囮、 2017-11-14 00:00:18 |
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君の人生の主役は、君なのだから、自分で何とかしなよ、と言ったところで、聞き入れてくれないのであれば、それはもう全て無駄になった、ということだ。同情だけが望みなのであれば、最初からそれを提示してくれないと、人間は思った通りになんて、動いてくれないさ。
俺自身は、相手がどう思うか関係無しに、思ったことは伝える質であるから、良いのだけど、必死に自分を隠そうとしている人間を見ると大変そうだな、と思うね。何をそんなに隠したがっているのか。本音で話そうとしてこない人間には、きっと誰も本音なんて話してくれないよ。
俺は人の本音が好きだ、それがどんなに汚かろうが、美しかろうが、添加物にまみれている薄汚い上部の物よりは、面白いし、味があるからね。人間味のある人間は素敵だよ、嫉妬も憎悪もその内の幾つか。
自分の胸の中にある熱せられた鉄のような憎悪は、元々は他人の物であるというのに、それを更に焦がすのは己である、その理不尽さは形容しがたいね。
同情も、憐憫も必要ない。俺を憐れんで良いのは俺だけだよ。誰にも憐れんで欲しくなどない、例え、誤った道だったとしても、それが俺の道だ。俺はそれを、高らかに誇るよ。…可哀想な人だと、指差されるくらいならば、それこそ、死んだ方が、マシであろう。
一幕一幕を、演じきりつつ、楽しむことこそが人生ならば、俺は早々に、娯楽を、楽しみを、見付けなければならない。そうしなければ、内側から腐っていく。
他人の幸せを心から願わなければ、我が身に不幸が降り注ぐ、としても、心の底から本気で、どうか幸せに、と願える訳がない。願わなくてはならない、と決められていたとしても、だ。自分の幸福を望むのは、こんなにも簡単だと言うのに、誰かの不幸を願うのは、息をするのと同じほどに簡単だと言うのに、…誰かの幸せを願うのは、こんなにも難しい。
人間の欲を止めることは難しい、例えば、死ぬほど空腹を感じている時に、目の前に食物を置かれれば食べてしまうのと同じ、それに毒が盛られていると知っていても、一度気付いた欲は、簡単には止められない。
嫌いな人間が不幸になれば良い、というのはひどく浅ましく、最低な願いであるけれど、それ自体は至極健全な反応である、と俺は思っている。
今晩は、突然で申し訳ないのですが、あなた様の発言で>21 が少し気になりました。至極健全の反応と思うことを具体的に知りたいです。どういうところからそう思うのでしょうか?突っかかるつもりは無く、結構な事を(読む人によって不快に感じる人もいるのでは?と思います。)仰っているので、もう少し具体的に知りたいなと思いました。
前述した通り、此処を見て不快な気持ちになっても責任は取らないし、興味もないけれど、聞かれたのであれば答えるよ。多分俺の言葉が足りないのも有るから。通りすがりさんにも、例外なく嫌いな人間がいるだろうさ、余程の博愛主義ではない限り。そんな嫌いな人間の幸福を君は心から願えるかい ? 出来ることならば、不幸になってくれたら、と思うのが人間だよ、きっとね。それは真相心理の中に深く根付き、絶てないものだ。でもそれ自体は悪いことではない、常に人の上に立ちたいと欲を持つのが人間だから、俺は単にそういう話がしたかっただけだよ、最低な願いに思えることも、案外多くの人間が抱いている願いで、その願い自体は健全なものだ、というだけの話。
自分を綺麗に見せるための、浅ましい嘘の裏にある本音を引きずり出すのが堪らなく楽しく、そして好きだ。本人からすれば隠したいのだろうが、俺は人間味がある本音の方が好いている。
人が傷付こうが、何だろうが、俺には関係がないからね。形式的な同情こそすれど、中身なんてないよ。俺は単に言いたいことを吐いているだけだから。
