相手を論述で虐めないことだ。
そもそも、一流の論客なら意識しなくてもそれができると思うが、残念ながら自分は三流だから、意識しないと上手くやれない。
だから、困るのは今のようなケースだ。論客じゃない人は理屈で説明しても理解しないことが多い。あれが困る。ここまで書いたようなことを仮に言ってみて、理想に思える受け止め方は「全然理解できていなかったようだ」とそこを理解して貰えることだ。
相手にこちらへの思いやりや理解者になりたい心が残っているのなら、その上で自分に対する気持ちを語って貰えれば、それより嬉しいことはない。だけれど、実際の論客じゃない人の受け止め方は「なんか……怒ってる?」「なんか……ごめん」「なんか……余計なことをしたみたいだね」とまぁ、そういうところである。
>>257
論客じゃない人に理屈を言っても、理解には繋がらず、ただ徒に相手を傷付けるだけというとんでもない事象が発生する。ここで「そういうことを言っているんじゃない。よく読み返してくれ」とでも言おうものなら、相手はさらに萎縮したり屈辱を感じたりするだけ。
よく読み返せ、と言われたのなら、読み返せば良いものを、論客じゃない人というのは大体言葉通りに動かない。その言葉に込もる怒気や失望や見下しを感じて、気力を失ってしまう。
論客じゃない人に理屈を理解して貰う為には、雰囲気作りが不可欠なのだが、それにはこちらの妥協がいる。
>>258
こっちに妥協をさせて、何が理解者だという原点回帰で結局、破綻から逃れられない。やめてほしい。
どっちも殺傷能力があるんだよ。だからこそ、扱う時には覚悟がいる。覚悟のない人に割り込まれると、はっきり言って迷惑なんだよね。丸腰の人間を傷付け、嬲るのは簡単。だが、そういうことをしたくないならかわし方も覚えないといけない。でも、言い換えたらそれって舐めプなんだよな。
明らかに、この人は論客じゃない、論述も下手くそだって相手が、それでも持論を携えて向かってきた時、嬲っていいものだろうか。
論客じゃない人を相手にするなら、ゆっくり話しながら、相手の本心を相手と一緒に探る方が好きだよ。だけれど、今回のような場合はそうすることも難しいんだ。
どの程度の論述に耐えられるかというのも人それぞれ。本来、長文は複雑な事象を解説するためのものだが、内容や人によっては、長文を出すごとに相手の頭上に浮かぶ"?"を増やしてしまうこともある。
本人、弁解のつもりなのかもしれないが、こっちの神経をひたすら逆撫でしていることに全く気付いていないようだし、言ったところで理解しない。
向こうのこちらへの理解は「なんか……怒ってるみたい」で止まっているように見える。さらにそれを己の理解不足が原因とはまるで考えていなさそうなんだよ。こちらが「分かっていないから」だと思っている雰囲気ばかりで、ずっと平行線。ここまで歩み寄らずに理解者のつもりとは、乾いた笑いさえ出ない。
ここまで何も理解しない/こちらの話を聞かないとは、と驚きを覚えるほどだが、それを伝えてもやっぱり「なんか……失敗したみたい」「なんか……嫌われちゃったのかな」ぐらいにしか理解しないことが目に見えている。もう見限るしかないかな。善良とは思うが、困る。
謝られても、それがもう見当外れもいいところ。だが、指摘すると「やっぱり、私は駄目なんだ……」みたいに思わせるだけ。これはもう謝罪の暴力なんじゃないかと思えてきた(肩落とし) これだから、確立した思想も傷付く覚悟もない人間には、決闘の場に割り込んでほしくないんだ。酷いことを言っているんだろうか……。
メルヘンだと言われても、話せば分かる(かもしれない)と信じていたい自分がいるんだ。非効率的な生き方だと思うが、なかなか他の生き方ができない。
主サマへ。
まず最初に。
テーマに関係ないお話ですみません…!
