YUKI 2016-11-19 22:11:18 |
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カウンターに戻る間、茅人は水城にどう話すかを考えていた。
ストレートに話すのは避けるべきだろう。
誤解を生む危険性を考えると、それとなく聞くのが定石だ。
カウンター内に入り、水城が戻ってくると茅人は早速話を切り出す。
「なぁ水城、聞きたい事があるんだけど、良いかな」
「何だよ突然、俺に答えられる範囲ならいいけどさ」
茅人の言葉に疑問を浮かべ、それでも了承してくれる、そんな水城は優しい奴だと思う。
そんな水城だからこそ、汐に紹介できる。
水城は茅人以上に女性の扱いに慣れているし、優しい。
茅人よりずっと適任だろう。
「水城は、今付き合ってる人とかいるのか?」
まず一番重要な質問を水城に投げかける。
恋人がいるなら、紹介なんて出来はしない。
確実に外堀を埋めていくよう質問をしつつ、茅人はグラスを磨く。
単純な質問をした茅人に、意地の悪い笑みを浮かべ水城は茶化す。
「茅人もしかしてお前、いや俺、お前の事恋愛対象には…」
「そういう趣味は僕にもないよ!いいから早く答えろよ!」
茅人が左足で水城の右足を力強く踏みつけると、水城は小さく呻き、片手を軽く振り降参を表す。
気分を害しながらもこのままでは埒があかないため、茅人も何事もなかったかのように左足をひく。
まだ僅かに痛みが響くのか水城の瞳には涙が浮かんでいるが、茅人はそれを無視した。
「彼女もいないし、特定の好きな相手もいないよ」
果物の盛り合わせを、繊細な手付きで作りながら水城が答える。
林檎や苺、葡萄にオレンジ。
細工を入れるだけで華やかになるその果物は、鮮やかで人気も高い。
「そっか…」
「そうだよ、で、本題は何?」
茅人の一言に頷きつつ、水城が催促をした。
ハッキリ聞かれると答えにくいなと今更ながら思う。
しかし、もうすぐ盛り合わせが完成してしまう。
覚悟を決め手茅人が口を開く。
「あのさ、水城は、汐さんみたいな人ってどう思う?」
「恋愛相談だったのか」
茅人の言葉は上手く伝わらなかったらしい。
改めて説明を付け足す。
「そうじゃなくて、仮の恋人として、水城は付き合えるか聞いてるんだ。僕には、そういう事、まだ出来ないからさ」
「茅人…、いや、仮の恋人の話だったな。そうだな、俺は、仮は嫌だな。ちゃんと付き合えないなら意味なんてないだろ」
茅人が真面目に聞いている事に気づいた水城は、それに答えるよう本心から思いを告げた。
(そうだよな。最初から思いがない関係なんて、普通は嫌だよな)
分かりきっていた事なのに、水城の優しさにつけ込んで酷い事を聞いてしまったと茅人は後悔を滲ませる。
「ごめんな、変な事聞いたよな…」
反省の言葉を述べる茅人に、水城は優しく声をかける。
「別に良いよ、気にすんな」
完成した盛り合わせを片手に、茅人の口に余った林檎の欠片を入れ、水城はお客さんが待つテーブルに急ぐ。
カウンターに座っていた女性のお客さん達が、水城と茅人の様子を楽しそうに見つめていたが、どうやら声を押さえていたため会話は聞こえていなかったらしい。
お客さんの話を守秘出来たかわりに、あらぬ誤解を受けたかもしれないが、そこについては諦めよう。
それよりも今、一番に考えるべきは汐の事だ。
汐は茅人が知る限り、しっかりしている女性だと思うし、変な男性に近づいたりしないと思う。
だが、それはあくまで茅人の考えであり、スランプに陥って何とかそこから脱出しようとしている汐が、可能性のある方法を無理に実行しないとは限らない。
不安な気持ちと、それに対処する方法への模索が茅人の気持ちを交差する。
「お会計、お願いします」
不意に入り口付近から汐の声が聞こえた。
茅人が対応しようと思いカウンターを出たが、一足早く水城が反応していたらしい。
「お待たせしました、お会計失礼いたします」
別に茅人は汐の担当店員ではないし、この店にそんなシステムはない。
