俺は生まれつき人より劣っていた。運動、勉強、家事、創作活動…何をやらせても人一倍ダメで、それは歳を重ねるごとに痛感していくこととなる。
今流行りの有名なマンガ『我のヒーローアカデミア』の主人公は、力を持つ者と持っていない者との差を齢四歳で思い知る。
俺は違った。
小さいころはみんなが優しかった。かけっこをしていて転んでも女の子が絆創膏をくれたし、授業で分からないところは先生が教えてくれた。ホットケーキを上手く焼けなくて焦がしてしまった時はお母さんが優しく慰めてくれたし、上手に絵が描けなかったら芸術センスのある友達がアドバイスしてくれた。
上級生になると変わった。みんなが出来ることを出来ない俺をみんなが不思議がった。指を差して笑うやつも出てきた。先生はまだ優しかった。
中学校に上がると、ほとんどの人が俺を笑った。普通のことが普通にできない俺に、先生や親は失望や落胆が雑ざったような、変な目を向けた。
高校生になると、それはもう悲惨だった。何をさせてものろまな俺は、いじめの標的にすらなり得なかった。いじめられっ子よりも下の存在として、徹底的にダメな存在だと思い知った。みんなが俺を叩いたり蹴ったり脅かしたりしたらまだマシだったろう。つまり俺は叩いたり蹴ったり脅かしたりする価値すら無い人間なのだ。それがどんなに辛いことか、きっとそれは親しかった友や心から愛されていた親に失望されたやつにしか分からない。
そして今、俺は線路の真ん中に座っている。椅子に座っている。長椅子だ。この日のためにわざわざ家具家で買ったのだ。結構値段が張っただけあって、なかなか座り心地が良かった。できればあの世に持っていきたい。
奇跡的に社会人となれた俺は、会社でも学生時代と変わらぬ扱いを受けた。なんと寂しい人生だろう。俺は最近自分を信じられない。参拝をした帰りには必ずと言っていいほど犬の糞を踏むし、誰かの落とし物を交番に届け出れば私物を落としてくる。なんと悲しい人生だろう。俺は神様の遊びで作られたに違いない。これまで弄ばれて、これからも弄ばれるのは御免被る。
腕時計を見る。もうそろそろ電車が通るころだ。ここを通る電車は若干ゃ他の車両より速いのですぐには止まれまい。この死に方はとてつもなく家族に迷惑がかかるらしいが、どの死に方も迷惑がかかるのだから問題ない。どうせ俺には関係ないのだ。
玩具で遊んでいた側としては何だとふざけるな!一体誰が作ってやったと思ってる!恥を知れ!しかるのち生きろ!と捲し立てるだろうが、遊ばれた側としては何だこのやろうふざけるな!一体誰のおかげで今の今まで退屈しないで済んだと思ってる!まったくもって頭に来た!もういい死んでやる!といったところ。もはや神さえ怖くない。
ああ、気づけばあと一分。まったくとんでもない人生だった。大きな喜びは要らない、その代わり深い絶望もない。そんな穏やかな暮らしを俺もしたかった。しかしそこには虚無しかなく、生きる理由など存在しないのだ。
最期にくだらないことばかり考えてしまった。俺が死んで困るのは精々家族だけ。慰謝料やら何やら払い終わればじきに家族も俺を忘れるだろう。
ああ悲しい。
一筋だけ涙を流したら、電車が急ブレーキを踏むより早く視界が光に包まれた。