いや、責任など取ってもらうつもりは無い。質問に答えて頂きありがとう。私は博愛主義では無い、しかし苦手なタイプの人間は居るけれど嫌いな人間は居ない、まして嫌いな人間を『出来ることならば不幸になってくれたらなどと思うのが人間だよ』と言い切るところは間違ってはいないかな?決めつけているようなところに私は引っかかっていました。自分の考えを書いたり言ったりするのは構わない。だけど決めつけて言われると反論が芽生えるね。多くの人間が抱いている願いってのも、他人の気持ちは分からないもんでしょ?だからこそ決め付けて書いて欲しく無いな。100歩譲って嫌いな人間が居たとしても、幸せも願わなければ不幸なども願わない、苦手なタイプの人間の事は気にも留めない、無関心で居るよ。因みに、君の他の発言は所々考えさせられたりもするから私の苦手なタイプの人間では無いな。でも此れだけがどうしても言葉足らずだけでは無く、上記事から反論させて頂きたい。時間とスペースを頂きありがとう、お邪魔しました。
嗚呼、そう。これに関しては鼬ごっこだろう、願わない人間が零とも言い切れないし、君のいう通り、皆がそうという証拠もない。只、一定数は居るだろうね、人間はそんなに綺麗な生き物ではないさ。貴重な意見として拝聴はしたよ、受け入れるかは別として。君のように他人の意見に真っ向から噛みつける人間も今時珍しい、それは関心に値する。
人間って不思議だよね。言葉を使えるのに全く同じことを考えてる人間って少ない。聴いてくれる人が居ての反論さ、感謝しているよ。時間を取らせてしまい申し訳無かったね。おやすみ。
それは当たり前だよ。価値観も、考えも全て同じであったのなら、人間なんて居なくて良いことになってしまうからね、人間の形は量産型であれど、インプットされる物は多種多様だ。そうかい、それもそうかもしれないね。時間は腐らせるほど有るから、構わないよ。
人を誘い寄せて檻から化けて出てきそうな名前。
考えを貫き通すのもそれは素晴らしい事ではあるけど色々化けて(変えて)行けるって良いよね。それと全く同じ考えの人が居たら人間なんて居なくていいってせっかく人間に生まれたんだ、ちょっとでも同じ考えの人が居たら楽しくない?共感し合うのもいいもんだよ~。君は退屈しそうだけどさ。
檻に閉じ込められているのは、化物か、腹を空かせた獣か、はたまた只の人間か、一体どれだろうね。
考えを貫き通すのは並大抵の事ではないさ、人は常に揺らぎの中で生きている。ただ、周囲に溶け込むことは簡単だ。共感をすることだけを目的とするのは娯楽に成り得ないだろう、話し合いというのは、相反する思考のぶつかり合いで無くては、面白くない。俺は同じ考えを持つ人間に合ったところで、何も思わないしね。
人間に魅せた化物かもね。
確かに話し合いには相応しくない、その話し合いで疲れた脳を休める為にも娯楽がなきゃストレスも溜まるだろう?脳も機能しなくなったらお終いだ。一人くらい側に置いてもいいと思える人間でありたいよ。
あるいは狐か、
下らない話し合いに巻き込まれた際の疲れを癒す娯楽か、…俺はね、何を娯楽にしたら良いのかを、未だに探しあぐねているんだ。脳は使わなければ、簡単に腐り落ちる、しかしその脳を、使うための対象も、簡単には見付かりはしない、面倒なものだね。そうかい、それ自体は難解ではないだろう。
命は大切だ、という一文が正しいのであれば、ある種、大切でなければ命ではない、という逆説にも近いものが作れてしまうが、それは流石に俺が可笑しいのかもしれないね。
幼い頃に、金木犀を口に入れたことが有るけれど、不味かったな。あれだけ良い香りがするのだから、さぞかし旨いのだろう、と思ったのが間違いだった。加工をすれば、多少は食えたものになったんだろうけどね。
