北風 2018-02-04 01:16:52 |
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一話
五月下旬。
新入生も学校に馴れ、夏も近づき、この殺伐とした学び舎にも浮かれた雰囲気が漂っていた。
具体的に言えば、喧嘩や抗争が減ってサボりや校則違反が増えた。
無法地帯なことに変わりは無いが、それでも僅かに平和になったと言えるだろう。
数少ない一般生徒も、最近は不良の影に怯える事なく心穏やかに過ごせているようだ。
かくいう俺もそうだ。
入学初日に脱不良の決心を固め、なるべく目立たないように過ごしてはいたが、窓から入る暖かい陽射しに否が応でも気が緩む。
今日もそうだった。
昼休みに入り購買へと駆ける雪を見送ると、待ち合わせ場所の屋上に向かう前に、俺は机に伏せて欠伸をした。
中学の時はまともに授業を受けてこなかったので、授業の倦怠感というものを忘れていた。
しばらく休もうと思い、うとうとしかけた瞬間。
眠気を吹き飛ばすような轟音が、俺の鼓膜に響いた。
※
驚きはしたが、その音の正体はすぐに見当がつい
た。
あの、あれだ。
教室の扉を思いっきり開けた時の音。
勢いが付いた扉が、レールを滑って扉の枠に当たる音だ。
昼休みとは言え、教室の中は多くの生徒達で賑わっている。
結果、自然と彼らの目が教室の入り口に向く事になった。
が、その頃には扉の向こうには人影はなく、戸を開けた張本人は既に恐るべきスピードで教室内を突っ切っていた。
そして真っ直ぐに俺に向かって突進してくる。
「うっ……うおお!?」
動揺の余り思わず俺はガタリと椅子を揺らして立ち上がり、防御の姿勢で衝撃に備える。
だが、その行動は杞憂に終わった。
そいつは俺の目の前で急ブレーキを掛け、素早く俺の背後に回り込んだ。
「そっ……宗哉……! か、隠れさせて…………くれ……!」
「雪!?」
しゃがみこんで俺の背中に隠れているのは、雪だった。
雪は基本無表情な為感情が読み取りにくい所があるが、今の彼からは真剣さと危機感がひしひしと伝わってくる。
「ど、どうした……?」
「お……追われてる」
「追われてる!? 誰に!?」
「…………誰かに……」
何それ怖い。
「よ、良く分からんが分かった。とにかくここに隠れてれば大丈夫なんだな?」
「……宗哉が、もう少し身長高けれ、ば……」
「黙れ」
もう半年程待て。
そしたら多分結構伸びる筈──
「失礼します!!!」
俺の言い訳がましい思考を遮るように飛び込んできたのは、威勢の良い声だった。
再びクラス中の視線を独り占めにする出入り口。
が、先程とは違い、扉を開け放った人物は悠然と仁王立ちしていた。
「中等部三年C組二十五番! 布倉ぬのくら苺果まいかと申します! ここは白樺雪先輩のクラスで宜しいでしょうか!!」
※
白前中学校。
白前高等学校の附属中学──ということになってはいるが、同じ敷地内にあるだけで、交流はほとんど皆無に等しい。
元々白前中学校は由緒と歴史のある立派な学舎だった。
が、数年前に何か事件があり、入学者が激減。
それに比例して偏差値もみるみるうちに下がって行き、経営破綻の危機に曝された。
そこで、創立数年目にして同じく経営が立ち行かなくなっていた近所の高校を敷地内に移転し、合併することで事なきを得たのだ。
……という事を、俺は最近知った。
授業中にやたらと雑談をするタイプの教師がこの学校には妙に多く、その内の一人から聞いた話だ。
だがあくまで雑談の範疇の知識量しか無いので、中等部の歴史も、そこで起こった事件の詳細も、俺は何も知らない。
本当に合併しただけで経営がなんとかなったのか、そもそも移転する金が何処から沸いたのか、気になる点も多々あるが、残念ながら雑談の中で教えては貰えなかった。
わざわざ調べてまで知りたくも無かったので、未だ真実は不明のままだ。
そういえば中等部の生徒とこうして向き合って話すのも、これが初めてだ。
