るか 2018-03-01 00:01:29 ID:0bfd8f07e |
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ニュース見てたら、
免許返納で家族と揉めて自宅放火の83歳とか…
ちょと笑うぞ、不謹慎かもしれないが…(^_^)
そんなに免許が大事かね?
自宅兼工場に自分の命も加えて、それよりも大事な免許証か…。
大型ではなさそうだがー笑
ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり…である(^_^)
まぁでも、自分が何かを失うというのは実際失うもののその価値以上に
メンタル的に怒りを呼ぶことなのだろうなとは思う…。
免許証がないからといってその日からクルマを運転できなくなるわけではあるまい?
技能自体が消えてなくなるわけではない。
もし災害あってどうしても急いで逃げなきゃならなくなれば、運転するんだろう?
危機迫って目の前にクルマがあればペーパーでもそれは、やると思うぞ…。
要するに免許返納というのは明示的な行為でしかない。
技能の低下を認めて普段の運転をあきらめるっていうね…。
それが失うものの正体だろう。
ただ失くすというのはつらいものだ。
おおよその場合そこには対価があって、不条理でも等価交換が成立している。
一方的にただ失くすということを人間は認めたがらない。
でもそれは考え方の問題でもある。
老いはそこにあって技能は低下しているのだから、
運転しないことによって事故を起こすリスクを回避するのだ。
これが免許返納の対価である。
自動運転が安価に実用化されるようになれば
この問題は回避されるだろう。
それにはカネが必要であり、税金が不要である。
ふと考えていたのだが…
陰と陽、光と影、神と悪魔、生と死…
そこにはキャッチボールの関係があるのだ。
だから考えて人と話をするのに面白い。
面白いという言い方は語弊があるかも知れない。
人はそこに興味を惹かれる、と言ったほうがいいだろうか…。
要するに「誰得?」が「我得」でしかない…。
一方通行なのだ。
言い合ってもこれはキャッチボールにならない。
これを昔、ある組織の共通認識としては
「高速回転」と表現していました(^_^)
わたしの言い出したことではないぞ?
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