だから茅人や水城、他の店員達がどのお客さんを対応していてもおかしな事はない。
ただ、今はタイミングが悪かった。
汐の事が気がかりだった茅人は、一言だけ汐に確認しておきたい事がある。
会計時の接客は、それを自然と聞きやすいと思っていたのだ。
「ありがとう、また来るわ」
「お気をつけて、外まで送りますか?」
どうやら会計を終えたらしい。
そつがない水城の対応と、それを微笑み断る汐の反応。
絵になるというのはこういう事を言うのだろう。
二人の様子を呆然と見つめていた茅人が、我に帰ったのは汐が立ち去り、出入口の扉が閉まった瞬間だった。
茅人は手元のグラスをカウンターに残し、急いで店の外へ向かう。
「悪いけど、少し抜ける。すぐ戻る」
カウンターに戻る水城に簡潔な言葉だけ伝えると、茅人の視線だけで水城は内容を理解し小さく頷いた。
汐が出て、まだ十数秒といったところだ。
今ならまだそれほど遠くまで行っていないだろうし、まだ間にあうだろう。
店の扉を開け、急な階段を駆け上り、見慣れた人物を探す。
店から僅かに離れた国道沿いの歩道に、汐の後ろ姿が見えた。
「汐さん…」
早足で汐に近づき、努めて冷静に声を掛ける。
茅人の声に汐がゆっくりと驚いたように振り返った。
「あの、私、何か忘れ物でもしたかしら?」
「いえ、お忘れ物はないと思います。ただ個人的に少し聞きたい事があって、数分お時間戴いても良いですか?」
汐の様子を確認した茅人は、汐の右手を優しく掴み、近くの雑貨屋の軒下に移動する。
誰かに聞かれて困る話ではないが、人通りのある歩道で話すのは気が引けた。
何よりも話に夢中になって周りが見えなくなっては、他者にも茅人達にも良くはないだろう。
汐もそれに対しては同じ考えのようで、すんなりと移動することが出来た。
「それで、聞きたい事って何かしら」
先に言葉を発したのは汐だった。
街灯に照らされた瞳が茅人を見つめる。
茅人自身から声をかけておいて、言葉が出てこないのはその瞳の輝きによるものだろうか。
「先ほどのお話の件なんですけど、お相手はすでに決まりましたか?」
遠回しに、しかし分かりやすい言葉を選び『仮の恋人』が決まったのかを茅人は意を決して問う。
「いいえ、まだこれから探す予定よ」
どうやら茅人の問いは汐に的確に届いたらしく、短いながらもはっきりとした答えが返ってきた。
汐の言葉に僅かな安堵を感じながら、覚悟を決め茅人は新たな言葉を投げかける。
「一度返答をかき消しておいてあれですが、もし先ほどの話がまだ生きているなら条件付きで協力させていただけませんか?」
茅人の言葉に汐の瞳が揺れた。
僅かな沈黙の後、汐の声が茅人に届く。
「園崎君が協力してくれるならとても助かるけど、その『条件』というものが気になるわ」
「別に対したものではありませんよ。条件は『決して本気にならない』という事だけです」
探るように問う汐の言葉に、平然と笑みを浮かべ茅人が条件を口にする。
『仮の恋人』が『本当の恋人』になるのは、茅人だけではなく汐も不本意なはず。
それならばこの条件はとても軽く、受け入れる事も抵抗はないだろう。
汐は本気になる気はない。
茅人は本気になれない。
汐は仮の恋人を探している。
茅人はそれを放ってはおけない。
条件付きとはいえ、汐にとっても悪くはないはずだ。
「その条件ならこちらも都合が良いし、助かるわ。とりあえず、明日の夜またお店に行くから、詳しい話はその時に」
案の定、汐はあっさりと条件を受け入れ、嬉しそうに微笑んだ。
「では明日、店でお待ちしています」
会釈し答える茅人に、去り際汐は一言残して立ち去った。
「また明日の夜に会いましょう、茅人君」
翌日の夕方、茅人の足取りは重かった。
理由は昨夜茅人が、汐の仮の恋人になると約束をしたせいである。
勢いに飲まれつい言ってしまったとはいえ、茅人に汐の相手がつとまるとは思えない。
なぜなら、相手はあの汐さんだ。
容姿や所作は綺麗だし、茅人から見ても知的な人だと思う。