狐か…高校の時の友人の家族の一人が狐に取り憑かれたらしくてね、その話を聞いたら不思議でとても不気味だったよ。何も話し合い全てが下らないものでは無いはず。それに楽しい事をしていても脳は疲れるしね。脳を使うための対象のことまで考えているのか…此方からして見ると君は十分に脳を有効活用しているように思うよ。娯楽か…読書,音楽,映画,あとなんだろう。
嗚呼、俺の家系も狐憑き、と周囲から揶揄されていたのを思い出した。どうでもいいか、こんな戯言は。やはり、一定の数は、動物に憑かれる話は存在するようだね。そうかい ? 俺は物によっては、下らない、と思うよ。例えば片方が相手を言い負かすのに躍起になったような時とかね、それは最早話し合いには、なっていない。永遠に楽しめる物を、娯楽を、俺は求めている、だけど簡単には見付からないね。有効に使っているかどうかは、置いておいて、無理にでも使っている自覚はあるよ。読書は、好きじゃないんだよね、暇潰しには行うけれど。
狐に取り憑かれたなら稲荷神社に御参りに行くといいよ神主様に言ってお祓いも。その時に油揚げとお酒を忘れずに。戯言?興味深い話だと思うけど。確かに相手が言い負かそうとしてきた時点で下らないな、ジ・エンド。読書は興味のあるジャンルじゃ無いと進まないね。長く続けられる事か…散歩、歩く事は鬱が治るくらいの効果があるらしいよ。たまたま観た精神科医の特集で知った。
それが事実かどうかの確かめようが、もう無いからね。どうせ俺には関係のないことだよ、狐に憑かれていようが何だろうが、興味がない。興味深いかな、大した意味のない話だよ。 自分だけが優位に立とうとする時点で、それはもう話し合いとしての価値を放棄したのと同意義だ。あれば読むが、面白いと感じたことがない。俺は別に鬱ではないしね、意味もなく歩き回るのは好きではないが、やってはみよう。
時間が過ぎるのが早いな。用事があるから落ちます。此方は有意義な時間を過ごす事が出来た。ありがとう。余り寝ていないように見えるけど脳を休める為には睡眠も大事だよ。おやすみ。
そう、それならば、さようなら、だね。君が有意義に過ごせたのであれば、それでいいだろう。心配ご無用、俺は君が思っているよりも、多くの睡眠時間を貪っている。
あ、いや御幣を招いたね、君が鬱だとか思って居ない、そのような特集をたまたま観ていて何となく歩いていたとしても歩くという事は体にも精神的にも良いという事らしいよ。と云いたかった。
嗚呼、分かっているさ、鬱にも効くという事に対して、自分は鬱ではないけれど、やってみれば何か変わるのかもしれない、という理由で用いたに過ぎないよ、それに対して君が何かを思う必要はない、
人である限り、心は凍結できない。それがひどく煩わしい。世の中には嘘と偽りばかりが溢れている訳で、それならば、獣の方が幾分マシであろう。所詮は人を人と定義するのは、己の認識次第なのだから。
疑問を抱くのも、問うのも、何かを指摘するのも、面倒だ、疲れるだけだよ。他人の吐く言葉に、何かを思うのだって、きっと無意味だ。俺は何も感じないし、何も望みはしない。
人間に背負えるものなど、極僅かだ。背負えないものは、最初から背負わない方がいい。人が人を救えることなど少ない、だから人は神を求めるのだ。どうしようもない苦境に陥ったとき、自分自身を支えるために。
主は彼らに、恵みを与えました。再び世界は笑い声に包まれた。…どうか彼らに、幸あらんことを。
でも、その主が神様なんて、そういえば、誰が言ったのか。誰も、言ってはいない。代償なしに願いを叶えられるのは、神だけで、神ではないものに願いを叶えさせたのなら、きっと代償が必要になるんだろうね。