これが初めて、なのだが……。
「なんですかあなた! 白樺先輩を出してください!」
「い、いや……そんなこと言われても……」
「そこをどいてくださいー!!」
こんな少女が、初めて対面する中等部の生徒とは。
人間とは集団の中のほんの一部を見ただけで、その集団全体の評価をしがちだ。
無論俺も人間なので例外では無い。
俺の中の中等部のイメージがどんどん迷走していく……。
布倉苺果と名乗る中等部の生徒は、見た目だけ取ればあどけない女子だった。
身長は中学生にしては結構低く、顔立ちも同じく幼い。
腰までの色素の薄い髪は、子供らしくさらさらと柔らかそうだ。
頭の左右で結われた、二束だけ短い髪の房も相まって、小型犬のような印象を受ける。
そうだ、小型犬だと思えば良いんだ。
そう考えれば、この態度も可愛いものじゃないか。
体の小さい犬ほどよく吠えるという。
微笑ましいじゃないか──
「やあ!!」
「ぐっ!?」
前言撤回。
小型犬は正拳突きを出さない。
布倉の繰り出した突きは、身長差の都合で俺の腹部にクリーンヒットした。
俺、幼女に暴力を受けてばかりじゃないか?
突然の出来事だったので驚きこそしたものの、正直言ってダメージはあまり無い。
やることは突拍子も無いが、所詮は小柄な女子中学生か。
よし、ここは先輩らしく紳士的にこの場を収めよう。
布倉の迫力に気圧されて教室の窓際まで追い詰められておきながら、先輩らしくとはなんとも矛盾した話だ。
だが、今からでも挽回してやろうと、俺は俺の考える最も紳士的な笑顔を浮かべた。
つまりは普通の笑顔だ。
紳士に対するイメージが貧困過ぎた。
「ぬ、布倉さん? 生憎今、雪は居なくてね。悪いんだけどまた来てくれるかな? 君が来てた事は伝えて──」
「嘘じゃないですか! 居るじゃないですか! あなたの背後に!」
「…………」
当然だが、騙されてはくれなかった。
「……おい雪、もっとちゃんと隠れろよ」
「……ごめん……」
我ながら酷い責任転嫁だと思うが、雪は素直に謝って俺の肩越しに顔を覗かせた。
途端、布倉の大きな瞳が光った。
「白樺せんぱあああああああ」
「うわああああ!」
俺を飛び越える勢いで布倉が飛び付いてくる。
実際、飛び越えるつもりだったのだろう。
彼女の目には迷いが無かった。
俺は叫び声を上げながら、咄嗟に飛んでくる布倉をキャッチした。
横目で背後を確認すれば、雪は再び俺に隠れて身を縮めていた。
「はーなーしーてーくーだーさーいー!!」
「嫌だ! 離したらお前飛ぶもん!」
咄嗟にキャッチした結果、布倉の脇の下に両手を入れて持ち上げる形になっていた。
彼女のポータブルな体躯は外見以上に軽かったが、そんなことを実感する間も無く突きや蹴りが襲い来る。
「離してください! 下ろしてください! 何もしませんから!」
「し……してるだろ、現在進行形で!」
俺は可能な限り腕を伸ばし、布倉の攻撃から自らを遠ざける。
この状況を誰かどうにかしてくれないものかと周囲を見渡せば、教室中の生徒達は触らぬ神に祟りなしといった様子で各々の昼休みを満喫している。
なるほど、この学校ではこういったスルースキルが身に付くのか。
「はぁ……はぁ……は……離……し……」
いつの間にか、布倉の底無しに見えた体力がもう尽きかけていた。
両足がどこにも付いていない状態でここまで暴れれば、子供でなくとも疲弊して当然だろう。
こんなコンディションの少女に何ができるわけでもあるまい。
俺は布倉の望み通り、その小さな体をそっと床に下ろした。
「はあ……は……あの、あたしの話を……聞いてくだ……さい……」
「お……おう」
床に両手両膝を付き、肩で息をしながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ布倉。
そのこちらを見上げる瞳には、並々ならぬ情熱が宿っていた。
「し……白樺雪先輩!」
そのままの体勢で、布倉は雪の名を叫んだ。
