通りすがりの… 2017-09-18 21:29:58 |
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>>20 >>23
なるほど、面白い。トピの主旨には沿っていない書き込みになってしまいますが、興味を惹かれたので、主様に習って下調べは一切せずに私も考えてみました。
>1+1はなんで2になるんですかね?
考えたみた…のですが、これはもしかすると、数学を考えるうえでの「仮定の条件」なのではないでしょうか。
世の中、実は複雑なものほど、分解して「理解した気になる」ことも容易。しかし、単純でそれ以上に分解できそうにないものは、それ自体が「原理」にならざるを得ず、トートロジーによって飲み込む(疑問を許さずに「AはAである。なぜならAだから。受け入れてくれ」という考え方です)ことしかできない。
ともすると「1+1=2」は、他の複雑な計算を考えるための「仮定」に過ぎず、本当は「1と1を足しても2になる、とは『限らない』」というのが実のところなのではないでしょうか。
こう考えると、そもそも「1と1を足せば2になる」という疑問自体が、根拠のない妄想です(気を悪くされたらすみません)。「1と1を足せば2になる」という事実は確認されていない、というそれこそが「事実」であり、実はこれまでに「1+1=2なのだ」と言い切った人もいないのでは。
ただ、たまたま「1+1=2」と仮定をすると、他のことが説明できるから、複雑なものに慣れている人々が、あたかも原則として採用されているだけの「たかが仮定」(1と1を足したら2になるのだということ)を「事実であるかのように」錯覚しているだけ。
なのではないでしょうか?こんな回答は如何でしょう。主旨違い、ご迷惑でしたらすみませんでした。
>>25の続き。
エジソンの泥団子と
>そもそも「2」がどういう状態で存在するのか
という疑問について。
>>25の考え方を採用するなら、エジソンは別の原理を提示したのみです。
「2」とは何か、どういう状態で存在するのか、という疑問も>>25の『1+1=2は仮説 説』を取れば、ただたまたま「2というものがあるとしようか」と用意された空想上の産物でしかありません。
2って何だか分かりますか?と問われたら、はっきり説明できなくても、多くの人の頭には「2のイメージ」が浮かぶはずです。それは、ボールが2つ並んでいるイメージだったり、2等賞と書かれた旗が風になびいているイメージだったり。
これらの「イメージ」に対して付けられた仮の名が「2」なのではないでしょうか。
「2」という言葉があるから、イメージが浮かぶのではなく、イメージが先にあって、それを「2」と呼んでいるだけ。
イメージであれば、それは当然、頭の中にあるもので、現実に存在するものの話ではないので空想です。
空想ですが「それが実在するとすれば…」と仮定することで、色々な計算が可能になりました。だから、使われ続けているだけです。
他のものに例えるなら超常現象と類似。ある地域では、神隠しが起こるから、神がいるのだろうと思われるが、その神を目撃した人はいない。
目撃者がいないのなら、神がいない可能性も考えられるが、どんなに探求しても、神の他には神隠しが起こる理由を説明できるものがない。だから、今のところ、その地域には神がいると仮定をせざるえない。みたいな。
この神様の正体を考えるのは、一見、建設的なようで、実はすごくナンセンスです。そもそもが所詮、仮定に過ぎないからです。
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