囮、 2017-11-14 00:00:18 |
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「In Paradisum deducant te Angeli;」
…天使が貴方を楽園へと導いてくれますように、何て、面白そうだろう。楽園なんて、もう何処にもないのにね。
自らの幸福を捨て去ってまで、大切な人の幸福を願えるのか。他人の幸福とは、窓の中の光景に似ている。自分が豪雨の中にいたとしても、部屋の中で微笑む人を見て、良かった、と頷くことが出来るのか。
この憎さを、この辛さを、何と言おう。それは形容すら出来ない感情で、腹の底に熱い塊となって沈む。その正体は、憤怒であり、屈辱であり、嫉妬であり、怨嗟であり、途方もない憎悪だ。肺の内側に焼けた硝子が埋まっているような不快感を伴っている。この憎悪をどうしよう。この苦痛をなんとしよう。この屈辱を…。嗚呼、忌々しい。全ては他人の物なのに、自分でそれを焦がしている思うと、吐き気がするよ。
話してくれた事には、最低限反応するのが礼儀だろうから、反応はするけども、話してくれなかったことに関しては、気付いてても触れないし、反応もしないよ、わざわざ埋めてある骨を、掘り返すなんて馬鹿馬鹿しい。埋めた骨を見せたいのなら、自分の手で掘り返さないと、ね。その骨が特別じゃない限りは、俺は自分の手なんて汚したくないんだ。
さっさと他の人間を、自分のために食い潰して、それを良し、とすれば良いじゃないか。今までそうしてきたんだから、これからだって、そう難しくないだろうさ、何てね。
何があろうと日常は日常として続き、上手く機能してるじゃないか。どれ程の苦痛に苛まれても、どれだけ変わろうとも、周囲には日常が広がっている、痛みは個人の中だけで完結する事象だ、存分に楽しめばいい。めでたしめでたし、だよ。おめでとう。
陰鬱な気分になる舞台は、見てるだけなら面白いよね。自分の関係のない所で起きてる事だから。飛び火してくる事がないと、余計に。でもやはり、そんなものを見たって退屈は潰せないんだろうね。
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