人を助けるのは、誰から見ても尊いことだ。暗い絶望の中に、居た者にとって、その経験は、自分自身を助ける杖となるものだ。それは自身の生存を肯定するための、わかりやすい証明に他ならない。人は一度感じた悦楽を、再び味わおうとする、それだけのこと。
好きか嫌いかの問題ではなく、好きかどうでもいいか、の二択、ね。嫌いという感情とて、相手に関心がなければ向けられないものか、それもそうだ。何かしらの感情が抱ける内は、きっと未だ期待しているんだろう。
誰でもいいから、おいでよ、と呟いてみた訳だけれども、此処を見ている人間の方が少ないであろうし、無駄になるんだろうね。暇は自分で潰すしかない、かな。
どうも、それなら暫くお時間頂戴させてもらいますね。久し振りに此処の人と話すんでおかしな事喋ってしまうかもしれないですけど、それで良ければ。
俺の時間で良ければ、幾らでもあげるよ。君がそれを願うのならば叶えよう。嗚呼、いいよ、好きなことを好きなように話したらいい。俺はそれを咎めない、案外俺にとって楽しい内容かもしれないしね。喋ってみなければわからないさ。
随分下手に出るんですね、初対面相手に。いや別に喧嘩売ってるとかそういう訳じゃ無くてやけにこう、相手に忠実というか寛容というか。不思議に思ったので。
そうかい ? 俺は別に思ったことを言っているだけだけど、そういう風に見えたのなら、確かに不思議だね。忠実になろうとなんて思ってないさ、今は単にそれが最適と思っただけのことだよ、きっとね。たまには人の言うことを聞くのも、良いものだろうし。
特に意味は無く、それが適当な事だと思ってって事ですよね。言葉の選びとかが他の人と少し異なるんで変に解釈してしまいました、ごめんなさい。くどいですけど本当に喧嘩売りに来たとかそういうのじゃないので、ちょっと変わった質問程度に思って貰えると幸いです。
折角、絡んできた糸なんだ、下手なことを言って離すのもつまらないだろう ? まあ、変な解釈を植え付けたのは、全てとは言わずとも、少なくとも俺にも責任はあるだろうから、それに関しては気にするだけ無駄だよ。俺は別に喧嘩を売られるのでも構わないし、買えと言われれば買うけれどもね、そういう意図がないのなら、それで良しとするよ。
態々他所様の所に暇だからと喧嘩売りに行く程阿呆じゃないですし争い好きでもないですよ、普通に話に来たんですけど自分の勘違いで変に時間取らせてしまいましたね。浮上する時間がちょくちょく重なってたので前から少し覗かせてもらってたんです、みっちり監視って訳では無いですけど。
解っているよ、解っている。それにね、俺は最初に言ったろう、時間なんて腐らせるほどに余っているから、と。だからそれを君が気にする必要なんて何処にもないんだ。嗚呼、成る程ね。思考の墓場でしかないこんな場所を覗くとは、中々に変わっているね、面白くとも何ともなかったろう、此処は。
時間は有限だと思ってるので自分なら無駄な事に使われたなと思っちゃうかもしれないですけど、優しいんですね。優しいというか、余裕があるって言った方が良いような気がします。まあ、その時間を無駄にした本人が言うのもなんですけどね。一つ、似たような思考の事を考えてらしたんであ〜同じだとは思いましたけど。どうやら同じ価値観や思想の人物と話す事には興味が無いらしいのでそのまま閉じました。
時間は確かに有限だけれど、その使い道はその時間の持ち主が決めることだからね。それに使わないで無駄に腐らせるだけならば、使ってあげた方が懸命だろうさ。優しい ? 否、俺は優しくないよ。余裕がなければ、そうだね、今頃死んでたんじゃないかなぁ。似たような思考 ? はて、それが何か俺には検討がつかないけれど、俺の吐いた言葉で不必要な感傷を抱かせてしまったのなら謝ろう。同じ価値観や思考を持っている人間と話すことに興味はないが、それが延々と続く物かどうかは、俺にも解らないよ。もしかしたら、もしかすることも、あるかもね ?
