筑波洋 2017-05-02 06:45:17 |
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『新Spirits』のクローンしずかこと新アマテラスの描写が恐ろしいこと。
ZX雑誌展開時の細井雄二さんらの当時の漫画の設定を村枝賢一先生は取り入れているみたいですね。
完全にアマテラスに乗っ取られているわけではなくわずかにオリジナル村雨しずかの意識が残っているよう……。
ルミの言葉は救いにはなってるけどモグラ獣人もまたバダンを選ばないとも限らないともいう。
いつかは戦わねばならない宿命。
改造人間である仮面ライダーは己とも戦い己が選ばなかった“悪”“悪へと向かう存在”とも戦わねばならない。
常に水面に映る己や“悪”の姿と向き合わねばならない。
『新仮面ライダーSpirits』九巻を購入。
九巻にはスカイライダー・筑波洋の活躍はあいにくないが『仮面ライダー』第一作で設定だけでしか登場してない欧州戦線の協力者カール・ロートリンゲン博士が登場。
本郷猛、緑川ルリ子への邂逅を彼を通して語られるのは熱い。
映像化に至っていない欧州戦線の戦いを劇画化して迫力ある。
旧1号から桜島1号、新1号への変化を再生と強化という解釈で後のストロンガーのチャージアップと強化スカイライダーとは異なる解釈にしてたのは面白かった。
またZX村雨と共同戦線を取りながらモールス信号を送る描写もまた興味深い描写。
また再生怪人のなかにギリザメスがしっかりいるという。
巻末の藤岡弘、氏ようやく登場。亡き平山亨プロデューサーへの熱い言葉がありましたね。
『新Spirits』9巻のカール博士の“研究は夜のまま”という表現と10巻の“なにも変わらない夜だとしても明日は来る”という1号ライダー本郷猛の言葉はつながってたんですね。
石ノ森先生の漫画版にも何かしら繋がる表現に思える。
仮面ライダーの戦いは人類同士でも争いをする愚かな人間を守るのはたしかに愚かな行為かもしれない。
だけどショッカーに始まる改造人間や怪人、研究者や戦闘員など悪に染まる者もいれば本郷猛や一文字隼人のようにそれに立ち向かう者もいる。
この辺は単純な勧善懲悪でないむずかしさと矛盾、『仮面ライダー』の本質は仮面に隠した内なる心や魂、仮面の下の素顔は見せられないが傷あっても生き続ける。
人間の本質。
『新Spirits』9巻でようやくマシーン大元帥たちデルザー軍団後期幹部覚醒、これに『ストロンガー』本編未登場のジェットコンドルが12巻に登場し敗北した岩石男爵やドクターケイトを除いてデルザー軍団幹部は勢揃いとなる。
12巻でジェットコンドルはZX村雨良に破れそほ姿を暗黒大将軍に変えている。
9巻でデッドライオンと共に『スーパー1』のメガール将軍がいた。これを考えたらまだ生き残っている再生怪人たちは生存潜伏しバダン帝国の礎となり特番『10号誕生!』の阿修羅谷の決戦に控えていると考えた方が自然でしょう。
掌動のZOを購入。
ブラックから進化しさらにシンプルなデザイン。スカイやブラックとは異なる本来は本郷猛を主人公に据えられるはずが諸般の事情により不可能。
さらなる原点回帰。
また『ZO』は続編を考えられてらしく赤いマフラーに銀の手足とされた強化ZOもデザインされたが続編は『J』となる。
もしもテレビシリーズとして作られたらさらなる物語もあったかもしれない。
小説『ZO 闇の中の少年』は名作。
久しぶりに映画『仮面ライダーZO』を見るとわずか五十分弱で物語をおさめてる。
『スカイ』『ブラック』『真』を経てのさらなる原点怪奇。
『スカイ』の時点では原点怪奇と謳うものの“本郷猛”のリメイクまではされないしまた改造人間の孤独や悲哀は別な形で演出された。
『ブラック』で孤独な改造人間や悲哀はより確立していく。
『スカイ』の時点で仮に製作がおこなわれたとしても石ノ森先生や平山亨プロデューサーにそこまでの構想はなかったでしょう。80年代SFのなかではむしろ製作は難しかったかもしれない。
1号ライダーのリメイクは『THE first』など含めいろいろなアプローチがあるのもひとつの答え。
『スカイ』本編においては藤岡弘、氏と岡崎徹氏は諸般の事情で出演がなってない。
他ライダーは素顔の俳優とも共演なさっているがそこはいささか残念なところ。