俺の身体越しに様子を窺っていた雪が、再びさっと身を隠す。
「あたしを、弟子にしてください!!」
「……」
「…………」
もうやだこんなやつばっか。
二話
「あたし、喧嘩クソ弱いんですよ」
場所は変わり、屋上。
黙々と本来の目的である食事を進める俺と雪の前で、布倉は唐突に謎のカミングアウトを始めた。
「昔からあたしは同年代と比べると体が小さくてですね。力も弱かったんですよ。取っ組み合いの喧嘩では勝った記憶がありません」
それは先程のやりとりでなんとなく覚っている。
布倉はフェンスに寄りかかり、後ろ手で網目をいじっている。
昼食は無いのだろうか。
それとももう食べてきたのだろうか。
もし前者だった場合、大人しく中等部に帰って昼食を摂った方が確実に背が伸びるだろう。
「でもあたしの家って空手教えてるんですよー。ちっちゃい頃はあたしもやらされてたんですけどね? まあこれが驚くほど上達しなかったわけで。父直々に教える見込み無しと告げられてしまいまして」
楽しそうにカラカラ笑う少女。
とてもリアクションに困る。
「で、中学に入学して空手部に入ったんですけど、今現在部が存続の危機に瀕してまして」
「存続の危機?」
俺が聞き返すとええ、と彼女は頷いた。
「ある事情がありましてね――まあ、とは言ってもうちの学校は部活の掛け持ちに制限がありませんし、そんなに大人数の部でも無かったので、あまり気にしている部員はいません。でも、あたしはそれじゃあ困るんですよ」
「まあ……お前はそうだろうな。空手に拘りがあるんだろ? 他の部じゃあ意味無いよな」
「あ、いやそうじゃなくて」
俺としては妥当な相槌を打ったつもりだったのだが、さらりと否定される。
「空手部に部員が集まらないのって、他の運動部と比べて厳しいからなんですよ。顧問が一昔前の熱血系みたいな教師でして、ことあるごとに走らされるわ、ちょっとしたことで怒鳴られるわで人気が低いんです。そんな部に入る輩なんて、どうしても空手をやりたいって人か、あたしみたいな物好きくらいなんです」
「ちょっと待て。お前は前者じゃないのか?」
「へ?」
本気でキョトンとされた。
今のお前にキョトンとする権利は無い。
「いや、あたしが入部したのは空手部が厳しいからです。空手そのものに拘りなんてありません」
「は?」
「いや~、他より厳しい部活に所属するってのは大変なことですが、その分力も養われるじゃないですか。あたしでも多少は喧嘩が強くなれるかなって思いまして」
「お、お前……空手の技術を喧嘩に使うつもりなのか?」
俺だって武道に詳しい訳では無いが、何となくそれが御法度なのは分かった。
空手や柔道の有段者は、それだけで武器を所持しているのと同等の扱いを受けるのだと聞いたことがある。
「あたしは強くなることさえできれば手段は問いません」
真顔で言うな恐ろしい。
先刻までの豊かな表情はどこへ行った。
「何でそんなに強くなることに対して貪欲なんだよ? 喧嘩で勝ちたい相手でも居るのか?」
「勝ちたい相手ですか……。別に特定の相手は居ませんが」
「じゃあ良いだろ、強くなくても」
「駄目なんですよ!!」
「うわっ、びっくりしたぁ!」
突然声を荒らげた布倉は、俺を真っ直ぐ指差すと高らかに主張する。
「さっきも言いましたが、あたしは喧嘩で一回も勝てたことがありません! それって物凄い劣等感なんですよ! コンプレックスなんですよ!!」
「コンプレックスってそんな堂々と言えるものなのか?」
公言できないからコンプレックスと言うのでは。
「うるさいです! コンプレックスったらコンプレックスなんです! あたしは強くなりたい! 鍛えたいんです!」
「空手を頑張って試合で勝利するという選択肢は無いのか?」
「あたしはあたしが気に入らない相手を個人的にぶちのめしたいんです。恨みも何も無い人間を倒して何が楽しいんです? 空手なんてただ体を鍛えるためのツールですよ」
「全国の空手を愛する人々に謝れ」
多分結構な数存在するぞ?
