月 2016-09-03 18:33:52 |
通報 |
「昼飯の時間に声かけにきたら、お前寝てたから…。さすがに昼飯食わなかったから腹減ってるだろ」
視線を逸らす糸の頬は少し赤い。
照れているのだろうか。
そんな事を考える余裕が出てくると、身体の動きも軽くなり、自身が空腹な事にも気づいてくる。
「そうか、ありがとう。それじゃ、冷めないうちに行くか」
立ち上がり銀色が毛布を畳むと、糸はそれを受け取り部屋の角に置く。
どうせ今晩使うのだろうから、そのままにしておけとの事だろう。
「いくぞ、飯が冷める」
糸の言葉に頷き、どちらともなく部屋を後にする。
ふと、曲がり角の前、銀色の部屋と反対の廊下の奥の部屋から明かりが漏れていた。
「あの部屋、明かりがついてる」
銀色の指摘に、廊下を曲がった糸が数歩後ろに歩く。
「あぁ、良いんだよ。あの部屋は織の部屋だから。さっき夕飯は部屋で食うっつうから、膳も置いてきたしな」
糸の言葉を聞きあの部屋が織りの部屋で、糸と織は別の部屋で過ごしており、今夜の夕飯の席に織はいないという事を、銀色はゆっくりと理解していった。
十数歩進むと、目的の部屋に着いた。
室内には二人分の食事が用意されており、銀色は手前に、糸は奥の席に腰をおろす。
「いただきます」
銀色の言葉に頷き、糸も箸をあわせる。
数分間の無言の時に銀色は耐えきれず、いくつかの話を振ってみた。
「あのさ、お前達の前に、この屋敷の主をしていた人はどんな人だったんだ?」
銀色の言葉に糸は少し驚きを見せたような気がしたが、すぐにその気配は消え、糸が言葉を綴る。
「そうだな…先代の主は、優しくて孤独な人だったらしい」
糸の言葉はどこか遠く聞こえた。
冷たくもなく暖かくもない、透明な声。
そんな糸にかける言葉が見つからず、銀色は別の質問をする。
「そっか。ところでさ、朝も思ったんだけど、この食事は糸が作ってるのか?」
「そうだけど、何か不満でもあったか?」
糸の言葉には僅かな疑問が滲む。
「いや、美味しい食事だと思う。ただ、一人で食事の支度をするのは大変じゃないか?」
「料理は好きだから苦にならねぇよ。それに織は家事関係の作業が苦手だからな。俺が作るのは自然だろう」
銀色の言葉に苦笑し、糸は綺麗な所作で料理を口に運ぶ。
その後も雑談を交え食事を終え、食後のお茶を飲み終えたあとに『俺は片づけてから部屋に下がる』という糸の言葉を聞き銀色も自室に戻ることにした。
(この屋敷に来てから、なんか違和感があるんだよな…)
なぜ銀色のような平凡な青年が気に入られたのか。
なぜ織と糸の関係に違和感を覚えてしまうのか。
そしてなぜか最近銀色は、自身の『願い』に固執しなくなってきている。
あんなに取り戻したかったはずなのに、なぜ今はその思いに霞がかかるのだろう。
そんな事を考えていると、すっかり眠気は消えてしまった。
「お茶でも飲みに行くか」
確か、普段食事をする部屋にポットも茶場もあったはずだ。
お茶の道具の扱いぐらいは銀色にも出来るし、台所の位置も把握済みである。
朝にでもお茶を飲んだ事を告げれば、彼らも怒りはしないだろう。
「よし、行くかな」
寝間着の上に羽織をかけ、銀色は部屋を後にした。
静まり返った薄暗い廊下は、銀色の歩く気配しかない。
家鳴りもしない廊下は、足音をさせないし、頼りになるのは月明かりだけだった。
いや、廊下の奥の方、夕飯時に聞いた織の部屋から、僅かに明かりが漏れている。
織がまだ起きているのだろうか。
もし起きているならお茶に誘ってみようと、銀色は廊下を曲がらず、織の部屋へと歩みを進める。
「…っ…で…糸は…ゃないのかよ!」
争いのような声は織のものだろうか。
糸の名が出たなら、二人はともに部屋にいるのかもしれない。
部屋の前に立つとより明確に二人の声が聞こえた。
「やっと、主様が見つかったんだぞ!?それなのに、糸は帰ってきてほしくないのかよ!」
障子の向こうで、織は糸に掴みかかっていた。
