崎山 2018-07-24 14:22:14 |
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【このトピのあとがき】
議論しよう!って大風呂敷広げといて、蓋を開けてみれば自分の価値観の押し付けと、対論には罵詈雑言とはぐらかし。
しかもその物言いが幼稚園レベルで、見ているこっちが恥ずかしくなる。
結局何一つ会話すら成立せずに、いつもの捨て台詞「どうした?もう終わりか?」
呆れて返す言葉もないよ。
色んなSNSとか掲示板とかチャットサイトとかあるけど、どこにも通用しないからこんな子供たちが集まる場所で王様気分でウダウダやってるんだろうな。
それで自己満足のカタルシスを得て、細々とリアルの鬱憤を晴らしてる。
憐れみすら感じるな。
ここのトピを見て、率直に思ったわたしの感想だ。
だがしかし、あくまで憶測に過ぎないが、彼はここで独善的で身勝手な発言を繰り返してその反応を楽しむことによって、爆発しそうな、或いは逆に萎えてしまいそうな自我を、彼自身なんとか(無意識だが必死に)コントロールしようとしているのかもしれない…。
そう考えれば、彼に対するレスひとつひとつが間接的に彼自身を救っていることにはならないだろうか。
ネオ麦茶しかり、黒の子しかり、彼らに対するネットでの反応が冷ややかであったために、その怒りのベクトルが猟奇的な妄想を生み、重大な殺人事件に繋がってしまった事例も幾つもある。
「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」などと供述する通り魔的な事件は、大抵社会から迫害を受けている(と思い込んでいる)人物が被害妄想を伴って引き起こすものだ。
ここのトピ主もそうならないとは限らない。
トピ主がいかにリアルの生活において社会と馴染んでいないかは、彼のこれまでの発言を見たら容易に理解できよう。
彼はその事実に酷くコンプレックスを抱いていることも明白といえる。
その彼が唯一伸び伸びと声をあげられる場所がここ(セイチャット)であるとするなら、ここの存在意義は彼にとって多大なものだし、また同時に彼にレスするユーザーも彼の日々の暮らしに光明ともいえる一石を投じていると言えるのではなかろうか。
もちろんやり取りをしている者同士がそれを自覚していないことを前提としたにしろ、このようなチャットサイトという場で、一見啀み合っているようには見えても、実はお互い支え合っているのだと、傷を舐め合っているのだとおもんみれば、ここのトピ主の罵詈雑言も寛容な気持ちで受け止められるのかもしれない。
ありとあらゆる人々が混在するネットのなかで、互いの価値観や習慣、物の見方や捉え方、自らが置かれた環境や状況など、それぞれが違っていて当たり前の者同士が集い、それらを超えて交流することがごく普通の現代社会。
こんな時代だからこそ、我々に求められるのは「寛容さ」ではないだろうか。
その寛容さが、ここのトピ主のような人物を救いうる唯一の手立てではないかとわたしは考える。
果たしてこのトピにおいて「張本」と呼ばれる彼は救われたのか。
それは定かではないが、少なくとも彼は思い付くままの言葉を発して、思い付くままに毒を撒き散らして、そしてありとあらゆる批判を受けてまた日常に戻ってゆく。
そしてここにいる多くのユーザーは、彼の幼稚さを充分に理解しつつ慈しみに満ちたバッシングを浴びせる。
それでいいのだ。ここはそういう場所で。
ここでしか彼は生きているという実感を得られないのだから。
(眠れないから長々書いちゃったよ(笑))
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