悠哉 2017-02-02 23:46:05 |
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>>77
>ナツカンさん
お返事をありがとうございました。貴方と言葉を交わせて良かったですw
>止めた人間も相手のために全力で生活を変える努力をする
しかし、ここでも一つ重要なことがありまして。誰しも誰かの「犠牲」になってはいけないと思うんですよ。
「命は尊い」というのが普通の風潮でしょう。しかし、そう思うあまりに「自分を犠牲にしてまで他人の命を引き止めようとしてしまう」人がいるんです。自殺することを仄めかしてワガママを言う人、ワガママを言わなくても希死年慮を捨てられなくていつまでも自分で立てない人、そういう人に関わることで自分の人生を台なしにする人がいます。
これは絶対にやってはいけないことだと思いますよ。
私は精神医療に携わっている身ですので、ここまでの話はそういう立場からの視点に寄っていた可能性を一応、お断りしておきますが、共倒れは少なくないのです。
人を助ける時は、そのことによって自分が幸せにならないと駄目だと思うのです。自分を不幸にしてまで助けようとするので、犠牲者になることであり、自殺に近い行為ではないでしょうか。
ですから、私は他人の犠牲を求める生き方しかできない人に対しては、あえて「そんな考え方のままでは生きていたって仕方ないんじゃないの?」と思ってしまうこともあるんですよ。>>9後半でも書いた通り。
人は自分で立たないと駄目です。こと「自殺を仄めかしてワガママを言う人」などは、そのワガママを周りが聞けば、結局「自殺をネタにしないと生きていけない人」になってしまうんですよ。搾取されるだけ周りが損なのです。
命は価値あるものですよ。しかし、あえて「今のままで変われないなら、お前に生きている価値なんてない」と突き付けないと、腐る命もあるのではないかと思ってしまいますね。ここがまた加減の難しいところなんですがね。
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