YUKI 2016-08-21 01:55:44 |
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「天宮さん?忘れ物ですか?」
そこにいたのは、少し前に店を出た天宮である。
何か忘れて取りに戻ってきたのだろうか。
店の掃除の際、一応お客様の忘れ物について確認もしてはいるのだが、見忘れがあったのかもしれない。
そうならば、急いで店に戻って確認しなくてはならないだろう。
ところが、店に戻ろうとする藤白に天宮がかけた言葉は、予想してないものだった。
「違います、藤白さん貴方を待っていたんです」
「え、待っていたって、私はこのあと病院に…」
天宮の言葉を藤白は理解できず、しかし急いでいる事だけでも伝えようとする。
「ですから、病院に行くのを付き添うために待っていたんです」
天宮の話を歩きながら聞くと病院の場所までは分からないが、かといって体調の悪い藤白をそのままにも出来ず、仕方がないので店の外で待っていたという事だった。
その話を聞いて始めこそ意地を張っていた藤白だが『迎えにいく途中倒れたら大変ですから』との言葉に反論できず、されるがまま病院に付き添ってもらう事にしたのだ。
天宮の説教を聞きながら歩いていると、病院までの道のりが近く感じた。
説教をされて感じる事ではないのだろうが、側に頼れる人がいるというのは少し心強く思える。
天宮は高校生で、お客様なのに、藤白に頼られる事が重荷になってはいないだろうか。
多分先程までの気持ちにはそんな思いも僅かながらあったのだろう。
そんな事を思っている藤白の心境は、天宮には伝わっていないだろう。
そうこうして歩いていくと、目の前に昨日の動物病院が見えた。
中にはいると来院者は少なく、すぐに藤白の名前が呼ばれる。
「あら、今日はお二人なんですね、ご兄弟ですか?」
「え、いえ、あの…」
看護士さんの言葉に藤白は言葉を詰まらす。
先程の事を考えると『お客様』という言葉に抵抗がある。
なんと言えばいいのか悩む藤白の横で不意に天宮が代わりに答えた。
「彼女のお店の店員です、アルバイトですけど」
笑って答えている天宮を横目に藤白は、混乱する。
藤白の店は誰も雇ってなどいないし、今のところその気もない。
あの店の規模なら一人でこなせるし、今までだってそうやってきた。
雇えないわけではないが、人に頼らなくてはならないほど藤白自身は弱くはないつもりだ。
なのに、それなのに彼は何を言っているのだろう。
藤白の思考が巡る中、子猫の手続きは進んでいく。
藤白の手元に黒い子猫が抱かれたのは、ようやく思考が落ち着き冷静になれた頃だった。
「予防注射もしておきましたし、何か困った事がありましたら、いつでもご連絡ください」
「はい、ありがとうございました」
看護士と医師の説明を聞き、手続きと支払いを終えた藤白は礼を言い、子猫と天宮と供に病院を出た。
「天宮さんも今日は付き合ってくれてありがとうございました、気をつけて帰ってくださいね」
病院の前で頭を下げる藤白に、天宮は言う。
「お店まで送ります、もうすぐ暗くなりますし」
天宮の言葉に藤白が空を見上げると夕焼けのオレンジが、夜の闇と僅かに混ざり合い始めている。
ここで断るのは失礼になるだろうし、確かに暗い道を今の藤白の体調で歩くのは不安だ。
「はい、では、お願いします」
「では、行きましょう」
藤白の素直な返事に、天宮は優しく声をかける。
そんな二人の帰り道は静かなものだった。
それでも聞きたい事のあった藤白が沈黙を破る。
「あの、さっき看護士さんに言っていた事なんですけど」
「看護士さんに言っていた事…子猫の名前がまだ決まっていない事ですか?」
少し考えたあと、天宮は答える。
確かにその事も考えねばならないが、藤白の聞きたい事とは違う。
「違います、天宮さんがアルバイトの方だと言っていた事です、私は誰も雇ってなんかいません」
「でも僕は貴方のお店で働きたいと思っています」
力強く言った藤白の言葉に対抗するよう、天宮は自身の気持ちを告げる。
「とはいえ、平日は学校が終わってからしか働けません、でも休みの日は朝からでも働けますし、時給が安くても文句は言いません」
藤白が驚いているうちに、詰めよるよう天宮は続けた。
あまりの勢いに藤白が考え、悩んでいるうちに、二人と一匹は恋鈴館の前に辿り着いてしまった。
「答えは少しならば待ちますが、あまり待たされるのは好きではないので、出来れば一週間以内には聞きたいと思っています。それでは、今日は帰ります」
店の前まで藤白を送った天宮は、自身の気持ちを伝え終えると、来た道を引き返し家路に着こうとする。
しかし足取りは数歩のところで止まった。
藤白が天宮のシャツの端を掴んだからである。
「え?あの、藤白さん?」
驚いて振り向く天宮の様子を無視し、藤白は聞く。
「何で、何で天宮さんはそこまで私やこの店の事を気にするんですか?私にもこの店にも貴方が思うほど魅力はないでしょう、こんな面白味のない、頼りがいもない店主のいる小さな店でなぜ働きたいと思うんですか、私には理解出来ません」
