真夏の太陽 2017-01-18 16:13:00 |
通報 |
夢でも見ているのか。
学校に行っても誰もいない。友達にラインしても既読すらつかない。会社に電話をしても誰も出ない。上司にも連絡したが電源すら入っていないようだ。
ともかく今日は休み。どうしようかと街を出歩いて、また違和感に気づく。
人の気配がない。
休日ならばたくさん行き来しているはずの車は全く通らず、真夜中のように静まり返っている。踏み切りの音に気づいて振り向けば、電車は動いているようだ。
でも駅に行ってみたら人はいなかった。運転手さんでさえも。それでも電車は定刻通りに動いていた。もちろん、休日ダイヤで。
状況を受け入れてのんびり過ごすか、世界がおかしいと恐怖を感じて行動するか、はたまた閉じこもるのか。人によってとった行動は違うだろう。
一人暮らしをしている人はまだしも、家族と一緒に暮らしていたつもりが、自分独りになっていた場合などは混乱して当然か。
自分が目覚める直前まで家に居たかのような、リビングのテーブルに書置きと朝ごはんだけがある、温かさと寂しさの両立した感覚も続く違和感に塗りつぶされるだろう。
夜中になっても誰も帰ってこないのに、朝になれば気づかないうちに朝食が用意されているのだから。
だれが何をしようと、何も変わらなかった。試しにカレンダーをめくれば来月も八月。その次も。
ニュースは毎日違う内容だが、どれも遊びに行きたくなる施設や観光地、グルメスポットなどを紹介していた。天気予報のアドバイスもお出かけする人に向けたものだ。
街の様子は違和感だらけだった。お気に入りの定食屋に足を運んだら、自分がよく座る席にだけ、食べようと思っていたメニューが鎮座している。他の客どころか店員もいない。
料金はレジに置いていったが、次の日に店を覗いたときもお金は置きっぱなしだった。ちょうど今日食べたかったメニューはテーブルの上にあったが。
コンビ二の商品は持っていった次の日には補充されていた。スーパーでも同じだった。お惣菜や弁当も前日とは別のものが陳列されている。
不思議なことに、店員の一人もいないお店でも閉店時間が近づくと音楽が鳴り、閉店とともにひとりでに電気が消える。買い物もままならないと思って外に出ればひとりでにシャッターが下りはじめた。
電車で遠くへ行っても、どの施設も変わらず人気がなく、ニュースで紹介されていたときには親子連れやカップルで賑わっていたはずの遊園地すらも、勝手に動くアトラクションの可動音と音楽が聴こえるのみだった。
きっと、上空を時たま通過する飛行機にも誰も乗っていないだろう。海外に行けるけれど、どの国でも誰もいないに違いない、という予想は誰にでも考えついた。
そういえば、虫や動物は変わらずいる。セミの鳴き声はうるさいし、蚊には刺されるし、夕方にはカラスが鳴いて、車も通らない道路を足早に横切る猫も見かける。
数日経つとネットも様変わりした。ネットニュースは更新されども、個人が関わるツイッターやブログは何一つ更新されていない。ネットニュースの内容も芸能関係がタイムリーとは言えない内容で、自分以外の『個人』に触れる機会がないのを感じる。
少なくとも、自分が快適に生活する分には何ら不便なことはないように思えた。
ずっとこの『夏休み』が続くのかという予感が現実味を帯びてきた、ある日。
八月の三十一日、いわゆる小学生から高校生までの日本人にとっての夏休み最終日。
朝になっても鳥の声は聞こえず、公共交通機関も動き出す気配がない。アリの一匹すら見つからない。
そして夕日が地平線の向こうへ沈んでいき、半円を過ぎた頃。
『奴ら』は現れた。
トピック検索 |