囮、 2017-11-14 00:00:18 |
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さっさと他の人間を、自分のために食い潰して、それを良し、とすれば良いじゃないか。今までそうしてきたんだから、これからだって、そう難しくないだろうさ、何てね。
何があろうと日常は日常として続き、上手く機能してるじゃないか。どれ程の苦痛に苛まれても、どれだけ変わろうとも、周囲には日常が広がっている、痛みは個人の中だけで完結する事象だ、存分に楽しめばいい。めでたしめでたし、だよ。おめでとう。
陰鬱な気分になる舞台は、見てるだけなら面白いよね。自分の関係のない所で起きてる事だから。飛び火してくる事がないと、余計に。でもやはり、そんなものを見たって退屈は潰せないんだろうね。
人に責任を転嫁し、思考を停止すれば楽だからね。人は全ての物事に原因を求める。陰惨な事態については、尚更だ。耐えがたい激情から逃れるため、自分を傷付けるよりは、他人を傷付ける方が容易いからね。
嗚呼、珍しく上手くいったじゃないか、でも、まぁ、…少し、変えようか。デウス・エクス・マキナは存在しない。大団円なんて有り得ない、俺はそんなもの望んじゃいないんだ。そう、誰も望んでいやしないんだよ。機械仕掛けの装置から現れた神にも変えられない終わりだって、在ったって良いだろう、きっとそれは、笑い出したくなるくらいに愉快だよ。
変わったのは作者か、演者か、はたまたその両方か。…どうでもいいね、そんなこと。見ている側は楽しめたらそれでいいんだから、多少粗筋や演技が変わっていても、目を瞑るんだろうね。見て見ぬふりは究極の責任転嫁であり、肯定の言葉だ。
外から見て美しい光景ほど、中は深刻に腐敗していることが多いよ。表皮が紅く滑らかな林檎が、致命的に腐っていることもあるさ。中を見なければ解らない。
人の腕を焼き続ければ自分が焼かれるはめになるし、寝ている人間を起こして、落としたりすれば、自分が落とされるはめになる、因果応報だ。
これまで食べてきた食パンの枚数を数えられないように、自分達がこれまで食い散らかしてきた食物に同情しないように、他人が傷付こうが、喜ぼうが、どうだっていいんだよ。それは向こうが勝手に感じてることなんだから、それは俺の管轄外さ。俺は楽しいことをしたいだけだ、その先のことなんて、知らないよ。
俺は気儘に嘘を吐くし、思ったことも吐くよ。自分の手は汚さないにしても、楽しそうな事があれば、便乗もするし、けしかけることも有る。悪趣味なのは理解してるけど、辞めるつもりも無いからね。
誰も彼もが、変わったことを褒めてくれるとは限らない。変わったね、と言われること、変わらないね、と言われること、どちらが嬉しいんだろうね。
誰が見ても「化け物」でしかない生き物が居たとする。それの正体は人間だ。だが、百人が見て、百人ともそれを化け物と呼んだとする。ならばそれは化け物だ。誰もそれを認識できないのならば、人間だったとしても、意味がない。
例えば病で悩む者に、血を飲めば癒されると教えたとしよう。それで、魚の血を絞るか、自分の手首を切るか、人の首を掻き切るかは、本人の意思による選択だ。俺の知ったことじゃない。
死にたくもなる、死にたかったんじゃないか、死んでも仕方がない、自分なら生きていられない。…これら一連の台詞が、生きている時点で本人に、惜しみ無く浴びせかけられていたとしたら、裏に隠された本意は何だろうね。
狐は時おり好奇心から、人里に降りてくる。そして人間に混ざって生活することが出来るのだ。遠い、遠い昔、狐は彼の住処に、人間の傍を選びました。狐はそこで人間のふりをして、友達を作りました。でも少し弄っただけで壊れてしまったから、次の玩具を探して、今も狐は人間を食い散らかしてるんだ、何てね。
目的も、義務もない日々は、退屈だが平穏だ。目を瞑ってさえ居れば、全ては過ぎていく。餌を自力で取る必要さえない日々は、生き物として歪なものだろう。
俺は拍手せよ、喝采せよ、と言い、この死を笑える者は笑えば良い、と放り出す。命を惜しいとは思わなかった、…きっと俺は酷薄な人間なんだろうね。己の死にも泣く価値は見出だせないよ。他人の涙を、嘲笑う気もないけれど、泣く意味を理解する気もないんだ。
自分だけが悲しんでいる、何て詭弁も良いところだ。自分だけ悲しい、と主張するのは、自分だけは無罪にしたかったから。所詮は、鳩ではなく、雀だったわけだ。
結果の原因を俺にだけ求めるのは止してほしいね。確かに俺は無実とは言い兼ねるけれど、予想していない結果が起きることも有るさ。仄めかしたのは俺だが、相手が過敏に反応したことについてまで、責任を問われるのは御免だよ。
「とてもだらしのない男がいた。墓に納めたかったが、指は何処にも見つからなかった。首はベッドの下の奥に転がっていたし、手足は部屋中に散らばっていた」ってやつだね。
百年の眠りか、いいじゃないか。この退屈が晴れるのなら、目覚めるのが百年後でも悪くはないよ。百年後にも、ろくな娯楽はないような気もするけれどね。
…狐は所詮獣だ、人間とは仲良くなれない。それでも遊ぶことは可能だろう、千切ってバラバラにして、間違えて繋いだり、裏返したりしてみせても、壊れなければ、きっと永く遊べるのにね。
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