個人の自由なのは理解してますよ、貴方がその使い方で良いと思って居られるのなら俺がどうこう言えることではないですしね。余裕があるの羨ましいです。日々色んな事に追われてて、まあ殆ど放棄したり暴れて無かったことにしたりしてるんですけど、俺からしたら良いなって思いますよ。どの事であるかとか別にその話を深くしようとは思ってないので言いませんけど、感傷なんて抱いてませんよ。一緒だと思ったって、ただそれだけです。いや、俺と貴方が同じ価値観や思想を持ってるかと問われれば確実にそうでは無いと思いますけど、ただその一つの事に関しては同じだっただけです。
どうせもう、使い道なんて無いものだからね、捨てるくらいならば、誰かにやるさ。色々なことに追われるのは、比較的幸運だとも思うけどね。退屈に殺されるよりは幾分マシだろう、何て言うのは、それを体験していないから言えることかな。放棄するのも、暴れて壊すのも、人間らしい選択だよ、だからこそ、素晴らしいね。そうかい、ならば深く聞くのは、よそう。危惧するようなことは何も無いじゃないか、仮に俺が本心から、同様な価値観と思考を持つ人間を、拒絶していたとしても、君は俺ではない別物なのだから、気にせず話しかけてくれた方が、俺は良かったよ。まあ、全ては後の祭りだけどね。それでも君が此処に姿を見せてくれたことには、感謝をしよう、有り難う。
色々してる間に気がつけば凄い時間経ってましたね、すみません。折角お話していただいてたのに。また機会があれば相手お願いしたいです、おやすみなさい。レス蹴りも申し訳ないです。
手が冷たすぎる、と指摘されたことはあるけれど、それは自律神経の問題であって、俺の意思ではないから、最早どうしようもないことだと思うんだよね、…色も含めて、死人のようだ、と揶揄もされたし。まぁ、今更人に何を言われようと、どうでもいい。実際に死ぬわけではないのだから、気にするだけ無駄だ。
最も恐ろしいのは、深淵ではなく、それを覗く人そのものだ。飲まれるだけなら、誰にでも出来る。人の深淵に溺れる様は、愉快だが、それを眺めていても、きっと直ぐに飽きてしまう。無様でも何でも、抗う者の方が、見ていて楽しいだろう、何てね。
与えられれば、与えられた分だけ、幸福を貪り食う、未だ食える部分が残っていても、新しいそれに手を伸ばす。与えられるのが当然になっている、周囲に積もった幸福の残骸が、腐敗臭を撒き始めても、知らないふりをして、与えられるだけの幸福を食らう。与えられた幸福に毒を盛られていても、きっと気付かず、口にするんだろうね。
どうせ、何時かは物言わぬ灰に、塵に、なるんだから、話せる内に、詭弁でも、偽善でも、嘘でも、本音でも、何でも気が済むまで吐き出せばいい、そして満足すれば良いだろう、全てにおいて、今更、になるんだから。
都合のいい出来事だけを見て、無責任に死んでいったら良いさ、そして其処からも、目を逸らして、業から逃げたらいいよ。馬鹿馬鹿しいことだ。
ピュグマリオンの伝説は、嫌いなんだ。そんなことが有って、堪るか、と吐き気がする。都合が良すぎるだけの話なんて、娯楽にならない。
そこそこに良い夜だが、退屈だね。部屋に散らばった本を読み返す気にもなれない。死んだように生きると決めたが、中々に周りは騒がしいよ。
「さぁ、御立ち会い、御立ち会い。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。老若男女揃いも揃って、さぁさ此度もずずい、と前へ。兼ねての舞台で、席を逃したお嬢さん。見過ごした其処の御婦人も。今こそ此処に、綴られますは、語るも涙、見れば喜劇、残酷無比で悲しき大作。一世一代、最後の舞台。…はてさて、どうも。いやしかし。最後、仕舞いの舞台とはいえ。これは一体、誰の話なのやら」という有り様だから、良くないんだろうね。