何よりも彼女は茅人より精神的にも実年齢も大人で、お世辞にもつりあいが取れているとは言えそうもない。
それはおそらく、今までに生きてきた上で経験してきた事の中にある差のようなもののせいだろう。
それは埋めようと思って埋められるものではないし、寄り添えるものでもない。
だからこそ、汐の仮の恋人という役が、茅人では荷が重い気がするのだ。
本音を言えば今からでも断りたい。
しかしここで断る事で汐が焦り、適当な相手を探したりするのではと思うと心配でもある。
「腹をくくるしかないか…」
小さくため息を吐き、店の扉に手をかける。
開店前のため照明は少し明るく、階段を下りるとカウンターでは先に来ていた水城が料理の下処理をしていた。
タイムカードを押し、従業員控え室に向かう茅人に後ろから水城の声が聞こえた。
「なぁ、昨日あの後どうだった?」
「どうって何がだよ」
水城の明るい声に対し、茅人の気持ちは曇り気味なままだ。
小さく振り向いた茅人の視線に、水城は念を押すように聞く。
「昨日汐さんと何か話したんだろう?」
興味本意か茅人を心配しているのか、あるいはどちらも入り交じっているのか。
水城の気持ちはいつも掴みどころがなく、茅人を困らせる。
「別に、ただ汐さんのスランプ脱出に協力するって話をしただけだよ」
当たり障りない答えを返し、着替えに向かう茅人を水城は意外そうな表情で見送った。
(嘘は、ついてないよな…)
付き合いも長くそれなりに親しい水城に、茅人自身嘘をつくのは抵抗がある。
だからといってすべて話すのは汐に対して悪い気がして、言葉を濁すのが精一杯の譲歩だった。
水城流に言えば『言い忘れ』と言う事で許してくれればいいと、茅人は心の中で水城に謝る。
着替えを終え、店のマスターに頼まれた備品を運んでいると、あっという間に開店時間が近づいてきた。
カウンター内には磨かれたグラスや大小多数の食器、冷蔵庫にはこれから消費されるであろう食材がしっかりと収まっている。
「では開店します、今日も一日よろしくお願いします」
マスターの声に店員達が短い返事を返し、外の看板に明かりがついた。
さぁ、もう後には戻れない。
茅人に出来る事は自身のすべき仕事をこなし、汐の来店を待つだけだ。
汐が店に来たのは、開店時間を二時間程過ぎてからだったらしい。
店内は程よく混みだし、茅人もホールを忙しくまわっていたため、水城に声をかけられるまで気づかずにいた。
いや、無意識に忙しく動きまわっていたのかもしれない。
そんな自身の気持ちを打ち消すように、茅人の足は汐の座る席へと向かう。
緊張をしているわけでも、怯んでいるわけでもない。
ただ、ほんの少しだけ迷いがある、それだけだ。
本当に汐の相手が務まるのか。
こんな心の一部が欠落した、そんな自分で良いのだろうか。
そんな申し訳なさが、茅人の心を迷わせた。
「こんばんわ、お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いいえ、茅人君はお仕事中なのだから、謝る必要なんてないわ」
詫びるように微笑する茅人に、汐は気にしていない素振りを見せる。
しかしその言葉の中には、謝罪こそ望まないが、待たされた事実についての否定の言葉はない。
無意識の事なのか、意識的なものかは分からないが、待たされたという気持ちはあるのだろう。
しかそれを口に出す事を茅人はしなかった。
なぜなら、今日汐が店に来た事には、明確な意味があったからだ。
テーブルには既に水城が注文を受けて運んだ、柚子ソーダが乗せられている。
お酒ではないという事は、昨晩の話をする気持ちの現れだろう。
「昨日の話の続き…してもいいかしら?」
汐の言葉が茅人の耳に届く。
カウンターの方を見つめると、水城が察したように頷いた。
「はい、少しなら時間も取れそうですから」
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