初心者 2018-06-13 20:06:33 |
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(私はなりきりの歴史を見てきた訳ではありませんので、あくまで一個人の推論ということを念頭に置いてお読みください)
なりきりは、文章というツールを用いたごっこ遊びで、コミュニケーションゲームです。
例えば小説を自分ひとりで書くのであれば、作品世界を自分のコントロール下に置いた、自己完結した状態で創作することになります。
誰かが介入したりせず、自分が全てを決めるので、気を使う必要はありません。
これに対してなりきりは、自分一人ではなく、他人とのコミュニケーションを繋いでいくことが大前提であり、自己完結するものではありません。してしまってはなりきりの意味が無いし、お相手様にも失礼になります。
「自己完結しない、他者も介入する余地がある創作物であること」の現れ、それが可視化したものが、「なり民はそっとスマートフォンを手に取り、暫し思案に暮れてから、お相手様へのロルを丁寧に打ち込み始めて。」などの、完結しない文章なのだと思います。
私個人も、最初は正しい日本語ではない、主流のなりきり文体が一向に解せませんでした。
しかし慣れた今となっては、連用形の文体はなりきりの持つ特性の延長線上にあるのだ、と考えるようになり、好んで使っています。
終止形だからといって他者の介入を許さない訳では無い、というのはもちろん当たり前のことです。
しかし連用形が愛用されるのは、自分にも相手にも、互いへの干渉の余地を残しているからだと思っています。
スレチになってしまうので、トピックの趣旨に強引に絡めますと、
終止形が敬遠されがちなのは、なりきり慣れしていない人だと、遊び仲間の参加者がいるにもかかわらず、終止形によって自分の望む方向へ自己完結させてしまいかねないから。
上級者にもなれば終止形をうまく扱えるけれど、初心者は連用形から始めてみよう、という風潮があるのは、まず連用形を使い慣れてみることで、「なりきりにおいて大切なこと」=「他者と常に譲り合うこと、気を遣い合うこと、自分の願望を押し出しすぎないこと」などを学ぶ必要があるからでは、と思いました。
これは頭で理解するだけなら簡単ですが、実際に体得するにはなかなか時間がかかることです。
長文レス申し訳ありませんでした。
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