月 2016-09-03 18:33:52 |
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数分間悩んで桜夜から出た言葉は、あまりにも意外なものだった。
「じゃあさ、俺と同棲しない?そしたら全部解決するだろ?」
確かにそれなら桜夜と一緒に暮らせるし、家賃も安くなる、親同士も知り合いだから反対はされないだろう。
ただ一つの問題は『何処で同棲するか?』である。
「一緒に暮らすのは良いけど、場所はどうするんだよ。俺の部屋は狭いし、今から探すにしたって…」
凪の言葉に、同棲する事への抵抗がない事を確認すると桜夜は笑顔で答えた。
「此処で良いよ、部屋は余ってるし、広いし問題ないだろ」
確かに桜夜の住んでいる部屋は、二LDKと一人暮らしの割には広い部屋だ。
ここなら空いている一部屋を片づければ、寝室も確保できるだろうし、確かに二人で住めるだろう。
しかしそれでも凪にはまだ思うところがあった。
「念のために聞くけど、ここの家賃、いくらぐらいなんだ?」
僅かに緊張を滲ませる凪に、桜夜は答えは返さず、逆に聞き返す。
「それ聞いてどうするの?」
「どうするって家賃半分払うよ。あと食費とか、水道光熱費とか…」
指折り口に出す凪の言葉に、桜夜は呆れたようにため息を出す。
「凪、一応言っておくけど此処の家賃、凪の住んでいるところの三倍以上はするよ?それに俺は家賃とか生活費なんて受け取る気ないからね?」
凪の家の三倍以上と、生活費諸々、半分なら凪でも払えるとは思っていたけど、話を聞くとかなり財布が厳しい。
その上、桜夜は凪が知る限り割りと頑固な性格だ。
「いや、でも、俺にも意地があるし、全く払わないのは落ち着かないな…」
凪が困ったような顔をし悩んでいる様子を見て、桜夜は手の平を合わせ軽く叩く。
「わかった、じゃあ食費と水道光熱費だけ半分払って。どうせ家賃は凪が住んだって変わりはしないんだから、増える分だけ半分ずつにしようよ。それならいいよね?」
それ以上は受け取らないと言った桜夜の顔を見て、凪はそれならまぁ、良いかと頷く。
正直、凪にとって桜夜の提案は、とても助かった。
もちろん家賃を半分払う事は可能だったが、その場合常時のバイトが必須となる。
しかしそうなると、桜夜と過ごす時間は減る事になると思う。
それではたぶん意味がなくなるだろうと思うと、桜夜の提案は凪にも桜夜にも最善に思える。
「でさ、いつ引っ越してくる?」
「大学が始まる前にはこっちで住めるようにしたいな」
桜夜の質問に凪は自身の希望を告げた。
大学が始まれば慌ただしくなるだろう。
その状態で引っ越すくらいなら、なるべく早い方が良い。
両親への説明、荷物の整理に住所変更、大家さんに引っ越す事も伝えて…するべき事は山のようにある。
凪があれこれ考えている中、桜夜は笑顔で言いだした。
「じゃあさ、明日から準備始めようよ。俺も凪の家泊まって、手伝うし」
「え、桜夜、お前、知ってると思うけど、俺の部屋凄く狭いぞ?冷房も壊れているし」
凪の忠告に僅かな間を置き、数秒後覚悟を決めた眼差しで桜夜は主張する。
「…冷房は我慢するし、狭くても夜は凪と寝るから平気。それに、凪と離れたくないから…」
桜夜の瞳には以前のような怖い色はない。
しかし、それとは別の愛しさを表す色が滲んで見えるのは、凪の気のせいだろうか。
可愛いかった以前の桜夜とも、狂気の色を覗かせていた桜夜とも違う。
今の桜夜はもっと甘く、熱い何かが桜夜の中に見え隠れしている。
しかしあえて凪はそれに触れない。
今はその時ではない気がしたから。
あれから一ヶ月が経ち、凪の生活は変わった。
大学へ向かう道のりも、放課後の過ごし方も、帰る家も以前とは違う。
以前の生活と随分変わったはずなのに、凪自身違和感を覚えないのはなぜだろうか。
「凪、お帰りなさい」
「ただいま、桜夜」
自然と溢れる互いの笑みと、桜夜の手によって繋がられる首輪。
最初の頃の違和感も、今では凪に安堵を与えてくれる。
変わったはずなのに、今ではこれが正しく、自然に感じてしまう。
「ほら、桜夜の好きなハニーストライプのベリータルト買ってきたぞ」
「ありがとう、早く食べよう。早く、早くっ」
凪が渡した土産を手に、桜夜が凪を急かす。
「焦らなくても、タルトはなくならないって」
丁寧に靴を脱ぐ凪を急かす桜夜と、それに併せて歩く凪。
変わった二人と、変わらぬ時の流れ。
そうして変わった二人の世界を、この世は静かに受け入れていった。
妖人だけのその世界に、不思議な屋敷があるらしい。
そこは願いを叶える力を持つ者が住む屋敷。
そこの家主は、二匹の黒猫兄弟。
双子の彼らは遊び好きで、お客に遊んでほしくて仕方がない。
そしてお客も彼らの誘いに乗ってしまう。
【彼らに勝てば願いが叶う】
それが願いを叶える方法。
もちろん無償では参加出来ない。
この話を知り、彼らに選ばれ、そしてあるものを賭けるだけ。
