悠哉 2017-02-02 23:46:05 |
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>>71
しかし、自殺を考える人は大方「生きているほうがつらい」と思っているはずなので、「死ぬのは損かもよ」と言っても、多分「知ったことか」となると思います。
しかし、とめられる状況にあるのなら、そこでとめる側は自分のエゴを持ち出せると思うんですよね。ようは「友達を失うのはつらい」とか「目の前で死なれるのは嫌だ」とか。自己都合を持ち出し「私が迷惑を被るから死なないで」と言えるはずです。
これも「知ったことか、あんたのことなんて関係ない」と言われるかもしれませんが、利己を持ち出すというのは、利他を持ち出すのより強いんですよね。「じゃァ、なんで私に分かるように死のうとしてるの!どうしても死にたいならせめて、元気な姿を見せて、死ぬ気配なんて漂わせないで、普通にお別れして音信不通になって数年経ってから、ひっそり死んでよね!」と言ってやれば、その時「自殺をとめられているのは、分かるように死のうとした本人の責任」になります。
下手にとめるのは無責任、なんて言われる筋合いはなくなります。本人のせいなんですから。
これが「死ぬのは損かも」と利他を言って相手をとめようとしても「そんなの俺が決めることだ!お前に何が分かるんだ」と言われたら、言い負かすのはなかなか難しくなるんですよね。
主様は「生を強要するのは無責任」という主旨のことを仰っていましたが「命はただ生きているだけ」では。生の強要なんてできるのでしょうか。
しかし、誰かに「生きていてほしい」と望むなら、そう望む人はその誰かが「生きやすいように」協力してあげていいですよね。「生きていてほしい」は望む人の願望ですから、願望は抱いた当人が叶えるべきです。
野球選手になりたい子は、自分で頑張って野球をして、選手を目指さないといけない。なりたいとだけ言って、あとは他人がどうにかしてくれることを待ち、それが叶わなかった時に周りを責めるのはおかしいでしょ。
誰かに死んでほしくない人も同じで、死んでほしくないなら、死なせない努力をしないといけません。
人間は幸い、本能的には生きたいものなので、一回自殺をとめたら、あとは勝手に「生きていってくれる」人もいます。
しかし、世の中にはそうではない人もいる。
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