「俺は、主様がこの屋敷に戻ってくれることより、主様の幸せを優先してほしい」
糸の声は、悲痛に響く。
主様という言葉に、銀色は僅かな頭痛と何か記憶の靄が晴れるような感覚を覚えた。
『……主様…ぉ…、…らず、……ら…』
かつて銀色はその名を誰かに呼ばれたような気がする。
遠くに聞こえたあの声は、いったい誰の声なのだろう。
頭痛の痛みと、記憶を辿る事に意識が逸れていた銀色を現実に戻したのは、障子の向こうに響いた何かが壊れたような、鈍く激しい騒音だった。
「何があったんだ!織!糸!」
驚いた銀色は自身が立ち聞きしていた事を忘れ、形振りを構わず織の部屋に駆け込む。
だがその様子に驚いたのは糸だけで、織の方は微かな反応もない。
その仕草は織が予め銀色の存在に気づいていたという事だろう。
だが銀色はそんな織よりも、壊れた奥の障子に叩きつけられた糸の方へ視線を向ける。
部屋にいたのは織と糸だけで、誰が突き飛ばしたのかは明確だった。
「織、何でこんな…っ」
織に話しかけた瞬間、再び銀色は頭痛を覚える。
室内は今まで見たどの部屋とも違い、畳二十畳はありそうだ。
そのうち右の三分の一のスペースは、横幅の広い簾がかかっていてよく見えない。
見たことのない部屋のはずなのに、なぜか懐かしい。
鋭い痛みは銀色の意識を奪う。
(あぁ、思い出した、俺は……)
「おい、どうしたんだ!」
「銀色君、起きて!」
混濁する意識の中、遠くに織と糸の声が聞こえた気がした。
そう、愛しい銀色の二つの双黒の声が…。
そして思い出す、すべての始まりが起きた170年前の出来事を……。
思い出したのは170年ほど前の事。
銀色、別名『銀の主』は、一人縁側にて微睡んでいた。
「……むなしい」
空を見上げる銀の主の瞳には、寂しげな色が滲んでいる。
銀の主が住むこの屋敷は、元は森にある普通の古屋敷だった。
それを買い取り、魔力を増幅させる屋敷に変えたのが銀の主である。
銀の主がここに住んでいたのには訳があった。
妖人が住むこの世界では、妖力の強弱が重要となる。
そして銀の主の種族である『銀狼(ギンオオカミ)』は、妖力の強いと噂の黒猫を凌ぐと言われていた。
だがそれが銀の主は不満だった。
銀狼の種族は、強い種族であるという概念は『ある種の孤独』とも言える。
強き種族が、弱みを見せるわけにはいかない。
強き種族は、平等である必要がある。
と、銀の主は考えていた。
弱みを見せれば、それを利用される事もあるだろうし、何者かに荷担すれば、それは大きな戦火になりかねない。
それゆえ、銀の主は自ら孤独を選ばざるえなかったのだ。
しかし銀の主にも感情があり、人と接すれば情が生まれる。
ならば人と関わらず、力を制限すればいい。
そのために人の滅多に来ないこの森で、妖力の増幅を可能とする屋敷にほとんどの力を注ぐ事でそれらを可能としたのだ。
つまりこの屋敷は『妖力を増幅』させるのではなく『銀の主の妖力を一定量吸い取り、蓄えている』屋敷な訳である。
だがどんなものにも限界はあり、それはこの屋敷も例外ではない。
器の限界を越えた中身は、そこから溢れ出す。
それらを解決するため銀の主は、この屋敷を『願いが叶う屋敷』として気まぐれに客を呼ぶ事にした。
あくまで叶える願いは妖力で可能なものだけだが、力や不老長寿、呪いの解呪に異性を魅了する能力等は基本的に出来る。
地位や名誉は妖力の強さで買える物ばかりだし、力を発揮すれば財産等も増やせる。
出来ない事は命に関わる事や、例外的なものだけなので、願いが叶うというのも嘘にはならないだろう。
「そろそろ、最初の客を呼ぶかな」
銀の主はそう呟くと、予め狙いを付けていた、一人の黒い猫の妖人を屋敷に近づける手筈を整える。
銀色の狙う妖人はまず第一に、強い願いを持つ者だ。
強い願いは人を動かして、冷静さを殺ぐ。
たとえ誰が聞いても怪しいと判断する森の屋敷でも、なにものに代えても叶えたいと思う願いはその判断すらも狂わすものだ。
そして第二に、願いは純粋なものが良い。