「とにかく! あたしは強くなりたい! でもその手段としている部活が存続の危機! で、白樺先輩に弟子入りしたいんです!」
話が急に飛んだ。
いや、戻ったのか。
突然名前を呼ばれてびくっと反応する雪。
彼は未だ布倉から距離を取るようにして俺の陰に隠れている。
「いやぁ、高等部の先輩方の中には喧嘩がお強い方が沢山いらっしゃると思いまして。あたし、学内最強を探して数日前から聞き込みをしてたんですよ。で、一年生を牛耳る方に最強は白樺先輩だとお聞きした次第です」
満束あの野郎。
面倒事を押し付けてきやがった。
「と! いうわけで!! 白樺先輩、ご教授いただければ幸いです!!」
布倉はそう言うと、俺の背後の雪に向けてぺこりと頭を下げた。
「……」
「……」
「……」
「そ、宗哉……どうしたら……いいんだ?」
「それを俺に聞くのか!?」
暫しの沈黙の後、雪は俺にまさかの問いを投げ掛けてきた。
雪は未だ俺の後ろから出てこようとはせず、オロオロと戸惑いの表情を浮かべている。
「俺だってどうしたら良いのか分かんねえよ。お前が頼まれてんだからお前が決めろ」
「だ、だって! 頼み事とか……今まで…………されたこと無かったし……」
「……」
「……」
「……」
場に二度目の沈黙が下りた。
先程のそれよりずっと深い。
布倉はずっと礼の姿勢で静止している。
空手で鍛えられた礼儀の賜物だろうか。
「……」
「……」
「……」
「…………」
「……というわけで布倉。悪いがそれはちょっと……」
「えぇ!? 何がというわけなんです!?」
布倉は顔をガバッと上げて叫ぶが、仕方無いだろう。
この気まずい数秒間の中で俺が必死に出した結論がそれなんだから。
適切な判断だとは思う。
きっと雪のコミュ力ではこの少女に太刀打ちできないだろう。
いや、それ以前に手加減を知らない雪のことだ。
シンプルに危ない。
が、布倉は不服そうに俺を睨み付けてきた。
「何でダメなんですかぁ! 良いじゃないですか!」
「そんな事言われたってな……」
お前死ぬかもしれないんだぞ?