神に区別をしてくれるよう、願ったのは人間なのに。隣人より、自分は優れている、その証明をする手段を欲したのは、人間なのに。何を今更、ねぇ。
そう、人魚姫は、一見すると壮絶な純愛にも見えるが、視点を変えるなら、只の契約の物語になる。薬の効果を永続的なものにするために、王子の愛を求める。契約条件を満たせなかった場合は、飲んだ薬は毒に変わる訳だ。例えば、人魚姫の愛が偽りであっても、人間界への憧れという動機があれば、物語は成立する。王子の愛は手段に過ぎないよ。彼女が永遠に消えない足が欲しかっただけでも、粗筋は変わらない。
勝手な思い込みに浸って、自分の傷を舐めて、よくもまぁ、とうとうと命の大切さを述べるね、俺はね、そういうのが、大嫌いなんだよ。刷り込みによって、生じた誰かを救いたいという感情。何も救えなかった人間が、めでたくたった一人を救えたとする、それは今まで役に立てなかった人間からすると、さぞかし甘美な体験だっただろう。そしてその人間は、また無意味に誰かを救おうと藻掻くんだ、一度人を救えた事に、味をしめただけなのにね。…まぁ、どうでもいいか、こんな話は。
「In Paradisum deducant te Angeli;」
…天使が貴方を楽園へと導いてくれますように、何て、面白そうだろう。楽園なんて、もう何処にもないのにね。
自らの幸福を捨て去ってまで、大切な人の幸福を願えるのか。他人の幸福とは、窓の中の光景に似ている。自分が豪雨の中にいたとしても、部屋の中で微笑む人を見て、良かった、と頷くことが出来るのか。
この憎さを、この辛さを、何と言おう。それは形容すら出来ない感情で、腹の底に熱い塊となって沈む。その正体は、憤怒であり、屈辱であり、嫉妬であり、怨嗟であり、途方もない憎悪だ。肺の内側に焼けた硝子が埋まっているような不快感を伴っている。この憎悪をどうしよう。この苦痛をなんとしよう。この屈辱を…。嗚呼、忌々しい。全ては他人の物なのに、自分でそれを焦がしている思うと、吐き気がするよ。
話してくれた事には、最低限反応するのが礼儀だろうから、反応はするけども、話してくれなかったことに関しては、気付いてても触れないし、反応もしないよ、わざわざ埋めてある骨を、掘り返すなんて馬鹿馬鹿しい。埋めた骨を見せたいのなら、自分の手で掘り返さないと、ね。その骨が特別じゃない限りは、俺は自分の手なんて汚したくないんだ。
さっさと他の人間を、自分のために食い潰して、それを良し、とすれば良いじゃないか。今までそうしてきたんだから、これからだって、そう難しくないだろうさ、何てね。
何があろうと日常は日常として続き、上手く機能してるじゃないか。どれ程の苦痛に苛まれても、どれだけ変わろうとも、周囲には日常が広がっている、痛みは個人の中だけで完結する事象だ、存分に楽しめばいい。めでたしめでたし、だよ。おめでとう。
陰鬱な気分になる舞台は、見てるだけなら面白いよね。自分の関係のない所で起きてる事だから。飛び火してくる事がないと、余計に。でもやはり、そんなものを見たって退屈は潰せないんだろうね。
人に責任を転嫁し、思考を停止すれば楽だからね。人は全ての物事に原因を求める。陰惨な事態については、尚更だ。耐えがたい激情から逃れるため、自分を傷付けるよりは、他人を傷付ける方が容易いからね。
嗚呼、珍しく上手くいったじゃないか、でも、まぁ、…少し、変えようか。デウス・エクス・マキナは存在しない。大団円なんて有り得ない、俺はそんなもの望んじゃいないんだ。そう、誰も望んでいやしないんだよ。機械仕掛けの装置から現れた神にも変えられない終わりだって、在ったって良いだろう、きっとそれは、笑い出したくなるくらいに愉快だよ。