藤白の言葉に天宮は悲しそうな笑みを浮かべてしまう。
それは答えに詰まったわけではなく、なぜこの女性はこんなにも自らの大切な物や、自身にある価値に気づけないのだろうという思いから現れた感情だった。
「貴方は何も分かっていないんですね」
何も分かっていないと天宮に呆れられ、藤白は不機嫌になる。
「意味が分からないんですが…」
その藤白の言葉に天宮は盛大なため息をつく。
そして、藤白の抱いた子猫を撫でながら、天宮はさらに言う。
「藤白さん、確かに貴方は頼りないし、体調管理は出来ていないし、背は低いし、貴方の店も小さいですが…」
なぜ背の低さまで追加されたのかは納得がいかないが、とりあえず藤白は天宮の言い分を聞く。
「それでも、僕はそんな貴方の暖かな笑顔と、自身の事より他の誰かを思う優しさを隣で支えたいと思いました、それが理由では駄目ですか?」
天宮の言葉があまりにも恥ずかしく、しかし誠実すぎて藤白は視線をそらせずには入られなかった。
藤白以外の人から見てもこれは直視する事など出来ないだろう。
「え、あ、でも親御さんの許可と、学校の許可がないと…」
「両親は単身赴任で家にいませんし、学校は申請書を出せば問題ありません」
弱腰になっている藤白に、さらに詰め寄り天宮は言う。
「でも、学生の本分は勉強ですし…」
「常に平均点以上はキープしているので、問題ありません。まだ何か断る理由があるんですか?」
声も小さくなり勢いに押された藤白に対して、畳み掛けてくる天宮の圧は強い。
「いえ、ありません」
藤白に言える言葉はそれが精一杯だった。
藤白に抱かれている子猫も呆然としている。
「では、履歴書等は明後日までに持っていきます。シフトは僕も一緒に組みますからその時に、いいですね?」
あっと言う間に話は進み、藤白はただ頷く事しか出来ない。
ものの数分で藤白は天宮を雇う事が決まり、これではどちらが雇い主か分からない図である。
「他に何か質問は?なければ僕は帰ります」
「えと、あ、子猫の名前どうしましょうか」
勢いに飲まれ藤白はつい子猫の名前についてまで聞いてしまった。
しかし、子猫の名前だってこれから飼う藤白にとっては、重要な問題である。
「名前ですか、そうですね…」
今までの流れでは珍しく天宮の言葉が詰まる。
しかしそれは藤白も同じである。
黒い子猫は天宮と藤白の顔を見比べ、不思議そうな顔をしている。
「四ッ葉(ヨツバ)…なんて、どうですか」
悩んだ末案を出したのは天宮だった。
「四ッ葉、クローバーの四ッ葉ですか?」
藤白の問いに天宮は頷く。
「この子猫との事がなかったら、僕は貴方への思いを言えなかったかもしれません。それに、藤白さんが気づかなかったらこの子猫は助からなかったかもしれない。だから、幸運の四ッ葉のクローバーという意味で『四ッ葉』です」
幸運の四ッ葉のクローバー。
確かにこの子猫にぴったりな名前かもしれない。
「四ッ葉、貴方の名前は四ッ葉ですよ、これからよろしくね」
藤白は子猫の喉を撫で、幸せな微笑みで子猫の、四ッ葉の名を呼ぶ。
四ッ葉もどこか嬉しそうに喉を鳴らす。
「気に入ったみたいですね、四ッ葉、僕の居ない間藤白さんを頼みましたよ」
天宮の言葉に反応したかのように、四ッ葉は愛らしく返事を返す。
藤白は困ったように笑い、天宮は楽しそうに笑う。
二年目の夏、恋鈴館には一人と一匹の店員が増えた。
空はすでに暗くなっていたが、夜空には満点の星空輝いている。
それはまるで、新たな店の始まりを時が歓迎しているようであった。
END
+ 後書き +
夏から書き始めまして、思いの他長くなりました『紫陽花とクローバー』ですが、ひとまずこれにて締めとさせていただきます。
現在夜中の三時近くです。
眠いです。
この後即寝ます。
誤字・脱字・ミス等多々ありますが、その辺はどうか許していただければと思っています。
なお、今後この作品の続きを縁があり、やる気が出れば書くかもしれません。まあ、分かりませんが。
ですがその他の作品はドンドン書く予定なので、興味のある方は是非読んでみてくださいね。
では、以降、ご意見・ご感想をどうぞ。
此のサイトで小説を
読むのは久々でしたが、
良い作品に出逢えました。
何処となく復古調で
穏やかな時間の流れる
喫茶店の雰囲気が
伝わってくるようです。
藤白が四ッ葉ちゃんに
初遭遇する場面では、
>>そこには黒い仔猫が縮こまっていた
と書くのではなく
>>そこには小さな黒いフサフサの固まりがあった
と書いている処、
壺を押さえているなァと
頬が緩んでしまいましたw
見事な表現力ですね。
主上げです
あと遅れましたが、白狐さん、最後までお読みいただきありがとうございました。
今後は上記の名で頑張りますので今後もよろしくお願いします。
真夜中に失礼します。
久々に心温まるような優しい時間の流れる小説に出会い、一気に呼んでしまいました。
天宮くんとの今後が気になるところですね。
とても面白かったです。ありがとうございます
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