あかつき 2018-08-01 17:39:01 |
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その日もいつもと変わらぬ一日だった。
俺はいつもの様に家を出て、狭い路地を抜け、祖父から財産分与として貰ったこの小さな古本屋に向かっていた。
此処は表通りとはまるで違う。空気や人、動物すらも居ないのではないかと錯覚する程…この通りには音や気配というものが感じられなかった。
「これでも客は入って来るんだもんなあ、誰がどうやって見つけてんだか。」
店の前に着き、シャッターを開ける。鍵を開け、ガラスドアを開けた途端、古本ばかりの店内の埃臭さがやる気を半減させる。
「じいちゃんも何で俺に…あ、プー太郎はこんな店でも良いから働けってか?」
皮肉めいて言葉を吐きながらも、持って来たウエストポーチからレジに金を入れる。
「はあ…此処一ヶ月やってるけど、売り上げなんか一日にコンビニ弁当で三食食えたら良いとこな金額だしな。」
全く、実家暮らしじゃなければ生活もままならない売り上げ。
この一ヶ月で鬱憤が溜まりつつある俺は、 【月島 律(つきしま りつ)】
歳は今年で21になる。高校を卒業してから、何とかネジを作る工場で勤めてはいたものの、去年その工場の新たなネジ開発のデータを俺が企業に売り飛ばした…と、表立ってはそういう事になっている。
「まさか社長がやってるなんて、誰も思わねーっつの。」
その事が切っ掛けで自主退社扱いでのクビ。
それで一ヶ月前に祖父が死ぬまでは、ニートだった。
ま、何もしないで家に居るよりは何かとマシだろう。と、親父に言われ今此処に居る訳だが…。
「親父…マシじゃねーよ、客なんて一日に三人来て良い所だっつの」
これならコンビニでバイトする方がよっぽど儲かる、と俺は思う。
しかし埃っぽいな、はたきを手に店内を回れば本に被った埃を少々荒く落としていく。
ぶわっ、と舞う埃に眉根が自然と寄り顰めっ面になる。
「これ、ハウスダスト駄目な人死んじゃうレベルじゃねーの?」
何て、また皮肉を言いつつ埃を落としていくと、ふと一冊…赤い背表紙の本が目に留まった。
「夢の世界に行ける本。何だそれ、意味分かんね。」
と、一度は視線を逸らしはたきで叩き始めるも、再びその本に視線を戻す。
「売り物は読んじゃいけない、なんてじいちゃん言ってなかったしな…。」
何処か言い訳する様にその本を手に取るとレジカウンターの中に入り、置いてある椅子に腰掛けた。
表紙にも裏表紙にも何も書かれていない、真っ赤な不思議な本。
背表紙をもう一度確認すると。
「夢の世界に行ける本。」
やはり、何度見てもそう書いてあった。
夢の世界とは、一体何の事だ?よく分からない。
童話のアリスの様な世界か?
「いや、ありゃ不思議の国だ。」
何て、自分でつっこんでは見るものの、やはり不思議だが不気味にも思えるこの本。
こんな趣味の悪い本、何処が出版してるんだ?
裏表紙を捲り、最後のページに出版社等の情報が書かれていないか確認する。
「月島 幸宏に捧げる。」
…は?
【月島幸宏(つきしま ゆきひろ)】は祖父の名だ。
その月島幸宏に捧げるって事は、祖父に贈られた本って事なのか?
「いや、それ売っちゃってたのかよ。じいちゃんも結構おっちょこちょいだな…ん?」
そういえば、この一ヶ月、こんな赤い本を見た事は無かった。
何より、先程見た裏表紙にも表紙にも値札シールなんて貼られていなかった。
「…まさか、今日急にこれが現れた?…何てな、んな訳ねーか。ま、本に擦れて剥がれたか何かだろ。」
一度は真顔で呟くも、すぐに肩を竦め無い無い、とばかりに首を振る。
祖父に贈られた物ならば、と先程まで感じていた不気味さはいつの間にか感じなくなっていた。
「っていうか、じいちゃんってこういう友達居たとか全然知らなかったんだけど。親父は知ってんのかな?」
祖父から数々の友人の話を聞かされてはいたが、物書きの出来る友人なんて聞いた事もない。
ましてや、本を貰ったなんてあの祖父なら自慢気に見せて来そうなものだが…。
それだけ大事な物だったのだろうか?
「なら売るなよ、じいちゃん。」
がくり、項垂れる様につっこむ。
ふう、と一つ息を吐いて次は表紙に手を掛ける。
表紙を開くと。
「夢の世界への入り口。」
もう一度背表紙を確認する。
夢の世界に行ける本、やはりそう書いてあった。
夢の世界への入り口って…安直だな。そう、俺は口には出さずに心の中で呟いた。
作者も、小説やらには必ずある章とかについたタイトルの目次欄も見当たらない。
パラパラと捲るも、まるでノートの様に真っ白。
「…じいちゃん、売っちまった理由が分かった気がするよ。」
そりゃあ、だれも本だと言って白紙の物を貰っても嬉しくなんてならないだろう。
たまたま手に取った俺でさえ、若干苛ついていたりする。
にしても、本当に何も書いて…ん?