漫画『新Spirits』では東北スーパー1編では縁深いXライダー神敬介と共闘しZX村雨良と共に支援。
ただしZX村雨の戦いに疑問を呈する役割をスカイライダー筑波洋は担ってもいる。
変身を解いた戦い方に疑問を聞ききっかけとしてスーパー1沖一也を良が挑発するつなぎになっておりバダンシンドロームの感染者になった目黒隊長からバダンシンドロームの真相を知ることになる。
筑波洋は極端に激昂はしない仮面ライダー。ただ優しい素にも内にも見せる優しさ。
本当に『スカイライダー』は描き方や演出がむずかしいライダーかもしれない。
亡き石ノ森先生や平山亨プロデューサーならどんな演出をしたか。
『ZO』久しぶりに見たら内容は尺の短さもあるがちゃんと“仮面ライダー”のお約束を踏襲しながら90年代の新生ライダーという雰囲気。
ウィキによると幕の内弁当と称されるのもわかる。
漫画としての島本和彦先生版、小説版の『闇の中の少年』そして劇場公開作品としての本編。
メディアミックスとしてそれぞれ表現演出方法が異なるのも興味深い点。
小説版は内容がややグロいですが敵ドラスの悲哀、宏少年の訴える“家庭”の在り方。狂った望月博士の悲哀。そして改造人間にされた麻生勝の哀しみとそれを克服する人間の“心”。
人間だから弱いのではなく人間だからこそ強くもなれるテーマ性。
この辺は昭和平成共に通じるテーマ。
『新仮面ライダーSpirits』、巻を少々越えていきなり15巻。
13、14が手元にないため物語がわからない。
だけどライダーマン・結城丈二と大首領JUDOの戦い。精神エネルギー体で挑むなんてとんでもない。
だけどJUDOがショッカーからバダンまでの組織を操ってたに過ぎないこともあらためて判明。
仮面ライダー1号2号ストロンガースカイライダーなどのパワーアップや戦いの経験を身に付けていないこと。
だけど一方でJUDOは結城丈二の過去を知ろうとするのは興味深い。
一介の学生であった結城丈二にコンタクトするヨロイ元帥。
「ユートピア計画」こそが母なる地球と共にあらんとする結城の信条。
しかし学会に否定され自らの科学と能力をデストロンに身を置き託すもののヨロイ元帥により右腕を無くし復讐の鬼ライダーマンと化す。
そしてV3風見と出会いぶつかりながら共闘し一度はデストロン首領を庇うが風見と再び和解。
父であるJUDOになぜ挑むのか。
理由は孤独だから。
孤独から救ってくれたのがデストロンであり首領こそが父だから……。
なんとも壮絶過ぎる……。
『新Spirits』15巻で付属に乗ってる短編漫画は東北地震で宮城県石ノ巻市が地震に遭われたことを村枝先生は石ノ森萬画館を通して描かれてましたね。
だけど地震のなか倒れなかった仮面ライダーの像。地震や津波から人々を守るために倒れなかったんでしょうか。
あるいは亡き石ノ森先生の魂が守ったのかもしれないですね。
萬画館の人たちも家族や身内を心配しながらも萬画館の早期の再建に情熱を燃やす。風のように現れ風のように去っていく姿はまさに“仮面ライダー”。
村枝賢一先生をはじめ多くの漫画家たちも萬画館再建にボランティアとして参加してゆく。
石ノ森先生の魂は多くの人たちに受け継がれてる。
スカイライダーおよびスーパー1そしてZXの頃までは偽ライダーやあるいはライダーと同じや似たような意匠を持った怪人がいた。
『スカイライダー』においてはショッカーライダーを受け継いだ怪人ドロリンゴが変身した三体のにせスカイライダー、『スーパー1』においてはジンドグマが開発したロボットスーパー1。
ZXにおいては厳密には偽ライダーなどは存在しない。
漫画『Spirits』のスサノオことJUDOがかつてのシャドームーンなどの役割に類するでしょうか。
もしも『スカイライダー』時期に悪のライダー構想があったらどんな悪のライダーだったか。
ダークスカイライダー?
ネオショッカースカイライダー←名前長っ(笑)。
当時の特撮や映像技術ではハデな空中戦演出はできなかったでしょうから消化不良に終わった可能性はある。
いちおうスカイライダーにもアブンガーというスカイライダーの弱点を見抜き危機に陥れた怪人はいるがなぜ虻(アブ)?
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