トピの最初の文をすごく良いと思ったんですが、真似して使ったらダメでしょうか?
今まで見てきたトピ荒れの原因がスマートにまとまってる!と思えて…!
まだ、見てるか分からないですが、気づいたらお返事を貰えたら嬉しいです。
突然にすみません。
>270
こんばんは。最初の文とは、注意書きのことでしょうか? 何気なく書いたものをそのように褒めて頂けるとは思いも寄らず、嬉しくも擽ったい気持ちです。この度は丁寧なお断りを頂けましたが、誰とは限らず自由に使って頂いて構いませんよ。事前のお心遣いを有難うございます(^ ^)
>>主サマ。
即レス気味で失礼します。お早く、おおらかなお返事を本当にありがとうございます!
ではでは、お言葉に甘えて…近いうちに使わせてもらいます~!(ノ∀\*)
>>主サマ。
追伸ですが。
私は根暗人間です···(・_・;)
建てるトピも皆にウケるようなものじゃないかもです
お借りする手前、もしも、私が建てたトピがやっぱり嫌だった時は教えてください!
ではでは···!レス消費を失礼しました
ああいうトピックも、その昔はすぐにレスがついたような気がするんだがな。まぁ、こういうことばかり言っていたら懐古厨かァ……。
割りと最近に建てて、面白いレスをくれる人が現れた!と思えたトピックを今調べてみたら、あろうことか一年以上前のトピックだった。全然最近じゃなかった(苦笑 だけれど、良い思い出であることに変わりはないね。
半端な論理派がよく使う言葉―『そもそも』。下手に使うとイキっている雰囲気も凄まじく、恥ずかしいから、気を付けたい。
>278
相手に対し、より深い興味を持った側が妥協すること。もしも、質問の意図と僕の回答の方向がずれているようなら、教えてね。
僕が自分の考え方について、特に欠陥を感じるのはその自閉性だ。人間は往々にして矛盾するものであり、突き詰められた理想は人類史において、屡々机上の空論と化し、現実との乖離を経て破綻してきた。
つまるところ、適宜を覚えなければ、生き難くなるのは当たり前なのだが、そこの情報処理が上手くいかないんだよね。
ここには書けない話だから、文脈から考えたら、本当はここにあるべきだと思う文章を自重して、次のレスへ(笑
自分を主語にして話すのが苦手な人もいるんだよ。正確には人格ではなく、誰でも陥りかねない思考方法の問題と疑っているんだがな。
僕は正直、そういう不備を目の当たりにする度に「この人、馬鹿なのかな」と思わざる得なかった。尤も、そういう不備を露呈しがちな人にとっては、その思考方法こそが生き方だったのだろうけれどね。
だから、本質的には僕と僕が蔑んでしまった人たちに差はなくて、むしろ、同等の相手を見下してかかる僕の感性の方が卑しいと内省するしかないのだが。
>>245
この人の話なんです。>>268の通り、しっかり段落をつけられたことだから、暗い気持ちはなくなっている。そう、引き摺ることではないのだが、ぼんやりしている時にふと、やっぱり、あれは疑問だったなァと思い返してしまうだけさ。
他人から積極的に働きかけて貰わないと「じゃあ、私は何をすればいいのさ」となる人。その台詞をやるせない感情の表現として発するなら、わざわざ疑問も抱かないが、論理として持ち出してくるのなら「馬鹿なのかな」と、つい思ってしまうんだよ。
自主性を否定される環境下に置かれているわけでもないのなら、何をすべきかは、貴方が「何をしたいか」によってしか規定されないと思うのだが、何故、それを怒気を孕ませた声音で他人に聞くのかとね。しかし、これは既に結論が出ている通りに、鼻息を荒くして突っ掛かるような話ではないんだ。もう落ちないと。
100あれば満足だった時、実際に貰えたのは50だった。貰った50と足りない50と、どちらに意識を向けよう。
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