囮、 2017-11-14 00:00:18 |
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独り言が自然と増えてしまうだろうけれど、相手を募集していない訳でもないからね、誰でもどうぞ、…それから、此処を見て不愉快になっても、責任は取らないからね、全ては自己責任の世界だよ。
君の人生の主役は、君なのだから、自分で何とかしなよ、と言ったところで、聞き入れてくれないのであれば、それはもう全て無駄になった、ということだ。同情だけが望みなのであれば、最初からそれを提示してくれないと、人間は思った通りになんて、動いてくれないさ。
俺自身は、相手がどう思うか関係無しに、思ったことは伝える質であるから、良いのだけど、必死に自分を隠そうとしている人間を見ると大変そうだな、と思うね。何をそんなに隠したがっているのか。本音で話そうとしてこない人間には、きっと誰も本音なんて話してくれないよ。
俺は人の本音が好きだ、それがどんなに汚かろうが、美しかろうが、添加物にまみれている薄汚い上部の物よりは、面白いし、味があるからね。人間味のある人間は素敵だよ、嫉妬も憎悪もその内の幾つか。
自分の胸の中にある熱せられた鉄のような憎悪は、元々は他人の物であるというのに、それを更に焦がすのは己である、その理不尽さは形容しがたいね。
同情も、憐憫も必要ない。俺を憐れんで良いのは俺だけだよ。誰にも憐れんで欲しくなどない、例え、誤った道だったとしても、それが俺の道だ。俺はそれを、高らかに誇るよ。…可哀想な人だと、指差されるくらいならば、それこそ、死んだ方が、マシであろう。
一幕一幕を、演じきりつつ、楽しむことこそが人生ならば、俺は早々に、娯楽を、楽しみを、見付けなければならない。そうしなければ、内側から腐っていく。
他人の幸せを心から願わなければ、我が身に不幸が降り注ぐ、としても、心の底から本気で、どうか幸せに、と願える訳がない。願わなくてはならない、と決められていたとしても、だ。自分の幸福を望むのは、こんなにも簡単だと言うのに、誰かの不幸を願うのは、息をするのと同じほどに簡単だと言うのに、…誰かの幸せを願うのは、こんなにも難しい。
人間の欲を止めることは難しい、例えば、死ぬほど空腹を感じている時に、目の前に食物を置かれれば食べてしまうのと同じ、それに毒が盛られていると知っていても、一度気付いた欲は、簡単には止められない。
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