「困ってる後輩を見捨てるんですかー!?」
「見捨てたんじゃ無い! むしろ救ってやったんだよ! ……ん、そういえば、どうして部が存続の危機になんて陥ってるんだよ。弟子は無理でも、そっちは何か手助けできるかも知れねえぞ?」
「うっ……それはですね……」
俺の申し出を聞いた布倉は、何故か言葉に詰まった。
「?」
「……いやぁ……それを話すとなると……うぅ……」
先程の強気な態度とは一転、目を泳がせて口の中でもにょもにょと何か言っている。
表情が忙しない奴だ。
「何だよ。話せない理由でもあるのか?」
「いやっ……そういうわけじゃないんですけどね……何というか………………笑わないでくださいね?」
「は?」
笑われるような理由って何だ。
首を傾げる俺に対し、布倉は声を落として、やや恥ずかしそうに言った。
「うちの部室の窓から見える、部室棟裏に…………おばけ出るんですよ」
俺は雪と顔を見合わせた。
彼の瞳にはキラキラとした光が宿っていた。
三話
時刻は午後五時。
校庭は部活に勤しむ生徒達の活気で満ちていた。
その脇の通路を、俺と布倉は歩く。
向かう先は中等部の部室棟だ。
歩を進めながら、布倉は語った。
「今から数年前、受験勉強に疲れた女子生徒が部室棟の一室で自殺したんです。最近になってその生徒の霊がちょくちょく目撃されるようになりましてね。今ではもう、部室棟を利用する生徒の半分くらいが目撃してるくらいです。実害も出てて、怖いわ危ないわで、人が全然寄り付かなくなっちゃったんですよ」
「実害?」
「ええ。なんでも部室棟の近くを通ると植木鉢が降ってきたり、部室に残った最後の一人が閉じ込められたりするそうです」
「へぇー……それは怖いな」
なるほど、幽霊が怖いという理由だけで部員が休んでは例の熱血系教師とやらも容認しないだろうと思っていたが、そういうことなら腑に落ちる。
いくら厳しい教育方針でも、生徒に身の危険があるのならば強制的に部活に出させるわけにも行かないだろう。
だが──
「布倉、それ知ってたんなら何でさっき雪に教えてやらなかったんだ?」
「いやぁ……部室棟の場所を知るや否や颯爽と向かっていっちゃいましたし……そもそも白樺先輩なら大丈夫なんじゃないですかね?」
「んん……まあそれは俺も同感だが……」
午後の授業のために一時は中等部に戻った布倉だったが、終業と共に再び俺達の前に姿を現した。
昼は布倉に怯えきっていた雪はあっさりと手のひらを返し、部室棟の場所を教えてもらうと瞬く間に教室を飛び出して行った。
良いフットワークをしている。
※
部室棟は中等部の校舎裏にひっそりと佇んでいた。
プレハブの二階建てで、所々老朽化が進んでいるのか、雑に補強が施されている。
布倉に聞いた通り、人気は一切ない。
立地の影響で日当たりが悪いのも相まって、どことなく不気味な印象を受ける。
「確かに何か出そうな雰囲気はあるな」
「でしょ? あなた、幽霊見えるならなんとかしてくださいよ」
「そんな事言われても……」
俺を霊媒師か何かと勘違いしているのだろうか。
「そもそも、その幽霊ってのはどこに出るんだよ。それが分からないことにはどうしようもねえじゃねえか」
「う……それは……分からないんですよ」
「は?」
「あたし、実際に見たこと無いですし。目撃された場所も、噂によってまちまちなんです。自殺した部屋だけに出るとか、そういう感じじゃないみたいです」
「面倒だな……」
だが、だからこその危険性もあるのだろう。
ピンポイントでどこか一室に現れるのであれば、そこに近寄らなければ良いだけの話だが、どこに現れるのか分からなければ部室棟そのものに寄り付かない以外の対処法は無い。
とりあえず一部屋一部屋当たっていく他無いだろう。
見たところ十数部屋程度しかなさそうだ。
そこまで手間になりそうもない。
俺は手始めに、一階右端の部室の扉に手を掛けた。
だが。
「えっちょ待っ……は、入るんですか?」
布倉が俺の腕を掴んで引き留めた。