別に汚れた欲に駆られた願いも、叶えられないわけではないが、そんな願いは好きじゃない。
どうせ同じ叶えるなら、純粋で清らかな願いを叶えたいと銀の主は思う。
そして第三に、叶えてやる相手は見目麗しい妖人が良い。
これは今回の客にだけ必要な事なのだが、銀の主はあわよくばその黒猫を、側使いとして屋敷に置こうと考えていたのだ。
広い屋敷の管理は銀色の妖力でも特に問題はないのだが、やはり人の手のかかる事はあるし、あまりにも退屈すぎる。
そのため、最初の客と遊戯をして勝ち、お手伝いとして屋敷に閉じこめる事にしたのだ。
最初の客に選ばれただけで側使いにされる可能性があるというのは酷い事かもしれないが、銀の主も百年近く一人で過ごしていると退屈すぎて嫌気がさしていた。
誰か一人くらい話し相手がいても、許されるだろう。
そして同じ話し相手なら、妖力がある程度あり、容姿が整っていた方が良い。
「ごめんね、黒猫さん」
苦笑を浮かべた銀の主は、苦笑を浮かべ黒猫が通う飲食店に噂を流すよう、妖術にて作り出したネズミの妖人に使いを出した。
これで準備は整ったと、銀の主は客を迎える用意を始めた。
数日後の深夜、満月の夜の事。
黒猫の妖人は、森で捜し物をしていた。
「本当に看板なんてあるのかな?あの願いが叶うって言う話、嘘だったんじゃないかな」
足に疲れを感じて嫌気がさしてきた黒猫の妖人が歩みを進めると、前方に木製の看板が見えた。
「あった!えっと『願いが叶う屋敷、この先まっすぐ北へ。徒歩にて、五分程』か、……怪しい看板だけど、行くしかないよな」
目的の看板を見つけ内容を確認すると、黒猫の妖人は森を早足で進んでいく。
そうして五分後に辿り着いたのは、古風な一軒の屋敷だった。
その屋敷は森にあるわりには外装が綺麗で、黒猫の妖人は訝しさを感じてしまう。
屋敷の主は一人暮らしと聞いていた。
それなのに、庭の手入れや外装の掃除が行き届きすぎている。
いったい此処の主とは、どのような人物なのだろう。
不安を抱き黒猫の妖人は屋敷の扉に手をかけた。
「すいません、誰かいらっしゃいますか?」
扉を開けて中を覗くと部屋の明かりはついているが、肝心の人がいない。
困り果てていた黒猫の妖人の背後から、不意に声が囁かれた。
「ようこそ、願いが叶う屋敷へ。俺がこの屋敷の主で、銀色。別名銀の主という者だよ」
背後に振り向くと、そこには美しい銀の狐が立っている。
月に照らされた銀の主は、その艶やかな尾を揺らし軽い自己紹介をして見せた。
数秒惚けていた黒猫の妖人だったが、すぐに我に返り自身も名を名乗る。
「僕の名前は黒衣織、叶えてほしい願いがあってきたんだ」
簡潔に分かりやすく話す織を見て、銀の主は室内の応接用の客間へと案内をする。
目的の部屋は玄関から近く、室内には大きなテーブルと座椅子が二つあるだけのようだ。
「さて、それじゃあ早速だけど、織君の願いとやらを聞かせてもらえるかな」
絡めとるような声で銀の主が問う。
「僕の双子の弟を探してほしい。弟は二年前に出かけたあと、消息を絶ったんだ。すぐに帰るって言ってたのに、今だに帰ってこない…」
苦しげに発する織の声を聞き、銀の主は名案を思いついた。
「本当は、遊戯で君が勝ったら願いを叶える決まりなんだけど、実は今俺も困ってる事があるんだよ。だから、今回は交渉にしない?」
銀の主と屋敷の力を使えば、探し人などすぐに見つけられるだろう。
だが、こちらとしてはこの黒猫がほしい。
本来ならこの黒い猫を遊戯で負かし、銀の主の願いを叶えれば良いだけだが、どうせなら双子の黒猫を両方囲うのも一興と言える。
それに猫は二匹纏めて飼った方が退屈しないだろう。
これまで読んで下さった方へ。
今回途中で打ち切る事になってしまい、誠に申し訳ありませんでした。
今後しばらくは別サイトにて書いておりますので、縁があれば読んでみて下さい。
なお、復活はいずれするかもしれませんので、その時はまたよろしくお願いします。
それでは失礼いたしました。
トピック検索 |