変わったのは作者か、演者か、はたまたその両方か。…どうでもいいね、そんなこと。見ている側は楽しめたらそれでいいんだから、多少粗筋や演技が変わっていても、目を瞑るんだろうね。見て見ぬふりは究極の責任転嫁であり、肯定の言葉だ。
外から見て美しい光景ほど、中は深刻に腐敗していることが多いよ。表皮が紅く滑らかな林檎が、致命的に腐っていることもあるさ。中を見なければ解らない。
人の腕を焼き続ければ自分が焼かれるはめになるし、寝ている人間を起こして、落としたりすれば、自分が落とされるはめになる、因果応報だ。
これまで食べてきた食パンの枚数を数えられないように、自分達がこれまで食い散らかしてきた食物に同情しないように、他人が傷付こうが、喜ぼうが、どうだっていいんだよ。それは向こうが勝手に感じてることなんだから、それは俺の管轄外さ。俺は楽しいことをしたいだけだ、その先のことなんて、知らないよ。
俺は気儘に嘘を吐くし、思ったことも吐くよ。自分の手は汚さないにしても、楽しそうな事があれば、便乗もするし、けしかけることも有る。悪趣味なのは理解してるけど、辞めるつもりも無いからね。
誰も彼もが、変わったことを褒めてくれるとは限らない。変わったね、と言われること、変わらないね、と言われること、どちらが嬉しいんだろうね。
誰が見ても「化け物」でしかない生き物が居たとする。それの正体は人間だ。だが、百人が見て、百人ともそれを化け物と呼んだとする。ならばそれは化け物だ。誰もそれを認識できないのならば、人間だったとしても、意味がない。
例えば病で悩む者に、血を飲めば癒されると教えたとしよう。それで、魚の血を絞るか、自分の手首を切るか、人の首を掻き切るかは、本人の意思による選択だ。俺の知ったことじゃない。
死にたくもなる、死にたかったんじゃないか、死んでも仕方がない、自分なら生きていられない。…これら一連の台詞が、生きている時点で本人に、惜しみ無く浴びせかけられていたとしたら、裏に隠された本意は何だろうね。
狐は時おり好奇心から、人里に降りてくる。そして人間に混ざって生活することが出来るのだ。遠い、遠い昔、狐は彼の住処に、人間の傍を選びました。狐はそこで人間のふりをして、友達を作りました。でも少し弄っただけで壊れてしまったから、次の玩具を探して、今も狐は人間を食い散らかしてるんだ、何てね。
目的も、義務もない日々は、退屈だが平穏だ。目を瞑ってさえ居れば、全ては過ぎていく。餌を自力で取る必要さえない日々は、生き物として歪なものだろう。
俺は拍手せよ、喝采せよ、と言い、この死を笑える者は笑えば良い、と放り出す。命を惜しいとは思わなかった、…きっと俺は酷薄な人間なんだろうね。己の死にも泣く価値は見出だせないよ。他人の涙を、嘲笑う気もないけれど、泣く意味を理解する気もないんだ。
自分だけが悲しんでいる、何て詭弁も良いところだ。自分だけ悲しい、と主張するのは、自分だけは無罪にしたかったから。所詮は、鳩ではなく、雀だったわけだ。
結果の原因を俺にだけ求めるのは止してほしいね。確かに俺は無実とは言い兼ねるけれど、予想していない結果が起きることも有るさ。仄めかしたのは俺だが、相手が過敏に反応したことについてまで、責任を問われるのは御免だよ。
「とてもだらしのない男がいた。墓に納めたかったが、指は何処にも見つからなかった。首はベッドの下の奥に転がっていたし、手足は部屋中に散らばっていた」ってやつだね。
百年の眠りか、いいじゃないか。この退屈が晴れるのなら、目覚めるのが百年後でも悪くはないよ。百年後にも、ろくな娯楽はないような気もするけれどね。
…狐は所詮獣だ、人間とは仲良くなれない。それでも遊ぶことは可能だろう、千切ってバラバラにして、間違えて繋いだり、裏返したりしてみせても、壊れなければ、きっと永く遊べるのにね。
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