囮、 2017-11-14 00:00:18 |
通報 |
例えば病で悩む者に、血を飲めば癒されると教えたとしよう。それで、魚の血を絞るか、自分の手首を切るか、人の首を掻き切るかは、本人の意思による選択だ。俺の知ったことじゃない。
死にたくもなる、死にたかったんじゃないか、死んでも仕方がない、自分なら生きていられない。…これら一連の台詞が、生きている時点で本人に、惜しみ無く浴びせかけられていたとしたら、裏に隠された本意は何だろうね。
狐は時おり好奇心から、人里に降りてくる。そして人間に混ざって生活することが出来るのだ。遠い、遠い昔、狐は彼の住処に、人間の傍を選びました。狐はそこで人間のふりをして、友達を作りました。でも少し弄っただけで壊れてしまったから、次の玩具を探して、今も狐は人間を食い散らかしてるんだ、何てね。
目的も、義務もない日々は、退屈だが平穏だ。目を瞑ってさえ居れば、全ては過ぎていく。餌を自力で取る必要さえない日々は、生き物として歪なものだろう。
俺は拍手せよ、喝采せよ、と言い、この死を笑える者は笑えば良い、と放り出す。命を惜しいとは思わなかった、…きっと俺は酷薄な人間なんだろうね。己の死にも泣く価値は見出だせないよ。他人の涙を、嘲笑う気もないけれど、泣く意味を理解する気もないんだ。
自分だけが悲しんでいる、何て詭弁も良いところだ。自分だけ悲しい、と主張するのは、自分だけは無罪にしたかったから。所詮は、鳩ではなく、雀だったわけだ。
結果の原因を俺にだけ求めるのは止してほしいね。確かに俺は無実とは言い兼ねるけれど、予想していない結果が起きることも有るさ。仄めかしたのは俺だが、相手が過敏に反応したことについてまで、責任を問われるのは御免だよ。
「とてもだらしのない男がいた。墓に納めたかったが、指は何処にも見つからなかった。首はベッドの下の奥に転がっていたし、手足は部屋中に散らばっていた」ってやつだね。
百年の眠りか、いいじゃないか。この退屈が晴れるのなら、目覚めるのが百年後でも悪くはないよ。百年後にも、ろくな娯楽はないような気もするけれどね。
…狐は所詮獣だ、人間とは仲良くなれない。それでも遊ぶことは可能だろう、千切ってバラバラにして、間違えて繋いだり、裏返したりしてみせても、壊れなければ、きっと永く遊べるのにね。
トピック検索 |