「え? いやそりゃあ入るよ。それ以外どうしろって言うんだよ」
それに雪も探さなくてはいけない。
むしろそっちがメインだ。
「い、いやそれはそうなんですけど…………それ、あたしも入る流れですか?」
布倉は引きつった苦笑いでそう訊ねた。
その瞳には確かな怯えが見て取れ、腕を掴む手からは緊張感がひしひしと伝わってくる。
「……なるほどお前怖いのか」
「…………怖くないと言えば嘘になりますが?」
「なんでそんな挑発的なんだ」
なりますが?ではない。
「別に付いてこなくても構わねえよ。怖いんなら布倉はここで待ってろ」
「あ……あたしを心霊スポットの目の前に一人残していくんですか!?」
「めんどくせえなお前! じゃあもう帰れよ!!」
「あの」
俺の言葉に対して布倉が何か言い返そうとした瞬間。
真上から声が降ってきた。
顔を上げると、二階の手摺りから誰かがこちらを見下ろしている。
「ちょっと静かにしてくれませんか?」
苛立ちを隠そうともしない溜め息混じりの声は、まだ幼さの残る少年のそれだった。
※
「ここは俺の場所です。近寄らないでください」
少年は二階から降りてくるなり、きっぱりと言い放った。
あからさまに迷惑そうな顔をしている。
「……えっと……」
「帰ってください」
取り付く島もない。
少年は背格好からしてせいぜい中学一年、行っても二年くらいだろう。
俺どころか、外見年齢を差し引けば布倉より年下だろうと思われる。
なのに目を合わせようともしないこのふてぶてしさ。
いっそ清々しくもある。
「先輩、こいつぶん殴ってください」
「嫌だよ」
「じゃああたしが殴ります」
「やめろ!」
俺は今まさに初対面の人間に拳を振り下ろさんとしている布倉を羽交い絞めにし、少年に問いかけた。
「あー……さっきここに高等部の生徒が来なかったか? 俺達はそいつの知り合いなんだけどさ、そいつさえ回収させてくれれば大人しく帰るよ」
それを聞いた少年は、なんだ、と呟くと、顔を上げてやっと俺の目を見た。
「白樺先輩のご友人でしたか。先輩ならこっちですよ」
相変わらず煩わしそうな鼻につく喋り方だったが、ようやく会話が成立した。
少年は踵を返すと、今しがた下ってきた階段をカンカンと音を立てて昇って行った。
俺がそれに続くと、布倉も慌てて付いてくる。
「せ、先輩! あたし最後尾嫌です! こう……先輩とあいつで私をサンドするようにして歩いてください!」
背後で喚く布倉を無視して、俺は前方を歩く少年の背に問いかけた。
「なあ、お前雪と知り合いだったのか?」
「雪……? ああ、白樺先輩ですか。いえ、今さっき知り合ったばかりですよ」
少年は前を向いたまま気怠げな口調でそう返した。
「まあ、そうだろうな……」
「何なんですか、分かってたなら初めっから聞かないでください……あ、ここですよ」
そう言って少年が足を止めたのは、部室棟二階の奥から二番目に位置する部室の前だった。
少年がドアノブを回すと、錆び付いた音と共に、扉が開いた。
「白樺せんぱーい、今戻りました」
「おかえり柊……あ、宗哉」
その部室は、数個のロッカーとベンチが置いてあるだけの閑静な造りだった。
部活動に使用されていると思われる道具は無く、ロッカーにも使われている形跡は見られない。
どうやら今は利用されていない部屋のようだ。
その部屋の中央、無造作に置かれたパイプ椅子に雪は腰かけていた。
右手にはビデオカメラがあり、何かの映像を観ていたようだ。
「雪、何観てるんだ?」
「俺が撮影した部室棟の映像ですよ」
雪の手元を覗き込みつつ問いかけると、返事は少年から返ってきた。
「俺、この部室棟に出ると噂の幽霊について調べてるんです。白樺先輩が手伝ってくださるとのことだったので、昨日この部屋に設置しておいたカメラを確認していただいてるんですよ」
「調べて……? 何でだよ。ここの部員なのか?」
「いえ、俺は帰宅部です」
ビデオカメラを雪から受け取り、画面から顔を上げようともせず彼は言った。
「ていうか、理由なんてどうでも良いでしょう? さっさと白樺先輩連れて帰ってください」