先程見た筈の一ページ目に、数行の文字を見つける。
「は?一ページって…俺見たぞ。っつか、何だってんだよ…っ。」
先程消えた筈の不気味さが甦る、ゾクッと背筋を走る悪寒に思わず唾を飲む。
「今は亡き月島幸宏とその孫に、夢を…捧ぐ。んだよこれ!?気持ち悪ぃ!」
俺は開いていた本を閉じ、カウンターの端に置いた。
一時間程だったろうか…見た筈のページに文字が浮かんでいて、更には一ヶ月前に死んだ祖父、そして俺の事まで書かれてあった。
そんな不気味な本を、ただただ睨み付けていた。
『あの…スミマセン。純文学はアリマスカ?』
と、不意に妙なイントネーションに俺は顔を上げる。
見ればアメリカ人だろうか?癖っ毛のブロンドに灰色っぽい青の目、少し体格の良い屈強そうなのに間の抜けた顔立ちの外国人男性の姿があった。
「…っ!あ、純文学ですね…えっと確か、一番奥の左端に置いてあったと思います。」
一ヶ月もやっていて未だ把握していない場所があるというのも何だが、何せ本なんて生まれてこのかたあまり読む機会なんて無かった。
まあ、漫画は別だが。
『左ノ奥?アリガトございマース!』
外人なのに、純文学読むのか…スゲェな。純文学ってぇと、芥川龍之介とか夏目漱石とか…だっけ?
ああ、そういえば少し前に日本のコメディアンも純文学出して、映画化までされたんだったか。
店の奥から、何とも陽気な鼻歌が聞こえる。まあ、どう考えてもさっきの外人だろう。
「楽しそうだな。本が好きなら…こういう店って興奮するんだろうな。」
何せ、下手をしたら大正時代やそれよりも前の文献の様な物まで取り扱っている始末。買い取りを頼まれた時も、本当にこんな物が売れるのか…何て考えている。
まあ、祖父の教えが無けりゃ…きっと買い取りなんてしていない。
と言っても、早々に本でも売って稼がないと、買い取る資金も底を尽きそうだった。
『…ンしょ、ンしょ。』
不意に声が聞こえる。
何かに苦しんでいる様な、何処か潰れた様な…あ。
『コレだけ、クダサイ!ココニハ、とてもイッパイの本アリマスね!ワタシ、とてもハッピーです!』
どん、とレジカウンターに置かれた本の山。
マジか…この一ヶ月の売り上げよりも、きっと高い金額になりそうだった。
「あ、はい!えっと、1980円…650円…。」
間違いが無い様に値段を読み上げながら、レジに打ち込む。
有名な作家の小説から、俺が名前を知らない作家まで。様々な本、全部で32冊もあった。
しかも金額は合計すると27820円。
「有り難う御座いました!またのご利用、お待ちしてます!」
外国人は自分の背負っていたリュックに20冊程を詰め、残りは俺が入れた紙袋のまま持って帰って行った。
俺は外国人の姿が見えなくなったのを確認すると、レジカウンターの中で思い切りガッツポーズをした。
それにしてもさっきの本は、気味が悪い。
カウンターの端から、俺を見ている様な気さえしてくる先程の不気味な本。
「作者、わかんねぇんだよな…じいちゃん、誰に貰ったんだよ?こんな気色悪い本」
もう一度見てみようか?
いや、見たくなる訳が無い。出来ればこの本に足でも生えて何処かに行ってくれないものか、とさえ思ってしまう。
すると、先程の本ににょきにょきと足が生えた。
「な…!?ええ!?」
ただただ驚きの声を上げ、カウンターの後ろの壁のギリギリまで後退る。
すると、足の生えた本はバランスの悪い歩き方で歩いていく。バタッと音がしてから、かさかさという音が同じ所から聞こえてくる。
「何なんだよ、ったく…」
出来るなら関わりたくない。だが、もしこんな所を客にでも見られたら…余計に客足が遠退いてしまいかねない。
意を決し、俺は音のする書店の奥へと向かって行った。
全くもって意味がわからない。どういう仕組みになってるんだ?
実は子供向けに開発された足の生える玩具で、売れ残りをじいちゃんが貰った…とか?
いや、何で子供向けの玩具をジジイにやるんだよ。それなら近所のガキにやった方が、よっぽど喜ばれるだろう。
「此処らへんだとおもうんだが…」
ぐに。
何か柔らかい物を踏みつけた様な、嫌な感触が其処にはあった。
『いったいわね!急に踏みつけるだなんて、一体何処のどいつ…!?ユキヒロ!?』
この書店は奥に行けば行く程薄暗くなっている、電気…付けた方が良いかな?
なんていう現実逃避も、いきなりのキンキンとした高い怒声に掻き消された。
「ユキヒロって誰だよ!?え、ユキヒロ?幸…宏?もしかして、じいちゃんの事か?」
目の前に居る少女は暗がりでもわかる程の、キラキラとした金色の髪が目立つ。色白な女の子だった。
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