勝てば願いは叶い、負ければその時は…。
今宵のお客は銀の狐。
さぁ、遊戯を始めよう。
「本当にこの道で良いのか?」
銀の耳を動かし、黒い瞳の狐が森を歩く。
《新月の晩、この町の北にある森の湖に向かい、そこにある古い立て札に書いてある方角に向かって歩けば、そこに着くはずだ》
六日前に遊びに来たこの町で、胡月銀色(ウツキギンイロ)は酒場で出会った青年にそんな話を聞いた。
青年は銀色より少し年上らしく、人間で例えれば27~28歳くらいだろう。
実際妖人の見た目なんて実年齢に比べればあてにならないが、人間の年齢に例えた方が分かりやすく済むし、妖人も年を取れば老いる。
そこに違いはないので、見た目年齢を表すにはこの方が分かりやすいわけだ。
その青年の話によれば《そこの主は変わり者で、主が気にいった者だけに分かるよう、目印を隠しているらしい》とのことで、立て札が見えた銀色は一応気に入られたらしい。
納得いかないと言う顔をしながらも、銀色は自身の銀の尾を揺らし道を急ぐ。
その後しばらく歩くと、大きな屋敷らしい物が見えてきた。
「此処が願いが叶う屋敷か…」
確かに銀色には叶えたい願いがある。
それは失った記憶と、妖力の一部分。
正しくは記憶を無くすさい妖力の一部を失ったようだが、これは時の流れでも、自身の力でも解決しようのないものらしい。
無くしたものは埋めようがない。
変わりのものは変わりでしかないから。
つまりは《換えがきかない》という事だ。
入り口の門に、銀色の手が触れる。
重そうな門は見た目よりも軽く、簡単に開いた。
慎重に歩みを進め、玄関の扉の前に立つ。
ドアベルらしきものはなく、少し考えた銀色は、扉を数回拳で軽く叩く。
反応らしいものは一切ない。
ドアノブを回すと、鍵は掛かってないようだ。
銀色が悩んでいると、不意に扉が開いた。
「はじめまして、胡月銀色君」
「僕らの屋敷へようこそ」
そこに居たのは二匹の黒猫の妖人だった。
「僕は黒衣織(コクイオリ)で、糸の兄だよ」
初めに声をかけてきた方は、織という名前らしい。
「僕は黒衣糸(コクイイト)で、織の弟」
そして後に声をかけてきた方は、糸という名前らしい。
二匹の黒猫を見つめる事で、銀色はある事に気づく。
彼らの姿は、よく似ていた。
真っ黒な耳と尾も、綺麗な黒い髪も、その琥珀の瞳の色も合わせたように似ている。
金色にも見える二人の瞳は、銀色に注がれているようだ。
吸い込まれそうな輝きを振り払うよう、銀色は彼らの服装を見た。
織と糸の服装は、世間一般で言われる和服だった。
一見似ている二匹の服装は、色こそ同じだが、僅かにデザインが違う。
織の着物は漆黒に紅の花びらを散らせた柄で、風を表すような錦糸が刺繍されている。
糸の着物も漆黒の色と錦糸の刺繍は同じだが、花びらの色は白い。
揃いで仕立てたのだろうが、着物に疎い銀色にも分かるくらいに、高価に見える。
濃紺の帯も揃いなのだろうが、そこにあしらわれた緑の刺繍は左右対象の葉の刺繍で、着物にあわせた花びらが散らされていた。
「糸、俺達の格好変なのかな?」
「そんな事はないと思うけど、銀色君、何かあった?」
織が糸に疑問を投げかけると、それは糸を経由して銀色に届いた。
その言葉に反応し、ようやく銀色の瞳が二人を凝視していた事に気づく。
「あのさ、君達ってもしかして…双子?」
銀色の疑問に、織と糸は互いに不思議そうな様子で目線をあわせる。
口を開いたのは糸の方だった。
「見て分からない?双子に決まってるだろ」
銀色を見る糸の視線は『この狐、頭悪いのか?』という感情が添えられているようだ。
確かに見た目はよく似ているが、髪の長さは織は肩にかからない程度で、糸は長い髪を髪紐で結んでいるし、織の方だけ銀縁の眼鏡をかけている。
年の近い兄弟と言われてもおかしくはないだろう。
確認するために聞いただけなのに、そんな不憫そうな視線をしなくてもいいのではないだろうか。
「まぁ、いいや。こんな所で立ち話もなんだし、とりあえず客間へどうぞ」
織の優しい言葉に、銀色は頷き靴を脱ぐ。
昨夜の雨露に濡れた草によって、銀色の革のブーツは僅かに汚れていた。
気にする程度ではないが、汚れの痕は残るだろう。
しかしそんな様子に急かすよう、糸が銀色の黒いシャツを掴む。
「案内するから、早くしろ」
銀色より僅かに高い身長の糸は、鋭い目線で催促する。
「君達って、背の高さは同じじゃないんだな」
「はぁ?双子だからって何でも同じ訳ないじゃん。頭悪いんじゃないの?」
銀色の問いに答えた糸は、今度こそ声に出して暴言を吐く。
ここで銀色は苦い表情で、その他の二人の違いに気づいた。
確かに織は銀色より少し背が低くいが、性格は優しく見える。
逆に糸は銀色より背が高く、性格は悪そうだ。
双子でも性格や、背の高さが似るとは限らないらしい。
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