「はいはい、分かったよ。おい雪、帰るぞ」
「…………ああ」
雪はやや釈然としない様子ながらも、パイプ椅子から腰を浮かせた。
だが。
「ちょっと待ってくださいよお二方」
部屋の隅でじっとしていた布倉が、不機嫌そうに口を挟んできた。
嫌な予感がする。
「……どうした布倉」
頼むから余計な事を言わないでくれという願いを込め、俺は彼女を軽く睨み付けた。
だが布倉は思い直す様子は見せず、苛立ちを含んだ声音で告げた。
「あの嫌なやつの言いなりで良いんですか? あいつにこの部室棟の問題、丸投げするつもりですか?」
「いや……良いじゃねえか別に。あいつが解決に乗り出してくれてるんだったら、お前だって本望だろ」
「全然本望じゃありません!」
布倉の声に、少年が煩そうに顔を顰めた。
「ちょっと、静かにしてくださいよ。てか、いつまでいるんですか」
「~~っ! ちょっと君!」
挑発的な口調の少年に、布倉はいきり立って詰め寄った。
一メートルほどの距離まで近づくと、右の人差し指でびしっと少年を指し、言った。
「先輩に対してその態度はちょ~っといただけないなぁ!? こちとら中三と高一だよ!? 君何年生かなぁ?」
「一年ですけど。あなた三年だったんですね。同学年かと思ってました。なんなら何故かセーラー服を着て中学の敷地内にいる小学生かと」
「しっ失礼な! あたしは! 三年C組二十五番! 布倉苺果! れっきとした先輩だよ!!」
布倉は名乗る時に学年組出席番号フルネームをセットで言う癖でもあるのだろうか。
「はあ……俺は一年A組三十番、柊(ひいらぎ)佑人(ゆうと)です」
同じ感じで名乗り返しやがった。
律儀なのか馬鹿にしているのか。
恐らく後者だ。
「おい布倉。その辺にしとけって。後輩相手に噛みついてもみっともねえだろ」
「うぅぅう!」
少年――もとい柊佑人に再び拳を振りかざす布倉を、襟首を掴むことで何とか止める。
それでも布倉は手足をばたばたさせて俺の手から逃れようとしていた。
「納得いかないー! 年下とか関係無しに単にあの野郎に吠え面かかせてやりたいぃ!」
「自分の気持ちに正直だなお前……」
「あっそうだ!」
布倉は不意に暴れるのを止め、にかっと笑って俺を見上げた。
「先輩、あいつより先にこの問題ちゃちゃっと片づけてやってくださいよ。先輩のお力を持ってすれば、こんなの一瞬で片付きますよね」
「え?」
「そんであたしはあいつを嘲笑うんです。『無能野郎め』って」
「ほんっと大人げねぇな……」
「俺は別に構いませんけど」
柊が冷めた目をこちらに投げ掛けつつ、これまた冷ややかに言い放った。
「手伝ってくださるんですよね? ならありがたいです」
「え? あ、そうなのか……?」
執拗に俺達を帰らせたがっていたので、あまり深く踏み込まれるのを良しとしないのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「え、あいつにダメージ行かないんですか? じゃあいいです」
「もう黙ってろ布倉」
本当に自分本位な人間だな、こいつは。
呆れを通り越して尊敬の意さえ覚える。
「あ、そうだ。手伝ってくださるなら早速一つお願いしたいことがあるんですけど……」
柊は柊で、俺が手伝うことを前提に話を進め始めている。
やはり中等部の生徒には碌なのがいない。
俺は胸中で勝手にそう決めつけた。
久しぶりです、小説仲間のスカイです(^_^)ゝ
おっ新作ですね。続きが気になりますね。でもこちらガラケーなんであまり長すぎると見れない事もありますのでその時はごめんなさいですf^_^; 久しぶりの北風さんの小説見れてよかったです。頑張って下さい(^_^)
わあああああスカイさんめっちゃ久し振りです!!
なんとありがたいお言葉……頑張ります!
スカイさんも熱中症にはお気をつけて(*´▽`*)
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