Benesse 2018-10-02 00:41:23 ID:71bd2fb9b |
通報 |
>113
よそ見ばかりしていて岩にでも衝突したのでしょうね。
>114
いっそのこと、他人の船の乗客になったらいい。
>115-117
わかっている気になっている可能性。少なくともその相手は、「こいつわかってねぇ」と思っている。お互い様。
>118-122
人それぞれはわかりますが、どんなそれぞれでも、芯をしっかり持っていきたいものです。人間関係に思い悩む前に。人の評価は人生において所詮装飾品だと思うのです。
>123
>わかっている気になっている可能性。少なくともその相手は、「こいつわかってねぇ」と思っている。お互い様。
もし、>>115を自分が貴方に対して言ったものと思ったなら、それは誤解であるということだけ、先に言っておきます。さらに、もし、そのような誤解は最初からしていなくて、このレスの方が見当違いであり、>123は>>115への共感で書いたものなら、重ねてすみません。
>123
>よそ見ばかりしていて岩にでも衝突したのでしょうね。
自分はそういう風には思えないんだよね。既にお気付きでしょうが、>111にはあまり共感できなかった。確かに、目標のある人は批判や些末ないざこざに強いところはあると思うけれど。
>いっそのこと、他人の船の乗客になったらいい。
自分の人生の舵取りを他人に任せる気はないな。
自分の勘違いなら良いのだが、どうにも貴方の今回のレスには上から目線な雰囲気を感じてしまった。もしなら、>>0で禁止していることだから、控えてもらいたい。逆に、自分の方にもそう感じたところがあれば、指摘して欲しい。
>118
>>104のリンク先から抜粋。
>>私たちは遺伝子から指示されて生じる欲求に従って行動を起こすと選択理論では説明されています。それらの基本的欲求は以下の5つがあります。
>>生存の欲求 :生きたいと思う欲求。
>>愛と所属の欲求 :愛し愛されたいという欲求
>>力と価値の欲求 :自分には力があると認めたい欲求
>>自由の欲求 :自分の思ったやり方で選択したいという欲求
>>楽しみの欲求 :自分の人生を充実させたい欲求
山奥で自給自足の生活を送り……、自分で生きる、自分を愛する、その現状を維持できる自分の力量に満足する、可能な選択は自分の意志でやっていく、そんな人生を楽しむ……、それで満たされるなら、その人は一人で幸せに生きていると言えるかもしれない。
でも、そんな人は間違いなく少数派。多くの人は、生存の欲求を満たすために他人を気にし、愛し愛されたいがために他人を求め、他人と上手くやれることに自分の力を感じ、他人との関わりの中で自由にならないジレンマを味わって、自分の人生を楽しむために他人との付き合い方も考える。
人間関係の悩みは本当に、一人では生きていけない、群れて生きるのが普通な人間であるがゆえの苦悩だね。なかには下らなく思える悩みもあるけれど、本人が深刻に捉えてしまうなら、その理由は人間の原始的な本質に沿った悩みだからだと思える。
>119
>>7。「他人の評価は気にしなさい、それが真理です」のように、これをやれば、誰でも黄金の道を走れるよ、というものはないんだよね。他人の評価を気にして幸せな人もいれば、気にしなかったから成功できた人もいるわけで。
>120
>>8。だからやっぱり、何を主眼に、というのは大事だね。自分の世界を確立していて、周りなんてどうでもいいや、と本気で思っている人が周囲と協調しないで孤立するのと、態度は滅茶苦茶だけれど内心では、皆と上手くやりたいのに、と思っている人が協調できなくて孤立するのでは、目に見える結果が同じでも、本質は全然違うんだから。
>121
少なくとも自分が引きずる理由には「自分の無力が証明されてしまったようでショック」というのがあると思う。文に起こすと恥ずかしいんだけど。
僕に関して言うなら、>>126で抜粋したところの「力と価値の欲求」がすごく強いから、という気がする。上手くやりたかったのに、なんて言ったら如何にも慈悲深いようで、自分の本心は「上手くやることで自分の力を実感したかった」なんじゃないかって。だから>>80、>>84のようにも思ってしまうんだろう。
正直、今からでも相手がずっこけて苦しんでくれたら、自分は少し癒されるのかもしれない。とんでもないことだね。でも、幸いなことがあるとしたら、自分はそういう気持ちを「とんでもない」と思える。だから、相手が失敗するように画策するとか、馬鹿な真似は踏みとどまれる。
>>129
コケにされて真っ赤になるストーカー野郎の心理に近いものがあるかもね。自分の価値を否定して、ゴミのように捨てた相手がそのことに何の痛みも感じず、平然と生きていく。そこでまた「力と価値の欲求」がすごく強い自分は、無力さを嫌というほど実感し、自分のしたことの無価値っぷりを思い知って、辛くなってしまうわけだ。
阿呆だね。今回は失敗したと素直に認めて、認められる強さに誇りを持ちつつ、前を向けばいいものを。
>>115はしょっちゅう、他の人に対して「分かっていない!」と思ってしまう傲慢な自分に向けた戒めです。大体その発想がストレスと虚しさのもと。確かに、他の人は分かっていないところもあるだろうけど、自分も他の人のことをろくに分かってはいないんだ。どっちに焦点を当てるか、だね。
犯した過ちは素直に認めて、間違っていなかったと自信を持てる部分はそのまま、誇りに思っていて良い。周りに理解者はいらない。自分が自分の気持ちや考え方を理解し、把握できていることの方がずっと大切だ。
>>117
思い通りになることの何が爽快かって、自分の力を実感できるところだ。自分には能力がある、自分にはこれだけのことができる、そんな自分には価値がある、幼稚としか表現できないそういう欲望。
ワシは、いきり勃たちながらの人生はシンドイ。
お互いの弱みを笑い合いなぎら、生きていきたいものでふ。
すぐ「他人に攻撃された」と思いこむ人は、つまるところ、己が世間をそうやって見ているんだろうな。
>135
バカとかアホとか、言い合える関係は尊いね。些細な言葉に過剰反応を繰り返していたら、そのうち、腫れ物扱いされるか、周りから誰もいなくなる。
トピック検索 |